第三話 6年3組の過去事件
6年3組の過去事件
「あれは気味が悪かったぜぇー…」と彩夏が少し震えながら言った。
今はいつもの俺たちの予約席にいるのだが、子供の頃に遊んだ児童公園の話しに花が咲いたところで思い出したようだ。
「あれ、俺の仕業」と俺が平然とした顔で言うと、もう慣れてしまったのか彩夏は俺をにらむだけにしたようだ。
そして爽太郎と優華はまったく意味がわからないといった顔をしている。
「ギョロっとした目の看板だよ」
俺の言葉に、ふたりも思い出したようで背筋を振るわせた。
公園に犬を連れて散歩をするのはいいのだが、まるで動物のトイレのようになっていた。
一計を案じた俺は、縦横一メートルほどの看板を作って、巨大な目玉を二つ描き、『見ているぞ』とだけ下の方に書いた。
大人の半数ほどは感心してくれたが、もう半数はここにいる三人と同じ反応を示した。
しかし、ふん公害が治まってマナーよく公園を使ってくれるようになったので、自治会の会長が俺の家に来て礼を言ってくれた上で撤去した。
しかしまた再発するかもしれないので、看板は取っておくことにしたようだ。
そして一年ほど前にまた悪い病気が出始めたので、俺の造った看板がまた活躍していると聞いた。
やはり、見られていると言われると不安になるようだ。
しかしこれは後ろめたいからこそ怖いと感じるはずだ。
何かいけないことをした経験があるからこそ怖く感じる。
よって、ここにいる三人は、何かを隠しているんだと考えたが、さすがにプライベートなことなので聞かないことにした。
「ここにあの看板を…」「イヤァ―――ッ!!」即座に三人は驚きの叫び声を上げた。
「ただただ怖いということもあると思うけど、
その理由はきちんと書いてある。
見ているぞ、ってな。
見られて困ることがあるから怖いんだと思わねえか?」
三人は一斉にオレから目を背けた。
「当事の大人の半数も、今のおまえたちと同じ行動をとったんだよ。
公園に立てたから、
公園にまつわることでマズいことがあるんじゃないかってな。
それが事件につながっていたんだよ」
「おおっ! そうだったのかっ!!」と彩夏が大声で叫んで復活した。
「これは、ほとんどのこの辺りの人が知らない事件で、
犯人も逮捕されたんだ。
前に来た刑事の山城さんが交番勤務だった時の話しだよ」
「あー…」と言って爽太郎がため息を漏らした。
優華は笑みを浮かべているが、そわそわとしている。
彩夏は声を出さずに拳を強く握って俺を見据えている。
「おまえ、本当に意地悪だな、ごらぁー…」と彩夏が言って俺を食らわんばかりに俺に顔を近づけたが、優華に腰を押さえられて、強制的に椅子に座らされた。
「俺、命を狙われたんだよねぇー…」と言うと、「うおおおおおっ!!」と言って彩夏は妙な叫び声を上げて立ち上がった。
驚いたのか、うれしいのかよくわからない感情だった。
ただただ俺の話しに期待感が沸いたんだろう。
当然のように、爽太郎と優華は困った顔を彩夏に向けている。
「俺が気づいた時にはもう末期だったようで、
俺が何かを知っていると信じて疑わない様子だった。
だから当然、俺は交番に駆け込んだんだよ。
その時の警官が山城さんだった。
俺は全ての事情を、憶測なく全て伝えたんだ。
俺と思考がよく似ていたようで、
確実に怪しいと思った山城さんは該当者に職務質問したんだ。
たったそれだけで、崩れ落ちるように観念したんだ」
俺がここまで話すと、彩夏は何に感動したのが天井を見上げたまま泣いていた。
まさに犯人逮捕の瞬間を聞けたことに喜びを感じているようだ。
「公園に死体があったんだよ。
警察が夜中にこっそりと掘り出して、
その日のうちに元に戻したんだ。
できればみんなに知られたくなかったからな。
一応お願いしたら、見つからないように現場検証するって
約束してくれたんだ。
あの公園で、みんなでずっと楽しい時間を
過ごしたい場所だったからな」
三人は同時にうつむいてからうなづいた。
実はこの先もあるのだ。
逮捕されたのは、犬塚千代の母親だった。
この件はまったくオープンにならなかったので、千代は中学を卒業するまで、誰にも知られることなくこの街にいた。
この事実は、優華はどこでかぎつけたのか知っているようだ。
犬塚千代とはこのほかにも因縁がある。
俺が中学高校大学と力を入れていたスポーツについてのことだ。
「優華はどこから情報を仕入れたんだ?」と俺が言うと、「うーん… 内緒?」と言ってコケティッシュな笑みを浮かべた。
「あ、かなり重い話だからな、知らない方が幸せだぞ」と俺が言うと、さすがの彩夏も興味を示さなかった。
爽太郎も聞かぬが華と思ったようで、真剣な顔をしてうなづいた。
「だから俺は、犯人探しなんかしたくないんだ。
