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天雲秘譚  作者: 八剱ユウ
7/10

招かれざる客

 奥宮から離れた森の中。エアはシスを爪弾いていた。

「ロザリアの蕾、ローディンの枯れ枝、サーシャの若葉を添えて、ククツクの茎で束ねれば」

 周囲には暇を持て余した光霊と火霊がふよふよと漂っている。ほかにも綿毛のような風霊や雪の結晶のような水霊はエアの髪や衣にぶら下がってた。地霊は相変わらず水晶柱のように一部を地面から露出させている。

「星眠る望月の夜、銀の毛皮に銀の目の、月の獣が訪れる……」

 ちら、と目だけ上に向けると、遥か上空では闇の精霊たちが嬉々として飛び回っていた。

 時折走る稲光のようなものは、光霊から変化した雷精だ。彼らはゆらゆらと漂うよりも駆け抜けるほうが好きなので、闇霊が大人しいのをいいことに、好き勝手に飛び回っては闇霊にぶつかり、曲がりくねる光の軌跡を空に描いている。彼らが勢い余って地面に落ちてくると、落雷のようなことになるので、近くで暴れられるとかなり怖い。

 今のところ轟音が聞こえてこないことに内心胸を撫で下ろしつつ、エアはまた一曲静かに歌い終えた。




 本来であればこの時間帯は昼のはずである。しかし冥神の急な来訪によって一時的にそのサイクルに乱れが生じ、『夜』が訪れた。浮き足立った精霊たちの影響で何が起こるかもわからない。――――彼らは別に神々に支配されているわけではないのだ。

 そんな彼らを宥めるため、エアの他、数人の眷属はそれぞれの場所で彼らを慰める曲を披露していた。

  時折吹く風によって自分以外の旋律が耳に届く。そのどれもが妙なる響きで、こちらも負けていられない。

 しかし。

 エアの身は人間に近い。つまり、疲れるのである。

 次から次へと弾かされるので流石に左腕がだるいし指先がじんじんする。声のほうはまだなんとか。けれど、この催促にいつまで応えられるものか……考えたら怖くなってきた。

「まだ弾くの?そろそろ腕が死にそう…」 

 心なし頭もぼんやりする。

 音曲の鬼・ケゥスのスパルタで鍛えられた演奏の腕も、最早息切れ気味であった。

 けれどそんなことがお構い無しに精霊たちは催促する。

≪やだ。もっと聴く!≫

「っウ………………………………、うん…わかったよ」

 エアのそこはかとない抵抗は、気付かれることすらなく無残にも一蹴された。

 次こそ最後にしてくれないかな、と右手を軽く振りながら祈る。たぶん無理だろうが。

(はあ、神様に新しく覚えた曲を聴いてほしかったな…)

 やっとお会いできたのに、ゆっくりと話す暇もなかった。神様のことだから、また直ぐにでもお勤めに戻ってしまわれるだろう。そうすればまた長い間御姿を目にすることも出来なくなる。

 わいわいと囃し立て、動き回る精霊たちを眺めながらしみじみとそう思う。

 貴重な、それはもう貴重な時間だったのに。ほろりと涙が出そうである。

(うう、闇の御方をお怨みするわけでは無いけれど…っ)

 せめてもう少し後でお越しになってくだされば、と考えなくもない。

(くっ、しっかりするのよ、私。余計なことを考える暇が在るなら仕事に専念だ!専念!)

 おしっ、おしっ、かんばるぞっ、おし、と自分に気合を入れ、未練がましい気持ちをしまいこむ。

 こうなればもう、喉が枯れるまで歌うしかなかろう。いや、どうせなら遠く離れた神様に聞こえるくらいにやってやろうではないか。

 どちらかと言うと自棄っぱちに近い心境のまま、普段とろんとしていると評される目じりを出来うる限りキリリと引き締め、弦を押さえる指先に力を籠める。

 最後の力を尽くそうと大きく息を吸う。

「すううう」

「ここにおったか」

「西のー都に棲む鳥はぁー…はあ??」

 声に釣られ、振り向いた暗闇の先。

 遥か高い位置に、巨大な髑髏がぼう、と浮かび上がっていた。

 エアは、いろいろ放り出して仰け反った。

「う??う、う、うきゃあああああっ!?っうきゅう」

 幸いにも、冥神の影から躍り出た赤猫が襟首を銜えたおかげで転倒は免れた。

 放り出されたシスの方はというと、ごろんと転がった拍子に近くの岩に衝突しそうになったが、こちらも慌てて地霊と風精たちが支えてくれたので破損はない。のだが。

「すまぬ。驚かせたか」

「や、ややや、やみの、お、おん方ぁっ!?」

 エアの背後、木々の間からひょっこりと顔を覗かせたのは、なんと冥神だった。

 周囲は闇霊が纏わり付いているせいで真っ暗。引き立て効果で銀色の髑髏が余計に迫力を増している。

(な、なんでここに!?)

