第八話 赤い糸の伝説と残酷な子供
赤い糸の伝説と残酷な子供
千代とのデートから一日開けた日曜。
今日も休みなのだが、外には出ずに、家で勉強しようと思ったが、俺の部屋には何もない。
パソコンが一台あれば、インターネット経由でさまざまなことを知ることができる。
また邪魔されそうな嫌な胸騒ぎがあるのだが、俺たちの予約席に行くことに決めた。
予約席にはそれほどものは置いていないのだが、日が経つに連れて荷物が増えてきた。
店のど真ん中に部屋があるので、あまり散らかすことはできない。
よって毎日、優華がきちんと整理整頓をしている。
入り口に近い壁際にローボードがあり、この中にパソコンを入れている。
もちろん、インターネットにも接続できるので、情報収集は可能だ。
朝早い時間なので、店内はそれほど混み合ってはいない。
今は、洋食系のモーニングサービスのトレイが大半を占めていて、テーブルの上に置かれている。
すると、優華が笑みを浮かべて部屋に入ってきた。
「あー?」と言って優華はかなり落ち込んだ。
「あ、今日は勉強させてもらおうと思ってな。
いつもはここで遊んでばかりだったから」
俺の土曜日曜は、ここに来て必ずいる優華とコミュニケーションを取ることだった。
よって、優華とは夫婦以上の仲のいい兄妹となってしまったのだ。
これもよくないことだったのだが、習慣になってしまったので、パターンを変える時は説明が必要だ。
「パソコン買って家に置くことに決めたよ。
夜も少しばかりは勉強したいからな」
俺が言うと、優華はくねくねとおねだりダンスを始めた。
「デート…」「違うよ?」と言って優華は拒否した。
一緒にパソコンを買いに行くだけなので、デートではないという、優華の主張だ。
「パソコンでパソコンを買う。
これが一番合理的」
俺が言うと、優華は少しだけうなだれた。
インターネットショッピングで買えば何の手間もいらない。
最近は母が家にいないので、このグルメパラダイスの敷地内にあるコンビニ預かりにしてもらうことも可能だ。
「あ、でも、会社の…」と優華が言うと、「あー、それの方が安いなぁー」と思って優華を見ると、満面の笑みを浮かべていた。
「ひとりで…」「護衛なのっ?!」と優華が言うと俺は大声で笑った。
社のショールームに行けば、最新モデルは置いてある。
当然のように、社員割引の対象なので、7割から5割程度で購入可能だ。
このパソコンはショールームにあったもので、モデルチェンジする時に俺が買ったもので、半値で購入できた。
超一流企業といえども基本残業はしないので、給料はそれほど高くない。
しかし社の売り上げ実績により当然のようにボーナスが破格だ。
きっとこれだけは、他社は真似できないだろうと思ってる。
しかも今期は、山東彩夏という大物を獲得し、とんでもない利益を獲得できたので、ボーナスもかなりの破格となるはずだ。
しかし、わが社はそれほど儲かっていない。
アフターサービス、アフターケアも充実させているので、もし製品に問題があれば全て回収する。
この時にせっかく稼いだ利益を使い果たしてしまうこともあるので、開発と技術の部署はいつもピリピリしている。
言ってはいけないのだが、『おまえらのせいでボーナスが減らされた』などと思う者が多少はいるからだ。
いいことは喜ぶだけだが、悪い事は誰かの責任にする。
まったく平等ではないと俺は思って悲しくなってしまう。
「優華を連れて行ったと彩夏に知られると、
彩夏ともプチデートをすることになって、俺の自由が…」
ここまでいうと、優華は悲しそうな顔をして、「わかったのぉー?」と言って肩を落として部屋を出て行った。
かわいそうに思ったのだが心を鬼にして、俺はひとりでわが社のシュールームに行くことにした。
―― はぁー… やっぱり人気者だった… ―― と俺は思い、店を出てすぐに走り出した。
「あっ!!」と数名の叫び声がして、数秒間だけ、どたばたと足音が聞こえたが、今はもう聞こえない。
さらに、駅までの最短ルートにもいるだろうと思って、ほんの少しだけ遠回りをして走った。
大通りに出る路地に、背中を向けて道をうかがってる者が数名いた。
俺は少し愉快になって、いつもは使わない駅員のいない改札口からホームに出た。
駅には抜け道のような改札があったりするので、土地勘のない者には知られていない場合もあるので都合がいい。
少し昼に近い時間なので、ホームは閑散としている。
辺りを見回すと刑事らしき者はいないようで、ホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ。
電車の車内にあるニュース速報を見ていると、都心で事件があったようだ。
最近はあまりなかったのだが、強盗が人質をとって立てこもっているようだ。
―― これは千代の専門… ―― と思って俺は安堵した。
今の刑事たちは俺にもいてもらいたいようで、俺の確保に来たようだ。
―― 五月は離島に飛ばされた? ―― と思って、俺は少し笑ってしまった。
相変わらずショールームは客で混雑している。
売る側としては、わが社の社員が数名いるだけで、ほとんどはインターネット会社の社員だ。
パソコンとインターネットを抱き合わせて販売する方法はごく普通のことでもある。
しかしそれも、すでに頭打ちとなっているので、インターネット会社としても頭が痛いところだろう。
俺は知り合いの広報部員を見つけて、「プレゼンしてくださいよ」と少し意地悪く言った。
「もう、拓生君、意地悪だわー…」と言って、まもなく30になる、小山悠子が少々色気をかもし出して言った。
悠子から簡単な説明を聞いて、やはりモバイルタイプの中で一番ハイスペックなものを購入した。
メモリも最大に搭載してもらって、あまり重くない小さな箱を抱えた。
するといきなり領収書をもらってしまった。
内容を見ると、なんとゼロ円だ。
「どういうことです?」と俺が言うと、「うふふ…」と言って悠子が妖艶に笑った。
俺は、かなり悪い予感がしたのだが、その時はもう遅かった。
「小山さんって、警察の犬…」と俺が言うと、「伯父さん、もう退職したんだけどね、ほかにもたくさんいるわよ」と言って俺にぴたりと寄り添った。
「料金先払いシステム…」「はい、正解よ」と悠子に簡単に言われてしまった。
しかし、今までの悠子はどこかに行ってしまったようで、真剣な顔を俺に向けた。
「現場にいてくれるだけでいいって。
現場の動向だけしっかりと見てくれるだけで、
警官の身が引き締まるって」
俺は納得して何度もうなづいた。
「できればそうあってもらいたいね。
刑事も来たようだ」
ショールームに、スーツを着た三人の刑事らしき者が現れた。
「小山さんとは一度食事でもと思っていたんですけど、ご破算で…」
俺が言うと、「あ、だったら逃がすわよ!」と悠子は上機嫌で言った。
―― 二重スパイッ?! ―― と俺は思って、かなり愉快な気持ちになった。
しかし今日のところは刑事三人に連行されることにした。
覆面パトカーの中は終始笑顔と笑い声で満ち溢れていた。
俺がいるだけでこうなるのならそれでいいだろうなどと思っていると、あっという間に現場に到着した。
「タクナリ君に来ていただきましたっ!!」と若い刑事の一人が大声で叫んだ。
「おおおおおっ!!」という、低いどよめきが起こり、俺の腹の中まで響いてきた。
まるで地鳴りのようなその声は、全ての警官を笑みに変え、士気を上げさせた。
すぐに千代が振り返って俺を見て、一瞬だけ微笑んだ。
今は捜査一課の係長らしき男性と話しをしている。
「簡単な資料ですっ!」と若い刑事が笑顔で言った。
どうやら俺の担当になったようで、妙にうれしそうにして紙を一枚、俺に手渡してきた。
俺は素早く内容を読み取った。
特に指摘する部分はないが、人質の命が危険ということに変わりはない。
犯人は多額の金と車を要求している。
SITをすでに配備しているのだが、すぐに引かせるように犯人は要求しているようだ。
少々マヌケな隊員がいたようで、その姿を見られてしまったようだ。
現場はごく一般的な商業ビルで、一階と二階に店舗があり、それよりも上の階は貸事務所となっている。
犯人が立てこもったのは二階の一室にある眼鏡屋だ。
最近はお手ごろ価格で購入できるので、若者で溢れ返っていたそうだ。
ほとんどの客は異変に気づいてすぐに逃げた。
人質となっているのは逃げ遅れた客と三名の店員だ。
あと二名店員がいたのだが、客と一緒に逃げ出したようだ。
SITからの報告で、人質になっているのは10名。
できればさらに人質を減らしたいところだが、事件は始まったばかりなので、交渉は難航している。
犯人は一名で、ライフル銃と拳銃を持っている。
撮影した写真により、予備の弾も持っている可能性がある。
狩猟用のライフルなので、どこかの家に侵入して、ライフルと弾を盗み出したのだろう。
拳銃はコルトと断定されたので、密輸入品だと推測されている。
よって、広域暴力団も何らかの形で関わってるはずだ。
千代が昨日言った、「共倒れ」という気持もわからなくもない。
犯人は怒鳴ることなくかなり冷静だ。
さらにはサングラスとマスクをしていて顔の確認ができない。
身体的な主な特徴も得られない。
よって犯人の身元は今のところは特定できそうにない。
それにしてはかなり無謀な計画だ。
今日は日曜なので当然銀行は襲えない。
一階には貴金属を扱っている店があるが、出入り口の扉が多いので、嫌がったことは理解できる。
混雑はしていたがあまり現金を置いていないはずの眼鏡屋になぜ猟銃強盗なのか、犯人の意図がまったくわからない。
よって、―― オトリ? ―― と俺はすぐに浮かんだ。
当然千代も、この程度のことには気づいているはずだ。
俺は携帯を出して、この辺りの地図を出した。
―― 川… マズイかもしれない… ――
五本の橋を封鎖されると、この地域からは出られなくなる。
出られたとしてもかなりの大回りになってしまう。
しかし徒歩であれば地下鉄で移動することはできる。
しかし大人数だと、さすがに一般市民に迷惑をかけてしまう。
俺はすぐに、千代に歩み寄った。
すると、「ああ、ついに…」と言う声がちらほらと聞こえた。
俺が千代に近づくたびにその声が大きくなっていく。
俺が千代に寄り添った時、「おおおおおっ!!!」という歓声が最高潮になった。
俺は素早く犯人のいる窓を見たが、何の動きも見せていない。
「千代もわかっていると思うが…」と言って、俺は携帯画面を見せた。
「橋の確保っ!!