こうやってこの先も、
みんなに秘密を作ることになってしまうかもしれない。
共有したのはいいけど、後味が悪いし、
俺たちの関係に溝ができるかもしれない。
彩夏、それでもいいのなら全てを話すぞ」
「ああ… ゴメン… 聞けないわ…」と彩夏はごく普通に言ってうなだれた。
これは彩夏が緊張していることとなんら変わらないので、できれば見たくない姿だ。
「だからうまく逃げていたんだけどな。
そろそろ彩夏も限界だろうと思って、ここまで話したんだ。
実はな、俺ひとりで行動した時にも事件があったんだ。
話していないのは10件を超えるな。
俺が巻き込まれたものもあったぞ」
俺が言うと、三人は肩をすぼめて黙り込んでしまった。
すると、爽太郎がシクシクと泣き出し始めたのだ。
俺はすかさず、あるものを爽太郎の目の前に置いた。
爽太郎は気配に気づき、顔を上げてすぐに、真っ白なマリア像に向かって指を組んで祈りを捧げ始めた。
これが爽太郎に一番効く特効薬だ。
俺がこの場所を失わないための最後の砦とも言えるだろう。
そして爽太郎は、「どうしてっ?!」と今更ながらに驚きの声を上げた。
優華も彩夏もマリア像に驚きの顔を向けて、表情を変えずに俺を見た。
「教会のマリア像をコピーさせてもらったんだよ。
今は立体でも触れることなくコピーができるからな」
俺が言うと、三人は驚きの顔を俺に向けた。
「ああ… 3Dプリンター…」と爽太郎は言って、マリア像を両手でしっかりと握り締めてから抱きしめた。
「さすが物知りだな、優華も」
俺が言うと、優華ははにかんだ笑みを俺に向けた。
「ショートケーキ、造ってくれぇー…」と彩夏は言った。
どうやら立ち直れたようで、リラックスできるまで回復したようだ。
「言われると思って造ってきたぞ」と俺は言って、テーブルの上にショートケーキを乗せた。
うまそうに出来上がったのだが、もちろん食べることはできない。
「おいおい、すげえなぁー…
蝋細工の商品見本もすげえけど…」
彩夏は恐る恐るケーキを指で突いている。
「だよな。
科学の進歩には恐ろしいものがある。
…優華にはこれだ」
俺は少し大きめの包みをテーブルの上に置き、中から優華の城とも言える、このグルメパラダイス全体の模型を出した。
「ここに置いといていいんだろ?」と俺が言うと、優華よりもガラスの外にいる客が興味津々で見ていた。
「あー、邪魔にならないレジ横にでも?」と優華は笑顔で言って、俺に頭を下げてくれた。
「拓ちゃんにも…」と優華つぶやくように言った。
疑問形になっていないのでいつもとは少々感情が違うようだ。
「三人で考えてもらって何かもらえたら、
一番うれしく思うだろうな」
俺が穏やかに言うと、優華だけは少々抵抗があったようだが、爽太郎と彩夏は顔を見合わせて笑みを浮かべていた。
… … … … …
同窓会の当日、優華を除いた俺たちは小学校に足を向けた。
優華はいつもは暇なのだが、午前中の一時間だけ会員の面接の仕事をすることにしたようだ。
本来は要望があれば全て済ませてしまっていたのだが、さすがに半日ほどはかかるようで、残りは後日に回したようだ。
俺はあまり変わっていない小学校の玄関を笑みを浮かべて見回した。
もう数名が来ているようで、床に置かれたすのこの前に靴が並べてられていた。
サイズやデザインから、男が五人で女が四人だと判断できる。
やけに小さいが婦人用の靴がある。
これはほぼ確実に犬塚千代のものだろうと感じた。
結局は高校に行っても背はあまり伸びなかったんだろうと思い、少しだけ微笑んだ。
小柄なのだが足が速く、学校全体の男子を含めても5本の指に入るほどの俊足だった。
その中に俺もいた。
俺は中学から大学まで、短距離を専門に陸上をやっていた。
ただ走るだけなので、これほど楽なスポーツはなかった。
大会に出るとまずまずの成績だったが、やはり上には上がいる。
しかし誰も大成しなかった。
その時にはもうすでに体を壊していたからだ。
俺はそんな体になることは御免こうむりたかったので、無謀な特訓などはまったくしなかった。
よって今でも、学生時代と変わらず走ることに関しては苦にならない。
その件で千代とは少々因縁があり、また別の争い、というよりも競いあいに発展したのだ。
『6年3組 同窓会会場』と達筆で描かれている扉を開けて教室をのぞき込むと、計八人の男女がいた。
一番小さい千代だけがいないとすぐにわかった。
「やあ、久しぶり」と俺が言うと、俺とのあいさつはそこそこで、まずは大恩人の爽太郎の前に整列して頭を下げ始めた。
俺と彩夏はその様子を笑って見ていた。
すると背後に気配があり、千代が教室に入って来た。
「ちっさ…」と俺が言うと、「ほっといてっ!!」と言ってそっぽを向かれた。
