第六話 最恐の父
最恐の父
絶体絶命となった翌日の夜、千代から全ての顛末を聞かされた。
刑事が事件を起こし、犯人の無謀な行いは警視庁警視監によってさらに拍車をかけられていた。
その警視監、山本左右は更迭された。
そして、警視総監の加藤爽衛も退任した。
これはそうあって当然だろうと感じたが、逃げたとも言える。
後任者が大変なことになるだけだ。
よって加藤はただの爺さんと化した。
特に天下りなどする必要はないようで、のんびりと暮らすそうだ。
これは孫の爽太郎のためだろうと感じた。
公安部でも大捕り物があったようだが、表面化はしなかった。
これで俺と警察の縁は切れたと思った。
だが、大勢の警察官のあの頼ってくれていた顔はいい思い出になったと、ひとりほくそ笑んだ。
だが千代がまだ俺を頼ってくるはずだ。
人はよく見えるが、状況がよく見えていない。
警察官としてはこっちの方もかなり重要だ。
だが、一度経験すれば、同じような事件があれば応用は利く。
いい経験を積んだということでいいだろうと、俺は嘯いた。
爽太郎からはメールで連絡があり、今は日本を離れているようだ。
そして文面の一番最後には、『爽花』という文字でしめられていた。
まさに爽花という名前がふさわしいと俺は思っている。
ほっと一息ついて、優華、彩夏、千代とテレビを見ていると、ドアをノックした音が聞こえた。
かなり申し訳なさそうな顔をしている五月だった。
「鍵、かけとけよ」と俺が言うと、「うんっ?!」と言って優華が本当に鍵をかけた。
俺たちは五月がどうするのか観察していたら拝まれたので、俺が鍵を開けて五月を招き入れた。
五月が頭を下げようしたので、「ご用件をどうぞ」と俺は冷淡に言った。
「実はなぁー… 新しい…」「お断りします」俺は間髪入れずに断った。
「もう交換条件の必要はないので」
俺ははっきりと理由を述べた。
「君のファンなんだよ…
なんと今回は珍しいことに女性だ。
50超えてるけどなっ!!」
「普通にファンと語らうだけなら構いませんよ。
仕事は千代に回してください。
刑事として使うのなら、まだまだ修行が必要ですから」
俺が言うと千代はすぐに首をすくめて、テーブルに目から上だけを出して上目使いで俺を見ている。
「昨日の夜、逃げたんだって?」と五月は愉快そうに言った。
「久しぶりに走りましたね。
学生時代よりも早いような気がしました」
「足に自信のある刑事が簡単においていかれた。
君の足は犯人検挙にはもってこいだな」
五月が言うと俺は少しにらんでやった。
五月は苦笑いを浮かべて、手のひらを立てて俺に向けて降参のポーズをとった。
「実はなぁー…
ああ、新しい警視総監は継野菖蒲というんだが、
お父様と関係があるそうだぞ。
苦楽君とか妙にフランクに呼んでいたからな。
年齢も近いと思う」
「ええ、父は51ですから。
学生時代の同窓生とかじゃないんですか?
当事の父は都心に住んでいて国立を出ています」
「だったらそうだろうな。
経歴は同じだ。
付きあっていたのかも…」
五月は少しいやらしい目つきで俺を見た。
「それはあるかもしれません。
そういえば、父の学生時代の話は聞いたことがないですねぇ…」
俺は少し思案して、会うのも面白いと思ったが、優華が泣き出しそうな顔をしていた。
「優華が反対したので会いません」
「ええっ?!」と五月が言って、泣き顔の優華に手を合わせ始めた。
俺はこの隙に外を見ると、例のとんでもない車が止まっていた。
「もう来ているから会わないと五月さんの首が飛ぶ…」
俺が言うと、「あー、飛んで、どこかの離島の駐在所勤務…」と五月はジョークを飛ばしてきた。
俺は少し笑ったのだが、優華は信用したようで驚いた顔を俺に向けている。
「冗談だよ」と俺が言うと、優華はまた五月をにらみつけた。
「ある意味、署長の現状維持…」と俺が言うと五月は、「それは言えるよな!」と言って大声で笑った。
五月は一瞬優華を見てから俺を見て、「それに、どう推理するのか楽しみなんだよ」と言った。
「ふーん…」と俺は言って腕組みをしてうなだれ瞳を閉じて、少し考えた。
「継野さんと親父の隠し子が優華…
優華の父母に優華を託した。
俺と優華は血のつながった兄妹…」
俺が言うと、「違うもん違うもんっ!!」と言って優華は大声で泣き喚き始めた。
泣き喚くということは、ただただ否定したいだけの行為なので、優華は何も知らない。
「もうひとつ…」と俺が言うと、優華はぴたりと泣き止んで、俺に真剣な目を向けた。
「優華の伯母さん。
継野菖蒲さんは優華によく似ている。
ひょっとすると、優華の顔も話し方も隔世遺伝…
優華の見た目は、ご両親とはそれほど似ているとは思わない」
五月があきれた顔を俺に向けてから目を背けた。
「伯母さん…」と優華は言って記憶を呼び起こし、「うん、いるの…」とだけ言った。
「苗字が違うから、優華の父ちゃん母ちゃんの兄弟、
どちらとも言えるけど…」
俺が言うと、「結婚はしていない」と五月がまたいやらしい笑みを俺に向けた。
「最近はね、お父さんの方もお母さんの方も疎遠になっちゃって?
でもね、私に似てる伯母さんたちはいないって思うけど?」
「警察のキャリアだからな。
条件は加藤さんの家族と同じ…
できれば会わないようにしている。
理由は何かあると守りきれないかもしれないから」
俺が語ると優華は、「会ったことのない伯母さん?」と言って少し微笑んだ。
「もう興味がなくなりました」と俺が言うと五月は、「俺が叱られるじゃないかぁー…」と言ってかなり困った顔をしている。
「じゃ、優華も行くぞ」「うんっ?!」と優華はすぐに元気よく返事をして俺の腕をつかんだ。
「やっぱ妹…」と俺が言うと、優華はすぐに腕を放して、上目使いで俺を見た。
「まだ恋人でもなんでもないんだからな。
その点は、彩夏を見習った方がいいな。
こいつは極力俺に触れないようにしている。
俺の気持ちとしては、
おまえに触れられるとすぐに妹が浮かんでくるんだ。
ずっとやってると、本当に妹になっちまうぞ」
優華は眼を見開いて首を横に振ったが、俺の言い分もわかるようで、すぐに腕を放して上目使いで俺を見た。
「甘えた目も禁止。
もう少しだけ堂々と。
背筋を伸ばして、大勢のお客さんが目の前にいる感覚…
あまり無理をしないように心がけたらどうだ?」
優華は気持ちを切り替えて、「わかったわ、拓ちゃんっ!」と言って芝居を始めた。
「入れ込みすぎ…
すぐに疲れっちまうぞ」
「気をつけるわ…」
優華は真剣な顔を俺に向けた。
できるだけ自然体を装うことにしたようだ。
もっとも気を抜けば、今までの優華にすぐに戻ることはわかっている。
「おっ! 妹じゃなくなったなっ!」と言って俺が少しひじを曲げると、優華は今までの顔に戻って、俺の腕をとって妹に早代わりした。
「不合格っ!」と俺が言うと、「厳しい?」と言ってまた甘えた顔になったがすぐに背筋を伸ばした。
「妹と思わなくなったらお試しデート…
もちろん二人っきりでだ」
優華はまさに妹のように喜んでから、思い直して彩夏のように堂々と振舞って、「デート、してあげるわっ!」と言ってツンデレになった。
―― これはあり… ―― と思って、俺は少し笑った。
「…俺も、ごほうびデートしてくれぇー…」と彩夏が言ってきたので、「ああいいぞ」と俺はすぐに答えた、
「えー…」と彩夏と優華が同時に言ったが、ふたりはまったく違う感情だった。
「彩夏の場合は無条件だ。
新しい道を歩き始めた門出に」
俺が言うと彩夏は感極まったようで、真剣な眼を俺に向けて何か言いたいようなのだが、かなり言葉を選んでいるようだ。
ここで茶化すと、確実にキャンセルされると思ったようだ。
「とっても楽しみだわ、拓生さん」と彩夏は本来の年相応の彩夏を演じた。
俺が笑みを向けると、彩夏も微笑んだ。
「男でも女でも、
みんな彩夏のように変身できるんだったら
誰もが幸せになれるって感じたな。
もっとも、過剰な演技はすぐにボロが出るけどな」
「それはその通りだぁー…」と言って彩夏はリラックスして言った。
「じゃ、五月さんが離島に飛ばされないように、
伯母さんの顔を拝みに行こうか」
俺は言って、優華の頭をなでてやった。
優華は何か言いたいのだが言ってしまうとまた指導されるとでも思っているようで、今は妹の顔になっている。
だが表情を引き締めて、本来の優華になったので、俺は出口に向けて歩き始めた。
前回と同様に、警官二名がすぐに車から出てきて、俺の隣にいる優華を凝視した。
ほとんど態度は変わらないのだが、驚いていると感じた。
「当たりだったな」と俺は言うと、「きっとそうね」と優華は落ち着き払って言った。
だが、二名の警官はすぐに五月を見た。
五月がうなづくと、警官たちはすぐに前を向いた。
五月はかなり上まで行くんだろうと俺は感じた。
だが、あまり年が変わらない継野菖蒲は、もう警視庁のトップだ。
50そこそこで警視総監は早いと感じた。
それほどに、警視庁内部は汚れ切っていたと思ってしまった。
俺は車に乗り込む前に、ここで一旦笑っておこうと思い、腰から頭を下げて、武道の礼のようなポーズを取った。
車の中には、年を取った優華がいて、俺に微笑みかけてきた。
「始めまして、松崎拓生です」と俺が自己紹介すると、「継野菖蒲です?」と女子学生のような澄んだ声で疑問形で言ったところで、俺は頭を上げて大爆笑した。
「そっくりっ! そっくりだぁ―――っ!!」と俺は大声で叫んだ。
そのおかげで少し落ち着いた。
優華も菖蒲もかなり困った顔をしていたが、その顔もそっくりだった。
俺は笑いを堪えて、「失礼します」と言って車に乗った。
俺は極力奥に座った。
そうしないと五月が乗れないからだ。
よって優華は菖蒲の真正面に座ることになる。
―― 今日はこれでいい ―― と俺は思っている。
菖蒲は俺よりも優華を見ていたからだ。
やはりかわいい姪が自分にそっくりなことをうれしく思っているはずだ。
さらには、優華にとっていい薬だと感じているのだ。
ざっと菖蒲を観察して、特に変わったところは見られない。
だが、独身の件だけは、五月の言葉通りだと思い、蓄積した情報から間違いないだろうと感じ取った。
さらには子供は産んでいないはずだ、とも感じた。
これには根拠があり、簡単なことだ。
五月が車に乗り込んで、ドアがゆっくりと閉まった。
「引継ぎをしようと思って?」と菖蒲は俺ではなく優華を見て言った。
これが優華にとって第一の試練だ。
「え?」と優華が言うと、「あ、ごめんなさい?」と言って菖蒲は俺を見た。
「何の引継ぎでしょうか?
