表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/45

第5章

 その後、イーサンはユトレイシア郊外にある大学の合宿所へ戻り、引き続き三週間ほど激しいトレーニングを積んでから、ヴィクトリア通りに面した自宅のほうへ戻ってきた。


 弟たちや妹たちに毎年約束してある、サウスルイスという場所にあるディズニーランドへ彼らを連れていくためだった。もう何日も前からそのことで子供たちが興奮し、長兄のイーサンが戻ってくるのを今か今かと待ち構えている姿というのをマリーは見ていた。


「ほら、うちは親がいないからな。他の同じクラスのガキめらがどこそこにキャンプしにいっただの、なんとかって場所まで旅行しにいっただの、夏休み明けには当然そういう話になるだろ?だが毎年わざわざあんな離れた場所にあるディズニーランドまで行く子ってのはほとんどいない。するとな、『ディズニーランド』へ行ってきたってだけで、子供にとっては自慢できることなんだよ。そしたらあいつらも、親の揃ってるガキどもの旅行話を聞かされても、『うちなんてディズニーランドへ行ったんだから!』ってな具合で、惨めな思いをしなくて済む。これはようするにそういうことなんだ」


 何故ディズニーランドなんですか?というマリーの素朴な疑問に、イーサンはそう答えていた。そして、マグダが夏休みの休暇を取っていても、マリーが相も変わらず家のことをきちんと収めているのを見て――イーサンとしては安心した。(もちろん、これでもし最後の最後に遺産目当てだったことがわかった日には……この女、アカデミー賞ものだよな)という疑いを捨てたわけではなかったにせよ、イーサンはすでに七十パーセントくらいはマリー・ルイスという父の後妻を信じはじめていたかもしれない。


 実際、ユトレイシアから南部にあるサウスルイスまでは車で十時間以上もかかるため、毎年適当な場所で宿泊してから向かうことになるのだが、イーサンひとりで子供四人の世話は骨が折れた。また、去年まではマグダがげっそりしている姿を見ながらの旅行だったのだが、マリーが旅行中ずっと子供の面倒を見てくれるというのは、イーサンにとってもほっと出来ることだったのである。


 サウスルイスへ辿り着くまでに一度マティウス町という競走馬の産地で有名な場所で一泊することになった。そこのモルズウッドホースパークというところで乗馬したり馬と触れ合ったりしたあと、翌日の夕方にはサウスルイス郊外にあるホテルまで辿り着いた。


 子供たちは次の日にはディズニーランドで遊べるため、ホテルにいる時からずっとはしゃぎ通しだった。開園と同時に入場すると、子供たちはもう二度も三度も来ているので、どこへ行くのか慣れたものだった。バケーション・パッケージで申し込みがしてあるらしく、どこのアトラクションもショーも、大体はそれほど並ばずして楽しむことが出来る。


 また、このためにランディとロンとココとは、「ああいってこう行って、次はこっちへ向かって……」などと、何度も何度も繰り返しシミュレーションしており、イーサンとマリーはミミを連れてそれについて行くだけで良かったといえる。


 ビッグサンダーマウンテン、スプラッシュマウンテン、スペースマウンテンといった三大マウンテンを制覇したのはもちろんのことながら、ファンタジーランドでは「ピーターパン空の旅」や「白雪姫と七人の小人」、「ミッキーのフィルハーマジック」、「ホーンテッドマンション」、「プーさんのハニーハント」などを楽しみ、トゥモローランドでは子供たちそれぞれが特にお気に入りのアトラクションを楽しんだ。


 ロンは「モンスターズインク・ライドアンドゴーシーク」、ココは「スティッチ・エンカウンター」、ランディは「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」で、子供たちが心からの満面の笑みを浮かべているのを見て、イーサンもマリーも彼らの幸せこそが自らの幸福であるように感じたものだった。それに、ひとつひとつのアトラクションへ進むごとに、ミミがどれほど狂喜したことか!


 ミミは今年ディズニーランドへやって来るのが初めてというわけでもないのに、驚きのあまり口をあんぐり開けたままでいたり、喜びに両の瞳を文字通りきらきらと輝かせていたものだった。そして彼女にとっては何より、自分の右の手をイーサンが握り、左手をマリーに繋いでもらってこの夢の国を歩いていく瞬間こそが――何より心から嬉しいことなのだった。


 だが、夢のような時はあっという間に過ぎ去り――ディズニーランドを出て、再びホテルへ戻る時がやって来た。ココは乗り物はなんでもイーサンと一緒に乗りたがったため、その間マリーはずっとミミの相手をしていた。またマリー自身も子供たちにつきあって色々な乗り物に乗ったり、ショーを見たりして楽しんだ。あとになってみると、自分たちが本当に<家族>になったのはこの時の旅行のお陰ではなかったかと、イーサンもマリーも随分あとになってから思い返していたものである。


