表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/21

第十話 超人の証明


超人の証明





千代は喜びの涙を流した。


「…結婚式って…」と千代は涙声でつぶやくように俺に向けて言った。


「式はしても構わないだろ、別に…」と俺が言うと、千代は冷静さを取り戻して、「あ、うん…」とまだ夢見心地の顔をして言った。


「俺たちの居場所での最後の仕事だ。

 警視総監を呼んでくる」


俺が言うと、彩夏も爽花も優華も泣き顔で首を横に振った。


千代のことよりも、俺を失いたくないという気持ちがありありとわかった。


俺は生涯で二回目の覚悟を決めたのだ。


何かひとつを得ようと思ったら、ひとつは消える。


俺は欲張りだったと思い、小さなマリア像を出して手に取った。


『幸運を』とマリア様は答えてくれたように思った。



半数ほどが倒れこんでいる尾行者たちに話しをして、警視総監を招待すると告げた。


リーダーらしき警官がすぐに電話をかけると、黒塗りのリムジンが轟音を立ててすぐにやってきた。


俺が店内に入ると、入れ替わりに気丈そうに見える優華が出てきた。


菖蒲を姉として出迎えるのだろう。



俺は予約席に戻ったのだが、優華はリムジンからなかなか出てこない。


優華が全てを知ったとでも言って、菖蒲を泣かせているのだろうと感じた。


そしてきっと、また奇跡は起こると思っている。


優華がリムジンから降りてきて、笑顔でオレたちを見た。


そして菖蒲が若々しい顔だが、顔を涙で濡らしていることがわかる。



「優華ちゃんが誘ったのね…」と千代がつぶやくように言った。


「そうだろうな。

 きっと、とんでもない婆さんになっていたと思う。

 今は何とか、優華の母と言っても差し支えないだろう」


警官たちが優華と菖蒲を守るようにして店内に入り、優華と菖蒲だけが部屋に入ってきた。


優華はドアを施錠してから、部屋をブラックボックスに変えた。


「ここはもう密室。

 カメラはありますが、映像は撮っていません」


俺が言うと、菖蒲は小さくうなづいた。


「さあ、全てを話してください。

 一体何が目的だったのか。

 何をしたかったのか。

 何を言えないのか全て」


俺が言うと、菖蒲は首を横に振った。


「でしたら、今すぐにでも警視総監を降りてもらいましょうか。

 さらに面倒になるでしょうが、

 俺には信頼するタクナリ君信者がついていますから。

 ただの人のあなたほど、扱いやすい者はいない。

 あんたはもう手詰まりなんだよ」


俺は、最後の言葉は投げやりに言った。


菖蒲は不敵な笑みを浮かべた。


何を考えているのかはきちんとわかっているつもりだ。


「あんたはサドでマゾ。

 攻撃を好むが、攻撃されるのも好む。

 父が怒り狂って電話をかけても、

 それを快感として味わって喜んでいたはずだ。

 今もまさにそうだと感じる。

 …あんた、山田さんには逆のことをしたよな?」


俺が言うと菖蒲は目を見開いて、「聞いてないっ!!」と大声で口走ってすぐに口を閉ざした。


「引っ掛けか本心か…」と俺は言って千代を見た。


千代はただただ、菖蒲の顔を見ているだけだった。


「確実に意表をついたわ。

 今のは真」


千代は菖蒲を見たまま言った。


「自白したも同然だな。

 ここは取調室ではないから、

 俺たちは主観で全てを知ることにしている。

 きっとほかにもやっていることだろうな。

 女王様の仮面でもかぶって」


俺が言うと、菖蒲はさらに動揺した。


山田には顔を見られていないはずと、今気づいたはずだ。


「千代、今の心境…」


「混乱、ね…

 引っ掛けられたという思い。

 どこまで知っているかという思い。

 山田が語っているはずがない

 という確信にも似たものと相対する不安」


千代は菖蒲から顔をそむけずに言った。


俺は数回うなづいた。


「さすが、犯罪心理学者だな。

 オレにはそこまではわからなかった。

 お嬢様だと知った時、簡単にこんな想像ができただけだ。

 できればさっさと語ってもらいたいんだがな。

 なんだったら、帰ってまた作戦を練ってもらってもいいが、

 俺が直接総理大臣に話しをしてもいいんだぜ」


俺は素早く彩夏を見た。


今はあまりのことにぼう然としているだけだ。


その点、爽花はもう平常心を取り戻していて、菖蒲を見てる。


だがその手には小さなマリア像が握られている。


「優華ちゃんっ!!」と菖蒲は姑息な手段に出ようとしたが、優華は素早く俺のそばに来て腕を取った。


少し軽口でもと思ったが、菖蒲が復活することを恐れたのでやめることにした。


「肉親に訴え、なんとか平常心に戻し、

 今後の策を練ろうという姑息な手段」


「もう犯罪心理学者の仲間入りね、簡単だったけど…」と千代は俺に顔を向けて真顔で言った。


「余計な小細工はもういい。

 さっさとどうするか決めろ。

 この卑怯者」


俺が言うと菖蒲はふらつきそうな足をなんとか抑え込んで、俺に突進しようとした。


俺は殴られてやってもよかったのだが、千代が難なく両手を抑え込んで、後ろ手にして拘束した。


「往生際が悪いな…

 本当のことを言われて怒った。

 まるで子供だよな、お嬢様」


俺が言うと、「くそっ! くそっ!!」と菖蒲は繰り返し悔しさを表情ににじませている。


ここに入ってきた菖蒲の顔はなく、年相応以上に精彩のない菖蒲の顔がある。


「悪者は顔に出る。

 みんなも気をつけておいた方がいいな」


俺は笑顔で、優華、爽花、彩夏を見た。


三人とも今までと同じ、真剣な顔をして俺に向けてうなづいてくれた。


「証拠は何もない。

 さあどうするんだ?

 オレたち全員を消すか?」


「そうよ、証拠なんて何もないっ!!」


菖蒲はまるで魔女のような顔をして俺を見据えた。


「ないわけないじゃない…」と彩夏が平然とした声で言った。


『継野君、全て聞かせてもらって、そして見せてもらった』


くぐもった声が聞こえた。


どうやら、総理大臣は見ていたようだ。


それはパソコンに内蔵しているインターネットカメラの映像とマイクだ。


『拓生君、これから迎えをやるから、

 そのままで待機しておいて欲しい』


「はい、了解しました」



静寂が訪れた。


かすかにサイレンの音が聞こえた。


どうやら五月が陣頭指揮を取るようだ。



ドアがノックされて、慌てた様子で優華が俺の腕を放してドアを開けた。


真剣な顔をした五月は、「首相がお呼びです」と菖蒲に言った。


千代がついていこうとしたが、五月は素早く首を横に振って、五月を抱えるようにして店を出て行った。


警官たちが引き上げたと同時に、父と加藤が部屋に入ってきた。


「大物が釣れたようだね」と加藤は真剣な顔をして俺に言った。


「今までで一番楽でしたよ。

 みんなにかっこいいところを見てもらえたし」


俺が言うと、優華が俺に抱きついて、「結婚しちゃやだもぉーんっ!!」と言って泣き喚き始めた。


俺が千代を見ると、苦笑いで小さくうなづいた。


「結婚はしないんだけどな」と俺が言うと、優華たち三人は、ハトが豆鉄砲を食らった顔以上に目が点になっていた。


「だが、結婚式はするぞ」


俺が言うと、「どういうことよっ!!」と言って彩夏が騒ぎ始めた。


「この先は自分で考えて欲しいな。

 俺は千代の操り人形のようなものだ。

 まさに骨抜き」


俺が言うと、千代は俺の腹を殴るポーズだけした。


「今度殴られても多分起き上がれると思うぜ。

 最近、かなり走りこんでるからな」


「言われると思ったわよ…」と千代は言って、少しだけふくれっつらを俺に見せた。



優華、彩夏、爽花の三人が会議を始めたが、そろそろ寝る時間なので、父と母、俺と千代は家に帰った。


「四人家族」と俺が言うと、「うえ―――んっ!!」と言って千代が泣き出して俺にしがみついた。


「そうだな」と父は言ってうれしそうな笑みを俺に向けた。


「だけど拓ちゃん…

 式はして結婚しないって…」


母が怪訝そうな顔をして俺に言った。


「千代の提案だよ。

 あ、千代は結婚式のことは何も言ってなったから

 俺が代わりに言ったんだ」


「俺にもわからんな…」と父は言って腕組みをして俺をにらんだ。


「じゃ、読んでもらっていいかな?」


俺が千代に聞くと、小さくうなづた。



俺はすぐに二階に上がって、千代からのラブレターを持って戻ってきた。


父に見せると、「うーん…」とうなり声を上げて、手紙を母に見せた。


母は声に出して読もうとしたので、「黙読してやって」と俺が言った。


千代は照れたかわいらしい笑みを俺に向けた。


「…驚いちゃったけど…

 だけど、私はいいかもって思ったわ。

 夫も妻も束縛しない夫婦。

 だけど結婚しないからずっと恋人…

 私もそうしようかしら…」


きっと言うと思ったので特に驚きもしなかった。


「オレにはこの考えはなかった。

 だけど知っていたんだよ」


俺が言うと、千代はどういうことなのかわからなかったようで、驚いた顔を俺に向けた。


俺が説明すると、「やっぱり神父様だから?」と母が俺を拝み始めた。


「それはわからないけどね。

 だけど頭に浮かんだ言葉の理解はできた。

 父さんと母さんには申し訳ないけどね。

 本気で仕事に打ち込みたいから、子供はかなり先だろうし」


俺が言うと、千代は俺のわき腹に軽く拳を入れた。


そして驚いていた。


「筋トレとかしてないけどね、なかなかだろ?」


俺が言うと、「鉄かと思っちゃった…」と言うと、母が興味津々で俺に触れ回ってきた。


「先生に教えてあげないとっ!!」と母が言ったので俺はかなり飽きれた。


母は携帯を手に持ってメールを打ち始めた。


きっと、メールをする切欠が欲しかったのだろうと思った。


「千代はどう思う?」と俺が母を見て言うと、「お母さん口調で、今までと同じように付き合いなさいって…」と答えた。


「俺もそう思う」と俺が言うと、「皐月もなかなかやるな…」と父はうれしそうに言った。



風呂から上がると、やはり母の命令なのか、彩夏たち三人が来ていた。


「俺は何も変えないと言った。

 じゃ、おやすみ」


俺は一階の和室に入った。


今は誰もいない。


俺はみんなの布団を敷いてから、ゆっくりと横になった。


… … … … …


今朝は爽花が参戦していただけで、状況は大して変わっていなかった。


だが、口元がひりひりしている。


―― 記憶がないから残念だ… ―― と思って俺は優華と千代の腕をやさしく体から放すと、ふたりとも起きてしまった。


千代は比較的パッチリと、優華はまだ寝ぼけ眼だ。


「…お兄ちゃん、おはよ?」と優華が言った。


「誰が一番だったんだ?」と俺が言うと、千代が申し訳なさそうな顔をして手を上げた。


「彩夏は吸い付いてきた」と俺が言うと、「起きてたの?」と言って優華はかなり困った顔をしていた。


「想像だよ。

 これからは口じゃなくホホにしてくれ。

 守らない者は追い出すっ!!」


俺は言ってから立ち上がって、洗面所に向かった。


優華がすぐに俺に追いついてきた。


「冒険旅行の時も…」と優華は初めて俺に真相を明かした。


「だからますます、オレから離れられなくなった。

 爽花は?」


「あはは、仲間?」と言ってうれしそうに答えた。


きっと、彩夏にでも言われて無理やりだったのだろうが、だからこそさらに、我慢の限界が近づいたのだろうと感じた。


「そしてその時も彩夏は俺に吸い付いて離れなかった」


俺が言うと優華は、「うーん、普通だったよ?」と意外な答えが返って来た。


「ああ、なるほどな」と俺が言うと、「え? なあに?」と優華は言って俺の顔をのぞきこんだ。


「真剣だった。

 これから俺を奪い合う戦いが始まる。

 こういった想いがあったんじゃないか?」


俺が言うと、優華はうなだれてこくんと頭を下げた。


「俺としては損した気分…」と俺が言うと、優華は背伸びをして俺のホホにキスをした。


「ああ、いいな。

 まさに妹」


俺の言葉がかなり気に入らなかったようで、優華はふくれっつらを俺に見せ付けた。


… … … … …


出社すると、俺の机の上に一枚の紙が伏せておいてあった。


裏返してみると、『オリンピック出場選手選抜選考陸上競技会の案内』と書かれていた。


開催日は二日間で、いずれも夜19時から行なうようだ。


都心にある巨大な陸上競技場で、当然、公認記録となる。


日付を見ると、明日が一次選考で明後日が本選考となっている。


かなり急な話だが、俺にとって異存はない。


もっとも、俺の要望により開催してくれているのだろうとは思っている。


問題は千代だが、電話をすると、事件がなければ行くということだ。


隠れてわからなかったのだが、受験票のようなものが二枚あり、俺と千代の名前が入っている。


下の方には出場競技が記してある。


俺は男子百メートル走にだけエントリーされているようだ。


俺の番号は50番なので、最低でも50人は出場するということになる。


千代は148番で、きっと百の位は女性を示す意味ではないかと感じた。


俺はこの件を課長に聞こうと思い、案内状を持って課長の席に行った。


「あ、それ、うちがスポンサーだから。

 映像もしっかり撮らせてもらって、

 CMにでも使おうかと思っているんだよ」


俺は課長に気さくに言われて、苦笑いを浮かべた。


「陸上ファンに招待状も送っているから、お客さんもいるからね。

 できれば緊張しないように、いい成績を残してもらいたいね」


「はあ、それは問題ありませんから」


俺が言うと、「えっ?」と課長は少し驚きの声を上げたが、「やっぱり、豪胆だねぇー…」と妙に感心されてしまった。


「ところで、もう聞いてもらっていますよね?