私は今後一切、警察の仕事は受けないと決めました。
拳銃を胸に突きつけられて、
平常で冷静でいられる一般人はいないと思います。
これは警官でも同じだと思います。
多少のトラウマは残るはずです」
「あなたはそれが見られない?」と俺は菖蒲に言われてしまった。
「それはこれのおかげですよ」と俺は手品師のように、小さなマリア像を出して菖蒲に渡した。
「あら、ありがとうございます?
これも、引き継ぎのひとつだったのです?」
菖蒲は笑顔でマリア像を手にした。
優華はかなり困った顔をして菖蒲を見ている。
「本当に、素敵だわぁー?」と菖蒲は言って、年齢よりも10才は若返った。
笑顔がかわいらしいので、これは当然だと思ったのだが、本当に若返ったとしか思えない。
「はぁー、たるみが消えて…
あ、失礼…」
俺が言ってすぐに、優華も驚いた顔をしていたのだが、我に返った顔をしてバッグから鏡を取り出して菖蒲に鏡面を向けた。
「えっ? あら? えっ?」と言って、菖蒲は驚いている。
「基本時には表情の変化。
さらには肌が引きしまたといった感じですね。
このマリア像は、人によって現れる効果が様々なのです。
きっと、このマリア像だけでも
世界は平和になると思っているのです」
俺が言うと、菖蒲は鏡を見たままうなづいている。
「あら、ごめんなさい?
優華ちゃん、ありがとう?」
菖蒲が笑みを優華に向けると、「いいえ」と優華は笑みを浮かべて普通に言ってから、鏡をバッグにしまいこんだ。
「五月さんをご主人にしてもおかしくないと思います」
俺が言うと、菖蒲は一瞬五月を見て、「食べちゃおうかしら?」と言って笑い始めた。
間に優華がいるので五月の表情は見えないが、『余計なことを…』と言った顔をしているはずだ。
「今回の件で警視庁は弱体化しました?
上の方は半数ほど切ってしまわれた?
そしてご本人もご自身が更迭された?
無責任だと思いませんか?」
菖蒲が俺に聞くと、俺は大きくうなづいた。
「はい、おっしゃる通りだと思います。
今度会ったら説教しておきましょう」
俺が言うと、菖蒲は一声笑って、「本当に、いいわぁー?」と言って、俺に笑みを向けた。
まさに恋する乙女がここにいた。
だが、昔話をすればそれは現実に引き戻される。
「父とお知り合いだそうで」と俺が言うと、菖蒲は夢から醒めた顔をして少し腰を上げて座り直した。
「空気、きちんと読めているようね?
本来ならその逆だけど、あえて現実に引き戻した?
さすが、苦楽君の息子だわ?
私も、まだまだだわ?」
菖蒲はかなりの勢いで落ち込んだ。
きっと父に振られたに違いないと思い、ほぼ確信した。
見た目は優華そっくりだが、内面は大いに違うと感じた。
内面まで優華に似ていたとしたら、俺の母になっていたかもしれないと感じた。
「憎らしい?
その笑みで全部わかっちゃったわよ?」
菖蒲は俺にケンカを売るような言葉を吐いた。
俺の心の動揺でも誘ってるのかと思ったが、どうやら今はプライベートに徹しているような気がした。
「結婚していない。
子供はいない。
今も、松崎苦楽を追いかけている…」
「君が責任とって?」と菖蒲が間髪入れずに言うと、優華はこれ以上ないほどに菖蒲に顔を突きつけて苦笑いを浮かべている。
菖蒲は優華に笑みを向けているだけだ。
「優華はあなたにそっくりです。
ですが優華の内面は俺の母によく似ています。
母が自然に優華のマネをするほどですから」
俺が言うと、優華は座り直して顔を俺に向けて笑みを浮かべた。
菖蒲は少しうなだれて薄笑みを浮かべている。
「なかなかのプロファイリング能力ね?
根拠を聞かせて?」
俺はわかる範囲で答えると、菖蒲は納得したようで、「気づかなかった…?」と言ってうなだれた。
「意識していればよくわかることですよ。
それが分かっている子供のいる主婦は、
声を1オクターブ上げて言葉を発しています。
だから話し言葉が演技がかっていて不自然になります。
子供を産んだ女性はなぜか声変わりをして、
声が低くなりますから。
継野さんにはそれを感じませんでした。
研究では出産後しばらくすると元に戻るとありますが、
ほとんど戻っていないと俺は思っています。
…結婚の有無は勘です。
もちろん、五月さんにお聞きしていたこともありますが、
いろんな夫婦を観察して蓄えた情報からですけどね。
父をまだ追いかけている件は、あまり言いたくありませんね」
俺が言うと菖蒲は少しだけ俺をにらんだ。
「人をよく見ている?
優華ちゃんの影響かしら?」
「私が拓生さんのマネをしているだけです」
優華は落ち着いて堂々と言った。
まさに目の前に反面教師がいるので、語尾が疑問形にならなくなっている。
「もし私が言ったことが間違っていたら、
優華の表情が変わっていたと思います。
優華の方が人を見る目は大いにありますから」
俺が言うと、優華はいい笑みを向けてきた。
ここには妹の優華はいなかった。
「有意義な時間だったわ?
業務委託は今までと同様に出すことにします?
さらには警備を怠らないと誓います?
ですけど、本当に驚いてしまったの?」
残務処置もかなり大変なんだろうと感じて少しばかり同情した。
「私も、まさかと思いました。
さらに黒幕がいたとは思いもよりませんでしたので。
盗聴器だけでも、先に調査しておくべきでした。
きっとこの件は、
私にとっての戒めだとつくづく感じているのです」
俺が言うと、菖蒲は大いにうなづいて、優華はまた泣き顔を見せている。
「だけど、すごい度胸ね?
銃を突きつけられて、前に出る者はいないと思うわ?」
「それは簡単なことでした。
私は今までに覚悟を決めたことは一度もありませんでしたから。
万全ではなかったのですが、
あの丸椅子の胸当てだけでも安心感は得られました。
その気持ちが後押しをしてくれたと思いますが、
さすがにもう懲りました」
俺が言うと、菖蒲は申し訳なさそうな眼を俺に向けた。
優華は少し声を漏らして泣いている。
「優華、ゴメンね?」と言って菖蒲は優華を抱きしめた。
優華は、「あーんっ!!」と言って声を上げて泣き出し始めた。
きっと、久しぶりの伯母と姪のスキンシップだったはずで、菖蒲の目からも涙がこぼれていた。
「ちなみにこの件は父にも母にも話していませんので。
できれば、耳に見入れて欲しくないのです」
俺が言うと、「五月君?」と菖蒲が言うと、五月は深く頭を下げていた。
「あの爺さんが話してしまいそうなので逮捕してください」
俺が言うと、「ええ、そうすることにするわ?」と菖蒲が言った。
嘱託員として雇うのかもしれないと、少しだけ頭を過ぎった。
菖蒲が満面の笑みを浮かべたので、話はこれで終わりのようだったので、俺はすぐに口を開いた。
「ひとつだけお聞きしたいことがあるのです」
俺が言うと、菖蒲は興味津々の顔を俺に向けた。
「犬塚千代の扱いをかなり気にしています。
できれば有効活用していただきたいのです。
彼女の成長のために」
俺が言うと菖蒲は俺を笑顔で見た。
「彼女のこと、好きなのね?」「はい、好きです」と俺は即答した。
当然優華は俺をにらんできたが、すぐに真顔に変わった。
「できれば大きく成長してもらいたいだけです。
彼女ほど、犯罪に精通している者はこの国にはいません。
できれば彼女を無駄遣いして欲しくないのです」
「すごい入れ込みようね?