 これで一番の目的は果たしたという形で、翌日は一路ユトレイシアへ戻る予定だったのだが、ランディがライザンヒルズ森林公園というところを通りかかった時――そこのキャンプ場を見て「キャンプしてから帰りたい」と言い出したのだった。


「ほら、同じクラスのモーガンがさあ、毎年すっごい自慢するんだよ。キャンプもしたことのない奴は男とは呼べないとかなんとか……」


 イーサンはこれと似た話を去年も聞いた覚えがあったが、後部席でマグダがげっそりと弱り果てているのを見て、「駄目だ。もう真っ直ぐ家に帰るぞ」と言った記憶がある。だが、今年はマリーもいるし、一泊するくらいならどうにかなるかという気がした。


 そこで家族内で多数決を取ると、ロンとランディが真っ先に手を挙げたのだが、ココも「べつにどっちでもいいけど」という意見だったため、キャンプ場で一夜を過ごすということになったわけである。


 とはいえ、キャンプのためのなんの用意もしてこなかったため、テントもバーべーキューグリルも何もかも、すべてレンタルしなくてはならなかったため大変だった。また、マリーはオーガニックの虫除けスプレーを子供たちのために念入りに吹きかけていたものである。


 テントのほうは五人用と三人用のものを立て、イーサンとランディとロンは五人用、マリーとココとミミは三人用のテントで寝ることになっていた。備品をすべてレンタルしただけでなく、肉も野菜も森林公園のキャンプ場で売っているものを買ったため高くついたが、イーサン自身はこれはこれで良かったと思ったし、それは他のみんなにしてもそうだった。


 夜、ミミに「ねえ、おねいさん起きて」と体を揺すぶられ、マリーが眠たい目をこすっていると、「トイレしたい」と言うので、マリーは彼女をキャンプ場のトイレまで連れていった。月の明かりが明るく輝いていたし、小径沿いに電燈がついてもいるので、さほど不気味というほどではないにせよ、あたりから聞こえてくるのは虫の音とカエルの鳴き声だけとあっては、子供が心細いのも当然だった。


 ミミはトイレのドアを閉めると、「おねいさん、そこにいてね。そこにいてね」と何度も言い、マリーはマリーで「ずっとここにいるから大丈夫よ」と言ったあと、彼女が心細くないように歌を歌ってあげた。ミミもそのことを喜んで、帰り道では元気にスキップして帰ってきたほどだったが、テントに辿り着くなりまたすぐ寝てしまった。


(果たしてこの子は今日のこと、覚えているかしらねえ)


 そう思いながら、マリーはミミの体をタオルケットで覆ってあげ、ココが微かに寝息を立てながらぐっすり寝ている姿を眺めやる。子供が楽しければそれでいいと思ってついてきた旅行だったが、期せずしてマリーにとってもそれは幸福な体験になった。もう一度こんな幸せな瞬間が、果たして自分の人生にやって来るかしらと思えるほどに……。


 この時、外で人の気配がして、マリーは少しだけ体を起こす。テントに映った影でそれがイーサンだとわかっていたが、彼は人指し指を立てながらテントの扉を軽く持ちあげ、ミミとココの無事な姿を確認すると、そのまま外のパイプチェアに腰掛けたようだった。


「……眠れないんですか?」


「ああ。ランディのいびきがうるさいもんでな」


 うんざりだ、というようにイーサンは眉間のあたりを揉んでいた。確かに、五人用のダークグリーンのテントからは微かにいびきと思しき物音がしているようである。


「その、今回は本当に、ありがとうございました」


 イーサンの隣のもう一組のパイプチェアに腰掛けて、マリーはそう言った。


「わたし、人生でこんなに幸せだったの、初めてでした。だからあなたにあとからでもお礼を言っておこうと思って……」


「ディズニーランドに行ったのが、この世での一番の幸福体験って、あんた一体どんな人生送ってきたんだ?」


 イーサンは笑った。この頃にはもうふたりとも互いに名前で呼びあうようになっており、またホテルやディズニーランドなど、色々な場所で「パパ」、「ママ」と呼ばれることにもすっかり慣れてしまった。だからといってマリーのほうで何か勘違いするということはまるでなく、イーサンもそのことはよくわかっているし、それはマリーにしても同じなのだった。


「あなたが聞いてもたぶん、まるで面白くないような人生だと思います」


 それきりマリーが黙りこむのを見て、イーサンもそれ以上聞こうとは思わなかった。彼にとって重要なのはマリーの過去のことなどでなく、今目の前にいる彼女が自分にとって利用価値が十分にあるというそれだけだったから。


