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第十二話 日本の新しい力



日本の新しい力





ここからが大変だった。


母が猫を外に連れて行くと言って大騒ぎとなったのだ。


俺が何を言っても言うことを聞かなかったのだが父が、「その猫は幽霊のようなものなんだよ」と穏やかに母に言った。


―― 確かにその通り… ――


俺は父の言葉に納得した。


まだ発売されていないもので、商品としては成立していない。


その商品が一人歩きすると誰もが驚く。


父は子供に言い聞かせるようにして母を納得させた。


そして、母は今日はレストランには行かないと言って、笑顔で猫を追い掛け回し始めた。


父も今日も家にいるようで、俺と千代は俺たちの予約席に行った。



父が来ていないのはともかく、母も来ていないので、彩夏たちは当然のように俺に聞いてきた。


「今度は猫を飼うことにしたんだ。

 そしたら、母さんが」


俺がここまで言うと、優華、彩夏、爽花はすぐに外に出て行った。


「まあ、いいんだけどな…

 細かいことは父さんが説明してくれるだろう。

 ちょっと怖いけど…」


俺が言うと、千代が笑顔で立ち上がって外に出て行った。


「ま、珍しい猫だからな」と俺が言うと、衛も興味を持ったようで、腰を浮かそうとしている。


「今日は家で過ごそうか」と俺が言うと、衛は一目散に店を出て行った。


衛は基本的には子供なので、みんなが興味を持つものには敏感に反応する。



俺が部屋の照明を落とすと、店内の客が一斉に肩を落とした。


―― この件は伝えるべきだ ―― と思って、俺も外に出た。


外に出ると、この時を待っていたかのように、四課の刑事と思しき厳つい者たちが俺を囲んだ。


視界の端に捉えた者も含めて、全員で10人はいるようだ。


数が多すぎるので刑事ではないことも視野に入れたが、ピリピリ感が全くない。


殺意はないようだと思ったのだが、油断は禁物だ。



どう考えてもこの異常事態に、店の警備が飛び出してきた。


「警察に通報した!」と警備のひとりが言うと、あまりにも早い展開に、「チッ!」と舌打ちをした男に続いて、手下と思しき男たちがついていった。


「ふーん、暴力団員… カッコわりいー…」と俺はついつい挑発してしまった。


逃げ出そうとした者たちの足が止まり、「なにいー…」と言って俺を威嚇し始めた。


「てめえらの親分連れて来い。

 潰してやるからよぉー…

 この、ムシケラ野郎もがぁ―――っ!!!」


俺の口から自然に出た言葉に、俺はかなり驚いていた。


「んだとゴラァーっ!!」と無鉄砲な若い者が殴りかかってきたので、がら空きの腹に足の裏を合わせて、前蹴りのような形になり後方に吹き飛ばした。


―― これは転がるが、怪我はないようだ ―― と思い、次々と襲ってくる者たちを簡単に交わして、前蹴りだけで応酬した。


ついに舌打ちをした者が、匕首のような刃物を右手に握りしめたが、拳銃よりは怖くないので、素早く詰め寄り、右に鋭く飛んで、右腕を突き出そうとしている相手の背後に素早く回り込んで、前蹴りを使って簡単に転がした。


サイレンの大きな音が聞こえて、苦笑いを浮かべた五月がパトカーから降りてきた。


誰も逃げられなかったようで、チンピラたちは簡単に捕らえられ、護送車に詰め込まれていた。



「ふーん…」と俺は言って五月を見た。


「ん? 何かな?」と五月は平静を装っているが、苦笑いを浮かべた。


「護送車が来るのが早いような…

 何かの計画…

 そして、チンピラも逮捕したかった…

 俺の相手が大勢いても対応できるのか、

 刃物を見てどう対処するのか…

 …五月さんと絶交、とか…」


俺が苦笑いを浮かべて言うと、「待ってくれっ!!」と言って、五月は神妙な顔をして俺に頭を下げた。



騒ぎを聞きつけて、父たちが家の外に出てきた。


もう護送車はいないので、何があったのかは誰にもわかっていない。


「お父ちゃんに言いつけてやる!」と俺は少し笑って五月に言って、本当に言いつけた。


というよりも事情を説明した。


「おまえ、ケンカっぱやくなったなぁー…」と父が苦笑いを浮かべて言った。


「兄さんとそっくりで頼もしいっ!!」と父は大声で笑い始めた。



父の兄は暴力団の抗争に巻き込まれて亡くなっている。


その兄に似ていると言われて、俺は少し照れくさく感じた。


「きちんと話しをしよう」と父は言ってから、抱いているディックの頭をなでながら、レストランに入って行った。



母はいないようで俺はほっとしたのだが、やはり猫を抱いて家から飛び出してきた。


「母さんダメだっ!!」と俺が言った時、猫が母の手を逃れて素早く走り、俺に飛びついてきた。


普通の猫よりも、そしてディックよりも小さいので、肩の上に乗っていても問題ないようで、姿勢よく座り込んで、『ナァーン…』と甘い声で鳴いた。


「まあ、いいかぁー…」と俺が言うと、「私の子なのにぃー…」と言って母は悲しそうな顔をしてうなだれた。


「名前、決まったのかなぁー…

 まあ、あとでいいけど…」


俺はキレイどころ四人に囲まれて店に入ると、拍手の渦に巻かれてしまい、俺は苦笑いを浮かべ来店客に頭を下げながら俺たちの予約席に入った。


―― ディナーショーだったということで… ―― と俺は思い少し笑った。



猫は俺の肩の上で大人しくしている。


「あ、充電、大丈夫かなぁー…」


俺が言うと、「持って来るわ」と言って千代が走って行った。


「さすが俺の妻」と言って優華たち三人を見ると、千代を追いかけて行った。


「好かれたようだな。

 兄さんもそうだった。

 餌付けもしてないのに、猫がわんさかと集まった。

 きっと兄さんをボスだとでも思っていたんだろうな」


父はうれしそうな顔をして俺に言った。


俺が椅子に座ると、父は少し姿勢を正した。


千代がふたつの充電器をコンセントにつなぐと、ディックも猫も競うようにして充電器に納まった。



父は彩夏に視線を送った。


「彩夏君には辛い話だが、

 きっと昭文は話していないと思うから聞いておいて欲しい」


父が言うと、「うん… 知りたかった話なの…」と彩夏は言って、少しだけうつむいた。



父は語り始めた。


35年前のこの近所にある神社の秋祭りの日に、何の前触れもなく、都心に手広く事務所を構える広域暴力団員たちが乱入してきた。


そしていきなり昭文の父と母に拳銃を向け乱射した。


当然のように、山東組の構成員たちも武器を持って応戦した。


それほどに人数は多くなかった様で、すぐに沈静化したと思ったとたんに、伏兵が現れてハンドマシンガンを乱射した。


山東組の構成員たちはなす術もなく倒れていった。


この時は構成員たちだけの戦いだったのだが、興奮したのか、一般人にまでマシンガンを向け乱射したのだ。


その場所には、父や優華の父たちが固まって話しをしていた。


そして父の親たちがその子供たちの盾になるように、次々とマシンガンの餌食になった。


父の足元にいたダルメシアンのディックが勇敢にもマシンガンに立ち向かい、構成員の手に食いついて、そのまま息を引き取った。


ディックは走り出す前にすでに負傷していた。


父の胸元には、ディックの赤く熱い血が飛び散っていた。



「襲ってきた組は都心以外にも手を広げようとしていたそうだ。

 警察の対応は鈍重で、組自体をほとんど調査せず、

 現場にいた構成員だけを逮捕した。

 議員にとって、関係のある組だったようで、

 なおざりにしたようなんだ。

 正義はそれにも腹を立てているんだよ。

 おあつらえ向きに警視総監の椅子が手に入った。

 正義があこがれていた俺の兄に似ている、

 拓生を欲しがって当然のことなんだ。

 だが、ここには俺の感情はない。

 前にも言ったが、

 拓生は自分の生きたいように生きろ」


父は少し前の父のように、威厳をもって俺に言った。


「ああ、そうするよ」


「菖蒲だがな…」


「父さんの兄さんに生き写しの俺にほれていた」


俺が苦笑いを浮かべて言うと父は、「そういうことだな…」と俺と同じ苦笑いを浮かべながら言った。



「あっ!」と少し頭を押さえながら衛が叫んだ。


「拓… 拓… 拓郎?」と衛が言うと父は、「兄の名だ」とつぶやくように言った。


菖蒲は、「苦楽」だけでなく、「拓郎」ともつぶやいていたようだ。


菖蒲は三人の男を追って全てに振られたことになる。


「かわいそうだが、情けはかけねえ」


俺が言うと、「兄の言葉通りだぞそれ…」と父は言って苦笑いを浮かべた。


「おまえの口が少々悪くなってきたのは最近のことだ。

 誘ったのは彩夏君、そして面倒な警察組織だろうな」


父は言ってから、苦笑いを浮かべた。


「あははは、そっかっ!」と言って俺は大声で笑った。


「拓郎兄さんに生まれてきて欲しかった」


俺が言うと父は、「大いにあるな…」と言って、涙を流し始めた。


ディックが立ち上がって、少し駆け足で父に寄り添って、『クーン…』と鳴いた。


父はすぐに泣き顔を笑顔に変えてディックを抱きしめた。


千代たちも涙を流していた。



「母さんにも、拓郎伯父さんの自慢話をした」


俺が言うと父は、「迷惑かけたな」と俺に言ってから少し笑った。


その母は、上目使いで俺を見ている。


もっとも、俺は母としてしか見ていなので、妹とは到底思えない。


「母さん、どうして猫を連れて来たんだ?

