第十五話 日本の危機を救ったヒーロー
日本の危機を救ったヒーロー
電動ローラースケートの販売元のホームページに、『タクナリ君に勝てるっ!!』といった若者をあおるような宣伝文句があり、防具込みで1セット7万円で販売されていた。
当然のように、『公道を走ってはいけません』と赤い文字でしっかりと記してあるので、販売元を締め上げることは不可能だ。
もっとも三人を逮捕したということは、タクナリ君に負けたことになるので、売り上げはかなり下がることだろう。
「小さいのになかなかパワーがあったよな」
俺が言うとエリカは、「どんだけ早いのよ…」とまたここで俺をにらんできた。
「相手が本領発揮する前に捕まえただけだ。
その方が疲れない」
「その通りだけどね…」とエリカがため息混じりで言って、妖艶な笑みを俺に向けた。
「俺の足も消耗品だからな。
今日は筋肉痛かと思ったが、
今のところなんともない」
俺が言うと、我が家の新しい下宿人の茜がフラフラとやってきて、その巨体の影が俺を覆って、その長い手が俺の太ももをさわさわとなで始めた。
「おまえ、夢遊病者のようだぞ…」と俺が言うと茜は正気に戻り、「あ、ゴメンッ!!」と言ってすぐに俺の足から手を放した。
「…生身にさわりたぁーい…」と茜は面倒なことを言ってきた。
「その権利はエリカだけにあるから、エリカに勝ったらな」
俺が言うと、茜は深くうなだれた。
「走るのは遅いもん…」と茜は悲しそうな顔をした。
「その分パワーはある。
何とかがんばって、エリカを負かしてみろよ」
「捕まえたっ!!」と茜は言ってエリカの両肩を押さえつけたが、エリカは右手で茜の左手の親指の付け根を軽くねじると、「痛い痛い痛い!!」と鋭く叫んだ。
「もろいな…」と俺が言うと、「怪物ぅー…」と怪物のような茜が、エリカを見て言った。
親指が相当痛かったようで、左手でさすっている。
「合気道、だよな?」と俺が言うと、「これもアメリカ製よ」とエリカはまた妖艶な笑みを俺に向けた。
「そろそろその眼、やめない?」と俺が言うと、―― しょうがないわね… ―― と思ったようで、いつものエリカに戻った。
「ところで、拓郎伯父さんも足速かったの?」と俺が父に聞くと少し考えてから、「いや、超人的なものはなかったな…」と考えながら言った。
「だが、マラソンは得意だった。
もっとも、根性だけは誰にも負けない
といった走りを俺たちに見せてくれた。
だからいつも、その足はテーピングだらけ」
父としてはあまり言いたくなかったようで、苦笑いを浮かべた。
「その反省を俺が引き継いだ」と俺が言うと父は、「そのようだな」と言って感慨深そうにしてうなづいた。
肉体の引継ぎはまずないだろうが、精神的には大いにあるはずだ。
俺はさらに、拓郎伯父の話しを聞くべきだと感じた。
「五月さん、菖蒲さんは今どこにいるんです?」と俺が聞くと、朝食のおよばれに来ている五月は驚いた顔を俺に向けた。
「警視長まで落とされて、警察庁に移動になってそれなりの事務方」と言って苦笑いを浮かべて言った。
「はー、辞めなかったんだ…」と俺は言って、そしてうれしく思った。
―― やめた方がいい… ―― と父は思っているようで、少々困った顔を俺に向けている。
「きっとね、菖蒲さんは拓郎伯父さんのことを
父さんよりもよく見ていたはずだ。
それに、美化しているとも思うんだよ。
その想いも拓郎伯父さんのものだと思うからね。
全てを話せば、菖蒲さんも変わるんじゃないのかなぁー…」
「私も行くもんっ!!」と優華が言って俺の腕を強く握った。
そしてエリカも何も言わないが、同行する意思が大いにあるようだ。
「誰かがいると本心を話さないはずだ。
今回はふたりっきりで会う必要がある。
その時は、かなり若返ってくれることだろうな」
俺が言うと、―― それは阻止するっ!! ―― といった眼を、エリカは俺に向けた。
「できれば、都合よく拓郎伯父さんが出てきてくれたら、
俺としては安心なんだよ。
菖蒲さんは何もできなくなると思うんだ。
欲など全てを捨てた、菖蒲さんになってくれると信じているんだ」
俺が言ってみんなの顔を見ると、俺の味方は衛だけになっていた。
さすがの父も、―― 賛成しかねるっ!! ―― という憮然な態度で腕組みをしていた。
「うーん…」と俺はうなってからしばし考えた。
そして、菖蒲を巻き込まない方法で、ある程度の真相を知ることはできると自信をもった。
そしてさらには、父の語りたくない話しも聞けるはずだと画策した。
「父さんは千代を愛しているんだよね?」
俺の言葉は、父に衝撃を与えたようで、眼を見開いたまま動かなくなった。
だが、「…おまえ…」と父はこの言葉だけを何とか搾り出した。
エリカを含めて、誰もが俺と父に注目した。
「菖蒲さんに聞くよりも安全で早い方法を取っただけだよ。
菖蒲さんのヒーローは拓郎伯父さんだった。
だったら、拓郎伯父さんのマドンナは誰なんだろうかと」
父たちの幼なじみ関係者で、俺が知っている女性は菖蒲だけだ。
これだとあまりにもバランスが悪すぎる。
きっと二三人の女性もいたはずだと漠然と思っていただけだ。
「正解は千代の母ちゃん」と俺が言うと、父とエリカがこれ以上ないほど眼を見開いた。
「…ち、ちがう…」と父はうろたえ、うなるように言った。
父が言った、「違う」は、ただの父の勘違いで、俺としてはそれほど殺伐としたことは考えていない。
「父さんは千代を幸薄い子として
漠然と足長おじさんになったわけじゃない。
そんなことやってたら、我が家は破産だ。
子供の頃の千代をいじらしく思っていた気持ちにウソはない。
そして、父たちの仲間だった女性の娘でもあったから、
なおさらその想いは募った。
だから、千代を養女にでもしようっていう
話でもあったんじゃないの?」
俺が言うと、父は憮然とした態度で俺をにらんだ。
「その通りだ」と父は威厳を持って堂々と言った。
「父さんが千代を愛しているのは、俺が前に千代に言った通り、
父さんの子供としての愛だ」
俺が言うと、エリカはまずはほっとしてから、おもむろに立ち上がって、父を抱きしめ、涙を流しながら、「…ありがとう…」とつぶやくように言った。
「子供のころの俺は勘違いをしていた。
千代の母ちゃんは俺に殺意を抱いたと思っていた。
実はそうではなく、
俺の中に拓郎伯父さんを見つけた
驚きの表情を向けただけだったはずだ。
純粋に青春の想いを抱いた驚きの顔だったはずだ」
俺が言うと、エリカを抱きしめている父は、「…その通りだ…」と言ってうなづいた。
父はエリカの母が捕まった後に会いに行って確認したんだろうと察した。
「忌まわしい事件のあと、
千代の母ちゃんは、父ちゃんたちと距離を置くようになった。
特に父ちゃんの顔を見れば拓郎伯父さんを思い出して当然だ。
だから、ヒーローは決して死んじゃいけないんだよ」
俺が言うと父は、「だがあの場合…」とまで言って、父は言葉をかみ殺した。
「マシンガンに向かって左側の足元に、
金魚すくいの大きな金属の水槽があった」
俺が言うと、父はまた眼を見開いて固まった。
「拓郎伯父さんはね、
それを見逃していたことを後悔したんだ。
だから俺はそうならないように全てを見ているんだ。
犬死だけはゴメンだからね」
俺が言うと父は肩の力を抜いてうなだれて、「…そうか…」とだけ言って、ほんの少しだが笑みを浮かべた。
「…タクナリ君、本当にすごいよ…」と衛が涙ながらに言ってくれた。
「俺はふたり分の魂を持っているからな。
すごくて当たり前なんだ」
俺が言うと、衛はさらに笑みを深めて俺を見た。
「衛だけが俺の味方だったんだけど、何か欲しいものってある?」
俺が言うと、―― しまったぁ―――っ!!! ―― といった顔を全員が俺に向けた。
「あはは、溜めておくよ。
タクナリ君、ありがと」
「ああ、いいぞ。
もう溜まりすぎてあふれそうだけどなっ!」
俺が上機嫌で言うと、衛はさらに喜んでくれた。
「父さんのマドンナもやっぱり…」と、俺が言うと、「黙秘するっ!!」と叫ばれてしまい、俺の疑問は簡単に拒否された。
言いたいことがほかにもあったはずなのだが、思い出せないのでそのまま出社した。
太陽光発電のプレゼンテーションについては後回しにして、新しいバッテリーの販売戦略についての論議を交わすことになっている。
近年、単一料金にて安価で販売する店が多く進出しているので、これが大手の販売としての最悪の敵となっている。
よって、乾電池一個の値段をかなり安く設定する必要がある。
開発費の回収なども考え、生き残っていくためには価格を極力抑える設定が必要だ。
ほんのわずかでも安いのならと、消費者は食いつく。
しかし、見通しは明るい。
この安価販売の店もそろそろ限界に達したのか、単一価格商品だけを扱わなくなってきた。
そうしないと採算が取れなくなってきているようだ。
よって、誰でもが一度は使ってみたくなる宣伝効果も重要となる。
『マナフォニックスの乾電池じゃないとダメだ』と思わせるような戦略が必要なのだ。
当社は様々な試みを行なってきたが、そろそろアイデアも出尽くしてしまっている。
よって、どうしてもイメージキャラクターに頼ってしまうのだが、これを何とか脱却する必要があると俺は思い、ひとつの提案をした。