「まあ、なんだな。そう考えるとうちの豚児どもはまったくもって生まれた時から幸福だったといえるか。母親が若くして亡くなり、父親が父親と呼びたくもないようなジジイであったにしても……とりあえず毎日たらふく食べれるものがあって、あんたやマグダがその準備までしてくれるんだからな。実際、俺にはよくわからんよ。こいつらは四人とも、成人に達した時、びっくりするような額の金を受け取れるわけだし、本人たちも自分たちが金持ちらしいとわかってる。俺は時々思うんだが、俺は片親のそんなに金のない家で育ったし、まわりにもそんな連中ばっかりがひしめいてたもんで、大してそのことを不幸とも思わなかった。貧乏なら貧乏で、それなりの楽しみ方や幸福ってものがあるからな。で、その後母親がこいつらのおっかさんと同じように癌になり、先が長くないとわかった時……死んだと聞かされていた父親が実は生きていて、莫大な資産家だったことがわかった。母親のほうではべつに、自分の子にその資産の五分の一でも与えてやってくれと頼んだわけじゃないんだ。ただ、自分はいずれ間違いなく死ぬ。だが息子はまだ十一だ、父親として必要最低限のことはしてやってくれとそう言った。まあ、なんというか……詳しいことはDNA検査のあとだとかなんとか、親父のほうではなんとも逃げ腰でね。俺はこんな奴が父親なのかと思うと情けなかったし、いっそ死んだままでいて欲しかったとさえ思ったが、今じゃなんというか……『親父よ、金をたんまり残してくれてありがとう』という、何かそんな感じだな」


「ケネスさんは、あの人なりにあなたのことも、他の子供たちのことも気にかけていたと思います」


 これは、マリーにしてもいつか言える機会があったら子供たち全員に伝えようと思っていたことだったので、今言える機会が巡ってきて少しほっとしたかもしれない。


「もちろん、御自身でも、自分がいい父親でないということは自覚してらっしゃって、果たして金が愛情の代わりになるだろうかとは、気にしてらっしゃいました」


「なるわけねえだろう」


 イーサンは吐き捨てるように言った。


「俺はな、自分のことはべつにどうでもいいんだ。金よりも愛情が欲しかったとも思っちゃいない。だが、あいつらにはそれが必要だと思えばこそ、俺が『パパ』でおまえが『ママ』みたいな、そんなおかしなことになってるんだろーが!!」


 イーサンは足許の小枝を拾いあげると、それをバッキリ折った。


「それで、何か?あのしょうもない親父は、あんたにユトレイシアのあの屋敷をやって、自分は金しかやれないが、おまえさんが代わりにあの子たちに愛情を注いでやってくれと、そんなことを言い残したってわけなのか!?」


 マリーはしっ!と人差し指を立てた。子供たちが起きると思ったのだ。


「実際には、少し違うと思います。単に、結果的にそうなっているというだけで……ただ、屋敷を相続した場合、あなたが邪魔するかもしれないから、こうするのが一番いいとはおっしゃってました。わたしにはわからないだろうけど、最終的に自分の判断は間違ってないはずだって……」


「まあ、いいさ。なんにしても『結果として』それで今それなりにうまくいってるんだからな。これからのことはまだわからないにしても」


 あらためて頭がくらくらしてきて、イーサンは再びテントに戻って寝ることにした。明日、五時間ばかりも飛ばせば車はユトレイシアに着くだろう。そして二週間後には子供たちも学校の新学期がはじまる。自分も大学の講義とアメフトのシーズンが開幕する……イーサンにはそれで十分だった。ディズニーランドへやって来る前に子供たちの宿題についてはチェックしたし、夏休みをこうして一緒に過ごしたことで家族の仲も深まった。マリー・ルイスのことも信用できる。あとはその時々に応じて問題が起きるごと最大限努力して解決するという以外に、考えることなど何もない。


 マリーを相手に怒りを爆発させてもなんの面白いところもないと学習していたため、イーサンはその夜、それ以上のことは何も考えなかった。いびきをかいているランディのことを横向きにし、寝袋でみの虫状態になっているロンのことを見て微かに笑ったというそれだけだった。


 一方マリーのほうでは、イーサンがあらためてなんだか気の毒だった。四人の子供の親代わりを務めざるをえない彼のことが、ではなく、キャンプ場の水飲み場などで、彼くらいの若者が男女カップルで騒いでいるのを見た時……イーサンも同じくらいの年頃なのに、彼の場合は友達やガールフレンドではなく子供を連れていなければならないというのが、少し可哀想だった。


 もっとも、イーサンもその時マリーに対して大体似たような感慨を持ったというのを彼女は知らない。そしてマリーはこの時、紺碧の空の中に瞬く星々を眺め、ミミの「あーい、あいっ!!」という寝言を合図として、もう一度テントのほうへ戻っていったのだった。




 >>続く。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