 大変無礼なことに、思いっきり悲鳴を上げてしまった。謝罪しなければと思うのだが、動転しすぎて身体が言うことを聞かない。

 しかし冥神は器が大きかった。

「そこまで驚くとは流石の我も思わなんだ。大事無いか」

 地面を転がるシス自ら拾い上げ、未だ赤猫に支えられているエアに差し出す。

「すすすすす、すみませんっっ!!大丈夫ですっ!豹?、猫?様もありがとうございました!」

 離れても良いと判断したのか、赤猫はパッと襟を放すとするりと冥神の背後に戻る。あれだけの巨体で物音一つ出さないとは見事である。

「し、失礼いたしました。あのぅ…なにか」

 震える足をなんとか衣の裾に隠すと、エアは神様よりもさらに背の高い冥神に恐る恐る向かい合った。

「そなたの母、マァルから伝言を預かっていたのをすっかり忘れておってな」

「えっ、母から!?」

 新たに驚く。

 エアの母は五期ほど前に既に他界し、冥民となっていたのだ。

(母さまから?一体…)

「マァルの娘よ。我がこちらに渡る少し前だが、そなたの母御は見事に解脱した」

「……ほんとうですかっ!?」

 解脱とは、死したる者が今生の苦悩やしがらみ、幸せから己を解き放ち、完全な空白の状態に戻る事を指す。 魂は皆そのために黄泉に赴き、解脱に臨む。そして再び輪廻の輪に還り、新たな命として大地に足をつけるのだ。

 しかし、稀にだが出来ない者が現れるのも事実。最悪、様々な負積を抱えて転生することになり、場合によっては機神直々(じきじき)にその者の命運をり、行く末をお定めになられることがあるそうだ。

 だからこれは、紛れもない吉報なのだ。

「そうですか。それは…良かったです」

 不思議な気分だ。

 エアの母はとうの昔に亡くなっていたが、その存在は黄泉にあると知っていたので左程悲しいとは思っていなかった。

 けれど改めて完全な別離を告げられると、……薄れかけた寂しさが去来する。

「そなたの母であれて幸せであった。全てを忘れてしまうが、マァルはそなたを愛していた。と、言っておったのを伝えようと思っていたのだが、遅れてしまった。すまぬな」

「いえ…このように伝えて貰えただけでも……ありがとうございます」

 エアは深々と頭を下げた。その目元には涙が滲んでいる。

 優しい気性の水精が慰めるように頬を拭いた。

「悲しむことはない。そなたは既に我らの時を生きておる。縁があれば母御の魂に再び逢うこともあろう」

「そう、ですね。はい、縁があれば、また」

 逢えるだろうか?でもきっと自分のことは覚えていないだろう。

(ううん。それでもいい)

 遠くからそっと見守るだけでも、今の自分なら満足出来るだろう。

「では、用も済んだ故、我は帰る。見送りはいらぬ。さらばだ」

「あ、はい。お気をつけて」

 冥神は闇の衣を翻すと、眷属と共に振り返ることなく木々の間に消えていく。このまま下界門に向かうのだろう、奥宮に戻る気配は無かった。

 本当にこれだけを言うために寄ったようだ。

(やっぱりいい方…)

 エアは冥神の人となり、いや神となりだろうか?を再認識した。

 そのあとなんとか根性で二曲演奏後シス無しで十六曲歌い上げると、エアはようやく精霊たちの包囲網から開放される、はずだった。



「も、もう、いいよね……?」

 いいよー、おつかれさまー、と揺れる精霊たちにエアは隠すことも出来ずにがっくりと項垂れると、はああー、と息を吐いた。それはもう魂が空気に溶けて抜け切ってしまうのではないかと思うほど長く、長く……。

(は、はあ、やっと開放された…)

 どこからとも無く拍手が聞こえる。エアは下を向いたまま、特に深く考えることも無く、お座なりに手を振った。

「なかなか上手いね」

「それはどうもありがとう…、へっ?」

 慌てて顔を上げる。精霊の発する光の向こう側に、誰かが立っていた。

(えっ、うええっ!?)