急いでっ!!」
千代が叫ぶと、上司である係長が、千代に向かって頭を下げて数名のチームに指示を出し始めた。
当然、応援部隊も橋の対岸に配備させるはずだ。
もしそこで不穏な者を確保できれば、犯行目的はすぐに判明するはずだ。
「おかしいって思っていたの。
必死感がまるでない。
狙いが意味不明。
本当の狙いは…」
千代は俺の携帯を取り上げて、地図を広げて確認を始めた。
「かなり難しい問題だけど、警視庁…」
俺が苦笑いを浮かべると、「灯台下暗し…」と言って、千代は苦笑いを浮かべた。
「と見せかけて皇居ってことも考えられるからな。
油断は禁物だから宮内庁にも通達しておいた方がいいな。
かなり大きな組織が動いてるんじゃないのか?
最近警察をクビになったやつら、とか…」
俺が言うと千代は、「ふぅー…」と深いため息をついた。
「千代をここに縛り付ける。
ただそれだけで、
戦力をかなり削れるなどと思ってる。
ちょっとした騒動だけで、
ここには100人以上もの警官が終結した。
あと二三件起こせば、
楽に警視庁くらいは占拠して、建物ごと潰せるなどと
乱暴なことなど考えているのかもな。
さすがにそこまでは無理なようだから、
とりあえず戦力をここに集めさせた。
よって、俺はさっさと外に出たいんだがな」
俺が言う前に、千代は俺の服の袖のすそを指先で抑えていた。
逃がさないという意思が現れている。
「手遅れになっていたら、ここが一番安全よ」と千代が笑みを浮かべて言った。
「はは、その通りだな」と言うと、千代は少し笑った。
「おおー、恐犬が笑ったぁー…」とあちらこちらから声が聞こえた。
「さすがタクナリ君…」と言われたが、名前ではなくコードネームとして呼んでいるはずだ。
どうやら当たりだったようで、立てこもり班の仲間らしき下っ端数名を橋近辺で確保して、少々荒っぽい事情聴取の末、目的は警視庁にあると自白したようだ。
ここはこのまま対応することとなり、千代は警視庁に向かうことになったのだが、俺は拒否した。
「後は千代がやれ。
俺は消える」
俺の言葉に千代は、「…まあ、いいけど…」と不服そうに言ったが俺を見送ってくれた。
乗ってきた覆面パトカーからパソコンの箱を出してもらって、大勢の警官から敬礼を受けた。
俺は警官ではないので敬礼はしない。
敬礼したが最後、俺は警察に引き入れられるはずだ。
よって数回、会釈をしただけだ。
俺は近くにある地下鉄のホームに下りた。
何事もなく優華の店に戻り、俺たちの予約席に入ってすぐにニュースを見ると、もうすべては終っていた。
やはり、警視庁と思わせておいて本当の狙いは皇居だったようだ。
もうすでに警備体制は整っていたので、途方に暮れた犯人たちは職務質問の末、ちょっとした乱闘騒ぎになり、その場にいた者は全員逮捕された。
「大捕り物だったんだなぁー…」と五月が言ってその隣には優華がいた。
「千代ががんばった結果でしょう。
これでますます恐れられますよ。
こんなに短時間で収拾できたことが不思議です」
「あっ! どうして君がここにいるっ!!」と五月は今更ながらに言って、俺をまじまじと見た。
「休日ですから」と俺が言うと、「確保したと聞いたぞ!」と五月は真剣に怒った顔で言った。
「帰りは電車だったのでね。
渋滞に巻き込まれることもありません。
あ、人質事件は…」
「全てを知って、武器を放棄して出頭したよ。
元警察官…」
五月は苦渋に満ちた顔で言った。
「悲しいことですね」
五月は雰囲気をがらりと変えて俺を見据えた。
「君が警察官として働いてくれていたら、
ひとりでも多くの警察官が罪を背負うことはなかったはずだっ!!」
五月は暴言とも言える言葉を吐いた。
俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「…いや、申し訳ない。
本当に、とんでもないことを言ってしまった…
許して欲しい…」
五月は俺に何度も頭を下げて、肩を落として部屋を出て行った。
「今日ね、俺が警察官だったら、
身の引き締まる思いをしたんだろうと思ったことがあったんだよ」
俺は優華に、人質立てこもり事件現場での話しをした。
すると優華は、「千代ちゃんと一緒に働いた?」と言った。
俺の話の意図とはまったく違う見解を述べられて、俺はかなり嫌な予感がした。
「無理やりだぞ…」と言ったが、優華は無理やり俺の腕をとって厨房に誘った。
完全に俺の言葉はヤブヘビになった。
「一回だけ手伝ってね!」と言われて俺は強制的にエプロンをつけさせられて、優華とともに一度だけ、ワゴンに乗せた料理を運んだ。
まるでおままごとだが、仕事として身を引き締めて対応した。
エプロンを外し部屋に戻ると、彩夏がいた。
当然母もいて、こちらはテレビにかじりついている。
全ての局が皇居襲撃未遂事件の報道をしていたので、今はそれしか視聴できない。
「さすが私のヒーローだわっ!!
もう現場にはいなくて、プライベートの中にいる。
こんな人、どこにもいないわ!」
彩夏は少々演技を入れて軽快に言った。
「まずは俺の気持ちを察して欲しい。
今日は休日なんだぞ」
さすがに俺の言葉を重く受け入れてくれたようで、彩夏は肩を落とした。
「事件は休日にも起こるのだぁー!」とテレビを見ている母がどこかで聞いたことのあるようなセリフを子供っぽく叫んだ。
「いや、まずそれは俺の仕事じゃないから…」
「優秀な者は、どんな者に対しても優しくなけれならないのだ」
母は男性のナレーション風に淡々と語った。
少々低い声をさらに低くしても、声の通りがいい。
「何でもかんでも頼られるのも困るんだけど…」
俺が言うと、「あはは、気にしない気にしない」と母は笑って言った。
―― 一番の大物のような気がする… ―― と俺は思い、母をさらに見直した。
もちろん、女優としてもだ。
彩夏のすべてを奪おうとでも思っているようで、数日前の母はもうどこにもいないことを俺は喜んだ。
今回の一連の事件の主犯は、元警視庁警視監の山本左右だった。
そして恐れていたことがやはりあった。
その山本の供述より、前警視総監の加藤爽衛の名が上がったのだ。
黒幕ではなくアドバイザー的な役割りだと供述しているということなのだが、少々腑に落ちない点がある。
加藤はアドバイスはしたが、組織の一員ではないのではないか。
知り合いとの会話として、加藤は犯行手口のすり込みでもしていたのではないかと思っている。
その証拠は、また別の事件で浮き彫りとなった。
石坂率いる所轄の丸暴課が、例の広域暴力団の家宅捜索を行い、多くの銃器を押収して、この組の組長が逮捕された。
その後この組は、この国始めての破壊防止法を適用され、解体された。
皇居襲撃の片棒を担いだことが明白になったためだ。
よって、衆参両院の四分の一の議員がいきなり辞職した。
暴力団とかかわりがあったと言わんばかりに、かなりわかりやすい結末だった。
しかも銃器だけではなく、気化ガス毒物も押収された。
これは致死に至るもので、言い逃れのできないものだ。
よって、数ヶ月前に改定された破防法が適応されたという顛末だ。
しかし全てを踏まえて考えると、これは警視総監の策略なのではないかと俺は考えた。
暴力団が警察にはめられたという筋書きだ。
毒物に関してのその後の報道はないので、一般人の俺にはここまでしか推理できないが、現警視総監と前警視総監がタッグを組んだ結果だと感じた。
さらに改定された破壊防止法案は、主に、山東昭文が担当していた。
「継野菖蒲、怖ええな…」と俺が言うと、「減点?」と優華が今にも泣き出しそうな顔をして言ったが、俺は見破っている。
「あまり欲張ると減点にするぞ」と俺は言って、優華の頭をなでてやった。
優華は少しだけ舌を出しておどけてる。
優華自身が俺に触れたいのだが、それをするとすぐに、「妹」という言葉が飛んでくるので、俺に触れさせようという魂胆だ。
「千代だけが普通の人…」と俺が言うと、優華たちは悲しそうな顔をした。
「やっぱり親との縁を切るっ!!」と言って彩夏が騒ぎ始めた。
俺は苦笑いを浮かべておいた。
「タイミングがよすぎるんだよ。
まさに、おまえらの親たちがここまで仕組んでいたようだ。
頃合のタイミングで
この国の大掃除をしようと企んでいたと思う。
当然のことだが、何も知らないのは俺の親だけだ。
