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第一話 マリア様失踪事件


マリア様失踪事件





『佐々木優華ささきゆうか 愛の奇跡 第一章』


今、俺の目の前に、百科事典とも言えるとんでもない量の便箋びんせんの束がある。


うまく製本してあるので、ちょっとやそっとでは便箋が外れることはないだろう。


それも考えて業者に頼んで造ってもらったようだ。



優華の小説とも言える俺へのラブレターは、まずはここから始まっている。


書き出しの優華の俺への想いは俺が望んでいる、兄へのものだった。


ただただやさしい兄。


たよっていたい兄。


しかってくれる兄。


ここだけ読むと、俺は優華の兄として存在していなければならないと洗脳される思いになる。


俺も優華もひとりっ子なので、俺たちは兄妹としても成立できたのかもしれない。


この洗脳の書は俺が5才で優華が3才の話から始まっている。


よく覚えていたものだと俺は感心した。


俺としてはほとんど消えかけている記憶でしかないが、両親が多くを同意したので、間違いのないことのようだ。



高校在学中に優華は家を継いで食堂の店主になったわけだが、両親が他界したわけではない。


現在は優華の手となり足となって、従業員として働いているのだ。


親としては、優華の経営手腕に期待していたと言っていいだろう。


今日は優華の両親もふたりとも休みだったようで、俺たちの予約席にまねいて話しを聞いた。


優華の両親も、俺の父母と同じくなつかしく思い、そして優華の手記を全てみとめた。


親にとっては忘れ難い思い出の書でもあるのだ。


まだ何も決まっていないのだが、「拓ちゃん、優華をよろしく頼む」と父親に言われ、頭を下げられてしまった。


さすがにここで、『俺は爽太郎そうたろうが好きだ』などとは絶対に言えないので、苦笑いを浮かべて、「今のところは、優華は妹でしかないんだよ」と答えた。


「いや、今はそれでいいんだ」と優華の父の正造は笑顔で俺に言った。


もうこれ以上は何も言わないようで、優華の両親は手をつないで透明の部屋から出て行った。


―― かわいそうだが、情けはかけねえ ――


この言葉がふと俺の頭にふと浮かんできた。


―― 映画のセリフ? ―― などと思ったが何も浮かんでこない。


これはなんだと思い、少しの間思案したが、やはり何も思い浮かんでこなかった。



優華が俺を兄としなくなったのは、第一の事件があってからだ。


優華が小学二年生、俺が四年生の時だ。


この日は小学校の全校生徒約千人が遊園地を併設へいせつしている動物園を貸し切りにした遠足の日だった。


市立小学校ではありえないのだが、この施設は市のもちものだったのでこういうこともできるそうだ。


特にクラス単位で行動する必要はなく、上級生が下級生を引率いんそつして楽しめばいいだけのことだった。


だが子供にとってこれはかなりきびしくむずかしいことでもあるはずだったのだが、幸い彩夏あやかがリーダーシップを取ってくれて、爽太郎が見守ってくれた。


彩夏の方が俺よりも年下なのだが、当事から少々大人びていた。


爽太郎は俺よりもひとつ上だが、立場としては俺と同じような位置にいる。


俺たち四人にむらがるように、大勢おおぜいの下級生たちがついてきた。


きっと教師たちはは目を細めて俺たちを見ていたことだろう。


俺が、―― ひとりでは何もできないんじゃないのかなぁー… ―― と子供らしからぬことを考えていたと当事の気持ちを思い出した。



事件が起こったのは、俺たちが先導せんどうしてスリラーハウスに入った時だ。


優華はさすがに怖いようで、俺の右腕にしがみついてふるえていたと思う。


まさにその時の様子も洗脳の書にくわしく書かれていて、優華は失禁しっきんしそうなほどこわかったと記述きじゅつしている。


もし、俺の腕をつかんでいなければ泣いていただろうとも書いてあって、まさに俺たちは兄妹きょうだいだったと感じた。



中ほどまで進んだ時、俺たちが光を浴びる場所に出た。


すると、別の明るい光が一瞬差したように感じた。


カメラのフラッシュだとすぐに気づいた。


なぜここで写真をるのかよくわからない。


そういった記念写真撮影(さつえい)サービスでもあるのだろうかと思っただけだ。


2メートルほど進むと、また光った。


だが今度は下からだと気づいた。


これはどういうことだろうと俺は思って下を見ると、血を流して扮装ふんそうしている従業員らしき者が、優華のスカート中のかくりをしていたようなのだ。


