対面
翌日の学校帰り、まどかはある場所に寄っていた。
窓際の席で、目の前に鎮座しているのは、ドーナツと、それから葉子だった。
「じゃあ、時田君の話って、お姉さんに会うことだったんだ」
誘ってくれたのは葉子で、まどかは友達と来るのは初めてだった。
「……うん」
ゆっくりと頷くと、葉子はドーナツに手をのばす。頼んだのは粉砂糖のかかったもので、飲み物はアイスティーだった。
「そういえば時田君、お姉さんと二人だった気がする」
まどかはメロンソーダをすすった。
「本人に、直接聞いたわけじゃないんだけどね」
両親は亡くなっているらしい。
そのあたりは、まどかもよく知らなかった。
「私、中学が一緒だったんだよね」
その頃からモテる人だったけど、と、葉子は付け足しながら笑う。
「お姉さん、すごくきれいな人だよ」
一度だけ、見る機会があったらしい。
「そうなんだ」
でもきっと、宇佐神さまのほうがきれいなんだろうな、とまどかはぼんやり思う。
「けど……」
葉子が手を止めて、やや顔をしかめながら言う。
「ねえ、まどか。時田君って実は、まどかのこと好きなんじゃないの?」
持っていたドーナツを落としそうになった。
「――へ?」
目を見開いて、呆けたような声を出す。
「だって、お姉さんに紹介するって、けっこう本気なんじゃないかなって」
葉子の言葉を、そのままくり返した。
「――ないない。それはない」
まるで、言い聞かせているかのようだった。
「お姉さんに、あんまり心配かけたくないって言ってたし。それに今回きりだって話だし」
嘘ではないと思いたい。
「でもそれだったら、いないって言ったって良かったわけでしょ」
確かに、葉子の言うとおりだ。
別に彼女がいる、そして紹介するという手段を取らなくてもいい。
時田があまりに必死に頼むものだから、まどかはあまり深く考えることなく、了承したけれど。
「まどかはどう思ってるの?」
葉子に尋ねられて、我に返る。
「え、あたし、は……」
なんて答えたらいいのか、わからなかった。
「他に好きな人がいる、とか?」
その言葉に、まどかは目を見開く。
「え、そうなの? ホントに?」
「あ、いや……そういうわけじゃなくて」
なんて答えたらいいのか、やっぱりわからなかった。葉子はそんなまどかの様子を見て、
「あ、いいよ、いいよ。私のほうこそ変なこと聞いてごめんね」
そのまま、ジュースを飲みながら話をして、そろそろ帰ろうということになった。
葉子と別れてから、まどかは少し考える。
先ほどの話だ。
時田のこと、そして、慕っている相手のこと。
頭の中をめぐらせていると、だんだんぐるぐるとしてきた。
ふらりとした、その時だ。
――いいにおいがした。
ほんの一瞬だ。
同時に、だれかと肩がぶつかる。
「あ、ごめんなさ――」
まどかは言いかけて、口をつぐんだ。
その女性はずいぶん、青白い顔をしていたからだ。
「だ、大丈夫ですか?」
謝るどころか、逆に声をかけてしまった。
その女性は、軽く頷くだけだ。
いや、それが精一杯といった様子だった。
今にも倒れそうで、汗をたくさんかいている。
こういう時、どうしたらいいんだろう。
彼方だったら?
宇佐神だったら?
いや、正直あまり参考にならない。
そうだーー葉子だったら?
「――どこか座れる場所に移動しましょう」
ひとまずまどかは促し、その女性を抱えるようにして、日陰のベンチへ向かう。
「ちょっと、飲みもの買ってきます」
近くにあった自販機でお茶と水を購入し、相手に渡した。
水のキャップをゆるめ、口に含むと、少しだが、顔色がよくなった気がした。
「……少し休めば、平気だから」
やや高めの声で、女性は言った。
きれいな人だった。
色白で、色素の薄い髪。同じくやや茶色の瞳は、ぱっちりとしている。
美しく、どこか品のある印象だった。
「ありがとう。優しいわね」
さらに飲み物を口に含むと、身体が楽になったのか、小さく笑った。
つられて、まどかもほっとしたように笑う。
「あら? その制服」
女性は気がついたように、まどかを見た。
「弟と同じ学校だわ。何年生?」
「一年……です」
そう答えた時点で、なんとなく、胸騒ぎがした。月兎の勘か、それとも杞憂か。
「同じだわ。ねえ、何組?」
女性がそう口にしたとたん、
「――姉さん」
知っている声が、背中のほうから聞こえた。
そう、とてもよく知っている。
そして今日も、顔を合わせている。
「あ、ケイちゃん」
女性が手をあげて、声をあげる。
まどかはすかさずふり返った。
案の定、そこには時田がいた。
めずらしく、息を切らして立っていた。
カップの中には、紅茶が入っていた。
琥珀色の液体が、ゆらゆらと揺れている。
まどかはそれに、ゆっくりと口をつけた。
香りが鼻をつき、身体の中へ流れていく。
なんだか不思議な感覚だった。
「これもどうぞ」
差し出されたのは、クッキーだった。まるいもの、細いものと、いろいろ形がある。
あかい缶で、真ん中を囲むようにして入っていた。
なんだろう。
何かを思い出しかける。
けれど、わからなかった。
「イギリスのおみやげ。たくさん買って来たから、ぜひ持って帰って」
まどかがやや俯いていると、彼女はさらに続ける。