知っていた場合、親父は判事をやめているはずだからな。
よって、親父も操られていたことになる。
まあ、当然なんだろうけどな」
「偶然だって言いたいんだけどね…」と爽花が少し苦笑いを浮かべて言ったが、やはり美人なので俺は全てを許した。
さすがに、俺と爽花の意見は、優華も彩夏も認めるほかないようで、二人とも少しだけうつむくようにしてうなづいた。
夜遅くなって、千代が俺たちの予約席にやってきた。
「何個いる?」と俺が聞くと、「え?」と千代がかなりほうけた顔をして言った。
当然、優華たちも、俺と千代に怪訝そうな顔を向けている。
「忙しいのはわかっていたんだけどな。
千代は犯罪心理学者としての役目も担っているんだから、
さらに考えて行動するべきだ。
何個いる?」
今は頭が回らないようで、千代はかなり困っている。
だが、俺の問いに答えないわけにはいかない。
もし答えない、答えられないと、ライバルではなくなってしまうと思っているはずだ。
よって千代は今日一日を始めから思い出すはずだ。
「あっ!!」と言って、「とりあえず10個っ!!」と言ってきたので、俺は手品師のように、全ての手の指に引っ掛けた小さなマリア像を千代に向けた。
「…気持ち悪いわよ、鮮やか過ぎて…
行って来るわ!」
千代は小さなマリア像を全てと小さな手にとってカバンに入れ、今日、人質として監禁されていた人たちの家に行った。
症状の重い人だと眠れないなどの弊害も出るはずなので、今日中に全てを終えておくことが重要だ。
俺が千代のうしろ姿を笑顔で眺めていると、優華たち三人は肩を落としている。
「これが、恋人よりも大切なライバルへの…
仕打ち?」
俺が言って大声で笑ったが、三人は苦笑いを浮かべているだけだ。
さも、―― 千代には適わない… ―― といいたげな顔をしている。
「俺が指摘してやっと気づいたからな。
ま、まだまだだな」
「厳しすぎるもん?!」と優華が千代を弁護するように怒って言った。
「職種の性質上、大切なことなんだよ」
俺が言うと優華はさすがに納得するしかなかったようで、肩を落として俺を上目使いで見た。
「…演技じゃなく、警官に…」と彩夏が言い始めたが放っておいた。
母はずっと笑顔でテレビを見ている。
「みんなの俺への思いはわかっているんだけどな。
俺の親はどう思っているんだろうか。
知りたくないか?」
俺が言うと、三人は一斉に耳を塞いだ。
母は今はテレビに夢中なので、俺の言葉は届いていないようだ。
俺は家に帰ってすぐに千代にメールを送った。
やはり、千代にとって俺が課したことはさすがに厳しいことなので、甘やかせることにしたのだ。
これを知られると優華たちに処刑されるはずだが、俺はよろこんでその罰を受けようと思っている。
千代は午前一時に我が家に到着した。
もう父も母も眠っているはずだ。
「風呂に入ってこいよ。
その後はおまえに任せる」
俺が言うと千代は真剣な眼差しを俺に向けて、「お邪魔します」と言って、靴を脱いで廊下に立った。
千代を風呂場に誘ってから、俺は二階に上がった。
今日買ったパソコンで勉強をしていると小さく、『コンコン』とドアをノックする音が聞こえた。
俺はすぐにドアを開けて、千代を招き入れた。
「千代はベッドでいいぞ」
俺の寝床は床に敷いた布団だ。
「一緒に…」と千代は真剣な顔をして俺に言った。
「ああ、それもありだ」と俺は言ってからベッドに寝転んだ。
千代は、―― やっぱ、言うんじゃなかったぁ―――っ!! ―― などと思っているのか、なかなかベッドに入ってこない。
「俺はおまえへのごほうびだぜ」と俺が言うと、「う、うん…」と言ってそろりそろりと、ベッドに入ってきて、俺に背中を向けて寝転んだ。
「無理してると寝られないぞ」と俺は言ったのだが、返事はなかった。
どうやら本気で寝てしまったのか、背中を向けている千代から小さな寝息が聞こえてくる。
俺はかなり残念に思って、瞳を閉じた。
… … … … …
昨日の夜は少々夜更かしをしたのだが、いつもの時間に起きた。
肝心の千代は、俺を抱きしめて眠っていた。
無意識なのか意識的なのかはさすがにわからない。
今日の予定は聞いていないのだが、千代のことなので、休暇を取るか時間をずらして出勤するだろうとは思っている。
俺が体を動かすと、『逃がさないわよ』と言わんばかりに俺に抱きついてきた。
千代の硬い手に触れた途端、千代はパッチリと目を覚ました。
「えっ? えええええっ!!!」と言って、俺はその硬い拳で殴られそうになったが、手のひらで受け止めた。
拳の軌道は型を見ていてわかっていたので、比較的簡単だった。
「思い出せ、千代」と俺が言うと、千代は顔を真っ赤にして、「そうでした…」と言って俺に頭を下げた。
「じゃ、着替えたら降りてこいよ。
今日、仕事は?」
「あ、休暇でいいって…」と千代は恥ずかしそうに言った。
俺がリビングに降りる前に、階段の踊り場で、一階にいる父母の眼とあった。
「女を連れ込んだぜ」と俺が言うと、父は少し笑ってうなづいている。
母はぼう然とした顔を固定させたまま、カクカクとロボットダンスを始めた。
その姿を見た父は、「あーはっはっはっ!!」と笑い転げ始めた。
「音で気づいた?」
俺が聞くと、「いや、叫び声とバシッと手のひらで叩く音」と父が答えて俺の顔を見た。
そして何のあともないので怪訝そうな顔をした。
俺が両手のひらを見せると、その目を見開いて、「おいおい…」と言って誰が二階にいるのかわかったようだ。
左の手のひらは何もないが、右の手のひらは真っ赤になっていたからだ。
まるで、野球の硬球を受け止めた感覚が今も残っている。
しばらくして、千代は音も立てずに廊下に立っていてうなだれていた。
母は千代を見つけてすぐに、ロボットダンスをしたまま近づいた。
さすが我慢し切れなかったようで、千代は大声で笑い転げた。
もちろん、俺たちも大声で笑っている。
「あー、千代ちゃんがお嫁さん…」と母はうれしそうに言った。
「あ、違うんです。
拓生君とベッドを共にすることだけが、
昨日の私の仕事のごほうびです」
千代は割り切った考えを持っている。
千代の意志で決めさせたので自分の言葉に自信を持っている。
母と父が顔を見合わせて、少し残念そうな顔をした。
「それよりも、これを知られると、拓生君の命が危ういですっ!!」
千代が叫ぶと、父は笑顔で大いにうなづいている。
母は子供のように、両手のひらで口を閉ざした。
「母さん、そのポーズ禁止。
絶対に何かあるって悟られるよ。
今日も仕事だろ?」
俺が聞くと母はポーズを変えずに首を横に振った。
「本当に優しい人ですぅー…。
この町に戻って来てよかったってぇー…」
千代はぽたぽたと涙を流し泣き出し始めた。
俺は千代の目の前にティッシュペーパーの箱を置いてやった。
「あいあおー…」と言いながら、千代は涙を拭いて、鼻をかみ始めた。
「うちに住むか?」と俺が言うと、千代はかなりほうけていた。
「私、大賛成っ!!」と言って母は千代に抱きついた。
「犬塚君… 千代君は一階で寝てくれ。
二階でもいいんだけどな、拓生が悪巧みをした時に困る」
「ま、あるよな」と俺は父の言葉に平然として答えた。
千代は本気でうれしかったようで、父と母に礼を言った。
「後でばれると面倒なので、メールをしておこう…」と俺は言って、ぐうの音も出ないほどの長いメールを送った。
その内容には当然父と母も同意したことで、婚約や結婚したわけではないことも載せてある。
よって、千代は俺の家に下宿するということになる。
優華たち三人の中で千代と同類なのは彩夏で、その理由はひとり暮らしだということ。
きっと彩夏も同居すると言ってくるだろうが、複雑な心境にもなると思っている。
我が家は無駄に広いので、一階にもまだ部屋はある。
さらに二階もあと二部屋空いているので、もしも優華と爽花が同居すると言っても何も問題はない。
… … … … …
仕事を終えて家に帰ると、妙に靴が多い。
どうやら三人は相談した上で、我が家に下宿することに決めたようだと感じた。
リビングに入る前に、少々様子を見ようと思い覗き込むと、いきなり千代と眼があった。
しかし千代は知らん振りをして、テレビに目を移した。
誰かが来たと感じていたんだろう。
テレビの真正面に母が座り、母を挟み込むように爽花と優華。