 警察の陰謀…」


俺が声を潜めて言うと、課長は渋い顔をして、「まあね…」と言って悦子の席を見た。


「裁判を起こしても取り戻すから、

 松崎君は何も気にしなくていいんだよ」


俺は課長の言葉を100パーセント信用して、頭を下げて席に戻った。



「何の話だ?」と伊藤が聞いてきたので、俺は案内状を渡した。


「ふーん、確かに宣伝効果はあるよな。

 オリンピックまで秒読みだし、

 それまでにいい映像があれば宣伝効果はさらに上がる」


「そうなるように、全力で走りますよ。

 怪我をしない程度にね」


俺が言うと伊藤は、俺の右手に持っている出場証に興味があったようなので、二枚とも渡した。


「かっこいいよなぁー、犬塚千代さん」


「俺のライバルですからね。

 彼女もかなり早いですよ。

 中学時代はふたりして毎日張り合っていましたから。

 まさに恋人以上の関係です」


俺が言うと、伊藤の顔色に精細がない。


どういうことなのかはわかったので、「…千代と結婚式をします…」と小さな声で言った。


伊藤はかなり驚いたようで、目を見開いたまま動かなくなった。


こういったことは早く知っておいた方がいいと思っただけだ。


「俺の近くにいる者以外は、伊藤さんしか知りませんから」


俺が言うと伊藤は、「あ、ああ、光栄なことだ」と言って仕事を開始した。


そして、「…ロリコン…」と小さな声でつぶやかれてしまった。



仕事が終わり、帰ろうとすると、俺はなぜだか同僚たちに包囲された。


『レストランに連れてって!』という眼を俺に向けていた。


「今日は明日の記録会の調整」と言うと、半数はうなだれ、半数は、「なあに、それ?」と言って聞いてきた。


説明すると全員がうなだれて、とぼとぼと肩を落として帰って行った。



家に帰り、グルメパラダイスに行ったが、やはり尾行者はいなかった。


―― 尾行されているつもりで走る ――


きっとこれが一番早いと俺は思っている。


練習場所はもう決めてある。


あの目玉の看板のある公園だ。


陸上用のトラックの硬いウレタンを敷いてあるので、最高の練習場所だ。


説明してから行こうと思って、俺たちの予約席を見た。


今は母と爽花がテレビを見ている。


俺は部屋に入ってから爽花にだけ説明した。


「夜だと怖いわ…」と爽花は身震いした。


「街灯は十分にあるけど…

 ああ、目玉の看板」


俺が言うと、爽花は怯えた顔をして身震いした。


「千代が来たら行ってくるよ」と俺が言うと、「はい、いってらっしゃい…」と言って、爽花は母の仲間に戻った。


何を見ているかと思ったら、どちらかといえば芸能人の暴露系のバラエティー番組だった。


「母さんは出たいよな」と俺が言うと、珍しいことにとんでもない目をした母が振り返り、超高速でうなづいて、爽花が、「キャッ!」と言って驚きの声を上げた。


目玉の看板の話しをしたばかりなので余計に怖かったようだ。


「彩夏に相談して、

 ひとつだけ一緒に出て欲しいとおねだりすればいいんだよ。

 最初で最後。

 きっと、話題にもなるだろうし」


俺が話し終わる前に、母は彩夏にメールを始めた。


彩夏もいるはずだと思って厨房を見るとやはりいた。


いつもと変わらず、そのシルエットは美しい。


そして、メールが来たことに気づいたようだ。


内容を読んで、少々思案顔になった。


きっとその番組に巻き込まれるだろうと思って、俺は覚悟した。


母には無理のない範囲でがんばってもらおうと思っているからだ。



一段落ついたようで、彩夏は部屋に入ってきた。


「トレーニング?」と言って彩夏は俺の服装を見て言った。


「尾行者がいれば必要なかったんだけどな」と俺が言うと、彩夏も爽花も大笑いした。


「目玉の公園」「いかない」と言われ、俺は彩夏にも振られた。


彩夏はどこかに電話をかけ始めた。


電話を切り、またかけ始めた。



千代がいい笑顔でトレーニングができる服装でやってきた。


「行ってくるよ」


俺が言うと爽花は、「いってらっしゃい」と言って、彩夏は手を振ってくれた。



千代とふたりして外に出て、ゆっくりと走り始めた。


体が軽いと感じた。


まるで翼でも生えているようだ。


「ちょっと、早いんじゃないの?」と千代が言って俺をにらんだ。


「そうか?」と言って、少しペースを落とした。


「長距離もできるかもな」と俺が言うと、「もう化け物だわ…」と千代に言い返された。



目玉の公園には誰もいないように見えた。


目玉の看板をしげしげと見ていると、「よく気味悪くないわね…」と言って千代は体を抱いて震えた。


「俺が描いたし…」と言ったが千代は聞いてもいなかった。


長い舗装路に出ると、少女が走っていた。


「よかったな、仲間がいたぞ」と俺が言うと、千代も喜んだ。


走り終わって、呼吸を整え始めた少女に、「こんばんは!」と声をかけた。


少女は一瞬いぶかしげに俺を見たが、千代を見つけて安堵の笑みを浮かべた。


さずがに、男性とふたりっきりだと怖いものがあるはずだ。


「本格的にやっているようだね」と俺が聞くと、「あ、はい」と言って少し照れた顔をした。


「後輩ということでいいのかな?」と言って、中学の名前を言うと、同意した。


オレたちが自己紹介すると、どうやら有名人だったようで大歓迎された。


つい最近小学校には行ったが、中学校には行っていないので、学校の様子を聞くと何も変わっていないようだ。


「犬塚先輩はみんなのあこがれですっ!!」と少女は言った。


少女に名前を聞くと恥ずかしそうにして、「ほむら美恵ですぅー」と答えた。



早速俺たちは汗を流すことにした。


シューズをはき替えてコースに出ると、やはり路面への食いつきがいい。


俺は立ったまま全力で走った。


気分爽快だと感じた。


ゆっくりと引き返すと、「どんだけ早いのよっ!」と千代に文句を言われた。


「流しただけだぞ」と言うと、千代はあきれ返っていた。


「千代の場合、俺の背中を追いかけることが早くなる秘訣だと思う」


俺が言うと、「ふんっ!」と言って、いきなり走り出したので、俺はとなりのコースを目一杯走って、千代に追いついた。


ゴールまでは流して、ほぼ同時にゴールした。


「勝ったぁー!!」と言って千代は喜んでいる。


「次は勝つぞ」と俺は言って千代に華を持たせた。


美恵はぼう然としてオレたちを見ているだけだ。


しかし、「本当に早すぎますっ!!」と言って大声を上げた。


「じゃ、三人で走ろうか」と言って、俺はクラウチングスタートの体制を取った。


「もう本気?」と千代も言って俺のとなりに座った。


美恵も途惑いながらも慌てて座り、白線のうしろに手のひらを添えた。


「美恵君、スターター」と俺が言うと、「はいっ!」と元気よく言って、「よーい… はいっ!!」という掛け声とともに俺たちは一斉に飛び出した。


ほぼ全開の千代は放っておいて、美恵のペースよりも少し上げた。


美恵は必死になってついてくる。


かなり体にぶれがあるので、その分遅いようだ。


「やったぁー! いっちばんっ!!」と言って千代は喜んでいる。


そしてオレたちが同時にゴールしたことを笑顔で目で追っていた。


「じゃ、タイム計測な」「早いって…」と千代が言ったので、俺の腕時計を渡して計測係をしてもらうことにした。


俺はスタート地点まで戻って、合図を待った。


「よーい… はいっ!!」と千代の透き通った声とともに、俺は全ての力を足に込めた。


そして、いつもはすることせずにゴールまで走った。


足を止めたが止まりそうにないので、惰性に任せることにした。


「時計が壊れてなかったら世界記録更新ね」と千代は平然として言った。


「9秒切った?」と俺が聞くと、「9秒35」と飽きれた顔で言って、時計を俺に見せた。


「9秒切るまで走る!」「明日、欠場する?」と千代に言われたので、調子に乗らないことにした。


美恵はぼう然としてオレたちを見ている。


「手動だし、それほど正確じゃないけど、世界記録更新だ」


俺が言うと美恵は、「ずっごぐうれしいでずぅー…」と言って泣き出し始めた。


少しだけ流してから、千代のタイム計測をすると、日本記録は更新できたようで、10秒48だった。


「10秒切れっ!!」「無理っ!!」と千代に言われてそっぽを向かれた。


俺たちはクールダウンを初めて、美恵を家まで送っていくことにした。


「あの看板、松崎さんが?!」と言って美恵は驚いていた。


どうやら誰も彼もが怖いようで、痴漢も出ないそうだ。


よって、少女ひとりでも安心だと話してくれた。


「学校で自慢しますぅー…」「あ、俺、タクナリ君だから」とさらに俺の正体を明かした。


少女はさらに驚いた顔をしている。


「松崎拓生。

 お父さんとお母さんなら知っているかもね」


俺が言うと、少女は血相変えて走り出し、数メートル先の家に飛び込んで、「お母さんっ!」と美恵は叫んだ。


すると、男性と女性が現れて、「ぼっちゃんっ!!」と大声で言って、懐かしい声を久しぶりに聞いた。


「やあ、ほむらさん。

 多分娘さんだと思っていたんですよ。

 珍しい苗字ですからね」


焔夫婦は、俺が幼いころに、家の面倒を見てくれていた家政婦のような仕事をしてもらっていた。


母がまったく家事ができなかったせいだ。


さすがにお嬢様だとこの話しを聞いた時に納得した。


しかし母が何とか家事ができるようになったので辞めてもらったのだ。


「テレビで拝見しましたよ、おや?」と言って焔は千代を見た。


「こちらの方も… パートナーでしたか…」と焔が言うと、「はい、そうです!」と千代は言って満面の笑顔を俺に向けた。


「立派な警察官になられたようで…」と言われたのですべての事情を話した。


「主役は、実は一般人だったのです」と俺が言うと、焔は大声で笑った。


俺と千代は焔におやすみのあいさつをしてから帰路についた。



俺たちは小走りでまた公園に戻ってきた。


だがここはさすがにあまりよくないと思い、グルメパラダイスの近くにある歩道橋を上りきる手前で歩みを止めた。


ここだと、誰にも見られないからだ。


俺は千代に、階段を二段上がったもらった。


もう千代は全てを察していて、ホホを赤らめていた。


「千代、好きだ」と言うと、千代はゆっくりと眼を閉じた。


「おにいちゃぁーんっ!!」という優華の声が少し遠くから聞こえた。


千代はすぐに声がした右側を向いたが、俺の顔に引き寄せて素早く唇を奪った。


「もうチャンスがないかもしれないからな。

 まったく困った妹だ…」


俺が言うと千代は、喜びの涙を流していた。


千代が落ち着いてすぐに、俺たちは歩道橋を上がり終えた。


優華も今上がり終えたところで、俺に笑顔を向けた。


どうやら今聞いたばかりだったようで、トレーニングスーツを着ていた。


「一人歩きは危ないぞ」と俺が言うと、「ざんねぇーん…」と言って肩を落とした。


俺はこの時ようやく気づいた。


爽花と彩夏は俺たちに遠慮してくれたのだ。