まさに恋人以上?」
菖蒲はなぜだか嫉妬する女の目を俺に向けてきた。
「ライバルは恋人以上に決まっています」
俺が言うと、優華は満面の笑みを浮かべて拍手を始めた。
「拓生君の考えを聞かせて欲しいの?」
「警視庁刑事部長付きに」と俺は満面の笑みで言った。
「行動できる、秘書ではない手ごまとして?
いいわねぇ?
君は私の手ごまということで?」
「お断りします」
俺は断ったのだが、菖蒲は笑みを浮かべていた。
「犬塚は、刑事捜査において欠点があるので、
研修としては第一課で経験を積ませるのが妥当かと。
もしくは所轄の刑事部屋に押し込めてもいいと思っています」
俺が言うと、菖蒲は大声で笑った。
「有効活用、約束するわ?
ライバルでいい友達?
そして本当の意味での恋人になれる存在?」
菖蒲が言うと優華は眉を下げて、かなり困った顔をした。
「できればそうなってもらいたいのですが、
確実にロリコンと言われるのでイヤです」
俺がいうと、狭い車内は笑いで溢れかえった。
「ですがそれをも超越した何かを感じれば、
もちろん普通に恋人にはなれるでしょうね。
彼女はそれを望んでここにいるのですから」
「あら?
昔なじみってことは知ってるんだけど?」
俺は千代の半生を簡単に語った。
もちろん、俺が立てたギョロ目の看板の件も含めてだ。
「恩人?
優しい人?
そして実力、努力派の超エリート?
好きにならない方がおかしいわ?
わかりました、まずは長所を伸ばしていくことにしましょう?」
菖蒲が言うと、俺は頭を下げた。
俺たちは車外に出て、走り去っていく重厚な車に頭を下げた。
「ライバルは恋人以上… まさにその通りだなぁー…」と五月は感慨深く笑みを浮かべて言った。
… … … … …
家に帰ると、母が泣き顔で俺を出迎えた。
―― 知られたっ?! ―― と思ったが、母を泣かした相手はテレビの悲哀恋愛ドラマのようだ。
「どういうことなのか説明してくれないか?」
父がいきなり俺に聞いてきた。
夕飯の時は黙っていたのだが、寝るまでの時間が俺が家族との語らいの時間となっているからだ。
父は誰かに何かを吹き込まれたわけではなく、ニュースにより知った事実の真相を知りたいだけのようだ。
もちろん被疑者死亡で、裁判になることはないので、ただのニュースの真相として話しても何も問題はない。
「俺の良心…
いや、俺自身の常識的感情が話すことを拒んでいるんだ」
俺が言うと、「わかった」とだけ父が言った。
俺が話せないということは、ニュース内容はでまかせということだ。
俺が何か言っても言わなくても、ある程度の真相にはたどり着けるはずだ。
しかも、警視庁の頂点に近い者がことごとく更迭されている。
通常、このようなことは起こりえない。
俺は継野菖蒲について父に聞こうかと思ったが、ヤブヘビになりそうなのでやめた。
「黒塗りの大型車がまた来たよな?
家が少し揺れた」
父は少し笑いながら言った。
「ああ、優華の伯母さんが会いに来たんだ」
俺が言うと、『違うのか…』といった顔を父は見せた。
「…会いに来た?
誰に?」
「優華の伯母さんと言ったよ。
優華に決まってるじゃないか…」
俺が言うと父は、『それはその通り…』と思ったようで黙り込んだ。
ここまで話しても真相にたどり着けないということは、菖蒲と優華が伯母、姪の関係であることを知らないと俺は感じた。
だが、そんなことがあるのだろうかとも感じた。
優華の父母との親交は密だ。
だが、伯母が姪に会いに来られないほどに隠していることなので、話していないことも考えられる。
そもそもなぜ父はここに家を建てたのかが、今の俺の疑問だ。
確かに都心よりも土地は安いので、都心を離れることは当たり前のことだ。
「ところで、どうしてここに家を建てたんだ?
金持ちだから、都心でも構わなかったんじゃないの?」
俺が聞くと父は、「ああ、話してなかったな、元々ここは俺の両親の家があって建て替えしたんだ」と言った。
となると、菖蒲とは幼なじみであった可能性が高い。
しかし問題は、優華の両親がやっていた食堂がいつからあったのかが問題だ。
俺が物心ついたころからやっていたので、20年ほど前からは営業しているはずだ。
となると、菖蒲と幼なじみでないとしても、父と接触していた可能性はあると考えた。
しかも、優華を見て菖蒲を思い出さないはずがないのだ。
―― なるほど… ―― と俺は思って悟った。
父は平然とした顔をしているが、この話は母に知られたくないようだ。
だが、情報通の母が知らない可能性は低いと考えた。
母は面白いが愚かではないので、かなり重要なことは隠しているはずだ。
俺は賭けに出ることにして、「まさか、仮面夫婦?」と言ってふたりを見た。
「うっ!」「えっ?」と言って、ふたり同時に驚いた顔を俺に向けた。
「継野菖蒲さんは優華の伯母さんだよ。
現在の警視庁警視総監。
ジョーカーが爽花から優華に移動した」
俺が言うと、ふたりとも大声で笑った。
「父さんと菖蒲さんは多分幼なじみ」「そうだ」と言って父は認めた。
「優華と菖蒲さんはそっくりだけど、それは見た目と話し方だけ。
内面はまるっきり違う」
「その通り」と父が言うと、「妙な詮索してごめんなさい…」と母が父に頭を下げて謝った。
「まさに仮面夫婦だったな。
俺も黙っていて悪かった」
父も母に頭を下げた。
「だから俺が菖蒲さんにプロポーズされたんだよ…」と俺はかなり困った顔で言うと、「受けちゃダメッ!!」と母が本気で俺に言った。
父は、『やれやれ…』と言って顔で俺を見ている。
「もちろん丁重に断って、五月さんを勧めておいたから大丈夫だよ」
俺が言うと、ふたりとも大声で笑い始めた。
「母さんが優華のマネをしていたのは、夫に対する脅し…」
俺が言うと母は申し訳なさそうな顔をして、父は困った顔をしていた。
「まさに知ってるぞという…
俺が描いたギョロ目の看板のようなものだよな」
母は目と耳を同時に手のひらで押さえようと必死になっている。
俺も父も母の様子を見て笑った。
「あー、拓ちゃん、それでね…」と母がまた困った顔をして俺を見てきた。
「翔君に全て任せればいい。
脳ある鷹は爪隠す、だよ」
「えー…」と言って母は、少々頼りなげな翔の顔を思い出しているはずだ。
「人は見かけによらない。
爺ちゃんがみんなの前で直接翔君に命令するだけでいいんだ。
これほど簡単なことはないよ。
すると、翔君は化けるから。
だからこそ、
俺は話しのあう翔君といつも一緒にいたんだよ。
一番楽な話し相手だからね。
もちろん考え方もよく似ているし、三流大学出とは思えない。
翔君はそれも遠慮したんだよ」
母も父もそれを思い出したのか、「あー…」と言って納得の声を上げた。
翔は母の兄の子ふたりが二流大学にしかいけなかったので、さらに下の大学に進んだが、この大学では神童と呼ばれていたそうだ。
もちろん、従兄弟二人の耳にも入っていたが、三流大学なので気にもしていなかったらしい。
「優秀なのもわかっている。
すべては、母さんの兄さんのふたりの子供に遠慮しているからだ。
だからこそ、爺さんがそれを悟って命令してしかるべきなんだ。
そんなことくらいわかっていない爺さんは大したことないよ」
「あー、きっと今頃、お父様泣いていらっしゃるわ…」と母がとんでもないことを言った。
「盗聴はまずいだろ…」と俺が言うと、「はい、ごめんなさい…」と言って母は携帯電話を机の上に置いた。
