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09 第九番

 夜を嘲笑い続けた子犬が、獅子の母の腕の中、夜の恐怖に声を上げてようやく泣いた。その後、すでに名前が売れていた子犬は、自身初、そして最後と語った楽絵を発表した。それとともに伝えられた世界の話は、すぐに民たちに広まった。


  * * *


 あの波は、ただの偽善や見栄によるものだったかもしれない。騒がれたのは、ほんの初めだけだったから。それでも、気付いてくれた人もいた、目をそむけずにいてくれた人もいた――そう思うのは、楽観的な幻想だろうか。


「フェレットじいちゃん」

「なんですか、ウォルフおじさん」

「ごめん、じいちゃん取り消すから、おじさんは勘弁」

 俺は、教会の礼拝堂に居た一枚上手のフェレットに笑いかけた。俺がフェレットの隣に座ると、今度はフェレットが俺に笑いかけた。

「おかえりなさい。森はどうでしたか」

 俺はさっきまで、自分が二十年前に楽絵を描いた場所に行っていた。俺は天井を仰ぎながら笑った。

「緑が増え始めてるよ。ほんの少しずつだけどな」

「それはよかった」

 俺の楽絵発表から、ガーデンクォーツたちは天然画材の使用を控え、楽絵の買い手も発注数を縮小した。元々芸術肌のガーデンクォーツたちは普通の絵だけでも十分食べていけたし、贅沢をしすぎない質素な暮らしになっただけで、貧困などという生活上の問題も今のところ特に起きていない。ちなみに、音楽家たちは仕事が増えて嬉しがっているようだ。

 森は、本当にわずかずつだが緑が根付き始めていた。植林をしようかと提案する者もいたが、俺は首を横に振った。良かれと思って手を加えて、別の枠内での有難迷惑を提供することは、俺には到底できなかった。部外者にはわからないやり方が、森にもきっとあるから。

 と、突然俺はフェレットに頭を撫でられた。突拍子もないことに、俺は驚いてフェレットを振り返った。

「な、なんだよ」

「やはり、あなたの道にもはたらきがありましたね」

「何の話だよ」

「おや、言っていたでしょう? 『天も馬鹿だな、こんな役立たずを川に流して』」

「お前はなんでまたそーやって一言一句間違えずに……。どんな記憶力してるんだよ」

 俺はうなだれた。片やフェレットは一人楽しそうに笑って、それから言った。

「ヘリオドールたちはどうでした?」

「ああ、元気にしてたよ。ちゃんと森に住んで、本来の生活に戻ってる」

「それもあなたがきっかけですよ」

「……それを言うなら、村から出してくれたお前のおかげだろ。なんであのとき、俺を逃がそうと思ったの」

 すると、フェレットはにっこり笑って言った。

「村の外へ出そうとはずっと思っていたのですが、生計が立てられるか心配でずっと言いだせなかっただけですよ。でも、あなたの担任の先生が絵を売って、それが五万で売れたと聞いたので、これは大丈夫だろうと思いましてね」

「……そうなの?」

 俺がずっと愚行だと思っていた担任の行動が、よもやこんな形で今に繋がっているとは。

「あれこれ考えてた俺が馬鹿みたいじゃん」

「おや、あなたの絵の魅力は、そのあれこれ考えていたところにあると思っていたのですが」

「……お前って本当、良い嫌な奴だよね」

 俺は愛想が尽きたような表情を作りながら、変わらないフェレットが居る神殿を後にした。


 俺は家に帰って筆をとった。今でも描いているのは、命ばかり。特にそのことに理由はない。描きたいと思ってしまうのだから仕方がない。

 ある日、大昔に海と朝日と子犬の絵を買ってくれた楽絵売りの親父さんから手紙が届いた。

『元気にしてるかい? こっちは抜けていく髪の毛以外は絶好調さ。いやあ偉くなっちまったなあ。それに、全く違う絵を描くようになった。俺は昔の絵にも惹かれたが、今のも好きだよ。それから、あんたの絵が大好きな美人の貴婦人が顧客にいるんだが、彼女が言ってたよ。あんたさんの絵は、楽絵じゃないのに音が聞こえるってね。命の音がする、そう言ってたよ』

 俺は目を細めた。素直にうれしかった。でもたぶん、それは俺の手腕じゃない。無理に奏でようとしなくても、命はひとりでに歌い出すものだから。村の中を風が駆け抜けていくとき、市場の端で小さな草が揺れるとき、屋根軒で小鳥がせわしなく羽ばたくとき、道を人々が行き交うとき。そして俺はこれからも、そんな命で溢れたこの世界を流れて行く。命のしぶきを描きながら。

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