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第五話 絶体絶命事件


絶体絶命事件




調理機器のコマーシャル撮影は、俺の通う東京支社の近くにあるショールームで行なわれた。


もちろんこのショールームは臨時休業として全てを囲い込み、何をしているのか誰にも悟られないようにした。


一番困ったのは彩夏の入店方法だが、前日に俺は笑顔で彩夏に社で使っている女性用のユニフォームを手渡している。


同じ服を着た者がぞろぞろと移動しても、かなり美しい社員だとしか思わないと俺は踏んだのだ。


もちろん、細かなメイクで彩夏ではなくなっていたので、誰にも知られずに彩夏の家からここまでやってきた。



まずは彩夏に料理やお菓子などを造ってもらった。


現在は数名の、開発、営業、技術、広報の社員がいるだけだ。


逐一彩夏にインタビューをして、機器の使い心地の感想を聞き記入している。


今回はコマーシャル用の監督もスタッフも外注しなかった。


完全なるわが社の手造りCMにしようと思ったからだ。


さらには制作費だ。


撮影スタッフを雇うだけでも、そこそこの費用はかかる。


社員であれば、給料だけで済むのでかなりお安い。


よって実質のCM撮影料は彩夏の出演料だけになる。


何から何までわが社の製品がこのショールームに置かれている。


わが社にとって始めての純粋なわが社のプロモーション映像となる。



CMのシナリオは俺が書いた。


彩夏が話す言葉なのでイメージはわきやすい。


そして彩夏が女優ができるという工夫も入れている。


しかし誰も気づかないだろうと思い、俺はほくそ笑んでいた。



カメラマンや監督は、映像系と音声系の技術社員が担当する。


少々緊張しているようだが、被写体がいいので何も問題はないはずだ。


絵コンテは、学生時代にアニメーション研究会に入っていた者が担当した。


彩夏はこれを見て動けばいいだけだ。


カットは15秒ものが3つ、30秒ものが8つ入っているので、ひとつのセリフはそれほど長くない。


さらにはもうすでに撮影している。


これはメイキングとして、インターネット上に流す算段にしている。


素顔の彩夏を見ることができるので、大いに視聴者は喜んでくれるはずだ。



今日の彩夏はいつもよりもさらに増して輝いていると感じた。


ここではほとんど彩夏と話しはしていないのだが、充実感が漲っている。


俺は彩夏を惚れ直したかもしれないと思ってしまった。


やはり俺たちのリーダーは素晴らしいと思った日になった。



大仕事を終えて、俺たちは意気揚々と社に戻った。


そして、なぜだか彩夏もついてきた。


本社が別棟にあるので、社長とでも話しがあるのだろうかと思っていたら、俺の仕事場の広報営業課のオフィスに入ってきた。


マネージャーが先導しているので、彩夏の思惑はないはずだ。


俺が自分の席につくと、彩夏が背後から俺を覗き込んできた。


「今日は本当に私のためになった日だわっ!!」と言って素晴らしい笑みを俺に向けてくれた。


「それは何よりだ。

 ところで、ここに何か用でもあるのか?」


「うふふっ…

 アピール、タァーイム…」


彩夏が言ってすぐに、俺から素早く離れてまっすぐに立った。


そしてまずはオレたちに向かって一礼した。


「今日は本当にありがとうございました。

 今日ほど充実した日はありません。

 どうか、末永くよろしくお願いいたします」


彩夏が言って頭を下げると、万雷の拍手が巻き起こった。


「いっとくがなテメエらぁーっ!!」と彩夏がいきなり叫んで、リラックスを始めた。


その彩夏は主に女子社員をにらんでいる。


「俺の男を盗ろうなんざ十年は早ええっ!!」とここまで言って彩夏は室内を見回した。


ほとんどが彩夏の迫力に気押されていて、3名ほど泣き出し始めたのだ。


「今泣いているやつぁー、

 拓生とねんごろになろうとでも思っていたのかぁー?

 ああん?」


彩夏の言ったことは正しかったようで、「ごめんなさいっ!!」と三人は大声で涙声で謝っている。


「そうかい…

 わかりゃあいいんだ。

 俺でさえなかなか手がとどかねえからな、

 応援して欲しいところなんだよ」


ほんのわずかだが、彩夏は緊張を始めたと感じた。


「わたしねっ!

 演技の勉強中なのっ!!