テーブルの上に置かれた携帯電話は通話中になっている。
盗聴だがかなりわかりやすいなと思い、「いつから?」と俺が聞くと、「あ、私が話しかけて…」と言ったのでまだ数分間だけのようだ。
「爺さんの会社、ぶっ潰してやるっ!!!」
俺が大声で言うと、『…悪かった…』と小さな声が聞こえた。
まだ話しを聞いているようだ。
「本当にやりそうだから怖いな…」と父が言って少し笑った。
「うちの社も黙ってはいないようなんだ。
その証拠をつかんだよ。
あ、状況証拠だけどね。
この場合、脅しではなく本当に潰されると思うね」
母の携帯電話を見ると、今切れたばかりのようだ。
もちろん、これはかなりの情報通の課長の言動のことを言ったのだ。
「爺さんの件はもう終わりでいいはずだ。
最終的には、爺さんの会社に出向とか考えていたんだけどね」
「だがその場合、仕事に協力することになるじゃないか…」と父が言ったので、「その通りだよ。だけど俺がふいっと抜けたら?」と俺は意地悪く言った。
「誰にも対応できないことをやってからいなくなる。
業務が滞り、信用は失墜する…」
父は言って、真顔でうなづいた。
「悪いことは俺がいなくなることだけ。
ここに悪意はないからね。
ただの出向だから」
「とんでもない息子を持ってしまったな…」と父はうれしそうに言った。
「…もう反省したので、やめてあげて欲しい…」と母は俺に懇願の目を向けた。
銃を突きつけられたことは知られていないようなので、俺はほっとしてふたりにおやすみを言ってから自室にはいった。
この部屋には何もない。
ただただベッドがあるだけだ。
家では仕事は持ち込まない。
当然のようにパソコンを使う仕事がほとんどなので、ウイルスなどが怖いからだ。
この部屋は俺が寝るだけの部屋だ。
何かを考えているとすぐに寝られるのでいい環境だとも言える。
携帯は切ってあるので、誰にも邪魔されない。
―― まるでホテルだな… ―― などと思っているうちに眠くなるのだ。
… … … … …
翌朝、二階にある洗面所で身支度をして着替え、一階のリビングに降りると、なんと継野菖蒲が制服姿で朝食を摂っていた。
「何やってるんですか伯母さん…」と俺が困った顔をして言うと、「こちらのお宅の朝食の味見?」と言って笑みを浮かべた。
「優華だったらまるで我が家のように堂々と食事はしないだろ?」と俺が母に向かって言うと、母は超高速でうなづいている。
「電車の方が速いので」「最高速時速200キロオーバーだから?」
「俺を亡き者にしようとでも…」「そんなつもりは毛頭ありません?」
「一日のペースを乱したくないし、確実に渋滞に巻き込まれます」
「封鎖しましたっ?!」
「…なにやってるんですか…」と俺はかなりあきれてしまった。
「俺も同じようなやり取りをしたぞ」と父は新聞を読みながら言った。
「たまにはパターンを替えるのもいいんじゃない?」
「あー、もうお任せします。
理由は面倒だから」
俺が言うと、母はおろおろとしていた。
「優華の方がかなりいい子だろ?」と俺が母に言うと、また超高速でうなづいている。
かなりの悪口を言ったのだが、菖蒲はまったく気にしていなかった。
「年の差夫婦?」「ありえないことを言わないでください」
俺は怒るよりもあきれていた。
「俺、山東彩夏にも惚れられているんですよねぇー…
あそこの父ちゃんと母ちゃんはまさに強烈です。
警視総監程度など、鼻息で飛んでしまいますよ」
俺が脅しを入れると、さすがに今回は効いたようで、笑顔だがホホが引きつっていた。
「ああっ?!」と言って、菖蒲はあることを気づいたようだ。
「拓生君事件のっ?!」と菖蒲はここで初めて表情を変えて驚いている。
「俺がその事件の中心人物です」と、俺が認めると、菖蒲は頭を抱え込み始めた。
「警視総監、たった二日で終わり…
どこに天下りします?
あ、優華の店の警備でもいいんじゃないんですか?」
「食べて行けるだけマシだわ?」と言って肩を落とした。
「扱い、うまいなっ!!」と言って父は愉快そうに笑い始めた。
母は無邪気に俺にむけて拍手をしていた。
今日だけという約束で、俺と父は警視総監用のリムジンに乗り込んだ。
警備の二名の警官がかなり恐縮していたことをかわいそうに思えた。
「あれ?」と俺は言って菖蒲の右隣に座っている警官を見た。
「お久しぶりです」と見知った顔の警官が言った。
「敬語はやめろ。
ふーん、出世したんだなぁー…」
俺の大学時代の友人は、今は警部になっていた。
もう完璧にキャリア組の仲間入りだ。
「知ってて選んだわけではなさそうですね」と俺が言うと菖蒲は、「拓生君の弱点っ?!」と左を向いて旧友のわき腹を突き始めた。
「はいっ! 佐々木優華さんですっ!!」と姪の名前を告げられて、菖蒲は深く落ち込んだので、俺は少しだけ笑った。
敬語解除になったので、俺たちは少しだけ積もった話しをしているうちに、父の職場の裁判所に到着した。
「早すぎるな…」と父は少しクレームを言ってから手を上げて歩いて行った。
俺も確実に早いのだが、30分ほどなので、どうにでもなると思った。
「ああそうだ。
先日の病院の一件で、かなり大勢の警官が来てくれたんだけどな。
俺が警察と縁を切ると言ったら、
全員がすぐに振り向いて悲しそうな顔をしてくれたんだよ。
その詳しい感情を聞きたいんだけど、何か知らないか?」
俺が言うと、旧友は深くうなづいた。
「おまえは一種のヒーローなんだよ。
俺はそれほどの付き合いじゃないが、
ほかの者よりはよくわかっていると思う。
さらには学生時代にもトラブルに巻き込まれても
簡単に解決してたからな。
いわば、俺のようにおまえをわかっている者が
言いふらしていると言っていいな」
「いいふらしてんじゃあねえ…」と俺が言うと、「あやかりたいし尊敬したい人が欲しいじゃないか…」と言って正論を言われたので、俺は何も言えなくなった。
「愛の伝道師のようなマネはやめて欲しい…」と俺は逆に懇願することにした。
「あ、それは無理。
上司の愚痴を言う時は確実におまえの名前が出るから。
松崎だったらこう言ってくれるんじゃないか。
こんな指示を出すんじゃないかってな」
どうやら、俺の名前はかなり精神衛生的にはよくなっているようだと感じた。
「だが当然、反抗する者もいるだろ…
会ったこともないのに…」
「それは愚問だ。
次期首相のお気に入りだぜ。
それで全てがクリアになった。
今では反感を持っている者を探す方が難しいんだよ」
俺はあの強烈な父ちゃんと母ちゃんに操られているように感じた。
「あ、悪いんだけど、今日のドライブレコーダーの映像、
みんなに見せてもいいよな?
俺の自慢になるんだよ」
旧友はまたとんでもないことを言い出した。
「警視総監様の許可が出たらいいぜ…」
俺が言うと旧友はガッツポーズを取って、その警視総監は聞いているのだがすぐに許可を取っていた。
「あ、そうだ。
中途半端なやつがひとりいるぜ」
俺が言うと、「なにぃーっ!!」と言ってふたりの警官が腰を浮かせた。
俺はまるでマリア様だと、少しだけ思うことにした。
「犬塚千代」と俺が言った途端に、ふたりの警官は頭を抱え始めた。
できれば意見したかったようだが、さすがに無理と判断したようだ。
「千代とは子供の頃からずっとライバルだったからな。
今もそうだぜ。
一般人の俺なんかよりもよりも千代を敬った方がいいと思うな」
「気性が荒すぎるんだよ!
