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天雲秘譚  作者: 八剱ユウ
2/10

神と人【後編】

残酷表現入ります。

 目の前の惨劇に、完全に萎縮してしまった人間の護士が、新たに現れた妖魔の餌食になった。同じく頭部を砕かれ即死である。

 助けようと亡骸を貪る妖魔に挑みかかる者達もいた。しかし、斬りかかられて激昂した妖魔の腕の一薙ぎで吹き飛ばされ、苦悶の悲鳴を上げながら首や背骨を引き裂かれる。腕をもがれて逃げるも、激流に足を取られ流される者もいた。

 血臭に惹かれた妖魔が続々と集まり、気付くころには川を背にぐるりと周囲を囲まれていた。

 細まった月が昇るころには、犠牲者は実に半数近くに上っていた。人員構成からして大半はユイの部下であったが、視認できた亡骸の一部から、シバの弟子もこの数分のうちにやられていた。

 為す術が無かったのだ。妖魔を退けるほどの法力を持っていたユイは真っ先に殺されてしまった。一方でシバの法力は依然封じられており、ヴィサは輪に力を制限されていて、重傷の兄を守るので精一杯であったのだから。

 現状に耐えかね、傷ついた足を抱えて岸に向かってもがき進んでいたシバの傍らに、矢筒を背負った若い娘が、水面下の岩をうまく使って近付いてきた。

「!ミラ」

「シバ様、失礼致します」

 そう言うや否や、ミラは躊躇うことなくシバの足に刺さったままだった矢を引き抜いた。思わず呻きを上げるシバに怯んだ表情を見せるも、的確に手当てを施していく。

「ミラ、止めなさい。今すぐ逃げるのだ」

「いやです。あたし、逃げません」

 脇腹まで水に浸かりながらも毅然と返す。

「なぜ」

「あたし達にとって、何よりもシバ様は大切なお方だからです…!」

 バシャン、と目の前にもう一人が降り立つ。人間にしては大柄な青年が、剣を構え直しながら叫んだ。

「シバ様は為さねばならぬ使命が御有りなのでしょう。ならば我らが少しでも時を稼ぎます。お早く!」

「サッズ!ならぬぞ。私はこのようなことを望んではおらん!」

 サッズは、普段怖がられがちな強面をくしゃっと綻ばせる。

「承知しております。ですから、これは我らの意思。不肖の弟子達の勝手を、どうかお許し下さいますよう」

 肩越しに言うと、こちらの返答も待たずにサッズは岸に向かった。応急処置を終えたミラも遅れ馳せながら続く。

 遠目でも弱い月光の中で妖魔の爪が盛んに翻るのが判る。同時に聞くに堪えたい異音が、彼らの向かった先からシバの耳にも届いた。

「……!」

 使命を授かった身で死地に赴くなど馬鹿げている。彼らを犠牲にしてでも自分は逃れるのが筋ではないか、と理性が囁く。

 だが。

(私には、あの者達を見殺しには出来ない)

 シバは短刀を逆手に構えると、意を決して血風吹き荒ぶ中へと躍り出た。




 新たに生じた血臭で続々と妖魔が集まってくる。

 一人でも助けようと唯一の武器である短刀を閃かせながら、ここでようやくシバの中に一つの疑問が生じた。

(おかしい。何故アマラが生者を襲う)

 アマラは、墓荒らしアマラの名の通り、墓を掘り起こして死体を食らう、捻じくれた二対の角を持つ妖魔である。

 だが如何に強い腕力を持つとはいえ、アマラは比較的臆病な妖魔で、ある程度手傷を負わせればおのずから退く。故に本来生者が襲われるはずが無いのだ。

 しかしこの状況はどうだ。対峙するアマラは嬉々として護士達に襲い掛かり、まだ息があっても貪り食っている。

(いやそもそも、アマラはこのような姿であったか?数年前退けた時はもっと小さく、人ほどの大きさであった筈……)

 間違っても竜族すら見下ろす身の丈では無かった。

 何かがおかしい。そう思いはすれど、現状では予測することすら不可能であった。

(このままでは皆やられてしまう)

 己の無能が歯痒くて仕方ない。

 力さえ、力さえ封じられていなければ。

(何の為に私は…!)