「仕事、忙しかったのか?」と俺が聞くと、「団体さんが入って…」と言って少しだけ悲しそうな顔をした。


―― 彩夏の電話… ―― と思い、俺は納得した。


さらにはこれを恩に着せようという魂胆もあると感じた。


しかし、母が彩夏にメールをしたことも気にかかる。


彩夏のチャージはまだまだ止まらないと思い、俺はなぜだかうれしく思った。


「なんだかね、名刺交換とか始めて…

 新聞記者とかテレビ局のプロデューサーとか色々な人…」


もう間違いなかった。


みんな彩夏の手下だと感じた。


「団体と言うと100人ほど?」と俺が聞くと、「113名様っ!」と優華が答えたので、俺は大声で笑った。


彩夏が色々と便宜を図っている人だろうと感じた。


真実を手に入れた者は全てを記事などにせず、それを基に真相に近いことを報道すれば、真実みも上がり、ある意味防犯にもなる。


一声かければ大勢集まる、まるで彩夏は大親分そのものだ。


「…ちょっと心配…」と千代が小さな声で言った。


「…まあな…」と俺は極力不安げな顔をして言っておいた。


… … … … …


楽しみにしていた陸上記録会は終ってしまった。


今日は金曜の帰り道。


駅の壁を見ると、もう警視庁オリンピック対策本部からのポスターが出来上がっていた。


もう、というのは、画像として使われているのは俺と千代の全体写真だからだ。


『私が、俺が、守るっ!!』をキャッチフレーズにして、右側に俺のクラウチングスタート寸前の左斜め前から撮った写真。


左側には千代の同じ構図の写真で構成されている。


―― 俺では守れないと思うんだがな… ―― と思いながら、ふと、ポスターの下の方に目をやった。


『警視庁 犬塚千代警部』と千代は紹介されていた。


―― まだ二ヶ月だぞ… ―― と思ったが、民間人で警察に協力していたころの功績などを考えると、何らかの特進があったのだろうと思い、これが妥当かもしれないと感じた。


そして右に目をやると、『マナフォニック社 タクナリ君』と書いてあり、俺はかなり笑った。


まるで会社のマスコットキャラクターのような名前だと思っただけだ。


女子高校生がふたり、俺を怪訝そうな顔をして見てきたので、俺はポスターから離れ、改札をくぐった。


すると、「え? えええっ!!」と女子高校生たちは驚きの声を上げて騒ぎ始めたので、俺は見られないようにして少し走った。


気づかれないうちに角を回り、そこにあったベンチに座ってからくたびれたサラリーマンに変身して、千代に電話をした。


黄色い声を上げられたことの報告ではなく、今まで見ていたポスターが欲しいと思ったので、もらってきてもらおうと思ったのだ。


千代はすぐ電話に出て、気さくに了解してくれた。


「…あ、あのね…

 もう、これから帰るんだけど…」


千代は期待を込めて言ったはずだ。


「おまえのご主人様が迎えに行ってやろう」と俺は言って待ち合わせ場所を決めてすぐに、ホテルに予約を入れた。


24時までにチェックアウトすれば、比較的安価でデイユースとして利用できる高級ホテルがある。


こういった時のことを考えて、準備万端整えていた。



待ち合わせ場所に行くと、千代は丸めたポスターを持っていた。


俺は笑顔で受け取って、すぐにタクシーを捕まえた。


「カンタビスタホテルに」と俺が言うと、「はい、ありがとうございますっ!!」と妙に元気に運転手に答えられた。


近場ばかりで小銭を稼ぐような仕事に飽き飽きしていたのかもしれない。


といっても、二千円ほどしかかからないので、俺たちはそれほどの上客ではない。



俺は少し陽気に駅であったことを話すと、千代は腹の底から笑ってくれた。


「だけど仕事が早いよな。

 昨日の写真だぜこれ」


俺はポスターを少しもち上げて言った。


「へー、そうだったんだぁー…」と千代は、コケティッシュな笑み浮かべたが、かなり緊張しているようだ。



ホテルに到着して料金を払い、タクシーを降りたところで辺りをうかがった。


今回は彩夏につけられていない確信を持った。


よって今頃は俺を探しまくっているはずだ。



チェックインを済ませ、部屋に入ってすぐに、千代を抱きかかえてベッドにダイブした。


まるで映画のワンシーンのように、俺たちは激しくお互いの唇を求めあった。


… … … … …


ベッドに寝転んでいる俺たちは、まどろんでしまうほどに満足した。


「急ぎたくはないけど、急ごうか」と俺は言ってから、千代にキスをした。


「泊まりたいなぁー…」と千代は言いながらも、下着を着け始めた。


「やっぱり、千代には幸運があるんだって思った。

 できれば毎日幸運があって欲しいほどだ」


俺が言うと、千代は微笑んでいたが、すぐに顔色を曇らせた。


「ここで都合の悪い想像をしてはいけないな。

 ずっとは続かないだろうが、悪いことはないと思っておくべきだ。

 不幸を考えると、不幸を呼ぶぞ」


俺が言うと、「うん、そうだねっ!」と千代は元気よく答えた。


「公園の目玉の看板が厄除け厄払い…」


俺が言うと、「あー、あるのかもぉー…」と千代は感慨深く言ったが、寒気がしたように体を震わせた。


「尾行を巻くこともなくなったから、

 策略なしにトレーニングした方がよさそうだ」


俺が言うと、千代も同意した。



俺たちは近くにある地下鉄の階段を下り地下鉄に乗った。


何事もないまますんなりと家に帰りついた。


今は8時で、家には食事の準備はしていなかった。


「母さんは青春を謳歌しすぎじゃないかな…」と俺が言うと、「友達、それほどいなかったんだと思う」と千代は少しさびしげに言った。


「ああ、それで…

 父さんも何も言わない…」


俺が言うと、千代は無言でうなづいた。



俺たちは着替えてから、ポスターだけを持ってグルメパラダイスに行った。


いつもの予約席は、なぜだか暗雲がたちこめているように感じた。


「彩夏がいないな…」


よって、怒っているのは優華か爽花だろう。


千代は極力平静を取り戻すように背筋を伸ばした。



オレたちが部屋に入ると、優華と爽花が泣き腫らした眼で俺を見ていた。


「彩夏に何を命令されたんだ?」


特に考えはないのだが、罠かもしれないと思っただけだ。


「えっ?」と優華と爽花は驚いた顔をして顔を見合わせている。


「俺と千代が遅いから、何かいかがわしいことをしているはずだ。

 などと彩夏は断言した」


ふたりはこくんとうなづいた。


ふたりともかなり素直だ。


「如何わしいことなんて何もしていないっ!!」


俺は堂々と叫んだ。


俺と千代は、美しい愛の営みをしていただけなので、堂々と胸を張って言える。


俺は笑顔だが、千代はあきれた顔をして俺を見ていた。


「あ、優華、このポスター、どこかに貼ってくれないか?」


俺は優華にポスターを渡した。


そして優華はポスターを広げて、「うっ! 怖っ?!」と少し叫ぶように言った。


爽花はポスターを見て、少し体を引いて驚いている。


「真剣だからな。

 それに警察のポスターだから怖がられる方がいい」


俺が言うと優華は納得したようで、レジ横の空きスペースに掲示するようだ。



すると、爽花の携帯が鳴り、つないですぐに、妙に大きい声が聞こえた。


相手はきっと彩夏だろうが、一体どこにいるのだろうかと怪訝に思った。


「帰ってきてるけど?」と爽花が言うと、また何かを言って怒鳴っているように聞こえる。


「まさかだけど、発信機とか…

 俺のスーツに…

 外れて、タクシーの座席にくっついた。

 それだともうそのタクシーを捕まえているはずだから、

 俺たちの後に乗せた客の服にくっついた。

 それを追っている…」


俺が言うと、千代は少し笑って、「なくはないわ…」と言って、また笑い始めた。


「なんだか面倒なことになりそうだな…

 結局、自白を強要されるかもしれないけど、

 堂々と話すから」


千代はそれだけで満足だったようで、笑みを俺に向けた。



俺たちが食事をしていると、彩夏率いる仲よし三人組が店に入ってきた。


さすがに母は俺に申し訳なさそうな顔をしているが、彩夏はキワモノそのものの顔で俺をにらんだ。


「なんだよ…」と俺が言うと、「どこに行ってたのよ」と彩夏は極力落ち着いた声で言った。


「言いたくないから言わない。

 理由はかなりめんどくさそうだから。

 犯人でもないのに犯人にされそうだから。

 黙秘権行使?」


俺が言うと、彩夏はわなわなと震え始めた。


「明日、休みなんだよな? デート…」「そうだったわっ!!」と彩夏は急に元気になって、厨房に走って行った。


「忘れてたのか?」と俺がつぶやくように言うと、「ほんと、危ない性格だわ…」と千代はあきれた顔をして言った。


爽花は俺を驚愕の目で見ていた。


「爽花までなんだよ…」と俺が言うと、「キャンセル…」と言ったので、「まあ、別にそれでいいけど…」と俺はごく普通に言った。


「違うの違うのっ!!」と爽花は素早く首を横に振った。


「もう、結婚式するの決まっちゃったから…」


爽花は一瞬、千代を見た。


「友達とのデートは問題なし。

 千代の許可は出てるし、

 その程度のことを許さない女の方がおかしいという、

 千代の考え。

 これに俺も賛同した」


俺が言うと少々千代ににらまれたが、爽花はいきなり千代の両手を取って喜んでいた。


「だから、ウェディングドレスを着て写真を撮る、

 っていうのもありだぜ。

 もちろん結婚写真ではなく、コスプレ記念写真としてな」


「うっ! それってうれしいって思う…」と千代が言うと、爽花は大声で泣き始めた。


すると母が妙な目を俺に向けている。


「俺と結婚写真?」と俺が言うと、母は一旦うなずいたが、さすがに首を横に振った。


しかし残念そうな顔をしている。


「母さんの場合、みんなの仲間になりたいだけ…

 父さんとの結婚写真ってあるんだろ?」


「文金高島田だった…」と言って苦笑いを浮かべて遠くを見る目をした。


「父さんにお願いしてウェディングドレスの写真も撮ってもらえよ…」


俺が言うと、母はぼう然とした顔をしてから、首を横に振った。


「千代、頼んでいいか?

 俺ではちょっと頼みにくい」


俺が言うと、千代は俺に笑みを向けた。


「…ああ、やっぱり…

 二人が遠くにいるように思っちゃう…」


爽花が悲しそうな顔をして言うと、俺と千代は顔を見合わせた。


「それは問題なんだが、できれば気にしないで欲しいな。

 特に母さんや父さんの話しの時は、

 娘になった千代という家族が絡むことになる。

 そういったことにちょっとした疎外感を感じたんじゃないのか?」


俺が言うと爽花は真剣な顔をしてうなづいた。


「今までだったら誰でもいいから言ってもらってよかったんだ。

 だけどさすがに今は千代を飛ばして話すことは

 しこりを残してしまいそうだからな。

 爽花には、この件とはちょっと違うが、

 少々問題を起こす傾向にあると思わないか?」

 