 ダメだと言ったはずだぞ」


すると猫が立ち上がって、俺のひざを経由して肩に乗り、『ナァーン…』とまた甘い声で鳴いた。


「千代の強敵が現れたな」と俺が言うと千代は、「すばしっこいから勝てないかもね…」とため息混じりで答えた。


「家族だから?」と母は優華とそっくりの口調と声で言った。


「身内のマネをしてどうすんだよ…」と俺が言うと、「色々できるもん…」と言って肩をすくめた。



「今、十人の暴力団の構成員と戦ったんだけど」


俺がここまで言うと、「えええええっ?!」と父以外はみんな驚きの声を上げた。


「警視総監が俺を襲えと言ってここによこしたそうだ。

 そうすれば、今までの罪は眼をつぶってやるって言ってね。

 だけど、きっとその警視総監、ニセモノだろうなぁー…」


俺が言うと、父は少し笑ってうなづいた。


「チンピラ相手に、堂々と言うはずがないからね。

 だけど、警視総監をぶっとばすっ!!

 彩夏、警視総監の得意な武術は?」


俺が聞くと、「空手と柔道だって聞いているわ」と俺に熱いまなざしを向けて答えた。


「右足が弱点だから、そこは攻撃しないでおこうか。

 卑怯者扱いされるからな」


俺が言うと、なぜだか猫がほおずりをした。


「なんだ、どんな感情だ?」と俺が猫に聞くと、テーブルの上に、『シタッ!』と飛び降りて、右前足でテーブルをなぞり始めた。


「字でも書いてるのか?」と俺が言うと、『ニャンッ!!』と力強く鳴いた。


「名前決めてくれとか?」


俺が言うと、猫は素早く俺の肩に止まって、『ナーン、ゴロゴロ…』とのどを鳴らした。


「なかなか高性能だな。

 字も書けるようだ。

 もっとも、人工知能搭載だから、

 その程度はできるんだろうな」


俺が言うと母は、「返して…」と言って泣き顔を俺に向けた。


「じゃ、名前決めてやって」と俺は猫をつかんだが、どうやっているのか、服に張り付いたように動かない。


「名前決めたら、母さんと遊んでやってくれ」と俺が言うと、『ナァーン』と鳴いて答えた。


「拓郎伯父さんが気に入った猫に名前とか付けてなかった?」


俺が父に聞くと、父は腕組みをしてから頭を下げ深く考え込んだ。


そして、はたと気づいたようで、「白い猫がいた」と父は顔を上げて言ってまた考え始めた。


「笑っていたな、きれいだなって言って…

 毛艶がよかった…

 頭にうっすらと…

 強い光が反射して…」


「よっし、決めたっ!!

 おまえはエンジェルだっ!!」


俺が言うとエンジェルは、『ニャンッ!!』と鳴いてから、オレから離れて母に抱きついた。


母は子供のように、「ありがとっ!!」と俺にではなくエンジェルに礼を言った。



「…ううっ… 私にも名前つけて欲しい…」と千代がうらやましそうに言った。


「いいじゃないか。

 年子美人四姉妹の次女、イヌヅカ」


俺が言うと千代は俺の腹を殴ろうとしたがやめて、懇願の眼を俺に向けた。


「あだ名ということでいいの?」と俺が言うと、千代は超高速でうなづいている。


「サヤカ、アヤカ、ユウカ…」


俺が言うと、千代は俺に向け祈りのポーズを取っている。


「じゃあ、少し活発そうな名前で…」と俺が言うと、「うんうんっ!」と千代はうなづいて大いに期待しているようだ。


「エリカ」と俺が言うと、千代は俺に抱きついて、まるで頭突きをするようにキスの雨を降らせた。


「やめ…」


俺は言葉を発することもままならなかった。


優華たちが必死になって、千代ことエリカをオレからなんとか引き剥がした。


「おまえ、お客さんたちも見てるんだぞっ!!」と俺が言ったが、「いいの」と言って素晴らしい笑みを浮かべて俺を見てきた。


「まあ、いいけど…

 コードネーム、エリカ。

 よく吼える小型犬や恐犬よりはかなりいい」


俺が言うと、エリカは素早く耳を塞いだ。



テレビのニュースに、また面倒な人が映っていた。


「彩夏…」と俺が言うと、彩夏は困った顔をして首を横に振った。


彩夏は何も知らないようだ。


俺としては、嫌な予感しかない。


『私はタクナリ君に様々な迷惑をおかけしてきました…』


いきなりタクナリ君が出てくるとは思わなかったので、俺はかなり焦った。


首相である山東昭文は、神妙な顔をしてうつむいた。


そして、ガバッと勢いよく顔を上げた。


『このたび、新しい警察組織を準備いたしましたっ!!』


俺のホホは引きつっていることだろう。


『この組織への所属は総理大臣が任命し、

 総理大臣の命令により動くものとなります』


昭文の妻、真由香は必死の表情で昭文に笑顔を向けて拍手をしている。


「俺、彩夏の父ちゃんの操り人形?」と俺が彩夏に顔を向けると、彩夏は必死になって俺に頭を下げまくっている。


『しかしそれでは、私が暴君となってしまいますので、

 その組織に良識人を設け、良識人の判断を仰いで、

 活動していただこうと思ったのです。

 よって、私の意志だけでは、

 この新しい組織が動くことはありません』


「ふーん、問題はその良識人だよな」


『この組織は秘密警察に当たりますので、

 名前は伏せさせていただきます。

 ですが、この組織の名前だけお知らせしておきましょう。

 その名前は、日本警察署っ!!』


昭文が豪語すると、隣にいる妻が満面の笑みで拍手をしている。


「俺、最近思うんだけどさぁー…

 彩夏の父ちゃんと母ちゃんって、仮面夫婦なんじゃないの?」


俺が言うと彩夏は、「うん、正解…」と言ってうなだれた。


『日本警察署が、難事件を全て解決し、

 皆さんの生活を今まで以上にお守りすることを誓いましょう。

 さらに本日のことですが、

 日本警察署きっての超エリートであるタクナリ君が、

 暴力団構成員を10名検挙いたしましたっ!!』


「あー、警視総監じゃなくって、首相の差し金だったんだな…」


俺はようやく理解した。


まずは日本警察署の功績を挙げることで、国民に認知させたのだろう。


もっとも、逮捕したのは俺がケンカを売ったせいなので、はっきり言って俺が悪者だ。


『明日からも、日本警察署は皆さんの窮地を救うことでしょう!

 私は、本当にタクナリ君には頭が上がりません。

 …ああ、娘をもらって欲しかったのですが…

 日本警察署のリーダー、犬塚千代警部がうらめしい…』


「異動、あったのか?」と俺がエリカに聞くと、「全然知らないわよ…」と言って少しふてくされている。


「となると、俺はエリカの部下なんだな」と言うとエリカは口角を上げて、「あ、夜のデート…」などと言い始めたので放っておいた。


『ですが、日本警察署は必ずや、

 日本のヒーローになってくれるはずなのですっ!

 これからの、日本警察署の活躍にどうぞご期待くださいっ!!』


昭文は、いいたいことを言って、夫婦そろって満面の笑みで頭を下げた。



「ちょっと課長に電話するよ」


俺は携帯を出して電話をすると、課長も初耳だったようで、重役に連絡するということになり、電話は切れた。


「首相が勝手に言ってるだけなんじゃねえの?

 どっきりとか…

 ぜんぜん驚かねえけど…」


俺が言うと、みんなはくすくすと笑った。



父の電話が鳴った。


俺はすぐに良識人の一人は父だと感じた。


開廷中の場合があるので、父ひとりではないと思っている。


父は部屋の隅に移動したので、話は聞けない。


だが確実に文句を言っている。


いつもの神の顔が、鬼に変わっていたからだ。


そしてその鬼は叫び始めたが電話が切れたようで、何の罪もない携帯電話をにらみつけている。


激しく叫んだせいで、父は少し咳き込んだ。



父は俺たちの近くに戻って来て、少し乱暴に椅子に座った。


昭文と父は仲のいい友人なのだろうが、最近の振る舞いに業を煮やしていると俺は思っている。


「彩夏君の前で申し訳ないのだが、とんでもない首相だな…」と父は憮然とした顔をして、俺をにらみつけた。


「父ちゃん、怖いんだけど…」と俺が言うと、「あ、すまんな」と言っていつもの顔に戻った。


「良識人は三名。

 俺と、加藤さん」


父はここで区切りを入れた。


「このふたりはサポートだ。

 権限の一番高いのは、山際唐志郎先生」


父が言うと、俺としては大いに納得いった。


まさに良識人だと感じたが、連絡方法はと考えていると、俺の電話のランプが点滅していた。


その山際からの電話だった。


俺はすぐに出て、「父から聞きました」と言うと、『やっと本気で仕事ができますよ』と威厳のある声が聞こえた。


俺はいろんな意味を想定した。


「日本警察署の署員が使える者ばかり…」


『はい、それしかありませんよ』と言って山際は大声で笑った。


『署長は五月大河君、リーダーは報道があったように犬塚千代君。

 そして、もし優秀なメンバーが集まれば、

 警官からでも民間からでも増員しますが、

 とりあえずは民間から一名、松崎拓生君。

 引き受けていただきたいのですが、

 君の生活の邪魔をしたくはありません。

 今後は、勤めていらっしゃる会社と連絡を密に取りましょう。

 ご返事は今すぐでなくても構いませんので』


「はい、そういっていただいて本当にありがたいです。

 現在、社に問い合わせ中ですので、少々お待ち願います。

 決まりましたら、お電話させていただきます」


山際は礼を言ってくれてから電話は切れた。


「民間ありきの警察、ということでいいそうだぞ。

 民間人でも、日本警察署の署員は逮捕権を持つはずだ。

 もちろん警視庁の警察官の動員権もあるんだろうけど。

 エリカよりも、署長の五月さんは忙しくなるだろうね」


俺が言うとエリカはごく自然な顔でうなづいた。


「五月さんが疫病神のような気がするんだけど…」


俺が言うと、みんなはくすくすと笑った。


「山際さん、やっと本気で仕事ができるって言ってくれたんだ」


俺が言うと父が一番に笑顔になった。


その笑顔に引きずられるように、みんなも笑みを浮かべた。


… … … … …


日本警察署は静かに始動を始めるようで、俺の生活はいつもと変わりない。


警察署自体が今はないが、五月とエリカでこれから色々と決めるはずだ。


いつも通りに出社して、俺の身の振り方を課長に聞いたのだが、上からの回答はまだないと申し訳なさそうに答えた。



「なんだか、すごいことになったよな」と伊藤が同情心溢れる顔で言ってくれたことが救いだ。


「結局は、アウトソーシング派遣会社が日本警察署に

 変わっただけのようですけどね」


俺が言うと、伊藤は小さくうなづいた。


「入ります?