―― これ、らしめる対象だよね… ―― などと俺は子供ながらに考えたはずだ。


下からなので当然、床はガラス張りになっているはずだ。


入り口はどこか別の場所にあるに違いない。


だがなぜここがガラス張りなのかわからない。


すると、辺りが暗くなり、ミイラのようなものが床からゆっくりと浮かび上がってきたのだ。


「イヤアアアアッ!!」と優華が叫んで、俺の腕を強くにぎった。


俺もかなりおどろいたのだが、下への入り口のことも考えていたので平静へいせいたもてた。


すると、ミイラのいる場所のとなりに、引き上げられるとびらがあるように見えた。


俺は優華を連れてその扉を引っ張った。


何とか扉を開けると、五段ほどの階段があって、下にもぐれるようになっていた。


俺は血まみれ男を懲らしめる作戦はもうすでに考えていた。



当事のカメラは今のように防水加工なんてしていない。


俺はリュックから、ペットボトルのサイダーを取り出して、懸命けんめい力一杯振った。


「おまえらっ!!」という声がした場所に向けてサイダーの口を向けふたを開けた。


『ボンッ!』と小さな破裂音はれつおんがして、サイダーが一気に噴出ふんしゅつした。


「なっ!!」と叫んだ血まみれの男がさらに血まみれになったように見えた。


男がさけんですぐに、俺は優華の手を引っ張り元の場所にけ上がり、扉を閉めて、近くに積んであったパイプ椅子のような小道具を扉の上に積んでいった。


優華も楽しそうにして俺の手伝いをしてくれた。


すると、爽太郎が来たので事情説明をすると、すぐに非常口から外に出て行った。


爽太郎は外にいる係員を呼びに行ったはずだ。



俺と優華は何事もなかったように、後半のスリラーハウスを楽しんだ。


この事件に関しては、彩夏は近くにいたはずだがまったく知らないはずだ。


爽太郎は係員を呼びに言って事情説明をしただけなので、閉じ込めた者の顛末は知らないはずだ。



優華はこの件に関して、その時の優華の考えと、大人である今の考えを書いていた。


『何があったのかよくわからなかったけど、

 拓ちゃんとふたりっきりだったので楽しかった。

 だけど、拓ちゃんの顔がお兄ちゃんじゃないって感じた。

 私のナイト様…』


優華は童話などが好きだったので、こういったことはよく言っていた。


俺はついに、優華のナイトとしてデビューしたようだ。


すなわち、もう兄ではなくなってしまっていたということになる。


そして、今の優華の思ったことも書いてある。


『まだ9才なのに、すごい洞察力どうさつりょくがあると感じた。

 冒険ものや推理小説が好きだった拓ちゃんだからこそ

 すぐに気づいたんだと感じた。

 ハレンチな係員は、警察に連行されたと、

 市役所で働いていた伯父さんに聞いた』


やはり悪いことはできないものだと、俺は深くうなづいた。



「俺が一切関わってねえ、

 ラブレターを読み返してるんじゃあねぇぞぉー…」


いつの間にか彩夏あやかがいたので、ついつい成敗せいばいしてやろうかと思ってしまった。


今日は厨房ちゅうぼうで働いていたようで、まさに若妻っぽく見えるエプロンをしている。


すると、一瞬明るい光が差した。


スマートフォンで、この部屋を撮影さつえいした客がいたのだ。


もちろんマナー違反だが、その対策はしてある。


この部屋のガラスは、特殊偏光(へんこう)ガラスで、明るい光が当たると鏡になる。


ごく普通に撮影しても、中にいる者はまるで幽霊のように写ってしまうだろう。



どこかで見ていたのか、優華が警備員と現れて、会員証剥奪(はくだつ)権利を堂々と読み上げて、ニヤついている男から会員証を取り上げた。


このグルメパラダイスは、優華の面接を受けてから会員にならないと来店できないシステムになっている。


そして会員規則を破れば、もう二度と来店することはできなくなる。


客は店を選ぶ権利があり、店側も客を選ぶ権利があるのだ。


この顛末てんまつをほかの客に見せることで、さらに抑止力よくしりょくも働く。


ちなみに、現在の会員数は100万人をえたそうだ。


優華はすぐにでも占い師に転職できるだろうと考えて少し笑ってしまった。



「ま、マナー違反はいただけねえよな」と彩夏がマジメくさった顔で言った。


「こっそりと撮って、幽霊写真を楽しんだらいいのにな」


俺が言うと彩夏は、「ふんっ!」と鼻で笑った。


「会員証剥奪はわかっていたはずなのに…」


俺が考え込むと、彩夏はにやりと笑って、「事件、だよなっ!!」と断定して言った。