千代も爽太郎には恩義を感じているようで、はにかみながらあいさつをしていた。
そして爽太郎は、俺がまた別に造った、キーホルダー付きの小さなマリア像を千代に渡した。
千代は感激したのか泣き出し始めた。
そして何度も何度も、爽太郎に頭を下げている。
―― 帰ってまた造ろう… ―― と思い、俺は苦笑いを浮かべた。
千代の様子から察して、やはり心がすさんでいたようだ。
爽太郎も千代の様子から敏感に感じたのだろう。
マリア様の効果があって何よりだったと思い、俺は笑みを浮かべた。
続々と同窓生たちが集い、担任の眉村先生も到着した。
もうすっかりおばあさんに近くなっていたが、まだまだ眼光は鋭い。
聞くところによると、校長を経て、教育委員会の仕事をしているらしい。
眉村も爽太郎と彩夏に丁寧にあいさつをして、来てくれた礼を言っている。
「超有名人に会えたわっ!!」と叫んでから、少々がら悪く笑い始めた。
「あれ? 優華ちゃんは?」と赤木が聞いてきたので事情を説明した。
同窓生も納得したようで、同窓会を始めることにした。
業者が全てのセッティングを終えてから、幹事からの簡単なあいさつのあと、早速盛り上がることになった。
俺が連れて来たふたりがいるだけで大いに盛り上がる。
普通の同窓会ではこうはいかないだろうと感じた。
俺としても楽になったので、気の合う仲間と話しを始めたが、早速連続放火事件の話しを振ってきた。
「あー、その話はしないでくれ!」と友坂が言うと、誰もが肩を落として残念がった。
俺は今は何も言わないことに決めた。
「その話しって何よ…」とここであった連続放火事件を知らない者たちが一斉に友坂に詰め寄った。
「この界隈で少々事件があったんだよ。
その事件は解決したんだけど、一部のウワサでは、
俺が犯人を逮捕したことになっているんだ」
俺が言うと、事情を知らなかった者は驚き、知っていた者はバツが悪そうな顔をして下を向いた。
「もしそうだったとしても、俺は何も語らない。
当然これは、警察側の守秘義務だろうからな」
俺がここまでいうと、千代が鋭い視線で俺を見た。
「松崎は口止めされていない。
警察の捜査にも関わってない…」
千代が言うと、「えっ?」と同窓生全員が驚きの顔を千代と俺に向けた。
「鋭いな。
千代の言った通りだ。
俺は事件の全容をまったく知らない。
ニュースで得た知識だけだぞ」
「一体、どうなってるんだ…」と言って、ヒソヒソ話が始まった。
謎が謎を呼んだということでいいと俺は思って笑みを浮かべた。
彩夏がうずうずとし始めたので、俺が少しにらんでやると、すぐに大人しくなった。
「どういうことなのよっ!!」と千代が叫んだ。
俺の言葉の意味は理解できたが、まったく関わっていない事件を俺が解決したことになっていることが当然のように腑に落ちなかったんだろう。
「おまえ、警察官になれよ」と言うと千代は一旦戸惑いの目をしたが、「小さいから無理っ!!」と言って腕組みをしてそっぽを向いた。
確かに身長制限に引っかかるだろと思い、俺は苦笑いを浮かべた。
そして千代は不幸な過去をあまり引きずっていないと感じた。
盛会の中、優華が教室に走り込んできた。
あまりの剣幕に俺たちはかなり驚いてしまったが、とりあえず急いできただけのようだ。
優華はまず眉村先生にあいさつをしてから、俺の同窓生全員にあいさつをしたところで、数名の様子がおかしくなった。
―― 優華に弱みを握られている… ―― と俺は感じた。
顔色を変えたのは三人で、特に目立った行動をしない角田澄人。
かなりの気分屋の沢渡康友。
そして、クラスの中で秀才だった武宮麗だ。
この三人については、うなづけることもある。
角田は借金地獄。
沢渡は悪い仲間とつるんでいる。
武宮は詐欺師紛いの仕事をしていると小耳にはさんだことがある。
三人とも、俺とも爽太郎たちとも絡むことがなかった面々だ。
できればクラスメイトから犯罪者は出したくないのだが、こればかりは押さえようがない。
予想でしかないが、角田は優華にカネの無心にでもやってきたのではないかと思っている。
ほかのふたりも、きっとグルメパラダイスの会員証を持っていないだろうと感じた。
俺は聖人君子ではないので、余計なことには首を突っ込まない方がいいと思い、気のあった同窓生とだけ話しをすることに決めた。
しかし、俺の心を悟ったように、千代が三人の名前を出してきた。
「余計なマネはするなよ。
場の空気を読め」
俺が言うと、千代は一気につまらなさそうな顔をした。
「ところで千代は何をやってるんだ。
あ、俺はこういうものだ」
俺が名刺を素早く出すと、千代は一瞬だけ見て、「自慢?」と言ってきたので、俺は笑みを浮かべ返してやった。
「警察」と千代は言ってから首を横に振った。