俺が言うと、爽花は悲しげな顔をしてうつむいた。


「理由はちゃんとあるぞ。

 誰かが傷つかないようにウソをつく」


俺が言うと、「その通りだって思っちゃった…」と爽花は深く肩を落とした。


「ウソにいいことなんて何ひとつない。

 ウソは、悪だ」


俺が爽花をにらんで言うと、「ちょっと…」と千代は言って困った顔をして俺を見た。


「和解できればいい。

 だがな、一度ウソをつかれたら、

 もう信用してもらえないと思っておいた方がいい。

 だから俺は、爽花も優華も、今は疑いの目で見ているはずだ。

 できればこれからは心を入れ替えて欲しいな」


爽花はかなりショックだったようで、深くうなだれただけだ。



入り口に優華が立っていた。


どうやら今の話だけは聞いていたようだ。


「父さん、どこに行ったか知らないか?」と俺が聞くと、優華と爽花が同時に、「焔さんって方のところっ!」と自信を持った顔をして言った。


「そうか、ありがとう」


俺がふたりに笑みを向けると、今までのことは忘れたような笑みが返って来た。



俺としてはこれでいいと思ったが、今度は母の様子がおかしくなった。


俺はすぐに気づいたので、「今日、一緒に行く約束をしていたんだろ?」と言うと、母はまさに泣きそうな顔をした。


「離縁…」と俺が言うと、母はついに大声で泣き出してしまった。


「言い過ぎっ!!」と千代は鋭い視線で俺を見て、母に寄り添って慰め始めた。


「家族円満の秘訣だな。

 悪者がひとりいると、丸く治まることもある。

 その証拠が今きた」


俺が言うと、爽花も優華も異議はあるが、今の状況を見て、―― それもある ―― と思ったようで、何も言わなかった。


彩夏が部屋に入ってくると同時に、父も戻ってきた。


「焔さんのところに行ってきたんだよね?」と俺が聞くと、父は母を見て少し笑った。


「俺の妻を泣かせたな」と冗談ぽく言って、父は母の隣に座った。


しばらくして千代が戻って来て、申し訳なさそうな顔をして俺を見ている。


「言い過ぎたのは私だった…」と言って、俺に頭を下げた。


「悪者のままでもよかったんだけどな」


俺が言うと、千代は困った顔をして首を横に振った。


「悪者の悪辣さによって、父の優しさがさらにうれしく感じる」


俺が言うと、千代は笑顔で俺を見上げてくれた。



俺たちはうまい食事に舌鼓を打った。


その間に父は母とともに家に帰っていった。


テレビのニュースで、陸上競技連盟から強化選手の発表があった。


当然、俺と千代の名前はない。


俺たちはともに、百メートル走で世界新記録を更新したが、出場を辞退した。


記録を残せたので辞退したと言っていい。


俺としては、気に入らない成績だったら、どんなことをしてでもオリンピックに出ていただろうと思っている。



さらに、辞退の理由は俺も千代もオリンピックの裏方の仕事があるというものだ。


これで東堂の肩の荷も降りたはずだ。


その東堂も故障として出場を辞退している。


オリンピックまでには完治できるのだろうが、さすがにまったく練習ができないので無理な話だ。


よって東堂は社の仕事一本となる。


オリンピックはダメでも世界選手権も大いに盛り上がるので、引退する必要はまったくない。



レジで精算中の客を見ると、ポスターと俺たちを交互に見ている。


オリンピック自体の宣伝ではないのだが、裏方の参加者としてはうれしいものがある。


そしてテレビでもそのポスターが紹介され、なんと高値で取引されているという報道があった。


さすがの俺と千代も顔を見合わせて絶句した。


俺はパソコンを開いて検索してみると、オークション運営者が全て販売停止にしているようでポスターは出品されていないように見える。


しかしオークションの結果を見ると、安いものでも数万円の値がついていた。


もちろんほとんどが盗品なので、これは当たり前の処置だ。


「警察としてはどうするんだろ…」と俺が千代に聞くと、「見せしめで三課が動くと思うけどね、売れないのならもう盗まないかも」とあきれた顔をして言った。


「確かに、陸上ファンとしては欲しいよな。

 世界記録を出した直後の写真だからな。

 俺ももらって来てもらったほどだし」


俺が言うと彩夏が、「えっ? どこにあるの?!」と言うと優華が貼った場所に案内をした。


そして彩夏がポスターを堂々と盗もうとしたので、俺たちは大声で笑った。


… … … … …


翌日、俺と彩夏とのふたりのデートだったはずだが、なぜだか四人いる。


「いいの?」と俺は言ってから振り返って、母とマネージャーの陽子を見た。


「みんなで楽しみたいのっ!!」と彩夏は言ったが、「じゃあ、爽花と優華は?」と聞くと、憮然とした顔をした。


「なんだよ、ケンカでもしたのかよ…」と俺が困った顔をしていうと、「やっぱり、ね…」と言って、千代を二年間隠していたことによる弊害の件を拭い切れないようだ。


「昨日、爽花と優華には言った。

 ウソをついた者は二度と信じないとな」


俺が言うと彩夏は真顔だったが、何も言えなくなったようだ。


「もちろん冗談ならいい。

 冗談という前提はその場ですぐにウソだと言うことをばらすこと。

 だがそれを放っておくと、ウソが真実になるからな」


「昨日、どこに行ってたのよ」と彩夏が単刀直入に言った。


やはり親分は、最終的には真正面から聞くことを選ぶようだ。


「黙秘っ!!」と俺が言うと、「いかがわしいこと、したんじゃない…」と彩夏は演技なのか真剣なのかわからない顔で言った。


「いかがわしいことなど何もしていないっ!!」と俺は、通行人の眼などを省みず叫んだ。


「ウソ、じゃない…」と言って彩夏はぼう然としていたが、すぐに笑顔になって、俺の腕を取ってきた。


「友達にこれ、するか?

 あ、異性の友達だぞ」


俺が言い直すと、彩夏は少し怒った顔をしてから、「手はつなぐかも…」と神妙な顔をして言った。


「それはありだ」と俺は言って、右手を差し出した。


彩夏ははにかんだ笑みを俺に向けて俺の右手をつかんで、機嫌よさそうにハミングを始めた。



結局は彩夏も水族館を選んで、四人の変則な友達デートになった。


大水槽横のベンチで休憩しているとパパラッチを見つけたが、見知らぬ男性に連れ去られていった。


「なに?」と俺が言うと、「あ、ボディーガード」と彩夏はごく自然に言った。


「今日のデートは二対二なの。

 拓ちゃんチームと私チーム」


実際、母は陽子とかなり楽しそうに話しをしながらついてきているだけだ。


まさに友達といった感じがうれしく思えた。


「その写真をきちんと承認することが、

 ボディーガードさんたちへの代償よ」


「ああ、まあ、それだったらいいんだけどな。

 問題は記事だな」


俺が言うと、確実に何かを企んでいるようで、「タクナリ君の母、公認のデート、とか…」と言うと、「承認して欲しいのっ!!」と彩夏に言われて、拝み倒された。


「友達デート、公認は抜いて」と俺はむすっとした顔をして言った。


彩夏はかなり困ったようで、「ごめんなさい…」と言ってから、渋々メールを打ち始めた。


送り終えた彩夏に俺は、「おまえの方が困ったことになるだろ?」と俺が言うと、「千代ちゃんは恋人だからね、略奪愛はありっ!!」と彩夏は大声で言った。


「声、でかいと思う…」と俺が言うと、―― 気合入れすぎた… ―― とでも思ったようで、彩夏は首をすくめた。


「さらにどろどろじゃないか俺が…

 もうタクナリ君効果もなくなるかもな…」


俺がさびしそうに言うと、こっちの方が困ると思ったようで、「お情けデート…」と彩夏が言ったが、「山東彩夏、幼なじみと楽しい水族館」と俺は言って、表題を決めてやった。