まあもっとも、民間の犯罪心理学者の時に、
何件も事件を解決してるからな。
まあ、俺としては、
おまえの名前を出せば何とかなると思ったからいい」
「他力本願だな…」と俺が言うと、みんなから失笑が漏れた。
なかなか楽しい時間を過ごして、俺は菖蒲に礼を言ってから車を降りた。
近くのカフェに行こうかと思ったら、そのカフェで俺の同僚たちが俺を見ていることに気づいた。
弁解はしないが、一応説明しておこうと思い、カフェに足を向けた。
始業10分前に出社して、俺の席についた。
カフェでは穏やかに会話が進んで納得してくれたのでほっとしていた。
パソコンの電源を入れて立ち上がってすぐに、売り上げ報告が来ていることに気づいた。
本当ならはあと一週間ほど先はずだがと思い開くと、彩夏の宣伝した調理器具の半数が完売したようで、予約生産することになったようだ。
その予約もかなりの量なので、わが社としてはもうすでにコマーシャル製作費を回収できたことになる。
予約分の方が多いので、わが社としては申し分なく潤うはずだ。
さらには、彩夏が提案した調理器具も開発が進んでいるようで、監修として彩夏の名前を連ねることになっている。
もうこれだけで、調理器具部門は業界トップになったといえる。
よって、販売店へのプレゼンテーションの必要がなくなってしまったので、本来のプロジェクトに集中できることになった。
わが社の次なる狙いはエネルギー問題だ。
現在は別会社で販売している太陽光発電設備のリニューアルを手がけることになった。
太陽光発電のシェアはまだまだ低い。
このプロジェクトには、軽量化、効率化、安価が要求される。
パネル自体は外注しているものなので、少々高いものになる。
よって、製造会社ごとわが社の取り込むことはすでに決まっている。
まさか、幼少の頃から大学まで一緒に通った赤木とここでともに働くことになるとは思わなかった。
俺は、広報、営業、さらに技術も担当することになった。
わが社ではふたつの業務を担当することは当たり前だ。
だがさすがに三つは厳しいのだが、このみっつをクリアすれば、俺ひとりで動けることになる。
出張費などの経費節減にもつながるのだ。
そうすればわずかではあるが製品の価格を抑えることも可能だ。
俺は技術部のファイルを開き、今日の講習会の予習をすることにした。
俺の同僚たちは俺の行動をあまり賛成してはくれない。
コミュニケーションを取る時間がさらに制約されるからだ。
だが俺としては、俺自身の可能性を試したい。
よってできれば、警察のアウトソーシングは遠慮願いたいところなのだ。
わずかな時間でも、俺の寝室を勉強部屋に戻したいと思ってやまない。
だが、その依頼が入っていた。
俺はため息をつきながらファイルを開いた。
何か面倒ことでもあるのかと思い依頼書を読むと、『警視総監室』とだけ書いてある。
これは面倒ではないが時間の無駄だと思い、理由を添えて拒絶した。
選択義務は基本俺にあるので、上司もあまり文句は言わない。
何かの事件の事情聴取であれば喜んで引き受けたいところだ。
山田の一件で、俺は大いに成長したと感じているからだ。
時間が来たので技術部に向かおうとすると、なんと社長が姿を見せた。
「あ、松崎君。
今から講習会だよね?」
社長は妙に低姿勢で俺に言ってきた。
「はい、今の私にとって技術面を大いに養うことが
使命だとと思っていますので。
警視総監ごときの話し相手になっている暇はないのです」
俺の言葉に社長の顔色が一変した。
「しかも、今回の警視総監に負い目はありませんので。
敬語も使う必要はないのかもしれないと思っていたところなのです」
社長は今度は妙な汗をかき始めた。
「ですが、わが社のためになるのであれば、
詳しい内容を教えていただきたいのです。
もし、私自身のステップアップにつながるのであれば、
多少の無理は利きますので」
社長はぼう然としているだけで、何も言わない。
「あの、そろそろ時間ですので…」と俺が言うと、「邪魔をして申し訳ない…」と言って道を開けてくれた。
俺は逃げるようにして廊下を歩いた。
何か問題があるようだが、俺には話せない事情があるようだ。
もし、会社の利益につながるのであれば、その理由を述べてくれるはずだ。
よって今回の件は、菖蒲のただの欲だと俺は感じた。
そして多少の脅しをかけてきたのだろう。
優良会社に対して脅しをかけるとはけしからんと思い、俺は憤慨した。
… … … … …
仕事を終え、少々込み合っている電車に乗ると、また妙な胸騒ぎをを感じた。
きっとまたつけられているのだろうと思い、一応注意は払って気を引き締めた。
しかし、変わったことは何もなく、駅に到着した。
ホームに下りて俺は数秒間だけ走った。
『バタバタ』と足音が聞こえたので、やはりつけてきているようだが、俺は平然として帰路についた。
まだつけてきている気配があるので、事情を聞こうと思い、いつもは曲がらない道を曲がって待ち構えた。
すると、男がふたり、路地を覗いてきた。
「何か用ですか?」
俺が言うと、ふたりは慌てた様子だが、立ち去る意思はないようだ。
「松崎さん、申し訳ありませんっ!!」と俺はいきなり謝られてしまった。
このふたりは刑事たと感じた。
当然非番なんだろう。
俺に尾行を見破られなかったら優秀、などと仲間たちを話しをしていたのかもしれないと漠然と思った。
さらには、俺が警視総監にも苦情を言うことになれば、相手の思う壺だとも感じた。
「誰の命令ですか?」と俺が聞くと、「はい、刑事課長です」と背の高い方の刑事が答えた。
「何のために?」「私たちも知らされていません」
ふたりの刑事は顔を見合わせて、バツが悪そうな顔をしている。
「当然報告するわけですけど、尾行失敗と」と俺が言うと、かなり困った顔をしている。
「クレームをつけたいところなんですけどね、
ヤブヘビになるんですよ。
ですがもし、あなた方が俺の敵だと判断した場合、
防御体制を取ることもやむ終えません。
さらに言えば、警察ではなく別の誰かに付け狙われているなどの
事件性がある場合などと、
私はさまざまなことを考えておかなくてはならないのです。
理由のない尾行などは慎んでいただきたいと、
猛烈に抗議すると帰ってお伝えください。
また同じようなことがあった場合、
警視庁よりも上の部署に進言することになりますので」
俺が懇々と語ると、ふたりは観念したのか、警視総監からの挑戦だったと自白した。
俺はふたりに同情してから帰ってもらった。
腹は立つが、言わぬが華と思い、俺は家の玄関をあけた。
退屈そうな母に意味なく尾行されたことを告げると、「人気者ねっ!」と、妙に楽しげに言われてしまった。
―― こうあるべきなんだろうか… ―― と俺は思い、少し思い直すことにした。
「あっ! 翔君だけどね、化けたんだってっ!!」と母はわが事のように喜んだ。
「それでよかったんだよ。
次期社長は翔君に決まりだね」
俺が言うと、母は落ち込んだ。
まだ何かあるのかと思ったら、今までの事を謝ってきたのだ。
もう終ったことだからいいと言うと、母は喜んだ。
父か帰ってきたので夕食を摂る。
これが我が家のしきたりだ。
さらに、基本的には会話はない。
時折、母が面白いことを言うだけの時間だ。
だが今日は違った。
「小耳に挟んだんだがな」と父がここまで言って俺はすぐに理解した。
「丸椅子の件かなぁー…」と俺が言うと、「そうだ」と父は少し怒った顔で俺に言った。
「言うべきことじゃないと思ってね。
さらに言ってしまえば、全てを語る必要がある。
さすがにそれはできないからね」
「これからは俺にだけは報告しろ」と父は威厳をもって言ってきた。
「わかったよ…」と俺は父の命令に従うことにした。
「…私、聞いちゃいけないの?」と母がかなり悲しそうな顔をして父に顔を向けている。
「卒倒するからダメだ」と父は少し口角を上げて言った。
「…卒倒したくないから聞きません…」と母は肩を落として言った。
「さらに言えば、次にあった場合、訴えを起こすことに決めた。
もうすでに、警視庁宛に抗議文を渡してある。
もちろん警察庁と法務省にもだ。
少々大事になったが、わが子を守るためだ」
「…うう、ますます面倒なことにならないだろうね…」と俺が言うと、「その時はその時だ」と父は言って、ここでようやく俺に笑みを向けてくれた。
「父の愛、ありがたく」と俺が言うと、父は威厳をもってうなづいた。
「できのいい子を持つと親は大変だ。
よく覚えておけよ」
「そうだね。
その時に本当に父さんの気持ちがわかると思う」
「そうだな」と父は薄笑みを浮かべて言った。
「優華の伯母さんにもいい薬になってくれたらいいんだけどね」
俺は言ってから、帰りにあった尾行の件を話した。
「ストーカーだな…」と父は言ってから鼻で笑った。
「謝罪を、などと言って会おうとする」と、俺が言うと父はすぐに電話を取ってかけ、猛然たる勢いで声を荒げた。
もちろん相手は警視庁警視総監だ。
「お父さんが本気で怒っていらっしゃるわっ!!」と母が言って震え始めた。
―― この本気の怒りも父の愛… ――
俺はしっかりと覚えておくことにした。
俺のオアシスに行くと、なぜかブラックボックスになっていた。
俺がいないのにこうなっているということは、ついに一番の大物が来たということになる。
―― また父さんに甘えるかぁー… ―― などと思ったが、まずは相手をしようと思い、店に入った。
ブラックボックスはSPで囲まれていて、扉の前にいた優華がかなり困った顔をしていた。
そして俺に気づいて駆け寄ってきた。
「彩夏の?」と言うと、「あははは?」と言って笑った。
俺たちの指定席に入ろうとすると、「ボディーチェックを」と言われたので、「ふざけんな」と俺は言い返した。
相手がひるんだ隙に部屋に入った。
「待てっ!」と言われて肩をつかまれたので、俺はすぐに男の足を踏んづけた。
「…弱ええ…」と言ったと同時に、かがんだ男の首に足の裏を落とし、床に大の字にした。
「てめえらはゲストだ。
偉そうな顔してんじゃあねえっ!!」
俺が叫ぶと、また銃を突きつけられた。
今度は五丁ほどあった。
しかし威嚇なので、怖くも何ともない。
「あーあ、やっちまった…
あんたらの雇い主、終ったな…」
俺は言って、ぼう然としている彩夏の父親と母親を見据えた。
俺にはかなり荷が重い相手なので、やはり父に登場してもらおうと思った。
「松崎最高裁判所判事が、国会に対して抗議文を発行することになる。
あんたら、強制的に総辞職になるぜ」
俺がすごんで言うと、「…ああ、すまん、本当に申し訳ないことを…」と、彩夏の父、山東昭文が言った。