 日本警察署」


俺が言うと、伊藤はパソコンのモニターを開いて俺の言葉を無視した。


「事務とか、広報とかっ!!」と言いながら、女性課員が俺に迫ってきた。


「それは警察行政職員を使うと思うよ」


俺が言うと、女性課員は一気に肩を落として、自分の席に戻っていった。



「実は猛獣姫のことなんですけど、妙な行動をしたんですよ」


俺が言うと伊藤は少し遠くを見る目をした。


「テーブルの上に前足で字を書くような仕草をしたんですけど」


伊藤は、「マジか…」とつぶやくように言って俺を見た。


「ええ。

 名前が欲しかったようでテーブルに、

 『なまえ』と書こうとしたようなんです。

 すぐに俺が察したので、

 実際は何を書こうとしていたのかはわかりませんけど」


「ほかには」


「母が猫を抱きたかったようで、

 俺の肩から抱き上げようとしたら抵抗されたんですよ。

 今すぐに決めろっていう感じで…

 エンジェルという名に決めたら、

 すぐに母に飛びついていきました。

 まるで人間のように意思があり、

 言葉をきちんと理解できていると思ったんですけど…」


俺が言うと伊藤は、「おまえの家族、ほんとすげえな…」と言ってからどこかに電話をかけ始めた。


どうやらまた奇跡が起こったようだ。


だが、できれば利用して欲しくないと俺は感じた。



小休止の時間に、技術部員が部屋に入ってきた。


その中に細田がいたが、少し困った顔をしていた。


どうやらエンジェルはもう回収されるようだと思い、母にどう説明しようかと考えた。


技術課長の篠塚が、俺の前に立った。


そして、ロアプリンセスが入っていた箱と同じものを俺の机の上に置いた。


「松崎君、悪いんだけどね、もう一匹飼ってもらいたいんだ。

 エンジェルはお母さんにとって大切な友達になったようだから、

 しばらくしてからこの子を回収したいんだ。

 引き受けてもらえないかな?」


俺は少しだけ考えた。


すると、例のピリピリ感が俺を襲った。


「何か、悪どいことなど計画していませんか?」


俺が言うと、明らかに篠塚は動揺した。


しかし、気を取り直して、「いや、何の話だね?」と言ってとぼけた。


「課長、隠しごとはなしにしましょう」と伊藤が言った。


「プログラム、回収しますよ」とさらに伊藤が言うと、「うっ、いや、それはあー…」と言って言葉に詰まった。


「伊藤さんには察しがついたようですね」と俺が聞くと、「まあな…」と伊藤はため息を漏らした。


「その箱のロアプリンセスは暗殺者だ」と伊藤が言った。


俺は篠塚をにらんだ。


「なるほどそれで…

 この子にエンジェルの記憶を吸い上げさせてから、

 新しい人工知能のプログラムを消去してしまう。

 これはさすがに説明できませんよね」


俺が言うと、篠塚は脂汗を流し始めた。


「篠塚課長の上からの命令でしょうけど、

 人として間違っていると思います。

 それにあなたは悪びれることなく平然として俺に告げた。

 少々心に問題があると俺は思うんですけど?」


俺が言うと、「まあまあ松崎君!」と言って課長が陽気に現れて、そのまま篠塚だけを連れて外に出た。


「課長も暗殺者?」と俺が言うと伊藤は、「ぷっ!」と吹き出した。


「もちろん、個人的なことではない。

 漏洩を気にしてのことなんだろうな」


伊藤が言うと、「なるほどね」とだけ俺は答えた。


「外に出すなと言っても母は言うことを聞きませんでしたから、

 俺も気にはなってました。

 誰もが心配して当然だと思いましたね。

 さて、どうしたものでしょうねえー…

 母を説得するしかありませんけど。

 さらには父も。

 俺の家、しばらくはお通夜状態になってしまいます…」


俺が肩を落として言うと、細田が半歩前に出た。


「いや、ディック君はダメだよ。

 あの商品はお金を出して買っていただいたんだからね。

 それを奪い取ることはしてはいけない。

 さらにはバージョンダウンは考えられないことだ。

 わが社の信用を損なうわけにはいかないはずなんだよ」


細田は俺をまっすぐに見て語ってくれた。


細田の言ったことはもっともなことだ。


しかし、これからの社の利益を考えると、もし漏洩したらと考えることも当然のことだ。


「ただ一匹として、生存させることは可能なんだ。

 データを読み出せないようにする。

 よって、誰にも成長段階のデータを知ることはできなくなるので、

 新しい人工知能の開発は停滞するね」


細田が言うと、伊藤は小さくうなづいた。


「バックアップデータからは…」と俺が聞くと、「再現できなかったんだよ」と細田は笑みを浮かべて言った。


「はあ、まさに奇跡が…

 しかも二体も…」


「おまえの家族を研究した方が早いと思うな」


俺は伊藤に言われて返す言葉がなかった。


「再現できないのなら今のままでも…

 ああ、でももし、

 ほかの条件で再現できたらと考えると怖いですね…」


俺が言うと伊藤はうなづいてから、「もうひとつプログラムを入れ込むだけだから」と簡単に言った。


俺は納得してうなずいた。


「ああそうだ、一番初めに感じた不思議なことがあって…」


俺が言うと細田も伊藤も俺に注目した。


「起動してから好奇心からなのか家を徘徊したんですが、

 猫らしいといえばその通りだと思ったんです」


「ああ、そうだね。

 それはごく普通に組み込まれているよ」


細田が言うと、伊藤もうなづいた。


「しばらく俺とは何の接触もなかったんですけど、

 昨日の夜にヤクザたちを撃退したあと、

 全てが終わってからしばらくして、

 母がエンジェルを抱いて家から出てきたんですよ。

 ダメだと言ったのに我慢できなかったようで…」


俺が言うと、細田も伊藤も苦笑いを浮かべた。


「すると俺をみつけたエンジェルが、

 何を思ったのか母の手を離れて

 俺に飛びついて肩まで昇ってきて甘い言葉で鳴いたんですよ」


俺の言葉には衝撃が走ったようで、細田も伊藤も顔を見合わせている。


「ま、エンジェルは普通におまえに惚れたんだな。

 その場の雰囲気だけを強く感じて、反応したと言っていい。

 ディックの件と同じように、

 人間の感情などを感じたと言っていいだろう。

 おまえの命令には絶対服従。

 プログラム、いらないかもな」


伊藤が言うと、細田は満面の笑みでうなづいた。


「実はその後の話しがオカルトなんですよ」と俺が言ってから拓郎伯父の話しを始めると、ふたりはさらに俺の話しにのめりこんでいた。


語り終わると細田が、「生まれ変わりってあるんだなぁー…」と感慨深く言ってくれたことがうれしかった。



社では何事もなく仕事を終えて、色々と確認、判断するために、細田と伊藤が俺の家を訪問することになった。


ふたりを家に招きいれると、俺の気配を感じたのか、『ニャンッ!!』と鳴いてエンジェルが廊下に姿を現した。


そして俺の体に抱きついてから素早く昇り、肩の上に座って、『ゴロゴロ』とのどを鳴らし始めた。


「はー… たった一日ではありえないことをした」と細田が感慨深く言った。


「ま、約三か月分を楽にショートカットしてるな。

 普通ここまでになるのは、想定で一年としていた。

 この姿をお目にかかれないユーザーもいると思うぞ。

 何しろ猫は自由だからな。

 相手をしすぎても、気に入れなければ懐くことはない」


伊藤が言うと、俺はさらにうれしく思った。


「エンジェルちゃん返してっ!!」と母が泣き顔で廊下に姿を現した。


「あ、俺の妹で母です」と俺が紹介すると、細田と伊藤は少し笑いながらあいさつを始めた。


母は俺の母に戻ることなく、エンジェルだけを気にしている。


「エンジェル」と俺が言うと、『ニャンッ!!』と鳴いて俺の肩から飛び降りてすぐに母に飛びついた。


母はオレたちをまったく気にせずに、スキップを踏んでリビングにその姿を消した。



「命令、してないじゃないかっ!!!」と伊藤が大声で叫んだ。


細田は笑顔で母とエンジェルを見ている。


「人間でも今ほどできない以心伝心がある。

 オカルト話が真だと、私は思ったね」


細田がやさしい笑みを浮かべて言ってくれたことがうれしかった。



リビングには彩夏と陽子がいた。


母はまるでその身を隠すように、ふたり座っているソファーの後ろにいるようだ。


衛は今はグルメパラダイスで仕事中のようでここにはいない。