「もちろん、陽子さんも幼なじみのようなものだ。

 ずっとおまえについてもらっているんだからな」


「わかってるわよぉー…」と言って、彩夏はまたメールを打ち始めた。


「だが、やっぱもうひとり欲しいよな。

 偶数の方がペアになるから。

 まあ、紹介してもいいんだが…

 男だけどな」


俺が言うと、「誰?」と彩夏が聞いてきたので、俺は耳打ちをして名前を言った。


「ああ、まさか、だけど…」


「そう、ボディーガードも込みだ」と俺が言うと、「うん、すっごくありがたいって思う」と彩夏は本気で感謝してくれた。


「仕事がない日は優華に託す。

 そして新しい俺の男友達であり、透明の部屋の住人兼番人」


俺が言うと、彩夏は笑って俺の意見に賛成してくれた。


「だけどそうなるまでもう少し時間がかかると思う。

 きっと今ごろは体を鍛えているって思うし。

 年齢は少々いってるが、子供も持ってるし。

 案外、楽しいと思うぞ」


俺が言うと彩夏は少し困った顔をしたが、憂いに満ちた顔もした。


「女性恐怖症はもう抜けたはずだが、女が好きだとは限らない。

 千代にイヤというほど殴られたからな。

 まずは俺と千代で色々と検査してからになるけど、

 俺は大丈夫だと信じている」


俺が言うと彩夏は、「私は何も心配していないわ」とごく自然な彩夏で言った。


「そうか、ありがとう」と言ってから、俺は立ち上がった。


… … … … …


デートは何事もなく終ったのだが、家の最寄駅で人相の悪い者たち四人に囲まれた。


「少し下がらないと攻撃するっ!!」と俺が言うと、一斉に囲みを広げた。


「なんだ、素直だな」と俺がいうと、「ついてきていただきたい」と少し年配の白髪頭の50過ぎのいかつい男が憮然とした態度で言った。


「誰だかわからない者についてくはずがないだろ?」


俺が言うと、男は慌てて警察手帳を出して広げた。


「組対…

 荒っぽい仕事はできれば知りたくもないんだけど?」


菊池というこの男は警視庁組織犯罪対策課の係長だ。


「石坂に協力して、オレたちには協力しないと言うのかっ?!」


「協力はしていない。

 世間話をしただけだ。

 ここでなら話しを聞く。

 10分間ほどだぞ」


すると、五月が警官を連れて駆け寄ってきた姿が見えた。


菊池は、「くそっ!!」と言って逃げ去るようにして部下を引き連れて駅の雑踏に姿を消した。


「組対… まったく困ったもんだ…」と五月は言って、俺に頭をさげた。


「俺に刑事のように走れと?」と俺が言うと、どうやら当たりだったようで、五月は苦笑いを浮かべた。


「まさに危険極まりない無謀な作戦。

 だから刑事部長からは反対されたから、

 勝手にやろうとしたようだ。

 もちろん、千代君も知っていてあきれ返っていた」


五月が言うと俺は怪訝そうな顔をしてやった。


「詳しいですね、連絡係復活?」と俺が聞くと、「わかっていて聞かないで欲しい…」と言ってまた少しだけ頭を下げた。


「何かを奪って走って逃げる。

 当然、背後からは銃弾の雨あられ。

 俺に死ねとでも言っているんですかねぇー…」


「まあ、あっさりとわかりやすく簡単に言えばそんな感じだよ」


五月は流れてている汗を拭いた。


「もうやめて欲しいっ!!」と彩夏は泣き顔を腫らして大声で言った。


当然、通行人たちは女優であり、総理大臣の娘である彩夏を知っているので、少し遠くに囲みができてしまった。


「警察は松崎さんばかりに頼ってんじゃないっ!!」とついに囲いから野次が飛んだ。


この界隈では、警官以外は俺のことは苗字で呼んでくれる。


ついには暴動が起きそうな気配になったので、「みなさん、お騒がせして申し訳ありませんっ!!」と俺は囲みに向けて頭を下げた。


すると数名が俺に頭を下げてくれて、潮が引くようにして囲いが解けた。


「…さらに申し訳ない…」


五月は頭を下げた。


「いえ、今のは彩夏が芝居をしたせいです。

 そして今は感動しています。

 俺が叫んで、囲いが解けたので」


俺が言うと五月は恍惚としている彩夏を見てあきれた顔をしていた。



五月が知っていることを聞こうと思い、警察署に足を運んだ。


彩夏たちには帰ってもらおうと思ったのだが、「警察署の雰囲気の体感と演技の練習」などと言って、一階のフロント周りで彩夏は演技指導を始めた。


俺と五月は、人があまりいないロビーのソファーに座り、モバイルパソコンの映像から概要を知った。


それは広域暴力団の密輸入の受け渡しの検挙の作戦だった。


かなりハードボイルドな設定だと、冒険小説が好きだった俺は少し喜んでしまった。


だが、蜂の巣にされるのはまっぽらゴメンだ。


さらに、ここに伏兵がいると俺はなす術がない。


取引場所は雑居ビルの込み入った路地で、自転車なら走れるが、オートバイは不可能。


よって、証拠品を奪って足を使って走り去るしかないのだ。


さらには近づくことがかなり困難だ。


その時点で捕まることが大いに考えられる。


「偶然が怖い…

 もし、ビルから人が出てきてしまうと犠牲者が出る」


俺が言うと、五月はモニターを見ながら小さくうなづいた。


「それは大いにあるね。

 普通に包囲しても、その危険性はある。

 やつらもそれがわかっていて、ここで取引しているんだよ。

 だから所轄も組対も痺れを切らせたんだ。

 よって無謀な作戦を考えた。

 世界一の足を持つ男を武器にしようと作戦を立てた。

 だがこれは計画や作戦なんてものじゃない。

 企みだ」


五月は汚い物を吐き出すように言った。


だが俺としては何か方法がないものかと考えた。


「確実にこの交差した路地で、取引があるんですか?」


俺が聞くと、「そうなんだが、周りに数名の監視役がいる」と言って、具体的な人員をモニターに書き入れた。


「ロープでも隠して敷いておいて引っ張りますか」と俺が笑いながら言うと、五月は苦笑いを浮かべた。


「ま、死人が出そうなのでやめましょう」と俺が言うと、「できるのか?!」と驚いた顔をして聞いてきた。


「ほとんど目に見えないワイヤーがあるんです。

 夜だと認識しづらいですね。

 ちょっとやそっとじゃ切れませんから、

 引き過ぎると体が切れるかもしれません。

 もし罠だったら、罪もない者を傷つけることになりますから、

 良策ではありません」


俺が言うと五月は、「ふぅー…」とため息をついてソファーにもたれかかった。


そして、「その通りだ」と言った。


「危険ですが、これよりも安全な方法がふたつあります」


俺は言ってにやりと笑った。


… … … … …


今まで散々な目にあわされていたらしい密輸入犯たちを、組対が一挙に検挙したという報道があった。


彩夏は狂喜乱舞して俺に抱きついてキスしようとしたが、千代に取り押さえられた。


「ま、狭い路地だからな。

 風はほとんど吹かない。

 目の前が真っ白になったら誰もが驚く。

 そして、発砲すると爆発が起こるとメガホンで叫んでおけば、

 さすがに銃は抜けない。

 小麦粉が悪者を退治できてよかったな」


テレビの報道で逮捕後の雑居ビルの路地は、まだらに白くなっている。


俺が語ると爽花が、「粉塵爆発…」と言って笑みを浮かべた。


「本当に爆発するからな。

 だが、発砲しなくてよかったとも思った。

 もっとも、仲間を撃ち殺すことにもなるから、

 目隠しされた状態でまず撃つやつはいないだろう。

 後は上から、錘付きの金属製のネットを打って一網打尽。

 放水すれば白い煙は収まる。

 重装備部隊がネットでも踏んづけて押さえ込めば、

 発砲したとしても安全だし。

 服が水にぬれていて、上着から銃を抜くのは困難だし。

 できれば現場を見ておきたかったて思ったよ。

 だけど、こっちはやらないと思っていたんだ。

 あまりにも漫画チックだ」


俺が言うと、五月がうなづいいて俺を見た。


「警視総監からゴーサインが出たんだよ。

 今回は少々鷹派だ」


五月は言って、下唇を押し出すようにして渋い顔をした。


「その鷹の任命を受けて、パイプ役の復活?」


俺が言うと五月は、「まあな…」と言った。


「バリバリの丸暴。

 さらに、警察学校の校長を歴任しているから、

 比較的若い警察官はほぼみんな教え子」


五月は言って、さらに渋い顔をした。


「しかし、なぜ警備を強化しなかったんですか?

 そうすれば、同じ場所で取引するはずがない」


「捕まえることが最優先。

 それをすると、また面倒な場所で取引される」


納得はできないが、捕まって幸運だったと感じた。


「報道ではありませんでしたが、ブツはなんだったんです?」


「毎回色々だったそうだぞ。

 今回も銃や麻薬、美術品。

 それにな、組対側に負傷者も出ていたから意地になっていたんだ。

 だが今回の件で少しは懲りたと思う。

 捕まえられる方も、捕まえる方も、な」


確かに五月の言う通りだと思い、俺はうなづいた。


『…タクナリ君がまた善行を行なってくださいました…』とテレビの音声が流れてきた。


「彩夏っ!! お父ちゃんを止めろっ!!

 首相解任だっ!!」


彩夏はかなり困った顔をしてから、俺に頭を下げ巻くっていた。



もうひとつの方法は、路地の幅に合わせた移動できる高い塀を造ること。


金属で作っておけば、拳銃を発砲されてもまず貫通しない。


もっともこの方法は巨大な装置なので見つかる可能性が高い。


唯一見つけられにくいのは、ビルの屋上に上げておくこと。


安全だがさすがに制作費がかさみ、捕らえる前に逃げられ、失敗の可能性もあるかもしれない。


などと思ったのか、今回は危険な方に賭けたようだ。


… … … … …


仕事を終え、夕食を済ませていつもの透明の部屋でテレビを見ていると、いきなり母が映って大笑いした。


緊張していてロボットダンスをしていたからだ。


「寺嶋さんっ!!」とお笑い芸人の司会者が笑いながら、何をしているのか尋ねようとしたようだ。


「緊張しているだけですので。

 笑ってあげると治まります」


母の隣にいる彩夏が落ち着いて言うと、スタジオ内に大きな笑い声が木霊した。



母は芸名を旧性にした。


これは寺嶋コンチェルンの娘ということと、松崎の名前を隠すことにある。


「これで見納めです。

 女優の山東彩夏さんです!」


司会者が紹介すると、彩夏は立ち上がってお辞儀をした。


「さらに、お弟子さんで女優の寺嶋皐月さんですっ!!」


母は紹介されると同時に、またロボットダンスを始めて大いに受けていた。



番組は終始、爆笑の渦に巻かれていた。


さらに、カメラが母の一挙手一投足を捉えていた。


きっとほかのお茶の間も大笑いしているだろうと感じた。


そして止まればまさに女優の顔を見せる。


だが、退屈になると様々なことを始める。


まるで子供と同じだが、今が至福の時だとは母は思っているはずだ。



「では、最後のコーナーですっ!!」


司会者が言うと、『タクナリ君の母?!』とテロップが出た。


「きっと、皆さん知りたがっていると思うんですけど、

 真相をお聞かせくださいっ!!」


司会者がマジメ腐った顔をして言うと、「ううん、違うよ」と母はまさに子供の声で答えた。


―― 俺の実の母じゃないんだっ!! ―― と思いながら俺は笑った。


「お兄ちゃん!」と母は答えた。


どう見てもそれは違うと思ったが、スタジオはまた爆笑の渦に巻かれた。


「時々お父さん? あ、怖い先生っ!!」と、妙にかわいらしく言った。


「すると、タクナリ君は優しいけど怖い?」「うん、そうっ!!」と母はもろ手を上げて言った。


どこまでが演技で、どこまでが本気なのかよくわからない。



「タクナリ君、結婚式するのっ!!」と母はここでいきなり禁句を言った。


優華と爽花は、一気に苦笑いを浮かべた。


スタジオにいる彩夏も、うつむいて顔に影が差していた。


「相手はね、四人もいるのっ!!」


―― あー、終わった… 俺の人生… ――


俺は本気で落ち込んだ。


さすがの司会者も絶句していて、ディレクターと確認を始めた。


「ずっと、仲よしでいてもらいたいからっ!!」


母の言葉は優華と爽花の心に響いたようで、大声で泣き出し始めた。


もちろん、スタジオにいる彩夏もだ。


「結婚式はするけどね、結婚はしないの。

 でもね、恋人は一人だけなのっ!!」


―― 名前、言うなよ… ―― と俺は思い、強く願った。


「えっ? それはどんな方なのでしょうか?」と確認を終えた司会者が言った。


どうやら、彩夏経由でゴーサインが出たようだ。


さらには、メインスポンサーはマナフォニックスと寺嶋コンチェルンなので、それなりの役職の者がいたんだろうと感じた。


「すっごく足が速いのっ!!」


―― あー、いっちまったぁーっ!! ――


名前は言っていないが、ほとんどの視聴者は誰だかわかるはずだ。


俺は愕然として肩を落とした。


「恐犬ってあだ名なの。

 怖い犬って書くのよ!」


―― 最悪のイメージ… ――


きっと千代もどこかでこれを見ていて、苦笑いを浮かべていることだろう。


「ふたりはね、赤い糸で結ばれていたのっ!!」と母は、神に祈るポーズをとった。


「私、すっごくうれしかったのっ!!

 だからね、祝福してあげて欲しいのっ!!」


母が語り終わり頭を下げると、スタジオ内は大きな拍手で沸いた。



その千代は、スマートフォン片手に部屋に入ってきた。


「いや、みんな…

 無邪気な母で申し訳ない…」


俺は真剣にみんなに謝った。


千代たちは、俺に笑みを向けてくれただけだった。


… … … … …


「かわいい母ちゃんだなっ!」と、となりの席にいる伊藤が、大声で笑いながら言った。


「きっと言われると思っていましたよ…」と俺はため息をつきながら言った。


「あ、松崎君」と課長が俺を呼んだ。


何も考えず、「はい」と答えて課長の席に歩を進めると、「アウトソーシング、私が中継することになったから」と言って、作業依頼書を渡された。


『警視総監室 顔合わせ』とだけ書かれていて、期間は今日だけで、時間は『18時~』と書かれている。


「本来の仕事を発注する時でいいと思うんですが…

 驚かされるようですね」


俺が言うと、課長は少し驚いた顔をしてからすぐに真顔に戻った。


「あー、なるほどね。

 だけど、警察へのご機嫌取りのようなものだから、

 あまりケンカしないように頼むよ」


課長は少し笑いながら言った。


「それは重々心がけたいのですが、ケンカを売られると思います。

 今回はかなり厳格な方のようですので」


俺が言うと、課長は気の毒そうな顔を俺に向けてくれた。



社での仕事が終って、警視庁に出向いた。


昼休みに色々と考えていると、「新妻の裸体…」などと言って伊藤が茶化してきた。


「誰もが好む肉体を想像してから縮小してください」と俺が言うと、「くっそぉ―――っ!!」と言って、からかったはずがからかわれた感満載の様子で伊藤は叫んだ。


「かなりうまかったです」「…もういい…」と言って伊藤は憮然とした顔になった。



この間にも俺は、どのようにして驚かされるのかを考えてた。


実はヒントがひとつある。


優華の様子が少々怪しい。


何か悩み事があるようなので聞くと、「ううん、なんにもないよ?」といつものように妹口調で答えた。


何かあるのだが、それほどでもないといったところのようだ。


よって、今回もまた佐々木家に関わる人物が警視総監なのではないのかと感じている。


実はその根拠はある。


加藤爽衛の師匠の件だ。


まだ確認はしていないのだが、心当たりがある。


もし、加藤とつながっているのなら、継野菖蒲は順当だったと思っている。


そしてその次も、爽花の父が育てた、役人ロボットのような気がしたのだ。


さらには、俺はあえて、優華の父の正造にはその時に関係のあることだけしか聞いていない。


正造も父と同じで聞かないと教えてくれないタイプだ。


優華には父に親族のことを確認しておけと言ったので、それを知り困ってしまったのではないかと推測している。


ほかには、ここ最近二件続いて、広域暴力団がらみの警察官と接触した。


なんとなくだが、現在の首相である、彩夏の父の山東昭文に関係しているのではないかと考えてみた。


まさかこれほどまでに、俺の住んでいる地域の優秀な者たちが現れるとは夢にも思わなかった。


よって、―― 優華の血縁者の可能性は高い ―― という結果に至った。


だが、当然、まったく関係ない人が警視総監になったようにも思う。


しかし、アウトソーシングの件を知っていて、着任して数日で使ってきたことで、関係者に違いないと確信を持ってしまったのだ。



警視庁の受付に行くと、係りの者が三人いた。


すべては女性で、一番右のまだ若い女性の制服警官の前に立った。


「警視総監様の呼び出しできました、

 マナフォニックス派遣の松崎です」


俺が言うと、舘野と名札をつけた女性が慌てふためいて、スケジュール帳をめくり始めた。


「あ、はい、聞いておりますっ!!

 あ、これを…」


舘野は首から提げるゲストのネームプレートを渡してくれた。


そして俺に笑みを向けている。


「申し訳ないのですが、案内をお願いしたいのです」と俺が言うと、「あ、はい私がっ!!」と大声で言って俺と同年代の女性警官が言った。


「あなたたち不謹慎ですっ!