「ふーん、俺のことが一番よくわかっているようだな。
幼なじみでも、今すぐに警察官になれ、なんて言ってくるんだけどな」
「あはは、そう、なんだ…」と言って千代は初めて俺に笑みを向けてくれた。
きっと、この小学校や中学で学んでいた時にも見たことがないはずだと俺は感じた。
「俺はそんなつもりで今日まで生きてきたつもりはない。
わかったから証明しただけだ。
守れることは守れるように言葉を交わすだけだ」
千代は俺を見上げてまぶしそうな目をした。
そしてすぐに体を振るわせた。
俺の背後に背後霊がふたりいるようだと感じた。
優華と彩夏が俺の視界内にいないからだ。
「だがあの三人、
何かやろうなんて乱暴なことを考えていなきゃいいんだが…」
三人は正三角形を描くように、離れている。
角田は教室の後ろのほぼ中央。
沢渡は廊下に面した窓際のほぼ中央。
武宮は、校庭が見える外に面した窓際のほぼ中央にいる。
俺はこのポジションが少々気になったのだ。
仕方がないので、少し探りを入れることにした。
一番近くにいた沢渡にゆっくりと近づくと、何かに怯えるような眼を俺に向けた。
俺は沢渡に世間話をする振りをして、ここからふたりを観察した。
角田と武宮に焦りの表情があるように感じた。
さらに、床に断続的に視線を送り悟られないようにして観察していると、長く光るものが二人に向けて伸びている。
沢渡の手を見ると、右手を隠すように左手を乗せている。
右手は皮製のグローブのようなものをつけていると感じた。
「なるほどなぁー…
だけどな、手を放すことも勇気がいると思うぞ」
俺は沢渡に言って肩を叩いた。
「…エ… エリート様にはわかんねえんだよ…」
沢渡が俺の手を引き剥がすように肩を振った。
「その道をつぶしたのは自分自身だと思わないのか?
俺はここで学んでいた時は下から数えた方が早いほどの
愚劣な成績だったんだぞ」
俺が言うと、沢渡はぼう然とした顔をした。
「俺が真剣に勉強を始めたのは、中学に入ってからだ。
ここにいるみんなと同じように、爽太郎に勉強を教わった。
俺は生まれ持ってのエリートなどではない。
俺はおまえと何も変わらなかったはずだ。
おまえはおまえの可能性を自分の手で潰したんだよ」
俺が言うと、沢渡はぶるぶると震えだした。
「くそっ! くそっ! くっそぉ―――っ!!」と沢渡は大声で叫んで、教室のうしろの扉から出て行った。
俺はすぐに、角田と武宮を見た。
ふたりの顔は驚愕に満ちている。
『…うらぎり…』と武宮の唇が動いたと感じた。
俺は立ったまま、沢渡が手を放したものを見据えた。
どうやらテグスのようだが、ビニール製ではないように見える。
もし金属だとすれば、引っ掛けけられただけで少々痛いことにもなり兼ねない。
武宮と角田の手に注目すると、やはり皮手袋のようなものをはめているように見えた。
俺は目を凝らして光るものを踏みつけた。
そしてその行き先を見ると、まっすぐには伸びていない。
うまく机を縫うように敷かれていた。
今その範囲内にいるのは、眉村先生を含めた話しをしている同窓生たちだ。
沢渡が騒いだので、当然、ほぼ全員が俺の顔か教室の後ろの扉を見ていた。
獲物は優華だと思っているが、その優華は俺の背後にいるので安心している。
優華が罠に入ってくれるのを待っていたと想像した。
優華は俺が何も言わないので何も行動を起こさない。
優華自身も当然何かを感じているようだし、何が起ころうとしているのかわかっているのかもしれない。
だがこのままだと、確実に誰かが怪我をするはずだ。
俺は目で細い糸をたぐりながら、何も起きないように一計を案じた。
俺はすぐにしゃがみこんで、細い糸をカバン掛けに引っ掛けて机の足に絡ませた。
そして角田の近くに走り寄ってしゃがみ、同じようにしてテグスの危険性を無効化した。
角田はかなり驚いた顔をして、細い糸を放して、「うわぁ―――っ!!」と叫んで駆け出し、扉から廊下に飛び出して行った。
俺はすぐさま武宮に詰め寄った。
もちろん、靴の底で二本ある糸は踏んである。
「…逃げた方がいいな…」と俺が言うと武宮は、「ふんっ!」と鼻で笑い、糸を床に落としてゆっくりと歩き出し、グローブを外して教室の外に出て行った。
「あー、驚いた…」と俺は言って今更ながらに汗が吹き出てきたことを感じた。
俺はみんなに事情を説明してから、細い糸を回収した。
「このワイヤー…」と赤木が言って俺の手元を見ている。
赤木は大学の工学部に進んだので、こういったものには明るいはずだ。
「映画の撮影などに使う、人間を宙吊りにできる強度のあるものだ。
まさかこれで、誰かを捕らえようと…」
赤木は俺の顔を驚きの目で見ていた。
「ターゲットはわからんけど、
金持ちを人質にでもしようと思ってたんじゃないのか?