 木々の生い茂る暗がりからやってきたのは。

(か、かかかか、カ、神様ッ!?)

 思わず立ち上がり、固まる。足元でシスがゴロンと転がるが、恐れ多くて置きなおすことも忘れた。

 思い思いに動きまわっていた精霊達も、ぴたりと動きを止める。

 薄暗い向こうから、何の脈絡もなく神様が現れた。暗い赤の衣が軽やかに翻る。

 いつの間に?まったく気付かなかった、―――――というか神様がその気になればエア程度の察知力など容易く騙せるが。

「うっ、をあ、き、ききき気付かずもうし訳ありませんっ。何のご用でしたでしょうか!?」

 エアは大いにうろたえていた。九十度に腰を曲げた影で乾いた笑いを浮かべそうになったほど。

 嬉しさ三割、動揺七割。

 お会いしたいなーとは思っていたが、こうも直ぐでは話は違ってくる。頭の中の独白も聞かれてしまっただろうか。もしそうなら死にたい。

 せめて普段着ではなく、きちんとした格好で来るんだったっ。とちょっと前にもした後悔をぶり返していると、ふと違和感を感じた。

(…あれ?)

 神様のお声は聞こえず、足音だけが近付いてくるのだ。

(いつもだったら美しい笑い声や宥めるようなお言葉を掛けてくださるのに…)

 不機嫌であれば別だが、なんとなく不審に思いながら姿勢を戻すと、直ぐ前に立った『神様』と目が合った。

 『神様』はエアを見て、微笑むように目を細めた。エアはつい目を逸らすのを忘れて見入る。

 極上のアメジストも霞んでしまうような、濁りの無い紫の瞳と、エアの黒い瞳がしばし交錯する。

「……」

 違う。

 先ず思ったのはそれだった。何か、違う。

 見れば見るほど似ているのに、何かが根本的に違う。

 そう、笑顔だ。質が違う、とでもいうのか。

 エアが知っている神様の笑顔といえば、お日様のように暖かな、相手を安心させる慈愛に満ちたものだ。けれど目の前の神様はというと。

 笑顔は笑顔、である。細まった三眼も美しい弧を描く口元も、記憶にある姿と寸分違わない。

 けれどその気配はどこか荒々しく、居合わせた者の不安を煽る。

「誰…ですか?」

 その問いに、相手は意外そうに目を見開いた。

「おや、もうばれたか。…衣も似せてみたのだがな」

 アピールするように襟元の生地を摘み、残念残念と気軽く呟く。人差し指で額の目を擦ると、まるで落書きを水で流すようにあっさりと目がなくなってしまった。

 似せてみた、というのは見た目も含まれたらしい。それにしては顔立ちは変わらない。額の目以外は真実似ているということなのだろうか。

「私のことは、まあ、嵐神とでも呼んでおくれ」

 嵐神は、笑みを崩さないままそう言った。

「しょ、承知しました…」

 随分と気安い方ねと思いながらエアは頷いた。

 落ち着かない気分の中、双子という単語が霧越しの火影の様にふわりと浮ぶ。

 少し違うがクージとネイのような。

 対称的な二つの存在。

 鏡を挟んで向かい立つ二つの像。

(表と裏…?ううんむしろ……)

 ひかりやみ…。

 そのとき、ふわりとエアの頭の中を何かが撫でた。

 感覚としては風に近い。そよ風のようなささやかな“何か”が、エアの内を通り抜けた。

「……?」

 ス…、と首筋からこめかみにかけて薄ら寒いものが走り、肩が竦む。

(……なに、今の…)

 確かめるように首筋をそっとさすり、首を捻った。

「なるほど、君が『青』の末娘か」

「え!?はい、そうです!」

(わあっ、お声も似ている!)

 『神様』はにっこりと微笑む。無邪気そうな笑みだ。

「うん。青には似ていないな」

「は、はあ…」

 なかなか反応に困る。ちなみに『青』というのはミヴァの先代の長であるエアの父にあたる神のことである。

「まあ、仕方が無いか。人間は…、ふむ、何だったかな、父親に愛されない子は母親と瓜二つになると言う話があるらしいじゃないか。なあ」

「……確かに、そういう話もあるような無いような」

 決まりだ、目の前の存在は神様じゃない。絶対に。

(神様はこのようなこと、絶対に口にされないもの)

