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天雲秘譚  作者: 八剱ユウ
4/10

赫埜

注!)シリアス度ダダ下がりの本編が始まります。

 一期は人の時間にして二十年。


 一周は千年に相当する。


 一界は一つの星が誕生し、滅びるまでの間。


 

 神が座す幽世と、生命が座す顕世が今、交錯する。




 弦を震わせるたびに光があふれ、樹や草花が瑞々しさを増す。

 南の庭にはいつもと変わらず、妙なる調べが辺りを満たしていた。

 音を生み出しているのは藍色の長い髪を持つ一人の娘。目を閉じ、風から紡ぎだした半透明の竪琴を構え、一心不乱にかき鳴らしている。

娘の周囲は不可思議な虹色の発光体が漂い、足元は色も形も様々な群晶(クラスター)がいくつも点在している。これらは全て様々な精や霊の姿であり、皆一様に娘の演奏に聞き入っていた。



 慣れ親しんだ風精の力を借りて音を効率よく拡散させる。

 澄んだ琴の音は染み入るように広がり、森の中を水のように循環するのが肌でわかる。

「……?」

 ふと、エアは眉間に僅かに皺を寄せた。

 つられて、よどみの無い運指が止まる。いったいどうしたの、と足元の地霊たちが淡く発行する中で、エアはゆっくりと目を開いた。

 そのまま空を仰ぐ。黒い瞳に雲ひとつ無い青が映った。

 しきりに何かがエアの琴線を激しく揺さぶっていた。いや、何かなどではない。その正体はエアの中ではっきりと像を結んでいた。

 ありえないことではない。あれからもう二十年、そろそろお帰りになられてもおかしくはない時期、いやむしろ帰ってこないほうがおかしいのではないか。

「……神様?」

 あ、ほんとうだ、という地霊と風精の呟きが耳に入った瞬間、エアの疑念は見事に弾けとび、頭の中が真っ白けになった。

 そうなの?そうなの?と精や霊がわちゃわちゃしている中で、エアは石のように固まった。

(うわ、わわわ、本当にっ?)

 手元の琴が動揺のあまりに風に戻って霧散しているのにも気付かない。しかも、その動揺が感染したのか、地霊がころころと慌しく地面の上を転がり、風精が大気をかき乱す。不穏な気配におとなしい花精や水霊などが樹霊の宿った木の陰に身を隠した。

 俄かに嵐のようなていをかもし出した南の庭。エアが気付いたときには木々が乱れしなり、空が灰色に変わりかけていた。この様子では遠からず西の庭から雷精もやってきてしまうかもしれない。

「うわーっ、うわああああっ、どうしようっ」

「こら、喧しいですよ」

 真っ青になって震えていたエアの頭は、緊張感の無い叱責と同時にペイッとはたかれた。

「ひゃあっ……は、ネイ様!?」

 音の割には意外と痛く、頭を押さえたまま振り向くと、そこにはいつの間にやってきたのか、両手を後ろで組んだ柔和な顔立ちの壮年の男が立っていた。

「落ち着きましたか?しかし、どうしたのです。この荒れ様は」

「申し訳ございません!」

「まったく、漸く一人前になったと思っていたら。それ、お前たちも落ち着きなさい」

 ネイはそのままの姿勢で、力だけを伸ばすと力尽くで嵐を押さえつけ、納めてしまった。舞い踊っていた木の葉が、力をなくしたようにはらはらと落ちてくる。

(いつみてもすごい…)

「こら、呆けていないで。お前も感じたのでしょう、私は一度クージの元に行かねばならないので先に行きますが、場所は自分で判りますね?」

「は、はいっ」

 エアが大きく頷くとネイはにっこりと笑顔を浮かべてから消えた。ゆったりとした喋り口と動作は変わらなかったが、ネイとて相当急いでいるのかもしれない。

 こちらだってそうだ。エアは不器用すぎて転移が使えない。移動手段は歩く・走る・飛ぶ、の三択だ。

 しかしそれよりも場所だ。

(落ち着いて、落ち着いて…)

 焦る気持ちを宥めるため、やや大げさにすぅはぁと深呼吸をする。

(よし)

 気が静まったのを見計らい、素早く気配を巡らしてどの宮の界門が現在機能しているのか探った。

 苦心し、見つけた。翠宮すいぐうだ。

 翠宮近くの気は激しく揺らいでおり、今にも噴き出すかに感じられた。

 愕然とした。

(こ、これは…緊急事態だぁぁっ!)

