介護士は腰痛が職業病
読んでくれてありがとう(*´▽`*)
楽しんでくれると嬉しいです。
読者様には申し訳ない事ですが、不定期更新になる予定です。
人間は、新しい体験をしなければならない。なぜなら、不幸を跳ね返すための鍵は、意外な所に転がっている。もし不幸を感じている人がいたら、まったく興味がない事や、今までやりたくてもやれなかった事に挑戦してみるといいだろう。そうすると、いろいろと学ぶことや気付くことがあるはずだ。あるいは、その時には気づかなくても、後になって気づく事もある。
俺の場合、まさか居合で腰痛が治るとは思わなかった。刀を鞘に納めたまま構えて、抜きざまに斬る、あの居合だ。抜刀術ともいう。興味本位で始めた居合が、まさか腰痛対策になるとは、まったく予想していなかった。
俺の名前は、安部礼司。
特別養護老人ホームで働く介護士だ。
地元高校の介護福祉科を卒業して、老人ホームに就職した。よくあるパターンだ。田舎者で、両親・祖父母と同居しており、自分が成長するに従って衰えていく祖父母を見るにつけ、どうせいつかは家族の介護をやる事になるのだから、専門的に学んでおこうという、これまたよくある理由でこの道に進んだ。
食事・入浴・排泄が「3大介助」と呼ばれる、介護士の主な仕事だ。
食事の手伝い。つまり食事を食べさせる。やってみると難しかった。思うように口を開けてくれないのだ。
入浴の手伝い。つまり風呂に入れてやる。やってみると難しかった。まずは他人の服を脱がせるというのが思うようにいかない。肘がひっかかって袖が抜けないのだ。それに、車椅子からシャワーチェアに移すのも難しかった。人を抱えて動かすわけで、最初の頃は抱え上げるだけでも大変だった。とにかく重たい。特に難しいのが、体を洗った後だ。濡れた体を抱え上げるのは滑るし、全裸だから掴むところがない。服を着ていればズボンを掴む。力士がまわしを掴んだのと同じようにつり上げることができるのだが、全裸ではそれは無理だ。
排泄の手伝い。つまりトイレに連れて行ったり、おむつを替えたりする。やってみると難しかった。トイレに連れて行くという事は、立てない人を抱えて立たせ、その間にズボンとパンツを下ろさなくてはならない。抱えるだけでも大変なのに、その姿勢を維持したままズボンとパンツを下ろすのだ。もはや訳が分からない。おむつ交換に至っては、便まみれの陰部を拭いたり洗ったりしなければならない。尿取りパッドやおむつで受けて洗い流すのだが、うっかり漏れてシーツを汚染した事は1度や2度ではない。
3年もすると中堅どころの職員になった。やっていれば上達するものだ。
食事介助は「相手が口に入れて欲しいと思うタイミング」が分かるようになったし、入浴介助は「そもそもズボンなんて持たない方法」で持ち上げるようになったし、服を脱がせるのもウマくなった。裸でも難なく持ち上がるのだから、服を着ているトイレ介助など簡単なものだ。ちょいと立たせてサッとズボンを下げてやればいい。コツが分かれば簡単だ。とはいえ、このコツを言葉で説明するのはひどく難しいのだが。
あえて言葉で説明するなら、相手が立てるようにバランスをとる手伝いをしてやるのがコツだ。バランスを取ってやれば、立位保持の介助にはほとんど力は要らない。相手の体がこっちの体に軽くもたれかかるような感じでキープしてやれば、相手はこちらが両手を離しても立っていられる。そうしたら、あいた両手でズボンを下げればいい。簡単そうに言っているが、相手は棒ではない。関節があって、いつ崩れ落ちるが分からない老人である。それをバランス良く支えるというのは、それなりの実務経験がないと、言葉でいくら説明しても、理解すらできない。いわんや実行をや。