その三人の後ろに彩夏が陣取って、ほんの少し下がったところに千代がいる。
よって、千代が頭を動かした程度では、千代の様子は誰もうかがえないはずだ。
しかし、今、俺を見ている者がいる。
テレビ画面の黒い部分に、爽花の柔らかい笑みが写りこんでいた。
―― 写っている爽花も、やっぱ美人だぁー… ―― と俺は思って、幸せな気分になった。
「やあ、いらっしゃい」と俺が言うと、母を除いて全員が一斉に振り向いた。
みんなは、妙に造ったような笑顔だ。
いつもなら母はすぐに振り向くのだが、今は全てに充実しているので、テレビっ子モードになっている。
「おかえりなさいっ!!」ときれいどころ四人に言われ、一日の疲れが吹き飛んだ。
「もう引越ししたの?」と俺が聞くと、千代以外は一瞬驚いた顔をしたが、優華が、「あはは、パジャマだけ?」と言った。
普通にお泊りに来た友達のようだった。
「俺は… まあ、そこそこ…」と彩夏は言って少し照れている。
「私もパジャマ程度できたわ。
きっとね、最後まで残った人が拓ちゃんのお嫁さん…」
まさにその通りになるだろうと俺は思った。
「爽花は余裕だよなぁー…」と彩夏は言って、爽花をにらんだ。
「それはあるようなないような…」と爽花は意味ありげに言った。
「プロポーズ、されたじゃあねえかぁー…
うらやましい…」
彩夏はだただだうらやましいだけのようだ。
「あら? なんのことかしら?」と爽花は言った。
「おまえ… どういうことだっ!!」と彩夏は今度は俺に顔を向けて、矛先を変えた。
「俺に怒るな。
俺と爽花以外でわかった人」
俺が右手を上げると、千代だけが手を上げた。
「ま、さすがだな。
千代は職業的な人を見る眼と状況判断力が大いにあるからな。
優華は自分が含まれていることについては
感情的になりすぎて状況を見失う。
俺に抱きついたら落ち着いてすぐにでもわかるんだけど、
確実に妹と言われるからそれはしない」
「あはははははは?」と優華は見抜かれて空笑いをした。
「正解、言ってもいい?」と俺が言うと、「待て待て待てっ!!」と彩夏が大声で言った。
「母さん、そろそろ食事の支度…」と俺が言うと、彩夏が考え込みながらキッチンに向かった。
どうやら食事担当は彩夏になっているようだ。
「あ、そういえば…」と俺が言うと、優華たちは俺に大注目した。
「彩夏、爽花、優華… 千代だけ仲間はずれ…」
俺が言うと、千代は大いなるふくれっつらを見せた。
「名前まで美人の三姉妹、いいな…」
「…私にも、あだ名で名前、つけてよ…」と千代は妙なおねだりを始めた。
「ああ、考えるまでもない」
俺が言うと、どういうことなのか、千代も優華も爽花もわからないようだ。
「イヌヅカ」
「苗字じゃないっ!!」と千代は大声で怒って反論したが、優華と爽花はかなり受けて大声で笑い転げた。
「よかったな、としごの美人四姉妹になったぞ」
「ま、まあ、いいけど…」と言って千代はうれしそうにしてはにかんだ。
俺は二階に上がって着替えてから、リビングに戻った。
父が帰ってきて、優華たちは下宿させてもらうことについてのあいさつをしている。
父はまったくいつもと同じように、優華たち三人に笑みを向けている。
食事を始めて、優華がふと顔を上げた。
「寝るまでここで?」と少し困った顔をして言った。
「いや、ここで今まで通り過ごすとな、
ご近所さんに迷惑がかかるかもしれない。
警察関係者がうろうろとするからな。
まあもっとも、不審者扱いして通報してもらってもいいんだけどな」
俺が言うと、優華は手のひらを胸の前で合わせて喜んでいる。
「だけど、俺は9時ごろには家に戻るぞ。
今日から勉強を始めることに決めた」
さすがに勉強の邪魔をしようというのは彩夏だけなので、一応は納得してくれたようだ。
「男女間の勉強もしやがれっ!!」と彩夏は大声で言ったのだが、言った本人が照れて顔を真っ赤にしている。
そして千代も、してはいけない異様に照れた表情をして、素早く爽花と優華に悟られたようだ。
「それは相手を決めてからでいい」
「その件で即離婚…」と彩夏がつぶやくように言ったあと、「ま、ありえることだよな」と俺は少々明るく言った。
「千代ちゃんだけずるいんだもんっ!!」と優華が堰を切ったように言った。
「じゃ、今夜は優華でいいぞ」と俺が言うと、「えええええっ!!」と黄色い声が上がった。
「みんながいる家でするわけねえだろ…
それなりのムードがあるところですることが定石だ」
「ま、その通りだな」と父が言うと、「はい、ごめんなさい…」と四人はうなだれて謝った。
「きききききき…」と彩夏が興奮しながら言い始めた。
「キスならできるって?」と俺が言うと、「簡単に言うなっ!!」と彩夏は顔を真っ赤にして言った。
「それで終れたらいいけどな。
俺は多分止まれないだろうな」
俺が言うと千代も真っ赤な顔をした。
爽花が当然のように気づいた。
「じゃあ、どうするのよ、もしされちゃったら…」
爽花は女の色気をふんだんに盛り込んで言った。
「口を塞いで、静々とやっちまうかもな。
だけど、そんな交わりは、全然つまんねえと思うぜ」
俺が言うと、今度は母が真っ赤な顔をして父を見ている。
「顔に出すんじゃない…」と父はかなり困った顔をして母を見ている。
「今更兄弟はいらないぞ」と俺が母に向けて言うと、イヤというほど父ににらまれてしまった。
「叱られそうだから、ここでは色っぽい話は禁止で」
俺が言うと、女性たちは一斉にうなだれた。
食事を終えて、俺たちは色っぽくない俺たちの予約席に移動した。
当然、客の眼があるのでうかつなことはできないという意味もある。
さらには彩夏目当ての客は相変わらず多いので、視線を受けない日はない。
父は家に残ったが、母は俺たちについてきた。
「父さん一人っきりだけどいいの?」と俺が母に聞くと、「あっ!」と言って母はさびしそうな顔をして立ち上がった。
「父さんが行ってもいいって言ったんじゃないの?」
「普通に、出てきちゃった…」と言って母はまるで俺の妹のように言った。
仕方がないので俺は父に電話をした。
母の好きにさせてやれと父が言ったので、俺はそのまま母に伝えた。
「夫がいるっていう自覚、まったくないようだね」と俺が言うと、「はい、ごめんなさい…」と言ってから座り、早速テレビにかじりつき始めた。
「妹が増えたように感じた」と俺が言ったが、優華たちは苦笑いを浮かべているだけだ。
「あ、そうだ。
やはり、経験は大切だと思う」
俺が言うと何を勘違いしたのか、優華たちは真っ赤な顔をして俺を見た。
「いやらしい話じゃねえ!」と俺が怒鳴ると、「はい、ごめんなさい…」と言って優華たちは一斉に謝った。
「母ちゃんは客商売が苦手。
もし、そういった役が回ってきた時、
ずっとロボットダンスをしているような気がしたんだよ。
だから、優華の後ろについて接客の方法を見てもらう。
最初はそれでいいと思うんだ。
そしてできれば、母ちゃんひとりでやってもらって、
芸の肥やしにする。
あ、彩夏のお菓子作りや、爽花の講師の仕事も役に立つはずだ。
もしこの先、本気で女優を目指すのなら、
協力してやって欲しいんだ」
俺はみんなに頭を下げたが、やはり母はテレビを見ていた。
もうみんなは慣れているので、何も言わないし表情も変えなかった。
「私は賛成よ。
やっぱり、お母様と一緒にいられる時間が欲しかったもの」
爽花が素晴らしい笑顔で顔の前で手を合わせて言った。
もちろん優華も賛成のようで、明るい笑みを浮かべている。
「あ、さすがに警察には連れて行けないからな。
千代は我慢してくれ」
俺が言うと、「わかってるわよおー」と言って、かなり残念そうに言った。
「だけど、そういった現場って体験しておいた方が、
演技の肥やしにはなるよね?
緊迫感とか…」
爽花が言うと、「それは言えるわ…」と彩夏が言って、パソコンの電源を入れた。
「おまえ…」と俺が言うと、「色々と恩を売っているのだぁーっ!」と彩夏は母のマネをして言った。
彩夏の出した映像は、つい先日の立てこもり事件のものだった。
どうやらパトカーのドライブレコーダーの映像のようだ。
しかも音声も入っているので、緊迫感はさらに伝わってくる。
「何度も見たぜぇー…」と言って彩夏はニヒルに笑いながら言った。
『橋の確保っ!!
