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「たわけたことを! 貴様が犯人であろう!」
キセンセシルが何の気負いも無く「できる」と言えば、クースデルセは色めき立った。最早余裕を完全に失っている。勿論勝手に投げ捨てただけで、キセンセシルが誘導した訳ではない。独りでテンパっているだけなのだ。
恐らく推理に酷く時間を掛けたのだろう。そして自分だからこそ推理できたのだと考えた。ところがそれを簡単なことと言われて、きっとプライドがずたずたになったのだ。安物のちり紙くらいにしか強度の無いプライドである。
キセンセシルは何やらおかしくなって、少しだけ弾んだ声を出す。
「いいえ。そこなご婦人を階段から突き落とした犯人は殿下、貴方様ですわ! 殿下は裏をかいたと見せ掛けたのですわね! 裏の裏をかいたと言い直してもよろしいですわ」
加えて、クースデルセをビシッと指差した。その勢いで金色の縦ロールがぽよんと揺れる。
「貴様ぁ! 言うに事欠いて、余を犯人呼ばわりするか!」
「おーっほっほっほっほっ! 少しは冤罪で犯人呼ばわりされる気持ちをお解りになれまして?」
クースデルセがあっさり激高したせいで、ますます愉快になったキセンセシルである。
ところが意外にもこの高笑い、比較的落ち着いている人を苛つかせる一方で、激高している人の頭を冷やす効果が有ったらしい。
クースデルセが苦々しげにしながらも、肝心な部分に反応を示す。
「冤罪だと?」
「まだお解りになられませんか?」
冤罪を可能性だけでも認識したら、もう一歩考えを進めるだけだ。
「何をだ?」
「簡単なことですわ。きっと犯人なんて居ないのですもの」
そう、狂言である。ただ、この場合は少し違うかも知れない。
「犯人が居ないだと? 現にシーリーは突き落とされたのだぞ!」
「彼女自身は突き落とされたなどとは、おっしゃっていないのではございませんか?」
彼らが思い込んでいる大前提が、根本的に違うのだ。ハーナーシの証言でもシーリガルテは何も言っていない。ただ指差しただけだ。ハーナーシが勝手に想像してストーリーを作り上げ、それをクースデルセが鵜呑みにした事実が有るだけ。
シーリガルテが叫んだ理由も、倒れていた理由も、実のところ明らかになっていない。
「なに?」
「じ、自分はそうに違いないと……」
狼狽えたのがハーナーシである。指摘されて初めて、自身の思い込みに気付いたらしい。
そしてクースデルセの自信も揺らぐ。ハーナーシの自信を土台にそのまま自らの自信を建てていたのなら、土台が崩れれば建物もガラガラと崩れるのが道理だ。
「何、だと……」
この時、シーリガルテがいつの間にやら、また別の男性の腕を抱いていた。彼も彼女の愛人だろう。そして彼女は相変わらずぷるぷる震えている。
キセンセシルはこれに気付いて、何と強かなことかと感心する。震えているのが演技なのか、自然なものなのかは判らない。自然なものだったとしても怯えているとは限らないのだ。嗤いを堪えているのかも知れない。むしろこの可能性が高いか。
しかしそんな女の強かさに気付かない男共と来たらと、キセンセシルはまた笑いが込み上げる。
「おーっほっほっほっほっ! ほんとーにおつむのお弱いこと!」
「ぐぬ……」
クースデルセは呻いた。
「それにしても、先に婚約破棄をしていて、ようございました。婚約者のままでしたら、おつむのお弱い方の婚約者だと後ろ指を指されるところでしたわ。おーっほっほっほっほっ!」
婚約は口約束だ。しかし公表した時点で一定の効力を持つ。それが王族に関係するなら尚更だ。だから逆に、解消するのも口先だけで良く、公表した時点で効力を発する。
「これで勝ったと思うな!」
クースデルセは悔しげに叫んだ。目に涙まで浮かべてダッシュする。
置いて行かれたシーリガルテが慌てて後を追う。今までの震えが何だったのかと思える逞しい足取りだ。王子の婚約者の立場は、まだまだ捨てるには惜しいらしい。
そのシーリガルテをハーナーシともう一人の彼女の愛人が追う。何と言う忠誠か。
そんな彼らを苦笑しつつ見送りながらキセンセシルは呟く。相手に届きはしないが。
「勿論ですわ」
結局は痛み分けのようなものだ。婚約者に堂々と浮気されれば、それだけで名誉が傷付いている。キセンセシルから婚約破棄を突き付けたことでどうにか五分以上に持ち込めたに過ぎない。いくら政略とは言え、愚にも付かない相手との婚約は不利益しか生まないものだったと、嘆息するキセンセシルである。
そして相手方が退場したことで、キセンセシルが欠席裁判のようにして悪く言われる可能性も消えた。すると今度は、このままこの場に居ても噂話のネタにされるだけだ。
ならば、することは一つ。
「皆さん、巻き込まれたこととは言え、騒がせたことに違いはございません。わたくしがここに居たのでは、皆さんのお気を使わせてしまうでしょう。ですから、これにて失礼いたしますわ。皆様ごきげんよう」
キセンセシルは華麗に淑女の礼を取りつつ周りに宣言すると、パーティ会場を優雅な足取りで後にした。