介護士は旅立つ
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獣人とエルフの戦闘は、エルフ同士の足の引っ張り合いによって獣人有利に進んでいた。
定時報告で状況を把握したエルフの王は、予想通りの展開に頭を抱える。
「やはり根本的な解決法が必要だな。
この件が終わったら、大規模改革を実行する。」
「それは、どのような……?」
「まず、国家の危機たる軍事作戦において足の引っ張り合いをするなど言語道断だ。
よって軍隊は国家が直接これを所有し、指揮する事として、領主たちには行政権だけを与える。
司法権も国家から代理人を派遣して担当させ、越権行為や不正に対処できるようにする。」
これを聞いた宰相は驚いた。
「司法権も奪うと?」
「当然だ。今までの態度を改めさせるには、それを管理・監督する者が必要だ。
そしてそれは、管理・監督の対象者から独立していなければならない。」
「……つまり、貴族は行政代行官としてのみ存在するという事ですかな?」
「そうだ。」
「大きな反発があるでしょうな。
司法権の担当代理人と、領主だった貴族が同格の扱いという事になります。代々守ってきた領地に、赤の他人が口を出すようになる。しかも今まで持っていた権限が、3分の2も奪われる……と。」
「個人も組織も種族も、変化に適応できなければ滅ぶ。
そして今、このような変化を必要たらしめたのは、貴族たちだ。
国家の安寧のために自ら考え、行動する者たちばかりなら、このような改革は必要なかった。」
「因果応報……貴族自身の責任とおっしゃるのですね。」
「そうだ。
そして改革に対する自身の責任として、どのような反発も恐れるものではない。」
王の決意を聞くと、今度は宰相が頭を抱えた。
「残念です。陛下と対立しなければならないとは。」
時間は少し遡る。
暗殺者風の男は、カエル獣人を洗脳したあと、カエル獣人にある魔道具を持たせた。それは犬獣人や虎獣人たちに与えたのと同じものだった。いや、さらに改良されたものと言っていい。それは他人を洗脳する魔道具だ。
カエル獣人は他のカエル獣人を洗脳し、同じ両生類系の獣人であり生息圏が重なるイモリ獣人にも洗脳を仕掛けた。そしてエルフの国に攻め込んだ。
獣人が攻め込んできたことで対応に出たエルフの兵士たち。獣人はその一部を洗脳し、洗脳の魔道具を渡した。
エルフの兵士は、自分の上官に、報告を装って洗脳を仕掛ける。その上官がそのまた上官に……と洗脳は繰り返され、今や宰相を頂点とする大規模な派閥を形成するまでになっていた。ここまで上位の者が洗脳されると、洗脳されていない者もその命令に従うしかなくなる。
ジャイロが「雑になった」と評する方法は、今や別方向への進化を遂げていた。
そして――
「獣人がまた騒ぎを起こしたか。」
「行くのか?」
「もちろんだ。」
領地運営は一段落した。俺ができるのは指示を出すこと。現場で作業を手伝えば、助けになるかもしれないが、雇われた作業員の仕事を奪い、経験を積む機会を奪うことになる。与えられた領地は冒険者が集まって村ができた土地だ。領主なんて居なくても村は機能する。避難先の開拓村じゃないんだから、今すぐ急激に発展させる必要はない。ならば俺は指示を出すことに専念すればいい。
そして今、とりあえず必要な指示は出し終えて、あとは作業が進むのを待つだけだ。できる事がない。その間に、獣人が騒ぎを起こしたというエルフの国へ行ってみよう。
男爵が他国を勝手に訪問。これはこれで問題行動だ。しかし、それで男爵の地位を取り上げられるとしても、俺には何の後悔も痛痒もない。男爵の地位から何か利益を得るのは、まだこれから。まだ何も利益を得ていない。だから今すぐ男爵の地位を失っても、何も損はない。それに、国に正面切って喧嘩を売るのと違って、この事で誰かが死ぬような事態にはならない。だから俺は俺の勝手に動く。
たとえば「旅行に行きたい」と思っている主婦がいるとする。いや、かなり多くの主婦が実際にそうだろう。だが「旦那を置いて行くと、その間に旦那が困ってしまう」と思っている。うちの旦那はまともに家事ができないから、私が旅行に行ってしまったら家の中がどんなことになるか、悪くすればゴミだらけになった部屋で旦那まで倒れているかもしれない。だから旅行には行けない、と。
だが、部屋がゴミだらけになろうが、旦那が倒れようが、それで困るのは家に残る旦那だ。主婦は困らない。旅行から戻ってから、散らかった家をどうするか。そんなの放棄したって構わないのだ。旅行で不在にしている間のことなんて、後始末は旦那自身にやらせればいい。どうしてもやらないというのなら、旦那の寝室に全部ゴミを放り込んでしまえばいい。
旅行に行けない理由を、他人のせいにしている。そこが問題なのだ。人生を豊かにするためには、自ら貧しくしてしまう判断や行動をやめなくてはならない。そして、自ら人生を貧しくする行動とは、えてして「常識的な行動」なのだ。
人生の豊かさを「いかに常識的に生きるか」と定義しているのなら、この話は当てはまらない。だが、常識的な定義では「いかに多くの事を体験できたか」「いかに多様な価値観を学べたか」というのが人生の豊かさだと定義される。富や名声を手に入れるのはその手段に過ぎない。本質的に人生の豊かさとは「体験」なのだ。それを自ら放棄するような行動は、いかに「常識的」であっても捨てるべきだ。そうすれば人生は豊かになる。
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