 この様子では、もう間もなく御到着されるに違いない。

(急がないとお出迎えが出来ないよ!)

 それは駄目だ。絶っ対に駄目だ。

 気ごころの知れた精と霊たちに礼を言うと、エアは羽衣ういも鮮やかな花燕に身を変じ、翠宮にむけて羽ばたいた。

 樹霊や地霊が急いで作ってくれた木々のトンネルを抜け、空に舞い上がると風精の起こした追い風に乗って驚異的な速度で一気に直線距離を行く。

 やがて青く茂る梢の向こうから、卵のような丸い屋根を乗せた白亜の神殿が姿を現した。

 神殿前の広い石段の上に舞い降りながら元の姿に戻る。勢いがつき過ぎてつんのめったのはそそっかしい性格ゆえか。だるくなった腕を振りながらも正面に回りこむ。

 短い階段を駆け上がると細かな彫刻と鮮やかな金で装飾された重い正面扉を押し開けた。

 絡みつく蔦が描かれた真っ白な柱が並び立つ通路を裾を絡げてぱたぱたと走る。突き当たりに存在する、一際繊細な透かし彫りの入った半円型の黄金扉を、覗き込みつつそっと開いた。

 現れたのは、白と翠で造られた円形広場。

 天井は無い。解き放たれた青い空から、柔らかな光が巨大な空間に絶えず降り注いでいた。

 ここが界門ノ間である。

 普段は階段状に窪んだ円形の大広場なのだが、今現在潮が満ちたように澄んだ青い水が床一面を覆い、光を反射してはキラキラと輝いていた。

 二十段近くある階段の、上から二段目までひたひたと水が打ち寄せている。翡翠色の硝子でできた床のモザイクが水底で美しく揺らめく。

 桟橋の類など存在しないが、エアは躊躇無く歩を進めた。水上に踏み出された足は、けれど沈むことはなかった。

 当たり前のように水の上を歩き出す。ぱしゃぱしゃと足元で水が弾け、水面に波紋の反射光が、水底に丸い影が現われる。

 広間の最深にして中央に向かう。

 



 広間中央には井戸に似た底の見えない大きな空洞があった。普段はからっぼで、見えない力で塞がっているのだが、機能している今は水が滾々と湧き出し、激しく逆巻いている。

 付近の水面にはネイを含め、既に十一の眷属たちが集まっていた。エアは一番後ろに待機だ。

 間に合った。と思う間もなくそれは起こった。

 皆が息を詰める。

 渦を巻く水の直ぐ上に燐光が漂い始め、ゆっくりと形を変え始めた。

 エアは緊張のあまり祈るように胸の前で両手を組む。息を殺して食い入るように眺めた。

 光の集積は縦に長く伸び、ゆるく人型を結ぶ。淡い光が衣となり、細かな燐光が紡がれて絹糸のような髪になる。

 次第にくっきりとした像を取り始め――――。

「!」

 そのお姿を認めた瞬間、目の前の何もかもが、ぱぁっと明るく輝いた。

 嬉しすぎて涙すら滲む。

 エアの顔に満面の笑みが零れた。


「神様ぁ!お帰りなさいませっ!!」


 集団から飛び出し感動のままにしがみつく――――とはならず…。

「うきゅ」

 飛び出す寸前に、何者かにがしっと首根っこの衣を締め上げるように鷲掴みにされ、息が詰まる。間髪入れずに鬼の叱責が頭上に降り掛かった。

「エアッ!主様のご帰還だというのに騒々しいッッ!」

 落雷にも負けない怒声に、エアは感電したように縮み上がる。

(ハ、ハワワ…ッ。この声は…)