急いでっ!!』
映像の中の千代の声はまさしく緊迫感、そして緊張感溢れるものだった。
彩夏は武者震いをしている。
「顔もすげえよな…
ここではまずありえねえ…」
彩夏が言うと、誰もがうなづいているが、千代はかなり恥ずかしいようで、素知らぬふりを始めた。
「しかも、これまでの過程がすげえ…
まさに、警察官が心をひとつにして、
千代と拓を崇めているとしか思えねえ。
刑事もののドラマは、こうあってこそだと思ったぜぇー…」
彩夏の言ったことはよくわかるが、俺としてはかなり照れくさい。
俺は普通の声で話していたので、その声が入っていないことだけ救われたと思った。
「この映像、今からテレビでやるぜぇー…」と彩夏が言って俺はかなり驚いた。
当然、警察からも許可が出ているはずだ。
「おまえ、俺の顔が出てるじゃねえか…」
「いいじゃあねえか、いい男だぜぇー…」と彩夏は平然として言った。
大ヒット企画の警察密着取材の特番で、最新映像を流すと宣伝していたのはこのことだったんだと、やっと理解できた。
映像は、俺が到着してから立ち去るまでのもので、ずっと俺が写っていた。
「…おい、俺は警察官じゃあねえっ!!」と俺が言うと、「見たかったんだもぉーん…」と彩夏は甘えた声で言った。
「ますますつきまとわれるじゃあねえかぁー…」
俺は本気で怒ったが、「気にしない気にしない」と、彩夏、爽花、優華の三人に言われて笑われてしまった。
「あー、男友達が欲しい…」と俺が嘆きながら言うと、「もう少しだけ待ってね」と爽花が笑みを俺に向けた。
「あ、名前は?」と俺が爽花に聞くと、「うーん、ちょっと今は言いたくないかなぁー…」と美人なのだか、かなりかわいらしく言った。
まさに爽太郎がこうだった。
女性以上の女性。
やはり爽花が一番好きだと再認識した。
「彩夏、今の爽花の真似…」と俺が言うと、今度はパソコンを持ち上げようとしたのですぐに全員で止めた。
「できるけどやらねえー…
理由は悔しいからぁー…」
彩夏は真剣に本心を述べた。
予告した通り9時になってから家に帰った。
自室に入り、ふと気になったので、SNSの確認をすると、『タクナリ君』で溢れ返っていた。
―― タクナリ君は警察官じゃあねえっ!! ―― と記入者たちに怒りをぶつけて、その怒りのままを俺も書き込んだ。
―― 変装… ―― と思って少し考え、―― 簡単に年を取る方法… ―― とさらに思い浮かべて決めた。
リビングに下りて、新聞や雑誌を読んでいた父に頼んで、頭髪をもらった。
「なんだ、今度は鑑識か?」と父は俺に笑顔を向けて言った。
両面テープに父の白髪を丁寧に貼り付けて、それを絆創膏に貼った。
鼻の下に貼り付けて、父の帽子を借りて鏡を見た。
「おっ! 親父になったっ!」と俺が子供のように喜ぶと、「おまえ、そんなに器用だったか?」と父に言われてしまった。
「工作は得意じゃなかったけどね。
だけどこれでごまかせそうだ。
しばらくは自作できそうだから、
またほかの変装方法も考えておこう」
遊びはこれくらいにして、本格的に勉強を始めた。
11時を過ぎて、そろそろ寝ようと思ったら騒がしくなった。
まだ父はリビングにいたようで、話し声が聞こえる。
おやすみだけ言おうと思ったら、彩夏と爽花が二階に上がってきた。
「爽花はいいが、彩夏は怖いな…」と俺が言うと、「女のようなセリフをはいてんじゃあねえぞぉー…」と言われてしまった。
ふたりにおやすみだけ言って、一階に降りて千代たちにも言ってから二階に上がると、部屋に彩夏と爽花がいた。
「おやすみと言ったぞ」と俺が言うと、「30分だけって…」と爽花が言ったが、「優華がうるさいからダメ」と俺が言うと、ふたりはため息をついてゆっくりと立ち上がった。
「男友達がいたら、雑魚寝でもいいんだけどなぁー…」
「おっ!」と言って、彩夏は部屋を出て行った。
俺と爽花が顔を見合わせているとすぐに、千代と優華を連れて彩夏が二階に上がってきた。
「お父様にはね、承諾してもらったからね…」
彩夏は、妙な演技をして必死感をあらわにした。
「まあ、お試しで…」と言って、一階の一番広い和室に移動して布団を敷いた。
「修学旅行気分だなぁー…」と俺が言うと、「ああ、いいなっ!!」と彩夏が男っぽく言った。
「昔だってこうやって寝たことがあったな。
冒険旅行の時も」
「私、お兄ちゃんのそばがいいっ!!」と優華が当時の気持ちを思い出したようだが、まったく今言った自分の言葉に疑いを持っていないようだ。
あまり言うとかわいそうなので俺は、「お兄ちゃん」の件は無視して、「ああ、いいぞ」と言った。
優華は布団を引きずってきて、俺のとなりに移動してきた。
もちろん彩夏も爽花も千代も、「お兄ちゃん」と優華が言ったことに気づいていたので何も言わなかった。
今の優華は確実に昔返りをしていた。
これがいいのか悪いのかはわからないが、様子を見ようと俺は思った。
再びおやすみと言ってから照明を消した。
俺の心が充実していたのか、敷布団に引き込まれるように眠ってしまっていた。
… … … … …
目覚めると、とんでもないことになっているような気がした。
確実に二人以上に抱かれていると感じた。
これは考え直すべきだと思って、よくよく観察すると、優華と千代が左右から俺を抱きしめていた。
そして彩夏の足が、俺の足に絡んでいた。
爽花は少し離れた自分の布団で眠っていた。
―― やっぱ、女性らしい女性… ―― と俺は思いうれしくなった。
だが気を緩めると、爽花よりも俺自身が怖いと思ったので、あまり構えないようにすることに決めた。
優華と千代の手から逃れ、彩夏の足をどけてから立ち上がって、洗面所に行った。
父がいたので朝のあいさつをしてから、今朝の状況の報告をした。
「千代君もおまえの妹のようだな」と父が言って、「ああ、そう思うよ」と俺はごく自然に答えた。
「だけど、すごく懐かしかった。
昔は何度かみんなでああやって寝ていたからなぁー…
抱きつれていたまま目覚めた事はなかったと思うんだけど…」
「このままでいいのか?」と父が真剣な顔をしていた。
「俺はできれば続けたい。
もし異変があった時は、自然にここから出て行くか、
自室で寝ることになるだろうね。
最終的には、まさに爽花の言った通りになるはずだよ」
「おまえのやっていることは、荒行だと感じるが、
そんな意識すらない」
「そうだね。
どうしても我慢できなくなったら、ひとりだけ連れ出すから。
だけどそうなった時、幼なじみ同盟は終わりだね。
今の俺はそれが猛烈にイヤなんだよ」
「ああ、なるほどなぁー…」
父はようやく俺の気持ちを理解してくれたようだ。
「一番いい形で、幼なじみを終えられたらいいな」
父はうれしい言葉を俺に向けてくれた。
俺もそうあってもらいたいと切に願った。
… … … … …
加藤爽衛はやはり逮捕されることはなかった。
それは当然のことで、今俺の目の前にいるからだ。
爽花が無理やり加藤を連れてきて、事情を説明させるようだ。
「やあ、拓生君」と言って、優華に勧められるまま、加藤は椅子に座った。
「なかなかすごい大芝居でしたね」と俺が言うと加藤は、「ああ、まあな」と笑顔で言った。
「トップになったら、あとは消えるだけ。
その権力を十二分に発揮したかった。
自分の欲に走った者は、全て逮捕できた。
一番の手違いは山東君だったな…」
加藤は言って苦笑いを浮かべた。
「ですがいい薬になった。
さらには、破壊防止法の改定は
議員の力だったことを世間に知らしめた。
改定していなかったら、総理大臣にはなれなかった」
山東は総裁戦から降りなかった。
この件は娘の七光りで何とか乗り越えたと言っていい。
ほかの議員は山東彩夏にゴマをすったことになる。
「世直しの主犯は加藤さんということでいいんですか?
俺はそうじゃないと思っているんですけど…」
俺の言ったことは図星だったようだ。
主犯はやはり、継野菖蒲だった。
「やっぱ、怖ええ…」
「男ではできなかっただろうね。
思い切りのいいのはやはり女だ。
しかも若くして警視総監。
しばらくは彼女の天下だが…
果たしてそううまく行くもんだろうかとは思うな」
加藤は苦笑いを浮かべて言った。
「はい、間違いなく伯母さんはボロが出るでしょう。
その証拠は父に振られているから」
俺が言うと加藤は、「その通りだっ!!」と言って大声で笑った。
「父に微笑まれなかった者は、幸せになれないはずです。
ですが、振られることなく身を引いていたら、
今の日本は少し前のまま継続していたと思っています。
いいことはしたんですが、そのあとの欲がいけなかったと、
誰もが思うことになると思います」
「なるほどなぁー…
爽花も同じ事を言った。
似たもの夫婦…」
「はい、俺はそれが一番だと思っていますが…」
俺が言うと、加藤はこの言葉の先はわかっているようで、笑顔でうなづいた。
夫婦の絆は強くなる。
しかし、外の世界が必要がなくなる懸念もある。
やはり結婚したとしても、別の意見を持つ友人は必要なのだ
俺は表情を暗くした。
「あとは、誰にも言えない案件があります。
できれば父にも。
ですが父も、俺の意見に賛成してくれるでしょうけどね」
これは、加藤が俺の言葉に反応するか試した真実だ。
加藤は芝居ではなく怪訝そうな顔をした。
加藤も知らない事実が、菖蒲にあると確信した。
俺はすぐにでも、山田と再会する必要があると感じている。
山田国一が被害者としての事件はまだ終っていないのだ。
加藤は深く考え始め、どうやら俺の考えていることに気づいたようだ。
「…一生の不覚…」と加藤は肩を落として席を立った。
今の加藤は一般人の好々爺でしかなかった。
「千代」と俺はかなりほうけている千代に顔を向けた。
「石坂さんに忠告しておいて欲しい。
弟子に頼んで動いているかもしれない。
所轄から本庁に出向いて調べるわけには行かないからな。
きっと石坂さんも、残りの刑事生命をかけて、
完全にきれいな世の中にしようと考えていているはずだ」
俺はこれ以上は語れないので、千代には何のことだかわからなかったようだ。
だが、真剣な顔をして俺を見て、「タクナリ君に任せろって言っておくわ」と千代は自慢げに言った。
「腹、弱めに殴ってもいいぞ」
俺が言うと、千代はにやりと笑って、犯罪者的な目になっていた。
「…でこぼこ男女刑事物語…」と妙なネーミングをつけて彩夏が言った。
「さらにっ!