「俺に謝っても無駄だ。
今度銃を突きつけられたら訴えを起こすと息巻いていたからな。
あんたがどれだけ偉くても、俺の親父にはかなわねえ。
それに、まだ突きつけたままだ。
前は指を折ってやったが、今度は命をとってやろうかっ!!」
俺が言うと、昭文は素早く立ち上がってSPに銃を下ろさせた。
「今日は出て行けよ、おっさん」と俺が言うと、昭文は素早く頭を下げてSPを引き連れて部屋から出て行った。
俺はすぐに彩夏を見た。
彩夏は俺を見つめたまま固まっていた。
「嫌われてはなさそうだな…」と俺が言うと、優華は笑顔で俺を見上げた。
「あ、一応伝えておこう…」と俺は言って、父に電話をして、ここであった顛末を話した。
『この国を変えてやろう…』と父は言って電話を切った。
「親父が本気で怒ったぜ。
あ、叱られたのは優華の伯母さんな」
俺が言うと、「減点?」と優華は言って悲しそうな顔をした。
「優華のせいじゃないから減点はないぞ」と俺がうと、優華はほんの一瞬だけ俺に抱きついた。
「人の話も聞かず、ズカズカと上がりこんだ」と俺が言うと、優華は小さくうなづいた。
「彩夏は抵抗したが言うことを聞かなかった」と言うと、優華はまた小さくうなづいた。
「ガキ大将の駄々っ子だよなっ!!」と言って、俺は彩夏を見た。
彩夏はまだほうけていたがやっと我に戻って、「かっこいいっ!!!」と言って俺に抱きつこうとしたが優華が素早く止めた。
「ここは俺たちの予約席だからな。
たとえ誰であろうとも、呼んでねえ者は入れさせねえ」
すると、テレビのニュースで第一報が流された。
国会議員の山東昭文が不法占拠をした容疑で緊急逮捕されたという内容だ。
まさにその通りなので、この訴えは退けることはできないはずだ。
「さらに、武器を持たない者に対して銃を抜いた。
これもかなり問題になるな。
また警視総監の首が飛ぶだろう」
「それでいいもんっ?!」と言って優華は笑みを浮かべていた。
「ここの警備に雇ってやれ」と俺が言うと、「うんっ?!」と言って優華は俺を見上げて笑みを向けた。
すると、五月が血相を変えてこの部屋を目指して走ってきた。
私服警官も数名いる。
俺たちは警察の事情聴取を受けることになった。
「調子に乗ると罰を喰らう。
自分の天下だと思っていたんだろうが、まっさかさまに転落だな。
おっと…」
五月はすぐに口を閉ざして彩夏を見た。
「別に構わないわよ。
少しは懲りたと思うから」
彩夏は平然とした顔で言った。
「弱いSPをひとり倒したんだけど…」と俺が言うと、「反乱軍のひとりだから問題ない」と言って五月が笑った。
五月の言葉を聞いて、彩夏は飛び上がって喜んでいる。
「しかし、銃を抜いたことはいただけないな。
まさに規則に反しているから、また警視庁は騒がしくなる。
伯母さん、大反省中だろうな」
五月は言って優華を見たが優華が笑みを浮かべていたので問題ないんだろうと思ったようだ。
「だが、屈強なSPをそう簡単に倒せるはずはないんだけどな…
ちょっと再現」
五月の言われるままに、俺はその再現をスローモーションのようにした。
「あ、実際と同じ速度で動いてくれ」
俺は靴を脱いでから、実際とは違うが、かがんでいる五月の右足を踏みつけるマネだけをしてすぐに、右足で五月の首を軽く踏んだ。
「おいおい、同時に感じたし、足、硬いな…
空手でもやっていたみたいだ。
やっていたのは陸上だけだよな?」
「ええ、そうです。
実際はさらに早かったかもしれませんね。
俺が怒っていた分」
五月は俺の言葉に少しだけ笑った。
「確かに、ここは君たちのオアシスだからな。
不法占拠されて怒って当たり前だ」
五月たちは俺たちへの事情聴取を終えて帰っていった。
ここで困ったことに気づいた。
山東彩夏の両親が逮捕されたことで、わが社の調理器具の売り上げが激減するのではないかと懸念された。
今後の報道で、『山東彩夏の父母逮捕』などと見出しをつけられるとかなりマズい状況になる。
ワイドショーであれば必ずやって来るだろう。
しかし彩夏の場合は親の七光りをまったく利用していない。
よって、先に防御策を立てることが愚につながることもある。
さすがに俺ひとりでは判断しかねるので、課長に電話をして全てを報告した。
『松崎君、本当にすごいなぁー…
驚いちゃったよ…』
課長の少し間の抜けた声が聞こえた。
「本気で怒っていたので…
さすがに私の大切な場所にズカズカと
土足で上がりこまれて怒り狂っていましたから」
『そりゃそうだ。
報道関係と製品予約状況の確認をした上で対応することにしよう。
先に動くとヤブヘビになりそうだからね。
後は任せておいて欲しい』
俺は課長に礼を言ってから電話を切った。
―― やはり上司だな… ―― と思い、俺は課長をかなり見直した。
電話の内容から察して、彩夏は申し訳なさそうな顔をしていたので、俺は笑みを向けた。
「先には動かないから。
だか、社から言いわけの記者会見を要求されることもあると思うので、
コメントを考えておいて欲しいんだよ。
女優としてのアピールをふんだんに盛り込んでくれてもいいぞ」
俺が笑顔で言うと、彩夏は安心したようで笑顔だけで返してきた。
パソコンを開いて、山東昭文夫婦逮捕の報道についてSNSを確認していると、やはり彩夏の父であることを示唆したものが多くあった。
しかし全てが彩夏に同情的だった。
『子供の足を引っ張る親はけしからん!』といった内容のものが多い。
『五丁の拳銃突きつけられって、ありえねえっ!!』といった内容のものが彩夏の書き込みよりもかなり多い。
『例のタクナリさんじゃね?』と、ここで真相にたどり着き、『タクナリさん』はヒーローと化していた。
だが、これは逆にまずいのではないかと、俺は苦笑いを浮かべた。
俺は千代と五月に頼んで、ふたりの同僚たちの動向を探ってもらうと、やはり多くの警官がSNSに書き込んでいたようだ。
精神衛生上あまりよくないと感じたので、もうこれ以上の情報収集はやめて、心静かに友人たちと会話を楽しむことに決めた。
翌朝、俺は彩夏に張り付くことが仕事になった。
「これがデートだって言うんじゃあねえだろうなぁー…」と彩夏はマネージャーの前で男らしく俺に言った。
マネージャーは少々驚いていたが、演技の練習だと思ったようで笑みを浮かべている。
「俺は仕事だからな。
休みじゃないからデートじゃないな」
「そうかぁー、だったらいいんだぁー…」と彩夏は言って俺にニヒルな笑みを向けた。
マネージャーは彩夏に向けて笑顔で拍手をした。
俺にとってはいつも通りだが、知らない者が演技だとして見ると、まさに絶賛ものなんだろうと思い、俺は笑みを浮かべた。
記者会見の会場は、コマーシャル撮影をしたショールームを臨時休館として席を設けた。
今日は彩夏の初舞台だと俺は思い、思ったままを彩夏に伝えた。
彩夏はほんの少しだけ緊張したが、ほぼいつも通りだ。
記者会見を開くことになったのは、思ったよりも予約のキャンセルが少ないと判断して、先に手を打つ手段に出ただけだ。
そして彩夏の誠意を見せることにより、予約のキャンセルをできる限り防ごうというものだ。
よってわが社は、山東彩夏を切るつもりはさらさらないことがよくわかる。
セッティングは俺の同僚たちの手で全て終っていた。
司会進行だが、通常であれば半分以上お詫び会見なので、言葉の柔らかい女性社員が行なう。
しかし、謝る者が女性なので、男性が司会を担当することになった。
ゆずりあいの結果、俺が担当することになってしまった。
だが、顔と名前が知られるのもどうかと思ったが、「堂々と」と課長たちに言われたので、いつものプレゼンテーションと同じテンションでこなそうと思い、ひとつ気合を入れた。
彩夏が考え事をしていたが、「司会進行は俺な」と言うと、彩夏は満面の笑みを俺に向けた。
しかし、目じりを下げて、「いいの?」と少し心配そうな顔をして聞いてきた。
「課長に、堂々と、と言われたからな。
いつもやってることだし、
今回も同じ気持ちですることに決めた。
テレビカメラが入っていないことだけ、助かったかもしれないな」
だが、わが社のテレビカメラは回っているので、この映像も商売として使うのだろうなどと考えた。
彩夏は笑みを深めて、いい顔を俺に向けてくれた。
「どうせ、拓生さんを連呼するんだろ?」と俺が言うと、さも当然のような顔をして、「そんなもん当然だろっがぁー…」と彩夏は男らしく言った。
俺は少し笑ってから、「じゃ、本番な」と言って、彩夏の肩に素早く手を置いてから移動した。
いつも大道具室に転がしていた舞台にゆっくりと上がった。
「本日はお忙しい中、
お集まりいただきましてありがとうございます。
マナフォニックス、広報営業部所属、松崎拓生と申します」
この時点で、記者たちの『タクナリ』呟きが始まった。
「先日、ご紹介させていただいたばかりの
わが社の一員である山東彩夏の父母が、
昨夜逮捕されました件で、
ご説明とお詫び、さらには今後の動向について
お話しさせていただきます。
すべては、山東彩夏に一任いたしておりますので、
どうか、ご静聴くださいますよう、
なにとぞよろしくお願いいたします」
俺が話し終わると、俺に向けてフラッシュが向けられたが、俺の目の前には特殊偏光ガラスを立ててあり、俺の顔は写らないようになっている。
よって、デジタルカメラをチェックした記者たちが、怪訝そうな顔をして俺を見ていた。
これは今回だけのことではない。
ただの一社員なので、許可なくしての顔出しはご法度という意味のものだ。
しかし、フラッシュを照らさずに撮ることはできるが、誰だかよくわからない写真となる。
―― 明日は、俺の幽霊写真が、新聞記事を飾りそうだ… ―― と思って少しだけ笑った。
早速彩夏が現れ、舞台中央で深く頭を下げた。
本人が何かしたわけではないので、頭を下げるのは短めでいいとだけ伝えておいた。
彩夏はフラッシュの雨のピークになって頭を上げた。
頭を下げていたのは三秒間ほどだ。
きっとこれは彩夏の計算だと感じた。
「私の父母が大変な罪を犯してしまいました。
ご迷惑をかけてしまった関係者の皆様、
本当に申し訳ございませんでした。
さらには、当社の重職についた私の父母が
私の足をひっぱるとは思いもよりませんでした。
私から勘当を申し付けようかとも思いましたが、
今回に限り許すことにしています。
父は私にとっていいことをしてくれていたからです。
拓生さんに向け私を託すと…」
ここで、さらにフラッシュが彩夏を照らした。
「拓生さんは私の全てですっ!!
