提案
1
「――ムリ。絶対に、ムリ」
長い髪を揺らしながら、まどかは首をふる。
桜色のリボンは、ある人から誕生日のお祝いとして、もらったものだ。
――女の子らしく見えるように
実際それは、まどかの髪によく映えた。他のものとは違うのか、クセ毛も自然とまとまるのだ。
そのこともあって、朝までは機嫌が良かった。
正確には、さっきまで。
「そうか? 悪くない話だと思うけど」
榛色の瞳をゆらしながら、相手は首を傾げた。
葉桜の下で背を預け、寄りかかる姿は、まるで一枚の絵のようだ。まどかも一瞬、息を止めそうになる。
教室では、近寄りがたい雰囲気を出しているものの、女子からの告白が後を絶たない、というのは、仕方がないことかもしれない。
――別に、興味ないけど。
まどかは肩にかかった髪を後ろへやる。
それからもう一度、目の前にいる男を見た。
学年一の美形と称されながら、一方で学年一の謎の男とも言われている、時田敬介。
まどかは腕を組んで、息をついた。
「……どこがいい話なのよ」
まどかの返事をよそに、時田はその場にすわりこんだ。両足をのばし、同じように腕を組む。
それから、見上げるような視線を向けてきた。
上から見ているのは、あくまで自分のはずだ。
なのになぜ、こうもイラ立ちを覚えるのだろう。
まどかが眉を寄せると、時田がたたみかけるように言った。
「なんで? 困ってんじゃないの?」
時田の視線は、まどかを越えて彼女の背後へ行く。葉桜が落ちるその場所は、先ほどまで別の男子生徒がいた。
まどかは一度だけふり返り、再び時田を見る。顔をしかめて唇をかんだ。
「転校してきて、まだ二週間だよな。おれが見かけただけでも告白された回数は……5回」
「――6回」
正確には、と言いたい気持ちをこらえて、まどかは口にする。
まどかのその言葉を聞いて、時田はにやりと笑う。その表情に、イラ立ちは増したものの、深呼吸をして、自分を落ちつかせた。
席が近いせいだろうか。
転校初日から、時田は妙にまどかに絡んでくる。
気がつけば、呼び捨て。
そのほうがしっくりくるものの、女子からの視線が熱い。
あまり目立ちたくない身としては、関わらない、というのが本音だ。
なのに結局、こんな形になってしまっている。
まどかはゆっくり、相手を見据えた。
彼からの申し出は、耳を疑うものだった。
――おれたち、つきあってるフリしないか?
何を考えているのか、さっぱりわからない。
首を傾げたいところだったけれど、目を細めることで、その行動を回避した。
――そういう時はまず、自分が冷静になれ
ふと浮かんだのが、兄代わりである彼方の言葉だったからだ。
まどかは何度か呼吸をくり返し、ゆっくりと口を開く。
目線はまっすぐ、逸らさなかった。
「なんでいきなり、そんなこと言い出したの?」
声はわりと落ちついていたと思う。
気になることがあるとすれば、彼自身もまどかと同じように、目を逸らさなかったことだ。
時田はさして動揺することもなく、すぐに言葉が返ってきた。
「困ってるのはおれも同じってこと。利害の一致ってヤツ?」
反芻しながら、互いに視線を絡ませる。
彼の整った顔を見つめながら、まどかはふと思い返す。
確かに彼は、モテる。まどか以上に呼び出されているのを、ちょこちょこ見かけてきた。
気にしていた、というよりは、なぜか目に入ることが多かった。
それに対してどちらかといえば、冷めた視線を送っていたのだが、今のように直接、話をすることはなかった。
「答えになってない気がするんだけど」
まどかの視線が、だんだんと疑いの色に変わる。時田はひょうひょうとしたまま、
「そりゃあ、おれらが丸く収まるのが一番平和だろ」
うすら笑うように口にした。
「だから、なんでそうなるのよ」
声が低くなっているのが、自分でもわかった。それを聞いて、時田は一度息をつく。
「正直おれも面倒なんだよ。これ以上、どーでもいい女に絡まれるの」