一人でやれば簡単なはずだが、
三人で同じ罪を背負うことを取ったんだろうな。
よって誰もができればやりたくはなかったんだろうが、
チャンスと見ればやっていたと思う」
俺は素早くこの場にいる全員の顔を見た。
そして俺は信じられない思いで一杯になった。
「眉村先生」と俺が言ったが、眉村は眉ひとつ動かさなかった。
眉村の顔は苦渋に満ちていたのだ。
眉村は何も言わずに、おぼつかない足取りで教室を出て行った。
「ほんの10年ほどで、
人は手のひらを返すように変わってしまうんだなぁー…」
俺が言うと、だれもが深く頭を垂れていた。
俺たちはもう、同窓会は開かないかもしれないと感じた。
「ど、どうする… 警察…」
友坂が言ったが、俺にも答えが見つからなかった。
「何かをやろうとしたが何もできなかった。
俺は改心して欲しいと強く感じているんだ。
…だけど今日のところは開きにしよう」
俺が言うと、旧友たちは肩を落としたまま教室を出て行った。
… … … … …
俺の予約席が俺を癒やしてくれるかと思ったが、そう簡単には心の重みは消えない。
優華たちは気を利かせてくれたのか、この部屋に近づかないようだが、―― それは逆だろ ―― と思ってやまない。
すると俺の視界に見知った者がいた。
妙に陽気に俺に向けて手を振っている、犬塚千代だ。
ボックス席にいるのだがひとりのようで、俺は千代に釣られることにした。
「おまえ、心がないのか?」と俺は苦笑い浮かべながら言って、千代の真正面に座った。
「そうかもね。
この程度のことじゃ、くじけないのかも」
俺は千代の言葉に納得して何度もうなづいた。
「父も母も亡くしたけど、おじいちゃんとおばあちゃんがいたからね。
それに、転校しなくても済んだ。
私、この街が好きだから。
優しい人がいたから」
千代は熱いまなざしを俺に向けた。
「おまえが黒幕じゃないだろうな…」と俺は何気なく言ったのだが、千代は固まった。
今までの楽しそうな顔は消えて、左手でつかんでいたフォークを、ゆっくりと皿に戻した。
「どーして?」と千代は少しさびしそうな顔をして言った。
「陽気過ぎ。
俺がこの席に来て最初に言ったことは半分は本心だからな。
あまりにも明るすぎる。
全てを知っていたんじゃないかって思ったんだよ。
そうじゃなきゃ、心の病気だ。
まあ、もっとも、そうなっていたとしても不思議じゃない。
できればこの先、まっとうに生きていって欲しいな」
俺は言うだけ言って席を立った。
千代は何も言うつもりはないのか、下を向いてテーブルの天板をみつめているだけだ。
俺たちの予約席を見ると、優華たち三人が笑顔で俺に手を振っている。
―― しょうがないやつらだ… ―― と思いながら、俺は笑みを浮かべていたことだろう。
すると、「私の仕事だけどね」と千代はごく自然な声で言った。
俺は、―― 間違っているのかもしれないっ!! ―― と思い驚愕の顔をしたことだろう。
千代がもし、犯人側の人間ではないとすると、やはり警察関連の仕事をしていると確信に近い想いが過ぎった。
「ひょっとして、まだ大学院生?」と俺が聞くと、千代は笑顔で首を横に振った。
「もしも、大学院生ではないとしたら、
おまえ、とんでもないことをしたな」
俺がここまで言うと、千代はにやりと笑った。
これは犯罪者の笑みだと俺は感じて不快に思った。
「高校、行ってないだろ?」
俺が言うと、千代はさすがに俺が予想できるはずはないとでも思っていたのか、「どうしてわかっちゃうのよっ?!」と言って、犯罪者の顔は消えていた。
「高校をすっ飛ばして大検を受けて大学に入った。
犯罪心理学を専攻して、今は警察などの業務の支援を行なっている」
「めったに出番ないけどね…」と千代はため息をつきながら言った。
「ネゴシエーターとは違うんだよな?」「あ、別物。あれって基本警察官だから」
俺の問いは一瞬にして回答を得た。
「今回は確実に出番があったの。
だけどね、その前日にキャンセルになったの」
千代は言ってから俺をにらみつけてきた。
「どこまで知ってるんだ…」と俺はため息混じりで言った。
俺たちの予約席を見ると、優華が両手で手招きをしている。
「その答えを聞く前に、移動する?」と俺が予約席を指差すと、「うんっ!! するするっ!!」と言って千代は最高の笑みを俺に向けた。
「犯罪心理学者の犬塚千代だ」と俺はみんなに千代の現在の職業の紹介をしてやった。
すると千代は俺に蹴りを入れようとしたが、さすがに躊躇して止めた。
「ふーん… 空手?」
千代の動きはかなり本格的でさまになっている。
「少しだけね。
抵抗くらいできないとマズい時もあるから」
千代は間髪入れず答えてきた。
彩夏はあまりのことに眼を潤ませて千代を見ている。
優華と爽太郎はただただ千代に笑みを向けているだけだ。
「千代を主犯だと断定してからおかしいと感じた」
俺が言うと表情は様々で、千代は憤慨、彩夏はぼう然、爽太郎は困り顔、優華は平然として笑みを浮かべていた。
「それほど悪いやつならここにいるわけがない」
俺が少し笑いながら言うと、優華だけが拍手をしている。