 カタカタ震えながら振り返ると、矢張り。

 鬼面を被ったような恐ろしい形相の男性がいた。

 顔からサーッと血の気が引く。

「く、クージさま…」

 鬼…ではなくクージがそこに居た。彼の厳しさは自他共に認める眷属一。

 ネイとは同時期に顕われたといわれる彼は、姿かたちは不思議とはほぼ同じなのに、気性ははまるで正反対の苛烈な方だ。

「まったく。お前という子は、毎回、毎回…っ」

 まいかい、という単語を噛むように…というか何百回噛んでもまだ噛み切れぬといわんばかりの気迫で言われ、居た堪れなさと恐怖が倍増した。

「はひい!も、申し訳ありませ…」

 地鳴りの幻聴が聞こえるほどの怒気に、別な意味の涙が滲みかけた。

「よしなさい、クージ」

 完全に怯えているエアを庇うように、苦笑顔のネイが進み出てきた。

「そう厳しいことは言わないで。エアも、主様のお帰りを喜んでいるのですから」

 優しい声音に、じーんと感動する。

「ネイ様…」

 そんなネイの申し出に、「そうですよ」と周囲からも賛同の声が上がった。

 しかし職務に忠実なクージは一睨みで心優しきエアの同僚たちを一蹴した。

「ネイも皆も、エアに甘い。たとえ慶びに我を忘れようとも、主様の御前で行儀を疎かにするなど以ての外」

 あきれたようにネイが呼ぶも、説教は止まらない。

「大体エア、神様ではありません。あるじさま、ときちんとお呼びしなさいと何度も…」

「ううっ……はい、クージ様」

 やはり怒られるのか。がっくりと項垂れたとき、絶対的な救いの手がエアに差し向けられた。

「そう説教ばかりするものではないよ、クージ。別に間違ってはいないのだから」

「か…あるじ様!」

 谷間を吹き抜ける清風のような低く落ち着いた声。

 この場の全員、特にエアの視線が一瞬にして釘付けになった。

(ああ、相変わらずなんて麗しいお姿……!)

 咎められていた事もすっかり忘れ、エアは、ほぅ、と息をつく。

 比類の無い存在がそこにあった。

 非の打ち所のない凛々しく整ったかんばせには、冥神くらのかみの民すら魅了する柔和な笑顔を常に湛えている。

 セレスティアル・ブルーの双眸と、額にある、現在は落ち着いたライラックの第三の瞳はどんな宝石だって敵わない。

 艶やかな、最高級のブロンズの長い髪を焔の神のように風に引かれる様は、さながら将神いくさのかみのように雄々しくもあり、美神うましかみの如く優雅。

 染み一つない小麦色の肌の長い手足を無造作に、かつ優美に動かしながら歩を進め、エアの敬愛してやまない神様は、立ち尽くすエアたちに向けてにこりと微笑んだ。

(っっっ!!!)

 心臓が破裂するかと思った。

(い、一期ぶりの、神様の微笑み…っ)

 くらりとする。

 一期など寿命の無い神属の体感時間的には一ヶ月弱ほどであるが、エアにとっては一日千秋のように長く感じられていたのだ。

 そこからのこの微笑み。

 くぅ、と胸を押さえる。刺激が強くて、危うく卒倒しそうだ。

 そんなエアに傍らのクージは同情的な眼差しを送っていた。が、主人の目線に気づくと素早く、かつゆったりと跪く。

「主様、お帰りなさいませ。此度のお勤めは長ごうございましたな」

 そう言って顔をあげるクージに倣い、エアも遅ればせながら身を屈める。気付けばエア以外の全員が膝をついていたのだ。

 彼らの主は大様に頷く。

「留守中ご苦労、クージ。顔を上げなさい、…エア」

 神様は素直に従うエアを見て、さらに笑みを零した。

 エアに緊張が走った。

「相変わらず久しぶりに私に会うと顔を赤らめるね。いい加減慣れても良かろうに。留守中なにか変わったことは?」

 神様はそう言うと一歩近づき、節のない長い指先で面白がるように赤くなったエアの頬に触れた。

(!!!!)

 飛び上がりそうになるも、グッと堪える。

「い、い、いいえっ!!神様もお勤めを恙無く終えられたようで、あ、安心しますたぁっ!」

 ぐはっ…と、エアは心の中で一度即死した。

 噛んだ。間違いなく、噛んだ。噛んでしまった。

「いや、うむ。元気そうで何より、…」

 緩む口元を隠そうか迷っている神様の姿に、エアは何とか蘇生する。

 面と向かって笑うことも無く、気を使って下さる。なんてお優しい方。と思わないでもないがしかし。

(はああ、神様!そんな面白そうな顔をなさらないで…っ!)