会議室が静まり返ってしまったので、きっとうまく行くと思い、俺は自信をもった。
会議は終わり、気づくとそろそろ昼食の時間だった。
短時間で仕上がる作業を行い、ほっと一息ついて、同僚たちと食堂に足を向ける。
「…弁当…」と俺がつぶやくと、「愛妻?」と伊藤に言われて少々赤面した。
「食堂に行く時間を省こうと思いまして。
その分、自分の勉強に当てられると思ったんですよ。
彩夏に頼めば、二つ返事で頼まれてくれるんですけどね。
ですがそれも、もう終わりにしようと思っています」
俺が言うと伊藤は何か言おうとしたがすぐに言葉を引っ込めた。
また軽口のひとつでも叩こうと思ったのだろう。
「最近、専門知識もついてきたようだな」と俺は伊藤ににらまれてしまった。
「はあ、まだまだですが。
技術部の若手となら何とか言葉は交わせます」
伊藤は素早く俺をにらみ、「赤木君、すごいよな」と言って、心底感心しているという真剣な顔に変えた。
「彼は何も出来ない時間が長かったからですよ。
今はその時に思い浮かんだ疑問などを全てクリアにして、
造りたかったものへの挑戦も忘れない。
病というハードルを乗り越えた彼の想いは、
今ようやく身についたものに変わろうとしているはずです。
できれば効率のいい宣伝効果によってヒットさせたいものです」
俺が言うと、伊藤は感慨深くうなづいた。
早々に食事を終わらせデスクに戻り、今日は開発についての案を練ることに決めた。
もちろん、情報収集は欠かせない。
そのファイルを眺めている時に、携帯電話にメールがきていることに気づいた。
メールを開くと日本警察署からだった。
―― とことん邪魔される… ―― と思いながらもメールを開いた。
内容を読んですぐにインターネットニュースを見た。
まさかと思った。
この国はまだまだ平和ではなかった。
関西第一の都市の大阪で無差別テロがあり、大勢の人たちが命を失い負傷した。
基本的には人の多い場所での銃の乱射。
さらには手榴弾も二発使われていた。
まさに人間を狩る勢いがあったという。
目撃者の証言などから、襲ってきたのは日本人ではなかったという声が多くあったようだ。
犯行グループからの声明発表はなく、現在大阪府警が逃げたテログループの捜索に当たっているようだ。
俺が子供の頃に遭遇した事件とは違い、かなり乱暴なものだった。
そして明日はわが身と言わんばかりに、この都心でも戒厳令に近いほどの警備を敷くようになったようだ。
よって、日本警察署も微力ではあるが協力をすることになったという経緯だ。
しかし、かなり乱暴な事件なので、はっきり言って俺たちの出番はない。
どちらかといえば、出番は自衛隊にあるはずだ。
―― 自衛隊が動くのを待っている… ――
俺は漠然と考えた。
―― 朝鮮国が動く? ―― と何気なくだが考えた。
しかし本気で戦争をするつもりであれば、ミサイルを乱射するはずだ。
だがそれを行なわず、テロをもって陽動する。
俺はまさかと思いながらも、首相のホットラインに電話をした。
… … … … …
『タクナリ君、今度は国を守る大手柄っ!!』
退社する前に嫌なものを見たと思い、冷やかす伊藤の目をかいくぐりながら、俺はトイレに行って変装をして一階に降りた。
エントランスに出ると、やはりわが社は記者の囲みを受けていた。
もちろん、ここに入ってくる者はいない。
変装している彩夏たちとすれ違ったが、誰が見ているのかわからないのでスルーした。
質問をしてくる記者に声色を使って、「お話しできることは何もありません」とだけ言って、歩道に出てゆっくりと地下鉄の駅に向かった。
石坂と桐山ともすれ違い、俺はすぐに電話をかけた。
石坂は驚きの声を上げてから、早々に署に戻るとだけ言った。
俺はさらに五月と彩夏にも連絡を入れた。
ふたりとも、ほっと胸をなでおろしているようだ。
優華に電話をすると、『お兄ちゃん、やっぱりすごいっ!!』とわが妹に絶賛されたことだけがうれしかった。
「店は?」と俺が聞くと、『あー…』という、優華の落胆の声が聞こえた。
「取調室を臨時の俺のオアシスに」と言うと、優華は喜んでから電話を切った。
外からは見えない場所にあるので、いつもよりもかなり静かだろうと思ってほくそ笑んだ。
何事もなく家に帰り、父の服を拝借して、変装したまま外に出た。
多くの記者とともに野次馬も大勢いたので、やはり店内ではくつろげる状態ではないと思い、もうすでに俺だと気づいている衛にあいさつをしてから、裏手に回って従業員通路に入った。
取調室に入ると、ほぼいつものメンバーが俺をにらみつけた。
桐山がいつもは見せないかなり怖い顔をして俺に素早く近づいて、俺の腕を取り、簡単に床にねじ伏せられた。
「やはりすごいですね、桐山さん」と俺が言うと、「えっ?!」と言って桐山はすぐに俺を解放した。
「松崎さんっ!!」と桐山が叫ぶと、この場にいる全員があっけに取られた顔を俺に向けた。
「変装しないと帰れるはずがないでしょ?」と俺が言うと、「はは、そうだよな」と五月が苦笑いを浮かべながら言った。
「それよりもテログループは?」と俺が聞くと、「全員とは言わないが、主力戦力はそいだと見ていいらしい」と五月が答えた。
「できれば発表して欲しくなかったんですけどね。
ここが標的になるかもしれません」
俺が言うと、五月はあっけに取られた顔をして、頭を抱え込み始めた。
「自衛隊の護衛つきのレストランもいいかもしれません」と俺が言うと、優華は苦笑いを浮かべていた。
「優華、安心カメラの映像」と俺が言うと優華はすぐに外の映像を流した。
「あー、来てしまった…」と俺は言ったのだが、誰もこの異常事態に気づいていないようだ。
だが、衛はすぐに気づいて、彩夏に見える女を投げ飛ばして拘束した。
「犯人確保っ!!」と俺が叫ぶと、石坂と桐山が慌てて飛び出して行った。
「い、いや、どういうことだ…」と五月は映像を食い入るように見ている。
石坂と桐山が玄関に到着して、女のカツラをはいだ。
「今、彩夏も変装中だからですよ。
簡単なことです。
ところで女性警察官二名は?」
俺が言ったところで、玄関で石坂たちと遭遇して、茜が侵入しようとした女を拘束して立たせ、歩き始めたところで映像から消えた。
「取調べ、やりましょうか」と俺が言うと、「今回は特別ボーナスが出るなっ!」と五月は陽気に言った。
「報復だけならいいんですけど…」と俺が言うと、「…どういう…」と言って、五月は一瞬考え、「おいおい…」と言って苦笑いを浮かべた。
取調室に入ってくると、女は俺を見つけてフランス語でまくし立ててきた。
その内容は、『見つけたっ! 一緒に来いっ!!』と言っている。
「日本語、話せるんだろ?」と俺が言うと、「日本人だもん…」と言って肩を落とした。
「俺を連れ去ってどうするつもりなんだ?
参謀にでもなれって?」
「当然でしょっ!!」と女は堂々と言った。
「だが、組織は壊滅状態。
そんな危なっかしいところに行くわけがない」
女の組織がかなり大きいことはわかっていた。
この混乱に乗じて優秀な参謀を手に入れるだけの大芝居だと察しはついていた。
普段は、この女の組織は日本にはいないはずだ。
どうやら書類審査と実地試験に俺はパスしたようだ。
「そんなわけないじゃない…」と女は笑って言ったが、俺の表情が変わらないので驚いていた。
「数手先まで読んだ。
あんたの組織名と構成人員数」
俺が言うと、女は話すつもりはないようで、視線を外さず黙り込んだ。
「善の正義の味方は悪には加担しないぞ」と俺が言うと、「ふんっ!」とだけ女は言った。
「よく見ると傷だらけだな。
うまくファンデーションで隠している。
あんたは戦士なんだね」
俺は言ったが、女は何も話すつもりはないようだ。
「人殺し… 罪のない人々を…」と俺が言うと、さすがに火がついたような目で俺を見てきた。
「あんたたちはいらないから消えて欲しい。
ほんと、迷惑千万だ」
女は体を震わせたが、まだ言葉を発しない。
「奪った命を今すぐに返せっ!!!」と俺が大声で叫ぶと、「やりたくなかったわよっ!!」と女は叫んだがやっと声を発した。
「じゃ、やらなきゃいいじゃないか。
あんた自身の目的はなんなんだ?」
「え?」と女は言って固まった。
「組織なんてもうどうでもいい。
あんたはなぜ、人を殺したんだ?」
女はうつむいた。
きっと、組織に入ったのはいいが、ただの殺人集団でしかなかった。
できれば逃げ出したいが、人質でもとられているんだろうと感じた。
「さて、あんたはまずは金のために組織に入った。
家族に重病人がいる、など…」
俺が言うと、うまく的中したようで、女は驚いた顔を俺に向けた。
「保護する。
と言っても一時的だけどな。
…安全な隠し場所ってあります?」
俺が五月に聞くと、「ああ、VIP用だけど、無理にでも入れさせる」と五月は堂々と言った。
「俺ってそこそこやる男なんだよ。
あんたの組織とは違って、守ると言ったら守るっ!!」
女の目が揺らいだ。
そんな力までは持っていないはずだと思っているようだ。
しかし、女はここに来た。
その理由はこの女が一番わかっているはずなのだ。
「俺がちょっと首相相手にアドバイスをしただけでこの騒ぎだ。
もうわかってるんだろ?
