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04 第四番

 彼は各地を転々と旅しながら絵を描いた。買い手は必ずついた。買い手は必ず言った。

『これが楽絵だったら』

 彼は必ず曖昧な笑みを浮かべた。

『俺に楽絵は描けませんから』

 彼は決して「俺はガーデンクォーツではありませんから」とは答えない。

 故郷から逃げても、ガーデンクォーツからは逃げきれないまま、彼が故郷を後にして三年が経とうとしていた。


  * * *


 俺は朝の道を歩き、国の奥地へと進んでいた。目指すは広大な森だった。聞けば、国で一番大きな森が残っている場所だという。そして、その森に住み続け、ずっと原始的な暮しをしていた一族をヘリオドールというらしい。だが今は、森が国有地に指定されたことで、彼らは森のすぐそばに居を構えて過ごしているとのことだった。

 自分の足で一歩一歩進んで、俺はついに森に辿り着いた。そこは、緑だった。俺は圧倒されて、目の前を見つめたまま動けなくなった。朝日を一身に受ける葉は大きく腕を伸ばして、互いにじゃれて心地の良い音をたてていた。木の幹はどっしりと太く、ツタとコケに優しく住処を提供していた。あの力強い根には、きっときのこが住んでいる。足元にまどろむ小さな草は、愛らしく揺れていた。森の奥はまた色が違って、神聖な湿った青色をしていた。

 俺はいつの間にか止めていた呼吸を再開した。呑み込まれたというよりも、呑み込まれることを自ら望んだという方が正しかった。そうしてスケッチブックを出そうとした、その瞬間だった。

「何者だ」

 背後から声が聞こえ、今まで気配一つなかったところから、突然人が姿を現した。俺は、槍を持つ男たちに囲まれていた。飾り羽の付いた槍を俺に向けた黄色肌の男たちは、ざっと見て十人。俺はゆっくりと鞄を地面に置いて、両手を上げた。

「すみません、ただの絵描きです」

「絵描き? もしやガーデンクォーツか」

「えっと……」

 俺は言葉に詰まってから、首を振った。

「いえ、天然画材は使いません。意味がないので」

「では、この森の自然が目的ではないのだな」

「はい」

 よく分からないまま俺が頷くと、男たちは槍を下した。

「ご無礼をお許しいただきたい」

「あなた方は?」

 俺が尋ねると、全員が槍を地面に置いて片膝をついた。

「我らはヘリオドールです」

 俺は彼らを見つめた。森に育てられた、無駄のない美しい肉体をしていた。描きたいという衝動的に駆られた。そのためには、まずは彼らを知らなければならない。

「もしよろしければ、お話を少し、うかがってもいいですか」

 すると、ヘリオドールたちは顔を見合わせた。彼らは言葉を交わして相談し、やがて一人が進み出てきて俺に深々と礼をした。

「では、我らの里へおいでください。わたしはヘリオドールの長を務めている者です。我らに興味をお持ちいただいて、感謝を申し上げる、絵師殿」


 彼らが里と呼んだところは、噂で聞いた通り、森のすぐ近くにひっそりと構えられたものだった。だが、建築物といえば大きなかやぶき屋根の建物が四つあるばかりで、個人宅らしい家は見当たらない。俺はヘリオドールの長に問いかけた。

「今、何人の部族なのですか?」

「五十人、くらいでしょうかなあ」

「どうやってお暮しに? 見たところ、家らしきものはありませんが……」

「あの大きな建物に集団で住んでいるのですよ。個人という概念は、もともと我らには存在しません。私が長をしているのも、ただの便宜上のものです」

 俺は思わず黙りこくってしまった。

 俺は大きな家の一つに招き入れられた。ヘリオドールは五十人ほどの部族と言っていたが、周りを見るとそれだけの数がそろっているように見えて、正直怖気づいた。だが、気付いてくれた長が言ってくれた。

「お気になさらず、楽になさってください。我らはできる限り共有を望むものなのです」

 そう言ってから、長は俺に真剣な面持ちを向けた。

「絵師殿。我らはもともと、国中のあらゆる森に住む一族でした」

「ここだけではなくて?」

「はい。そして住処を守るため、森を守ってきました。しかし、最近皆の生活が潤ってきました。余った金銭は娯楽に使われる。そう、楽絵です」

 俺の中に、ある種の予感めいたものが走った。長は続けた。

「楽絵を一枚仕上げるには、相当の絵の具を必要とします。しかし、それは天然の画材でなければなりません。犠牲になるのは自然。森です」

 何かが迫りくるように感じて、俺はそれを抑え込もうと大きく息を吸った。長の言葉が響き、頭ががんがんした。

「世界の民は楽絵を求め、ガーデンクォーツはそれに応えるために大量の自然を刈り取りました。各国は魅力的な経済循環をそこに見出し、各地の森を確保しました。我らは追放。これも一つの流れでしょうか。それでも何やら恐ろしい」

 俺は喉に手をやった。息がしづらかった。

「森の破壊が進むにつれ我らは追いやられ、我らが追いやられるにつれ森は衰えていきました。我らは最後まで豊かさを保ち続けたこの森に集まり、この森だけは住処として何としてでも守っていこうと思っていました。しかし、ここも国有地に指定され、我らは結局住処を失った」

 ヘリオドールは語った。追放されてもなお、ヘリオドールは住処を取り戻す試みを続けたと。今日の俺にしたように、森の自然は人々のものであると同時に彼らの家でもあることを訴え続けた。逮捕者も何人か出たそうだ。それでも彼らはやめていない。

 ヘリオドールの誰かが声に熱を帯びさせて叫んだ。

「ガーデンクォーツは、天然の画材を歌わせることができる種族なんかじゃない。大地の命を歌わせることができる種族なんだ! 命の美しさを音で表すことができる種族だったのに、なぜその一族が命の偏重に加担する!」

 俺は胃の辺りに気持ち悪さを感じて、思わず口元に手をやった。露わになる現実がそうさせた。いや、その言い方にすら語弊がある。現実が露わになったのではなく、初めからそこにあった現実を、今まで見ていなかっただけだ。村の人たちが使っていたのは、自然の画材であるのは知っていた。でも、分かっていなかった。当たり前のことだと思っていた。

 部族長は俺に向き直った。切ない表情をしていた。

「絵師殿、ぜひ自然を描いて頂きたい。そして、ガーデンクォーツたちに代わり、自然と命の美しさをその絵で説いて頂きたい。世界は調和で成り立っている。それを人の都合だけで崩すことは、ほかの何よりも人のためにならぬ」

 俺はもう、黙っていられなかった。これ以上自分の罪を押し隠すことは、なお重い罪だと思った。

「俺は、ガーデンクォーツです」

「なんと! しかし先ほど……」

「俺は、できそこないです。天然の画材を使っても、画材を歌わせることはできません。だけど、ガーデンクォーツの中で育ってきたことは確かなんです」

 三年も旅をして、絵を描いて、それでも今まで気づかなかった。緑を使ったところなんて、故意に植えられた街路樹や公園の木々くらいだったじゃないか。街は石とコンクリートで覆われていた。ガーデンクォーツの中にいたのでは、こんな些細なことにさえ、きっと最後まで気付けなかった。フェレットの言葉が、ふいに頭をかすめた。

『あなたが流れて行く道にも、必ずはたらきがあります』

 それがもし、本当なら。

 俺は部族長に向かって手をつき、頭を下げた。

「お願いします、俺に森を描かせて下さい」

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