「爽太郎が造り上げた人間ロボット二号だな」
俺の言葉に千代が、「誰よ、爽太郎って…」と言って俺をにらみつけた。
俺が少々思案していると、マズいことがあるようで、優華が困った顔をしている。
「おまえ、爽太郎にどんなあだ名をつけたんだ?」
俺が言うと、その本人の爽太郎は瞳を閉じて笑みを浮かべた。
優華はかなりおどおどした表情で、「山梨サヤカちゃん?」といいながら俺を上目使いで見た。
千代は驚きの顔を俺に向け、そして爽太郎を見た。
「僕は男で、山梨爽太郎だよ」と爽太郎が改めて言うと、千代は頭を抱え込んで上下に振り始め、「こんなことってっ! こんなことってっ!!」と言って騒ぎ始めた。
「どうだ、いい勉強になっただろっ!!」と俺は胸を張って豪語した。
「だがな、大丈夫だぞ。
あだ名をつけた当人たちも、
爽太郎は女だとつい最近まで思っていたからな。
年齢を重ねるたびに、
見た目は誰にも負けない女になってしまったから、
男だと知っていたのに女だと信じ込んでいたんだ。
今も優華は爽太郎を姉だと思っているはずだ」
俺が言うと優華は平然とした顔でうなづいた。
千代はかなりの精神的ダメージを受けたようで、椅子に座ってうなだれた。
千代は落ち着いてから辺りを見回した。
「…ここ、すごくいいって思ってたけど、檻みたい…」
千代はつぶやくように言った。
「その通り。
俺を縛り付けておくための檻だ」
俺が答えると、優華は申し訳なさそうな顔をして上目使いで俺を見た。
もちろん千代はこの様子を見て考え込んだ。
「あ、ダメ、情報不足…」と千代は冷静に言った。
「だよな。
これでは情報が足りないが、もしここがない場合、
俺はどこにいるんだろか…」
「自宅、外、女… 女っ!!」
千代はすぐに気づいた。
「幼なじみとずっと仲がいいことなんてありえないけど、
松崎は別。
それは三人もここを望んで過ごしているから。
松崎にとって、ここは誰にも邪魔されない特別な場所。
就職して二年ほどは、仕事を覚えるのに忙し過ぎて、
恋愛どころじゃない。
超一流企業が暇なわけがないから。
競争も激しい。
だけど慣れてしまえば、遊び始めてしまう…
誰かが…
あ、優華ちゃんがそれを拒んでここを造った」
「大大正解っ?!」と言って優華はもろ手を上げて喜んだ。
「あー、気づいてたけど、その話し方治ってないのね…」
千代は苦笑いを浮かべながら優華を見て言った。
「なあに?」と優華は小首をかしげて千代に聞いた。
「理由はわからんが、
優華はリラックスしている自然な時にだけ出るんだ。
これも、勉強になったよな」
俺が言うと、千代は大きくうなづいて優華をじっと見ている。
「ついに、告白もした」と千代が言うと、「えー、どうしてぇー?」と言って優華が聞いた。
「松崎にべったりじゃないから。
その余裕」
千代が答えると、優華は大声で叫んではしゃぎ始めた。
「名探偵さんっ! うれしいわっ!!」と言って優華は千代に抱きついた。
疑問形ではないので、心底の喜びの叫びだと俺は察した。
「じゃ、俺は探偵にならなくて済んだわけだな」
「そんなわけねえだろっがぁー…」と彩夏が言ってから、俺をとんでもない形相をしてにらんだ。
「ほら、そのニ」と俺が言ったが、千代はぼう然とした顔を彩夏に向けているだけだった。
そして、「…演技… いえ、そんなことをする必要が…」と言ってまた千代は悩み始めた。
「これも理由は不明だが、彩夏がリラックスしている時は、
言動が男になる。
そういうものだとだけ、覚えておいてくれ。
ちなみに演技もうまいけど、
これは口外してはならないというルールがある」
彩夏は腕組みをして瞳を閉じてうなづき、千代はぼう然とした顔をしてうなづいた。
「…珍獣たちの檻…」と千代が言うと俺は、「その通りだっ!!」と言って大声で笑った。
「あ、そうそうっ!」と千代はうれしそうな顔をして俺を見た。
「五月さんに直接お聞きしたから、全部知ってるわ」と千代はかなり前の話しの返答をしてきた。
「なるほど…」と俺は言ってから考え込んだ。
「ほかの千代の目的を聞かせて欲しい。
ただただ同窓会に出てきただけか?」
俺の質問はできればされたくなかったようで、千代は下を向いてしまった。
「なるほどな、かなりの想いがあった。
それに、俺にだけに向けたものではないような気がするんだが…」
「うっ!」と千代はわかりやすくうなってくれたので、俺は少し笑ってしまった。
優華たち三人は、穴が空くほど千代を見ている。
「…私のね、足長叔父さんに会いに…」と千代は恥ずかしそうな顔をして下を向いてしまった。
そしてすぐに顔を上げて、「同じ松崎だけど、あんたとはぜんぜん違うわよっ!!」と千代はいきなり俺を罵倒して怒り始めた。
「なに照れてんだよ…」と俺が言うと、図星だったようで、また下を向いてしまった。
「…なんだか、屈辱だわ…」と千代が言うと、優華があまり喜ばずに俺を笑顔で見た。
彩夏も腕組みをして満足そうにうなづいている。
爽太郎はいつもの変わらない笑みを浮かべている。
「なるほどな。
カネもかかっただろうし、他人に対してできることじゃない。
俺は確実に疑うな。
で?
