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その帰りのことだった。
「あら、シュリオス、そちらのお嬢さんは?」
いつものようにエスコートされて、エントランスホールにさしかかったところで声が掛かって、私はピタリと足を止めた。
シュリオス様が今しがた下りてきたばかりの階段のほうへ向くのに合わせて、私も向く。それはあくまで、高貴な方にお尻を向けているわけにはいかないからで、さりげなく彼の肘に添えていた手をはずし、一歩下がって頭を下げた。
声は女性だけだったけれど、下りてくる足音は二つ。公爵家ご子息のシュリオス様を呼び捨てにできるのは、このお屋敷に三人しかいない。ご両親に違いない。
いつも正面玄関を使わせていただいていたから、いつか鉢合わせする日が来るかもしれないと思っていた。緊張に震えそう。
「彼女がお話ししたセリナ嬢です。セリナ嬢、父と母です」
「セリナ・レンフィールドでございます。ネレヴァ伯リオズ・レンフィールドの娘にございます」
頭を下げたまま名前だけ申し上げた。招いてくださったのはラーニア様だし、お二方と出会ったのも偶発的。こちらが恐悦至極に思っても、そんなのは当たり前で、要らない言葉を聞かせるほうが不敬。……で間違っていないわよね!? どちらにしても緊張しすぎて、これ以上言葉が出てこないー!
「かしこまらなくていい」
公爵閣下のお許しが出たので、体を起こす。顔は上げない。
「母からもシュリオスからも話は聞いている。母のよい話し相手になっていると。時間の許すときは泊まっていくといい」
「お心遣いありがとうございます」
「セリナさん、今度、夜会の招待状を送るわ。ぜひいらして」
「光栄です。ぜひうかがわせていただきます」
天使が通りすぎた。……なんて、素敵な言い方をしてみても、要は会話が途切れて沈黙が落ちたってことですー! あー! 吟味されているー!?
「彼女を送っていく時間なので、私達はこれで」
シュリオス様が助け船を出してくれた。ありがとうございます、ふがいなくてすみません。
そうか、という閣下のお返事があったので、ここぞとばかりに頭を下げた。
「お邪魔いたしました。失礼いたします」
「お気をつけてお帰りになって。またいらしてね」
夫人が優しくお声を掛けてくださった。それに、ありがとうございますと礼を返す。
「セリナ嬢、行きましょう」
シュリオス様に腰を抱かれて、体の方向を変えられた。どこでどう下がったらいいのかタイミングをつかみかねていたから、助かったけれど、ご両親の前でこんな親密なことをされると、少々焦る。
シュリオス様は婚約者のいらっしゃる身。そんな方にすり寄るふしだらな娘と思われませんでしょうか!? 公爵閣下は冷徹、公爵夫人は社交界を牛耳っていると噂の方々に、睨まれたくはないのですがー!
「そんなに緊張しないで。父も母もあなたを気に入っていますから。泊まっていけとか、また来いとか言っていたでしょう?」
ラーニア様やシュリオス様が、私のことを、よほど良くお話しくださったのだろう。
「ありがたいことでございます」
「では、さっそく泊まっていきませんか?」
「え!? いいえ! いいえ! そんな、急に……」
社交辞令を真に受けて、言われたその日に、用もなくいきなり泊まるとか、ずうずうしいにもほどがある!
「どうしても?」
「はい、帰ります」
「そうですか。残念です。いつも祖母とばかりですから、たまには私ともお話ししてほしいと思ったのですが……」
目の表情はわからないけれど、本当に残念そうなお声。なんだか申し訳なくなってきてしまう……。
「そうだ、では、今度うちでやる夜会に来たら、その日には泊まってください。他にも泊まる人はいますし、珍しいことではありません。ね、ぜひ」
たしかに、酔い潰れたり、こっそり逢瀬を楽しんだりする人はいるけれど……。
「祖母と美味しいお茶を用意しておきますから」
ラーニア様とのお茶に、シュリオス様も顔を出すという形なら、問題ないかしら。……たぶん。
「そういうことなら……」
「よかった!」
弾んだ声に、私も嬉しくなってしまう。こんな素敵な方にお話しする時間がほしいと言われて、嬉しくない女性なんているものですか!
「楽しみにしています。絶対に来てくださいね。約束ですよ」
時々思うけれど、人懐こい方だわ……。いったいどこが気難しいのやら。やはり、眼鏡のせいかしら。あれは初めて見ると、少々ぎょっとするものね。きちんと向き合えば、素晴らしい紳士だとわかるのに……。
そうだわ。私への態度を見れば、怖くない方だと、すぐにわかるわ。どこかで機会があったら、皆様に見てもらいましょう! そして少しずつ、シュリオス様の評価を上げられたら!
そうしたら、殿下もシュリオス様に振り向いてくださるかしら……。
胸がチクチクッとして、思わず手をあてる。
……早くしないと、本当に好きになってしまいそう……。
私は密かに溜息を吐いた。