ここは、藁にすがれ」
俺が言うと、女の妹が入院している病院と名前を言った。
五月はすぐに手配を始めた。
もちろん命令は首相が出す。
女は、後藤カレンという名前だった。
「当然、あんたも監視されているはずだが、何人ほどいると思う?」
俺が聞くと、「10人はいるはず…」と答えた。
よって、カレンは単独潜入としてだけ使命を帯びていたはずだ。
「今はそれほど外国人がいても目立たないはずだが、
見張りは日本人?」
俺が言うとカレンは、「多分…」とだけ答えた。
「捕らえられたのがわかるとどうするんだろうか。
作戦失敗として、見張りは消えるんだろうか?」
俺が聞くとカレンは、「ここに来るかも…」と言ってからうなだれた。
外の監視カメラではその様子はうかがえない。
衛が仁王立ちしているので攻め入ることは難しいと判断したようだ。
「まさか、本隊とかやってこないだろうね?」と俺が聞くと、「もうそれほどの戦力は残ってないから…」とだけ答えた。
「見張りは当然武器を持っているんだろうけど、拳銃とナイフ以外は?」
「拘束用の手錠、スタンガンくらい」
エリカが女のカバンの中身をテーブルに並べた。
「注射器は自決用?」と俺が聞くと、「ほとんど自分には使わないわ」と答えた。
「エリカ、ボディーチェック」と俺は言ったあと立ち上がって男どもは取り調べ室の外に出た。
「首相、八つ裂きけってぇーい…」と俺が言うと五月は、「手伝おう」とだけ言って、俺の好きな顔になっていた。
「俺よりも先に、父にやられるかもしれませんね」
俺が言うと、五月は少し大きな声で笑った。
「おっと、お客さんかな?」と俺が言うと、桐山が身構えて、素早くドアに近づき、扉だけ開けた。
『バンッ!!』と鋭い音が聞こえた。
拳銃の音だと気づいたのは、『カンッ!』と音をたて、向かいにある壁に当たった時だ。
俺はすぐに外に飛び出した。
「なっ!!」と叫んだ男の腹を目一杯蹴り上げた。
そして襟首をつかんで、桐山に向けて投げ飛ばしたと同時に足を引っ掛けた。
男はきりもみをしてアスファルトの上に寝転んだ。
桐山は簡単に男を拘束した。
―― 全然怖くない ―― と俺はごく自然に思った。
さらには、殺意があるはずなのだろうが、ピリピリしたものが沸いてこない。
しかし、カレンと相対した時にはかすかにそれを感じていたのだが、話す度にそれは消えていった。
「弱いなっ!!」と俺が言うと、「いや、強そうだぞ…」と石坂が少しあきれた顔をして言った。
「もうひとりいるな」と俺が言うと、「おい、当たったら痛いぞ」と姿の見えない五月が言った。
「いえ、それほど怖くありませんよ」と俺は言って、もうひとつある出口を少し蹴ってから、5メートルほど離れた場所の2メートルほどある壁から一瞬だけ頭を出した。
そこにはふたりいて、扉を凝視している。
緊張感はあるのだが、やはり怖くない。
俺はすぐに取調室に戻って、外の映像のチェックをした。
「あーあ、壊された…」と俺が言うと優華が、「大丈夫だもんっ!!」と言って別のカメラを望遠にして、攻め込もうとしているふたりの姿を捉えた。
「手榴弾でも欲しいですね」と俺が言うと、「そうだよなっ!!」と言って五月は笑った。
「あ、この男倒したけど、知ってる?」と俺が床に伏せさせている男に指を差してカレンに言うと、「…あんた…」と言ってカレンは俺に向けて眼を見開いた。
「弱かったぞ」と俺が言うと、カレンは驚いた顔から笑みを浮かべて、組織の名前と構成人数を教えてくれた。
キルメシアというカレンの所属する組織の本拠地はアメリカにあり、至るところで恐喝紛いのテロをしているそうだ。
今回の目的はまさに俺で、さらに商売の手を広げようとした作戦だったようだ。
だが本来の目的は、自衛隊の武器を奪い、潜水艦で日本国外に脱出する計画だったそうだ。
だが自衛隊は出動した振りだけをして、基地にとどまっていたので、標的となっていた富士山近郊の自衛隊基地で一網打尽となったようだ。
「今回の作戦で多分一番強い男よ。
ボスの右腕」
俺が倒した男の簡単なプロフィールをカレンは語ってくれた。
「あんた、自分が強いって思う?」と俺が男に聞くと、「腑抜けだった」と男はマジメ腐った顔で言った。
「罪を償ったら手ぶらできてくれ。
大歓迎しよう」
俺はカレンと男に言ってから外に出た。
俺はペイントボールを二個持って、一番外の扉から5メートル放れた場所から音を立てずに脚立に昇った。
ここからだと取調室が見えるので、外の状況も仲間のサインでよくわかる。
外のふたりはまだ場所を変えていないようだ。
中からの誘導で入り込むように命令されていると感じた。
俺は上半身を持ち上げて、手前の男の顔めがけてペイントボールを投げた。
今までは黄色だったのだが、今回は赤を使った。
ボールが当たった男は、意味不明の言葉を発して顔を両手のひらで抑えてその場にうずくまった。
もう一人の男はすぐに俺を見つけて俺に向けて銃を構えたが、その時には男の顔にも、ペイントボールが当たり、血の海となっているように見える。
幸い発砲されなかったのだが、まったく怖くなかった。
俺はこのままで辺りの気配を探ったが、もう危険はないと感じた。
しかし、今のままでは少々頼りなく感じるが、やはり敵がいる時は緊迫感は感じていた。
石坂と桐山がすぐに俺のそばに着たので、俺は脚立の上から壁を乗り越えて外のアスファルトに降りた。
石坂たちも同時に扉を開けて外に出てきて、ふたりの銃を踏みつけた。
五月が通報したようで、パトカーのサイレンが聞こえた。
俺はすぐに取調室に戻った。
「パトカーが来たけど?」と俺が言うと、「呼んでないぞ」と五月は言って、気合の入った顔をした。
「今から呼ぶ」と五月は言った。
「外の応援、行ってきます」と俺が言うと、エリカが俺の手を握ってきた。
「心強いな」と俺が言うと、「もちろん!」とエリカは陽気に言った。
俺は少し寄り道をしてから全力で走って平面駐車場に出た。
警官に見える者がパトカーから出ようと扉を開けた瞬間を狙って、扉を蹴りつけて閉めた。
「ギャッ!!」と言った声が聞こえた。
きっと、指の二三本は折れたはずだ。
ナンバーを見ると、ここの地域のものではなかった。
「衛、ひっくり返せっ!!」と俺が言うと、「やったぁーっ!!」と言って衛は喜んで、後部のバンパーを勢いよく持ち上げて、横ではなく縦に車をひっくり返した。
『ドーン、ボコッ、バリバリッ!!』と猛烈な音がした。
大きな回転灯のプラスチックが砕け、破片が飛び散った。
「おー、すげえなっ!!」と言って俺は衛を絶賛した。
割れた窓から消火器のホースを入れて、レバーを握った。
『プシュ―――ッ!!』と勢いよく粉が車内を覆った。
電気室にあったものなので、電気火災用のものだ。
窒息するかもしれないので素早く扉を開けて、中にいた四人をすぐさま引きずり出した。
ボディーチェックをすると、45口径の派手な銃を持っていた。
確実に警官ではないと、ここで確認を終えた。
「出番、なかったじゃない…」とエリカがかなり残念そうな顔をして、ひとりの拘束を終えた。
衛が三人を積み束ねて踏んづけていた姿を見て、俺はかなり笑った。
またサイレンの音が聞こえたが、今回は本物のようだ。
見知った警官の顔もあった。
そしてこの現状を見て警官たちはあきれ返っていたが、笑顔で俺たちに敬礼をしてくれた。
護送車が来て、テロリスト全てを引き渡した。
今回は初めから県警が首を突っ込むようで、若い刑事があいさつをしてくれた。
レッカー車も到着して、作業員は驚くよりも笑っていた。
そして転覆した車両を元に戻した衛に驚きの目を向けている。
ここにいては危険だと思ったのか、記者も野次馬も消えてしまった。
もっとも、衛を恐れたのだろうと俺は思った、
その衛は今は、子供たちに賞賛を浴びている。
今の衛の顔が一番輝いていると俺は思いうれしく思った。
父が憤慨した様子でレストランに姿を現した。
今は取調室ではなく、いつもの日本警察署にいる。
「首相、死刑で」と俺が言うと、「そうしたいところだ」と父はかなり怒っていた。
「ああそうだ、思い出した」と俺が言うと、「死刑の上乗せか?」と父は少し笑いながら言った。
「ぜんぜん違う話だよ。
俺と千代がキスをした件」
俺が言うと、父はよくわからなかったようで、思案している。
「今じゃなくて、子供の頃だよ。
目玉の公園で」
俺が言うと、父は思い出したようで笑顔でうなづいた。
「皐月から聞いた話だったからな」
父は柔らかい笑みを浮かべて言った。
エリカは何の話だかよくわからないようで、不思議そうな顔をしている。
「千代を養女に迎えなかった理由…」と俺が言うと、「その通り」と父は言って、エリカに笑みを向けた。
「千代を養女にしなくても娘にする方法があるからな。
する必要はないと俺は判断したんだ」
父が言うとエリカはかなり喜んだようで、「ちょっと違うけど、その通りになってうれしいっ!!」とエリカは言って父に甘えに行った。
少々疲れた顔をした彩夏一行が警察署に入ってきた。
「ほんと、ついてないよな。
ここ、戦場だったんだぞ」
俺が言うと彩夏は、「ちくしょおおおおおっ!!」と言って頭を抱え込んで床にひざを落とした。
「それよりも、おまえの父ちゃん処刑な」と俺が言うと、彩夏はかなり困った顔をした。
「そのせいで死にかけた」と俺が言うと、彩夏は、「ああ、今日から拓生様の奴隷で…」と自分の都合のいい奴隷になろうとしてきた。
「じゃ、俺から5メートル以上10メートル以内にいること」
俺が言うと、「…ごめんなさい…」と言ってすぐに謝ってきた。
「あ、やっぱり罰」と俺は言って、できれば弁当を作ってくれと頼んだ。
すると優華も参戦してきたので任せることにした。
当然母も言ってきたので仲間に加えた。
俺は優華に顔を向けて、「爽花はどうするのかなぁー…」と聞くと、「あー…」と優華が少し落ち込むようにため息をついた。
「あー… 料理はできない」と俺が言うと、「あははは…」と優華が笑った。
「エリカも料理はできない」と俺が言うと、「勉強するわ…」と言って、彩夏に頭を下げ始めた。
「あ、さらに彩夏への罰」と俺が言うと、「はい、なんなりと…」と彩夏は少々かわいそうなほどに憔悴しているように見えたが、きっと演技だろうと感じた。
「エリカを一人前にシェフに」と俺が言うと、「はい、かしこまりました、ご主人様…」と言って、恭しく頭を下げた。
「あ、お父さんは?」とエリカが父に聞くと、「千代が作ってくれるのなら頼みたいな」と笑顔で言った。
父は確実に俺よりもエリカを愛していると感じた。
他人なのだがこの絆は大切だと俺は感じた。
彩夏にはもうひとつ願い事をして快く引き受けられた。
ニュース番組で、憔悴した顔の首相が姿を見せた。
どうやらかなりの勢いで父に叱られたのだろう。