 私が案内いたしますわ」


年のころなら三十過ぎの、妙に色気に走っている女性警官が言った。


三人は誰もが譲らないようで、ほかに待っている人を放っておいて言い争いを始めた。


「なあに、今から出勤?」と千代が姿を見せて笑みを向けていた。


「もめてるようだから、警視総監室に案内してくれ」


俺が言うと、「あ、私も会ってないから行くわ」と言って、千代が案内役に決定した。


「あー…」と三人の女性警官三人は残念そうに言って、オレたちを見送ってくれた。



「面白い受付嬢だな…」と俺が言うと、「懲戒ものだと思うわよ」と千代は少しふてくされた顔をして、エレベーターに乗り込んだ。


まさに二人だけの世界なので、「ねえ…」と千代は言って俺に迫ってきた。


「仕事中」と俺はごく普通にいうと、千代は少しだけ怒っていたが、ホホを朱に染めて微笑みに変えて、腹に拳を軽く当てた。



エレベーターを降りて、右手に少々歩いた突き当たりにある、なかなか立派な扉を千代がノックした。


「マナフォニックス派遣の松崎様をお連れしました」


千代が言うと、「入れ」とまさに厳格そうな声が聞こえた。


―― 間違いない ―― 


俺はこの時点で確信した。



千代は扉を開けて、警視総監に向かって会釈をした後、『どういうことよっ?!』と言って目をして俺をにらんだ。


俺は千代に会釈をしてから、見覚えのある警視総監を見た。


「マナフォニックス派遣の松崎です」


俺は笑顔で警視総監に頭を下げた。



警視総監はゆっくりと立ち上がって、ほんのわずかだがよろめいたように感じた。


―― 右足、怪我? 神経痛? ―― と思い、歩いてきた警視総監を観察したが、ごく自然だった。


「かけてくれたまえ」と俺は言われたので、誘われた長いソファーに座った。


「犬塚警部も」と警視総監が言うと、千代は俺の背後を回って、オレから少し離れてソファーに腰掛けた。


警視総監は、一人がけのソファーに腰掛けた。


俺はすぐに、名刺を取り出して、再度自己紹介をした。


警視総監は受け取ってから、自分の名刺を取り出して、「佐々木だ」と妙につまらなさそうな声と顔で言った。


「佐々木正義まさよし様、でよろしいのでしょうか?」と俺が聞くと、正義は小さくうなづいた。


「俺の事は誰に聞いた?」と正義が聞いてきたので、「誰にも聞いていません」とごく自然に答えた。


正義は、「ふんっ!」とつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「加藤さんが嫌いだと言っていたことがよくわかった」


正義は加藤とはまずまず懇意にしていたようだと感じた。


「ひとつだけ、まだわかっていないことがあるので、

 お聞きしたいのです」


俺が言うと、さもうれしそうに一瞬だけ笑って、「いいぞ」と答えた。


「お師匠様は山際さんでしょうか?」と俺が言った途端に、「なぜ知っているっ!!」と威勢よく立ち上がって俺に指を差して叫んだ。


「ただの勘です。

 きっとそうだろうなぁー、と思っただけです。

 山際さんもあまり何も語らない方です。

 まずは加藤さんが山際さんにあこがれて警察に入った。

 そして佐々木さんも継野さんも続いたんだと思っただけです。

 とんでもない天才一家のいる、

 あの場所でなら確実にありえることだと思っただけです。

 山際さんは、私の母校の用務員をされています。

 始めて会った小学五年生の時に、

 有名人が来たと言ってもらいさらに、

 もう大人だなとほめてもらいました。

 普通の人ではないと思っていましたが、

 やはり偉人だと確信したのです」


正義も驚いていたが、千代も驚いていたので、俺は笑い出しそうになってしまった。


その千代を見て、正義は俺が勘で全て当てたと確信したようだ。


「俺も貴様が大嫌いだっ!!」と俺は言われて、「それは申し訳ありません」と頭を下げすに言った。


正義は腕組みをしてそっぽを向いた。


千代が色々と聞きたいようだが、さすがに発言しないようだ。


「色々と手間をかけた。

 私生活でもな」


正義はそっぽを向いたまま俺に言った。


「いえ、私としてはうれしいことも多々ありましたので」


俺が答えるとまた、「ふんっ!」と鼻を鳴らしていった。


正造とはまるで正反対に近い性格のようだ。


双子かと思ったが、正義の方が少々若いような気がした。


「あのバカ女が失脚してくれて何よりだったがな。

 おまえが失脚させたんだろ?」


今度は俺を見て言ったが、体は横を向いたままだ。


「私にはわりかねます。

 最終的には、首相に呼び出されたようですので」


「くっそぉー…」と何が悔しいのか、正義は俺をにらんで言った。


「お兄様とはずいぶんと違われるようですね。

 私は正造さんの方が好きです」


俺が言うと千代が、「…ちょっと…」と小さい声で言った。


正義は歯をくいしばり、俺につかみかからんという勢いで見ている。


「殴り合いのケンカをした方が分かり合えるかもしれません。

 ああ、俺が得意なのは足技ですけど」


「わかっているっ!!」と正義は言って、ソファーに座って、俺を払いのけるかのようにして手のひらを振った。


俺は立ち上がり、「失礼します」と正義を見たまま武道の礼をしてから、出口に向かった。


「本当に気に食わんっ!!

 戻って来いっ!!」


正義は大声で怒鳴って、組んだ足を解いて姿勢を正した。


俺はきびすを返して、ぼう然として中腰になっている千代を見てからソファーに腰掛けた。


「さて、どんなお話でしょうか?」「警察に入れっ! 今すぐにだっ!!」


俺は耳にたこができるほど聞いた言葉を聞いて、「はあー…」とため息をついた。


「何か違う言葉をお聞きしたかったのですが。

 社が裁判をしてでも取り戻すと言っていますので、

 俺としては安心して、警察とお付き合いできるのです」


「うううう…」と正義はついに言葉を失くしたのかうなり始めた。


「うなっておられるだけなら帰ります」と俺が言って立ち上がると、「座れっ!」とまた怒鳴ってきた。


「あなたと会話していても面白くも何ともないのです。

 菖蒲さんの方がマシでしたね。

 五月さんがあなたを鷹だと言っていましたが、

 オレには威嚇しかしないヘビに思えましたね」


俺は言ってから、ソファーに座った。


「本当に、父親そっくり…

 いや、それ以上だっ!!」


正義は言って、また足を組んで腕組みをしてそっぽを向いた。


「もっと、大物の警視総監を期待していましたががっかりです」


「もう、なんとでも言ってくれっ!

 小生意気な…」


「心細い…」と俺が言うと、食いしばった歯をぎりぎりと鳴らし始めた。


「いい加減にしてっ!!」とついに千代が怒った。


いや、怒ったように見えた。


どうやら怒り半分で、パフォーマンスをしようとでも思っているようだ。


「怒った顔も素敵だな、千代」と俺が言ったとたん、『ドンッ!!』という重低音が聞こえて、「どんだけ固いのよっ!!」と言って、千代は拳よりも手首の確認を始めた。


「おまえが鉄のようだと言ったじゃないか…」と俺は言って、ワイシャツをたくし上げた。


「おっ! こぶしの跡がついているぞっ!!

 暴行と障害の罪で現行犯逮捕な」


俺は言って、千代の手首を優しくなでた。


「うううー…」と言って今度は千代がうなり始めた。


「今度から俺を殴る時は、掌底の方がいいぞ」


「そうするわよぉー…」と千代は上目使いで俺を見た。


「俺は多少のことではへこたれませんが、

 後ろから銃で撃たれるのは真っ平御免です。

 …さあ、今度はあんたと戦おうっ!