老人ホームに入っている老人たちは、軽ければ体重30kgぐらいしかないが、重たい人だと80kg近くある。だから、軽い人なら誰でも抱え上げられるが、重たい人だとほとんどの職員が1人では持ち上がらず、2人や3人で移乗(車椅子からベッド、トイレから車椅子、という具合に移すこと)する。
だが、俺は「物体の重心を掴む感覚」が他人よりも優れているという自覚があった。何度かやっていると、何となく「バランスを取れる位置」というのが分かるのだ。それは「バランスを取って静止させる」だけでなく、「動く物体の回転軸を把握する」も同様で、さらには人間が相手でも同じだった。
「阿部に持ち上げられない老人はいない。」
「阿部に持ち上げられないなら、他の誰にも無理だ。」
そんな風に言われるようになった。
就職して初めて「社内研修の講師をやれ」と命令されたときの研修テーマが「移乗介助のやり方」だった。
その時の俺は、「頭と足を結んだ線の中に、腰を位置させる」「頭と腰と足が1つの直線上に並ぶようにする」という説明をした。そうして腕や胴体の位置を固定し、足の力――膝を伸ばす力で持ち上げるのだ。そうすると、太腿やお尻といった大きい筋肉が使われる。
実は、かなり多くの職員が、前屈みになって相手に抱きつき、そこから相手を持ち上げようとしている。腰は引け、頭は突き出し、足と頭と腰を結ぶ線は逆三角形になる。これをやってしまうと、膝を曲げながら背筋で持ち上げることになる。足の力を抜きながら(しかし倒れないように踏ん張りながら)背中を反らす力で持ち上げるのだ。背中にも太腿にも大きな筋肉がある。だが、それを支える骨は、無数の骨が連結している背骨よりも、1つの太い骨である大腿骨のほうが頑丈だ。だからより大きな力を支えることができるのは、背中よりも足なのである。その肝心の足の筋肉が「曲げながら伸ばす」という逆方向の力を同時に発揮せねばならず、せっかくの大きい筋肉が自らその力を邪魔される事になる。
「イメージとしては、筋肉で持ち上げるのではなく、骨で重さを支えるのです。」
そんな事を言った記憶がある。
だが、偉そうに社内研修をやった1ヶ月後、俺は腰痛になった。椎間板ヘルニアだった。
俺もまた、自分が思うほど「骨で支える」ことができておらず、実際には「筋肉で持ち上げて」いたのだ。
その結果、腰の位置にある背筋が無理な力を出してしまい、俺の背骨が上下から圧迫され、椎間板が後ろに飛び出してしまったのである。
ごまかしながら、あるいは我慢しながら、どうにか働いて2年が過ぎた。
入社5年目の夜勤明け、俺はとうとう杖なしでは歩けないほど、ひどい腰痛になってしまった。
「すぐに病院へ行け。」
上司からの命令を受けて早退し、そのまま病院へ行った。
介護施設は、必ずどこかの医者と提携していなければならない。職員の健康診断なども、その医者に頼むことになる。このとき受診した医者も、そういう医者だった。
「やっちゃったねぇ。」
と、こちらの仕事を理解している医者。
さすがは提携先である。話が早い。どういう仕事をしていて何をやってしまったなんて事は、問診すらされなかった。
「1週間休みなさい。
そして毎日リハビリに来なさい。」
医者の指示で1週間休むことになった。
1週間ぶりに出社したとき、休憩時間になって休んでいると、非番の同僚がおかしな格好でやってきた。
「いやぁ、ロッカーにスマホ忘れちゃって。」
そんな事を言う同僚は、なんと袴姿で、腰帯に刀を差していた。
どこの時代劇から出てきたんだ、こいつは。
「いやいや、何その格好?」
「居合やってるんだよ。」
「え? このあたりに教室あんの?」
「あるよ。」
「俺もやる!」
即断・即決・即実行。
入会申し込みの書類を持ってきて貰う約束を取り付けた。稽古は週1回、土曜か日曜のどちらかに、午前9時30分から2時間やるという。稽古着や木刀や居合刀などの初期費用もかかったが、俺は入会した。