そして、余計な事をしてしまったと、かなり反省して頭を下げていた。
全てのテロリストの拘束を終えたことも付け加えて発言して、早々に国外追放処分にしたようだ。
もちろんその身柄はFBIの手の中にあるようだ。
本来ならば日本で裁判を受けさせるはずだが、首相としてはアメリカに貸しでも作ろうと思っているはずだ。
… … … … …
変装して通勤しているのだが的が外れて、『タクナリ君フィーバー』は沈静化しているように見えた。
たが、ゲリラ的には張られているので、しばらくは変装して出勤することに決めた。
社に入り、トイレに入って変装を解いてから、デスクの椅子に身をゆだねた。
「おい、早速か」と伊藤は言って、少々ゴージャスなデコレーションバックを見ている。
「ああ、伊藤さんの分もありますから」と俺が言うと、「えっ」と小さく驚きの声を上げた。
「…ああ、申し訳ない…」と伊藤は言って、ここは礼儀正しく俺に礼を言ってくれた。
「彩夏の父ちゃんのせいで大騒ぎになったので
罰として造ってもらうことに決めました。
もちろん、彩夏だけじゃなく、エリカたちも巻き込みましたけどね」
「はは、それはいい」と伊藤は言って手を出してきた。
今欲しいようなので、俺は伊藤に弁当を差し出した。
「…愛妻弁当…」と伊藤は微笑んでつぶやくように言い、「今日も一日がんばれるっ!」と気合を入れてパソコンの画面を開いた。
昼食時、食堂で俺の話しを聞こうと思っていた者が大勢いるんじゃないかと、同僚たちが話してくれた。
そういった面倒もないので、弁当はいい手だったと俺はうまい擬似愛妻弁当に舌鼓を打った。
とんでもないデコ弁だったらどうしようと思ったのだが、超高級弁当のように見えて俺としてはかなり満足だ。
「…弁当じゃねえ…」と伊藤は言って笑いながらうまそうにして弁当を食べている。
弁当組の者が俺たちの弁当をうらやましそうにして鑑賞して行った。
「みんなも少し豪華にしてもらえばいいんですよ」と俺が言うと、「帰って絶対言う」と言って、俺たちの弁当の写真を撮り始めた。
見本があればできなくもないのだが、「おせち?」といった声も多く上がった。
確かに内容はその通りだ。
そして俺は気づいた。
油紙が入っている。
きっと、彩夏からのラブレターだと思い、俺はこっそりと封を開けて、メモ用紙を出した。
そこにはホテルの名前だけが書いてあった。
ここに来いという事だろう。
さてどうしようかと思い、伊藤に全てを話した。
伊藤は苦笑いを浮かべて、「偶然を装って食事にでも誘うよ」と言って俺に礼を言ってくれた。
「うまく口説いてやってください。
そして驚いてください」
俺が言うと、「ますます楽しみだ」と言って、今までにはない笑みを俺に向けてくれた。
一日の仕事を終え、トイレで変装をしてから外に出た。
やはりまだまだタクナリ君を追っている者は多いようだ。
そして、刑事らしき者も数名いると感じた。
俺は少々演技をしようと思い、少しだけ右足を引きずるようにして歩いた。
このような記憶が一度だけある。
少々練習の度が過ぎて、足の裏の皮がずれてしまって水ぶくれができてしまったことがある。
比較的硬い足の裏だったので、柔らかい部分に負担がかかったようだ。
その当事のことを思い浮かべながら、俺は電車に乗り込んだ。
最寄り駅についても、刑事らしき男たちがいたが、今日はのんびりさせてもらうことにして家まで帰って来た。
当然のように家の前にも刑事らしき者がいた。
そして俺を怪訝そうな顔をして見た。
セキュリティーを外して玄関を開けると、家のものだと思われたようでそっぽを向かれた。
ごく普通の態度だったので、面白くないので今の刑事の願いは聞かないことに決めた。
やはり、少々インパクトがあった方が俺としては楽しい思いになる。
俺はまた父の服を拝借して変装したまま外に出た。
刑事たちがまた胡散臭そうにして俺を見ているが、声をかけるつもりはないようだ。
俺はレストランに行き、日本警察署に入るとみんなの大爆笑を受けてから席についた。
「何か事件でもあったんですか?」
俺は変装を解きながら言うと、「きっとな、ただのあいさつ」と五月が苦笑いを浮かべて言った。
「あ、俺を追っている刑事がいる所轄や県警の協力は
一切しないと流してください」
俺が言うと、「そうしよう」と五月は言って、パソコンの前で手もみをした。
母はいるがやはり彩夏はいない。
今頃はどうしているだろうかと思い、俺は少しほくそ笑んだ。
すると、携帯のランプが光っていた。
彩夏からのメールだった。
『どうして来てくれないのよっ!!』と書いてあったので、『行く必要がないから』とだけ返しておいた。
ということは、伊藤と食事でもしているんだろうと察した。
エリカと茜が帰って来たので、今朝の彩夏の様子を聞くと、「なんだか、決心したような眼…」と言ったので、全てを話すと、「あきれたぁー…」と言って、俺の顔を見た。
「俺があきれられたの?」
「そうに決まってるじゃない…
ご注進する必要はないの。
だけど、帰ってきたら、料理の先生は処刑…」
エリカが言うと、俺は少し笑ってしまった。
「あっ、そうだ。
刑事たちが一目散に駅に向かって走って行ったけど…」
エリカが五月に顔を向けて言うと、「タクナリ君の命令」と答えた。
「はー、脅しちゃったのね…
悲壮感に溢れていたわよ」
エリカは俺の顔をのぞき込んで言った。
「面倒だから殺虫剤をまいただけ」と俺が言うと、「かわいそ」とエリカは言ってから、優華に夕食の注文をした。
午後10時ごろに、少し怒った顔の彩夏が日本警察署に入ってきた。
「きちんとできたか?」と俺が言うと、「ええ、気持ちよかったわぁー…」とかなり演技を入れて言った。
「エリカの初体験の時」と俺が言うと、「教えないわよおー…」と言って俺をにらんだ。
「だけど、肉体的には不快感で一杯だったわ」とエリカが言うと、「そうなの?!」と言って彩夏は驚きの声を上げた。
「彩夏もいざとなると優華と同じなのかもしれないな」
俺が言うと、「ご主人様にデザートでもって思ったのにぃー」と彩夏は妙にかわいらしく言った。
「伊藤さんの嫁になってやってくれ。
弁当ひとつでもう篭絡できていたと思う」
俺が言うと彩夏は真剣な顔をして、「男性って、あんなに真剣な顔ができるんだなあーって始めて感じたわ…」と彩夏は言って、演技ではあるのだが、かなり感情を込めて言った。
「俺の場合は少々ふざけているからな。
彩夏には伊藤さんがふさわしいと感じた。
だけど、最終的な決断は彩夏自身がして欲しい」
俺が言うと、彩夏よりもエリカが反応して俺をにらみつけた。
「…ふざけてなんかなかったわよ…」とエリカは唇を尖らせて言った。
「そろそろふざけるかもな」と俺が言うと、エリカは握り拳を俺の腹に当てた。
すると、『パンッ』と少し軽い音がした。
「ああ、これ… それで…」とエリカはようやく気づいたようだ。
「胸から下を撃たれてもまず死なない。
戦闘モードの時は左手に持って戦う。
俺は基本、足だけで戦うから、
手がふさがっていてもあまり問題はない」
俺は胸からライオットシールドを取り出した。
「あー、いいなぁー…」とエリカが言った。
「軽いから気にならない。
しかも、通常の1.5倍の強度があるから、
22口径以上でも弾は通さないそうだ。
SITにはこれよりも弱いが軽いものを装備しているそうだ。
俺は少しばかりは重い方が安心感があると思ったんだよ。
だからこそ、拳銃の前に出てもそれほど怖いと思わなかった。
だが、さすがに構えていない時に頭を撃たれたら
一巻の終わりだから、慎重に行動するけどな」
「そんなこと考えずに戦ったんじゃないの?」とエリカに言われてしまった。
まさしくその通りだと感じたので、次回があれば、少しは気にかけることにした。
「防弾チョッキでもいいんだけどな。
強度が同じなら、軽い方がいい。
今、みんなの装備も作ってもらっている。
最低でも刃物は恐るるに足らん」
五月が言うと、みんなは笑顔で大きくうなづいた。
「だが、銃弾を受けた時の衝撃が大きいかもしれないが、
防弾チョッキよりも拡散するので、
それほど痛く感じないかもしれない。
それに、あまり踏ん張らない方がいいかもしれない。
力に押されて吹っ飛ばされて、
そのまま背走するといったことも可能だと思う」
五月は少し笑いながら言った。
爽花が署に入ってきて、無言でマリア像を抱きしめた。
そして、「ほっ」とため息をついた。
「なんだよ…」と俺が爽花に聞くと、「恋、しちゃったかも…」と言ったのでさすがに驚いてしまった。
「そうか… じっくりと育んでくれ」と俺が言うと爽花にイヤと言うほどにらまれた。
「なんだよ…」と俺が言うと、「どうして色々と聞かないのよ…」と爽花は怒りの絶頂にあるように感じた。
「ウソならウソと…」「ウソですよーだっ!!」と爽花は俺をかなりにらんで言った。
「俺の反応を知りたかった。
少しでも悲しげな顔をすればまだ脈はあるかもしれないと、
一縷の望みを抱いていた。
それを考えていたから、こんなに遅くなった」
「説明しなくて助かっちゃったわっ!!」と爽花は言って、優華に食事の注文をした。
「俺は嫁に行けといったからな。
そして俺はウソはつかない。
そしてできれば幸せになってもらいたい。
しかし人生、そううまくことは運ばないんだろうけどな」
俺が言うと、「わかってるわよぉー…」と爽花は言って少しふてくされた。
「あ、マリア像…」と俺が言うと、全員が注目した。
「菖蒲さんだけが、肉体の変化があった。
拓郎伯父さんは菖蒲さんに何か伝えたいことがあったのかなぁー…」
俺は試しに、マリア像を抱いた。
『正解』と言って答えてくれたような気がした。
「やっぱり、菖蒲さんと会った方がいいかもしれない。
五月さんがここから追い出された時に署長でも…」
俺が言うと、五月は泣き出しそうな情けない顔になった。
今回はなぜかみんなは神妙な顔をしている。
「俺の仲間の気持ち?
そして、賛成できないから微妙…
心から賛成してくれている人は、
桐山さんだけのような気がする…」
俺が言うと、「だって、あんなに困らせたんだよっ!!」と優華が大声で叫んだ。
「罪を憎んで人を憎まず。
また踏みにじられるかもしれないけど、
我慢し耐えることも修行だ。
そしてこの場合は、
頼られたら仕方ねえ、気にしねえ、気にしねえ」
俺が言うと、「さらに迫られるだけだわっ!!」とエリカが猛烈に反発した。
「その時には、
かわいそうだが、情けはかけねえ」
俺が言うと、父が拍手してくれた。
そして桐山も笑顔で追従してくれたことがうれしかった。
「早い方がいいのかもな。
確実に食いついてくるだろう。
そしてできれば、生まれ変わってもらいたいところだな」
父は感慨深げに言った。
「ああそうだ。
菖蒲さんの少女時代からの変化は?