 崖があったら飛び降りたいくらい恥ずかしい。

 至近距離から不穏な視線が側頭部に突き刺さる。出所は……無論クージだ。

 よくもまあ、恥ずかしげも無く何度も失態を晒せるものだと言わんばかりの、刺し貫くような眼力ぶりであった。

(う、ううっ、クージ様、怖いぃ!!その気持ちはわかりますけど、わかりますけどっ)

 頭に風穴が開きそうな無言の圧力に、止まっていた震えがぶり返り、泣きたくなる。

 千々に砕けそうな空気の中、しかしエアも意外と強かであった。

 悩み苦しみはするものの、神様を目の前にし、ふと重要なことに気がついたのだ。

(神様、笑ってる…)

 面白そうにしているということは即ち。

(神様…もしかして、楽しまれているのかな…)

 呆れているのではく?

(!!)

 突如悟った。

 ならば、良いのではないか?と。

(そ、うだよね。沈んだお顔をさせてしまうよりはずっと、ずっといいよね…!)

 自分がおかしなことを仕出かしても、神様がそれを楽しんでくださるのならば……それこそ、本望ではないだろうか。

 周囲を取り巻いていた霧が、一瞬にして晴れた気がした。

(じゃあ、……いっか)

 なにを悩んでいたのだろう。神様の健やかさを前にしたら自分の矜持など瑣末なことなのに。

 呆れを含み始めたクージの視線などものともせず、自分を取り戻したエアはえへへと神様に笑みを返す。

 エアは基本、前向きであった。

 神様もエアの内心の葛藤はお見通しのようで、一層笑みを深めた。そのまま幼い子にするようにそっとエアの頭を撫でる。

 エアは身悶えしそうなるのをまたもグッと堪えた。

(くう…、幸せ……!)