「でも、驚いたわ。まさかケイちゃんの彼女だったなんて」
まどかは一瞬、吹き出しそうになった。
間違ってはいない。
ここは時田の家で、目の前にすわるその人は、彼の姉だったのだ。
「しかも、こんなにかわいいお嬢さんで」
ふふふ、と、時田の姉――早紀子は笑う。
「まあ、確かに見目は悪くないかと」
となりにすわる時田が、同じようにカップを持つ。まどかはなんだか緊張してしまって、カップを置く手が震えてしまう。
「あ、そうだ。他にもいろいろ買ってきたの。ちょっと待ってて」
早紀子は立ちあがって、席を外す。
まどかはその後ろ姿を、ぼんやりとながめる。
「おい、大丈夫か?」
二人きりになったとたん、時田がこちらを伺った。
手をなんとか落ちつけて、まどかは口を開く。
「それはこっちのセリフ。心の準備をするヒマもなく連れてこられて、もう限界なんだけど」
目を細めて、時田を見た。
「落ちつけ。おれだって同じこと思ってるわ」
わざとらしく手をかざす。その様子が、なんだかよけいに腹立たしかった。
「あんたは自分の家でしょ」
「いや、まあ、そうだけど」
言い合いをしていると、奥の部屋から声する。
「まどかちゃん、もう少しかかるから、ケイちゃんとちょっとおしゃべりして待っててね」
ふんわりとした早紀子の口調に、二人は顔を見合わせた。
「――とにかく、あたし今急に彼女のフリって言われても、何したらいいかわかんないし」
話せば何かしら、ボロが出そうだし。
おかげで先ほどから、紅茶の味どころかお菓子の味もわからない。
「別に何もしなくていいから。いつもどおりにしとけ」
「だって、だってだって一応彼女でしょ。何かしらやっぱりしないと――」
まどかが言いかけると、時田はまどかの頬に手をのばす。そのまま指でつねられて、まどかはまばたきをくり返した。
「ちょ、何する――」
「――いいから。普段どおりでいいって言ってるんだよ」
それから急に笑い始める。
「つーかおまえ、ひでえ顔」
言われて、まどかは我に返る。
「だれのせいよ」
「おーよくのびるなあ」
ふにふにと引っぱられて、抗議のまなざしを送る。するとようやく早紀子が出てきた。
「ふたりとも、仲がいいのね」
小さな箱を持ってやってくる。
時田はあわてて、まどかから手を離した。
まどかもなんだか恥ずかしくなって、俯く。
その様子を、早紀子はうれしそうに眺めていた。
「じゃあ結局、でーと用の服も髪も必要なくなったのかい?」
早紀子からもらったお菓子を食べながら、宇佐神が尋ねる。
新しいものを缶ごと、そのままそっくりくれたのだ。
「はい。今日で用は済んだので、いいかな、という話になりました」
帰り道で、時田とそう決めた。
早紀子のほうも忙しいので、次の出発までにあまり時間が取れないそうだ。
「せっかくかわいいの、買っておいてやったのに」
襖を開けて、彼方が入ってくる。もらった紅茶を入れてくれたものの、盆にのっているのは湯飲みと急須だ。
「彼のお姉さんは、どんな人だった?」
宇佐神が湯飲みを持ちながら訊いた。イギリスの焼き菓子も、どうやら気にいったようだ。
「……すごく優しくて、いいにおいがしました」
まどかは俯きながら答える。
ふと、お菓子がならんだ缶を見つめる。
あの時、思い出せなかったこと。
なんとなく、この場に似ているのだ。
ひとつのものを、取り囲むという姿が。
「それにしては、浮かない顔だね」
「……なんだか嘘をついているのが、申し訳なくなって」
自分のことを、とてもとてもかわいがってくれた。
だからこそ、「フリ」ということに対して、罪悪感を抱いたのだ。
「なるほど、ね」
「それは最初に決めたことだから、仕方ないんじゃないか」
頷く宇佐神のとなりで、彼方が焼き菓子を頬ばる。どうやら彼も気に入ったらしい。
まどかは肩をすくめると、
「だったらいっそ本当に、彼とつきあってみるというのはどうだろう」
思いついたように、宇佐神は言った。
「は?」
「……宇佐神さま、何を言い出すんです?」
二人から抗議されても、宇佐神は怯むことなく、続けた。
「まどかは彼のことが、嫌いなのかい?」
優しい瞳で、問われる。
そうするともう、ごまかすことができない。
「……ええっと」
提案を持ちかけられる前までは、正直いって苦手だった。イライラすることが多かったし、なんとなく気にいらなかった。
でも、今はどうだろう。
「……たぶん、嫌いではない、です」
自分のことを気にかけてくれたり、早紀子のことを、とても大事にしていたり。
知れば知るほど、良いところを見つけている気がする。
「だったら選択肢の一つに入れておいてもいいんじゃないかな」
宇佐神の声は、優しいままだった。
「でも宇佐神さま、あたしは月兎です」
人間ではない。
だから、というわけではないが、現実的に考えるとしたら、やっぱり難しいだろう。
「それにそういうのは、やっぱり好いた相手がいいと思うし、仮にもし、あたしが時田を慕っていたとしても、彼の気持ちがなければ、成立しません」
まどかの言葉に、宇佐神はまばたきをくり返す。
「どうかしましたか?」
「いや、いろいろ問題を出してきたなあ、と思って」
宇佐神はまどかを見て笑う。
「まるで人間みたいだね」
その言葉に、今度はまどかがまばたきをくり返した。