拓郎伯父さんが亡くなる前まで」
俺が言うと、父は少し考えて、「皐月とは違う、一般的なお嬢様そのもの」と、父は俺が予想していた回答を告げた。
「ほかに、何かポジティブになれる要素」
俺が言うと、父はかなり考えた。
「拓郎兄さんの前でだけ…」と言って父はまた考え込んだ。
「妙にムキになっていた」と言ってまだ考えていた。
それは今の菖蒲と同じなのだが、そこには快楽はなかったはずだ。
ただただ、拓郎伯父と話しをしたかっただけ。
その純粋な気持ちだけを抜き出せばいい。
「いや、それだけだったように思う」と父が言ったところで、「拓郎伯父さんの反応は?」と俺が言うと、父は少し考えて、「笑っていたな」と笑顔で言った。
「あー、なるほどな」と俺は言って感心してしまった。
決して話しを聞く方がムキになってはいけない。
きちんと話しを聞いてやることが重要だと感じた。
「拓郎伯父さんが、菖蒲さんのことを何か言ってた?」
父に聞くと、また深く考え込み始めた。
「しょうがねえやつだ、と言っていつも笑っていたな」
「あー、それだぁー…」と俺は言って、さらに自信がついた。
「昔のことだからあまりないと思うけど、スキンシップは?」と俺が聞くと、「ああ、それはないな… いや…」と父はまた考え込み始めた。
「チョップ…」と父が言ったので、俺は少し笑ってしまった。
「あまりにも菖蒲が声を荒げた時にそれを止める方法だと思う。
頭に軽く手刀を落とされると、
菖蒲は笑っていたような…」
俺は笑顔で深くうなづいて、「菖蒲さんが普通の人になれるという自信がついた」と俺は言った。
「もっとも、惚れられるかもしれないけど、
だったら今でも同じ事だ。
できればあまり策略のない菖蒲さんを見てみたい」
俺が言うと、父は笑顔でうなづいてくれた。
… … … … …
優華から菖蒲の携帯番号を聞き出した。
そしてふたりっきりになれる場所は、あそこでいいだろうと思い、早速行動することにした。
菖蒲に連絡すると、いきなり拓郎伯父が出てきて、俺としては驚いたのだが、菖蒲の方が驚いていて、拓郎伯父の話に、『うん…』と妙に静かに答えてた。
―― 取調室でよかったのか… ―― と俺は思ったのだが、拓郎伯父は堂々と言い放ち、菖蒲はこの時だけ、『うんっ!』と元気のいい返事をしてから電話を切った。
電話と実際に会うのとでは大違いだと思いながら、俺は日本警察署内で菖蒲が現れるのを待った。
「あはは、驚いた…」と俺が言うと、仲間たちも全員、ホホを引きつらせている。
菖蒲は20才前の顔で、この日本警察署を背伸びをして見ている。
「じゃ、行ってくらぁーっ!」とここでもまた、拓郎伯父が出てきた。
俺はすぐさま立って、外に出て、「よう、菖蒲、久しぶりっ!!」と大声で言うと、「拓ちゃんっ!!」と言って上気した顔を俺に向けた。
菖蒲はスキンシップをしようともしない。
さらには、言葉が疑問形になっていない。
これは電話をしている時からそうだった。
菖蒲にとって、いきなり消えてしまった拓郎伯父は不思議な存在となっていたようだ。
だが今は、菖蒲の目の前には本物の拓郎伯父がいる。
よって言葉が疑問形にならないのだ。
「さ、行こうぜ」と俺は言って、菖蒲に背を向けて歩き始めた。
「うんっ!」と元気よく答えた菖蒲は、俺のとなりに来てかわいらしい笑みを俺に向けた。
「マリア様、きちんと持ってたみてえだな」と俺が言うと、「もちろんだよぉー…」と菖蒲は笑顔で俺に答えて、マリア像を首元から出してぶら下げた。
「今の気持ち、ぜってえ忘れんな、いいな?」と俺が言うと、「うんっ! もうわかったもんっ!!」と菖蒲は答えて、俺に笑みを向けた。
取調室に入ると、「うわぁー、普通の取調室よりもいいよぉー」と菖蒲は妙な感心をしていた。
「今日来てもらったのはほかでもねえ、ああ、座わんな」と俺が言うと菖蒲は、満面の笑みを向けて、俺の正面に座って、テーブルに両ひじをついて、ホホに両手のひらを当てて俺を楽しそうにして見ている。
ドアがノックされた。
それと同時に、菖蒲がかなり困った顔をした。
嫌悪感ではないので、ただただ、邪魔されたくないとでも思ったようだ。
「おう、へえんな!」と俺が言うと、「あ、邪魔してゴメンね…」と衛が言って、トレーに乗せたコーヒーカップとポットをテーブルの上に置いた。
「じゃ、邪魔者は退散するからね!」と衛は言って、そそくさと外に出て行った。
「あー、すっごく大きい人…」と菖蒲は言って、衛が出て行ったドアを見つめていた。
「勝手に入れて飲んじまえ」と俺は言って、ポットの頭を押して紅茶をそそいだ。
部屋中にいい香が漂ってきた。
「酒の方がよかったな…」と俺が言うと、「すぐ寝ちゃうじゃないっ!!」と菖蒲は言って楽しそうにころころと笑い始めた。
ここは拓郎伯父と菖蒲だけの世界になった。
話しをしていると、菖蒲が拓郎伯父に惹かれたのはそれほど早い時期ではなかった。
どちらかといえば、少々言葉の荒っぽい拓郎伯父を嫌っていたようだ。
だが転機が訪れた。
菖蒲が面白がって、取り巻きたちと特定の者をイジメている時に拓郎伯父と遭遇した。
当然のように、拓郎伯父は菖蒲を責めた。
菖蒲としてはイジメることが楽しいと主張したので、拓郎伯父は、それならばと、菖蒲をイジメ始めたのだ。
自分がどんなに醜いのかを知った菖蒲は心から反省したようだ。
そして拓郎伯父を好きになってしまった。
「あー、懐かしいなぁー…」と俺が言うと、菖蒲は笑顔のまま泣いていた。
「なんでえ…」と俺が言うと、「演技じゃない…」と言った菖蒲の涙は止まらなくなっていた。
「口寄せってやつ?
わかる者にだけわかりゃあいいんだ」
俺が言うと、菖蒲は子供のようにワンワンと泣き喚き始めた。
だが、俺の声は届いているようで、「うん、うん」と言って答えている。
「もっとも、口寄せしたのは苦楽のやつだっ!!」と俺は笑いながら言った。
菖蒲は泣きやんで、俺を不思議そうな顔をして見ている。
「拓生という名前だよ。
拓郎に生き返って欲しいってなっ!!」
俺が言うと、菖蒲はまた口をゆがめて唇を痙攣させて大声で泣き出し始めた。
「拓生の邪魔をしちゃあいけねえ。
逆に協力しろ。
おめえにはその力があるはずだ。
わかってるよな、菖蒲」
俺が言うと菖蒲は泣き腫らした目を俺に向けて、何度も何度もうなづいた。
「じゃ、最後に…
俺の最後の状況と傾向と対策だ」
俺が言うと、菖蒲は泣くことをやめて、一度は首を激しく横に振って懇願の眼を向けたが、思い直し座り直して、真剣な眼を俺に向けた。
拓郎伯父は、数分間の出来事を時間をかけて菖蒲に説明した。
そして傾向と対策編には、何度も何度もうなづいている。
「ほんと、大失敗だ。
だから拓生は失敗しねえ」
「守るもんっ!!
拓ちゃんと、タクナリ君をっ!!」
「そうか、ありがとな」と俺が言ったところで、俺の体の力が抜けた。
「あー、出ずっぱりだったなぁー…」と俺が言うと菖蒲は、「ありがとう…」と柔らかい笑みを俺に向けた。
「菖蒲さんに拓郎伯父さんは、
最後の話しをしたかったんだと思ったんだ。
だけど消えてはいないと思うんだ。
また菖蒲さんが悪さをしようとしたら、
カンカンになって出てくるかもね。
もしくは出てこないかも…」
俺が言うと菖蒲は、「もうわかったもん…」と言ってかわいらしくホホを膨らませた。
「仕事の話」と俺が言うと、菖蒲は姿勢を正した。
「できれば五月さんたちを外したくないんだ。
だけどさすがにそれは無理。
優華と彩夏がこれから警察官全てと面接をする。
その中で見込みのある者だけをここに回して欲しいんだ。
できれば、菖蒲さんをここに引き入れたかったんだけどな、
外から援護して欲しいんだよ」
俺が言うと菖蒲は少しさびしそうな顔をしたが、「協力は惜しまないわ」とだけ言った。
話は終ったとばかり俺が立ち上がると、「話し、付き合いなさいっ!!」と言ったので、俺はここで菖蒲の頭に軽く手刀を落とした。
「今日は終わりだ」と俺は、俺自身なのか拓郎伯父なのかわからない感情で言った。
「えへへ…」と菖蒲は笑って、少しだけ舌を出した。
「じゃ、仲間たちのところに行こうか」
「えっ?!」と叫んで菖蒲は驚いている。
「一緒に働いていても、外で援護してくれていても、仲間は仲間だ」
俺が言うと菖蒲は新たな涙を流して、「うん、そうだね…」とつぶやくように言った。
変わってしまった菖蒲は、優華と双子のようになってしまっていた。
これも拓郎伯父の力だったんだろうと感じた。
拓郎伯父としては菖蒲に対して恋愛感情よりも肉親、妹として接していたのだろう。
よってその絆は誰よりも深かったのだと感じている。
だからこそ、拓郎叔父は簡単に奇跡を起こしていたのだと俺は思っておくことにした。
菖蒲はみんなに今までのことを謝った。
そしてその言葉使いも、ごく自然になっていた。
やはり一番喜んだのは優華で、俺の腕を取ったまま離れなくなった。
菖蒲がこれ幸いと、相手いる俺の左腕を取ろうとしたが、「ダメェ―――ッ!!」と言って叫んだ。
「拓郎叔父さんにそんなことしてなかったよね?」と優華が言うと、「うっ! どうしてそれを…」と菖蒲は言って驚きの顔を優華に向けた。
「チョップだけだったって聞いたもん…」と優華はホホを膨らませて言った。
「うー… ずっと抱きついていたらよかったわ…」と菖蒲が言うと、「チョップだけは菖蒲さんの特権」と俺は優華を見て言ってやった。
「えー…」と優華は言ってひどく落ち込んだ。
「これこそ平等だろ?」と俺が言うと、まだ号泣している父が何度も何度もうなづいている。
当然のように、ここにいて取調室の様子を見ていたからだ。
よって、菖蒲が本当に変わってしまったということを、誰一人として疑ってはいない。
菖蒲にとっても、ここは居心地のいい場所になったはずだ。
「私、ここに引っ越そうかなぁー…」と菖蒲が言うと優華が、「部屋ならいくらでもあるよ!」と言って笑顔で菖蒲に言った。
「じゃ、タクナリ君のおうち…」と菖蒲が欲を見せたとたんに、俺のチョップが菖蒲の頭を襲った。
「…うう… 調子に乗っちゃったわ…」と言って菖蒲は反省を始めた。
この時母は、とんでもないことを考えているようだと感じた。
菖蒲を不憫に思って、家に招きいれようかと考えているようだ。
だがさすがに判断できないので、まだ泣いている父に相談に行った。
父はさすがに困惑の眼を俺とエリカに向けてきた。
だが俺としては答えは決まっている。
「母さんの社長、
出ずっぱりになったら出て行ってもらえばいいんじゃない?」
俺が言うと、そうすることに決めたようで、母が菖蒲に家に住むように勧め始めた。
普通であれば反対するはずの母の意思なので、菖蒲は快く礼を言った。
「…あ、社長って、あのドラマの…」と菖蒲は恐ろしいものを見るような眼で母を見た。
「あれって、母さんの本来の姿…」と俺が言うと菖蒲は、―― 早まったかっ?! ―― といった顔をした。