 本当にゴメンなさいっ!!」


彩夏はアニメ声というやつで言って、わずかに笑いを取っている。


「ああーん、だけどねぇー、本当に心配なのぉー…

 ねえ、あなたぁーん…」


彩夏はオレには触れてはいないが、触れそうな位置まで迫ってきた。


今のは妖艶な人妻の演技のようだ。


彩夏はごく自然な笑みを浮かべて、素早く元いた位置に立った。


「皆さんの顔色を見てよく理解できたと感じました。

 騒いじゃってごめんなさい。

 今日は本当にありがとうございましたっ!!」


彩夏が締めの言葉を放ちお辞儀をすると、また万雷の拍手が巻き起こった。


そして彩夏は、部屋の隅にいた技術部員が映し出した映像のチェックを始めた。


まずは客の反応を見て、そして自分の姿もチェックする。


まさに女優山東彩夏がここにいた。



いいものを見られた感をかもし出して、同僚たちが俺に笑みを向けてくれた。


「ドラマとか出て欲しいっ!!」と女性社員たちが口々に言い始めた。


「絶対にファンになるぅー…」という声も多く聞こえた。


「じゃあ、あなた。

 お早いお帰りをお持ちしていますわ…」


彩夏はほんの少しだけ演技を入れて、歩きながら手を振って部屋から出て行った。


「早く帰りたくなったな…」と俺が冗談で言うと、大いに盛り上がった。



だがそうはうまく行かない。


今日も仕事が終ったあと、山田国一の取調べがある。


日に約一時間しか面会できないので、取調べの仕事としてはそれほどはかどっていない。


だが、もうすでに、全ての事情が判明している。


よって俺の仕事は、小さな部分の確認作業だけとなっている。


犯行は山田国一本人と、その中にいる三人の仕業だった。


まったく別人の山田が起こした殺人事件なので、無差別殺人と思われても仕方がないものだった。



第一報の報告書は警視総監には提出済だ。


一枚の紙切れだが、これだけで全てが理解できる。


その後に、担当した五月と千代にも渡してある。


五月は無表情で読んだが千代は、「…わかるわけないわ…」と言って感想を述べてくれた。



八人の被害者のプロフィールはこうだ。


第一の被害者はフリーターで、騒ぎを起こすことが好きだった22才の女性。


第二の被害者は、学校帰りの十八才の男子高校生で、特に目立つ生徒ではなく、どこにでもいる学生。


第三の被害者は、広域暴力団に入りかけていた21才の男性。


第四の被害者は、品行方正な24才の山田の娘。


第五の被害者は、一般的なOLの28才の女性。


第六の被害者は、あまり目立たない感じの十八才の山田の娘。


第七の被害者は、無職で常に町を徘徊していた20才の男性。


第八の被害者は、将来有望だった塾帰りの14才の女子中学生。


そして、第九の被害者になりそうだった、少々お転婆な12才の女子小学生の山田の娘。



いずれも犯行は夜で、学生は20時までに、それ以外でも22時までに犯行に及んでいた。


よって、殺害現場は街中であっても路地裏などの目立たない場所だった。


殺害方法は、扼殺、絞殺、窒息死のいずれかだった。


殺害するのならナイフなどを使った方が簡単なのだろうが、足がつきやすい。


よって、時間はかかるが呼吸ができないようにして殺害している。


犯行現場は、場所は異なるが繁華街だ。


この四つが、大きな共通点だった。



山田の娘が三人いるが、もし千代がこの事実に到達していなかった場合、犯人は永久に知られることはなかったのかもしれない。


千代は第九の犯行前に、足により小学生の山田の娘を発見していた。


第四、第六の被害者の山田の娘の面差しがよく似ていたからだ。


捜査本部でも気にはなっていたが、他人の空似としていたが、千代は単独で動き、山田の写真を突きつけて、真相に近づきつつあったのだ。


もちろんDNA検査も行なったのだが、オープンにはできずに千代だけがその結果を知っていた。


千代は小学生の山田の娘の家に駆け込み、母親に詰め寄ったところ簡単に白状した。


よって、数日間は帰宅経路を替えてもらい、いつもの経路は千代が変装して街中を歩るき、襲われそうになった時、山田の腹を強か打ちつけた。


内臓に損傷はなかったが、腹筋の断裂があり、歩くどころか立ち上がる事さえできなかったようだ。


千代はすぐに捜査本部に連絡した後、殺人未遂の現行犯で山田を逮捕した。



山田の娘三人を殺害する目的は、五月が言っていたように、自分のDNAを残さないためのものだった。


きっと災いを呼ぶはずだと確信に似たものを感じていたようだ。


しかし、被害にあわなかった小学生に関しては、まったくその兆候は見られないが、この件で父親に真相を知られてしまって両親が離婚している。


千代は気になり移転先を訪問したところ、少女は明るい笑顔で千代を出迎えてくれたのでほっとしたようだ。



これは山田自身の考えではなく、山田が第一に生んだ人格が半分ほど命令したようなものだ。


『遺伝子を残さない方がいい』と子供の声で山田に語りかけてきたようで、それに山田も同意した。


別人格として第一に生まれた子供の山田は、母親に虐待を受けていた時の身代わりだった。


全ての肉体的苦痛、精神的苦痛はこの子が全て引き受けていた。


よって、山田国一本人は虐待があったことは覚えているが、痛みはまったく思えていなかった。


そして、この子供を表面に出すと、「すっげえ痛かった…」と顔をしかめて子供のような顔をしてにんまりと笑ったのだ。



そして第二の人格は、学生までの山田だ。


この山田が殺したのは第一、第三、第七の犠牲者だ。


これは計画的ではなくほぼ衝動的だ。