実は、俺は刀に興味がある。子供の頃は祖父と一緒にテレビで時代劇を見ることが多かったし、大学に入って都会に出ても時代劇の漫画を読むことが多かった。そして、刀そのものにも興味を持った。
そうして俺は、1つの考えに至った。
剣道には興味ない、と。
剣道は竹刀を使う。竹刀は390~510g程度だが、刀は900~1100gと、ほぼ2倍である。700g以上の竹刀とか、900g未満の刀とか、そういう例外もあるにはあるが、基本的に「2倍の重量を同じように振り回す」のは、どう考えても無理だ。
しかも、刀の「反り」や、鞘が、竹刀にはない。刀は、鞘から抜きやすいように、わざわざ反っているのだ。形状力学的に強度が高いとか、斬りつけたときに自動的に「引き切る」動作になるとかの利点もあるが、江戸時代に使われていた刀は、鞘から抜きやすいという理由で、刀の中央で最も反った形をしている。安土桃山時代の刀を見ると、根元で最も反った形をしているから、江戸時代の刀は明らかに「鞘から抜く」という目的で反っている事が分かる。つまり、「鞘」と「反り」は日本刀の肝なのだ。それを排除してしまった竹刀には、安全に訓練できる以外の利点はない。
剣道で大会優勝するというのは凄いことだ。それは尊敬できる事だ。でも、俺は刀に興味があるのであって、竹刀には興味がない。だから剣道の技術を身につけても、刀を振り回すことはできないと思った。それは居合を始めてから、先生に「その通りだ」と言われた。
「剣道経験者が居合に来ることもあるけど、未経験者も多いよ。
まあ、経験者にアドバンテージがあるのは、せいぜい3段か4段ぐらいまでかな。
それに、剣道と居合では動きが違うからね。未経験者のほうが素直に受け入れて、すぐ動けるようになる事も多いし。」
さらに先生は、生徒には2種類の人間がいると言った。
1つは、教えた事を自分なりに解釈・理解してから呑み込む者。
もう1つは、教えた事を丸呑みする者。
「阿部は丸呑みタイプだし、真面目に稽古に出てくるから、剣道未経験でも居合の成長は一番早いだろうね。」
他の人たちにも、もうちょっと参加して貰いたいんだけど……と先生は苦笑する。実際、参加率が一番高いのは俺だ。90%ぐらい参加する。参加率2位の人で60%ぐらい。3~5位が40%ぐらいで、残りの人たちは滅多に参加しない。中には「今年は1年間休みます」なんて人もいる。間違いなく、上達が一番早いのは俺だろう。実力はまだまだだが。
そして先生の言葉は、2ヶ月で証明された。
腰痛が消えたのだ。まったく痛まなくなり、再発もしなかった。
そのことを居合の稽古会で言ってみると、他の生徒からこんな話があった。
「確かに、稽古に来なかった週は、体の調子が悪い気がするな。」
悪い気がする……?
居合の稽古をした効果を、その程度にしか認識できないというのか?
俺は愕然とした。
稽古に出た週も出られなかった週も、俺は居合の動きを仕事に取り入れていた。だから稽古に出たか出なかったかで体の調子が変わることはない。そうではなくて、稽古に出て「正しい身体操作」を学ぶほど、身につけるほど、どんどん体の調子が良くなっていくのだ。
1回稽古に出なかったからといって、今週は調子が悪いなんて事は感じないのである。
読者様は読んで下さるだけで素晴らしい!
( ・`д・´)キリッ
なお、評価とかブクマとかしてくれると、作者が喜びます。
(σ*´∀`)
ちなみに主人公が通った大学は、福祉系ではありません。
福祉系の高校を出たら、そのまま就職する人が多い中、田舎者特有の見栄っ張りが働いた両親から「今どき高卒なんて」「大学ぐらい出ておけ」とか言われて、適当な大学に入ったのでした。
だから主人公にとって大学時代は、語るほどの事がありません。