「ああ、多分な…

 会員証、偽造ぎぞう

 いや、ICチップ…」


会員証は本格的なもので、ICチップがめ込まれている。


銀行で使うキャッシュカードと同じ仕組みのものだ。


だがこれにも当然欠点はある。


リーダー、ライターを手に入れることができれば、なんとかなるかもしれないと考えた。


しかしもちろん、暗号化はされているはずなので、簡単にはコピーはできないはずだ。


「顔写真の方か…」


俺はすぐに立ち上がって、優華のそばに立ち、優華が客から取り上げた会員証を見た。


そしてペンライトをかざしてよくよく見ると細い切れ目が入っている。


「警察、呼んだ方がいいな。

 窃盗せっとう容疑ようぎだ」


俺が言うとすぐに、「くそっ!!」と言って写真の男が立ち上がったが、すぐに警備員につかまった。


どうやらたたけばホコリの出る体のようだと感じた。


「現行犯逮捕したいところだけどな。

 窃盗の容疑だし、罪が軽いから無理だな」


俺が言うと、優華はいつもの数倍ほど瞳を輝かせて俺を見ている。


まさに恋する乙女の目だ。


「…妹…」「違うもんっ?!」と優華は叫んで否定して、今日は怒ってくれたので助かったと俺はほっと胸をなでおろした。


「あー?」と優華は言って、シクシクと泣き始めたので、俺はあきれて笑い出してしまった。



警察官が到着して、優華と警備員が全ての説明を始めた。


同席していた女性は怒りよりも悲しみの顔を浮かべていた。


もう二度と、この店には足を踏み入れられないとでも思ったのだろう。


この女性も、警察に出頭するようで、警察官についていった。


「男の悪行を知っていたようだな。

 だけど反省もしている。

 彼女の会員証はきっと本物だと思う。

 もう一度面接、してやってもいいと思うぞ」


俺が優華に言うと、「そうするもんっ?!」と少し怒りながら言った。


そして優華は真剣な表情に変えて、注目している客たちに頭を下げた。


「お見苦しいところをお見せしてしまいました。

 差し出がましいのですが、おびといたしまして、

 ただいまのお食事代を半額とさせていただきます。

 本当に、申し訳ございませんでした」


優華が真剣な声で話すのを俺は初めて聞いて初めて見たのかもしれない。


そして、語尾が疑問形になっていなかったことに驚いてしまった。


そのりんとした姿は美しいとさえ俺は感じた。


しかし、―― まだまだ爽太郎には遠く及ばない ―― という気持が大きかった。


今の優華を見ていて、俺と話す時くらいはリラックスしたいのだろうと、さらに感じた。



「ああ… ついに本当の事件が…」と彩夏が言って、胸の前で手を合わせて感動している。


今は透明の囲いの外に出ているので、さすがに男言葉は使わない。


「よかったな、経験できて」


俺が言うと、彩夏に強引に部屋に連行されてすぐに、いつもの男言葉で罵倒ばとうされた。



第二の事件は、第一の事件と同じく遊園地を兼ねた動物園で起こっている。


そしてこの事件が、第三の事件につながっているのだ。


この市営施設は、遊園地よりも動物園の方がはるかに規模が大きい。


珍獣といわれるものは少ないのだが、動物の繁殖に力を入れているので、猛獣の赤ちゃんを間近で見ることができる。


俺たちの大きなグループに、六年生の小さなグループが合流してきた。


そして爽太郎にちょっかいを出し始めたのだ。



爽太郎はほとんどの上級生からしたわれている。


塾の講師として、昨年も大勢の生徒を有名中学に進学させていたからだ。


もちろん、受験戦争に関係のない生徒もいるので、爽太郎をからかうにはいい標的になるのだ。


その不穏な動きを察したのか、爽太郎を神と崇める大勢の六年生が割って入って来た。


さすがに大勢なので、少数派はすごすごと別の場所に移動を始めた。


「何を考えてるのかしら…」と引き上げて行った者たちを彩夏が少し怖い眼で見据えた。


この頃から彩夏は今の彩夏に目覚めかけていた。


しかし、お菓子造りに力を入れていた時期なので、まだまだ今の迫力には遠く及ばない。


この頃の俺は爽太郎をいい友達だと思っていたに過ぎない。


好きな子がいるわけでもなく、ごく自然に子供だった。


今の雰囲気はすごくよくないと感じていた俺は、爽太郎から離れないようにした。



柵の低いゾウの檻を歓声を上げて見ていた時、ビリビリとチリチリとした何かが俺を襲った。


額に鋭いものを近づけた感覚に似ていた。


しかし辺りを見回したがその不安ともいえるものはどこにもない。