今日はここで夕食を造ったようで、キッチンからいい香が漂っている。



細田と伊藤は、母の近くに寄ってエンジェルの行動をつぶさに確認して、「生きている猫とまるで変わりがない…」と伊藤がつぶやくように言った。


今まで充電器に収まって愛嬌を振りまいていたディックが、父が帰ってくる気配を感じたようで、素早く立ち上がって、猛スピードで走って部屋を出て行った。


「あー、もう、何も疑う余地はないなぁー…」と細田はうれしそうに、ディックが走って行った廊下をみつめた。


「はあ、やっぱり、オカルト一家だった…」と伊藤が顔を下げてつぶやいた。



父がリビングに入ってきてすぐに、細田と伊藤が立ち上がりあいさつをして、父はふたりの来訪を歓迎した。


「今日はエリカは遅いのかな…」と俺が言うと彩夏ににらみ倒されてから、「予約席にいるわよ」とふてくされて言った。


エリカは今朝は俺よりも先に出社したので、今日は仕事のはずだ。


よって、この後の展開が手に取るように理解できた。


「優華がよく許したな…」と俺が言うと、「絶対言うと思ったから詰まんない…」と彩夏はふくれっつらを見せている。


「占拠されたが、追加人員があった」と俺は彩夏を見て笑みを浮かべた。


「そんなの当然じゃない…」と彩夏は自信満々に言った。


「怒っていたのは、

 四六時中、俺とエリカがいちゃいちゃしているかもしれないから」


彩夏はそっぽを向いて、俺の問いかけには答えないようだ。


「言ってもいいんだが、エリカと相談してからだな」


俺が言うと、「謎かけみたいなことばかり言わないでっ!!」と彩夏はついに怒り始めた。


「おー… 普通に怒った… 珍しい…」と俺が言うと、「あっち行ってるわっ!!」と彩夏はかなり憤慨して素早く立ち上がり、陽子とともに部屋を出て行った。


父と母は何か言った方がいいのか、などと思っているようで、思案顔をしている。


話しの内容がよくつかめないので、指摘する言葉が見つからないのだろう。


「できる限り仲良くして欲しいな」と父はオーソドックスな見解を述べた。


俺は苦笑いを浮かべて、「やっぱね、阿吽は必要だと思うんだ」と俺は言ってから、意思を持って俺の右手で左肩を叩いた。


今はオレからエンジェルは見えない。


しかし俺がエンジェルの近くにいる場合、監視されているはずなのだ。


そのエンジェルが素早く母の手を逃れたようで、俺の左肩に飛び乗ってきた。


母はソファーの影から頭だけを出して、また悲しそうな顔をしている。


「おおー…」と細田と伊藤が低くうなった。


母はぼう然とした顔をしていて、ゆっくりとエンジェルを見た。


そして母が何をやったのか俺に聞いてから、自分の左肩を叩いたが、エンジェルが見向きもしないので悲しくなったようで下を向いてしまった。


「…エンジェル…」と俺が小さな声で言うと、エンジェルはすぐさま母の肩に飛んで行って、「ニャーン」と母を慰めるように鳴いた。


「普通の動物でもありえんことすんな」と伊藤は俺をにらんで言った。


父は苦笑いを浮かべていたが、「相手が動物だからか?」と真剣な顔に変えて俺に聞いた。


「衛もさほど変わんないかなぁー…」と俺が言うと、父は深い笑みを浮かべた。


「それほどに拓生のことがわかっているということだな。

 となると、俺と皐月が間違っていたということになる。

 日本警察署員はさらに意思疎通を極めて欲しい」


父が言うと、俺は笑顔で少しだけ頭を下げた。



情報の収集などは必要ないようで、細田と伊藤は引き止める父の言葉を振り切るようにして帰って行った。


「レストランに行ったと思う」と俺が言うと、「そうか」と父は言って口角だけを上げた。


ディックたちのかわいらしい様子を見ていると、千代ことエリカが妙な服装でリビングに入ってきた。


「遅くなってごめんなさい」とエリカは言ったあと、父に少しだけ頭を下げて、素早く着席した。


さすが警察官、と俺は思って、エリカをさらに見直した。


「書きものの仕事をしてたようだな」と俺が言うと、「あ…」と言って両腕にしている腕カバーを素早く外した。


「事務員みたいでよかったぞ」と父が言って少し笑った。


エリカは照れたような苦笑いを浮かべている。



早速食事を始めて、ほっとする家族団らんの時を迎えた。


「彩夏、怒ってただろ?」と俺が言うとエリカは、「ううん、気づかなかったけど…」と言ってから少し不思議そうな顔をした。


そしてエリカは俺をにらんできた。


「怒るキーワードは男女関係。

 必要ないこと言うから怒っちゃったんじゃない…」


エリカが言うと、父も母も笑顔でうなづいている。


「ま、必要のないことかもしれないが、

 エリカとまず話しをしてからにしようと思っただけだよ」


「みんなに言い振らさなくていいのよ。

 そんなことする必要ってないはずだわ!」


俺はエリカまでも怒らせてしまった。


しかし俺の想う言い分はあるのだ。


「だが、多少は正当化する必要はあるはずだ。

 ただただ楽しんでいたわけじゃないってことをな」


「うー…」とうなってエリカは恨めしそうな顔をして俺を上目使いで見ている。


「仕事として関係があるのは、エリカと彩夏だけ。

 だけど女優としての演技を見ていると必要はないと感じた。

 俺たちの中での男女間の泥沼だけは避けたいんだよ。

 そして俺が話すことで、オレ自身の自信にもつながるんだよ」


「余計に面倒になるような気がするぅー…」とエリカは言って肩を落とした。


母はオレたちが何の話しているのかようやく気づいたようで、少しホホを赤らめている。


父は感慨深く思ったのか、箸を止めて何かを考えているように見えた。


「もう解除してもいいんだろ?」と俺が言うと、「イヤ」とエリカは穏やかに言ってそっぽを向いた。


「ラブレター…」「わかったわよっ!!」とエリカが叫ぶと父は大声で笑い始めた。


「千代の味方をしようと考えていたんだがな、

 拓生が正しいと思った。

 申し訳ないな」


父は言って、エリカに頭を下げた。


「…ううん、私のわがままだもん…」とエリカは言って父に向かって頭を下げた。



俺とエリカの愛の営みは、ただただそれだけの行為ではない。


エリカの犯罪心理学者としての知識、想いを最大限に生かす作業ならびに経験だった。


もちろん、初めての時はさすがにそんな余裕はなかったが、俺としてはエリカの体の仕組みをきちんと確かめる作業を続けたつもりだ。


二回目三回目は、エリカが嫌がることを重点的にやった。


もちろんフォローは忘れなかったが。


エリカの性的な経験が、犯罪心理学者としての糧になったのかを、俺は知りたかったのだ。


父に言われてエリカが折れたので、一旦は愛の営みイベントを終えても構わないと俺は判断した。


もっとも、ごく自然にチャンスがあれば、お互いが誘うことは確実にある。



「完璧だとは言えないと思うけど、

 変わったと思う?」


俺がエリカに聞くと、「ぜんぜん違う…」と少し恥ずかしそうにして言った。


「私、性犯罪をさらに憎むと思う。

 これが私の犯罪心理学者としての

 最後の授業だったって思いたい」


エリカは言ってから、ゆっくりと食事を始めた。


父と母は何も言えないようで顔を見合わせてうつむいた。



今日も父と母はレストランに行かないようで、俺とエリカだけが家を出た。


「ふーん…」と俺が言うと、「いつの間に沸いたのかしら…」とエリカが目だけを素早く動かして、人数の確認を始めた。


「おまえら、何をしているっ!!」と衛の重厚な大声がした途端、くもの巣を散らすように、複数の人間たちが逃げていった。


「八人?」と俺がエリカ聞くと、「すごいわね… 七人だって思ってた…」と言って、エリカは肩を落とした。



『パンッ』と小さな破裂音がした。


ゴムのようなものがはじけたような音だ。


どう見てもチンピラ風の男が尻を押さえて、アスファルトの上でのた打ち回っている。


その周りには蛍光塗料がまかれているように見えた。


夜なので、街灯の照明を反射していてよくわかる。


「ペイントボール?」と俺が笑みを浮かべて衛に言うと、「あはは、当たったよっ!」と言って喜んでいる。


「いいコントロールだ」と俺は衛に笑みを向けて言ってから、転がっている男に足早に近づいた。


五月たちが騒ぎがあった気配を感じたようで、店の中から出てきた。


「さあ、ゆっくりと取調べを始めようか」


「あ、お兄ちゃんっ?!