巻き込まれるかもしれないから先に言っておくぞっ!!」
俺は気合を入れて言った。
優華たちは何事かと思ったようだが、俺の剣幕に抑えて真剣な顔をして俺を見た。
「俺の言葉以外は絶対に信用するなっ!!
実物の俺の、目の前にいる俺の言葉以外は絶対に信用するなっ!!」
優華、彩夏、爽花、千代はかなり驚いたようで目を見開いたが、かなり重大なことだと感じて、無言でうなづいた。
「…あー、私は?」と母が泣きそうな顔をして俺を見ている。
「母さんは一番の大物だがら、
言う必要はないと思っていたから自由で」
俺が言うと母は、「そっ!」と言って笑みを浮かべて、またテレビにかじりついた。
… … … … …
職場に行くと、同僚たちがスマートフォンで何かの映像を見ている。
―― またタクナリ君? ―― と思ってうんざり感が沸いたが、そうではないようだ。
少し遠くから見ていると、見覚えのある人が何かの宣伝をしているようだ。
俺はみんなに近づいて、「ライバル会社のCM?」と言って聞いた。
「ああ、そうなんだけどな、今までのケバさがない。
が、なりグレードを上げてきたって思ってな。
広報としてはさらに本気で臨む必要がありそうなんだ。
もっとも、山東彩夏には劣るが、今までに見たことのない女優だ。
とんでもない隠し玉がいたって、課長が部長に言われたそうだぞ」
伊藤が真剣な顔をして俺に言った。
かなり困ったのだが、何か言わないと伊藤に怪しまれると思ったのだが、もうこの時点で察しがついていたようだ。
「おまえ、スパイか?」と伊藤は俺に言って、苦笑いを浮かべた。
「それ、俺の母なんですよ」
俺の言葉は、かなりの破壊力があったが、伊藤だけは苦笑いだがうなづいていた。
「若いなっ!!」と言って、伊藤は驚きの声を上げている。
「このCMだと、30台の中ごろに見えると思う。
実際は41なんだ」
「えー…」と言って、同僚たちは俺の顔をまじまじと見ている。
そして確実に数名は勘違いをしている。
「後妻じゃないからね。
俺の実母だよ」
「ええええっ?!」と言って、ほぼ全員が背もたれにもたれた。
「17で俺を産んだからね。
ないことはないよね。
よって、セラーピット社の令嬢でもあるわけ。
制作費用はほぼ撮影費のみ。
出演料は聞いてないけど、多くても100万ほどだろうね。
無名の新人女優だから」
伊藤を含め、俺の同僚たちは納得してうなづいている。
「女優だったのか…」と伊藤はぼう然として言った。
「二週間ほど前に始めたばかりなんですよ。
今まで父に遠慮していた鬱憤を晴らすかのように、
女優として開花したんです」
「いや、だけど… それなりの…」と伊藤が言って少し考えてから俺をにらんだ。
「何やった?」と伊藤は聞いてきた。
俺は優秀な人材は好きだが、追い詰められるのは嫌いだ。
俺は今までにないほどの苦笑いを浮かべていたことだろう。
「あ、どうしたんだね?
伊藤君、松崎君…」
部屋に入ってきた課長が眉を下げてオレたちに近づいてきた。
不穏な空気が流れていたことを敏感に感じたようで、課長はオレたちに割って入るような体制を取った。
「松崎は敵に超高級な塩を送ったんですよ」と言って、伊藤はスマートフォンの映像を課長に見せた。
「うん、そうだね。
ライバルは強くなくっちゃねっ!!」
課長は全てを知っていたようで、俺たちは一瞬ぼう然とした。
「部長や重役も心配しているようだけどほぼ問題はないよ。
その理由は簡単…」
俺は、伊藤のスマートフォンの映像を見て、「ああ、家電じゃない…」と言った。
母が出演しているのは、セラーピット社の貴金属系の腕時計のCMだ。
「そういうこと。
もし家電まで進出するとちょっと困っちゃうけどね。
貴金属のCMに出た後にさすがに家電のCMは
出ないはずだからね」
課長はこう言ってくれたが、俺としてはさらに困った問題が頭に浮かんだ。
「女優としてはまだまだのようだし、
演じ分けるのは難しいと…」
課長の言葉は俺の顔を見て止まった。
「母は彩夏の弟子でもあるんですけど、俺の弟子でもあるんです。
現在の演技力は、今のこのCMをはるかに凌駕していますので、
難なくこなすと思います」
俺が言うと、課長は慌てた顔をして電話をかけ始めた。
CMが全てではないが、話題性が全てとなることも起こりえる。
一番怖いのは、『タクナリ君の母』というこのフレーズだ。
タクナリ君はテレビには出ないが、その母はテレビに出る。
よって母は大好きなワイドショーに確実に出演したがるはずだ。
見ているばかりではなく出演する。
かなり面白いことをやってくれるのだろうが、わが社としては何らかの対策を講じる必要があるはずだ。
「おまえ、タクナリ君の看板ぶらせげてCMに出ろ!」と伊藤に言われて、―― それしかないかもしれない… ―― などと考えて、かなり笑ってしまった。
「松崎君っ!!」
俺は課長に大声で呼ばれた。
何事かと思い走っていくと、母の細かいプロフィールを聞かれたので正直に答えた。
課長はうずくまったまま起き上がれなくなった。
「急性胃潰瘍…」と俺が言うと、伊藤は一声笑って、「そうかもな」と言って俺の肩を笑顔で叩いた。
「最終的には隠し玉がありますけどね。
特に、今売り出し中のセフィーラロ」
セフィーラロは、超薄型パネルモニターの愛称だ。
優華の店では四台購入してくれた
「オレたちが監視カメラに写った映像で、
演劇っぽいものがあるんです。
俺が超熱演していて、彩夏も認めてくれているんです。
彩夏が外に出すと言っているので、
何とかCMに使おうかと…」
「それ、そのまま使えそうだな。
制作費は山東彩夏の出演料…」
「ええ、彩夏も写っていますし発言もしています。
しかも悪役です」
俺が言うと、女性の同僚たちは背筋が凍ったように震えた。
だが男性社員からは、「おおー…」という期待のうなり声が起こった。
「さらに締めは母が発言しています」
「最高じゃないかっ!
あ、今日、プライベートと会議込みで」
伊藤は気さくに言ってきたので、俺は了解してから彩夏にも連絡した。
彩夏は今日は暇なようでこっちに来ると言ったが、当然母もついてくることになるので、どうしようかと考えながら、ダメージの深い課長に聞くとむくっと起き上がった。
そして部長と相談の上で、来てもらってもいいことになった。
結果を彩夏に伝えると、当然母も連れてくるということになったので、課長は受け入れ態勢を整えるため、大会議室に数名連れて行った。
「プライベートを重視したかったんだけどな…」と伊藤は残念そうに言って肩を落とした。
「こっそりと来てくださるのなら有意しますけど?」
俺が言うと、「ああ、頼む」と伊藤は一瞬だけ微笑んで言った。
あまり派手に動くと、大勢ついてくることになるからだ。
伊藤は何事もなかったように席についた。
彩夏、母、そしてマネージャーの向井陽子はわが社の制服を着てやってきた。
申し訳ないのだが、母とほとんど年齢が変わらない陽子が、まるでお局様のように見えてしまった。
きっと陽子もノリで着ているのだろう。
用意したのはもちろん彩夏だ。
陽子は彩夏が10才の時にテレビデビューしてからずっとマネージャーをしている。
よって14年もの長い間、それほど高くない給料を、人材派遣会社からもらっている。
もちろん、彩夏専属のマネージャーとして独立する話もあったのだが、石橋を叩いて渡る性格だったのか、陽子は派遣社員のまま今日まで働いている。
やはり、気を引き締める仕事なので、笑顔を見たことがない。
彩夏の前ではきっとそうではないのだろうが、少々幸薄いように感じる。
だが、母を加えてトリオになってからは、少し表情が緩んだような気がする。
その反面、彩夏が妙によそよそしくなっているような気がする。
彩夏は基本的には、母にしか話しをしていないように見えるのだ。
よって、俺はかなり気になってしまった。
彩夏の男言葉の癖のようなものは、こういったことに原因があるのではないかと感じたのだ。
幼なじみのオレたち三人が、彩夏を追い出していたのではないかと猛烈な不安に苛まれた。
俺は小さなマリア像を手にとって、アドバイスをもらおうと思った。
すると、いきなり幼い頃の映像がフラッシュバックして、『千代』と返答が返ってきた。
これはどういうことなのかと考え、幼い頃の千代とはいつから付き合い始めたのか思い出そうとしたが、その必要はなく、優華の書いた洗脳の書では、小学六年の夏休みからだった。
だがこれは違うのではないかと、俺は必死になって洗脳の書の記憶を除外した。
―― 目玉の看板の公園… ――
俺があの看板を書いたのは、小学四年生の頃だったはずだ。
もちろん千代も覚えていて、久しぶりに活躍していることを知った。
この時にすでに千代もいたのではないかと考え始めた。
だが、優華は千代の名前を書いていない。
だとすると、千代は仲間内にいても何も話さなかったのではないか、そしてその理由があったはずだと感じた。
すると、公園の記憶で爽太郎の影が妙に濃い。