だが、気のせいではないと強く思っていると、少し遠くで何かが一瞬光った。


俺はリュックを背中から下ろして、その光と爽太郎の頭の間に抱え上げて、顔を伏せ眼を閉じた。


すると、『パンッ』という小さな音がした。


そして、地面に小さな球が落ちて弾み、転々と転がっていく。



俺の不穏な動きを見ていた上級生たちは、「あいつらぁー…」と言って、転がっているモデルガンの弾を拾い上げて、猛然たる勢いで弾が飛んできた方向に向かって走り出した。


驚いた顔をしていた爽太郎は、「拓ちゃん、ありがと」と俺に笑みを向けて言った。


「不思議な感じだったんだ…

 よくわかんなかったんだけど…」


子供の俺はこの程度しか自分に起こったことを表現できなかった。


だが、爽太郎を守れたことを俺は誇らしく思っていたはずだ。



このあと、悪ガキたちは上級生たちに簡単に捕まって、証拠のモデルガンとともに教師に引き渡して、こっぴどく叱られたそうだ。


もちろん爽太郎は教師の中でもアイドル的存在だったので、攻撃を仕掛けたことを叱るよりもかなり怒ったようだ。


当然のように保護者に連絡して、一件落着したように俺は思っていた。



これをすべて見ていた優華の心境は、『私のナイト様、本当にすごいすごい!』と、ただただ感動していただけのようだ。


そして今の優華の思いは、『思っちゃいけないけど、うらやまし過ぎるぅー…』と書いてあって、すでに読んでいて知っていたのだが笑ってしまった。



「くっそぉー…

 こん時にぜってえほれてたはずだっ!!」


彩夏は本当に悔しそうな顔をして地団太じだんだを踏んでいた。


この時の彩夏は、どうやらトイレに行っていたようだ。



爽太郎は好きな女子はいなかったのだが、あこがれ以上の好きなものがあった。


それはこの近くにある教会の壁に飾ってあるマリア像だ。


今も続けているのだが、日曜礼拝には欠かさず行っていた。


クリスチャンではないのだが、ただただマリア像を見に行っていたようなものだった。


本当に優しそうな顔をしているマリア像が、爽太郎の理想のようなので、今の俺の心境としては、―― まず現れない ―― だった。


その存在に一番近いのは爽太郎だと俺は思っている。



ある日、いつものように日曜礼拝に行くと、お目当てのマリア像がない。


爽太郎は血相を変えて、神父に詰め寄って聞くと、土曜日の朝になくなっていて、被害届を出したと丁寧に爽太郎に説明した。


爽太郎は涙を流して、指を組んでマリア像のあった場所に祈りを捧げ始めた。


この時俺は辺りを見回していた。


あのピリピリとした感覚はなかったが、きっと誰かが見ていると感じていたのだ。


すると、出入り口で人が動いた。


外に出て逃げ出したという感じだ。


俺はすぐにその影を追いかけた。


それはなんと、上級生ではなく大人だったのだ。


「六年生の合田信一君のお父さん?」と俺にいち早く駆け寄ってきた優華が言った。


この頃の優華はすでに記憶術が発動していたので、必要のないものもでも全て記憶していた。


「みんなはここにいてっ!!」と俺は大声で言って、全速力で合田の父を追い駆け始めた。



すると、日曜礼拝で顔見知りだった警察官も俺に同調するように走っていた。


「君、早いね」と笑みを浮かべて俺の横についた。


「あはは、まあね」と俺は自慢げに言ったはずだ。


俺としては短距離よりも長距離の方が好きだ。


子供ながらに、自分の体をうまくコントロールできていたのだろう。



合田の父が自分の家に駆け込もうとした時、開いた玄関の扉の隙間から白いものが見えた。


「あまり賢くないな…」と警察官は言って、電話をかけ始めた。


警察はもうすでに動いていて、犯人が動き出すのを待っていたようだ。



応援の警察官が到着して、合田の家のドアを叩いた。


合田は逃げられないと思ったようでドアを開けると、どっしりとした低い靴箱の上にマリア像があった。


「それはあなたのものでしょうか?」と顔見知りの警察官が聞くと、「…いえ…」とだけ言って合田は観念して全てを話し始めた。


自分の息子が教師に叱られて、腹を立てた合田は爽太郎の一番気に入っているものを探し出して隠したという顛末だった。


「おっちゃん、子供だよね?」と俺は言ったはずだ。


警察官が俺を守るようにしていたので、合田は少し俺をにらんだが怖くも何ともなかった。


警察官たちは、「その通りだっ!!」と言って笑い始めたのだ。


その合田の目よりも、リビングらしき部屋から顔だけを出していた息子である信一の眼の方が数段に怖かったと記憶している。