山田の自供によると、この三人は人気のないところに人を引き込んでかつあげなどをしていたらしい。


まさに誰かがイジメを受けているような現場に出くわすように、山田は移動していたそうだ。


よって、痛めつけられていた者が開放されてすぐに、山田はイジメていた三人を殺害した。


残る第二、第五の被害者は、何の罪もない人だ。


このふたりは山田の第三の人格の青年までの山田が行なっている。


これは、警察に勤め始めてからの復讐だった。


このふたりの被害者の関係者を悲しませようというものだ。


千代はこのふたりについては関連性が見つからずお手上げだったようだ。


しかし、警察官となった山田国一をイジメていた同僚の子供ではなく、第五の被害者は愛人だった。


愛人なので、さすがに捜査本部に出向くわけにも行かなかった。


第二の被害者も同じような理由で、外の女に産ませた子だった。


キャリアだったので、この事実が発覚することを恐れて、見てみぬ振りをしたのだ。



ちなみに、病院で意識を取り戻した山田を殺そうとしていたのは、第二の被害者の姉だった。


仲のいい姉弟だったと、俺は所轄の刑事から聞き入れていた。



よって、この事件で、山田の供述を信じるのならば、山田国一本人が手を下したのは自分の娘ふたりだけとなる。


しかも強要されているようなので、主犯ではなく実行犯となる。


甘い審判だと、重くても無期懲役で留まるかもしれない。


しかし、多重人格は精神異常とみなされるので、実刑は受けない可能性もある。


しかし多重人格の証明が難しいので、結果は医療的診断と判事に委ねることになる。



山田の取調べは常に朗らかに行なわれた。


やはりまず山田に渡した小さなマリア像が効力を発揮した。


「これ、すっごいよなっ!」と第一の人格の子供が言った。


きっとこの人格の体と心の傷も癒やしたのだろうと俺は微笑ましく思った。


今のところ、第五の事件までは細かい状況などの取調べは終えている。


あと数日で、このアウトソーシングも終ることになるだろう。



「できれば、松崎君と友達になりたいところだよ…」と言って山田は涙をこぼした。


俺は少々思案した。


厳しい言葉も優しい言葉も毒でしかないと俺は感じた。


「かける言葉に困っています」と俺は本心を告げた。


山田は察してくれたようで、俺に笑顔を向けて頭を下げた。


… … … … …


この日は8時半ごろに帰宅して、父母に見守られながら食事をしたあと、予約席の部屋に向かった。


すると、爽太郎が千代に抱きついていた。


どうやら牧師は正常化したようだ。


「仲がよくて何よりだよ。

 だけどかなり早く終結したんだな」


俺が千代に笑みを向けて言うと、千代はかなり困った顔をしていた。


俺は少し考えて、「…アウトソーシング…」とつぶやくように言ってから千代をにらんだ。


「おっ! すごいすごいっ!!」と言って千代は喜んでいる。


きっと悔しいのだろうが、悔しがってしまうと不毛だとでも考えたのだろう。


「最後まで言っていい?」と俺が言うと、千代はかなり困った顔をして、「…解答、聞いてきたんじゃ…」と言って俺を上目使いで見た。


「俺もそうだし、親父も一緒だ。

 無駄話は一切しないからな。

 まあ、無駄な話しではないが、

 これといって必要のない話だ。

 俺の家は、守秘義務を重んじているからな」


もうここまで言うと、誰をアウトソーシングしたのか簡単にわかったはずだ。


爽太郎は俺に笑みを向けてきた。


「彩夏がいないな…」と俺は言って遠くに見える厨房を覗き込むと、美人度満点の彩夏にドキッとしてしまった。


今日の経験が大いに生かされているように感じた。



爽太郎が怒っていると感じたので、俺は実寸大のマリア像を爽太郎に抱かせた。


爽太郎は慌ててマリア像をテーブルの上に置いて、祈りを捧げ始めた。


「…彩夏ちゃん、輝いてるよ?」と優華がかなり困った顔をして俺を見ている。


「自分のこれからの方向性を見つけたんだよ。

 張り切っていて当たり前だと思うな」


俺が言うと、「うー…」と犬千代がうなり始めた。


「アウトソーシングなしでこの短期間で改善できていたら、

 千代に何か褒美でもと思っていたんだがな。

 先のことになってしまって残念だよ」


「ごほうび、先におねだりしておくんだった…」と千代はかなり悔しく思っているようだ。



そして、あることを思い出したようで、千代は懇願の眼を俺に向けた。


「報告書になかったことを思い出して…

 これって重要なことだって思うんだけど…」


千代は申し訳なさそうに俺を見た。


そして少しホホを赤らめている。


「知っているのは、俺と千代だけだと思うから、

 黙っておいても問題ない」


俺が少し笑うと、千代は後ろめたさが沸いたようで眉を下げた。


「俺は判事として取調べをしている。

 全てのつじつまがあっているので、

 あの一枚だけの調書ですべてはこと足りたはずだ。

 だけど…

 これが明らかになった場合、

 被害者家族三人がかなりの痛手を負うと感じている。

 全てを明るみにしてさらに不幸を招くことは、

 少々問題があると俺は思うんだよ」


まさかそれほどのこととは思わなかったようで、千代は二の句を告げなくなっている。


だが、聞いておかないと自分自身の成長はないと思ったようで、唇を震わせて口を開こうとしたが、そのまま動けなくなってしまった。


「だが、これを調書に書き加えると、

 山田さんは無罪になるかもしれない。

 その可能性が高いんだよ。

 普通の弁護士でも、簡単に勝てるんじゃないのかな?

