介護士は境界線を越える
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ドワーフの国から領地に戻った俺は、休憩がてら領主としての仕事を片付け、翌日にはゴーファ公爵の領地に向かった。
ウォーラックにドワーフの王からの手紙を渡して、刀を改良して貰った事も話した。グラビ石というのはオリハルコン・ミスリル合金よりも硬いらしく、当代一というドワーフをして加工には1週間を要した。だがそれだけの価値はあったようで、重さはしっくり1kg。切れ味はこれから試すつもりだが、見ているだけで斬れそうなヤバい仕上がりになっている。
「やれやれ……俺もまだまだか……。」
ウォーラックは嬉しそうに悔しがった。目指すべき高みに触れる機会というのは、その道を極めようとする者にとって喜ばしい事だ。
ゴーファ公爵の領地から王都へ移動して、王宮で王に事の顛末を報告する。
今回も執務室に通され、王は前のめりになって尋ねてきた。
「で、どうなった?」
「国交を結ぶと明言されました。」
「でかした!」
小躍りする勢いで喜ぶ王。
ひとしきりニヤニヤと喜んだあと、ふと我に返って王は俺に笑顔を向ける。
「これで伯爵だな。」
公爵は王族の分家だ。そして爵位は公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の5つ。つまり伯爵から上は大貴族といっていい。同じ貴族でも子爵以下か伯爵以上かで一線を画する差がある。具体的には、たとえば王女を降嫁するのは伯爵以上に限定される。
つまり俺にとって重要なことは、これで公爵の娘であるアーネスと結婚できる資格を得るということだ。婚約から先へ進まなかったのは、この制限がかかっていたせいである。公爵は王族の分家だから、その結婚には王族に準じる制限があるのだ。
「身に余る光栄です。
しかし、懸念も残っています。」
「黒幕か? 今回も逃がしたと?」
「いえ、発見できませんでした。」
より慎重に動いて、こちらと距離をとっているのだろう。
今までの手法から考えて、次に狙うのは爬虫類系獣人か魚類系獣人だろう。もう残っているのがその2つしかない。この国は、エルフやドワーフの国とは一応国境を接しているが、海には面していない。爬虫類系獣人が住んでいるのは熱帯の乾燥地帯だ。そことは国境を接している。つまり次に狙われるのは爬虫類系獣人だ。
今度はこっちが先に動くチャンスだ。爬虫類系獣人を監視して、あの男が接触しようとしたところを押さえてやろう。幸いにも爬虫類系獣人は種類が少ない。ワニ獣人・亀獣人・トカゲ獣人の3種類だけだ。生息域も水場の近くに限定されるから、そう難しい作業ではない。
だが人数は多いほうがいいし、今度はアーネスと獣人部隊にも手伝って貰おうか。久しぶりにアーネスと共闘すると思うと嬉しくなってくる。
読者様は読んで下さるだけで素晴らしい!(*≧∀≦*)b
評価とかブクマとかして下さった読者様、ありがとうございます。
作者は感謝感激しつつ、小躍りして喜んでおります。(o´∀`o)キャッキャッ♪
黒幕の2人は、正体は魔族で、地上支配のために人類の戦力と数を減らそうと画策していた。この2人は、単に担当地域を分けていただけで、1つの国を狙っていたわけではない。主人公からは住んでいる国が狙われているように見えたが、実際には魔族2人は「どの国でも構わない」というスタンスだった。エルフ編で主人公の居住国に手を出さなかったのもそのためで、エルフの国を弱体化させるのが目的だった。ドワーフ編でも同様。
魔族A(暗殺者風)は、爬虫類系獣人を洗脳しようとして、主人公らと獣人部隊に発見される。
抵抗が激しく捕縛できずに討伐したため事情聴取はできなかったが、これで獣人事件の黒幕は片付いたので、主人公らは事件は終わったと判断する。
一方、魔族Bは隣国を操って周辺国に戦争を仕掛ける準備を進めており、新たな戦火が……
色々あって魔族Bを倒すことに成功する主人公たち。そこで主人公は魔族Bに尋ねる。
「人類に敵対する理由が、地上支配のためというのは分かったが、地上支配を目指す理由は何か。」
魔族Bは答えられない。魔族とはそういうものだと教えられて育ったからだ。
「思考停止をするな。常に自分で考えろ。」