 取調室、造ったんだよっ?!」


走ってきた優華がビルを指差した。


どうやらその裏に、取調室があるようだ。


従業員用の出入り口があるので、客が来ることがない場所だ。


「あ、僕が運ぶから」と衛が言って、倒れている男のベルトの辺りをつかんで、ひょいと軽々と持ち上げた。


男の体重は推定で70キロほどありそうだが、衛は苦にも思っていないようだ。



取調室は、少し高級そうなプレハブで、なかなか頑丈そうだ。


出入り口には、『日本警察署取調室』と木の板に達筆で縦書きで書かれている。


これは爽花の仕事だろうと思い、まじまじと看板を見入った。


「速乾性のウルシで書いたんだって?!」と優華はうれしそうに俺に説明してくれた。


窓は全て鏡になっている。


きっと、マジックミラーだろう。


優華が笑顔で取調室を開けて、俺とエリカが室内に入り、衛がチンピラを持ち上げて入ってきた。


衛がチンピラに後ろ手に手錠をかけて、「座れ」と腹に響く声で言うと、「ひっ!」とかなり怯えて衛を見た。


「座れと言った」


衛が重ねて少し巻き舌を使って言うと、「は、はいっ!」とチンピラは言ってすぐにパイプ椅子に座った。


五月も取調室に入ってきて、まずはこちらの身分を説明した。


そしてこちら側の言い分として、男を不審者として持ち物検査を行うと宣言した。


男は何も言うことなく、されるがままになっている。


運転免許証を持っていたので、身元はすぐに判明した。


五月がタブレットを出して、照会を始めた。


「鵺島組の構成員。

 前科一犯。

 罪状は傷害」


鵺島組は関東を中心に手広く活動している広域暴力団だと聞いている。


構成員は1000人を下らない、それなりに大きい組だ。


俺は思い当たる節があったので、「まさか、賭け地下闘技場?」と言うと、「へえ、スカウトしてこいって言われて…」と田川勝義という男は簡単に自白した。


俺は少し考えて、「警察官は何人ほどいるんだ?」と聞くと、「なっ!」と五月とエリカが短く叫んだ。


田川も少し驚いた顔をしていたが、急に神妙な顔をしてから衛を一瞬見た。


田川はひとつ身震いをした。


「…えーと、俺が知っているだけで15人でさあ」と田川は比較的平然として答えた。


田川にわかる範囲でその名前を聞きだし、タブレットで照会して、そこに出た顔写真を使って面通しした。


ほとんどが関東の警察署の警察官で、その中には刑事がふたりいた。


そのほか二名は本庁の刑事で、一課と組対に所属していた。


エリカは、「何かあるって思っていたの、ブランド品まみれ…」と言い、田川の供述の信憑性を上げた。


「乱れてるなぁー警察…」と俺が言うと、「呼んだら、軽いものなら見逃してくれるんでさあ」と自慢げに田川が言った。


「さらに乱れてる…」と言って、俺は頭を抱え込んだ。


さらに色々と聞き出し、五月の判断で田川を開放した。


田川は妙にぺこぺこと頭を下げて、駅の方面に歩いていった。



「ウソは言ってないようですね。

 しかし、よくしゃべるやつだ」


俺は言ってあきれ返ってしまった。


「潰されてもほかで商売するからいいんだよ」と五月は苦笑いを浮かべながら言った。


「賭け試合の証人は確保できたので、

 一気に潰してもいいんじゃないんですか?」


俺が言うと五月は、「簡単すぎるよな?」とあきれた顔をして言った。


「ええ、警視総監が後ろにいますから。

 あの田川、何か重大事件でも起こしたんじゃないんですかねえー…」


俺が言うと、五月は顔色が変わった。


「おまえ…」と言って五月は俺をにらんだ。


「捕らえたままじゃ、相手の思う壺じゃないですか…」と俺が困った顔をして言うと、「えっ?」と言って、五月はぼう然としている。


何もわからないようだが、五月は俺を信じてくれているようで、何も聞かなかった。


「俺の足でも簡単に捕らえられましたからね。

 田川は捕えられるのが仕事だった」


「じゃあ、どうすればいいんだっ!!」と五月は声を荒げた。


「簡単じゃないですか…」と俺は困った顔を五月に見せた。


「半分ほどでも検挙できれば万々歳です。

 所轄に連絡するだけでいいんです。

 タレ込みでもいいですよ。

 できれば直接第四課に」


俺が言うと、「…その通り…」と五月は苦笑いを浮かべて言ってから、事務方に連絡を始めた。


下手に騒ぐと警視総監が出てきそうなので、出ないうちに全てを終らせればいいだけだ。


第四課に直接伝える意味は、署長からの上への報告を極力遅らせることにある。



俺たちは会議を終えて店に入り、俺たちの予約席兼日本警察署の前に立った。


ここにも爽花手製の、『日本警察署』の看板が吊るされている。


「日本一クリアな警察署だな」と俺が言うと、「あっ?! それがいいっ?!」と言って優華は、室内に入って、パソコンのキーを叩き始めた。


俺がモニターをのぞき込むと、優華は日本警察署のホームページを作ってた。


どうやら、俺がつぶやいた言葉をキャッチコピーとして使うようだ。



部屋を見回すと、ひとりだけ鑑識員がいた。


どう見ても、鑑識官用の正式なコスチュームだ。


「コスプレ?」と俺が言うと、爽花は美しい笑みを浮かべた。


「そろそろ、持っている力を発揮しようって思ったの」


爽花は大学時代に考えられないほどの博士号を取っている。


俺たちに足りないのは鑑識と科学的捜査力だ。


今まで学んだノウハウを生かして、爽花は最後の賭けに出てきたと感じた。


「日本の鑑識で、爽花の理論が理解できる者っているのかなぁー…」


俺が言うと、爽花は胸の前で手を合わせて喜んでいる。


爽花は胸の大きさをかなり小さくしたようで、ほんの少し豊満そうに見えるだけで、違和感はまるでない。


しかし美人でこの肉体は凶器だ、と俺は思ってしまった。


「見とれてんじゃないわよ…」とエリカがイヤというほど俺をにらみつけた。


「あ、明日はどうしようか。

 デート…」


俺がエリカの言葉を打ち消すように言うと、優華と爽花が花開いた顔をして俺を見てきた。


「優先順位は優華にあるけど、

 兄妹デート」


俺が言うと、優華は少しだけふくれっつらを見せたが、もう俺とエリカが恋人同士になったので、今更恋人として付き合うことはないとでも思ったようで、仕方なさそうな顔をして、「明日、デートするの?」と優華は言った。


「じゃ、爽花は来週な」と俺が言うと、「あーん、ざんねぇーん…」と言って肩を落とした。


「ああ、俺も残念だ」と俺が言った途端に、「グーで打ち抜く…」とエリカが俺の腹に拳を当てた。


「ラブレター…」「…余計なこと書くんじゃなかったわ…」とエリカは言って落ち込んだ。


「ふーん…」と爽花は意味ありげに言って笑みを浮かべた。


「浮気をしても怒らない」と爽花が言うと、彩夏がいきなり俺に迫ってきて抱きつこうとしたが、爽花はもう読んでいたので、すぐに彩夏を止めた。


「それは俺がイヤだからまず浮気はしないな」と俺が言うとエリカは、「ふーん…」と言ってから、俺に笑みを向けた。


「だけど、友達デートはありだ。

 まだまだ、幼なじみの関係を崩したくないんだよ」


俺が言うと、みんなは微妙な顔だが嫌がってはいないようだ。



「あ、まったく関係ない話…」と俺が言うと、四人は一斉に俺に顔を向けた。


「優華の疑問形の話し方について、ほぼ解明できたんだ」


俺が言うと、優華は少し喜んでいた。


爽花と彩夏は興味津々で俺を見ている。


エリカは腕組みをして考え始めた。


「実はな、俺は優華の兄として、

 ひとりの男性を紹介しようと思っているんだよ」


「会わないよ?」と優華は妙にかわいらしく言った。


「いや、もう会ってる」と俺が言うと、「えー…」と言って、三人は一斉に優華を見た。


「優華も、それほど嫌な男性じゃないって俺は感じたな。

 今年早々に会っただろ?」


俺が言うと、「寺嶋翔さん?」とつぶやくように言った。


「俺の母ちゃんの方の親戚で、

 俺が唯一自信を持って紹介できる俺の従兄弟だ。

 別に結婚しろなんてことは言わない。

 友達として付き合うのもいいんじゃないかと思っただけだ。

 そうすれば見聞も広がる。

 さらに人生が楽しくなるかもしれないぞ」


俺が言うと、優華はかなり深く考え始めた。


「悩むまで考えなくてもいいんだ。

 気楽にな」


俺が言うと、「うん、そうするの」と疑問系を使わずに、ごく自然な口調で優華は答えた。


「ほら、普通に答えた」と俺が言うと、「何がよ…」とエリカは言ったが、すぐに優華を見た。


「…あ、そっか、そういうこと…」とエリカは言ってから笑みを浮かべた。


爽花と彩夏は、一体どういうことなのかよくわからないようだ。


「普通に言ったが、多分今だけ。

 優華は俺と血縁関係になるって感じたから普通に話したんだよ。

 だが今は仮定の話しだ。

 次に言葉を出すと、疑問形に、元に戻るかもしれない」


「ああ、私、わかったかも…」と優華はまた普通に話した。


俺は笑顔でうなづいてから、「癖としては残るかもしれないが、少し意識すれば普通に話せる。無理なく、な」と言った。


「お兄ちゃん、やっぱりすごいっ!!」と優華は叫んで俺に抱きついてきた。


「はは、よかったな」と俺が言うと、「ずっと、お兄ちゃん…」と優華は言って涙を流した。


「ああ、いいぜ」と俺が言うと、「どういうことなんだよっ!!」と言って、彩夏が暴れようとした。


しかしエリカと爽花がすぐに止めた。


「優華はな、中途半端な気持ちになると、

 どんな言葉でも疑問形にしてしまっていたんだよ。

 だから俺と話している時は、ずっと疑問形だった。

 だけど、俺と絡んでいない時で、俺に関係のない話は、

 普通にしていたはずだ。

 よく思い出してみろよ」


俺が言うと爽花はすぐに、「うん、そうなの」と答えた。


「だが今は、もし、優華が翔君と結婚した場合、

 血族ではないが家系の関係上では、

 俺と従兄弟に当たることになる。

 だからごく自然にお兄ちゃんと呼んでも構わない。

 ということになるんだ」


「他人なのにお兄ちゃんと呼んでしまっている自分が不思議…」


エリカが言うと、「そういうこと」と俺は答えた。


「これは本来の優華の性格でもあるんだろうが、

 すべての記憶をクリアに持っている弊害、

 と考えてもいいと思ってるんだ」


俺が言うと爽花は少し考え、「記憶や見たものではなく、心に思うもので、拓ちゃんの存在がはっきりしていないから…」と言ったので、俺は笑顔でうなづいた。


「次はね、翔さんとお話してみるの」と優華は前向きな言葉を俺に言った。



「俺の男言葉の解明もしろぉー…」と彩夏が男気溢れる言葉を放った。


「あ、おまえは簡単」と俺が言うと、「え?」と四人は一斉に言って、俺を見た。


「それが本当のおまえだ。

 まさに親分」


俺が言うと彩夏は、「そうだったのかぁ―――っ!!!」と言って、驚いたのか喜んでいるのかわからない雄たけびを上げた。


「おまえが女性らしいところはすべて演技。

 気持ちは男ではないが、自然に出る言葉は男言葉なんだよ」


「ああ、そうだったのかぁー…」


彩夏は言って心が晴れたのか、表情まで晴れ渡っていた。


「確かに不思議だった。

 俺はおまえが男言葉を使っている時、

 リラックスしているとずっと思っていた。

 よって男言葉が自然なんだって簡単に思えたんだよ。

 人それぞれ、特徴はあるからな。

 それに、指摘されないと理解できないものだ。

 自分のことはよく見えないものなんだって、しみじみと思ったな」


俺が言うと、彩夏が俺に抱きつこうとしたが、すぐに三人が止めた。


「抱きつかせろぉ―――っ!!!」


「妹じゃないからダメ」と俺が言うと、彩夏は肩をとして大人しくなった。


「お兄ちゃん、私って今日から妹なのっ!

