料理を作るのは大好き
仕方がないわよね。
口からでてしまった言葉は、いまさら取り消すことは出来ない。彼に「きかなかったことにして」とお願いすることも出来ない。
溜息をつきかけて、ハッとした。
溜息は不幸を呼ぶわよね。
いままでがそうだったように。
頭を振って、諦めることにした。
食べ物のことを言われたのを思い出した。
「クルルルルル」
気弱で臆病なわたしにくらべ、お腹の虫は豪胆みたい。それにちゃっかりさんね。
とりあえず、お腹の虫になにか与えなきゃ。
空腹では、わたし自身もネガティブになってしまう。
いままでと同様に。
探検がてら厨房に行ってみることにした。
まずは部屋を出て、二階の廊下を歩いてみた。
ここは、それほど大きくはない。わたしがすごしていたヴェルレーヌ侯爵家の屋敷より小さいかもしれない。
絵画や彫刻品や植物の類もない。左右に部屋の扉が並んでいるだけである。
階段は、エントランスに降りるようになっている。
一階に降りてみた。
そういえば、人の気配がない。
わたしの、というよりかはお姉様を妻に迎えたいという将軍はどこにいるのかしら?
もっとも、誘拐されたり売られたりしていなければの話だけど。
一階も二階と同様シンプルである。
エントランスですら、なにもない。
というか、ここってほんとうにだれか住んでいるの?
と疑いたくなるくらい生活感がない。
どこの屋敷でもそうであるように、ここも厨房は奥にあるに違いない。
というわけで、奥へと廊下を進んだ。
やはり、装飾品の類はない。
廊下の片側はガラス扉が続いていて、そのまま庭に出ることが出来るみたい。真鍮製のテーブルや椅子が設置されているのがガラス越しに見える。
もう片側は、広間や居間や食堂、それから書斎や応接室になっているみたい。
扉はすべて閉ざされているけれど、扉の大きさや重厚さからおおよその見当はつく。
奥へと進み、やっと厨房を見つけた。
「あのー、だれかいませんか?」
だれもいないとわかってはいても、これだけ広い厨房だと念のため尋ねずにはいられない。
コトリとも音がしない。
人どころか、ネズミですらいないみたい。
「材料を適当にいただきますね」
だれもいないのに許可を求めるなんて……。
自分でも可笑しくなってくる。
厨房内は、ヴェルレーヌ侯爵家にはない器具や設備がある。もちろん、初めて見るのだから使い方がわかるわけがない。
冷蔵庫、冷凍庫、穀物庫など見てまわった。
その設備の充実さに感嘆してしまった。設備や器具だけではない。
食材もである。
見たことのない食材があるだけでなく、栄養のバランスを考えて豊富な種類が充分な量貯蔵されている。
それであのサンドイッチ?
苦笑を禁じ得ない。
わたしは、あの馭者に相当嫌われているみたい。
そうこうしている間でも、お腹の虫は騒ぎ続けている。
これまで我慢してきた反動かしら? というくらい自由気ままに振る舞っている。
「もうちょっと待ってよね」
そう声をかけると、さっそく必要な材料をピックアップし、調理にとりかかった。
ヴェルレーヌ侯爵家には料理人がいる。もともとはどこかの国の生まれで、その国の貴族の家で料理長を任されていたけれど、猜疑心の強い主人のお蔭で濡れ衣を着せられ、その屋敷どころか国自体にいられなくなってしまったという。
という話が彼の公式のふれこみだけれど、ほんとうは主人の妻を寝取った上に物まで盗んで捕まり、投獄され、恩赦ではやめに解放されてこの国にやってきた。
つまり、お父様はちゃんと調べもせずに雇い、ろくに仕事もしていないのに高額の賃金を支払わされている。
ヴェルレーヌ侯爵家の料理のほとんどが、わたしが作っていたことを知らない。
その料理人は、屋敷にいさえしなかったのだから。
そして、素人のわたしは、図書館から借りたレシピ集や料理本を参考に作っている。
そのお蔭で、作ることが出来るばかりか、何百ものレシピを知っている。
味はわからない。お父様たちは、提供されることが当たり前だし、雇った料理人が作る料理は当然美味しい物ばかりであることも当たり前に思っている。
それに対して「美味しい」とか「最高だ」とか、あるいは「不味い」とか「最悪だ」とか、述べるわけがない。
しかも、お父様たちはそれが当たり前のようにかならず残す。お腹がすいていないのか、それが当たり前のマナーなのか、とにかくどの料理もきまって半分以上残す。残すということは不味いのかと思うのだけど、どうやらそうではないみたい。
そういうもろもろのことはあるけれど、味の不味い美味しいにはかかわらず、料理をすることは大好き。