 だけど、山田さんはそれを望んではいないと感じる。

 だがまだこの件は山田さんに聞いていないので、

 全てが終ってから考えることにしたんだ」


「…た、多分ね、私、わかってないのかも…」


千代は言ってから深くうなだれた。


「そうかもしれないと思っていた。

 だが、なんとなくだが気づいていた。

 しかしそれは、千代が山田さんを

 強か殴ったせいだとも千代は思っている」


俺が言うと千代は顔を上げて、真剣な眼を俺に向けてからうなづいた。


「ふたりで病院に行って山田さんと会った時、

 山田さんは千代が腹を殴ったやつとは知らなかったはずなんだ。

 ただただ、スカートをはいている女性だとしか、

 認識していなかったと思う」


「…うっわぁー…」と言って、千代は頭を抱え込んだ。


千代は全てを理解したはずだ。


「この件は、優華と爽太郎は知る必要はない」


俺が言うと、ふたりは震えながらもうなづいた。


俺と千代の様子からまったく反抗心を抱かずに察したようだ。


「…山田さんのプロフィール…」


千代が言ってやっと落ち着いたようだ。


「そういうことだな」と俺は言って、千代に向けて微笑んだ。


「…だけど、ひどいよ…」と千代が小さな声で言って、小さなマリア像を抱きしめた。


… … … … …


「おまえの父ちゃんと母ちゃん、相変わらず仲いいけど、

 暑苦しいな…」


俺が当社開発の大型フィルムモニターテレビを見上げながら言うと、「暑苦しい言うなぁー…」と彩夏はとんでもない眼で俺をにらんできた。


「今は都心に住んでんの?」「そうだぁー…」と彩夏は言って少し笑っている。


「彩夏が芝居がうまいのはこの両親のおかげだと思うな…」


俺が言うと、優華は笑顔でうなづいている。


千代は警察官になるために東北に行った。


もうしばらくは会うこともないだろうと思うと少しさびしい気もする。



彩夏の両親は俳優ではない。


俳優よりも演技のうまい、政治家というやつだ。


今回の総裁選に満を持して出馬するようで、大いに気合が入っているようだ。


彩夏の両親だということは公表されていないが、母親とそっくりなので疑う余地なく親子だと見破られるはずだ。


しかし、ニュースなどでそれを伝えられることはない。


それほどに、彩夏の父親はかなりの威厳があり怖い存在なのだ。


『まずは第一にっ!!

