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01 第一番

 コバルトブルーの海のすぐそばに、ガーデンクォーツたちは住んでいた。純白の家々、敷き詰められた赤いレンガ、何もかもが美しいように見える、小さな村。そんな村の学校の、朝の小さな教室で、その少年は腹を抱えてうずくまっていた。彼の学友たちが彼を中心にして輪を描いている。

「おい、見ろよ、できそこないが来てやんの。おはよう、ウォルフ。お前さあ、なんで学校なんかにいんの」

 彼は唇を噛んだが、反論の言葉は彼の口から出てこなかった。

 ガーデンクォーツは二百人ほどの部族だ。起源は謎とされるほどその歴史は古い。その長い時の中で、一族の者は皆例外なく、植物を原料とする天然画材に音楽を奏でさせることができた。人々はガーデンクォーツが描いた絵画のことを楽絵と呼び、重宝した。普段は被せてあるビロードの布を取り払うことで、一流の絵画と、それと調和した音楽があふれ出る高級嗜好品。それを生み出す類稀なる能力は、一族の誇りだった。その枠からはみ出た初めての例外が彼だった。

「ほら、なんか言えよ、つまんねぇだろ」

 学友の一人が彼のみぞおちを蹴った。彼はむせ返ったが、何も言わなかった。

 産まれたばかりの子どもでも、天然画材で一本でも線を引いたなら、その線は何かしらの音を発する。しかし彼は、どんな最高級品を使っても絵の具を歌わせることはできなかった。大人たちは気味悪がり、彼を噂の種にした。子どもたちは彼をこけにし、鬱憤を晴らす道具にした。

 学友が彼の前髪を掴んで笑った。

「ああ、そういえば、先生が褒めてたぜ。お前の水彩画が五万で売れたってさあ」

 彼の担任は彼の画力をほめ、それに価値があるのだと示そうとしていた。それが子どもの社会において贔屓でしかないことに、彼の担任はまだ気付いていない。花瓶の水がぶちまけられて、彼のシャツが濡れた。彼に白墨の粉が掛けられた。彼は咳き込んだ。学友が軽い笑い声を立てた。彼の鞄がナイフで刻まれた。彼のスケッチブックがごみ箱に捨てられた。

 教師が来る時間になると、学友たちは席に着いた。彼は起き上がれなかった。担任の教師が教室に入ってきた。教師と彼の目があった。教師は視線を泳がせた。教師はいつも通りに点呼し始めた。教師は、彼に優しくすることが村の狭い大人の社会において何を意味するかを知っていた。彼の拳が握られ、彼の体が起き上がった。

「ウォルフ」

 教師の出席確認には答えず、歯を食いしばり、彼は教室を駆け出て行った。


  * * *


 痛かった。逃げたはいいが、行くあてもなかった。とにかく学校から出て、俺は走った。靴跡がついたシャツをずぶぬれにしたまま、白墨の粉にまみれたまま、みじめなぼろ雑巾のまま。擦れ違うガーデンクォーツの大人たちは、こそこそと何かを言い合いながら眉根を寄せていた。

 視界がにじんだ。泣いているのだとやっと気付いた。全てをどこかに放り投げたかった。俺は手近にあった太い樹の幹に、右拳と額を叩きつけた。考えたってどうにもならないばかみたいな問いが、頭の中で渦を成した。

 両親とも生粋のガーデンクォーツなのに、なぜ絵の具を歌わせられない。いかに絵を上手く描き、絵の具を上手く歌わせるか学ぶ学校に、なぜ行かなければならない。絵の具を歌わせられないだけで、なぜこんな仕打ちをうけなければならない。俺はなぜここにいなければならない。

「ウォルフ、いけない、やめなさい。手が砕けてしまう」

 そう言って止めに来たのは、神官のフェレットだった。俺は咄嗟に振り向いて、二、三歩後ずさった。

「なっ、なんでこんなところに居るんだよ! まだ祈祷の時間だろ!」

「怠けて外を見ていたらあなたが学校を飛び出してくるのが見えたので、つい」

 ほえほえと笑って言って、フェレットが俺に歩み寄ろうとする。それを感じ取るや否や、俺は叫んでいた。

「くっ、来るな!」

「おや、なぜ?」

「何回言やわかるんだよ! 俺のせいでお前が変人扱いされてるところを、もう見たくないって言ってるだろ!」

 フェレットは、俺に普通に接する数少ない大人のうちの一人だった。いい人なのだ。だからこそ、「俺のせいで」というところに、俺自身が耐えられない。でも、俺がそんなことを言ったって、フェレットはやはりほえほえ顔を崩さない。

「初めから変人扱いされてますからねえ、あなたのせいではないのですが」

「でも、また当たっちまう。今、虫の居所が悪すぎるから」

「まったく。あなたこそ、何度言えばわかってくれるのですか。わたしにしか八つ当たりできないあなたが、わたしに当たることを止めたらだめだといつも言っているでしょう。おいで」

 差し伸べられた大きな手に、抗えるわけもなかった。

 フェレットは俺を神殿の礼拝堂に招き入れた。そして、すでに擦り切れていた俺の右手を見ると、手当てをしようと手を伸ばしてきた。俺はすぐに右手を引いた。

「俺に取り入ったって、何の得もないぞ」

 なんて冷たい言葉だ。フェレットは取り入ろうなんてこれっぽっちも思ってないのに。

 でも、フェレットは俺の言葉を聞いてもなんら変わりない顔で俺の右手をさすってきた。

「学校の中で一番の、いや、村中でも十本の指に入る絵を描く右手だ、大切になさい」

「絵だけうまくても――」

 俺は言葉を続けるのが虚しすぎて、やめた。なぜ、と疑問を抱き続けながら、俺は今年で十三歳になった。答えはどこにも転がっていなかった。

「ウォルフ、あなたも大河の一滴、流れていく当事者です」

「天も馬鹿だな、こんな役立たずを川に流して」

「あなたが流れて行く道にも、必ずはたらきがあります」

「人智を超えたそんな綺麗ごとを悟らしてくれるのが天っていうのか。さっさと淀みの沼で窒息させてくれたほうがましだ」

 俺は叫んで、勢いに任せて立ちあがった。フェレットの顔が哀愁さを増した。俺は対抗するために嘲笑を深めてみせた。何かが軋む音がして、俺は天の神とやらに悪態をついてやった。

 俺がいなければ、フェレットも気持ちを踏みにじられることなんかなかったんだ。全部あんたのせいだからな、神サマ。俺なんかを創ったあんたのせいだよ。

 なんで本当に、俺なんか創ったんだよ。

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