 よろしくねっ!!」


彩夏が異様にかわいらしく言ったが、「今のって女優じゃないか…」と俺が言うと、「くっそぉ―――っ!!」と言ってまた暴れ始めた。


結局は暴れるんだと思って、しばらく放っておくことにした。



「あ、昨日の映像…」と俺が言うと、優華がすぐに出した。


俺がチンピラ10人と戦った映像だ。


「はは、よく転がるなぁー…」と俺が映像を見ながら言うと、最高に興奮した彩夏は、「てめえ、やらせろっ!!」と最も凶暴になって俺をにらみつけた。


「俺は間に合ってるから、ほかの男を当たってくれ。

 おまえのその男言葉を普通に受け入れてくれる相手をみつけろ。

 俺は御免こうむる」


俺が言うと、彩夏は肩を落として、「ぜってえいねえ…」とつぶやくように言った。


「彩夏の場合はどうかなぁー…

 外でオレたちをきょとんとした顔で見ている、

 伊藤さんだったら受け入れてくれるかもな。

 性格は俺とよく似てるし」


俺が言うと、彩夏は伊藤ににらみを効かせた。


伊藤は何事かと思ったようで、ぼう然とした顔をしている。


「ふんっ! 目を背けねえから、ちょっと気に入ったな…」


彩夏は言って、ふらりと外に出て、厨房に入ってすぐに、トレイに新作の和菓子と小さなケーキを持って出てきた。


そして、女優の顔で伊藤の席まで行って、配膳を始めて少し笑っている。


「様子見…」と俺が言うと、エリカたち三人はくすくすと笑い始めた。



五月がいい笑みを浮かべて部屋に入ってきた。


「10カ所中8カ所を検挙だっ!!」と、最高の声で叫んだ。


俺たちは五月に向けて拍手を送った。


「何名ほど捕まったんでしょうか?」と俺が聞くと、「詳しい報告が上がったところだけで120名だな」と五月は胸を張って言った。


「事務所8カ所を潰せたと言っていいんですよね?」


「ああ、そうなるはずだ。

 所轄の四課が波に乗っているはずだからな」


「検挙できなかった二カ所は休み?」


「いや、逃げられたそうだ。

 興行していた痕跡があったようで、

 証拠品の収集をしているようだぞ」


俺はうなづいて笑みを浮かべた。


「警視総監、何か言ってきますかね?」


「いや、ないと思う。

 まったくの別の警察組織だからな。

 君が警察官モドキになったのはいいが、

 それは警視庁ではなかったという顛末だな」


五月が少し笑いながら言ったので、俺も五月のマネをした。


「さて、今回の警視総監の狙いですけど…

 俺たちの手柄の横取り?」


俺が言うと、「ああ、間違いないな」と五月は言った。


「俺たちの動きが早すぎて対応できなかったんだろう。

 よって二カ所は逃がした。

 今頃は地団太を踏んでいるはずだ」


「自分で撒いた種を、自分で刈り取れなかった。

 さぞ、悔しいことでしょう。

 あ、ところで、

 今回のようにこっちが勝手に携わった事件は…」


俺が言うと、五月は椅子に座った。


「警視庁と警察庁に事務方を置いた。

 ここと同じように、ガラス張りの部屋だ。

 首相への報告は逐一警察庁の事務方から送られる。

 だからすでに知っているはずだから、

 自慢げにニュースにでも出演するんじゃないのか?」


五月が苦笑いを浮かべなから言った。


「じゃあ、今日はみんなでそのニュースを見てから解散ですね」


俺が言うと、「ああ、そうしよう」と五月は俺と始めて出会った時の笑顔で俺を見た。



予想通り、昭文は満面の笑みでニュースに出演して、事件の顛末を短く語り、少々長い政治的演説をしてから、意気揚々と引き上げた。


「さあ、帰ろうか」と言って俺は腰を上げた。


すると電話が鳴った。


画面を見ると山際からだった。


俺はすぐにフックボタンを押して、みんなに聞こえるようにした。


「山際さん、こんばんは」


『ニュース、見ましたよ。

 かなり素早い行動に出たようですね。

 首相からも喜びのお電話をいただきました』


「ええ。

 スムーズにことが運んでよかったと感じています」


『普通であれば会議でもして、おっとり刀で出て逃がす。

 私はね、これがイヤだったのですよ』


「はい、よくわかります。

 やはり、地元の警察にも、

 存分にがんばってもらいたいので。

 それが明日も働く糧になりますから」


『はい、その通りですね。

 ああ、お引き止めして申しわけありませんでした』


俺は素早く辺りを見回した。


山際は、一般のボックス席に座っていた。


「こちらに来られてもよかったと思うのですが…」


『いいえ。

 少しでも遠くで見ていた方が、警視総監らしいでしょ?』


山際も人生のやり直しているんだと思い、俺はうれしく思えた。



みんなで家に帰ると、父が笑顔で迎えてくれた。


「いつの間に仕事をしていたんだ?

 ここを出てから四時間ほどしか経っていないんだが…」


父はうれしそうに笑顔を俺に向けて言った。


「実際オレたちが仕事をしたのは30分ほどだよ。

 ほかの時間はいつものようにみんなと話しをしていただけ」


俺が言うと、父は俺の肩を叩いて、「おやすみ」と言って、寝室に向けて歩き始めた。


… … … … …


初めてではないので今日は気が楽だ。


優華は俺の右腕をとってご機嫌の顔でハミングをしている。


優華の希望で、午前中は小学生のころに行った限りの動物園にまず行くことになった。


これはデートというよりも、優華の願いを叶えるために行くようなものだ。



優華の伯父の市の公務員である木田光照は現在、動物園の園長をしている。


その伯父が優華にぼやいた件の確認と、できれば解決をすることに決めたのだ。


これは俺ができることかもしれないと思い、俺の可能性を見出すことに決めたのだ。



動物園に入ってからまずは事務所を訪れた。


地味な作業服を着た木田と名刺交換をした後に、早速トラの檻に向かっている。


遠くに見えたトラは、話に聞いていた通り、確かに元気がない。


そして、病気でもない。


まだ若いトラなので、寿命というわけでもない。


人間で言うと心の病なのではないかと、木田は語った。



檻は透明な厚みのあるアクリル板で覆われている。


俺の姿がアクリル板に映った途端、トラは立ち上がって、猛然たる勢いで、『グルガアアアアオウッ!!』と少し長めに吼えた。


「元気ですね」と俺が言うと、優華は手を叩いていて、木田はあっけにとられた顔をした。


トラは悠々と檻の中を徘徊して、「あっ! 動いてるっ!!」と叫んで小さな子供たちが集まってきて、トラを笑顔で見ている。


「吼えたかったけど、切欠がなかった。

 吼えたのでストレス解消になった。

 原因の断定はできませんが、見た限りではこう思いました」


「吼える切欠が拓生君…」と木田が言ったので、「恐れたのかもしれませんね」とだけ俺は言った。


この近辺は猫科の動物を集めているので、一周すると至るところで鳴き声の大合唱となった。


声を聞きつけた入園者たちは、こぞって猫科の檻に食いつき始めた。


「拓生君が欲しいところですね」と木田が冗談ぽく言った。


「この動物園は通勤の途中下車駅で駅に近いのでまた来ますよ」と俺が言うと、「えっ! いいのっ! それは助かるなぁー…」と言って木田は俺に握手を求めてきた。


優華はいつもよりも、俺の腕を強く握っていて、笑顔もいつもの数倍だった。


木田は俺と優華に、この動物園の年間パスポートを渡してくれた。


これでいつでも自由に園内を見て回ることが可能だ。



俺と優華は動物園を後にして、水族館に向かうことにした。


ここから水族館は地下鉄に乗って数駅先のところにあるので手間はかからない。


地下鉄に降りる階段が見えたと同時に、見覚えのある人物を発見した。


前回と同様に黒っぽいスーツにサングラス、そして新聞を読んでいる。


まだ眼があっていないので、俺は知らん振りして優華とともに階段を下りようとすると、「それはないよ、松崎君っ!」と、愛嬌のある声で石坂が駆け寄ってきた。


「今日もデートです」


「五月に聞いたよ」と、石坂はすぐに答えた。


部下二名が石坂に向かって走ってきた。


そして俺の顔を見て上気している。


「構成員200名を捕まえたとんでもないやつだ。

 きちんと拝んでおけよ」


石坂が言うと、ふたりの部下は本当に俺たちを拝み始めた。


「まさかですけど、これだけ?」と俺が聞くと、「ああ、そうだぞ」と石坂は笑みを浮かべて言ってから笑い声を上げて、部下ふたりを連れて雑踏にまぎれていった。


「うーん…」と俺がうなると、「また来ちゃうっ!!」と優華は叫んで、少し強い力で俺の手首を引っ張って階段を下りた。



ホームに出るとすぐに電車が滑り込んできたので乗り込んだ。


今は昼に近く、乗客が少なかったので二人して座席に座った。


「ふたりで電車に乗ったのって、もう何年振りかなぁー」俺の言葉に、「10年振り!」と優華は即答した。


確実に記憶が残っているのでこういった時はかなり便利だ。


「中学二年… ああ、記録会…」と俺が言うと、優華はいい笑顔をして俺を見た。


「あの日は日曜だった」と俺が言うと、優華はうなづいた。


「俺が優華を連れて行ったので、ずいぶんと冷やかされた」


「私はうれしかったわっ!」と優華は言って、また俺の右腕を取った。


こういった、のんびりとした時間は心を癒やしてくれる。



だが、こういった至福の時に限って、心を乱すやつは必ず現れるものになっている。


「ほうっ! あんたたちいいねぇー!