 やはり誰もが家族は大事だ』


彩夏の父、山東昭文は感情を込めて言った。


だがやはり、かなり芝居がかっていると思い、俺は少し笑ってしまった。


『実は先を越されてしまったのだが、

 私の場合は大勢の方の前でお願いしようっ!!』


―― うっ!! ―― と思って俺はすすぐにリモコンを手にしようと思ったが、彩夏がにやけた顔をしてリモコンをもてあそんでいた。


「マニュフェスト、しっかりと聞いておけやぁー…」と彩夏はノリノリでニヒルな笑みを俺に向けて言った。


『拓生君、娘をよろしく頼むっ!!』


俺はできればテレビで聞きたくない言葉を聞かされてしまった。


彩夏の母親の山東真由香が、きっと演技だろうが、ハンカチで目頭を押さえている。



「うーん…」と俺が腕組みをしてうなると、彩夏、爽太郎、優華が俺に注目していることがよくわかった。


「一番気楽な優華の両親の勝ち」


俺が言うと、優華は大喜びで俺に抱きついてきた。


彩夏は、「くっそっ!!」と言って、リモコンを床に叩きつけて壊した。


爽太郎は心の平静を保つため、マリア像にお祈りを始めた。


「何がどう気楽か言ってみろよ」と俺が彩夏に言ったが、「拓ちゃんなら、優華ちゃんのご両親に敬語は使わない…」と爽太郎が涙を浮かべて言った。


「そういうことだな」と俺は言って、爽太郎の頭をなでてやった。


どうやらこれだけでよかったようで、「でも、ご両親と結婚するわけじゃないからね」と爽太郎が声を張って言った。


「その通りだ。

 だがな、結婚したとしても、

 その両親のせいで離婚もありえるんだぞ。

 これは常識的なことだ」


「うー…

 これから親を調教する羽目になるとは…」


彩夏は少し緊張して言った。


「だがな、

 俺としては母ちゃん側のじいちゃんで少々慣れてるから、

 普通に扱えるけどな」


三人はそれはもっともだとでも思ったのか、深くうなづいている。


「まあいい、チャンネル替えろやぁー…」と言って彩夏は俺を見た。


「おまえが壊したんだろ…」と俺は少し笑いながら言い、ケースが割れてしまったリモコンを床から拾った。


「あの程度で壊れるものをつくんなっ!!」


「さっきの力だと、どんなものでも壊れると思ったぞ」


さすがわが社の製品で、カバーは割れているがまともに操作はできるようだ。


チャンネルのボタンを押すと、別のチャンネルに切り替わった。


「使えるけど、交換してもらうよ。

 新品だからな」


俺が言うとさすがに彩夏は悪かったと思ったのか優華に謝り始めた。



謝り終わった彩夏はオレからリモコンをひったくって、わが社提供の二時間サスペンスドラマにチャンネルを替えた。


「ふーん、珍しいな…

 推理ものを見るなんて」


俺が言うと、彩夏は意味ありげな笑みを浮かべた。


いきなり彩夏の全身がモニターに出て、わが社のロゴが浮かび上がった。


「おいおい…」と俺は言って、テレビを見入った。


『サスペンスストーリーをごらんの皆様、山東彩夏です。

 このたび、私はマナフォニックスのイメージキャラクターとして、

 皆様に素晴らしい製品をご紹介することになりました。

 現在、インターネット上ではそのメイキング映像の流れていますので、

 ドラマ終了後に、どうか楽しんでくださいね…』


俺はぼう然とした。


「アナウンサーに勝ってるんじゃねえの?」と俺が言うと、「ふん! そんなもん、目じゃねえ…」とかなり男らしく自慢げに言った。


約一分ほど彩夏が語ったあと、俺たちで撮ったコマーシャルが流れた。


まさに彩夏は生き生きとしていた。


もうこれだけで日本国中の人々はテレビを切るんじゃないかと思った。



この店に来ている客はこの部屋を見ているのだが、カラス張りの外側にフィルムモニターを貼り付けてあるので、それを見ているのだ。


よって外からは、俺たちの腰から下しか見えていない。


「技術部のやつら、毎日遅くまで改良してたぜ。

 ほとんど受注生産品なんだが、

 一割ほど上乗せしてラインに乗せたそうだ。

 完売したらボーナスが出るはずだぞ」


俺が言うと彩夏はにんまりと笑って、「既成事実、くれぇー…」と男らしく言った。


「じゃ、愛人で…」と俺が言うと、彩夏はまたリモコンを床に叩きつけようとしたが、今回は止めた。


「今はまだ考えてねえ。

 あんま言うと、ご両親に断りを入れに行くことに…」


「あーん、冗談よおー…」と彩夏は甘えた声で言って、まるで猫のようなしぐさを始めた。


「ははは、ほんとうめえなぁー…」と俺は感心しながら言うと、優華も爽太郎も彩夏のマネを始めた。


「チャージが厳しいのは彩夏だけだが、

 これは本来のリーダーらしい積極的な行動だ。

 ふたりとも、あんま気にしなくていいからな」


俺の言葉は彩夏は気に入らないようで腕組みをしてふくれっつらを見せたが、優華と爽太郎は笑みを俺に向けた。


「だがなぁー…

 一番は爽太郎なんだけど…

 僅差だよなぁー…」


俺が何気なく言うと、三人は喜んでいた。


「残念ながら千代は今のところは三人に追いつけそうもないなぁー…

 それに小さすぎるし…

 絶対ロリコンだって言われる…」


俺の言葉がかなり面白かったようで、三人は笑い転げ始めた。



その千代が大荷物を持ってスーツ姿で店に姿を見せて、立ち止まって映像を見始めた。


「帰ってきたな…

 だけどなんだか嫌な予感…」


嫌な予感は気持ちのいいものではないが、その分構えることができるのでありがたいことでもある。


千代は、客の邪魔にならないように薄いモニターを確認しながら、部屋に入ってきた。


「やあ、おかえり。

 余裕だったようだな」


俺が言うと、千代は少し俺をにらんでから、俺の正面に座った。


「なんだよ、面接?」と俺が言うと、千代は何も言わずに首を横に振った。


「試験の結果は少し先だけどね、

 なにも問題ないの」


それはそうだろうと思い、俺はうなづいた。


「明日から働けって…」


千代は戸惑いの目を俺に向けた。


「まだ採用されてないんだよな?」「特例だって言われた」


「じゃ、行って来いよ」


俺は普通に言ったのだが、千代は何かを期待していたようで俺を見据えている。


「重大事件を抱えてるの。

 本店が動く前に解決しろって…」


「捜査資料のコピー…」


俺は千代のカバンを見て言った。


「うん、そう。

 全部に目を通すだけでも一週間はかかるのに…」


「ま、無理だよな。

 三日以内には本店が来るだろうし、

 もし連続ものだったら、

 次に事件があったらすぐにでも来るだろう」


俺が言うと、千代はこくんとうなづいた。


「お父ちゃんに言いつけてやるっ!!」と俺がおどけて言うと、千代がやっと笑った。


「概要だけ見せて」


俺が言うと、千代はすぐに薄いファイルを出した。


「連続通り魔事件…

 ま、普通は無差別だよな。

 そして金品を奪っている。

 強盗目的の通り魔…

 凶器は鋭い刃物…

 五件発生して、間隔は不ぞろいだが一週間以内…

 犯行現場は住宅街。

 田舎だから町の中心に近い場所で住居密集地帯…

 前回の犯行日から推定して、そろそろまた出てきそう…」


簡素な地図に犯行があった順に番号がつけられている。


「なんで、公園の近くばっかなんだ?」「え?!」と言って、千代は開いた地図を覗き込んだ。


「なんかあるよな。

 公園、調査したのか?