俺はこの洗脳の書に書かれていないことを補足して彩夏に話した。


彩夏はさらに感動したようで、「なぜ警察官にならなかったぁー…」と言って俺を罵倒し始めた。


「そんなこと考えてもなかったぜ。

 これを読むと、当事の俺は警察官や探偵のように思うけど、

 俺自身にその想いがなかったからな。

 ただただ、自分が納得したいだけだったんだ。

 それにわずかながらの仕返し」


俺が言うと彩夏は、「ううううう…」と言ってうなり始めて、俺は例のビリビリとした感覚に見舞われた。


「ここで抱きつくのはマズいんじゃねえの?」と、俺が言うとビリビリ感は消え去っていた。


そして女性らしい顔をした彩夏が俺を上目使いで見た。


すると部屋に優華が駆け込んできて、「私の拓ちゃんだもんっ?!」と言って彩夏に悲しそうな顔を見せた。


「だけどよう、拓は本物の男だぜっ!!」と彩夏が男らしく言った。


男が男にほれたと言ったように感じて、俺はかなり笑ってしまった。


「彩ちゃんは好きな人いたじゃない?」と優華が言うと、俺は興味津々の顔を彩夏に向けた。


「おいおいおまえ…」と俺が言うと、彩夏はかなり困った顔をしてすぐに下を向き、エプロンが眼に入った途端、すぐに立ち上がって、「さ、仕事仕事…」と言った。


そして、「言うんじゃあねえぞぉー…」と彩夏は優華に顔を向けて言ってから、そそくさと部屋を出て行った。


店内に出た彩夏を追いかけようと客の腰が上がったのだが、ついさっきの捕り物のことを思い出して、何とか腰を椅子に落としていた。


「ふーん… 気づかなかったなぁー…

 菓子造りが恋人だと思っていたが…

 菓子を贈ったことがある…

 俺たち以外に…」


俺がつぶやくように言うと、「あはははは?」と優華が妙な声で笑った。


「ラブレターには登場していないやつで…」と俺は考えて、「…まさか警察官?」とついつい口走った。


俺と一緒に走っていた若い刑事のことだ。


今の彩夏は俺に警察官になってもらいたいような口ぶりだったので、ただただ頭に浮かんだだけだ。


だが俺はほとんど何も考えることなく、正解にたどり着いたようで、優華の顔色が教えてくれていた。


「あの刑事さん、今はどうしてるのかなぁー…」と俺が意味ありげに聞くと、「もうこの町にはいないよ?」と優華がかわいらしい笑みを少し引きつらせて言った。


「まあ、そうだろうなぁー…」と俺が言うと、「ここの会員だから、会えるよ?」と優華が言うと、俺はあの余裕の笑みに無性に会いたくなってしまった。



さらには、合田信一のあの目だ。


俺が聞こうと思った時、「合田信一君は死んだわ?」と優華が悲しそうな顔をして言った。


俺はなぜだかうなづいていた。


「人生を転げ落ちるように、転落人生を歩んで、

 悪い仲間に囲まれて命を落とした…」


「ううん、病気で?」と優華は少しだけ笑って言った。


さすがに誰もが重い病気にはなかなか勝てないだろうと思い、冥福を祈っておくことにした。


優華はまた表情に影を落として、「精神的な病気が悪化したって?」と悲しそうにしてうつむいた。


「悲しむことなんて何もねえ。

 そもそも自業自得だし、反省してねえからそうなった。

 自分が一番悪いと思ってもねえからだ」


―― かわいそうだが、情けはかけねえ ――


また俺の頭にこの言葉が浮かんできた。


確かに似たような心境ではあるが、これは俺の言葉ではないと感じている。


「うっ… う、うん…

 いけないんだろうけど、そうだって思っちゃった?」


俺の言葉は優華に反省を促したようだ。


死ねば同情することはいけないことだと俺は思っている。


それはただただ逃げたに等しい行いだ。


死人は一番強い存在になれるのだが、その気持ちは悪しか生まないと俺は信じてやまない。


… … … … …


数日後、この町の近辺で放火騒ぎが相次いだ。


警察は厳重にパトロールを開始したが、優華の店である、『グルメパラダイス』の近辺には近づかないようにして犯行が行なわれていた。


その理由は簡単で、この界隈は官庁がらみの建物が多い。


もちろん警察署もあるので、好んでこの辺りで悪さをする者はいないだろう。


よって、この警察署に捜査本部が設置されたようで、かなり人相の悪い大人たちがグルメパラダイスに出入りするようになった。


だが、会員証が必要なので、間違いなく刑事だと俺は感じた。


その中でひとり、少々居心地が悪そうにしている警察官らしくない男がいた。