 似ていると感じた自分に激しく後悔した。

 けれど、目の前の神が悪意をもってこれを口にしたのかというと、それは分からなかったりする。

 少なくない年月で学んだことがある。

 それは、神々と言うのは、性質は違えど皆総じて無垢、分かりやすく言うと正直である、ということだ。

 考えたことがそのまま口に出ているといってもいい。

 超常の存在特有の『表裏』はあるが、人間等とは質の違うものであり、発露の仕方も矢張り異なる。

 目の前の神の目にもまた、悪意ではなく純然たる好奇心が浮かんでいるようだ。この方はきっと、確認も兼ねてこういうことを聞いているのだろう。エアの胸のうちがどうなっていようと、そちらは興味の範囲には入っていないのだ。

 故にエアはこの反応にも慣れていた。 

 古傷がほんのり疼きはしたが、それでもこの神がちょっと苦手になった程度である。

 伊達に長生きはしていないのだ。

「あの、それはともかくとしてですね。どちらのお方か窺っても宜しいでしょうか?もし闇の御方のお連れの方でしたら、そのお姿はいったい…」

「うん。先ず、闇の者の連れではない。連れる側ではあっても、連れられる側ではないのだ。この姿は、まあ、色々とな」

 その、色々の部分が知りたいのだが、なんとなく深く掘り下げられそうな空気でもなかった為、エアは曖昧に頷いた。

 しかし分かったこともある。冥神一行の者ではないと言うことは、また別の門を開き、やって来たと言うことだ。門の開閉には莫大な力が費やされるので、一度作動すれば力の弱いエアにも感じられる。

 このたび開かれた界門は翠宮と闇金の二ヵ所のみ。ならばこの神は一体どこから……。

「なあ」

「うあ、はいっ!?」

 大変失礼なことに相手の存在を忘れかけていた。思考を中断し、慌てて姿勢を正す。

 冷や汗を噴き出しているエアを無視して、嵐神は目線だけで地面に転がっていたシスを浮かび上げると、自らの手に取った上でエアに差し出してきた。

 ここで二度も上位神に拾わせたことに思い至り、エアは冷や汗を浮かべた。

(ああああ、私ったら、私ったらっなんて無礼な。クージ様に見られたら、とんでもないことになってしまうう)

「ああありがとうございま」

「他の曲を弾いてくれ」

「へ?は、はい。あの」

 嵐神は、まったく気にも留めていないようだった。

 やや震えながらシスを受け取るエアの姿に、それこそ何か?と問うように方眉を上げる。

 エアはウッと詰まる。嵐神は神様に仕草も似ている。

 確信が生まれた後でもつい緊張してしまう。違う方と分かっていても似ているものは似ているのだ。

 本当に、この方は何者なのだろう…。

 相当困った顔をしていたのか、嵐神は片方の口の端を吊り上げて目を細める。

(おっと、これは神様にはない表情…)

「大分戸惑っているな。一応念のために確認しておくが」

「は?はいっ」

 幼い子供に言い聞かせるように嵐神は人差し指を立てながら続ける。

「私は冥の者とは異なる神だ。これはわかるな」

「はい」

「だから『お前の』神様では無い。間違えたとて私としては問題は無いが、あれがやや不憫とも思えなくも無いので間違えることのないように。理解したら次を弾いてくれ」

「はい。お方様は別なるところからいらした方で、私の大切な神様では無い……ってうおわっ!?」

 つるつるっと出てきた「私の『神様』」発言に、一瞬頭の中が真っ白になる。

(きゃあああああっ、何言ってるんだろ!口が滑っ……つ、つい大切なとか付けてしまったし、ほ、本音が、本音が漏れたの!?)

 弁解。そう兎に角弁解しなければ。とエアは焦る。気恥ずかしさもさることながら、それ以上に浮かんだのはクージの鬼の顔であったのだ。

 もし、クージにでも聞かれていたら鬼の形相付きの説教物である。主様は断じてお前のものではないとかなんとか。

 この場に居ない相手に対するにしてはもう強迫観念に近いが、それだけクージの躾は厳しかったとご理解願いたい。

「いやっわ、わたしの、とかいう意味合いは違くてですねっ」

 真っ赤な顔で取り乱すエアに対し、嵐神はどこ吹く風というように涼しい顔で頷いている。

「分かっている、分かっているよ。独占的な意味合いではなく、尊敬から来る愛称と言いたいのだろ?」

「愛…!?いや、いあいやちが、いやそう?なのでしょうですかっ」

「……うん。おもしろいが落ち着け」

 呂律が回っておらんよ、と宥められるエアだった。

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