いや、あたし関係ないし。
そう口にしたいのをよそに、まどかは彼の言葉を反芻した。
そして、あることに気がつく。
「ちょっと待ってよ。そうなると今度はあたし、男子だけじゃなく、女子にも絡まれるってこと?」
性格はどうあれ、彼は異性から好意を持たれることが多い。それは紛れもない事実。そして自分もまた、同じような状況であることに変わりはない。
「ああ、平気平気。そこらへんはおれに特定の相手ができればなんとでもなる」
半分笑いながら、時田は言い放つ。
「どこにそんな保証あるのよ」
却下。
そう口にしようとした瞬間、時田が立ちあがる。
「どっちにしたって、このままじゃ互いに面倒なだけだろ」
現状を変えるきっかけになる。
彼はそう言いたいらしい。
確かに、彼の言うことも一理ある。
このままだと同じことをくり返すだけ。
いいかげん、うんざりしていたのは、まどかも一緒だ。
目を逸らし、まどかが顔を俯けると、時田は少しだけ身をかがめる。
「いかがですか? お嬢さん」
手を差しのべられて、まどかは思わず身を引いた。
とまどいは隠せないまま、最後の抵抗を試みた。
「……あんた今、好きな人とかいないの?」
一瞬、時田の眉がぴくりと動いたのを、まどかは見た気がした。けれどすぐに顔を背けてしまったので、見間違いかもしれない。
「――そっちはいるのか?」
逆に問われて、まどかは組んでいた腕を外した。
「い、いないけど」
あわてて答えたものの、指先がかすかに強ばるのがわかる。それが伝わったのかもしれない。彼は伺うようなまなざしを向けてきた。
「じゃあ、こういうのはどうだ?」
時田は提案するように、人差し指を立てた。
まっすぐな指。顔だけじゃなく、爪もきれいに整っていた。
「どっちかにそういう相手ができたらーーひとまず関係は終了」
悪くない。
そう思う自分がいたが、口には出さない。
まどかが返事をせずにいると、彼は息をついて、さらに付け加えるように言った。
「フリって言っても、学校の中だけ。身体的な接触は極力避ける」
言っている意味は、なんとなくわかった。触れたりだとか、恋人らしい行為はしない、ということだろう。
「休みの日に出かけたりとか、そういうのもナシってこと?」
そもそも自分がここにいるのは、ある目的のためだ。無駄な時間は使いたくない。
「そっちが望むなら別に」
本当に必要最低限というやつだ。
それを聞くと、まどかの緊張が一気にゆるむ。
「……好きな人ができれば、終了」
くり返すように口にする。
「強制的にな」
時田の声が響く。
まどかは一瞬、唇をかんだ。
するとあっさり、答えが出る。
「――いいわ」
悪くない。
再びそう思ったものの、口には出さない。
時田はにやりと笑いながら、手を差し出す。
「よし。んじゃ早速今からってことで」
まどかはその手を、軽く払うようにたたいた。
「よろしく、時田」
まどかの対応に、時田は肩をすくめる。
「……一応、彼氏だろ」
その言葉に、まどかは顔をしかめた。
「……フリでしょ」
「やるからには、おれは完璧を目指すけど。そっちには無理か?」
語尾が強くなり、まどかは腕を組み直した。
「やるわよ。フリでもなんでも。で? 何をすればいいの?」
「そうだな、ひとまずーー」
言ってしまってから、まどかは後悔する。
できないことを、要求されたらどうしようかと思ったからだ。
そんな自分の気持ちが伝わったのかもしれない。時田はくすりと笑って、
「仲良く教室へ、戻るとするか」
そのまま校舎へと向かう。
まどかは追いかけるようにして、彼の隣にならんだ。
横顔を、ふと眺める。
傍にいるのが、あの方だったらいいのに。
そんな思いが、胸をかすめる。
時田がこちらを向いて、視線が交わる。
先に逸らしたのは、まどかのほうだ。
気まずかったからじゃない。
どこかで見たことがあるようで、けれどそれが、思い出せなかったからだ。