母に叱られなければ何もないが、ついついという出来心は確実に許されない。
菖蒲は気を引き締めるように、「今まで、自由すぎたわ…」とまた反省を始めた。
優華は今の菖蒲なら問題はないようで、心の底から喜んでいる。
… … … … …
優華と彩夏の全国行脚が始まったが、基本的には日帰りで日本警察署に戻ってきている。
しかし疲労がふたりを襲っていると感じた。
よって、彩夏は予定通り、本来の女優業を休業している。
暇になった母と陽子は、旅行の代わりのように彩夏について行って青春を謳歌しているようだ。
よって母の機嫌はすこぶるいいのだが、家長の機嫌は優れない。
―― そろそろか… ―― と俺は思って母に、「家族団らん」とだけ言った。
母は驚いた青をして、すぐに父に謝った。
そしてこの一週間は夕食は家族だけでと誓うように言った。
父は逆に気が引けたのか、「…いや、ありがとう…」と礼を言っている。
ここ最近は全てが落ち着いてきたので、また優華の書いた洗脳の書に眼を落とした。
~ ~ ~ ~ ~
中学に上がってすぐに、俺は陸上部に入った。
この当時から何事においてもライバルだった千代も俺に倣うようにして後続してきた。
優華はどうしようかと悩んでいたようだが、爽太郎との帝王学の授業があるので自由な時間はあまりない。
よって、ここは涙を飲んで部活動に入ることは断念した。
優華は、誰よりも先を見て生きていたのだ。
千代も同じで、俺よりも爽太郎から受けていた授業数は多い。
しかし、部活動の時間だけは、千代は生き生きとしていたと俺は思っていた。
在校生の中学三年生の半数は肉体的にはもうすでに大人だった。
たった二年だが、ここで初めて、優華の気持ちがわかったような気がした。
俺は誰よりも子供だったと、少々反省したのだが、実際上級生と交わってみて、―― 子供だった… ―― と俺は思い、落胆したことを思い出した。
俺としては、この学校で何かできることも同時に探した。
もうこの時点で俺の夢は、『誰かに喜んでもらうこと』になってしまっていた。
小休憩や昼休みは学校中を回った。
よって、よくない上級生を見かけることが多々あった。
さすがに体が小さいので、教師に言いつけることが精一杯の俺の正義だった。
だが、これでいいのかという思いも当然あった。
言いつけるだけでは、オレ自身のためにならないと思い始めていたのだ。
だが、身体的には相手はほぼ大人だ。
殴られ蹴られすると、とんでもなく痛いだろうと思い、俺は怯えていたはずだ。
できれば平和的にことを進めた方がいいと思い、悪さをする場所をなくすことを考え始めた。
基本的には、眼の届かない校舎裏を何かに利用して入り込めないようにする。
そしてトイレなど、眼の行き届かない個室にもアイデアを用いて悪さができないようにする。
数々の構想を抱えて、それを実際に紙に起こすだけとなったのだが、ここで異変が起こった。
イジメなどがぱったりと治まってしまったのだ。
その影には爽太郎がいた。
爽太郎は生徒会にある提案をした。
それは運動部員を中心にして、構内を見回るという自警団のようなものだった。
爽太郎を神と崇める上級生が多くいたので、爽太郎の願いは簡単に聞き入れられたのだ。
よって中学時代の俺の企画書は幻となり、俺は中学三年間をほぼ平和な日々で過ごした記憶しかない。
だが、当然のように楽なことだけではない。
それは俺が選んだ部活動内部にあった。
『怪我あっての功績』
俺の練習方法が気に入らなかった上級生たちが、俺をあおるような態度に出てきたのだ。
だが、当事の俺は誰よりも足が速かったので、これは難なく切り抜けられた。
よって、マイペースで日々を積み重ねたが、これを惜しく思った部の顧問教師がしゃしゃり出てきた。
しかしこれも、爽太郎が抑え込んでしまったようで、俺は千代とともに厳しいがデートのような部活動を楽しんだ。
一度の練習で過酷なことをせず、暇さえあればいつも千代と走っていた。
千代ももうすでに陸上部のエースだったので、上級生も先輩たちも何も言えなかったようだ。
だが、俺よりは遅いので、千代は歯を食いしばって俺についてきていた。
こんなある日、事件が起こった。
屋上には出られないはずなのだが、ひとりの女子生徒が投身自殺を図ろうとしていたのだ。
この時は何がどうなっているのかわからなかった。
しかし、助けなければいけないと思い、ぼう然としていた教師たちにはっぱをかけた。
当然のように爽太郎がすぐに声を荒げて、安全対策をとり始めた。
体育倉庫からマットなどを持ち出してきた。
そして、大きく丈夫な遮光カーテンを大人数で握り締めた。
もし転落したとしてもこれで安心だった。
しかし、万が一を考えると、このまま放置しておくわけにもいかない。
俺が考えている時に、「拓ちゃん、行くよ!」と言って爽太郎が俺の手を引っ張って、校舎に入り、階段を駆け上った。
屋上に出るドアのドアノブに、鍵が刺さったままになっていた。
鍵のありかを知っていて持ち出して開けたようだ。
「谷口さんっ!!」と爽太郎が叫んだ。
「事情を話してっ!!」とさらに爽太郎が叫んだ。
すると、柵を乗り越えていた谷口美幸はゆっくりと振り返ってきた。
ほんの数センチ前は、奈落の底だ。
その顔は涙に濡れていた。
顔面は真っ白で、妙に赤く見えるくちびるが小刻みに震えている。
「鍵、どこにあったの?」と俺は聞いた。
すると谷口は驚いた顔を俺に向けた。
「…あ、開いてたの…」と谷口は答えた。
「相手の手に乗っちゃダメだ!」と俺が叫ぶと、美幸も、そして爽太郎も驚きの顔を俺に向けた。
「…だけど、誰にも言えない…」と美幸は言った。
当事の俺としては具体的には何が原因なのかはわからないが、精神的なダメージを負っていることはよくわかった。
そして、その策略に落ちようとしていることも理解できた。
よって、当事の俺でも、この言葉は簡単に出てきた。
「失恋したの?」と俺が聞くと、美幸は大声で泣き出し始めた。
「ボクにはまだよくわかんないんだけどね、
大切なものを奪われたって考えると、
本当に悲しいし、悔しいって思うんだ。
僕はね、走ることが大好きなんだ。
もし、足を怪我したら、練習相手を取り上げられたらって思うと、
すっごく悔しくて悲しく思うはずなんだ。
谷口さんとは違うけど、ほんの少しだけ気持ちはわかるんだ」
美幸は俺を見て、笑顔を見せてくれた。
そして、ゆっくりとだが、何があったのかを話してくれた。
俺も爽太郎も赤面してしまったが、ここは気丈に耐えた。
「悪い大人の言うことなんて聞いちゃダメだっ!!」
俺の心からの叫びが届いたようで、美幸は体を震わせながら、強く金網に指をかけ握り締めた。
俺はすぐに柵をよじ登って、爽太郎と協力して美幸を柵を上らせて、安全な場所に降ろした。
「ひっどい大人だよね。
これって計画殺人だよ…」
俺が言うと、美幸は俺に抱きついて大声で泣き出し始めた。
爽太郎がやけにおろおろしている姿を見て、俺は笑ってしまった。
「谷口さん、どうする?
ボクが、お父さんとお母さんに話そうか?」
爽太郎が言うと、美幸は一旦は首を横に振ったが、考え直したようで、「ついていて欲しい…」と言って顔は爽太郎に向いているのだが、俺を強く抱きしめた。
―― 僕も行かなきゃいけないんだね… ―― とこの時はこんなことを考えていたはずだ。
俺は階段を昇ってくる足音を聞きつけてすぐに、「鍵っ!!」と叫んでから美幸の腕からなんとか抜け出して、ハンカチを出して踊り場に出た。
そして、眼下の踊り場に見える鬼のような顔をした教師らしき男を見下ろして、鍵を素早くハンカチに包んでから鍵穴から抜いた。
「このガキッ!!」と教師が言ったので、俺は素早くドアを閉めた。
そして鍵に触らないようにして抜いてからドアを閉めて鍵をかけた。
俺は校庭側の柵に走って金網をつかんで、「殺されるっ!!」と叫んでやった。
大勢の教師たちが慌てふためいて校舎に走って入って行った。
「あー、怖かったぁー…」と俺が言うと、美幸は今度は抱きつかないようで、「松崎君、本当にありがとう」と言って柔らかな笑みを浮かべて涙を流した。
踊り場にいた教師は、大勢の教師たちに囲まれてしまったようで言い訳のようなことを言っている。
しかし、大人であればこれがどういうことなのかはすぐにわかったはずだ。
「もう大丈夫だ、開けていいぞっ!」と、俺の担任教師だった円谷の声が聞こえた。
俺はすぐに開錠して、ドアを開いた。
「松崎、肝を潰したぞ…」と円谷はほっとしてから笑みを俺に向けてくれた。
「ボク、ウソ言ってないです」と俺が言うと、「お、おう、そのようだな」と円谷は言って、開いているドアを見ている。
谷口は爽太郎に抱きかかえられてゆっくりと階段を下りた。
俺はその後ろを歩いていたのだが、「拓ちゃんっ!!」と叫んで優華が走ってきて俺に抱きついた。
そして優華はワンワンと泣き叫び始めた。
優華は同級生だが、今は二才年下の妹でしかないように感じた。
美幸は振り返って俺たちを見て、妙にさびしそうな笑みを浮かべていた。
俺が叫んだことで警察沙汰になったが、生徒には何も知らされることはなかった。
俺と爽太郎は美幸に付き添って、両親と会った。
そして美幸の口から、全てが語られた。
当然父親も母親もわが娘と教師に対して激しい憤りを感じていたが、俺たちがいることで、それ以上の怒りを向けることはできなかったようだ。
「大人が悪いんだよ」と俺がボソッと言うと、父親が俺をにらんできたが、すぐに肩の力を抜いて、「…そうだよな…」と言って、俺の頭をなでてくれた。
俺と爽太郎は美幸の両親に深く感謝されて家を出た。
門扉の前で、千代と優華が心配そうな顔をして俺たちを見ていた。
~ ~ ~ ~ ~
この事件に関しての記述はわずかなのだが、優華には様々な感情があったようで、感想の方が本文よりも長かった。
やはり一番は年長者である爽太郎の行動力。
彩夏がいないので、爽太郎としてもリーダーになった方がいいと思っていた節がある。
しかしそれは学校でだけのことで、放課後はいつもの五人組だった。
当事の優華は、異性関係の知識がまだまだ幼かったので、説明することが困難だった。
よってそのジレンマを優華は延々と綴っていた。
「俺が一切でてこねえ事件を読んでんじゃあねえぇー…」
いつものように彩夏がからんでくると、少々面白かったので、ついつい笑ってしまった。
「彩夏がのけ者みたいになっていたよな」と俺が言うと、話しを聞いていた優華と千代は少しだけうなだれた。
「まあなっ!!
…だがな、誰も責められねえことがつれえ…」
彩夏は言って、優華たちと同じようにうなだれた。
「ま、一年だけだったし」と俺が言うと、「長げえんだぞ、一年…」と彩夏が言い返してきた。
「それは言えるよなぁー…
今なんて一年なんてすぐに経っているような気がする。
大学卒業して、もう二年だもんな…」
俺が言うと、「自慢かぁー…」と言って彩夏がひがみ始めた。
「おまえは大学に行くつもりなかったんだろ?