心から愛していますっ!!」
彩夏の心からの叫びに聞こえるが、かなり演技くさいと俺は感じた。
そして彩夏の顔は愁いを帯びた。
「…ですが、ライバルがいるのです…」
彩夏がつぶやくような小さな声で言うと、記者たちは一斉に前のめりになった。
もうすでに、記者たちは彩夏ワールドに引き込まれていると感じた。
彩夏は、恋の苦労を大いに語り、さらには新製品の説明のあと、忘れかけていた父親の犯罪について語り謝罪した後、深く頭を下げて記者会見は終了したはずだった。
打ち合わせではこれで終わりだったはずなのだが、彩夏は顔を上げてから、「みっつだけ、質問に答えちゃうわよっ!!」と魔法少女風にアニメ声で言った。
笑うのもそこそこに記者たちの手はすぐに上がった。
「うーん、誰にしちゃおっかなぁー…」と彩夏のアニメ声はまだ続いている。
「おう、あんた。
そうそう、気の弱そうなあんただ」
彩夏が少しだけワルの口調で言うと、会場には軽い笑いが起こった。
「私の一番の注目点は、タクナリさんのことです。
そちらの司会の方ということでよろしいのでしょうか?」
「秘密だぁー…」と彩夏が悪ガキっぽく言うと、さすがに猛烈なブーイングが起こった。
「それって、プライベートなことですよね?
今回は謝罪会見ですので、返答いたしかねます」
彩夏が少し早口の若いOL風に言うと、それもそうだと思ったのか、記者たちの半数ほどは黙り込んだ。
「それに怒ってる人、大人げなぁーい…」と彩夏は記者たちを茶化し始めた。
該当者がさらに怒り始めたが、黙っていた者たちからは笑いが起こっている。
怒っている者は芸能記者で、笑っている者は事件記者だ。
罪を犯したのは確かに彩夏の親だが彩夏自身ではない。
本来ならば謝る必要はないのだ。
記者会見を開いただけでもありがたいと思っているのは事件記者のようだ。
同じ記者会見を見ていても、記事の違いがはっきりと現れるはずだ。
「はい、次の方」と言った声は彩夏のいつものものだった。
「質問はあと二つですので、よく考えてお話しください」
彩夏が言うと、「えっ?!」と言って記者たちはかなり驚いている。
「では、こちらの紳士の方」と彩夏は一番近くにいた、お硬そうな事件記者を手のひらを上にして差した。
「ありがとうございます。
明光新聞社会部の斉藤です。
…語られていないことがあると思ったのでお聞きしたかったのです。
今回の事件で警察に通報されたのはどなたなのでしょうか?」
さすがに事件記者で、彩夏の話した内容をしっかりと聞いていたと俺は感心した。
「実は、その件についてはあまり話したくなかったのです。
ですが、きちんと私の会見を
聞いていただいてくださいましたので…」
彩夏は言って、メモ用紙に素早く何かを書いて記者に渡した。
「あなたのご自由に報道してくださって構いません。
私はあなたの善意に期待しています」
記者はメモの内容を見て驚いた顔をした。
そして俺を見て、素早く頭を下げた。
「わかりました。
本当にありがとうございました」
記者はまた丁寧に言って、彩夏に頭を下げた。
彩夏は正面を向いて、「では最後の質問です」と彩夏が言うと、事件記者しか手を上げなかった。
芸能記者はきっと当てられないと思ったようだ。
よって当然、騒がしくなる。
「てめえら芸能記者には用はねえんだ、とっととけえんなっ!!」
彩夏はかなり怖そうなそれなりの姉さん風に声を荒げた。
少々彩夏が怖かったようで、浮かした腰を下げ始めたが、まだ黙るつもりはないようで、あおるような発言をしているようだがよく聞こえないので意味はなかった。
「では、最後の質問は、こちらの方」と彩夏は前から二列目にいる、どう見ても駆け出しの女性記者の肩に手を置いた。
「えっ? えっ?」と言って、女性記者は驚いている。
手を上げていたのだが、まさか当てられるとは夢にも思っていなかったようだ。
「がんばって」と彩夏が言うと、「あ、はいっ!」と言って、爽やかな声で答えた。
「山東彩夏さんの演技、
本当に素晴らしいと私、感動しましたっ!!」
女性記者は大声で言って、やっと落ち着いたようだ。
そしてひとつ深呼吸をしてから、「東北プラネット新聞、社会部の神足あずさですっ!」とあずさははきはきと発言した。
―― 東北? ―― と俺は思い、少々込み入った質問をするのではと感じた。
「私、ある方から、
地元で起こった連続強盗傷害事件の捜査協力者に、
タクナリさんがいたはずだと聞いていたのですっ!!」
あずさはかなり興味深いことを言った。
どこからの情報なのかかなり気になった。
話したのは千代ではない。
警察関係者が話すはずがない。
よって仲間の記者の予想か一般人ということになる。
彩夏は俺を見ていた。
そしてすぐに、あずさに顔を向けた。
「その情報を教えてくださった方、
もしよければ教えていただきたいんですけど…
あ、実名でなくてもいいのです。
見た目や雰囲気だけでも」
「はいっ! 私のお父さんですっ!!」とあずさは言って、満面の笑みを浮かべた。
―― 神足っ!! ―― という名前と合致して、ようやく思い出した。
きっと俺は笑みを浮かべたことだろう。
彩夏が俺を見たので、小さくうなづいた。
「ひょっとして、お父さんは警察官?」と彩夏が言うと、「あはは、はいっ!」と言って誰なのかはっきりとした。
最近再会した、刑事の神足だ。
今は警視庁にいるが、新聞記者にもらしてもいいのだろうかと俺は疑問に思った。
「今の質問には答えちゃダメじゃない…」と彩夏が困った顔をして言うと、「あっ! そうでしたっ!」と言って彩夏に頭を下げた。
事件記者たちは失笑を漏らしたが、軽蔑のものではなく、懐かしく思っている者がほとんどだった。
誰もが駆け出しから始まっているからだ。
「でも、今回の事件と何か関係があるのかしら?」
彩夏が言うと、「ありませんっ!」とあずさが清々しい笑顔で言った。
「あなた、なかなかやるわね…」と彩夏は少しあずさをにらみながら言った。
「あはは、ごめんなさい…
お父さんが知りたいって…
できれば協力したくって直接お聞きしたくって…」
「お父さんが直接聞けばいいじゃない、よく吼える小型犬に…」
「あはは、怖いって…」
「…コードネーム?」などと言って事件記者が騒ぎ始めた。
「確かに、父の犯したことは私にとっても、
あの建物の持ち主の優華ちゃんにとっても、
拓生さんにとってもショッキングな出来事でした。
しかし、事件としては大したことはありません。
ですが今回の件を大事にしたのは警察官です」
警視庁警備部警護課では大問題となって、銃を抜いた者は、当然だが懲戒処分を受けたそうだ。
「その記者会見場で、
会見が行なわれていない事件の裏を探ろうとは、
あなた、なかなかの狸ね」
彩夏が言うと、あずさは一瞬だけ舌を出しておどけた。
彩夏はあずさに顔を寄せて、何か言ったようだ。
彩夏が離れると、あずさは彩夏に笑顔で頭を下げた。
「ほかにはないのかな?」と彩夏があずさに聞いた。、
「一般人がセキュリティーポリスを倒すなんて
信じられないんですけど、
よろしければ再現していただきたいなぁーって…」
「おおー…」と言って事件記者からは拍手が起こった。
俺を拘束しようとした者を倒したとだけ、第一報の警察からの会見では語っていた。
その詳しい内容を知りたい気持ちはよくわかる。
「私、正面から凝視していたから。
これも女優としての、私の試練…」
彩夏は言ってから、あずさと打ち合わせをして、あずさにSP役になってもらった。
体感した方がよくわかるかもしれないが、首を踏むんだろうかと思っていたら、彩夏の口がスタッフに向けて、『ヘルメット』と動いていた。
すぐに同僚が、柔らかいタイプのカスクを持ってきた。
さらには柔らかい大きなマットが敷かれた。
「まずは、基本的な動きをゆっくりと」と彩夏は言って、スローモーションのようにゆっくりと俺が繰り出した攻撃のマネをした。
「では、実際の速さで。
だけど、その速度は私では無理なので、
さらに速いと思っておいて下さい」
彩夏は一瞬のうちにあずさを床に寝転ばせ、「…弱ええ…」と小さくつぶやいた。
「おおおっ!!!」と記者たちは大いに沸いた。
「私、最後のひと言にしびれちゃいましたっ!!」と彩夏が言うと、記者たちは一斉にうなづいた。
「拓生さんは中学高校大学と陸上競技をしていました。
