対話
――3つ全部食べたら、怒られるかな。
袋をのぞきながら、まどかは考える。
気がつけば一つ、すでに食べ終わっていた。
ちょこから始まって、次はくりーむへ手をのばす。
「林原さん、転校してきたばっかりでしょう。なのに物怖じしないし、男子からも人気あるし、いつもすごいなって思ってたの」
佐々木葉子は、笑みを交えながら口にする。
ときどき視線が、たいやき屋のほうを向くのがわかった。
「別に、すごくはないんだけど」
男子生徒が寄ってくるのは、この外見のせいだ。つまり、宇佐神の使いであることが関係している。
それが良いかと言われると、やはり首をかしげてしまう。
「でもこの間も、時田君とのことで、クラスの女子に連れていかれちゃったじゃない。けどなんていうか、そういうの、全然気にする感じもないし」
あれ以来、クラスの女子たちから、直接何か言われることはなくなった。
けれど何もされないかといえば、そういうわけでもなく。
それはどうやら、周りにも伝わっているようだ。
「……いいなあ」
葉子の声が、だんだん小さくなっていく。
そうなると逆に、まどかは葉子の声に耳を傾けるようになった。
「……いいなあ」
葉子はもう一度、ぽつりとつぶやいた。
それをまどかは聞きのがさなかった。
「何が?」
尋ねると、葉子はあわてたように首をふる。
「え、あ、その……」
とまどいつつも、まどかが静かに待っていると、ゆっくり、そして丁寧に言葉にしていく。
「時田君、というよりは、すきな相手とつきあえること……っていうか」
「……すきな相手」
まどかはその言葉だけ、くり返す。
そう言われてしまうと、なんとなく複雑な気分になる。
「そう、すきなひと」
彼女はつぶやいただけだったのだろう。
けれどまどかには、やっぱりはっきり、そしてくっきりと残る。
ふと、彼女の視線を追った。
言わなくてもわかる。
彼女は、彼のことがすきなのだ。
たいやきを焼いている、彼のことが。
今、手にしているこれを、作った人のことが。
じっと、たいやきを見つめる。
胸のあたりがもやっとした。
そのままにして、再びたいやきを食べ始めた。
公園を出ると、いつのまにか二人が立っていた。手に持っているのは、たいやきだ。
しかも、二袋。
まどかが食べた倍の量だった。
「なかなかだね、これは」
「そうですね。美味いです」
もごもごと口を動かしては、頷いている。
うれしそうであるものの、まどかはそれを見て、息をついた。
「ふたりとも……」
確かに、あのたいやきはおいしかった。まどかですら、もう一つ二つ、食べられそうなくらいだ。
けれど気持ちは、なんとなくそこから離れてしまっている。
ずっとあることが、気にかかっている。
「それで、どうだった?」
宇佐神がそっと、ささやくように尋ねる。
その声はすべてわかっているようで、けれど何も考えていないようにも思える。
「何が、ですか?」
まどかはたじろぐようにして、聞き返した。
胸の中の感覚を、彼だったら、どう言葉にするだろう。
疑問は、すぐに答えとなって返ってきた。
「彼女、恋をしていただろう」
――恋。
あれが、恋。
まどかは胸に手をおいて、じっと宇佐神を見る。
「……宇佐神さま、あたし、は」
今度は自分が、言葉にする番だ。
わかっているのに、うまく声が出ない。
「私はね、まどか」
宇佐神の声は、変わらず穏やかだった。
「社を出て、人と人との間に生まれる恋心に、興味がある。はっきり言うと、それが知りたい」
「恋心、ですか?」
それが目的――なんだろうか。
まどかは首をかしげる。
「そうだよ。そしてそれを、結んでみたい」
なぜ、そんなことを?