―― まさか… ―― と思い俺は愕然とした。
俺と優華、そして、爽太郎と千代がペアになっていたのだ。
これは由々しき問題だ。
彩夏だけがひとりだったのだ。
彩夏は好き好んでお菓子造りに傾倒したのではなく、居場所がなくてオレたちから離れていたのではないかと感じたのだ。
よってこれは、爽太郎が優華に言って千代を消したものを書くように進言していたのではないかと感じた。
そうしないと、彩夏があまりにも不憫だと感じたのではないか。
そして今更謝ってももう時間は戻らない。
俺はこの先、彩夏にどう言って詫びればいいのか、その言葉が思い浮かばなかった。
だが、どうしても謝らないと気が治まらない。
俺は少し乱暴に彩夏の腕をとって、急ぎ足で大会議室の部屋の隅に連れて行った。
「彩夏、申し訳ないことをしていた。
きっと、許してもらえないと思う。
おまえだけ一人にしてしまっていた。
本当に、申し訳ない」
俺は頭を下げた。
彩夏が何か言ってくれるまで待とうと思った。
「今、急に?」と彩夏は穏やかな声で言った。
俺は頭を上げて彩夏の顔を見た。
「三人になったお前たちを見ていて不意に思いついた。
おまえもあの洗脳の書を読んでいるから気づいていたはずだ。
千代は俺が小学四年の時から一緒にいた。
だがあの書には、六年の夏休みからになっている。
きっとこれを知られるとまずいと、爽太郎…
爽花が思って、二年間千代の記述を伏せさせたんだと思う。
千代は基本、あまり話さなかったはずだ。
少々積極的になったのは、六年になってからだと感じた」
彩夏は俺に薄笑みを向けている。
「いいのよ。
今の私って、それと同じ事をしていたはずだから。
でもね、必死になってくれている拓ちゃんが本当に好き。
本当に、本当にありがとう」
彩夏は穏やかに言って頭を下げてくれた。
「それにね、お菓子造りに出会えて本当によかったって思ってるわ。
少しでも、拓ちゃんの笑顔を見ることができるから。
これは私だけの特権だから」
「ああ、そうか…
そういってもらえて本当にうれしいよ。
…ああ、できれば、爽花と優華を恨まないでやって欲しい。
だが、隠したことは大減点だがなっ!!」
どうやら俺の言葉が彩夏のわだかまりを解きほぐしたようで、いつもとは違う上品な柔らかな笑みを俺に向けてくれた。
「私ね、もう、男言葉は出ないと思う。
出た時は、それは演技だと思うわ」
彩夏の語尾が、涙声でゆれていた。
だが気を引き締めたのか、一度眼を閉じて、そしてゆっくりと開いた。
「拓生さん、心から愛しています」
彩夏は一滴の涙を流した。
今のオレには笑顔で彩夏を見ることしかできなかった。
「さあ、私のプレゼン、見ておいてね!」と彩夏は普段の倍以上の美しさを放って俺に言った。
「大御所を超えたな…」と俺はついついつぶやいてしまった。
彩夏は憑き物が落ちたように、手早く順序良くわかりやすく説明をした。
そして実際にCMに使用する映像を流し始めた。
それは俺たちのリアルの映像の、セリフがある部分だけを編集したものだ。
まさに、映画のダイジェストを見ている気分になった。
だが、さすがに俺が主演俳優なので、少々困り果てた。
演技として見た場合、冷静に捉えられないのだ。
これがいいものなのかか悪いものなのか、誰かに聞かないとなんともコメントし難い。
「さあ、実際のリアルなドラマを見ていただきます。
前置きが必要なので、先頭にテロップを入れてあります。
どうか、私たちの最高のリアルなドラマを、ご静聴ください」
彩夏は澄んだ声で堂々と語った。
俺は彩夏が今までで一番好きになっていた。
前置きの説明文がゆっくりと流れた。
性同一性障害の爽太郎が性転換手術受け、戻ってきたのはいいが、人が変わってしまっていた。
要約すれば、こんな感じた。
これさえ知っておけば、リアルなドラマを見ると、つじつまはあう。
社長を筆頭に、重鎮たちは眼を凝らして映像にのめりこんでいた。
そして、爽花が大声で叫び爽太郎を取り戻したあと、母が、『神父様…』と俺に祈りを捧げた途端、スタンディングオベーションが始まった。
俺たちのリアルは、社の重鎮たちに認められた。
俺はかなり照れくさいのだが、立ち上がって頭を下げまくった。
だが、映像は終らない。
その後のやり取りまでずっと流れ、いつの間にか俺の前にいた千代に、腹を強か殴られて、『ガッ!!』と言って俺が後方に吹き飛ばされた場面で終っていた。
まるで、二年間、千代を消していた贖罪の儀式だったように俺は思ってしまった。
「タクナリ君が吹っ飛んだっ!!」と誰かが言って、なぜだか拍手が始まった。
ここからはオレたち広報の出番だ。
俺がやることになると思っていたが、伊藤が少し先輩風を拭かせて率先してシナリオを造り始めた。
パターンはふたつで、ひとつはダイジェスト編。
もうひとつは、母が映像を見てどんな表情をするのかという、映像と母の顔の比較編だ。
それぞれの最後には、企業ロゴ、商品ロゴと、キャッチコピーの、『ドラマよりリアル』を入れることに決まった。
商品よりも映し出すドラマがクローズアップされているが、当然こういった話題性が、販売促進につながるのだ。
俺たちはいい仕事をして、早速今後のスケジュールを造ることになった。
だが、彩夏たちは今からショールームに行って現物に映像を載せて、終わりの部分だけを撮るようだ。
そうなれば後は、CG編集だけとなる。
今回のCMもかなり短期間で、安価に抑えられそうだ。
もちろん、契約書も作る必要があるのだが、なんと、彩夏がそれを断ったそうなのだ。
その理由は、「自分たちふたりの女優としてのアピール」というものだった。
だがそれではあまりにも気が引けるのだが、「次からはたくさんいただきますから」と軽く返されたようだ。
確かに、CM放映料がかさむことになるので、制作費は安く抑えたい。
ありがたいことだとして、今回は社長は彩夏を絶賛するだけに留めた。
一日の仕事を終え、俺はまた変装している彩夏たちとともに電車に乗った。
そして伊藤の姿を探したのだが見当たらなかった。
俺たちの乗る電車は、ほとんどの社員とは反対側なので、同僚に会うことはあまりない。
よってこちらの電車に乗ると、少々目立つ。
伊藤はそれを考慮して、うまく切り抜けようとしているはずだ。
「どうしたの?」と彩夏が、メイクとつけボクロで変装した顔で言った。
「いやな、伊藤さんが今日グルメパラダイスに
来るって言っていたんだけどな…」
「あ、それはキャンセルで。
別の日にしてもらったの。
私が招待するっていうことにしてね」
まさにとんでもない情報網を持っていると思い、俺は苦笑いを浮かべた。
「彩夏の手下が俺の部署にいるんだな」と言うと、「もちろんっ!」と簡単に言われてしまった。
そして俺の視界に、恐ろしいものが映った。
「…うう、母さん…」と俺は母の姿を見た。
「いいじゃない…
来る時もあんなだったわよ」
彩夏は言って少し笑った。
母は、窓に体を向けて腰を浮かした正座をして外の景色を見ていたのだ。
「最近は子供でもしないぞ…」と言うと、彩夏は少し笑った。
陽子は少し恥ずかしそうにして母の隣に座っている。
「陽子さん、会社を辞めてもらって、
私たちの専属になってもらうことに決めたの。
もし、私たちが女優として食べていけなくなったら、
お店で雇うって約束してね。
彼女も女性だからスイーツには興味があるから」
「そうか…
となると、給料はほぼ倍だな」
俺が言うと、彩夏は笑顔でうなづいた。
話しをしながらだと、いつもの帰宅時間もあっという間だ。
陽子と別れて、俺たちは家に向かった。
伊藤の予定を変えてもらったのは、予約席で少々揉め事をするということになるはずだ。
俺は要求されれば答えることにしている。
警察などにつきまとわれることなく家に戻ると、今日は休みだった千代だけがいて、テレビを見ていた。
そして俺たちの気配に気づいて、満面の笑みを向けてきた。
「少し前の母さんのようだな…」と俺が言うと母は、「そうだったっけ?」と俺の妹のように言った。
母は充実しているので、少し前のことはあまり考えないようにしているようだ。
俺は二階に上がってスーツを脱ぐと、彩夏が駆け込んで来て俺を抱きしめた。
「千代にばれたら殺される…」と俺が言うと、彩夏はすぐに俺を放した。
「忘れちゃってたわっ!!」と言って彩夏は素晴らしい笑みを俺に向けた。
「夜、デートしない?」「最後までやっちまうからしない」
俺の答えが気に入ったようで、「じゃ、その時を待つわ」と言って、少しおどけながら部屋を出て行った。
―― 千代は言えないだろうな… ―― と考えると、妙に笑えて来た。
父も帰ってきたので、五人でグルメパラダイスに向かった。
「ふーん…」と俺は言って、辺りを見回した。
「おまえ、超猛者の格闘家のように鋭いな…」と父が笑みを浮かべて言った。
「後で説明するよ」とオレは言ってから、「五分後に行くから」と言って、俺は猛然とダッシュをした。