 俺たちの相手も…」


チンピラに近い十代後半の男が話している途中で、少し背の低い男に、なんと投げ飛ばされたのだ。


「はは、すごいなっ!!」と俺はついつい叫んでしまった。


「てめえっ!!」とチンピラ仲間のふたりが、小さな男に挑みかかったが、簡単に返り討ちにあった。


「おまえら、スリの現行犯なっ!!」と言って、ふたりにひとつの手錠をかけた。


「あ、これを」と俺が言って、俺は手錠を差し出した。


「はっ! 本当に今日はついていますっ!!」と小さな男は途惑うことなく言い放ち、俺に短く敬礼した後に、恭しくオレから手錠を受け取ってから、ひとりの男の両手に手錠をかけた。


「お勤めご苦労様です」「いえ、タク… あ、あははは…」と男は笑って、応援に来た私服警官とともに、スリ三名を引っ立てて電車を降りていった。


「空いているからこそ、スリやすい場合もあるんだな」


「小さいのに強ぉーい…

 エリカちゃんみたぁーい…」


優華が言うと、俺はかなり笑った。


目的地についてから、五月に電話をして手錠を貸し出したことを伝えた。


渡した場所と相手の特徴を告げると、「ああ、桐山君だな」と五月はすぐに答えた。


「柔道のかなりの使い手」


「そう、オリンピックにも出たし、今回も代表だぞ」


俺は少々うれしく思いながら電話を切った。



水族館では何事もなく、優華も俺の楽しい時間を過ごした。


閉館までいたので、少々帰りが遅くなり、グルメパラダイスには9時過ぎに到着した。


「お食事、もらってくるから!」と言って優華は厨房に走って行った。


俺が日本警察署に足を踏み入れると、「やったよな?」と彩夏が言って俺をにらみつけた。


「なにを?」と言って俺はとぼけているように言った。


「うー…」とエリカはうなり声を上げて俺をにらんでいる。


「優華が上機嫌だ」「エリカだってそうだっただろ…」と俺は彩夏の問いにすぐに答えた。


「土産はっ!!」「買い込みすぎたから送った」と答えると、「くっそっ! ゲロしねえ…」と彩夏は刑事のような口ぶりで言った。


「ウソはつかないといったはずだ」と俺がうと、彩夏もエリカもそれを今思い出したようで、「ごめんなさい…」と言って謝ってきた。


「ひとつウソをついたらごまかし続けることになるだろうがぁー…」と俺が本気で怒ると、ふたりは肩をすぼめた。


「ふたりはデート一回休み」と俺が言うと、エリカも彩夏も素早く耳を塞いだ。


「次は爽花、その次は優華、その次は爽花…

 まさに花だけとデートだな」


俺の言葉に、ふたりは頭を下げたまま固まった。


鑑識のユニフォームを着た爽花は喜びを体中で表現してくれた。


「あ、爽花。

 講演っていつやるんだ?」


俺が爽花に眼を向けると、「明日?」と優華風に小首をかしげて疑問形で言った。


「ああ、別にいいぞ。

 予定はないからな。

 もう決まっていた」


俺が少し爽花をにらんで言うと、「うんっ! そうよっ!」と爽花は満面の笑みで、胸の前で手をあわせて言った。


「デートはずっと優華だけ…」と俺が言うと、「忙しかったから言いそびれてたのぉー…」と爽花は色気のある声で俺に言った。


その優華が食事を持って部屋に入ってきた。


メニューにはないなかなか豪勢なディナーになって、俺は優華とともに舌鼓を打った。


… … … … …


翌日の講演会は大盛況だったのだが、少々問題が起こった。


近隣の住人が大挙して、俺たちの母校の中学校にやってきてしまったのだ。


体育館で行なう予定だったのだが、急遽校庭に変更になった。


清々しい陽気だったので、天候には問題なかったのだが、前列は小学生以下と放送しても頑として譲らない大人が大勢いた。


アスカがかなり困った顔をしていた。


どうやらここにいるのは、この近辺だけの住人ではないようだと察した。


説教をしてやろうかと思ったのだが、こういった時には救世主が現れるもので、俺の父たちが姿を見せるとそそくさと後方に移動した。


「あんな大人になるなよ」とだけ、俺はマイクを使って言っておいた。



講演はやはりタクナリ君関連のものを中心とした。


つらかったことはほとんどないので、うれしかったことを中心に語った。


語り終わってほっとしたのだが爽花が、「タクナリ君に質問のある人っ!!」と言って俺を辟易とさせてくれた。


何とか解答を終え、ほっと一息ついたのもつかの間、久しぶりに会った、爽花の父の爽源との話しが弾んでしまった。


爽源は爽花の事は一切触れず、今までの俺の功績をたたえ、報道されていない部分の質問をしてきた。


教育に関係していることではないのだが、ただただ勉強することが好きなのだ。


しかし俺としては悪い気はしない。


父も爽源と大して変わらないからだ。



開放されたのは、もう日が沈む頃で、俺たちいつものメンバーは、日本警察署にいる。


「これほど話したのは久しぶりだ」と俺が言うと、「癒やしてあげたいんだけど…」とエリカが妙な色気をかもし出して言った。


「そういえば、

 エリカとは黙ってふたりで出かけることが難しくなったよな」


俺が言うと、エリカは耳を塞いだ。



今日は姿を見かけなかった五月が現れた。


先日検挙した八件の賭け試合の件で、所轄を回ってきたようだ。


そして、逃がしてしまった二件の所轄は、まるでお通夜だったという。


証拠品はあるのだが、決定的なものはなく、構成員を逮捕するには至らないものだった。


「平等じゃないな…

 大体想像はつきますけど、

 どういった経緯で逃げたんでしょうか?」


俺が聞くと五月は、「ご注進があったということらしい」と五月が言った。


「これも確証はないんだけど

 近隣住民の話だと、かなりの騒動になっていたそうだ。

 まさに、蜂の巣を突いた状態だったそうだぞ。

 すぐに解散しろと、興行主が言ったんだろうな。

 よって、精算の終っていない金も持って逃げたから、丸儲け?」


五月は苦笑いを浮かべて言った。


「ああそうだ。

 田川は捕まったのですか?」


俺が言うと、「それだけが救いだった」と五月は言って笑みを浮かべた。


やはり同じ罪を重ねていたようで、いたるところで傷害事件を起こしていたようだ。


だが全て眼をつぶってもらっていたようで、その数は10件を下らないそうだ。


「所轄によっては天国と地獄だなぁー…

 明日の仕事帰りにでも、お悔やみに行こうか…」


「ああ、いいと思う。

 エリカ、護衛」


五月が言うと、「いやらしいことしに行くんだろうがぁー…」とすかさず彩夏が言った。


「いやらしいことなど一切してないぞ」と俺は平然として言った。


「したって白状したぞっ!!」と彩夏が言ってエリカに指を差した。


あまりの迫力に、エリカは首をすくめた。


「エリカがどう言おうが、俺にとっては美しい愛の営みだっ!!」


俺の言葉は破壊力があったようで、優華、彩夏、爽花はシクシクと泣き出し始めた。


「堂々とこう言ってもらえる男を捕まえればいいだけだ」


俺の言葉はもう三人には届いていなかった。


だが俺は、本来の目的を告げた。


エリカの、犯罪心理学者としての最後の授業だった件についてだ。


さすがの三人も、今度は耳に入ったようで、三人ともが考え込み始めた。


彩夏が何か言うだろうと思っていたのだが、今のところは発言するつもりはないようだ。


… … … … …


「秘密じゃないが秘密警察…」と、となりの席の伊藤が言った。


「ほんと、すげえと思ったな…」


伊藤は俺を笑みで見てくれてる。


そのおかげで俺の周りには誰も集まってこない。


俺は辺りを見回し、「伊藤さんって嫌われているんですか?」と俺は歯に衣着せぬ言葉を放った。


「今の場合、畏れられていると言ってもらいたかったな」と伊藤は冗談ぽくにらんでから笑みになった。


「…あ、試してみたいんで、仕事をしている振り…」と俺がかなり小さな声で言って前を向くと、伊藤も仕事をはじめた振りをしたようで、一斉に同僚たちが腰を上げた。


俺が素早く伊藤に顔を向け、伊藤も同じ行動に出ると、同僚たちはぴたりと動きを止めた。


「ダァールマさんがぁーこーろんだぁー」と俺がリズミカルに言うと、同僚の半数が笑い始め、半数は苦笑いを浮かべた。


「伊藤さんだって、みんなと話しをしたいと思っているはずだけど?」


俺が言うと、伊藤は少し照れたようだが、何も言わなかった。


同僚たちは一斉に俺と伊藤を囲んだ。


「ちなみに、彩夏は何かアプローチしましたか?」


俺が言うと、伊藤は特に顔色を変えずに、「いや、新作だからと言って、かなりリアルな和菓子とうまかったケーキを持ってきてくれただけ…」と言ってから固まった。


伊藤も鋭いので、俺の言葉の意味をすぐに悟ったようだ。


「おまえの元の女はいらんっ!」と伊藤に言われてしまった。


「幼なじみで友人ですが、

 俺が眠っている時に無理やりキスされただけで、

 俺は何もしていませんよ」


俺が言うと、「キャァー!!」と女性の同僚から黄色い声が上がった。


「かなり積極的だな…」と伊藤は感慨深く言った。


「後で知ると、もめるかもしれないので先に言いました。

 あまり急がずに、もし機会があれば

 やんわりと誘ってやってください」


俺が言うと、「えー…」と同僚たちは言って伊藤ににやけた視線を向けた。


「予告しておきます。

 彩夏は普通ではありません」


俺が言うと、伊藤は少し驚いたようだが、ごく自然な笑みを浮かべて、「それを知った時に驚くことにするよ」と言って、うれしそうな笑みを俺に向けた。



昼休みに、食堂で伊藤たちと談笑していると、課長を先頭にして重役たちが姿を見せた。


俺が立ち上がる前に、重役たちは椅子に腰掛けた。


「松崎君は現在の生活リズムを変える必要はありません」


社長の榊が穏やかに言った。


「あ、はい。

 それが一番うれしいことです」