 こんな感じのエアとその全ての反応を楽しんでいる神様の周囲では。

「まったく。この子は……」

「まあまあクージ」

「良いではありませんか。恒例行事のようなものですし。ねえ皆」

「そうそう。あのようなエアを見ていると、ようやっと主様がお帰りになったことを益々実感いたしますしねぇ」

「ええ、本当に」

「……」

 悩ましげに眉間を押さえたクージ以外の眷属たちは、微笑ましそうに感想を言い合っていたりしていた。

「そうだ、エア。やらなければならない事があるのだよ」

「は、はい?やらなければならない事、ですか?」

 エアが首を傾げていると、神様は広間全体に行き渡るような声を上げた。

「皆、歓迎御苦労。毎回のことだがまことに嬉しく思う。が、今回は長期であった分、土産も多くてね」

 神様はそう言うと、見計らったように背後を振り返った。

 翡翠色の床に鎮座する、直径一メートル半はあろうかという外界に繋がる水中の井戸。

 全員の目が集まる。

「ふむ。少しばかり持って来すぎたかな」

 凍りついた眷属たち。けれど向き直った神様のご尊顔は、飽く迄も朗らか。

「さ、広間がいっぱいになる前に片付けよう」

 促すように広げられた両腕の向こうでは、神様が持って帰られたであろう奉納品の数々がとどまることを知らない勢いでもりもりと溢れ出していた。




 時間が存在しないはずなのに、俄かに時間との戦いが勃発したここは神庭さにわ

 神の住む処で、固有名は赫埜かくやという。

 生命の住まう星(又の名を下界・人界)とは次元を異にし、死後でさえ人が赴くことの叶わない奇跡の地のことである。

 赫埜は、表現するならば球体の中の浮き島。もちろん規模は眩暈がするほどに広大だ。大陸といっても過言ではないだろう。

 浮遊する大地には奥ノ宮を中央に据えて豊かな森や湖があり、神様の気分次第では山が存在する時期もある。

 御渡りの際、神様を慕って星から付いてくる光と闇の霊を中心に昼と夜が生まれ、その他の多種多様な精も集まり雨や晴れなど、それなりに気候もある。

 エアは初めてここに来たとき、太陽と月が無い以外は住んでいた星と差が少なく、酷く驚いたことがあった。

 独特な面もまたある。

 四方上下、計六箇所にはそれぞれ界門――――外界に通じる門がある。

 それぞれ翠宮・朱宮・白宮・黒宮と名付けられた四方界門は数多存在する星に繋がる。

 さらに、奥ノ宮内に存在する、明金あかるかね暗金くらかねの上下界門からは別の神のいる神庭に行くことが出来る。

 現在はその四方界門の一つ、翠宮に集まっているのだが、普段人々が夢見るような筆舌に尽し難い威厳を誇る内部は、混乱の坩堝にあった。



「やあやあ、これはすごいな。重い物、嵩張る物は止したつもりなのだが」

 津波の如く床一面を覆ってしまった品々に、神様も少々困惑気味であられる。

 しかし、勤勉な眷属たちにとっては困惑する余裕すらなく。星に住む、神様を敬愛する人々が送った敬意の形をただひたすら運び出していた。

 次々に押し出されてはエアたちの足の下、磨き上げられた床の上を文字通り波打ちながらずるずると滑っていく品々。ちなみに浸かっているが、水のような存在であって水でないので濡れる心配はない。

(良かった、普段からきっちりお掃除しておいて。感謝の印を埃まみれ、泥まみれにするなんて目も当てられないもんね…)

 常日頃からの面倒なほどに厳格な清掃基準はこういう時の為なのかもしれない、と麻痺し始めた感覚の中一人納得した。

「急げ!宝物の類は一つに纏めて一度に飛ばせ!生ものは水霊に任せて、動植物の場合はひとまず中庭に送れ!プライヤ、エアに指示を出しなさい!」

「は、はいっ、クージ!……エア、エア!そこはいいからこちらに来てっ」

「はいぃっ」

 凄まじき哉。人間の信仰に於ける熱意とは。

 親切な精や霊たちも加わり、死に物狂いで撤去しているのだが、総出にもかかわらず未だに終わりが見えない。

「すまないなクージ。せめて珍しい草木類は事前に転移させておいたのだが……あまり効果はなかったな」

「……主様、敢えて言わせていただきますが、多すぎます。少しはあちらに残すか分割して送るなど、自粛してくださらないと皆が倒れます」

「はっはっはっ、うむ。次から気をつける」

 あんまり反省しておられない口調で誓いの言葉を口にする。

 ちなみに、ご自身も運搬作業に加わっていらっしゃるのだが、もっぱらお気に入りの果実が詰め込まれた籠中心で、抱えた籠から果実をつまんではテクテク歩き、優秀な眷属たちの仕事振りを眺めることに徹しておられた。

「皆勤勉だね。関心関心…おっとこれは」

 気になるものがあったらしく、生物のように盛り上がり続ける品々の一角からいくつかの物を浮き上がらせた。

「ご覧。エア」

 呼び止められ、エアは抱えていた珍しい花の株を両手を差し出したプライヤに渡す。

「あっ、はいっ。なんでしょうか…って布地、ですか?」

 一部広げられたそれは、赤や青の、目を見張るばかりに美しい布の束。

「は~。…キレイですねぇ」

 見るからに正絹だ。しかもこの独特な気配。何かしらの祝福を持った希少な蚕の繭から紡がれた糸が使われている。

 たしか祝呪布しゅくじゅふといったか。これを生産することが出来るのは、光の属性が強い神庭と、ほんの一握りの星だけと聞いている。

 これを五束。巻きの感じからしてここの神庭全員分の衣が賄えそうだが、さぞかし……いやいや無粋な推測は止めておこう。

 今も昔もエアにとっては縁の無さ過ぎる高価な生地であることは確か。感心しつつも恐れをなして首を竦めた。

「とてつもなく、繊細な織物ですね…!」

 あの細かな蔦模様。エアには到底織り出せない自信がある。

「ふふ。なかなか美しいだろう?」

 エアはうんうんと頷く。

 緻密な模様を見ると、これを織った人間の一目一目に込めた思いが滲み出るようだ。ますます近寄りがたい。

「どうだろう、これで……」

「そうですね。アアヤ様と相談して、早速神様のお衣装を仕立てます!」

 アアヤは機織り裁縫が得手な女性の眷属だ。センスの良い彼女なら、さぞ素晴らしい衣を仕立てるだろう。

 使命感に燃えながら宣言すると、神様は軽やかに笑った。

「お前らしい反応だ。自分の衣を仕立てようとは思わないのかい?」

 エアはギョッと目を瞠り、ついでぶんぶんと首を振った。

 なんてことを言うのだろうこの方は。

「ま、まさか!これは神様のために人々が用意したもの。私のようなただの下っ端眷属、しかも半神が頂くなんて、恐れ多いです。それくらいなら皆さんのために仕立てます…っ」

