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理由



「なにやってんの?」

 目の前に現れたのは、時田だった。

 いきなりだったので、まどかは思わずまばたきをくり返す。

「……そっちこそ」

 まどかはちょうど、校舎裏にいた。

 洗面所で気持ちを落ちつかせた後、なんとなく足が向いたのだ。

 腰かけて、ぼんやりと空を見ていた。

 時田と目が合ったものの、すぐに逸らす。

 俯いた、といったほうがいいかもしれない。

「……別に」

 そのまま、立ち去るだろうと思っていた。

 けれど時田は、まどかの隣に同じように腰かける。

 ふわりと、花のような香りがした。

 まどかは足を抱えて、すわりなおす。

「……そういや、ここだったな」

 時田が顔をあげた。

 木漏れ日が落ちてきて、きらきらと輝いている。

 まどかには一瞬、何の話かわからなかった。

 首をかしげると、

「おまえが降ってきたところ」

 時田は半分あきれて、けれどすぐにやりと笑う。

 そういえばそうだった、と、まどかは思い出す。

 転校初日のことだった。

 お気に入りのリボンが飛ばされてしまったので、追いかけてきたのだ。

 引っかかったのは、ちょうど今、目の前にある木の枝。

 まどかは迷うことなく、よじ登った。

 リボンをつかまえて、そのまま飛ぶように降りた。

 自分にとっては、なんてことない行為だった。

 下に時田がいなければ――。

「……人が降ってきたのはさすがに初めてだったから、おれも驚いたわ」

 時田が目を細めながら言った。

「イヤミ?」

「そんなんじゃねえけど」

 時田は頭の後ろで手を組む。寄りかかる姿勢は、いつものことだ。

「……なあ、おまえって」

 時田が言いかけた時、まどかはあることを思い出す。

「――あれ、ありがとね」

 お礼がまだだったことに、気がついたのだ。

「ん、なに?」

「くるみゆべし。おかげでまあ、助かったっていうか……」

 もしかしたら、関係なかったかもしれないけど。

「そりゃよかった」

 そう言ったとたん、ふと目が合った。

 時田の瞳に、自分が映っているのがわかる。

 それがとても、ふしぎなことのように感じた。

 なんとなく居心地が悪いような気がして、まどかのほうから目を逸らす。

「そっちは? 何言いかけたの?」

 ごまかすようにまどかは尋ねた。

「いや、ただなんていうか、佐々木に言われて」

「佐々木さん?」

 葉子のことだ。

 昨日、あれから3人で話しあった。

 そしてこの後、実行に移すのだ。

「おまえのこと、話しやすいヤツだって」

「ふうん」

「なんかあったのか?」

「……別に」

 これから、あるかもしれない。

 けれどそれは、時田に話せるわけじゃない。というよりも、話す必要がない。

「ま、いいけど」

 それ以上、彼も訊かなかった。

 身体を起こすと、

「なんかおれにできることがあったら、言えよ」

 軽く、まどかの頭に手をのせる。

 それから、去っていった。

 一人になると、まどかはふと、自分の頭に手をのせる。

 ぬくもりが、まだ残っている気がした。

 なぜだか、わからない。

 一瞬だけ、胸が苦しくなる。

 なんだかとても、泣きたくなった。


 葉子は今日も、公園にいた。

 昨日と同じく、ベンチに腰かけている。

 宇佐神、彼方とともに、まどかは彼女の様子を見ていた。