俺が答えると、この件はもういいようだが、社長は顔色を曇らせた。


「ロアプリンセスの件ですが、何かいい案はありませんか?」


社長の言葉を聞いてすぐに、―― ただ一体… ―― と俺の頭にはこれしか思い浮かばない。


よって、答えは簡単に出る。


「きぐるみでも着せて、本物の猫にしようと企み始めました」


俺が言うと、一番に伊藤が笑って、「それがいいっ!!」と言い放った。


「はあ、なるほど…

 では、ファレルボの方にも…

 現行はボディーが滑らかで、ロボットでしかありませんからね。

 カバーはオプションとしてもいいのですが、

 それほどにリアルに造れるものなのでしょうか?」


「素材などは少々考える必要があります。

 さらに、本物のように毛並みをよくすること。

 羊毛フェルトが適当ではないかと思っています。

 ですが、通気性はいいのですが保温力も高いので、

 少々難があるかもしれません。

 さらには静電気の問題があります。

 熱を持ち故障の原因にもつながるような気がしますので、

 それ相応の工夫が必要かもしれません」


俺が言うと社長は笑みを浮かべてうなづいた。


「全て調査させます。

 このたびは本当にご迷惑をおかけてしてしまいました。

 誠に申し訳ありませんでした」


社長が丁寧に謝ってくれたので、俺もすぐに頭を下げた。


社員でもあるが顧客でもあるので、今回のこの件は俺はできれば気にしないことにした。


… … … … …


仕事帰りにエリカと合流して、一番近い所轄の第四課に顔を出した。


すると、またいた。


「石坂さんとは縁があるようですね」と俺が言うと、「五月情報だ」と言ってにやりと笑った。


「署長がスパイ…

 少々いただけません」


俺が言うと、石坂は大声で笑った。



押収した証拠品の数々を見せてもらった。


確かにこれでは検挙は難しいと感じた。


エリカも真剣な眼差しで、証拠品を眺めている。


数百枚の投票用紙や、わずかな現金、コンビニエンスストアのレシートが数枚、スーパーのレシートが十数枚、ホームセンターのレシートが数枚、新聞、雑誌、紙類はこんなところだ。


だが、どう考えてもおかしい。


なぜこんなにレシートがあったのか。


「このレシートの日付別の集計を見せてください」と俺が言うと、「え?」と所轄の刑事たちが驚きの顔を俺に向けた。


石坂がにやりと笑ったあと、「集計してねえのかバカヤロ―――ッ!!」と雷が落ちてすぐに、集計作業が始まった。


「…なるほどね…」とエリカが小さな声で言った。


「そういうと」と俺が言うと、エリカは拳で俺の腹を軽く叩いた。



集計作業が終ると、これがどういうことだったのか明白となった。


第四課はこぞって、空振りだった賭博場に検挙に向かった。


俺とエリカも同行して、立ち番をしていた警備の警官者たちに労いの言葉をかけた。


施設はそれほど広くない廃工場で、買い手がつかないのか放置されたままになっていた。


ここは子供なら格好の遊び場となる秘密基地のようなものだ。


「事務所に地下金庫がありませんでしたか?」


俺が所轄の若い刑事に聞くと、「そんなものがあるんですか?」と聞き返されてしまったが、また石坂の雷が落ちた。


石坂は俺のアシスタントのように、俺の代わりによく働いてくれる。



こういった小さな個人的な工場には、必ずと言って地下金庫は備えてある。


現金だけでなく、試作段階の製品などを管理、保管しておくためだ。


全ての部屋をできる限り音を立てずに調べ、床に扉がある部屋を見つけた。


うまくじゅうたんで隠していたようで、見つけにくかったことはよくわかった。


扉を開ければ、三人ほどなら優に入れる間口があるものだ。


「鼻、軽くつまんでおこうか」と俺が言うと、エリカは気味が悪そうな顔をしたが、犯罪心理学者の真の顔を見せて、平然とした顔になった。


においくらいで嫌がっていては、仕事にならないといった表情だ。


警官二名が扉を開けると、底を少し掘ったようで、なかなか広い空間の中に、人間がふたりいた。


いきなり扉を開けられて、ふたりともあっけに取られていた。


そして、「…助かった…」となぜだかつぶやいたので、俺は少し笑った。


ふたりは当然のように暴力団の構成員で、多くの現金を抱え込んでいた。


そして飲料や食料もたんまりと確保していた。


排泄は専用の携帯トイレを使っていたようで、それほどの匂いはなかった。


電池や懐中電灯も持っている。


すべてはレシートが語ってくれたのだ。



外には見張りがいるので、大量の金を持って出ることは困難だという時のための最後の手段としてここを使ったという顛末だ。


これでもうひとつ暴力団事務所を潰せることになった。


もう一カ所の所轄にも行き、ほとんど同じ事をして検挙を終えた。


マニュアルでもあるのかというほどに、同一の手口に俺は少し笑ってしまった。


石坂が飲みに行くなどと言い始めたが、俺はエリカと大切な用があると言うと、石坂はかなり照れて申し訳なさそうな顔をしてオレたちを解放してくれた。


… … … … …


―― できれば事件はない方がいい ―― などと考えながら、グルメパラダイスの出入り口から、俺たちの予約席という名の日本警察署に近づいた時に気づいた。


「目安箱ってっ!!」と俺はかなりの勢いで笑ってしまった。


この箱には見覚えがある。


おもむろに箱を持ち上げてみると、取り出し口がない。


これは山際の作品だろうと思って、元の台に置こうとしたが、『カサ』と音がしたように感じた。


どうやらすでに、依頼が入っているようだ。


俺は箱を持って部屋に入った。


五月を先頭にして、全員がかなり困った顔をしていた。


「箱を開けられない?」と俺が言うと、全員が一斉にうなづいた。


「あ、ブラックボックス」と俺が言うと、優華がすぐに壁を真っ黒にした。


「さあーて…」と俺は手もみをするようにして構え、可能性のある場所に指を添えた。


「おっ! 当たり…」


右手の人差し指が、パズルの一片を解いた。


後は簡単で、その周りから崩していくだけだ。


たった五手で箱の底が開いた。


「おー…」と言って、五月たちが低くうなった。


「無理に開けると壊れるから要注意だよ」と俺が言うと、みんなは首を横に振った。


この箱は俺だけが扱うことになるようだ。


外にあるテーブルに備え付けてある印刷した専用用紙に書かれているものが、二枚入っていた。


どちらも子供が書いたものとすぐにわかる。



一枚には、『いつもありがと』と子供らしい乱れた文字で書かれている。


きっと、幼稚園児でも低年齢者だろう。


氏名記入欄には大人の字で書かれていた。


「もし出会えたらお礼を言っておこう」と俺が言うとみんなは柔らかな笑みを浮かべた。



もう一枚ある用紙を読んで、俺はぎょっとした。


『たすけて』と書かれていたのだ。


「衛」と言って、俺は用紙を手に持って衛に差し出した。


衛は不思議そうな顔をしていたが、「えー…」と言ってすぐに、涙を流し始めた。


「その涙の根拠。

 できれば正確に」


俺が言うと、エリカは真剣な眼を衛に向けた。


「一文字一文字に苦痛が見えるんだ。

 だけど、ここって、そんな人っていないよ?

 あ、違う…」


衛が言うと、誰もがすぐに理解した。


「親ではなく、学校だろうな。

 そして、親にも言えない理由があるのか。

 自分で解決するべきだとなどと思っている一番危険な状態なのか…」


住所と氏名は書かれていたので、俺はほっとした。


俺、エリカ、衛はエリカの車で、その住所に向かった。



オレたちが日本警察署から来たと言って証明書を見せると、差出人の母が少々興奮気味でオレたちを招き入れてくれた。


この様子だと、やはり親は何も知らないようだ。


「康君に面会をお願いしたいのです」と俺が言うと、母親は少しだけ、顔色を曇らせた。


しかし快く、康の部屋に誘われた。


オレたちが部屋に入ったと同時に、康は大声で泣き出し始めたのだ。



事情を聞くとやはり学校でのイジメが原因で塞ぎこんでいたようだ。


攻撃は物理的なものではなく言葉。


基本的には、「くさい」と言われ続けているそうだ。


「康君はくさくないぞ。

 じゃあ、その証明をすることにしよう」


俺が言うと、「え?!」と言って、この場にいる全員が驚きの声を上げた。


俺は爽花に電話をして、ここに来てもらうことにした。


爽花は彩夏と優華も連れて、車でやってきた。



爽花は、実験道具を出して、ここにいる全員のにおいの検出をして、総合的に一番くさいのは、衛だという結果が出た。


衛は申し訳なさそうな顔をしてうつむいている。


ちなみに康は一番くさくないという結果が出たので、喜びの笑みを浮かべている。


「だけど、何が切欠だったのかわかる?」と爽花が聞いたが、康は首を横に振った。


「誰かの心無い一言だったんだと思うな。

 それが蔓延した。

 まさか教師にまで言われてないだろうね?」


俺が言うと、康の顔色は冴えなかった。


「教師も教師だな…」と俺はため息混じりに言った。


オレたち日本警察署がどこまでできるのかはわからないが、すぐに教育委員会に連絡を取った。


するとかなり慌てて、すぐに対応すると言って電話は切れた。


この後は爽花が担当してくれることになった。


教育に関しては、これが妥当な人選だと感じ、康を元気付けて俺たちは警察署に戻った。


「俺たちの事件ではないんだけど、

 警察署の関係者でよかったと、

 今までで一番思ったかもしれない」


俺が言うと、みんなは感慨深そうな顔をしてうなづいてくれた。



( 第十二話 日本の新しい力 おわり )


( 第十三話 第二の冒険旅行事件 につづく )


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