第6話
「あった」
ロココの声に、ハッとして振り返る。その手には、真っ赤なアタタカ草。これで20枚目。無事に初めての依頼達成だ。報酬の100ゴルドは決して高額ではないが、重要なのは金額ではない。依頼を達成したという事実のほうが大事なのだ。
「よしよし。これで依頼はどうにかなったな」
――しかし、だ。どうにかなっていない問題がひとつ。
「?」
ヘレナのローブの裾を咥え、そのツギハギのほつれをいじるのに夢中な魚人種の少女。俺達の視線に気づいて、少女は顔を上げる。結局この子をどうするのかという話がまだ片付いていない。この子が一人で仲間の元へ帰ってくれればいいのだが……
「じゃあ、街に帰ろうか。……元気でな。お嬢ちゃん」
地面に座り込む少女は長い尻尾を揺らし、首を傾げる。俺達が歩き出すと、少女も歩き出す。さも当然のように後ろを着いてくる。どうやら、懐かれてしまったようだ。俺達はまた、顔を見合わせた。
「り、リヒトさん……」
「わかってる。けど、街に連れていくわけにもいかないだろ。――彼女にあの首輪を掛けたやつが街にいるかもしれないからな」
「……むれ、さがす……?」
「あの子の群れに送り帰してやろうって?それが一番いいんだろうけど、まずは魚人種の群れがどこにいるのかを調べないと……って、おいおい。何してる。靴紐を解くな」
好奇心旺盛なイタズラ娘を脇から抱き上げ、顔の高さまで持ち上げる。抵抗する様子はない。ヒトのそれとは違う肌。ぱっちりとした大きな眼。こうして見ると、中々にかわいい顔をしている。恐らくだが、イタズラをしているつもりはないのだろう。
「……靴紐には触っちゃダメだ。わかるか?」
「う」
返事とも鳴き声とも取れる声。大きく分厚い手が俺の頬をぺちぺち叩く。それにしても、魚人種と触れ合うのは初めてだが……すごいな。これは。その肌はしっとりとしていて弾力があり、もっちりと俺の肌に吸い付いてくる。今まで触れたことのない感触だ。
「ムーは、もうやらないよって……言ってる」
「……それ、この子の名前か?もうイタズラしないって?」
ロココは頷き、その長い尻尾をモチモチと揉みしだく。名前なんて付けたら愛着が湧くだろう。別れが辛くなるだけだ。しかし、まあ、呼び名くらいはあったほうがいいか。
本当にイタズラしないかどうかは、下ろして見れば分かることだ。俺は魚人種の少女――ひとまず、ムーと呼ぶことにする――を地面に下ろし、靴紐を解かれていない方の足をさりげなく差し出す。しかしムーは靴をじっと見つめながらも靴紐に触ろうとはせず、やがて俺を見上げた。
「……しないな。ロココ、まさか本当にこの子の言葉が分かるのか?」
「……」
「言葉を喋ったようには聞こえなかったけど……一体、どうやって」
と言いかけたところで、俺は不穏な気配を察知して振り返る。ヘレナもなにかに気づいたらしく、杖を握り直してその身を強張らせた。
「――何か、来るな」
「っ」
前衛である俺を、二人が後ろから支える形。これが俺達の基本となる陣形。肌にピリピリ来るような、嫌な感じ。これは、モンスターの気配。初めての戦闘。俺は腰に下げた剣を抜き、構える。やがて、「それ」は俺達の前に姿を現した。
「……」
木々の合間からゆらりと歩み出たそれは、いわゆる骸骨。スケルトンであった。
――スケルトン。それは、アンデッド系モンスターの代表格。
主に闇の属性を持つダンジョンに生息する最下級モンスター。本能のままに生気をもとめてさまよい歩き、上位種である『魔王』の命令にのみ従うとされている魂なき不死者。生きる屍だ。
モンスターは、「扉」の向こうからやってくる異形の侵略者。奴らは人を襲い、自然を、生態系を破壊する。奴らの増殖を食い止めるには、奴らの巣窟であるダンジョンを踏破し、その最奥にある扉を破壊するしかないのだが……そこに立ちはだかるのが、扉の守護者にしてモンスターの最上位種たる魔王という存在だ。
モンスターを駆逐し、魔王を撃破し、扉を破壊すること。それが冒険者全員に与えられた使命である。
「(……奴らは、冒険者が倒すべき敵だ)」
静かに剣を構え、後ずさる。だが、妙だ。この状況は、何かがおかしい。
「いや……ちょっと待て。なんで、ここにスケルトンが居るんだよ」
スケルトン自体は珍しいモンスターではない。闇属性の「扉」を保有する闇のダンジョンからゾロゾロと沸いて出てくるごく一般的なモンスターだ。だが、この森に居るのはおかしい。この森には、闇のダンジョンはないのだ。
だが今はそんなことを考えている場合ではない。
「ォ、ォ、オオオオオッ!!」
スケルトンは欠けた剣を振り上げ、叫び声を上げながら駆け寄ってくる。同時に、小さな手が俺の背をぽんと押した。
「ッ」
スケルトンを迎え撃つべく一歩踏み出した俺の体が、グンと前に進む。霞む視界の中、スケルトンの姿が真横を通り過ぎて、俺はすれ違ったことに気づく。半ば無意識のうちに振り抜いた刃は、その体を二つに切り裂いていた。
「え……?あ」
一瞬何が起きたのかよく分からなかったが、すぐに気づく。ロココが俺に強化魔法を付与してくれたのだ。しかしほっとしたのもつかの間、新たな気配が俺達に近づいてくる。
「……まさか」
ハッとして辺りを見渡す。気がつけば、そこらを漂う瘴気の量が増えている。それこそ、空気が淀んで見えるほどに。これは、この瘴気の量はおかしい。木々の合間に目を凝らしてみると、一匹、また一匹と、スケルトンがその姿を現す。――囲まれてる。そう理解した途端に、ぞっとする。
「(まずい……!)」
ムーを含めた俺達四人は、互いに背を向けるような形で立ち尽くす。この形はダメだ。魔法は連続して使えない。この数が一斉に来たら――――
「――――ああもうっ、見てらんないわ!ちょっと目ェ閉じて!」
木の上から響く声。ハッとして目を塞ぐと同時に投げ込まれた石が破裂し、眩い光が迸る。スケルトンたちが悲鳴を上げ、続けざまに漂う焦げた匂い。たちまち大量の煙が俺達を包み込む。閃光晶に、ケムニマ木。即席の目くらましだ。
見上げた木の上には、黒っぽい人影。煙のせいで顔までは見えないが、しなやかな尻尾がちらりと見えた。
「あ、ありが――」
「お礼はいいから早く行って!そんなに長くは持たないわよ!」
その言葉を最後に、少女は木々の彼方へ飛び去る。彼女の言う通りだ。俺達も顔を見合わせ、共に走り出した。