「そろそろかな」

 神の勘か、それとも腹時計か。

 しばらくすると本当に、たいやき屋が来た。

 あまいにおいがする。

 自然と足が向きそうになるのを、まどかは一瞬ためらった。

 なぜ、そうなったのか。

 これは、なんの反応なのか。

 緊張がほどいたのは、背中にふれた、宇佐神の手だった。

「行っておいで」

 促されて、まどかはゆっくり頷いた。

 ベンチのそばまで行くと、気がついたのは、葉子のほうだった。

「今日も来たのね」

 尋ねられて、まどかは頷く。隣へ腰かけると、一瞬だけ、たいやき屋のほうを見た。

「うん。ちょっと」

「もしかして、たいやき?」

 どうやら気づかれていたらしい。

「うん、それもあるんだけど」

 買って来るようにと、もともと二人には言われていた。

 でも、それだけじゃない。

 そもそも、本来の目的はそれじゃない。

「もう少し、話がしたくて」

 その言葉に、葉子が目を見開く。それから、小さく笑った。

「私もね、そうだった」

 まどかの手のひらが、熱い気がした。それは徐々にゆびさきへと移動していく。

「私もね、そうだった」

 葉子は照れくさそうに口にする。

「学校では、やっぱり話しかけられなくて」

 それはまどかも同じだ。

「あ、でも時田君とはちょっとだけ、林原さんのことで話したかも」

 聞いた、とは言わなかった。

 まどかは軽く笑みを返す。それから、意を決したように口を開いた。

「――あの、えっと……」

 いざとなると、何をどう、伝えたらいいのかわからない。

「ん? なに?」

 優しく問われれば、よけいに身体が固くなる。

 頭の中がぐるぐるしてきた。

 けれど一息つき、なんとか自分を落ちつかせる。

「あ、その……告白、しないの?」

 結局、こんな尋ね方になってしまった。

「え……」

 葉子がもう一度、目を見開く。

 まどかは思わず口に手をあてた。

 直球すぎただろうか。

 失敗――してしまったかもしれない。

 そんなふうに考え、俯いていると、

「ふふ」

 葉子は苦笑した。

「そっか。バレてた? っていうか、バレバレだよね」

 それに関しては、まどかは答えない。というよりも、そんなに気にならなかった。

「……告白、か」

 ぽつり、葉子がつぶやく。

 とたんにまどかは、自分の手を強く強くにぎる。

 宇佐神からもらった、小さな力。

 今度はまどかが、繋がなければならない。

「好きになったら、告白。それが普通――なんだよね」

 胸の奥が、痛くなる。

 言えないと言わないは違う。

 彼女の場合は、どちらだろう。

 そして、自分の場合は?

「手、だして」

 気がつけば、まどかはそう口にしていた。

 葉子は一瞬、とまどうような顔をしたものの、そっと片手をさしだす。

 まどかはその手を、握った。

 宇佐神のぬくもりが、わずかに残っている気がする。


 ――これは?


 まどかは昨日、宇佐神に訊いた。すると彼は言ったのだ。


 ――私の神力だよ


 とはいっても、神は手助けというものをほとんどしない。

 できることがあるとすれば、気づくきっかけを与えるくらいだ。


 ――好きに使うといい


「……おまじない」

 葉子がじっと、自身の手を見つめる。

「なんの?」

 訊かれて、まどかは考える。

 告白が、うまくいくように?

 彼女が彼と、つきあえるように?