俺はすぐに、一緒に走った刑事だと気づいた。


当然優華とは面識があるのだろうが、俺のことは気づかないだろうと思って何も言わずに、爽太郎と様子をうかがっていた。



この一階は基本的にはファミリーレストラン形式でメニューが作られている。


よって、どんなものでも食べられる便利なフロアだ。


家族連れで来店した場合、和洋折衷どんなものでも注文できるので、店を選ばずここの席に座ればいいだけだ。


だが、この店の料理がうまいとは限らないと誰もが思うことだろう。


それをクリアしているのがこのグルメパラダイスなのだ。



この一階の厨房には、彩夏のスイーツ部門と、洋食部門のシェフしかいない。


よって、そのほかの寿司や和食、フランス料理、中華料理などは、二階三階にある専門の店で作って出前をしている。


この一階が繁盛していて、二階三階に客がいないとしても、厨房は忙しくなる。


そして、出前専用のエレベーターが四機あり、二階専用と三階専用として二機ずつ割り振られている。


もちろんコース料理は専門の店に足を運んでもらうことになるのだが、単品であれば注文可能だ。


よって、何を頼んでも、専門の店の味なので、クレームはまったくと言っていいほどない。


しかも、従業員の忙しさも緩和されるので、あまりにも暇そうにしている従業員はほとんどいない。


しいて言えば、優華が一番暇だと感じる。



その優華が少し笑みを浮かべて会釈をした。


その相手は当時は若かったあの刑事だ。


今も若いと言っていい年代のはずで、50には手が届いていないはずだが、かなりの貫禄があると感じた。


刑事は囲いのある部屋に今気づいたようで、少し驚いた顔をして優華に頭を下げ返した。


そしてやけにそわそわし始めて、こちらをちらりちらりと盗み見るようなしぐさをし始めたのだ。


「…あー、俺の仲間にけってぇーい…」と俺が言うと、爽太郎がかなり困った顔をした。


「早めに誤解を解いておいた方がいいな」と俺が言うと、優華は笑みを浮かべて、すぐに刑事の席に行った。


優華はひと言ふた言会話をしてから、引率するようにこの囲いの部屋に刑事を連れて来た。


「お久しぶりです、刑事さん」と俺が言うとかなり困った顔をして俺を見た。


「マリア像の盗難の時に一緒に走りました」とここまで言ってようやく満面の笑みを俺に向けた。


さらには、あの時の若かった刑事の顔が出てきたのだ。


「出世コースに乗ったのはいいけど、精神的には厳しい世界…」と俺が言うと、「そういうことだね、言ってはいけないが、所轄の刑事に戻りたいね」と愚痴をこぼすように言った。


「そして、この美しさに魅了された」と俺は言って、爽太郎の肩に手を置いた。


―― あー、久しぶりに触れたなぁー… ―― と俺は感慨深く思ったが、直接肌に触れたわけではないので、それほど楽しくはなかった。


―― しかし女性っぽいよな ―― と改めて感じた。


「えっ! あ、いやぁー… あ、あははは…」と刑事は苦笑いを浮かべていたが、認めたも同然だった。



俺たちはここで自己紹介がてら名刺交換を始めた。


「はぁー… 拓生君は超エリートなんだなぁー…

 いやー、恐れ入ったよ…」


刑事の名前は、五月大河という名前だった。


今は少々名前負け気味だが、刑事を続けていたら名前負けしていなかっただろうと、俺はかなり失礼な想いを抱いた。


そしてさすがに爽太郎の名刺を見て驚いて、声も出なくなって固まってしまった。


しかし、聞いておきべきだと思ったのか口を開いた。


「学習塾の経営者…

 山梨、爽太郎さん?」


五月が言うと、「はい、山梨爽太郎です。性別は男です」とかなり女性っぽい声で、物腰穏やかに言った。


「…はあー…」と言って五月はまた固まってしまった。


「男の中の男、とは言いませんが、心の中には男しかいません。

 女性らしい気持ちなどさらさらないのですが、

 見ている者はそうは思いません。

 ですので知ったからには

 爽太郎をあまり困らせないでやって欲しいのです」


俺は涙を飲んでこの言葉を搾り出した。


俺としてはもっともっと爽太郎にアピールしたいところなのだが、こう言ってしまった以上、もうできなくなってしまった。


だがこれもいいことなのだろうと思い、少しだけ肩を落とした。


爽太郎はいい笑みを浮かべて俺を見てくれている。


それよりもいい笑みを優華が浮かべていた。



「ケーキとか、もらった記憶ありますか?」と俺が五月に聞くと、「ああ、それはもうっ!!」と言って、話題が変わってよかったと思ったのか、五月は笑みを浮かべて俺に言った。