 道場に案内しろっ!!」


俺が言うとさすがに堪えたようで、「今日は帰ってくれ…」と少しうなだれて声を発した。


「また呼んでくれ。

 できれば、面白そうな取調べを期待しているっ!!」


俺は服装を正してから、カバンを手にとってドアに向かって歩き始めた。


振り返ると千代はまだ手首を気にしながら、正義に頭を下げてから小走りでやってきた。


「じゃ、またなっ!!」と俺は言って、ドアを閉めた。



「もう、やりすぎっ!!」と千代は言って、なぜか俺の腹をにやけた顔でさすり始めた。


「なかなか痛かったが、音だけだ。

 もっとも、今は興奮状態にあるから、

 いきなりばったりと倒れるかもな」


俺が言うと千代は本気で気にし始めた。


エレベーターに乗り込むと、「仕事、終ったんだけど?」と俺が言うと、千代は俺にしがみついてから、唇を激しく奪った。


「…行きたいんだけど…」と千代が言ったので、すぐにホテルに電話をした。


… … … … …


俺たちの指定席につくと、八時半だった。


「不純異性交遊?」と優華が小首をかしげてコケティッシュに言ったが、ホホが引きつっている。


「そんなことよりも、なぜ黙ってたんだ?」


俺が言うと、優華はかなり驚いて半歩下がった。


「優華の兄ちゃんとケンカしてきたぜぇー…」と俺が言うと優華は、「ごめんなさい、ごめんなさい!!」と何度も俺に頭を下げて謝った。


「なぜ黙っていたんだ?」と俺が再度聞くと、「お父さんがね、弟さんの方が面倒かもって… 乱暴だって…」と俺に上目使いで言った。


「お父ちゃんとそっくりの顔だった。

 だけど、予想していたことなので驚きもしなかった。

 最後はケンカ腰でケンカを売ってやったが逃げられた」


「イヤアアアアンッ!!!」と彩夏が大声で叫んで、そのまま椅子に座り込んで意識を失ったようだ。


「興奮の絶頂?」と俺が言うと、爽花はすぐに彩夏の首などに手を当てて、「鼓動、かなり早いからそのようね…」とあきれたように言った。


「なかなかお安いやつだな。

 彩夏だったら、ベッドインしたとたんに昇天しそうで楽かもしれない」


俺が言うと、「今度は痛いわよ」と千代が掌底の構えをして、俺のわき腹に当てていた。


「中で腸がねじれそうなので降参だ」と俺は言って千代に笑みを向けて椅子に座った。


「今度って、またお兄ちゃんを殴ったのっ?!」と優華は千代に怒りの顔を向けた。


「パフォーマンスだよ。

 俺は強いぞっていうな」


俺は優華の頭をなでた。


優華はこれが狙いだったようで、「あはは…」と言って笑い始めた。


「一番の強敵だな。

 簡単に引っかかってしまった」


俺があきれた顔で言うと、千代もあきれ顔で俺の隣に座った。


「だが、優華のもうひとりの兄ちゃんは

 経験豊富のようだから今回は長続きするかもしれないが…

 若い時に懲戒を受けていたから出世が菖蒲さんよりも遅れた、

 って感じかな?」


俺が言うと千代が俺を見上げて、「そうかもね…」とつぶやくように言った。



優華が俺たちの夕食を運んできてくれた。


彩夏がガバッと起き上がって、食事をしている俺たちを見た。


「なんだよ…」と俺が聞くと、彩夏は千代を見て、「代わって?」と妙にかわいらしく言った。


「代わってどうしようって言うのよ…」と千代は彩夏を少しにらんで言った。


「不純異性交遊っ!!」と言って、彩夏はまたフラフラとよろめいて、すとんと椅子に腰掛けてうなだれた。


「あんまやってると、本当に心臓、止まるぞ…」


俺が言うと彩夏は、少しだけ反応してうなづいている。


「身の危険を感じるから、今日は俺ひとりで寝る。

 もしくは、彩夏を家から追い出すっ!!」


俺が叫ぶと、彩夏は謝ってきたが、この状況で信じられるはずもない。


「今までに無理があったと思うから、今日から俺はひとり。

 みんなは一階で雑魚寝、ということで。

 あー、楽しかったなぁー、雑魚寝…」


優華と爽花はうなだれてすぐに彩夏を攻め立て始めた。


千代は芝居をするために、食事を手早く済ませて、優華たちの仲間入りをした。



この部屋でしばし勉強をしてから、全員で家に帰った。


父と母はテレビを見ながら楽しそうに語らっていた。


父に聞きたいことがあったが、今は邪魔しないことにして、俺は風呂に入った。


すると、廊下で騒ぎが始まった。


彩夏が風呂に乱入しようと暴れ始めたはずだ。


「寝かしつけるわよっ!!」と千代がついに爆発したあとすぐに、騒ぎは収まった。


―― まさに、楽しい我が家… ―― と俺は思い、リラックスしていた。


… … … … …


翌日は千代と出会える偶然もなく、警視総監に呼び出されることもなく家に帰った。


着替えてすぐにグルメパラダイスに行き、予約席に顔を出さずに厨房をのぞいた。


優華の父の正造はいなかったので、前回のように休憩所を訪ねた。


「サボっているところしか見せていないようでイヤだねっ!!」


正造は明るく言った。


「弟さんのことで聞いておきたいことがあるんだよ」


俺が言うと、正造はかなり申し訳ない顔をして俺を見た。


「右足に古傷があるようですけど…」と俺が言うと、正造ははっと息を呑んでうなだれた。


「はあ、なるほど、やっぱり…

 山東組の出入りに巻き込まれましたか…」


俺が言うと正造はすぐに顔を上げた。


そして、笑顔を俺に向けてくれた。


「その通りだよ。

 拓ちゃんは本当にすごいなぁー…」


正造は言って、缶コーヒーを一口飲んだ。


「俺は幸い怪我はなかったんだけどね。

 正義は銃弾を右足に受けた。

 幸いきちんと治ったんだが…」


正造は怪訝そうな顔をして俺を見た。


「傷というよりも古傷の神経痛でも出たのかと思っただけだよ。

 立った拍子に、ほんのわずかだけど右足をかばっていたんだ。

 さらには悲劇があったと思うんだ。

 きっと、親父たちも巻き込まれたんじゃないのかなぁー…」


俺が言うと、正造はうつむいて首を振った。


「昭文はがんばっている。

 俺と、苦楽と、爽源の三人はそれを認めている」


山梨爽源は爽花の父で、爽花のように父たちの勉強を見ていた。


俺が爽花を恩人だと思うように、父たちも爽源を恩人だと思っているはずだ。


「オレたちが高校一年の夏だった。

 大勢の人が亡くなったんだよ。

 俺の母、苦楽の両親と兄、爽源の父。

 そして昭文の両親。

 昭文は泣いてオレたちに謝ってくれた。

 この時に、昭文は組の店じまいしようと思い、

 必死になって働いて、建設会社を創り上げて、

 舎弟たちを社員にして、組は解散したんだ。

 昭文が継いでからは、ショバ代などは取っていなかった。

 どちらかといえば、

 警察に協力を惜しまない自警団のようになっていた。

 よって、許した者も多いが、許さない者も当然いるんだよ」


「弟さんがすさんだ気持ちもわかるね。

 そして、暴力団を許さない。

 今もまだ、総理大臣を許していない」


俺が言うと、正造は深くうなだれた。


「彩夏の様子がおかしいんだ。

 妙に明るすぎる。

 あいつ、ふいっといなくなるような気がするんだよ。

 今日は昨日の夜騒いだせいで

 親父にこっぴどく叱られたので、

 すぐに消えることはないんだけどね」


俺が言うと、正造は大声で笑った。



彩夏はついに、俺と千代の親密な交遊のことを知ったのだが、妙な興奮状態に陥って、俺の部屋に乱入しようとしたそうだ。


まだ起きていた父が彩夏を捕まえて、床に正座させて一時間ほど説教をしたそうだ。


しかし彩夏が騒いだのは優華と爽花のためだと感じた。


悪しきを見せて、反面教師とする。


俺たちのリーダーならそれくらいのことはやりそうだと思っている。



「彩夏がいなくなると火が消えたようにさびしくなる。

 何とかして本心を聞き出したいんだけど、

 きっとオレや父には何も言わないと思うんだ。

 茶化してごまかされるのがオチなので、

 叔父さんに頼みたいって思ったんだよ」


俺が言うと、正造は笑顔で俺を見た。


「ああ、面倒見よう。

 やっと、みんなに協力できる」


正造は言って、俺の肩を強く握ってくれた。


「苦楽でもできないかとはないんだろうけどな、

 やはり、拓ちゃんの父だからな」


「はい、本当にありがとう」


俺は正造に頭を下げてから、休憩所を出た。



厨房を出ると、彩夏が明るく両手を振って俺を笑顔で見ている。


その反面、優華と爽花は、疲れた顔をしている。


部屋に入って俺はすぐに、「彩夏、おまえに説教を受けてもらおうと思って頼んできたんだ」と俺が言うと彩夏は、「えっ?」と言ってすぐに優華を見た。


「優華からは何も聞いていない。

 そして俺も何も言わない」


すると、正造が部屋に入ってきた。


彩夏だけを残して、俺たちは外に出た。



「お兄ちゃん、私…」と優華が言って泣き顔を俺に向けた。


優華は彩夏に全てを話しているはずだ。


当然彩夏も過去のことを知っているはずなので、オレたち友人の親族の誰かが昭文をうらんでいると知ったら、ここにはいられないとでも思ったはずだ。


「彩夏はな、不安なんだよ。

 ここに彩夏がいることで、みんなに災いがあるかもしれない、

 などと考えているはずだ」


俺の言葉はふたりにもよくわかっていたようで、小さくうなづいた。


「俺の男友達、早く来てくれないかなぁー…」と俺が言うと、爽花は笑みで俺を見た。


「見た目は大丈夫なの。

 でもね、完璧に仕上げたいって言ってるだけなの。

 普通の人なら怖いって思うほどになっちゃってるのよ」


俺は笑みを浮かべて、爽花に礼を言った。



千代は今日は少々遅くなったようだ。


そして、不思議そうな顔をして、ボックス席に座っているオレたちを見た。


「彩夏ご乱心の真相がほぼわかった」と俺が言うと、「あー、やっぱりぃー…」と千代が言って自分の考えていたことが正しいと判断したようだ。


「ごく一般的な反応ね。

 ちょっとした躁状態。

 ひとりになると、ひどい欝になっているかもしれないわ」


「今はそれほどひとりになることがないから助かっているだけ」


俺が言うと、千代は小さくうなづいた。


そして、透明の部屋を見て微笑んでいる。


「適切な判断ね」と千代は言った。


彩夏は真剣な顔のまま泣いていた。


できれば、肩の荷をすべて下ろしてもらいたいと思っている。


… … … … …


今日も何事もなく家路についた。


しかしここで、またピリピリ感が襲ってきたので、俺は全力で、レンガを敷き詰めている駅前広場を走った。


広場の中央ほどでぴたりと足を止めると、バツが悪そうな顔をした三人の刑事らしき男が辺りを見回していた。


この三人には見覚えがない。


だが、警官には違いないと思った。


「何の用です?」と俺が聞くと、三人はバツが悪そうな顔をしていたが、『ピピィ―――ッ!!』という警官が吹く笛に大いに反応して逃げかけた。


「やましいことがなければ逃げることはないでしょ…」


俺が眉を下げて言うと、「あ、はい、そうでした…」と言って、男は身分証を俺に見せた。


「三課…

 引ったくりなら捕まえますよ」


俺は言って少し笑った。


警官は今の状況を見て全員に敬礼を始めた。



すると、千代がオレたちを見つけて走ってきた。


「ほら、恐犬のお出ましですよ」と俺が言うと、三人はすぐに身構えた。


「今日は早いんだな」と俺が言うと、「メール、したのに…」と千代は恥ずかしそうな顔をして言った。


「毎日毎日だと擦り切れるぞ」と俺が言うと、「絶対に後で殴るっ!!」と言って千代は、上の空の振りをしている三人の刑事に顔を向けた。


「会社を通して依頼するのがルール…」と千代が言うと、「却下されたんだよっ!!」と今井という刑事が恐犬に吼えた。


「だったら、あんたたちで何とかすればいいでしょうが…」


千代はまさに、大人に怒っている子供だった。


「あんたが捕まらなかったこともあるんだよっ!!」と今井が言うと千代は、「三課には手を出さなくていいって言われてるもん」とかなり子供っぽく言った。


今井たちは深くうなだれた。



話だけでも聞こうと思い、三人を家に誘った。


今は誰もいないが、父も帰ってくるはずなので、グルメパラダイスに向かった。


すると、また別の尾行グループと鉢合わせした。


「今度は二課ね…」と千代は言ってあきれた顔をした。


男五人を引きつれて、透明の部屋に誘った。


「あ、お母様っ!!」と五人は母に向かって敬礼をした。


母はすぐに振り向いて、ゆっくりと立ち上がり、少々大げさにメリハリをつけて敬礼をして、素早く下ろした。


「真に迫っているよな、母さん」「一杯練習したもんっ!」と笑顔で言って、またテレビにかじりつき始めた。


「…本当に、妹だぁー…」と刑事たちが言ってバラエティー番組はウソではなかったと納得したようだ。


「ごくまれに母になる」と俺が言うと、五人は一斉に控えめに笑った。



俺はまずは、三課の話しから聞くことにした。


地図を持っていたので、かなり話は早かった。


雑居ビル街のもので、ところどころに赤いバツ印がついている。


同じ場所で数回事件があったと示唆する書き込みもある。


逃走をする犯人を捕らえようとして消えてしまった場所を記してあるのだ。


その印は全て細い路地の入り口に近い場所にある。


ざっと見て20件ほどは起きている事件のようだ。


「消えてしまう引ったくり…

 なかなか面白そうですね。

 あ、いや、失礼」


俺が言って頭を下げると、三人は首を横に振った。


「それはオレたちも感じたことです。

 ですが目の当たりにして驚きました。

 角を曲がったらいなくなっていたんです」


俺は数回うなづいて、「まずは、疑問その一」と俺が言うと、三人は腰を浮かせて俺を見た。


「なぜこれほどまでに、警官に目撃されているのでしょうか?」


俺が言うと、三人はにやりと笑った。


「犯人はイリュージョニスト。

 楽しんでいるんですよ」


俺が千代を見ると、小さくうなづた。


「ほら、恐犬も合意しましたよっ!」と俺が言うと、『ボンッ!!』と大きな破裂音がした。


もちろん、俺のわき腹を千代の掌底が襲ったからだ。


「ダメージなし。

 音が大きかっただけ」


俺が言うと千代は悔しそうな顔をしていた。


「おおおおおー…」と五人の刑事は一斉にうなり声を上げた。


「あ、今井さんに今の強さで」と俺が言うと、「申し訳ないっ!!」と今井は千代に頭を下げた。



「足はなかなか速い」と俺が言うと、「10メートルほどまでは近づけるんですけど…」と別の刑事が言った。


「ペイントボールなどは?」と俺が言うと、三人は驚いた顔をして一気にうなだれた。


「きっと嫌がりますよ。

 当たらなくても、手前に投げてやれないい。

 血相を変えて今度は消えずに逃げ去るはずです。

 そうなったらあとは体力勝負ですね」


三人は丁寧に俺に頭を下げてくれた。



「消えた瞬間のことをお聞きしたのですけど」と俺が言うと、三人に一気に緊張が走った。


「何か目立つものがあったはずです」と俺が言うと三人の中で一番若い刑事が顔を上げて、「すぐに、大きなごみ箱が眼に入りました」と言った。


「ああ、そういえば俺は収納庫」と今井が言った。


「事件は比較的陽の傾いた夕方。

 犯人は自分の消失劇を見てもらいたい愉快犯。

 だが、大通りはまだ十分に明るい。

 しかし路地は比較的薄暗い」


俺が言うと三人は状況を思い出して深くうなづいた。


「ごみ箱や収納庫をどれほどの時間をかけて確認したのでしょうか?