 資料、テーブルの上に置けよ」


「う、うんっ!!」


ここでやっと千代は元気を取り戻した。


素早く調査書をめくったが、小さな公園はまったく調べた形跡はない。


「本部に連絡。

 すぐに調べろってな」


「うんっ!!」と言って、千代は電話をかけ始めた。



俺は素早くまだ犯行の行なわれていない小さな公園を探して、鉛筆で丸を書いた。


そして電話中の千代に見せた。


「あ、追加で調査を…」と千代は言って、俺が印をつけた公園の場所を連絡した。


「秘密基地がある」と俺が言うと、優華たちは大声で笑った。


千代は電話をかけ終えてほっとしている。


「もし正解だったら、さらに面倒なことに…」と千代が言ってうなだれた。


「だからお父ちゃんに言い付けろって…

 だけどこれくらいのこと、おまえでも気づいただろうがぁー…」


「人の方が簡単かも…」と言って、千代は肩をすぼめた。



約30分後、俺の携帯のバイブレーターは切ってあるので、ランプがついた。


画面を見ると、その父ちゃんからだった。


俺は携帯の画面を見て、「出る?」と言って千代に見せると、超高速で首を横に振った。


俺は笑みを浮かべて通話ボタンを押した。


『早いね』とだけ加藤は言った。


「逃がしてないでしょうね」と俺が少し笑いながら言うと、『逃走中です…』と少しため息混じりにあきれた声で言った。


「今すぐに、本店から出てください。

 ふたりだけでも構いませんから。

 そして、千代が進言したと言って、

 すぐに県警から千代を奪ってください」


俺が早口で言うと、加藤は大声で笑った。


『考えることがなくて助かりました』と言って加藤は電話を切った。


「こういったことは、考える時間を与えちゃダメなんだよ。

 ぐだぐだ言われる前にかっさらった方が簡単だ。

 きっと、グウの根も出ないはずだからな」


千代は笑みを俺に向けて、「その通りだわ…」と言った。


… … … … …


翌朝、携帯にメールが来ていた。


本庁の刑事が到着してすぐに、勘を働かせて犯人を逮捕したようだ。


まったくもってのんびりしている警察だと、俺は腹を立てるよりも笑ってしまった。



出社すると、田舎で起こった連続強盗傷害事件について、ニュースが流れていた。


小さな公園だが、まさに秘密基地の状態だったという。


公園内に潜んでいて、こっそりと様子をうかがい犯行に及び、別の公園に移動して隠れる。


ほとぼりがさめた頃に堂々と外に出る。


こうすることによって、犯人の足取りは消えることになる。


なかなか考えたものだと少し感心してしまった。


妙に公園が多いこの地の利を生かそうと、一年ほどかけて基地を作ったようだ。


証拠品の押収も滞りなく行なわれ、犯人は全ての事件の自白をしたということらしい。



始業10分前に、また加藤から電話があった。


俺はすぐに小会議室に移動した。


部屋に入ってすぐに通話ボタンを押した。


『急かせてしまいましたね』「いえ、構いません」


『できれば色々と公表したいのですが…』「お断りします」


『君の不利になる…』「はい、その通りです」


『はあぁー、やっぱり君は嫌いです…』と加藤は力なく言った。


俺は少しだけ笑った。


『彩夏ちゃん、キレイになりましたね』


「はい、俺たちの自慢のリーダーです」


『天秤にかけている…』


「まだかろうじて、俺がほれていた分、爽太郎に軍配は上がっています」


『かろうじて…

 彩夏ちゃんの両親も嫌いですっ!!』


加藤は言ってから大声で笑った。


「本当に参りましたよ…

 それほど珍しい名前でなくてよかったと。

 苗字まで言われていたら父にも迷惑がかかりますから」


『そうだよね。

 政治家らしいといえばその通りだが、

 少々ふざけすぎている』


「その点はリーダー的存在と言っていいと思いますけどね。

 俺としてはかなり迷惑なご両親です」


俺が言うと、加藤は大声で笑ってからさらに礼を言ってくれて電話を切った。



俺がそそくさと席に戻ろうとすると、同僚たちが一斉に俺を見た。


確実に、次期首相のフリートークの話だろうと思ったが、課長が部屋に入ってきたので解散した。


「いやー、松崎君、松崎さんっ!!

 本当に驚きましたよっ!!」


課長は心底の笑みで俺に言った。


「彩夏の両親にはほとほと参りました」


俺が言うと課長は笑顔でうなづいた。


「しかも、事件解決っ!!」「課長っ!!」と俺は叫んだ。


とんでもない情報通だと、俺はこの課長を尊敬したかもしれない。


「どこからの情報ですかぁー…」「…秘密厳守、絶対…」


課長が言うと、俺はかなり笑った。


「東北支社で情報収集、とか…」「うっ!」と課長はうなって、両手のひらで口を塞いだ。


「…さ、さあっ!

 今日も一日、ガンバローッ!!」


課長は言って逃げて行った。


結局はわが社もスパイ行為をしているようだ。


… … … … …


山田の取調べは今日で全て終了した。


俺は山田に頭を下げて、「お疲れ様でした」と言うと、山田は妙にさびしそうな顔をしている。


「だだをこねて話さない、なんてことがなくて助かりました」


俺が言うと山田は大声で笑った。


「さて…」と俺が言うと、山田はまたさびしそうな顔をした。


「ここからが本番です」


俺の言葉は、山田には衝撃だったようで、「…今まで、聞かずにいた…」と言って苦笑いを浮かべた。


「そうです。

 確実に供述が滞りますので。

 心に閊えていることをお話していただきませんか?

 山田さんでなくても構いません。

 もちろん、カマなどかけていませんから。

 ここに始めて来た時に気づいたのです」


俺の最後の言葉に衝撃を受けたようで、山田は観念して、深くうなだれた。


「極刑を望んでいたのに…」と山田は鼻をすすりながら言った。


「冤罪ではありませんが、無罪になる可能性もあることなのです。

 私はここで判事の気持ちを持って、山田さんとお話していました。

 全てを語っていただけないと、私の仕事は終われないのです」


俺が言うと、山田はうなだれたまま瞳を閉じた。


どうやら第一の子供の山田が出てくるようだ。


「女の人、大嫌いなんだよねぇー…

 僕が鬼婆にすっごいひどいことされちゃったから。

 ほかの人も同じだよ。

 できればさわりたくもなかったんだけどねぇー…

 悪いことしてるの見て、そんなこと吹っ飛んじゃって、

 倒しちゃってたんだよ。

 そのほかの女の人はね、ずっと眼をつぶってたよ。

 男だって思ってね」


俺は笑顔で何度もうなづいた。


「では三名の女性はどんな方法で、

 山田さんに性交渉を求めてきたのでしょうか?」


「なんかね、電流ってやつ?

 ビリビリって…

 体の自由が効かなくなるんだよ。

 どうしてもね、跡継ぎが欲しいからって。

 だけどね、みーんな女の子でがっかりだったみたいだよ!」


俺はうなづいてから、「なぜ、山田さんだったのでしょうか?」と聞くと、今度は山田本人に代わった。


「あの女性三人が懇意にしていた俺の上司がいるのです。

 俺が女性が嫌いだということを知っていました。

 女性も、性欲むき出しにする男は好みませんでした…」


「まさか、警視総監ではないでしょうね?