「山東彩夏さんは当事から有名人だったからね。

 彼女のケーキをここで食べられるようだね」


五月は本当にうれしそうな顔をして言った。


「ええ。

 本物の彼女のスイーツが食べられるのは、今はここだけです。

 ほかの店舗は彼女の弟子が造っていますから。

 彼女の手造りは誰にもマネできないのです。

 レシピは同じなのに不思議ですよね」


俺が言うと、五月はさらに興味深く思ったようで、「ぜひ、あの日食べたケーキと比べてみたいものだね」とやさしい笑みを浮かべて言った。



その彩夏が厨房を出たり戻ったりしている。


優華がすぐに気づいて、部屋を出て行って彩夏を引率してきた。


当然、彩夏のファン避けのためだ。


しかし優華も多少は有名人で、メディアには出ていないが、雑誌などで顔は出している。


当然それを見て、この店の会員になっている客も大勢いる。


しかしプライベートでもあり仕事中でもあるので、失礼な客はあまりいない。


そういった者を会員として厳正なる審査をして選んでいるからだ。



「彩夏さん、久しぶりだね」と五月が満面の笑みで言うと、「はい、本当に…」と言って彩夏ははにかんだ笑みを浮かべた。


「ぜひ、あなたのスイーツを食べさせていただきたい。

 本物はここでしか食べられないと聞いたのでね」


五月が言うと、彩夏はかなり困った顔を俺に向けたが、「はい、喜んで」と言って五月に向けて頭を下げてから、きびすを返して厨房に戻って行った。


優華もすぐに彩夏の後を追った。


「超有名人放し飼い…」と五月が言うと、俺と爽太郎は大声で笑った。


五月は丁寧に礼を言ってくれて、自分の席に戻って行った。



俺と爽太郎は、五月たちを観察するように見ていた。


こちらをちらちらと強面の刑事たちが見ていたのだが、数名の顔色が変わっていたのだ。


その顔に俺は見覚えがあった。


ひとりは、近くの交番勤務だった警官。


ひとりは幼なじみ四人と俺の父母の七人で東北に探検旅行に行った時に見かけた刑事。


ひとりは九州に修学旅行へ行った時に会った刑事だった。


俺が爽太郎に話すと、「じゃ、二件はこの手紙に載ってない事件…」と爽太郎は笑みを浮かべて言った。


「あ、まあ、事件というか、三件とも予防処置って言うか…」


俺が言うと、爽太郎は笑みを浮かべてうなづいて、「犯人探しよりも起こるかもしれない事件を起こさないこと」と言って笑みを深めた。


「あ、まあ、そういうことになるなぁー…」と俺は妙に照れくさく思えてしまって頭をかいた。



すると、五月と意気投合したのか、その五月が引率するようにして三人を連れて来た。


「いやぁー、顔見知りばかりじゃなかったんだけどね、

 顔見知り以上に懇意になれそうだよ」


五月は少々ハイテンションで喜んで、三人を紹介してから俺たちは名刺交換を始めた。


爽太郎のことは話題にしないことはもう決めていたようで何も言わなかった。


「事件が起こらないようにすることが一番だからね」と当時は近状の児童公園の脇にある交番勤務だった山城が言った。


「俺としては悔しい思いで一杯だよ…」


青森に六人で旅行に行った時に、商店街で見かけた刑事の神足が言った。


「君のことはね、俺のいた署では伝説になっているんだよ。

 君が警察官にならなかったことは、

 この国にとって大いなる損失だ…」


熊本で出会った刑事の西條が嘆きながら言った。


今日はあいさつだけと言って、四人は深々と俺に頭を下げて席に戻って行った。


今はまるで、旧知の仲になったような四人に巻き込まれて、かなり怖かった席に陽気な会話の花が咲き始めた。


「この調子なら、放火犯もすぐに捕まりそうだな」


俺が言うと、爽太郎は潤んだ瞳で俺を見ているような気がした。


だがそれは錯覚だったのか、爽太郎はいつもの笑みを俺に向けた。



優華と彩夏が席に戻って来たので、今あったことを話すと、「どんな事件だったんだぁ―――っ!!」と言って、彩夏が騒ぎ出し始めた。


彩夏は青森の冒険旅行については現場にいたのだが、まったく覚えていなかったようでまた悔しがっている。


優華は現場にいなかった二件の話しも早く知りたいと思っているようで妙にそわそわしている。