大きな大会には出ていたのですが、際立った成績は残していません。
ですが、今、本気で走ると、きっとオリンピックにでも
行けるほど早いと思っています。
場数を踏んだ若い刑事の尾行を、
あっさりとかいくぐるほどですから。
先日は、頭を使って刑事の尾行を見破っています。
警察は、拓生さんを欲しがっているのです。
推理力と体力を兼ねそろえている拓生さんは
汚れ切っている警察の救世主となるはずなのです。
ですが拓生さんはお役所勤めを拒みます。
外からアドバイスした方が自由が効くからです。
さらには、拓生さんのお爺様からもラブコールがあったのです。
お爺様は誰もが知っている大会社の社長です。
拓生さんはその要請を簡単に断り、
拓生さんの代わりの親族を指名したのです。
今は、その方が中心となって会社が動き始めたそうです。
拓生さんはまだ不十分だと、
このマナフォニックスでさらに力を付けようと努力しています。
そうなのです。
拓生さんの周りにいる人々は、
努力して伸びるタイプの人ばかりなのです。
これは、私たちの父の時代から続いていることなのです。
今、拓生さんは驚いていることでしょう。
私はパティシエをしながらも、この事実を知ったのです。
ですが、やはり休息する時間と場所が必要なのです。
その場所を、私の父母が踏みにじった…
本当に情けないやら恥ずかしいやら…
政治家なんて偉いことなど何もないのです。
ただただ口が立つだけなのです。
私のお友達の家族のように、立派な父母が欲しかった…」
彩夏は本当に俺を驚かせてくれた。
一番の情報通は実は彩夏だったと思い、俺は納得の笑みを浮かべた。
「本日は、貴重なお時間を使っていただきまして
本当にありがとうございました。
この先も、まだまだ努力して、
いい製品を造り続けることをお約束いたします。
今後もマナフォニックスを、どうかよろしくお願い申し上げます」
彩夏があいさつを終えると、万雷の拍手が沸いた。
「本日はご足労いただきまして、誠にありがとうございました。
どうか、お気をつけてお帰りくださいませ」
俺は締めを語り終えて、頭を下げたまま真後ろにある暗幕をくぐった。
「…消えた…」という声がところどころから沸いて、『パシャパシャ』とシャッター音が聞こえた。
俺が退席する瞬間を狙って写真を撮ろうとでも思っていたようだ。
だが、俺の知り合いから俺の顔写真を入手することは可能なので、近々週刊誌にでも載ることだろう。
俺としては特に防衛策は考えていない。
警察のストーカー行為を振り切るように、自分の足で逃げることに決めている。
… … … … …
記者会見が終って、終業の時間にはまだ早かったので、社に戻って仕事をすることに決めた。
正面から出ると、確実に記者に捕まるので、非常口からこっそりと出てから小扉を開けて外に出た。
もちろん裏口も張られていると思ったからだ。
さらには同僚たちが俺の援護をしてくれていた。
同僚たちが囲んでいる中心に俺がいるという芝居だ。
俺は裏道を走り、誰もいないことを確認して堂々と社に戻った。
職場に入り、席につくと、興味津々で俺を見ていた。
「一部始終は映像として撮っているから、公表されると思うよ」
俺が言うと、同僚たちは安堵の笑みを浮かべて各々の仕事を再開した。
調理器具の予約状況を見ると、やはりぱっとしない。
だがキャンセルがそれほどでもないので、問題ないだろうと感じた。
記者会見の映像を流せば取り戻せるはずだと確信した。
しばらくしていつもの仕事をしていると、また委託業務のメールが来た。
やれやれと思いながら開くと、今回は詳細な業務内容が載っていた。
警視庁で捜査二係の取調べの立会いをして欲しいようだ。
現在、鉄鋼がらみの収賄事件が持ち上がっていることは知っている。
きっと、その件だろうと思い、期間を見ると、三日後からとなっている。
時間は退社後から一時間だ。
取調べがいつ終るのかわからないので、終る日は指定されていないのだろう。
しかし、契約としてはこれはまずいのではないかと、意見書を書いて送り返した。
前回の山田の事情聴取は、7日間ごとに期限を切って契約していたのだ。
何か意味があるのかと思い、少しだけ考えた。
―― 三日後からずっと警察に行け… ―― と俺は考え、対策を練ることにした。
社長は警視総監の傀儡となったようだと考え、できれば俺の味方になってくれそうな重役を探った。
部長までなら多少は把握しているが、その上となるとさすがに困難だ。
よって、部長を頼って紹介してもらうことに決めた。
だが急ぐ必要があるので、まずはやはり課長に相談する必要がある。
考えていると、送り返したメールの返信が来た。
変わっている部分は期間だけで、三日後から一週間となっていた。
ただの手落ちかと思ったが、その理由は書かれていない。
手落ちではなく計画的なものだと俺の勘が言った。
終業時間になってすぐに、俺は課長の席に行った。
「ずっと警察に派遣されそうな予感があるんですが…」とまず言って、その証拠を課長に見せた。
さらに、社長は警視総監の傀儡という予測も告げた。
課長は、「うーん…」とうなり声を上げて、受話器を取った。
どうやら相手は広報部長のようで、ことの次第を話している。
「悪いが、しばらく待機してくれないか?」といつになく真剣な顔で課長が言った。
俺は快く承諾して席に戻り、予約状況の確認を行なった。
すると、とんでもない事態が起こっていた。
商品の予約数が当初の倍に膨れ上がっていたのだ。
確実に記者会見の映像を流したと思い、広報の宣伝映像を見ると、一時間前にアップされていた。
映像の時間は30分ほどに編集されている。
素早く内容を探ると、前半と後半の部分だけピックアップされているように感じた。
「おいおい、すごいな…」と伊藤が俺のパソコンの画面をのぞき込んで言った。
「もう調理器部門は安泰ですね」と俺が言うと、伊藤も笑顔でうなづいた。
「あ、なるほどな」と言って、俺が今見ている画像を見て言った。
「一番肝心なところだけピックアップして配信したようです。
これだと、テレビ局よりも情報提供は早いですから。
興味がある顧客は待ったいたはずです」
「便利な時代、万々歳だなっ!!」と言って、俺の肩を叩いて退社して行った。
伊藤が何も聞かなかったのは、課長との話しを聞いていたからだろう。
その伊藤の隣に座っている同期の畑山は、「なんだ、帰らないのか?」と言って俺に聞いてきた。
「多重耳を手に入れる必要があるな」と俺は笑顔で畑山に言った。
「なんだよ、多重耳って…」と聞いてきたので俺は説明しておいた。
「伊藤さん、怖いな…」と言ってから、「じゃ、お先」と言って畑山も帰って行った。
ながら効果は優秀な者の証だと、俺は常に思っている。
俺もまだまだだが、千代を見ていると負けていると感じる。
爽花が帰ってきたらトレーニングを頼もうと思っているところだ。
俺が画像を見ていると、「社長が辞職した」と課長が俺に言ってきた。
「はあ、やっぱり…」と俺は言って納得した。
「重役の猛攻を受けたようだね。
結婚話、断って正解だったよね」
「受けるつもりはまったくなかったので。
考えることもしませんでした」
「彩夏さんのような人がそばにいれば誰だってそう思うよ。
じゃあ、帰ろう。
あ、派遣の件は白紙だよ」
課長は言って部屋を出て行った。
収賄はないとは思うが、何か個人的なやり取りでもあったのだろうと感じた。
具体的に考えると、警視庁への優先的な機器などの導入、など。
確実に大口契約となるので、社長の地位は安泰となる。
妙な欲を出すからこうなると思ったが、また嫌な事件が起こるのでは、とも感じる。
社長は何もしないだろうが、今は普通の人となった令嬢だ。
もう贅沢三昧はできない。
逆恨みもいいところだが、その対策も練る必要があると感じた。
俺の携帯が振動した。
どうやら、メールのようだ。
開くと、彩夏からだった。
『問題ないわよ』とただそれだけ書かれていた。
―― 女スパイ? ―― と俺は思い、かなり愉快な気分になった。
彩夏にとって、この社に関わることが最終目的だったように感じた。
それは俺の援護、護衛をするため。
俺を心行くまで仕事に没頭させてくれるため。
―― 姉? ―― と俺は一応は嘯いておいた。
( 第六話 最恐の父 おわり )
( 第七話 激痛のプロポーズ につづく )