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「やあ、お嬢さんたち、いらっしゃい。楽しそうだね」
チェリスのお兄様が庭を通りかかり、こちらに気付いて微笑むと、温室に入ってきた。侯爵家の嫡男な上に、チェリスとよく似た色男で、しかも女性に対してリップサービスがお上手。たいへんご令嬢方からの人気が高い方だ。
「まあ、お兄様、どうしましたの?」
「山茶花が見頃だと庭師から聞いてね。散歩していたら、色とりどりの花が見えたものだから。あんまりかわいらしくて、ついふらふらと入ってきてしまった。邪魔をしてしまって悪かったね」
「いいえ、ぜんぜんそんなことありませんわ」
「お会いできて嬉しゅうございます」
シンディやティアナがそつなく言って、はっとする。いけない、いけない、よくすらすらと見事な褒め言葉が出てくるわと感心していたら、出遅れてしまった! 言うことをみんな言われてしまって、何を言えばいいのかわからない。でも、何か言わないと!
「お、お久しぶりでございます」
「本当だね、セリナ嬢は久しぶりだ。この頃は顔を見なかったけれど、どうしていたの?」
「少々刺繍をしておりまして」
「刺繍?」
「刺繍好きの先代のレディ・ジェダオに気に入られて、手ほどきを受けているのですって」
チェリスが端的に説明してくれた。彼が目を見開く。
「レディ・ラーニアに?」
その驚きように何か知っている感じを受け、話題の一つにでもなればと思い、聞いてみる。
「面識がおありなのですか?」
「いや、あの方々にはなかなか拝謁がかなわないものだ。……そう。君が刺繍上手だなんて知らなかったな。今度、私のハンカチにも刺繍してくれないかな?」
「と、とんでもないです! リチャード様にお持ちいただくようなものはとても……」
まかり間違って、私の刺したものを使っていただいているなんて、リチャード様に秋波を送っているご令嬢方に知れたら、どんな牽制を受けるかわからない!
「お兄様、セリナを困らせないで」
「そうか。軽率なことを言って悪かったね。けれど、君の手によるものならどんなものでも、肌身離さず持ち歩くよ。気が向いたら、私のために刺繍してくれると嬉しい」
黙ってニコッとしておく。はっきりお断りするのも角が立つし、絶対、『はい』とは言えないし……。
「すっかり邪魔をしてしまったね。皆さん、ゆっくり楽しんで」
彼は優雅に挨拶すると、軽やかに温室を出て行った。
相変わらず、妹の友人にまで愛想のいい方だわ。それもチェリスを大事に思っているからよね。
「お兄様は妹思いな方ね」
ごぼっとシンディがお茶を噴いた。ごほごほと咳き込んでいる。
「馬鹿ね、こんなときにお茶を飲むなんて……」
ティアナがハンカチを差し出している。
「だって、お茶を飲んでやり過ごす以外、どうしろと……」
わかる! 歯が浮きそうな言葉のオンパレードだものね! けれど、チェリスの手前、それを言ってはいけないと思うの。麗しい兄弟愛に水を差してはいけないわ。ということで、今の発言は黙殺し、別の話題を振ることにした。
「ねえ、会わなかった間のお話を聞かせて。私、本当に刺繍しかしていなかったから、何も知らないの」
「いいわよ。そうねえ、これは一昨日聞いた話なのだけど……」
どこにも出席しなかった間に飛びかった噂を聞いていく。もちろん、他愛ないお話も。
久しぶりの気楽で遠慮のない会話に、屈託なく笑った。
彼女達や親族から噂が広がるのを待って、ぽつぽつと社交に出はじめた。
地味な娘が、刺繍なんて古くさい趣味で老婦人と仲良くしている、といった認識になったようで、おおむね詰め寄られたりはしないですんだ。
地味でよかった、と初めて思ったわ……。華やかな美貌とか、可愛らしさとか、才気煥発とか、様々な才能に恵まれて、たくさんの崇拝者を侍らせている方たちを羨ましいと思っていたけれど、人の注目を集めるなどというのは、私には荷が重いだけだった。
ラーニア様のところにも、三日に一度は通っている。そのラーニア様から贈り物が届いたと言われて、首を傾げた。一昨日うかがったとき、何もおっしゃっていなかったのだけれど。
大小たくさんの箱が、侍女やお針子らしき人たちによって次から次に運び込まれてくる。どう見てもドレス一式だ。最後に母が入ってきて、その涼しい顔に、何か知っているのだろうと見当が付いた。
「これはどういうことなのでしょう?」
「ジェダオ家からよ」
それはわかっている。ラーニア様からなのだから。困惑して無言で立ち尽くす私にかまわず、母は箱を開けさせた。
上品な薄緑に金糸銀糸の刺繍とレースの重ねられたドレス、上質な布で作られた下着、びっしりとビーズの縫い付けられた可愛らしい靴、そして……。
息を呑んだ。鮮やかな緑の――ラーニア様やシュリオス様の瞳と同じ色の――石が使われたジュエリー一式が収められている。冴え冴えと燦めいているのに、自ら発光しているかのようなトロリとした光を湛えていて、その美しさに引き込まれる。
「こ、これは、いただいていいものではないのでは……」
そこにカードが添えられていた。深緑の地に金で家紋が箔押しされている。その重厚感に公爵家の権威を感じ、思わず震える指で取り上げた。
『親愛なるセリナ・レンフィールド様
私が若いときに着けていたものです。
若々しいデザインで、もうずっとしまい込んでいました。
あなたの赤みがかった栗色の髪を、よく引き立たせるのではないかと思ったら、
見たくてたまらなくなったの。
ドレスの色を選ぶ品なので、そちらも仕立てさせました。
どうぞ着けた姿を見せてくださいね。
夜会の日を心待ちにしています。
ラーニア・ジェダオ』
み、見たいからって、他人の夜会服を一揃いあつらえるなんて……。
いいえ、そこではないわ。ドレスを仕立てるには時間のかかるもの。こんな手の込んだドレス、どう考えても、お会いしてすぐに用意をしなければ、間に合わなかったはず。
ラーニア様は、ずっと黙って……。
涙がこみあげてきた。こんなに思ってくださっていたなんて。
きっと、わくわくしながら、ニヤニヤしていらっしゃったに違いない。
本当にお茶目で愛情深い方……。
「さあ、着てみなさい。調整をしてもらわなければならないわ」
私は滲んだ涙をぬぐって、母の言葉に頷いた。