「…教えてくれてたって、よかったんじゃない?」と優華は彩夏とは違って悲しそうにして言った。


「自慢話みたいだからイヤだったんだよ…」


「自慢すればいいだろっがぁー…」と俺の言葉に彩夏は簡単に喰らいついてきた。


優華は彩夏に賛同するように何度もうなづいている。


「もう、ふたりともいい加減にしてあげてよ」と爽太郎が言うと、少々言い過ぎたと思ったようで、二人は申し訳なさそうな顔をして俺を上目使いで見ている。


―― さすが、爽太郎… ―― と思ったのだが、やはり様子がおかしいと感じた。


爽太郎は何かを我慢しているのではないのかと感じたのだ。


言っても問題なければいいのだが、言ってしまうと、この居心地のいい場所が没収されてしまうように思ってしまったので、今はまだ言わないことに決めた。



「ところで、ケーキ、造ったのかよ」と俺が彩夏に聞くと、「おまえには食わせてやんねぇー…」と彩夏は歯をむきだして、かなり意地の悪い顔をして言った。


「…まあ、いいけど…」と俺が答えると、「いえ、ぜひ食べてやってください…」と彩夏は丁寧に頭を下げて俺に言った。


親しき仲にも礼儀ありの精神も持っているので、この程度のことでケンカになったことは今までに一度もない。



刑事たちは早々に食事を済ませてデザートタイムになったようだ。


「ちょっとな、あの席だけ面白いことをやってみたんだ」と彩夏が言ってにやりと笑った。


「あ、ここもだけどな」と彩夏が言ってすぐに、フロア係がケーキがふたつ乗っている皿を配膳してくれた。


「彩夏が作ったケーキを当てろって…」と俺が言うと、彩夏は満足そうにして無言でうなづいた。


「見た目ではわかんねえけど、食えばすぐにわかる」


俺は言ってから、右にあるケーキにフォークを縦に長く入れて、すぐにぱくついた。


そして左にあるケーキにも同じようにして食べた。


「やっぱ比べれば一目瞭然で右だ」


俺が言うと、彩夏の眉が上がり困惑の表情になった。


「…俺でもわかんなかったんだぞぉー…」と言ってぼう然としていたのだがいきなり、「ちくしょう―――っ!!」と言って怒り心頭になった。


優華と爽太郎も彩夏を同じでよくわからなかったようで不思議そうな顔を俺に向けた。


「彩夏の造ったものはな、きめ細かくて柔らかいんだよ。

 さらに弾力があるように感じるんだ。

 特にホイップクリームはよくわかるぜ。

 それを意識して食ってみな」


俺がアドバイスすると三人は真剣な顔を俺に向けて、またフォークで切って食べ始めた。


「うっ!」と彩夏が驚きの顔を俺に向けた。


「…その通りだった…」と言って、超一流パティシエは肩を落としてうなだれた。


優華も爽太郎も真剣な面持ちでゆっくりと食べてる。


そして俺の言ったことを理解できたようだ。


「あの席のおじさんたちでわかった人っていないと思う?」と優華が少し失礼なことを言ったが、俺はついつい笑ってしまった。


「やはり、少しでもダマがあると不快なんだよ。

 彩夏のケーキにはそれがまったくないんだ。

 俺はそれがすごいといつも思っていたんだ。

 さらに俺にとってはとんでもなくうめえって感じるんだ。

 まあ、これは、個人差があるんだろうけどな」


俺が感想を述べると、彩夏は泣き出しそうな顔をして俺を見て、「さらにがんばろうって思った…」と少し涙声で言った。


俺は彩夏に笑みを浮かべた。


「だけど、彩夏が造った方じゃねえ方もかなりいい出来だと思うぜ。

 普通に食ってたらわかんね。

 だからこういったものは味わって食うもんだってしみじみと思ったな」


「うん… それを教訓にして教え直すよ…」と彩夏は言って俺に頭を下げた。



日曜日に、いつものように四人で教会に行った。


今もきちんと、爽太郎のお気に入りのマリア像は立っている。


爽太郎はいつもよりも長い時間をかけて、マリア像を拝んでいるように感じた。



( 第一話 マリア像失踪事件 完 )


( 学校の階段で怪談事件 に続く )


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