介護士は心が折れる
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読者様には申し訳ない事ですが、不定期更新になる予定です。
全ての人間は、幸せになるために生きている。
だが、不幸はいつでも襲ってくる。
どうすればいいか? 落ち込むのも反発するのもハズレだ。正解の行動ができる人は、意外と少ない。
日本国憲法には、わざわざ権利として明記されているが、それでなくても全ての人間は「幸せになるために」生きている。幸福を追求することが、人生の最大の目的だ。何をもって幸福とするかは、人によって違うのだが、ともかく幸福追求が目的という点で、全ての人間は一致している。
たとえば、日本では「お客様は神様」という考え方が一般的で、コンビニに行けば店員が「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言う。これは、「よく商品を見にいらっしゃいました」「お買い上げありがとうございました」という意味で、要するに「客が来たぜ、ヤッホー!」「売り上げになったぜ、ハッピー!」という事だ。店側が幸福を追求するには、客が来て、商品を買ってくれなくてはならない。だから、そうしてくれた客に対して「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言うのだ。
ところが、アメリカに行くと「客と店員は平等」という考え方が一般的で、コンビニに行っても「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」とかは一切言われない。客は客の都合で欲しい物を買いに来たんだから、店側が「売れたぜ、ヤッホー!」と幸せを感じるのと同じように、客も「買えたぜ、ヤッホー!」と幸せを感じているはずであるというわけだ。
つまり、これこそが、そうなのだ。何をもって幸せとするかは、人によって違う。だが、全ての人間は、幸せを追求するという点で一致している。
当然、介護士だって幸せを求めている。
だが介護の現場はどんな事になっているかというと、理不尽のオンパレードだ。
「おむつを替えますよ。」
「やめろ! 何する! 警察よぶぞ!」
という具合だ。
甚だしい場合には、引っかかれたり、噛み付かれたり、殴られたり、眼鏡を壊されたりする。
なぜこんな事が起きるかというと、認知症だからだ。認知症とは「認知機能が低下する症状」である。つまり、状況を正しく認識できない。おむつを替えて貰うサービスを受けるのだという事を認識できず、「知らん奴が、わしのズボンを脱がそうとする!」と認識するのだ。
であれば、「やめろ! 何する! 警察よぶぞ!」と反応するのは当然だろう。そういう状況になれば、誰だってそうする。それでも相手がやめてくれないのなら、引っ掻いたり噛み付いたり殴ったりする事もあるだろう。中には「このクソ野郎! 死んじまえ!」「死ねー!」とまで罵倒してくる老人もいる。
しかしこれは、頭では理解できても、心では納得できない。
おむつに排泄したのは俺ではない。相手の老人だ。だからおむつを替えなくても、俺が尿路感染を起こして高熱を出したり、俺の陰部がかぶれてかゆくなったりする事はない。困るのは相手の老人なのだ。俺は仕事だから、赤の他人のために、わざわざおむつを替えてやるのだ。
だというのに、その相手からは罵倒され、暴力を振るわれる。納得できるはずがない。感謝されてしかるべきだ。「何の関係もない赤の他人が、たまたまこの施設に就職して、たまたま今日が出勤だったから、わざわざ自分のためにおむつを替えてくれる」という状況なのだ。感謝されなくてはおかしい。
それだけではない。状況を正しく認識できないという事は、「自分には立つ力がない」という事も認識できず、立てないのに立とうとして転んだり、転んだ勢いで骨折したりする。「今日は施設に泊まる」という事を認識できず、帰ろうとして「自分が今どこにいるのか」も認識できずに、行方不明になる。食事を食事だと認識できずに「土を食わされている」と訴えたり、薬を薬だと認識できずに「こんな苦いものは要らない」と吐き出したりする。ちゃんんと飲まないと命に関わるような薬でも、だ。
そして、あるいは――
「お風呂に入るから服を脱ぎましょうね。」
「やめろ! 殺す気か! 人殺し!」
人間には、5つの欲求があるという。
生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の5つだ。マズローの欲求階層説である。
この中で、現代の日本人は、生理的欲求・安全欲求・社会的欲求の3つがほとんど誰でも満たされている。だから「承認欲求」を抱えている人が多く、自己実現欲求の段階に進んでいる人は少ない。
現代の日本人は、誰もが「周囲から承認されたい」と思っているのだ。認めて欲しい、と思っているのだ。俺の成果を、俺の努力を、俺の行動を、俺の意識を、俺の存在を、認めて欲しい。なのに、出勤して、気合いを入れて、必要物品を用意し、頑張って介助して、風呂に入れてやって、それで罵倒されるのだから、心はどんどんすり減っていく。
実際、介護士の末路は3つだ。
1つめは、ストレスを受け流せずに鬱病になって辞職する。真面目な人に多い。
2つめは、介護放棄や虐待をしてしまう。ストレスに反発してこうなる。
3つめは、問題なく仕事を続けられる。ストレスをうまく受け流せるからだ。
俺はそれまで「3」だった。いや、「3」だと思っていた。
だが、どんどん心がすり減っていった結果、ついに悟りを開いた。
介護とは何か? それは「人生最後の時期をいかに充実させてあげられるか」という仕事だ。究極的には「いかに苦しまずに死なせてあげられるか」という事にもなる。だが、それは言葉を換えれば、いかに上手に殺すかという事ではないか。安楽死を追究する合法的な殺人。それが介護だ。つまり、この老人が言う通り、まさに介護士とは人殺しなのだ。
「そうだよ。この仕事は人殺しだよ。
楽に死ねるように、一生懸命殺してあげるからね。苦しまないように、たっぷり時間を掛けて殺してあげるよ。長い付き合いになると思うけど、よろしくね。」
そう答えた俺は、どんな顔をしていたのだろうか。
認知症で会話が噛み合わない老人が、その瞬間に、怒鳴るのをやめてピタリと黙った。
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