何をやっている人なんだ?」
俺が聞くと、「判事… 最高裁の…」と千代が言うと、オレたち幼なじみは顔を見合わせた。
「松崎苦楽、だよな?」と俺が言うと、「呼び捨てすんなっ!!」と千代が怒って言ったのだが、俺の顔に穴が空くほど見入っている。
「呼び捨て…
松崎だったら絶対にそんなこと言うわけがない…」
千代はぼう然として言って、頭を抱え込んでから、「あーんっ!!」と言って嘆き始めた。
「おまえの恩人は、俺の父だけでいいんじゃないのか?」
俺は千代に、俺に対して引け目を感じないようにと遠回しに言ったのだが、「それとこれとは別っ!!」と言ってすぐに顔を上げて、両手で、『バンッ!!』とテーブルと叩いた。
「俺の考えは親父と同じものだと思うんだ。
親父の代わりに俺が動いている。
判事は基本、世間に対して何にもできないからな。
だから、親父は名を伏せたはずだ。
だが、五月さんから
重要な手がかりを聞きつけたと考えてみたんだけど?」
「うー…」と千代はうなってから、「ほんとに、屈辱ぅー…」と女子学生のように言った。
「こんな屈辱初めてだから、
もう、松崎のお嫁さんになるしかないわ…」
「ダメェ―――ッ?!」と優華が大声で叫んで千代に抱きついた。
―― どんな感情だ? ―― と俺は思い、優華を見て少し笑った。
「走るのも勝ったことないし…」
「男と女の差だと思っておけ」
「一流企業勤務だし…」
「欲した職の違いだけだ」
「仲のいい友達がたくさんいるし…」
「それは俺の能力ではない。
普段の心がけだ」
「また目玉あったし…」
「関係ねえだろ…」と俺は言って少し笑った。
「言い返す言葉がなくなっただけよっ!!」と千代は言って、そっぽを向いて腕組みをした。
千代は、「そろそろ…」と言って席を立った。
「親父、多分もう帰ってるぜ」と俺が言うと、千代はお婆さんのように腰を曲げたまま固まった。
「ひとりでは行かせないっ!!」と言って、俺はにんまりと笑った。
「うう…
後ろめたさがある分、先手を取れなかったわ…」
千代は言ってから、椅子を丁寧にテーブルの中に押し込めて、「お世話になりました」と言ってから、「場所は知っているので、ひとりで行ってきます…」と力なく言った。
「あ、確認だけ…」と言って、俺は親父に電話をすると母が出て、風呂に入っているがそろそろ出てくると答えた。
俺が事情を説明すると、母は知らなかったようで、かなりの勢いで怒り始めた。
『隠し子っ?!』などといい始めたが、すぐに否定した。
30分後に父に来客があるとだけ母に伝えてから電話を切った。
「やっぱり、俺も父と同じだった」と言って、俺は苦笑いを浮かべた。
少しだけティーブレイクにしてから、俺たちは千代を送り出した。
千代はオレたちがついてくるのではないかと何度も後ろを振り返っていた。
「今回は茶化すのはやめておこう」と俺が言うと優華が、「うんっ!!」と心から喜んで言った。
… … … … …
数日後、笑顔の似合う五月が、俺たちの予約席に顔を出した。
「昇進して、ここの警察署の署長になったんだよ。
食事ついでにあいさつ」
五月は言って、真新しい名刺をオレたちに渡してくれた。
五月ひとりだったので、今日はここで食事をしてもらうことにした。
さらには俺が聞きたいことがあったからだ。
まずは犬塚千代の名前を出すと五月は、「よく吼える小型犬」と言って少し笑った。
俺は堪えきれずに大声で笑った。
俺がその正体を明かしたが、もうすでに五月は知っていた。
あだ名をつけるほどなので最低でも一度は仕事をともにしたことがあると感じて聞いた。
「さすがに詳しくは話せないけど、
連続殺人事件を担当してくれて、
彼女が犯人を逮捕した。
あの小さい体で、
よくあれほどの力があるもんだと思って驚いたほどだ」
俺は笑みを浮かべてうなづいた。
―― 蹴られなくてよかった… ―― と今更ながらに俺は冷や汗が出た。
「捜査本部側も全員だまされていたんだよ。
小型犬は内部犯行をかなり疑っていたんだ。
知っていたのは警視総監だけ」
「ああ、それで…」と俺はやっと納得した。
千代と父がなぜつながっていたのかということをだ。
「えっ? 何が?」と五月は少し不思議そうな顔をした。
「これは個人情報ですので」と俺は言うと、五月は苦笑いを浮かべた。
「はぁー… 全てオープンに…」と五月がため息混じりで言うと、部屋の壁が真っ黒に変わった。
「おいおい、すごいなっ!!」と言って五月は驚いている。
「もうここはブラックボックスで、監視カメラも止まっています。
あ、安心カメラ?」
俺が優華に顔を向けると、優華は笑みを向けた。