 国を捨てると決めたのは、彼らのような犠牲者を少しでも減らすと誓った為ではなかったのか。それともこれは必要な贄だとでも言うのか。

 ちょうどその時だ。眼前の一人の護士が河原特有のごろりとした石に足を滑らせた。体勢を崩し、無防備にも仰向けに倒れる。衝撃で手放してしまった剣は、運悪く川に落ちてしまう。

 見慣れぬ護士は十八歳のサリフよりも更に若かった。少年といっても差し支えない顔立ちが絶望に引き攣った。覆い被さるように迫ったアマラが、腕を大きく振りかぶる。シバは咄嗟に両者の間に割って入り、短刀で攻撃を受け止めた。

 刃は真っ二つに折れた。損耗著しい上に耐久上限を大きく上回る攻撃をまともに、しかも真正面から食らったのだから。

 そのまま袈裟懸けに引き裂かれなかったのは、ひとえにシバの過去の実戦と、ほんの一匙加味された奇跡の為せる業だろう。

 だが残った刃と鍔を使って爪を弾いたまでは良かったが、その弾みで短刀も弾き飛ばされ、夜の闇に消えてしまう。

 妖魔はすぐさまもう片方の腕を振り上げた。二人一編に叩き殺す気なのだ。

 完全な丸腰。背後に庇った護士の少年も同様である。

「……!」

 シバは本能的に肩越しに手を伸ばした。

 そして掴む。質素な布越しに感じる硬い柄を。

 神器オロチ。幽世かくりよの霊剣。

「……」

 ぐぅ、と柄を握る。手立てはこれ以外無い様に思えた。シバは無心に祈る。

(今だけ、今だけは私に使わせて下さい。せめて、妖魔を退けるまで)

 溺れる者が藁を掴むように剣を抜き放とうとした。

「!」

 シバの顔が驚愕に染まる。

 剣は抜けなかった。それどころか、腕そのものがピクリとも動かせない。

 抜くな、と。何者かが背後から剣を押さえ付けているような…。

(何故……っ!)

 妖魔の鋭い爪が振り下ろされる。こびり付いた肉片を靡かせながら、死が真上に迫った。

 シバは目を見開く。

(駄目だ、まだ諦める訳には……ッ!)




 ―――変化は、劇的に起こった。


 


 時間が間延びする。

 川を流れる水が急激に粘度を増し、轟音が遠ざかる。

 水飛沫は水晶の如く硬化して飛び散った姿のまま空に止まり、虫は羽ばたいた姿のまま宙に固定されている。

 妖魔も含め、ありとあらゆる生命がぴたりと静止する。

 雲が凍り、流れ行く星々が夜空に捕らわれる時。

 空怖ろしい程の静寂とともに、それは顕われた。



 背後から吹きつける圧倒的な存在感。

 シバは動けなかった。柄を握る手が震える。

(居られる。すぐ後ろに)

 硬直したまま、ごくりと息を呑んだ。

 動かない剣が何を伝えたいのか、今ならはっきりと判る。

御神おんかみ、振るうなと仰せか…!)

 肯、と言うように剣がちりちりと手の平を僅かに炙る。

(今この剣を使わねば皆死ぬでしょう。私は健児ちからびとではありませんが、どうか今だけでも使うことを御許し願いたい)

『ならぬ』

 はっきりとした思念。

 ただの一言であるにも係わらず、あたかも落雷に打ち据えられたような衝撃がシバを襲った。

『お前は剣の担い手であり、使い手に非ず。この者達とて、寿命があれば八つ裂きになろうとも生き残る。お前の気に悩むところではない』

 停止した時間に足を固定されていなければ、早々に膝から崩れ落ちていただろう。

 御神は、彼らを見殺しにせよと仰せになったのだ。

「出来ません」

 考えるより早く、口が動いた。

「私にとって彼らは皆、死ぬには値しない」

『敵であったのに?』

「それが…」

 シバは大きく息を吸い、吐いた。

「それが私の意志に、何の関係がありましょう」

 敵?味方?この期に及んで、どうしてその様に括る必要があるのか。

 彼らも自分も、同じミサキの民なのに。

『ほう』

 止まった時間の中に、忍び笑うような震えが走った。同時に重苦しい威圧感が嘘のように軽くなる。

『代償を払う勇気はあるか?』

 気まぐれ、誘い、言い方は様々有れど、シバは乗った。

「あります」

『ふむ。ならば暫しの間、力を貸そう』

 押さえられていた剣が解放された直後。それこそ叩き潰される羽虫の如く、全身に途轍もない圧力が掛かった。特に脳に対する負荷は大きく、即死しないのが不思議な程である。

「ッッ!……ぐ、あっ」

 バチュンッッ、と四肢の甲が爆ぜる。よくよく見る事ができたならば、この裂傷によって手首を巡る何本もの刺青線が全て寸断されたのが確認出来たろう。封印呪が力ずくで消し飛ばされた証である。