すると、店の平面駐車場で張っていた数名が一気に走り出して俺を追いかけてきた。
今回は足に自信がある者を用意したようで、足音があまり聞こえない。
なぜ追いかけるのかよくわからないが、へこたれるまで付き合ってやることにした。
店から数百メートル先の歩道橋を駆け上がると、もうついてきていなかった。
そして辺りを見回すと、かなり後方で肩で息をしながら、何とか走っているように見える。
俺はかなり大回りをして、グルメパラダイスの裏口から店に入った。
さすがに店内では騒ぎを起こしたくないようで、追跡者の気配はまったく感じられなかった。
「手伝ってくれるの?!」と優華が俺を見つけて言ったが、「おまえ、覚悟しておいた方がいいと思うぞ」と言って、優華の顔を見ないで厨房を出た。
彩夏が満面の笑みで俺を見つけて両腕を振っている。
いつもにはない上機嫌さだ。
部屋に入って、俺は彩夏の左隣に座った。
「もうね、恋人気分っ!!」と彩夏が言うと千代が俺をにらんできた。
「千代、存在を消していて申し訳なかった」と言って俺は千代に頭を下げた。
千代は何のことだかよくわからなかったのだが、彩夏が説明した。
「ひっどぉーい…」と言って、少しうなだれて歩いてきた優華を見ていた。
「さすがに10才程度の頃の記憶は少々怪しいからな。
だが、12才だったらかなり鮮明に記憶がある。
だから、優華と爽花はお仕置きだ。
彩夏に一任するけどな」
彩夏は薄笑みを浮かべているのだが、少々怖いと感じる。
千代は腕組みをして憤慨している。
「まさか千代がここに現れるとは想像しなかったんだろう。
始めは優華は少々拒絶していたからな。
だがついに、叱られる日がやってきた」
俺が言ったと同時に、優華は上目使いで、俺と彩夏と千代を順番に見た。
「優華、座って」と彩夏が言うと、「えーっ? どーしてぇー?」と優華は彩夏の言葉使いに気づいたようだ。
「私は何も言っていないのに、拓ちゃんが推理してくれたの。
だから私は一番自然な私でいられることができるようになったわ。
今までの私はすさんでいただけなの。
それに、もう拓ちゃんと結婚することに決まったから」
彩夏がとんでもないこと言ったが、俺は千代だけを警戒していた。
だが千代は、これは優華への罰だと思ったようで、まったく態度を変えなかった。
「うそっ? うそよね、拓ちゃんっ?!」と優華は涙声で言った。
するとおあつらえ向きに爽花が両手をうしろ手にして、店に入ってきてスキップを踏むように上機嫌で歩いてきた。
優華はすぐに爽花を迎えに行って手を引っ張って部屋に引き入れた。
爽花はこの場の雰囲気から、「あーあ、悪いことはできないのねぇー、やっぱり…」と罪悪感を顔に浮かべて言った。
「きちんと話して。
どういう理由があって、二年間も千代ちゃんを消したの?」
彩夏はごく自然に言った。
その言葉に、爽花は驚いた顔をしている。
もちろん、ごく自然な彩夏の言葉使いに反応したのだ。
「あなたたちのせいで私は狂っていたの。
どう責任とってもらえるのかしら?」
彩夏が言うと、爽花と優華は顔を見合わせてからうなだれた。
爽花だけがゆっくりと顔を上げた。
「ひとつだけ、どうしても封じておきたい記憶があったから。
今の様子だと、
拓ちゃんも千代ちゃんも彩夏ちゃんも忘れちゃってるようね。
これはね、偶然のいたずらだったから、
思い出さないとは思っていたけど、
安全策をとって確実に記憶がある
小学校六年生の夏休みから千代ちゃんを登場させたの。
私も実は、もう覚えてないんだけどね」
―― 偶然のいたずら… ―― 俺はその可能性を考えた。
千代はあまり話さなかったが、行動はしていたのではないか?
そしてその千代が絡む相手は俺。
ここまで考えて、俺は思い浮かんだ。
だが記憶としてはまったくない。
「俺が千代にキスした」と俺が言うと、彩夏もそして千代も驚きの顔を俺に向けた。
「きっと、かけっこでもしていて足が絡まりあって転んだんだろうな。
そして、まるで少女マンガのようにキスしてしまっていた。
優華、その時の状況を詳しく教えて欲しい」
俺が聞くと、「やだもんっ?!」と優華は即答した。
優華の表情から察するに、俺の言ったことは間違ってはいないようだ。
「うーん、千代にキスすると思い出すかも…」
俺が言うと、千代は待真っ赤な顔をして、「あ、やさしく…」と言ったので大声で笑ってしまった。
千代は事故のようなものなのであまり気にしていないと感じた。
だが、この中で優華だけはその時の状況の記憶が鮮明にあるのだ。
これは不幸とは言わないが、記憶術をマスターしていなければ高確率で覚えていないはずの出来事だと感じた。
「千代と俺は、赤い糸で結ばれていた…」と俺が言うと、「結ばれてても何の効力もないじゃない…」と千代に言い返されて俺は笑ってしまった。
「あ、そういえば…
今朝起きた時、彩夏の足が俺の足に絡まっていたな…
まさに正夢の切欠…」
俺が言うと、「寝相が悪くてごめんなさい…」と彩夏に丁寧に謝られてしまった。
「覚えていた方がいいことは多いが、
忘れていた方が幸せなこともあるようだな。
だがな、それよりも大切なことがあるんだ。
優華も爽花も驚いていた件だ」
俺が言うと爽花が、「言葉使い…」と言った。
「俺たちは彩夏の気持ちをまったく考えていなかった。
もし、千代の件を書いてくれていたら、
その期間分、彩夏は苦しまなくて済んだはずだ。
俺のそばには優華がいて、爽太郎のそばには千代がいた。
ひとりになってしまっていた彩夏は、
俺たちの中から追い出されてしまっていたんだよ。
まさに子供は残酷だと思ってしまったな。
だからこそ、何か事件があっても、
彩夏の知らないうちに終っていた。
彩夏はその事件の結末を知るたびに喜び、
そして、誰かに気づいてもらいたかったはずなんだ。
俺が気づいたので、俺はその償いに彩夏と結婚することにした」
俺が言うと、爽花も優華も、深くうなだれた。
千代は意味ありげな顔をして俺をにらんでいる。
「最後のはウソだぁー…」と俺が言うと、爽花と優華は大声で泣き出して、彩夏に謝り始めた。
「あ、それからな」と言うと、みんなが一斉に俺を見た。
「彩夏の最近の乱暴さは眼を見張るものがあった。
精神的にはそろそろ限界だったと思うぞ」
俺が言うと彩夏は涙を浮かべた。
きっとかなり辛かったのだろう。
やはり大人なので、子供のように簡単に伝えることができなかったはずだ。
だが、子供の頃に戻れば、「ゴメン」のひと言で許せたはずなのだ。
「多分、今はテレビっ子モードの母さんは知っていたと思う。
それに父さんも」
俺が言うと、父は少し恥ずかしそうな顔をして母を見た。
俺は千代を見た。
「あー、お母さんもお父さんも、すごく喜んでくれた…」
千代は微笑みながら、テレビに釘付けの母を見た。
「まさに赤い糸で結ばれていたとでも思ったんじゃないのか?
千代とは9年間も離れていたのに、三人の誰かではなく、
千代と一夜のベッドをともにした。
誰が聞いても、赤い糸だと思って疑わないだろうな」
俺が言うと、彩夏は薄笑みを浮かべて千代を見ていたが、爽花と優華は千代を少しにらんでいた。
うらやましいとでも思っているようだ。
「この偶然は偶然ではなかったかもしれない。
俺は千代を抱く気、満々だったからな」
「…えー…」と千代はぼう然とした顔を俺に向けた。
「そんなの当然だろ…
だがおまえが即行寝たからな。
さすがになえた」
俺が言うと千代は真っ赤な顔をして俺を見ないで拳を繰り出してきた。
その拳はわずかばかり俺のほほを掠めた。
「おいおい、怖ええな…」
俺はほほに触れて手を見ると、血がにじんでいた。
「かすっただけで切れた…」
俺が言うと千代は、「責任を取って慰み者になりますっ!!」と真剣な顔をして言った。
「残念だが、千代のターンはもう終ったんだ。
今は彩夏のターンだ」
俺が言うと千代は、「えー…」と言ってからうなだれた。
「今の彩夏は爽花よりも美しい。
それは拭えなかったトラウマを拭えたから。
そして、俺自身が持つ、
彩夏への申し訳なさ、いじらしさを感じていること。
さらには爽花、優華への反抗心。
これも大いに働いているはずだ」
三人は何か言いたげだが、俺を上目使いで見ているだけだ。
「俺はこの先、うまいケーキをたらふく食って、
肥満体質になることだろう」
俺が言うと彩夏は、「糖分控えめにするわっ!」と言っておどけた。
「俺は彩夏にプロポーズされて、今夜の夜伽をおおせつかった。
だが、断った。
本当にもったいないんだけどな…」
俺が言ってから彩夏を見ると、さすがに怒っていた。
「理由は簡単。
彩夏とは確実に結ばれて、
もうこの部屋に来ることがなくなると思ったからだ。
俺はそれを猛烈に拒むんだよ。
まだまだ、この部屋での生活に満足していないんだ」
俺の言葉はみんなに安堵感を呼んだようで、それぞれが笑みを浮かべていた。
( 第八話 赤い糸の伝説と残酷な子供 おわり )
( 第九話 アスリートラブル につづく)