 現在は加藤爽衛ですが…」


俺の胸は高鳴ってしまった。


だが、加藤にはそんなことはしていないと、思いたかっただけだ。


静寂の時間が流れた。


俺の鼓動が耳元でうるさく響いている。


「いえ、刑事部長の山本左右警視監です」


俺はほっと胸をなでおろしたが、きっとまた別の悪事を働いているのではなどと考えた。


「ほかに何か知りませんか?

 警視庁の大掃除をする必要が大いにあると思うのです」


「いえ、私はこの件しか知りません」


山田はマリア像を柔らかく握っている。


今更隠す必要はないので、山田がウソを言っているはずはない。



だが、この状況には少々参ってしまった。


今、山田から離れるわけにはいかない。


一番怖いのは盗聴されていることだ。


山田を担いで逃げるわけにもいかない。


電話も盗聴されている可能性があるので、俺はメールを加藤と五月そして千代に送った。


「安全になるまでここにいます」


俺が言うと山田は、「はい、その方がいいと思います」と、山田も賛成してくれた。



俺は盗聴器の有無を確認するため、見えない場所をくまなく探った。


どう考えても、あるとすればベッド周りのはずだ。


ベッドの底に頭を突っ込んだ時、『コンコン』とドアをノックする音が聞こえた。


俺はすぐさま山田をベッドに下に寝かせた。


「…申し訳ない…」と山田は小さな声で言った。


本当に軽かったが、以前よりはかなり体重はあるはずだ。


掛け布団もベッドから外して、ベッドの底に押し込めた。


俺は立って、覚悟を決めた。


今まで取り調べ中にドアをノックした者は誰もいなかった。


俺は高鳴る鼓動を押さえ込むようにして、丸椅子を胸の前に抱くようにして構えた。


頼りないが簡素な胸当てが俺の命綱だ。


頭を攻撃されるとひとたまりもないが、頭よりも胸を狙われると感じたからだ。



俺は極力ドアに近づき、「はい、どうぞ」と言うと、スーと音もなく扉が開き、見知らぬ男が立っていた。


俺の姿を見て、「うっ!」と言った男は、拳銃を俺の胸に向けていた。


俺は引かずに前に出て、丸椅子の座面を拳銃に押し当て、一気に踏み込んだ。


『バキッ!』と小さな音がして、男は俺に押された勢いでしりもちをついた。


どうやら指か手首が折れたようだ。


銃口が外に向くように押し付けたことで、引き金を引かれることはないと踏んでいた。


ふたりの警官はぼう然として俺と男を見ている。


「確保っ!!」と俺が叫ぶと、ふたりの警官はすぐに拳銃を踏みつけて男を捕らえた。


「あー、驚いた…」と俺が言うと、ふたりの警官は、かなり申し訳なさそうな顔をした。


「何者です?」と俺が聞くと、「公安の春山さんです」と拳銃を踏みつけている警官が言った。


「まったく、とんでもないな…」と俺は嘆くように言った。



俺はすぐに加藤に電話をして、襲われたが無事だと告げた。


それとほぼ同時に、パトカーのサイレンが聞こえた。


今回は仲間だろうと思ったが、一応は身構えておくことにした。



病院だがどかどかと警官隊がやってきて、その中に加藤もいた。


そして俺に、かなり申し訳なさそうな顔を向けている。


「俺、もう二度と手伝いません」と俺が言うと、「えっ?!」と言って、大勢の警察官が振り向いて情けない顔をしていた。


―― 俺はみんなに好かれていたのか… ―― とただただ漠然と思った。


「あ、山田さん…」


俺は病室に、入って山田をベッドの下から引きずり出して、抱き上げてからベッドに寝かせた。


「体が冷えましたね」と俺は言ってすぐに、ベッドの下から掛け布団を引っ張り出して、ゆっくりと山田の体を覆わせた。


「ああ、無事でよかった…」と山田は言って、瞳を閉じた。



「真の黒幕は加藤さんだと思ってしまいました」


俺が言うと、加藤は大声で笑い始めた。


「山本は黒いうわさが絶えんやつだったが、

 やっと始末できます。

 しかも公安がらみだった…

 大活躍でしたね」


「死にそうになるほど活躍したくありませんから」


俺が言うとさすがに困ってしまったようで、加藤は俺に頭を下げてから病院の廊下を歩き始めた。


「爽太郎さんの件も考え直させていただきます」


加藤は歩みを止めて振り返り、『それは困る…』といった顔をした。


「あなた方と私の住む世界は別です。

 爽太郎さんと結婚することは、あなた方も抱え込むということ。

 今の俺としては暖かい家庭の優華の家を望んでいます」


俺は素早く頭を下げて、山田の様子を見に行った。


医師二名が容態を確認しているが、問題はなさそうでほっとした。


後のことは医師に任せることにして、俺は病室を出た。


「あなた方も殺されていたはずです。

 とんでもない世界だと思いませんか?」


顔見知りの警官二名も思うところがあるようで、何も言わなかった。


俺は病院を出てすぐに、少し考えてから千代に電話をした。


コールしたとたんに、『大丈夫っ?!』と心から心配した声が聞こえてきたので俺はほっとした。


「ああ、死に掛けたけどな、無傷だ」と俺は本当のことを言った。


『死に掛けたって…』「おいおい、声に出すなよ…」


俺が言うと、背後ががたがたと騒がしくなった。


「拳銃を突きつけられた。

 躊躇なく撃つつもりだったはずだ。