俺から見れば社会人としてはおまえは三年先輩になるんだぞ…」
俺が言うと、「おおっ!! そうだったのかぁ―――っ!!」と彩夏はかなりの勢いで喜んで、先輩風を吹かし始めた。
「だけど、そういう意味でいえば、
おまえは5才の頃から女優だったし、
爽太郎なんて5才の時からもう塾の講師だった。
優華は14才で実業家だ。
エリカは高校すっ飛ばして大学に入った。
俺が一番、のんびりと構えているような気がするなぁー…」
「バケモノたちのことはこの際どうでもいいんだぁー…」とバケモノ仲間の彩夏が暴言とも言える言葉を吐いたが、優華は苦笑いを浮かべているだけだ。
「ま、確かに化け物級だよな。
エリカなんて、その上を行くバケモノだからな。
俺だけが人間のような気がするよな」
俺の言葉は少々気に入らないようだが、彩夏は急に演技を始めて、「…にっ! 人間同士の… 私も人間だから… 生理的衝動体験…」などと、意味不明の言葉を吐き始めた。
「そんなことよりも、もう終っちまったんだ」と俺があきれ返りながら言うと、優華が俺の腕に抱きついて、「うんっ!! やっと終ったよっ!!」と満面の笑みで言った。
「じゃ、その内訳…」と俺が言うと、優華の表情は暗かった。
この日本警察署には、まずは早急にでもふたりは必要になる。
オリンピックに出場する桐山と茜の代わりだ。
オリンピック開催期間中に所轄署から警察官を出してもらってもいいのだが、できれば仲間意識を深めたいと思っている。
短期間でも、気に入った仲間として受け入れたいと思っているのだ。
「桐山さんと同等の人8人、アカネちゃん11人、石坂さん22人、五月さん、3人…」
俺はさぞ肩を落としたことだろう。
さすがに少な過ぎると俺は感じている。
「まずは署長が大問題だな…
3人の中に菖蒲さん、入れてるんだろ?」
俺が聞くと優華は申し訳なさそうな顔をしてうなづいた。
「実質ふたり…」と俺は言って、頭を抱え込みたくなった。
「署長はできれば、警察官がいいからなぁー…」
俺が言うと、「おしい人はね、10人ほどいるんだけどね…」と優華が言い訳のように言った。
「おしい人… クセが強いか…」と俺が言うと、「うーん… 民間人はいらないって…」と優華は申し訳なさそうに俺を見ている。
「警視総監タイプか…
それならそれでいいんだけどね。
俺は本業に力を入れるだけだし。
だけどそうなったら、日本警察署がなくなる」
「功績、すっごいのにねっ!」と優華が笑みを浮かべて言った。
「それを維持するのが大変なんだよ。
かといって、それを専業にすることもできない。
時々活躍していれば、誰にも文句は言われないって思うけどな」
俺が言うと、彩夏がなぜだか自慢げに胸を張っている。
「…おまえ、余計なこと言っただろ…」と俺がにらむと、「本当のことを言っただけだっ!!」と彩夏は堂々と言い放った。
「おまえにタクナリ君の真似ができるのか?
って言ったらな、誰もがにらむばかりで言葉がでねえんだぞ!
認めたも同然じゃあねえかっ!!」
彩夏は言って、腰に手を当てて大声で笑い始めた。
「…プライド、ズタズタだよな…
警察、やめっちまうかもな…」
俺が言うと、優華はそれを認めるようにうなづいた。
さらに、拳銃所持問題について聞くと、やはりタクナリ君信者に不適合者はあまりいなかったが、刑事部でいえば中間層の、課長、係長クラスに多く不適合者がいたようだ。
よって、それほどの問題にならずに、母の希望だった拳銃の所持については終結したといっていい。
… … … … …
変装を解除して数日経ったある日、仕事の帰り道に妙な感覚に見舞われた。
尾行がついているのだが、どう考えてもひとりしかいない。
警官ではないのかと思いながら、俺は巻かずに捕らえることに決めた。
俺の家のすぐ近所に、少々変わった家がある。
昔の名残なのか、家の四面に沿って全てに道路があるのだ。
幼いころは、この家を中心にして走り回っていた。
この家にも子供がいたのだが、俺たちよりも少々上なので、付き合いはなかったが、会えばあいさつはする。
その路地のような道路に俺は素早く逃げ込んで回りこみ、相手の背後を突こうという考えだ。
案の定、簡単に罠にはまってくれて、今は俺の目の前で、左右の道の確認をしている。
そして素早く振り返り、俺の顔を見て憮然とした態度を取った。
男の特徴は50才前後で、五月と同年代だと感じた。
身のこなしなどはそれほど機敏ではなく、キャリア組のはずだ。
それほど面白くなさそうな男だったので、捕らえることはやめて、俺はすぐに家に入った。
ここ二週間ほどは家での食事が中心だが、優華と彩夏の疲労も癒えたようで、明日からはどうなるのかは不明だ。
すると門扉の外にあるチャイムが鳴った。
モニターを確認すると、尾行していた男だった。
「何かご用でしょうか?」と俺が言うと、『ごあいさつだけでも』と言って言葉は柔らかいのだが、表情は相変わらず憮然としている。
「これから食事なんですよ。
一時間後に、向かいにあるレストランに来てください」
俺が言うと、男はかなり困った顔をした。
日本警察署勤務の石坂や五月を知っているのかもしれないと思ったが、『わかりました』と男は言って頭を下げた。
―― 優華とは接触あり ――
これは当然のことだ。
会員証を持っていないと、店に入ることは不可能なのだ。
しかし、グルメパラダイスが会員制だということを知らないかもしれない。
だが、俺を尾行しているほどなのでそれはないと俺は思い直した。
父と母が同時に帰宅して、そのあとすぐにエリカもリビングに入ってきた。
俺はエリカに顔を向けた。
「気になる男、店に入って来なかったか?」と俺が聞くと、「来たわよ」とエリカは平然とした顔をして言った。
「なんだ、千代のお気に入りか…」と俺が言うと、「あんたはエリカって呼びなさい」とエリカに姉のように言われてしまった。
父は苦笑い気味に、俺とエリカを見ている。
「一年ほど前に一緒に仕事をしたわ。
検挙したのに礼も言わなかった。
余計なことをするなって感じ…」
俺は納得の笑みをエリカに向けた。
「エリカを呼んだのは県警本部だから、
所轄はもう手が出せなかった。
そこの署長はただでさえ機嫌が悪い」
俺が言うと、エリカは小さくうなづいてから、母の手伝いを始めた。
「その署だけ、俺たちは手を出さないっていうのはどうだ?
署長自らが解決しろってな。
どこの署なのかは優華が知っているから、
県警本部に通達しておけばいい。
民間の協力がどれほど重要なのか、
まったくわかっていないようだからな」
俺が言うと、エリカは振り向かずに、「まあね」と言った。
「日本の警察の検挙率が高いのは、国民の協力があってこそなのに。
警官だけがいれば解決するって思っている人って案外多いのよ」
エリカが言うと、父は大いにうなづいている。
「俺じゃなく、父さんに話してもらおうかな…」
俺が言うと、「ああ、それでもいいぞ」と言って父は少し笑った。
父は博学なので、相手がクイズ王でも言い負かすことは可能だ。
ここからは家族だけの会話の時間になり、エリカも父も表情が緩んだ。
しかし母の表情だけがあまりよくない。
きっと、明日からは忙しいのではないかと漠然と感じた。
「母さんはまた忙しくなるの?」と俺が聞くと、「ギクッ!!」と母が言ったので俺たちは大声で笑った。
そしてなぜだか俺を上目使いで見てきた。
「なんだよ…」と俺が言うと、「ドラマなんだけどね、一緒に出ない?」と少し小さな声で俺に聞いてきた。
「出るわけないだろ…」と俺が言うと母は、「ふぅー…」とため息をついて、「…やっぱり…」とつぶやくように言った。
「やっぱりね、本格的にね、ドラマに挑戦しようかなぁーって思って…」
「いや、それはまずは父さんと相談して決めて欲しいな」
俺としては何気ない言葉だったはずだが、母にとっては破壊力があったようで、父に申し訳なさそうな顔を向けている。
「任せる」と父は言ったのだが、またエリカに指摘されるとでも思ったのか、少し考えてから、「詳しい内容を聞かせてくれ」と言った。
母は始めは申し訳なさそうに説明したが、後半は乗りに乗って、もう出演することが決まったような口ぶりになっていた。
話しを聞いていて、母の相手は俺がする必要はないと感じた。
「本当に二ヶ月でいいんだろうな?」と父が威厳を持って言うと、「あー、いろんな都合で、伸びちゃうかもぉー…」と母は父を見て言ってから俺に、―― 助けてぇー!! ――― と言った眼を向けてきた。
「…まあ、いいだろう…
だが、また同じようなことを繰り返すんだろ?」
父は厳しい言葉を母に向けた。
母は、「…はい、ごめんなさい…」とすぐに謝ったので俺は大声で笑った。
「俺としては、母さんは女優になってしまったと思うことにするよ。
だけど、俺を巻き込まないでくれ。
ただでさえ目立ちたくないんだから」
俺が言うと、父もエリカもうなづいている。
「はい、善処しますぅー…」と母が言ったが、「それじゃダメ」と俺が言うと、母は泣き出しそうな顔になった。
「俺じゃなく、ケンでいいじゃないか…」と俺が言うと、それはそうだと母は思ったようだが、「ちょっとね、演技が下手…」と言うと、また俺は大声で笑ってしまった。
「俺なんか素人なんだぞ」と言うと、母は猛烈な勢いで首を横に振った。
「あの、リアルの映像のようにやれって?」と俺が言うと、母は満面の笑みを浮かべた。
「残念だけど、もうできないと思う」と俺が言うと、「そんなことないもんっ!!」と母は食い下がってきた。
「そこまでの気持ちにならないと、あの表現はできないと思う。
演技ではなくリアルでないと、俺は俳優はできないはずだ。
演技は何かに置き換えて考えるなどの工夫をするはずだが、
残念だけど、それでは本来の俺は出せないはずだ。
それがわかっているから辞退しているんだよ」
俺が言うと、「…同じ事言われたぁー… 先生に…」と母はつぶやくように言った。
「彩夏だよな?」と言うと、母はこくんとうなづいた。
「先生の言いつけは守った方がいいな」と俺が言うと母は、「はぁー…」とため息をついた。
「…爺さんに言いつけ」「それだけはやめてっ!!」
俺の言葉を遮るように、母は猛然と抗議するように言った。
「一番いいのは寺嶋の家は母さんが継いで、
翔君を次期社長に育て置くことだ。
これが寺嶋の家にとってベストなんだよ。
母さんに拒否されたから爺さんは俺に期待した。
爺さんの思惑通りに産まれたけど、
俺の居場所は寺嶋の家ではなかった。
俺としては、敷かれたレールはイヤだし、
社長もしたくないんだよ。
母さんは俺に無理やり俳優業もやれと言っているんだよ」
俺が言うと、母は肩をすぼめて上目使いで俺を見てから、恐る恐る父を見た。
「拓生の言った通りだと俺も思うな。
そして、拓生の生きたいように生きて欲しい。
皐月だってそう思わないか?」
父が異様に優しく言うと、「はい、反省しましたぁー…」と言って母はぼそぼそと食事を再開した。
反省したのはいいが、きっとどこかでガス抜きをするはずだと俺は感じて、嫌な予感がした。
家族四人でグルメパラダイスに行くと、日本警察署内にいる五月と石坂がひとりの男を気にしていた。
もちろん、どこかの所轄の署長の男だろうと思い、その視線を追うとやはりその通りだった。
石坂はそれほどでもないが、五月はライバル視していると感じた。
きっとあの男も、石坂に刑事としてのレクチャーを受けた口なんだろうと感じた。
俺は男の席に邪魔することにしたが、来客たちの視線が熱い。
ここはまずいんじゃないかと思っていると、優華がそそくさとやってきた。
そしていきなり、男が座っているボックス席だけが透明の囲いに包まれた。
「おいおい…」と俺が言うと同時に、閉じ込められた男が少し慌てた。
天井を見ると、どうやらここだけ厚みのあるガラスが出るような細工を施してあるように見える。
もしもの時、誰かを閉じ込めるにはもってこいの檻だ。
俺は目の前にある扉を開けて、狭いガラス張りの部屋に入った。
「俺も驚いてしまいました」と俺が言うと、「からくり屋敷…」と言って男は少しだけ笑みを浮かべた。
「五月さんとはライバルですか?」と俺が聞くと、「ええ、そのようなものです」とごく自然に答えた。
「犬塚千代にも話は聞きました」と俺が言うと、男は憮然とした態度に戻った。
ここで名刺交換をして、俺は眼を見開いた。
かなり気になったかが、詳しい話は聞かないでおこうと決めた。
「犯人、捕まりましたか?」と俺が聞いたが、答えるつもりはないようだ。
この男は八条勲といい、静岡県湯けむり警察署の署長だ。
石段で起きる強盗事件を抱えている署だ。
「さて、お話を聞きましょうか」と俺が言うと、「事件に手を出さないでいただきたい」と八条は俺が考えていた通りの言葉を放った。
「手を出しているわけではありません。
ただ話しをしただけです。
聞いてくるから答えただけ。
それのどこがいけないのでしょうか?
