「大悪女」の身代わり
「む、無理です。わたしには、わたしにはお姉様のように振る舞うことなんてとても出来ません」
「バカね、ミキ。絶好のチャンスじゃない。いままで、家族や使用人たちにまで蔑まれていたのよ。それが、わたしのかわりに嫁いで夫を得るばかりか、ワガママ放題にすごすことができるのだから。大丈夫、わからないわ。隣国の将軍は、野獣のように粗暴なだけで見てくれも中身もないらしいから。あなたさえ噂通りのわたしを演じれば、簡単にだますことが出来る。ほら、わたしってもうすぐ婚儀でしょう? 野獣将軍がどうしても素晴らしいレディをよこせと言っているらしいの。それでわたしが選ばれたらしいの。この帝国の為に生贄になれ、ということね」
「ミキ、姉のことを考えるのだ。婚約者の皇太子殿下も泣いていらっしゃるらしい。とりあえず野獣将軍をだますことが出来ればいい。あとは、われわれがどうにかする。ミキ、いいな。バレるような事だけはぜったいにするな。バレたら国家レベルの問題に発展する」
「ミキ。もしもバレるようなことがあったら、あなたが自分の意思でやったことだと言いなさい。そして、その場で死ぬの。これを持って行きなさい。毒よ。即効性の毒だから。将軍を殺してあなたも死ぬの。あるいは、あなただけでもいい。あくまでも二人の間の問題で、ということにしてね」
お姉様だけでなく、お父様とお母様まで愚かきわまりないことを平気で言う。
物心ついたときから、わたしは彼らの家族ではなかった。だけど、彼らの命令を拒否する権利はわたしにはない。
それ以前に、拒否をする勇気がない。
結局、お母様に毒の入っている瓶を無理矢理握らされてしまった。
近隣諸国に「大悪女」として名高い姉の身代わりとして、将軍のもとに行くのである。
敵国だったユルバン王国の将軍に嫁ぐ為に。
わたしにお姉様を演じれるわけがないのに。
どうなっても知らないから。
でも、自暴自棄な気持ちになったのと同様解放感も抱いている。
わたしに命じるまでに、すべてのお膳立ては整っていた。ということは、やはりわたしには拒否権はない。
小さめのトランクに姉が着なくなったドレスが二着と室内着が入っている。もう一つのトランクには、自分の物を詰め込んだ。とはいえ、つぎはぎだらけの作業着兼室内着だけど。
こんなつぎはぎだらけの上に生地がテカテカしている服なんて、すぐに身代わりがバレてしまう。
だけど仕方がない。どうしてもわたしが行かなければならないのである。
玄関前に馬車が迎えに来ていた。
馭者は、まるでお話に出てくる魔法使いみたいにフードを目深にかぶっている。腰を曲げているのも、魔法使いにそっくり。
その馭者が、両手を差し出してきた。
腰が曲がっているという外見に似合わず、手は皺ひとつなく若々しい。
もしかして魔法?
そんなバカなことを考えてしまう。
その若々しい手がわたしの手からトランクを奪い去った。
「たったこれだけか?」
その声には、わざとしわがれ声にしているような、そんな違和感を覚えた。
「は、はい……、わ、悪い? 荷物が多いのは嫌いなのよ」
素直に「はい、そうです」と答えそうになって、慌てて憎まれ口を叩いた。
「……」
馭者は、黙り込んでいる。
ああ、どうしましょう。態度が悪かったわ。だけど、姉ならいまのように言ったはずよ。いいえ。もっとひどいことを言ったはず。
「家族は? 見送りはないのか?」
「どうでもいいでしょう? あなたには関係ないわよね?」
なんて生意気なの? 彼ってずっと年長者よね?
心臓がドキドキばくばくしている。
「だったら出発だ。はやく馬車に乗れ」
彼は、そう言うなり踵を返して外に出て行ってしまった。
だから慌てて追いかけなければならなかった。
当然、馬車に乗る際にエスコートをしてくれるわけはない。
二頭立ての馬車に乗り込んでいる間に、彼はわたしの荷物を馬車の荷置き台にくくり付け、さっさと馭者台に上がってしまった。
馬車が軽快に走りだす。
門までの馬車道。馬車の窓から背後を見るも、だれ一人見送ってくれてはいない。
なにかが吹っ切れた。
お姉様やお父様の言う通り、がんばって悪ぶるのもいいかもしれない。
お姉様の噂通りに振る舞うとすれば、相当な覚悟を持って挑まなければならない。
最初は抵抗があっても、悪女ぶっていれば慣れるものかしら。いずれにせよ、嘘がバレれば大変なことになる。
そうね。だったら、割り切って悪ぶろう。
決意をすると、いままでのことはどうでもよくなった。
だから、前を向いて背もたれに背中をあずけた。
もう二度と屋敷の方は振り返らなかった。