 先手を取っていたから、撃たれなかったけどな」


『ああ、よかったぁー…』と千代は涙声で言った。


「今回の件の後始末のために、山田さんは抹殺されるだろうな」


俺が言うと千代は、『表向き…』とつぶやくように言った。


「そういうこと。

 被疑者死亡で、すべては闇の中。

 刑事部長の山本左右警視監が黒幕。

 その手足は公安。

 千代はよく覚えておいた方がいい」


『うん、わかった…

 迎えは…』


「電車の方が速い。

 30分ほどで着くからな」


『うん、待ってる…』


俺は辺りを見回してから、念のため走って駅に向かった。



やはり誰かがついてきていた。


警護だとは思うが、俺は振り切ってやった。


久しぶりに走ったが、妙に体が軽いと感じた。


きっと尾行していた者たちはどやされることになることだけを申し訳なく思った。



電車に乗り込むと、妙に空いていた。


嫌な予感がしたので俺が降りてすぐに扉が閉まって、電車の中から俺を見ている刑事らしき者が二名いた。


また悪いことをしてしまったが、俺の予感は大いに当たる。


俺は小さなマリア像を出した。


すると、涙があふれ出てきた。


そして癒やされる感覚…


『思い通りに…』とマリア様が言ってくれたような気がした。


「…親父と同じ事を言ってくれた…」と俺はつぶやいた。



レストランに行くと、優華が大泣きをしていて俺にしがみついて離れなくなった。


あまりにもひどい状態なので、彩夏も爽太郎も何もできないようだが、二人とも瞳は涙で濡れていた。


「普通が一番いいよなぁー…」と俺は心から言った。


父は優華に似ている母を選んだ。


俺もそうなるかもしれないと、今は思っておくだけにした。



席について、今日はここで食事を摂ることにした。


注文してすぐに、母に電話をして、俺の食事は明日の朝食に、とだけ伝えておいた。


千代はかなり申し訳なさそうな顔をして俺を見ている。


「簡単に復唱すんな」と俺は少し笑いながら言った。


「うん、ごめん…」と千代はかなり申し訳なさそうな顔をして俺に小さく頭を下げた。


優華はまだ俺から離れない。


「俺の妹…」と言った途端に、何事もなかったようにして立ち上がって、「何の話かな?」と妙にかわいらしく言ってから、部屋を出て厨房に走って行った。


「爽太郎、爺さんには伝えた。

 爽太郎への思いは白紙撤回。

 だから、彩夏も同じだ。

 おまえたちの家族は、俺の常識の範疇外だ。

 俺の爺さんが赤ん坊に感じたな」


俺が言うと、ふたりとも悔しそうな顔をした。


「家族が、足を引っ張るなんて…」と言って、彩夏は心からの怒りをその表情に浮き彫りにした。


爽太郎はぼう然としていたが、マリア像を抱いてなんとか笑みを取り戻した。


「あきらめないもんっ!!」と爽太郎は心からの叫びを上げて、「女になってくるもんっ!!」と言って、マリア像を抱いたまま部屋を飛び出して行った。


「よぉーし、ラッキー…」と俺が言うと、「…おまえ…」と言って彩夏が俺をとんでもない目でにらみつけた。


「爽太郎は手術を受けることを途惑っていたんだよ。

 それを払いのけるためにちょっとだけ芝居。

 それが、爽太郎が一番楽になれる方法なんだ。

 俺でなくても、ごく普通に結婚できるからな」


「あー、それはねえと思うが、まあ、その通りでもあるわな…」


彩夏はすでに立ち直っていた。


年齢は下だが、やはり俺たちのリーダーだった。



優華が料理を運んできてくれたところで、俺は食事を摂りながら、今日あったこと全てを詳細に説明した。


「裁判になったとしても、ほぼ無罪だと思う。

 もちろん、病院で暮らすことになるんだろうって

 思うけど…」


千代が言うと、俺は小さくうなづいた。


「きっとな、今頃は爽太郎と一緒に旅支度でもしてるのかもな。

 山田さんは優秀だと思う。

 ここの警備にでも使ってもらえたらうれしいし、

 俺はかなり安心するし、山田さんの願いを叶えられる」


「願い?」と千代が聞いてきた。


「俺に友達プロポーズをしてくれたんだよ。

 一緒にいて居心地がいいって思ってくれたようだ。

 精神的には社会復帰可能だと思っている。

 体力さえ戻れば、強い味方になってくれる最高の友だ。

 男友達がひとり消えるからな、丁度よかったんだよ」


俺が言うと、「不謹慎… だけどわかるわぁー…」と千代は柔らかな笑みを浮かべて言った。


「俺は今日、初めて泣いた。

 マリア様に泣かされっちまった…

 平常心ではないと思っていたが、

 かなりのストレスが溜まっていたんだと思うな」


俺が言うと、千代も彩夏も無言でうなづいた。


優華はまた俺のとなりに来て腕をつかんで安らぎの笑みを浮かべた。


「…妹…」「違うよ?」と優華は言ってすぐに俺の腕を放して笑顔を俺に向けた。


「彩夏がいいと思ったのは気の迷い…」「迷っちゃあいねえ…」と彩夏は大迫力で俺をにらんだ。



テレビのニュースが、山田国一の死亡を伝えた。


よって、二年越しの事件は被疑者死亡で終結した。




( 第五話 絶体絶命事件 おわり )


( 第六話 最恐の父 につづく )


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