俺としては全て断ってもいいのです。
ですがもし、全てを断っていたとしたら、
この国はもうなくなっていたかもしれませんね」
俺の言葉に、八条は何も言えなくなってしまったようだ。
「さあ、あなたの番です、答えてください」
「すべてがそうだと…」と八条は自信なさげに言った。
「全てがそうです」と俺が答えると、また八条は黙り込んだ。
「さあ、あなたの番です」と俺が急かすと、八条は鬱陶しそうな顔を俺に向けた。
「あなたには何もできない。
だだただやっかんでいるだけだわ。
男らしくない…」
俺の背後から社長が口を出してきた。
八条はいきなり現れた母を驚きの目で見ている。
面白そうなのでここは見ておこうと思った。
「さあ、あなたの番よ。
ほら、言い返しなさいな…」
母の口調は社長にしてはまだ序の口だ。
八条の返答次第でどんどんエスカレートする。
「…親を出すとは…」と八条が言って俺をにらんできた。
「子の名誉を守るためなら親が出てきて当然だっ!!!」と母の社長の怒りは一気に沸騰点までに達した。
八条は母のあまりの剣幕に恐れおののき始めた。
「タクナリ君は訪ねてきた者に対して
ただただ善意を持って話しをしただけ。
その証拠は全てあります。
タクナリ君が中心となって解決した事件は二割にもならない。
その二割も、タクナリ君に襲い掛かった火の粉を払うためです。
これ、調べてからここに来たんでしょうね?」
母が言うと、八条はさらにバツが悪くなった顔をした。
「この程度のことを調べずに来たのかおまえはっ!!!」と母が叫ぶと、『キイィィィィンッ!!』とまた耳鳴りがした。
「鼓膜が破れそうだからもうやめてくれないかな?」と俺が言うと、「俳優になってちょうだい」と母は冷静に言って来たが、「父さんに…」と言うと、「あら、耳鳴りかしら…」と言われとぼけられた。
「…申し訳ありませんでした…」と八条は頭を下げた。
「ご協力により、犯人を逮捕しました。
本当に、ありがとうございました」
八条は頭を下げたままだ。
俺と母は何も言わずに透明の檻から出た。
俺たちは日本警察署に入った。
「五月さんとライバルだそうで」と俺が言うと、「俺よりも硬い」と言って、五月は右手の人差し指で頭を突いた。
「ま、実直だからな。
面倒かもしれないが使えるはずだぞ」
石坂はようやく頭を上げた八条に笑みを向けながら言った。
「これでやっと三人…」と俺が言うと、「何の話しだ?」といって五月は聞いてきた。
日本警察署の次期署長候補の話しをすると、五月は妙に情けない顔をした。
そして、一時期抜けてしまう桐山と茜の話しをすると、五月はすでにその候補を選抜していた。
短期間なので、極力近場から四名をほぼ決定したようだ。
当然、優華の助言もあってのことだ。
そのリストを見せてもらうと、ひとりだけ見覚えのある名前だった。
俺がリストを見ていると、「私もね、驚いちゃったのっ!」と優華が言った。
「俺との相性は?」と俺は苦笑いを浮かべると、「あー…」と言って優華は少し考え込んでいる。
「なんだ、知り合いか?」と五月が言うと、「ええ、中学校時代の先輩です、谷口美幸さん」と俺は答えた。
「なにっ!!」とエリカが言ってオレからリストをひったくった。
「ダメッ!! 却下っ!!」とエリカが署長のように激しく拒否した。
「俺もその方がいいと思うけど、結婚は?」と俺が優華に聞くと、申し訳なさそうな顔をして、「してたの…」と答えた。
「ますますダメねっ!!」とエリカは今度は社長のように言った。
俺は五月に顔を向けた。
「俺もエリカに賛成です。
だけど、最終的に候補に入った。
その理由を知りたいんですけど」
「半分は腕っ節。
もうひとつは異様にクール」
そう育っていても当然だと俺は感じた。
「男運、ないんだなぁー…」と俺は感慨深く言った。
「だからダメだってっ!!」とエリカは猛烈に反対した。
「自信、ないの?」と俺がエリカに顔を向けて言うと、「うー…」とエリカはうなって俺を上目使いで見ている。
「谷口美幸さんだけテストをしたいですね。
ああ、四人とも、ということで。
数日間、ひとりずつここで働いてもらう、とか…」
俺が言うと、「こういったチャンスがあるということを知ってもらうためにもいいな」と五月は言って、早速日程調整を始めるようだ。
「…あなた、浮気しないで欲しい…」とエリカが妙に演技っぽく言ってきた。
「ラブレター」と俺が言うと、「抹消したいいいいいっ!!」とエリカが叫んで頭を抱え込んだ。
「ふーん…
エリカのラブレターに浮気自由って書いてあったのか」
石坂が少しニヤケながら言った。
「ええ、快く浮気は認めるという文章がありました。
ですけど、それはお互い様という意味もあります。
仕返しではありませんが、恋人を何人持っても構わない。
だけど、月に一度は必ずデートをして欲しいという、
男心を激しく刺激する内容です」
俺が言うと、「はぁー、それは男としてはうれしいよな」と石坂は感慨深く言った。
「…全部言っちゃうんじゃないわよ…」とエリカが言うと、優華はいつもと変わらないが彩夏が何かしようと企み始めた。
「彩夏はそろそろ、伊藤さんに本気になった方がいいんじゃないの?」
俺が言うと彩夏は罪悪感が沸いたような顔をした。
だが、「余計なこと言ってんじゃあねえっ!!」と言い返されてしまった。
「そもそも、おまえが結婚するなって言ったんだろっがぁー…」
「可能性を述べただけだ。
時間をかけて積み上げたものを壊してもいいのなら結婚すればいい。
優華の場合はお父さんの遺産を守るためだ。
それを半分どぶに捨ててもいいのなら、反対はしないぞ」
俺が言うと優華はすぐに首を横に振って、俺の腕にしがみついた。
彩夏はどうすればいいのかよくわからないようだ。
「結婚して、何かが変わるんだろうか。
俺は何も変わらないと思うし、変えちゃいけないとも思うんだ。
だけどさすがに、親族一同がついてくることになるから、
大いにめんどくさい。
寺嶋の家がまさにその通りだからな。
母さんが逃げ出したくなった気持ちもよくわかるんだ」
母はピクリと体を動かしただけで、テレビを見入ったままだ。
彩夏はこの先のことを真剣に考えることにしたようで、「伊藤さんと仲良くなっちゃったあとに、拓ちゃんと結ばれちゃったり…」などと夢見る乙女の顔をしながら言った。
「ま、ないとは言えないが、
俺と伊藤さんの平和な関係を乱して欲しくない」
俺が言うと、「伊藤、めんどくせぇー…」と彩夏はリラックスして言い放った。
だがその顔には笑顔があった。
ゆっくりと恋心を育んでもらいたいと、俺は切に願った。
「優華には変わったことはないの?」と俺が聞くと、「うーん…」と少し考えて、「山東建設の社員たちが妙…」と答えた。
俺が彩夏の顔をのぞきこむと、俺と優華に頭を下げた。
「もう大丈夫だと思うわ」と彩夏は優華に言った。
どうやら彩夏の兄ちゃんは、優華と結婚すると言いふらしていたようだと感じた。
優華は、「何もないよ」と自然な笑みを浮かべて言った。
俺は気になっていたことを思い出して、五月に顔を向けた。
「湯けむり署の石段強盗傷害事件ですけど…」と俺が言うと、結果をもう知っていたようで、五月は眉を下げ、困った顔を俺に向けた。
「主犯は眉村佳代。
共犯は戸崎雄大。
殺人未遂の罪で送検された」
五月はニュースを読むように言った。
眉村の逮捕はほぼ確定的だと思っていた。
しかし、俺の同級生が手下でなくてよかったと少しだけ心が軽くなった。
俺は顔を上げ五月を見た。
「眉村先生は男にでも狂いましたか」
「ホストに貢いでいたそうだ。
教育委員会の仕事を続けながら、強盗業にも励んでいたようだぞ」
―― さすがに教え子には手を出せなかった… ――
俺はこう思っておくことにした。
「教師には多いわね。
男も女も」
エリカが言ってから俺をにらみつけた。
「高校当事にいたぞ。
色気を振りまく異様な雰囲気がある英語教師」
エリカの顔がみるみる鬼のように変わって、最後は仏のようになったが、眼だけは鬼だった。
「俺は爽太郎一筋だったからな」と言うと、―― それはそうだった… ―― とでも思ったのか、「先輩はいい女除けだったようね」とエリカは笑顔で言った。
「その教師は男子生徒に手を出そうとして解任されたな。
告発したのは爽太郎」
「あんた、巻き込まれてんじゃないわよ…」とエリカが俺の妻の口調で言った。
「映像を撮っていた」と俺が言うと、「見せなさい」とさらに妻の口調で言ってきた。
おとり捜査だったと簡単に悟られてしまったようで、エリカの妄想の怒りは消えていた。
「俺、聞いてねえぞぉー…」と彩夏までもが参戦してきた。
「爽花が持っていると思うけど、さてどうだろ…」と俺が言うと、エリカと彩夏は部屋を見回したが、爽花はまだきていない。
「受験の追い込みシーズンだからな。
ああ、衛がいないから今頃はお見送りだ」
エリカと彩夏は今は落ち着くことにしたようで、ふたりは双子のように腕を組んで瞳を閉じた。
( 第十五話 日本の危機を救ったヒーロー おわり )
( 第十六話 日本警察署採用試験 につづく)