主人公は「本当に敵対する理由があるのか」「地上を支配して何がしたいのか」と問い詰めていく。そのすべてに、ことごとく答えられない魔族Bは、だんだんと自分がどうして地上支配をたくらんでいたのか分からなくなっていく。
「それが自分で考えるということだ。」
世界大戦に発展しかねなかった事件を解決した功績への対価として、主人公は魔族Bの処遇を決定する権利を要求する。
「魔族と国交を結ぶ。」
主人公の次なる目標に驚く各国の王たち。
魔族Bはその窓口として生かされることになった。
……というような展開を考えていました。
敵対勢力を承認して味方に引き込むという「蛇」編でやった手法を、世界規模でもう1度やるというオチでした。「考え方を変えればうまくいく」をテーマにしてきましたので、こういう終わり方がふさわしかろうと思っています。
爬虫類編では魔族Aが「考え方を変えることなく命を落とす」という不幸が起き、戦争編では魔族Bが「考え方を変えて命を長らえる」という対比になるわけです。
が、それを「俺たちの戦いはこれからだ」的な終わり方でぶった切ることにしました。
いよいよ黒幕を追い詰めようというところで、これからがクライマックスだと思っていた読者様がいらっしゃいましたら、申し訳ないことでございます。
戦争編を描くと、どうしても大量に人が死にます。いくら考え方を変えても、兵士は戦争にかり出され、凄惨な戦地で必死に生き抜こうとあがくことになります。ここに問題が起きてしまいます。不運な状況にも「さらに不運になりえたが、そうならなかったのだから、これでよい」という考え方をするのが、本作品のテーマです。じゃあ兵士たちが「戦争にかり出されたが、今日1日を生き延びたのだから、これでよい」と考え始めたら? 明日も生き延びるためには、敵兵を殺さないといけません。それはこの作品のテーマとはズレてしまいます。生還できてもPTSDに苦しむでしょう。考え方を変えてもうまくいかないじゃないか、という話になってしまうわけです。
もちろん、兵士たちの家族は「生きて帰ってくれただけで嬉しい」と考えるでしょう。苦しい戦後の状況下でも、そのように幸福を見つける考え方をすれば、幸福はみつかるものです。
しかし、戦争に参加してきた兵士たちは、そうはいきません。自分が生き延びるために大勢の無関係な人間を殺してしまったが、自分が生き延びるという目標は達成したのだから、それでいいじゃん、なんて考えるのは、普通の神経ではあり得ないことです。今なおご存命中の戦争経験者たちは、「最後は中佐まで出世した」とか「ミミズまで食って生き延びた」なんて栄光や苦労を語る事はありますが、「いかに悲惨な状況だったか」というのは語らないのです。それほど心に暗い影響を与えるわけです。
こうした経験者たちに「生き延びてよかったね」などと言っても、まったく心に響かないようです。「どうにか生きてきたけども……」と言うものの、その先の言葉は濁して語りません。
こればかりは、考え方を変えてどうにかなるような状況ではない。考え方を変えればいいなんて言えるのは、経験していない世代だけだ。経験者たちに接すると、そのように感じます。死んでいった兵士たちの手記には「もしもわがままが許されるなら映画を見てみたい」などと書かれています。今の時代で我々が普通にやっている事です。
私たちはなんと幸せな時代に生まれたのでしょうか。犠牲者たちを追悼する式典では、なんともしんみりした雰囲気が満ちていますが、そういう式典は「追悼のため」ではなく「今の時代を生きる人たちが反戦感情を忘れないために」やっている事だと思います。
本当に「追悼のため」にやるべき事は、今の時代の幸福を享受することではないでしょうか。彼らが「もしもわがままが許されるなら」と搾り出すように切望していたことを、日常でいともたやすく受け取り、浴びるほど楽しむことではないでしょうか。彼らが心から望んでいた事を、我々がどんどん叶えているわけですから、これこそが追悼、これこそが「遺志を継ぐ」ことなのだと思います。
見よ、彼らの犠牲は、今の時代をこれほど幸福にしたのだ。
我々は、胸を張ってそう言えるように、人生を楽しまなくてはなりません。
トランスポーターのほうは、引き続き連載してまいりますので、楽しんで頂けると幸いです。
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