 でも、それはなんだか違う気がした。

「なんだろう……」

 結局、そんなふうに答えてしまう。

 もとは宇佐神の力だ。

 でもどう作用するかは、まどかにもわからない。

 結局、なんの意味もないかもしれない。

 まどかがわずかに、肩をすくめると葉子が笑った。

「変なの……林原さんって、やっぱりおもしろいなあ」

「そう?」

「うん。おかげで、ちょっと元気になった。ありがと」

 葉子が先に、ベンチから立ちあがる。

「ね、買いに行かない?」

 たいやき屋を指さしながら言った。


 きょうは、いちごくりーむにした。

 葉子はうぐいすあんだ。

 ほかほかと温かい空気が流れこんでくる。

「今日もありがとう」

 店主はいつもどおり、といった感じで、二人に笑顔を向ける。

 そう、いつもどおりのはずだった。

 けれどすぐに目を伏せて、

「実はこの公園に来るの、今日が最後になりそうで」

 いろいろと事情があり、明日から別の場所をまわるという。

「そうなんですか……」

 葉子は一度目を見開き、同じように目を伏せた。

 まどかはその様子を見て、胸のあたりで手をにぎった。

 どれくらい、そうしていたのか。

「はい、どうぞ」

 店主の声で我に返る。

 最初にまどかが受け取り、次に葉子が受け取る。

 一瞬――店主と葉子の手が触れる。

 重なった、と言ったほうがいいかもしれない。

 その瞬間を、まどかはしかと見ていた。

「――あの」

 口を開いたのは、葉子のほうだった。

 店主はやや首をかしげて、葉子にまなざしを送る。

「あ、あの……いつもおいしいです。たいやき。私、とても好きです」

 触れていたのは、お互いの左手だった。

 店主の薬指には、銀の指輪がはめられている。

 今日だけ――のようにも見えた。

「こちらこそ、いつもーーありがとうございます」

 店主は、笑った。

 つられて、葉子も笑う。

 世界が、ふたりだけになった瞬間だった。

 まどかはその様子を、ただぼんやりと眺めていた。

 それしかできなかった。


「――ただいま」

 玄関先で、まどかは声をあげた。それからあわてて靴を脱ぎ、居間へ入る。

「はあ、はあ、はあ」

 一気に走ってきたので、さすがに息が切れる。それもそのはず、耳としっぽが出ていたからだ。

「おかえり」

 彼方も、それから宇佐神も、ゆったりとくつろいでいた。

「ちょ、宇佐神さま」

 抗議したい気持ちを、まどかはなんとかこらえる。彼の機嫌を損ねれば、人の姿になれない可能性が高いからだ。

「これ、どういうことですか?」

 だからこそ、あくまで冷静にーーけれど息を切らしながら尋ねた。

「おや、これはこれは」

 宇佐神は首を傾げながら、やや考える。

 それからそっと、まどかの手に触れた。

 自身は気が気じゃなかったものの、されるがままになっている。

 しばらくして、宇佐神と目が合った。

「ふむ、まどか。やはりおまえの身体は、恋心に反応するようだね」

「――え?」

 宇佐神の言葉に、まどかはまばたきをくり返す。

「前々から、不思議ではなかったかい?」

 鼻は、すでに赤いだろうか。

 ふと浮かんだのは、葉子の顔だった。

「変身する力はじゅうぶんあるはずなのに、なぜ元の姿に戻るのか」

 今度はまどかが考える。

 うすうすは、感じてはいた。

 けれど今回は、焦りのほうが大きい。

 変身がとける速さが、いつもと段違いだからだ。

 そしてとけたら、宇佐神の力なしでは、元に戻れる気がしない。

「……社から、離れているからじゃないんですか?」

 彼方とまどかでは、月兎になった年月がちがう。

 それは自分がまだ、月兎として未熟だから。

 まどかはずっとそう思っていた。

「まあ、それもあるだろうけど。どうやらこれは、まどかならではの性質というか、特質のようだ」

「あたしの?」

 声が、裏返りそうになった。

「そうだよ、まどか。おまえの身体は、そもそも人の恋心に反応しやすい。覚えはないかい?」

 言われて、まどかはふり返ってみる。

 今思えば、変身がとけそうになるのは、そういった時ばかりだった気がした。

「だがそれが、返って私の力をよりなじみやすくしてくれる」

 宇佐神は満足そうに頷いた。

 そのとなりで、彼方は息をつく。

「宇佐神さまの力は、生身の人間にとっては、少し強すぎますからね」

 神社にいたころは、社自体が神と人との媒介となっていた。

 けれど、今は違う。

 ここは人間の世界だ。

「ここで私の力をうまく作用させるには、まどか、おまえの力が必要だというわけだ」

 神の力を届けることはできても、人になじみやすくするーーそこまでのことはできない。

「まどかはもともと人間だから、ちょうどよく橋渡ししてくれるってわけか」

 そのかわり、反動で月兎に戻ってしまう。

「そばにいる人間との相性もあるだろうけど」

 彼方の言葉に、まどかは自分の手を見る。

 すでに半分以上、うさぎに戻ってしまっている白い手。

「……でも、あたし」

 まどかはぼんやりとしたまま、言葉をつむぐ。

「あたし、何もできませんでした。だって彼女の恋はーー叶ったわけじゃないですから」

 葉子は、何も言わなかった。


 すき。


 その一言が、言える相手ではなかったからだ。

 それは恋結びとは言えないのではないか。

 まどか自身は、そう考えていた。

「――まどか、恋が叶うというのは、どういうことだと思う?」

 尋ねられ、まどかは一度だけ、宇佐神の顔を見る。

「――お互いに、お互いを好きになること」

 少なくとも、まどかはそう思っている。

 人間だったから、というわけではない。

 今の自分が、そう感じているからだ。

「そうだね。間違いではない。けれどそれは、一つの形にすぎない」

 宇佐神の言葉に、まどかは首をかしげる。

 宇佐神は軽く、まどかの額にふれた。

 するとすぐに、耳としっぽ、手のひらに変化が表れる。

「私は人の数だけ、もしくはそれ以上に、正解が存在すると思っているよ」

 だから、と、宇佐神は続けた。

「おまえもおまえだけの正解を、まどかだけの恋を見つけてごらん」

 額が、熱い。

 まどかはそこに手をやる。

 これは、違うのだろうか。

 自分だけの正解ではないのだろうか。

 宇佐神を見ても、彼は微笑んだままだ。

 彼方は肩肘をついて、外に目をやる。

 視線をやれば、もうすぐ日が暮れそうだった。

 まどかはあかく染まっていく光を見ながら、もう一度、葉子の顔を思い出す。

 かわいかった、と思う。

 まるで、花のように。

 そして花以上に、美しいと感じていた。


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