「外に警備が立ってるけど、気にしなくていいの?」と優華が言うと、五月は苦笑いを浮かべて頭を下げた。
五月は事件の全貌を話し始めた。
連続殺人事件だが、被害者に関連性はなかった。
ただの無差別殺人だと捜査本部は決め付けて、犯人逮捕は少々困難と考えていたのだが、千代だけが全てを察していたようだ。
このあとすぐに、千代が警視総監に報告をした後に、次に殺される者に化けて犯人を逮捕した。
「空手の腕もさることながら、
次のターゲットが12才の女の子だった。
この時に、千代が殺人未遂で現行犯逮捕。
ま、別件逮捕だが犯罪者には違いない。
事情聴取で連続殺人を自供。
犯人は警視庁捜査一課の課長」
この事件は当然のように知っていた。
センセーショナルなニュースとなったので、日本国中が震撼した。
無差別連続殺人と思わせて、殺したい者を混ぜ込んでいたのだ。
まったく関連性がないと、捜査本部はほとんどサジを投げていたが、千代はあきらめていなかった。
被害者を丁寧に洗い直した結果、真のターゲットは三人だった。
それが全て、捜査一課長の隠し子だったのだ。
母親が犯人が誰なのか確実に気づくはずなのだが、三人ともそろって口を閉ざしていた。
理由は簡単で、全てが浮気をしてできた子だったからだ。
よって、それぞれの母親も共犯扱いとして事情聴取された。
肝心の動機だが、元捜査一課長が自殺を図ったあと植物人間となり、真相は闇の中だ。
子供を亡くした母親たちも、犯行の動機については知らなかった。
まったく接触がなく殺害に及んでいたからだ。
すべては千代の勘だった。
千代が気づいたのは簡単なことで、心理テストとして様々な男の顔写真を関係者などに見せていたのだ。
その中に千代が気に入らない元捜査一課長の写真もあった。
まさに、神がかり的な結末だったと五月は語った。
「半分は人を殺したい衝動。
もう半分はターゲットを理由があって殺した…」
俺が言うと五月は小さくうなづいた。
「なんとなくだけどね、俺にはわかったんだよ」
五月は言って、ゆっくりと憶測だが話しを始めた。
「自分自身のDNAの存在を許せない…」
話しを聞き終わった俺は、信じられない心境となった。
元捜査一課長は結婚していなかった。
もちろん正当な戸籍上の子供はいない。
血縁者は誰一人としていなかった。
「自殺しようとしたのは、これで終わりだという意味だったんだろうね。
今となっては、口がきけないし真実はわからんけどな」
「親から虐待とか…」俺の言葉に五月は、「それはあった」と素早く言って認めた。
「さらには学校でのイジメ。
さらに警察に入ってからもイジメにあっている。
しかし、それをバネにしたのか、キャリア組にのし上がった。
本来ならば、仕返しとばかり、いじめた者に対して、
嫌がらせのようなことをするはずなんだろうが、
それが出てこなかったな。
先輩は一体、どういった星の下に生まれたんだろうなぁー…」
「いじめた者に対して礼を言ったと思いますよ。
今の自分がいるのは、イジメという逆境にあったことだと。
だが、別の何かが狂ってしまった。
恨みが、何かに置き換えられたのかもしれません。
信じられないような、幼稚なことかもしれませんね。
子供にしか思いつかないこと、とか…」
「うっ! うわぁー…」と言って五月は腕をさすった。
「えっ? 何か?」「小型犬にも言われたんだよ、同じ事をね」
五月が腕をさすったのは鳥肌が立ったからだろう。
俺は頭浮かんだ言葉を口にすることにした。
「本当に、植物人間なんですかねぇー…
じっとしていることが今の自分自身に課した罰…」
「そ、それはぁー…」と言って、五月はどこかに電話を始めた。
最後の回答は聞けなかったが、五月は俺に笑顔で礼を言ってから部屋から出て行った。
彩夏は号泣していた。
俺の推理に感動したらしいと感じたので、俺は何も言わなかった。
俺たちが談笑していると、千代がひざ上の少し短めのスカートを翻しながら笑顔で店に入って来たのだが、迷惑そうな顔をしてバッグから携帯電話を取り出して話し始めた。
そしてすぐに電話を切ってから、鬼のような顔をして俺めがけて突進してきた。
優華は笑顔で千代を招き入れた。
「あんた、何やったっ?!」
千代は俺の顔を親の敵のような顔をしてにらんだ。
「なんにもしてないけど…
何の話だ?」
「もういいっ!
一緒に来いっ!!」
よく吼える小型犬は、とんでもない力で俺の腕をつかんで走り出した。
「うおおおっ! 行って来いっ!!」
俺たちは彩夏の喜々とした叫び声に送り出された。
( 第三話 6年3組の過去事件 おわり )
( 第四話 嵐の前の日常 につづく )