尋ねる代わりに、声をあげたのは彼方だった。
「何を仰いますか」
空になった袋を、ちょうど丸めたところだった。
彼方はさらに、腕を組みながら言った。
「そもそもうちの社は――あなたは、恋愛――縁結びの神様として祀られていますよね?」
その通りだった。
そんなに大きくはないが、それなりに古く歴史ある神社だ。
「でしたら、その必要はないのでは?」
神には、それぞれ役割というものがある。
いわゆる、得意分野というやつだ。
宇佐神が担当するのは、「縁結び」
その名のとおり、人と人の縁を結ぶ力に長けている。
「神社というのは、参拝に来た人間の願いをきくものでしょう」
神が自ら出向いて、手を貸すものではない、と彼方は言いたいらしい。
「長い間ずっと、私自身もそう考えていた」
彼方の言葉に頷きつつ、宇佐神は腕を組んだ。
「けれどある時気がついた。私がしたいのは、縁結びではない」
静かな声だった。
そして、意志を感じられる声だった。
「……というと?」
半分あきれながらも、面倒なので彼方は続きを促す。宇佐神の扱いが一番うまいのは、実は彼ではないかと、まどかは思っている。
「私がしたいのは――恋結びなのだと」
すると宇佐神はまどかのほうを見る。
目が、合った。
けれどすぐに逸らす。
「まどか、縁結びと恋結び――違いは何かわかるかい?」
宇佐神の声に、まどかは一度俯いた。
ふと、何か香りがした。
顔をあげると、目に入ったのは、公園に咲く一輪の花だ。
花弁が花の中心に向かって、重なり合うようについている。
さっきは気がつかなかった。
けれど今は、その色がまどかの胸の内に触れる。
「……縁結びの中に、恋結びは含まれるってこと、でしょうか」
縁、というのは一つではない。
肉親、友人、恩師。
人の縁というのは、様々だ。
そしてもちろん、「恋」もある。
「そうだね。おまえの言うとおりだ」
宇佐神はにっこり、微笑みながら、まどかの頭を撫でる。
胸の奥が、熱くなるのがわかった。
「私はしばらく、恋結びしかしたくない。だから社を出た」
縁結びの神が、恋結びだけをしたい。
そういうことだろうか。
「――そういうことだよ」
まどかの考えを読んだのか、宇佐神が頷いた。
そして、頭から手が離れる。
ゆるがない、青の瞳。
こうなってしまうと、宇佐神は頑なだ。
それを表すかのように、彼方が息をつく。
「……宇佐神さま、あなたの気持ちはよくわかりました」
声は真剣だが、口にはクリームがついている。
それを見て、まどかも自分の口をぬぐった。
「おれたち月兎は、あなたあっての者。あなたに従うために存在しています」
けれど、と、彼方は続ける。
「おれはともかく、まどかはそう長くは社を離れてはいられません」
その言葉に、まどかの肩が一瞬だけ震える。
理由は、わかっていた。
わかっていたからこそ、反応したのだ。
「だから手伝ってほしいんだよ。ふたりに」
宇佐神はにっこりと微笑む。
彼方の顔が、少しだけ引きつる。
こういう時はもう、完全に宇佐神のペースに巻きこまれている。
わかっているからこそ、反応するのだ。
「そうしてくれるなら、そうだなあ。三ヶ月以内に社に戻ろう」
「さ、三ヶ月、ですか?」
彼方の声が少しだけ裏返る。
「その代わり、できるだけおまえたちの傍にいようじゃないか。そうすれば安心だろう」
それは一緒にあの平屋に住む、ということだろうか。
まどかは身体がむずむずしてくる。
いつもの、あれだ。
けれど、なんとかこらえた。
「異論はないね。というよりも、聞かないよ。さあ、早速帰って作戦を練ろうじゃないか」
宇佐神はくるりと背を向けた。
視線の先には、舞子がいる。
そのまなざしを見て、まどかは唇を結んだ。
――なんのために?
ふと、そんな思いがよぎる。
「ちょ、待ってください、宇佐神さま」
彼方の声で、我に返った。
そのまま、ふたりを追いかけようとした。
けれど一度だけ、ふり返った。
先ほど、目に入った花。
まどかはそれをじっとながめる。
そのうち、花びらが一枚だけ、落ちた。
それを確かめると、まどかは今度こそふり返らずに、彼方を、そして宇佐神を追った。