 もじもじと手を動かす傍ら、エアはふと、自分の今の身なりを意識した。

 つい先ごろまで森の中を歩き回っていたために、生成りの麻の長衣と前掛けの裾にはじゃれてきた動物の毛や座ったときに付いた土が付いたまま。作業用のサンダルも汚れで黒ずんでいる。腰よりも長い瑠璃色の髪は粗末な布でいい加減に纏めただけ。

 目の前の美しい布との対比に、今更ながらに青くなる。

(ひいっ!こんな酷い格好してたんだ…っ)

 とてもじゃないが、神様の帰還をお迎えをするような姿ではない。

(今日帰還されることがわかっていたらきちんと着替えてきたのに…)

 神様が帰還されるのは非常に嬉しいが、このタイミングは少し恨めしい。

「主様、帰っていらっしゃるのなら、なぜ連絡してくださらなかったのです?お帰りに合わせて準備いたしましたのに」

 ちょうどそこでネイが現れた。やっと見切りが付きそうなのか、表情が穏やかになっている。

(そう。そうです。ネイ様、もっと言って!)

 心の中で声援を送ってみた。

「ん?別に不都合はあるまい」

「そうですが、私どもは以前からどのようにご帰還を祝うか予定を立てていたのですよ?」

 ネイの意見にエアもうんうんと頷き、心の中で握りこぶしを作って激しく同意する。

(私も神様のご帰還に間に合うようにシスの新曲の練習を毎日してたんです…!)

 片づけが一段落した他の者たちも続々と集まる。

「ネイの言うとおりです」

「折角宴の準備を進めておりましたのに」

 そうだそうだ。みな心から神様を慕い、待望の帰還の時を待っていたのに。

「そうですよ。かみ…あるじ様!私だって急なご帰還にもう本当に驚いて驚いて。おかげで普段どおりの格好……、申し訳ありません、みっともない…」

 現実を思い出し、慌てて土を払いながら悄然としていると、神様は「おや」というように軽く三つ目を細めた。

「ふふ、謝ることはないよ。私としてはエアの驚く顔が見たくて知らせを出さなかった所もあるからね」

「そ、そうなのですか?」

「そうなのですよ。おかげで久々にエアのあどけない姿が見られたよ。お前の幼いころを思い出した」

「えっ、は、恥ずかしいです…っ」

 子供の頃、とは。一体どのあたりのことを言っておられるのだろう。願わくばまともな感覚が身に付いた年頃であれば良いが。

 動転しながらも、またもエアは神様がお傍に在られる充実感をかみ締める。

 多世界を渡り歩く多忙な神様。

 カクヤは神様のお住まいではあるものの、長くは居られないことが多い。

 こと最近は。

 上目遣いに神様を窺う。クージと話しているようなので幸い目線が合うことはなかった。

(心なしお疲れのよう…。やはりお勤めが大変なのね)

 普段、いや今でも十分輝かしいお方なのだが、どこか笑顔に曇りが掛かっているような違和感を感じた。

(いったい、星でどのようなことをなさっておいでなのかしら)

 原則として眷属は主の許し無く星に関わってはならない。

 逆に言えば主神の許可さえあれば勤めに同行し、補助をすることが出来るのだが、なぜか今回は神様はそれを望んでおられないらしいと聞いた。

 眷属の中で最も力の強いクージに対してもこれを徹底しているのだから何か理由があるのだと思う。

 しかも困ったことに、どうも神様は現状を報せることも望んでおられないようなので、必然的に情報の流れは止まってしまう。なんとも歯痒い。

(理由を知ることができたらなあ…)

 エアは神様に見えないよう唇を尖らせてから、こっそりとため息をついた。

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