 すぐに、でしょうか?」


俺が言うと若い刑事と今井は、「あっ!!」と叫んだ。


「光っていた… 薄く…」と今井が言ったので、俺は笑顔でうなづいた。


「だが目が慣れると、その光も消える。

 その場にあるべきものに、

 蛍光塗料を塗ったマグネット板などを貼り付けて、

 そこに注目させた」


三人はその通りだと言わんばかりにうなだれた。


「よって犯人は、皆さんの近くにいたはずなのです。

 しかし、気になるものを確認した皆さんは、まずはそこに近づく。

 犯人は物音をたてずに逃げ去る。

 対象物を確認終えた時、犯人はもう、皆さんのそばにはいない」


三人は何度もうなづいていたが、なぜ消えたのかを気にしていたが、一番若い刑事が、「空を飛んだ、静かに…」と言ったので俺は笑みを浮かべてうなづいた。


「少々大きな装置を使ったと思います。

 ウインチなどのようなもので、できれば音がしないもの。

 そして、ワイヤーは細いもの。

 通行人などに見つかると少々まずいと思っているはずですから。

 きっと犯人は、薄暗い路地の正面に眼を向けているあなた方を見て

 宙に浮いてハラハラ感も味わっているんだと思います。

 まさに、子供のように」


俺が言うと三人は小さくうなづいた。



「疑問、そのニ」と俺が言うと、三人の刑事は驚いた顔をした。


「大きな声では言えません」と俺は言って、今井の心臓当たりに指を差した。


「え? まさか…」と言って、警察手帳を出した。


「当然ですが、警察が張っていることを知っています。

 誰が警官なのかを知っていて、都合のいい場所で引ったくりをする。

 犯人がそうなのか、協力者がそうなのか。

 まずは、所轄内部から調べるのも面白いですね」


俺が千代を見ると、またうなづいている。


「さらには、曲がって右側のビルの所有者。

 ただひとりの持ち物だと思うのですけど…」


俺が言うと、「はい、すぐに調べますっ!!」と今井が言った。


装置はそれほど軽いものではないし、屋上に設置しているはずだ。


よって移動は夜に行なっていただろうし、ビルの持ち主がしていることなので誰も疑わない。


ほぼ確実に、小さなクレーンのようはものはあるだろうと俺は感じている。


「この情報だけだとこんなところですね。

 すぐにでも現れるかもしれませんから、

 現場に行って確かめるのもいいでしょう。

 まだ陽は高い」


俺が言うと、三人は勢いよく立ち上がって、オレたちに頭を下げて足取り軽く駅に向かって走って行った。


「捕まってくれたらいいんですけどね」と俺が言うと、「可能性があると、やる気が出ますから」と言って、ふたりの二課の刑事が名刺を渡してくれた。


俺も名刺を出して二人に渡すと、異様に喜んでくれた。



話しを聞くと、押収物の中になくてはならない血判状だけがないと話してくれた。


それがないと、確たる証拠にはならないし、仲間の特定も不可能になる。


だが、どこを探しても見当たらない。


机なども全て分解したがみつからないという話だった。


「当然そこまでするんでしょうね。

 ソファーなども中身を抜いて確認したり、

 椅子の座面を外したり、机の天板を割ってみたり…」


「えっ?!」と言って、佐藤という刑事が驚きの声を上げた。


「天板自体、二センチから三センチほどありますからね。

 紙切れ一枚なら入ります」


「あー、それだぁー…」と竹上という刑事が言って、放心したようにうなだれた。


「まさかですけど…」と俺は言って、佐藤の左胸にも指を向けた。


「あ、ああ、はい…

 嫌疑はあります。

 きっと関係ありなんです…」


佐藤は言ってうなだれた。


「実は俺もそれを作ったんです。

 教えてくれたのは、かなり前の警視総監です」


「はぁー… さすがタクナリ君…」と言って竹上はため息をついた。


「それ、現物をお見せしましょう。

 参考になるかもしれません」


俺たちはまた家に戻った。


そして二階に誘って俺の部屋に入った。


「この机のどこかに、今言った隠しポケットがあります。

 探してみてください」


俺が言うと、ふたりは俺に軽く会釈をして、天板など、太い板を入念に探り始めた。


だが、まったくわからないようで、俺はゆっくりと種明かしをした。


「組み木細工のようだ…」と佐藤はぼう然とした顔をして俺に言った。


「これ、中学二年の時に作ったんです。

 そして出てきたものは、千代からのラブレター」


俺が言うと、千代は真っ赤な顔をしていた。


刑事ふたりは見なかったことにしたようだ。


「必ずこうだとは限りません。

 ですが、全てを疑ってみてください」


俺が言うとふたりは納得して、家を出て駅に向かって走って行った。



その入れ替わりに父が帰ってきた。


「男友達かい?」と父は俺に笑みを浮かべて言った。


「そうなるかもしれないね」と俺は言って、二階に上がってラブレターを元に戻した。


「きちんと持ってくれていてうれしいっ!!」と千代は言って俺に抱きついてきた。


「あんまり甘えてると、勘が鈍るぞ。

 たまには意識して気を引き締めないと」


「うん、わかってるんだけどね…

 今は…」


千代はゆっくりと俺にくちびるを重ねてきた。


「ま、わかってないって思うから、今からキス禁止令…」


俺が言うと、千代は少し怒って、軽く腹に掌底を当てた。


「わずかな油断が命取り…」「もうわかったってっ!!」と、千代は大声で言って部屋を出てから、「…あ、ありがと…」と恥ずかしそうにして言ってから、廊下を歩きはじめた。



オレたち三人は家を出て予約席に来た。


爽花も仕事を終えて母に寄り添ってテレビを見ている。


「爽花」と俺が名前を呼ぶと、「なあにっ?!」と素早く振り返り満面の笑みで俺を見た。


「何だかがっつかれているようでイヤだ…」と俺が言うと、爽花は大きい方のマリア像に祈りを捧げ始めた。


「講師、お願いできる?

 何でもいいの。

 今までの経験で構わないから」


「高校、大学、社会人、警察、そして陸上。

 これだけあれば、面白い話はできそうだよな。

 あ、中学でも、小学校のことでもいいな」


俺が言うと爽花は両手のひらを胸の前で合わせて、美しい喜びの笑みを浮かべた。


千代が真似していたので笑おうかと思ったが、今度は本気で殴られそうだったのでやめておくことした。


「小学校よりも中学校の方がいいなぁー…」と爽花が言ったので、雲行きが怪しいような気がした。


「そんなに大勢の前でやるの?」と俺が聞くと、「学校とのコミュニケーションの一環?」と小首を傾げて言った。


「ああ、まあ、構わないけど、慣れてるし…

 後輩たちに自慢したいからな、知り合いもできたし」


俺は心の底から感謝して依頼を受けた。


「知り合い?

 ああ、焔美恵さんね。

 今、見送ってきたばかりなの」


爽花が言ってすぐに、俺は妙な胸騒ぎがした。


そしてまた例のピリピリした感覚を味わい始めた。


「ちょっと行ってくる。

 千代…」


俺が言うと、千代は真剣な顔をして立ち上がった。



足元が暗い中、大急ぎで公園まで来た。


すぐに妙だと感じた。


公園は前回とは違い妙に薄暗い。


街灯の光が弱いような気がした。


俺の真正面に、少女の後ろ姿と男の後ろ姿の黒いシルエットが重なって見えた。


俺は全力で走り、あっという間に追いつき、少女のうしろにいた男にタックルした。


まだ少年のように見える男子は、「いってっ! くっそっ! 放せっ!!」と言ってまだまだ元気そうだ。


「美恵君っ!!」と俺が叫ぶと、「松崎さん、犬塚さんっ!!」と美恵は大声で叫んで、近づいていた千代を抱きしめた。


「こいつ、知ってる?」と俺は顎を押さえて男子の顔を上げた。


美恵は驚きの顔をして、「知ってますっ!!」と大声で言った。


誰かが通報したようで、警官がふたりやってきた。


「タクナリ君っ!!」と警官二名が言って敬礼をした。



事情を聞くと、美恵に言い寄っていた男子高校生だった。


美恵は断っていたのだが、つきまといを始めて、ついにはむりやり話しをするために追いかけてきたと話した。


だが確実に計画的だと俺は判断している。


「夜にやったら、疑われても仕方ないな。

 昼でもいいだろ…」


俺が言うと、「そんなこと…」と言って、少年は上着のポケットに手を突っ込んだ。


俺は警官に目配せをした。


警官はすぐに少年の手を取り、襲う気満々だった証拠品を押収した。


「強制性交等未遂の現行犯逮捕、だな」と俺が言うと、警官二名は無線で連絡を始めた。


少年は避妊具を握り締めていたのだ。


さらに、ジーンズのうしろのポケットからカッターナイフを押収した。


「美恵君、すぐにご両親に連絡してご近所さんと一緒に来てもらって!」


俺が言うと美恵は、「は、はいっ!!」と叫んで携帯電話を出した。


俺も携帯を出し、爽花に電話をして、美恵には何も被害はなかったという理由付けの証人を集めてもらうように告げた。


「そこまでするべきだわ…

 反省…」


千代は言って、美恵を強く抱きしめた。


こういった事件はうわさがうわさを呼ぶ。


回りまわって、襲われていたことになっていたりするものだ。


極力、何もなかったことを大勢に知らせておけば、大きな問題にはならないはずだ。


そして、何もなかったと認めた者が、いい加減なことを言った者を胸を張って糾弾できる。


特に思春期の年代はかなり気にすることになるはずなのだ。



焔夫妻が笑顔でわが娘を見ている雰囲気がとてもいいと思ったが、人が集まりかけてきたところで、俺は少年の罪を糾弾することにした。


「これは計画的犯行だ!」


俺が言うと、「ええっ?!」と大勢の証人が驚きの声を上げると同時に、「ち、違うっ!!」と少年が叫んだ。


「目玉の看板、どこにやった?」と俺が言うと、少年はぼう然とした顔をして、「し、しらねえ…」と言ってオレから目を背けた。


証人たちは看板があった場所の、ふたつの穴を見ている。


「さらに、いつもは煌々と足元を照らしている街灯の光が弱い。

 何かを投げつけて、暗くなるようにしているように見えるな」


証人たちは一斉に数本ある街灯を見てうなづいている。


LED照明なので、夜に明るくしておいてもそれほど光熱費はかからない。


「警察からの尋問は厳しいぞ。

 さらに言えば、君はまだ少年だからひどい場合でも少年院、

 などと勘違いしているかもしれないがな。

 反省してないと重犯罪の場合は、

 少年でも死刑を言い渡されることがあるんだぞっ!!」


俺が言うと、少年は驚愕の顔をして、大声で泣き喚き始めた。



五月も連絡を聞いたようでパトカーに乗ってやってきた。


「みなさんっ!!

 今の状況をきちんと覚えておいてください!

 彼女は何もされていません!

 犯人に触れられてもいません!

 しかも、タクナリ君が犯人を捕まえ、窮地を脱したのです!

 さらには多くの警官に恐れられている

 少女のような警察官も証人です!

 間違ったことを言おうとした者の言葉を打ち消してください!

 どうか、よろしくおねがします!」


五月の心からの叫びは少々嫌な予感がしたが、美恵のためなので気にしないことにした。



事情聴取も終わり、俺と千代は歩いてグルメパラダイスに向かった。


「大反省…」と千代は言って肩を落とした。


「好きなことを言われても気にしないのならいいんだけどな。

 普通は気にするからな。

 一時は逆に大事になるかもしれないけど、

 彼女を確実に守るためだからな」


俺は陸橋を上がる前で立ち止まり、千代が二段上がったところでキスをした。


「あ、私からのキス禁止だったわっ!」と言って千代は喜んでいた。



「おにいちゃぁーん!」という優華の声が聞こえた。


何を勘違いしたのか、またトレーニングスーツを着込んでいた。


優華に説明すると、かなり照れた顔でうつむいた。



俺たちの予約席に行くと、「ついに犯人逮捕かぁ―――――っ!!!」と彩夏が大声で叫んでもろ手を上げて喜んだ。


「まあな、今回は間違いなく逮捕だ」


俺が言うと、彩夏はどこかにメールを打ち始めた。


きっと、手下への指示だろう。


「あ、被害にあいそうになった少女は

 犯人にはまったく触れられていないときっちりと書いてもらってくれ。

 俺が走りながらタックルして捕まえたんだからな」


俺が言うと彩夏は、「わかったわっ!」と言って俺に笑みを浮かべた。



「だけど、予感でもあったようね?」と爽花が聞いてきた。


「ああ、そうだ。

 嫌な予感というやつだな」


俺はテーブルの上に置いてあるボールペンのキャップを取って、額に近づけた。


「この感覚だ。

 ピリピリして、すごく鬱陶しい」


俺が言うと、千代が乱暴にボールペンを奪って、その感覚を確かめた。


「うわー、すっごく嫌な感じ…

 何もしてないのにこの感覚に襲われちゃったら

 絶対に何かあるって思っちゃう…」


優華も真似したのだが、「わかんないっ?!」と言って騒ぎ始めた。


「個人差はあるようだな、爽花は?」


「…うう… 気持ち悪い…」と言ってゆっくりとボールペンのふたをした。


「こんなもん、何ともないっ!!」と彩夏は豪快に堂々と言った。


「ナイフの切っ先だったらどうだろうか、アイスピックとか。

 それを想像してやってみると、わかるかもしれないな」


優華は俺の言ったように考えて、いきなり額を手でこすり始めた。


「わかったのっ?! すっごく気持ち悪い?!

 額に虫がいるようなっ?!」


彩夏は、「うわっ!」と言ってボールペンを放り投げた。


どうやらよくわかったようだ。



翌日の朝刊に、『タクナリ君、犯人いろいろと逮捕っ!!』と大見出しで乗っていた。


俺の写真も載っていて、オリンピック対策本部のポスターの厳つい顔のものだった。



( 第十話 超人の証明 おわり )


( 第十一話 第一の冒険旅行 につづく)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