 塞き止められていた力は怒涛の勢いで全身を巡り、やがて額の一点に集約される。

 人知を超えた力。

 シバの意識は白熱のなかで乖離した。



 鋭い軌跡を描きながら、星が流れ落ちた。

 獲物を潰そうとした妖魔の腕が、その獲物の髪に触れる寸前でビクリと止まった。警戒の唸り声を漏らしながら距離をとる。

 剣と思しき布包みから手を放した者は、シバの姿をしていながら、まるで異なる威風を漂わせていた。

 苦痛に曲がっていた背筋をシャンと伸ばし、泰然と立つ。四肢の出血は依然止まらず、濡れそぼった袖を伝ってぽたぽたと滴っている。

 歳相応の穏やかな顔は微笑んでいるように見えるが、そこに明確な感情は存在しない。ただ淡々と、縹色の目で見渡していた。

「ふむ。よくもまあ、ここまで沸いて出たものよ」

 シバの声で言い、燐光を纏い始めた右手を、まるで差し伸べるかのように天に掲げた。

 妖魔を見据える瞳が、真紅に変わる。

『去れ』

 直後、俄かに現れた雷雲から、原始的な凶暴さを孕んだ赤い八つの稲妻が、八体の妖魔に向けて槍の如く飛来した。

 周囲を真昼に変えるほどの光に、打ち抜かれた妖魔は大きくよろめく。そしてその身を灰色の塵に変えると、いとも容易く崩れ去った。

 この場に集まった八体全てが。至極呆気無く。

 残されたのは粘つく血溜りと人の残骸、武器を構え呆然と佇む者や虫の息で呻く者だ。

 後にも先にも変わりなかった水音だけが響く。

「な…」

 庇われた護士の少年は、未だ立ち上がれずにいた。が、そのまま凍りつく。

 唐突に振り向いた、今の現象を引き起こした本人と目があったのだ。

 葵色に変化していた二つの瞳が、見定めるように、スウ、と細まる。

「ハ、アァ……」

 恐ろしいまでの脱力感が全身を襲う。

荒神カンドラ……)

 ひどく頼りない、心細いような気持ちが湧き上がっていた。まるで赤ん坊のころに戻ったような。否、もっと酷い。

 人外の者の眼差しに正気を失いかけそうになる。しかし幸いにも視線は直ぐに逸らされた。視界から解放された少年は、精も根も尽き果てたよう崩れ落ちる。

 誰もが沈黙し、動かない。皆シバの身に降りた、明らかに高次元の存在をまざまざと感じ取っていた。しかし、次に発せられた一言で激震が走る。

「ひと時の間、お前達を皆を審神者イェルマとする」

「!!」

 声無き悲鳴が上がる。

  審神者とは、神の語る言葉、その真意を見極める者のこと。当然、誰にでも務まるものではない。

 あまりの恐れ多さに、体の自由が利く者はすぐさま平伏した。

 今や全身に燐光を纏ったその者は、生き残った全員を静かに睥睨する。

「遠からずミサキは堕ちる。不滅の者を厭うのならば去れ。これは我らの最期の慈悲」

 そしてある人物に視線を止める。

 す、と指を突きつけた。

「お前」

 重症を負いながらも、辛うじて生き残ったユイの部下の一人。アナンと同じ年頃の竜族の男である。

 竦みあがった男が「ひぃっ」と息を漏らす。

「お前が仕える者達は、如何なる警告にも耳を傾けなんだ。本来であれば捨て置くところだが、我がゲキは請うた。故に、お前に使命を与えよう」

 赤味が抜け、深い青に変化していく瞳をひたと据えた。

「何を為せば良いかは解って居るな」

 男は蒼白な顔で震え、小さく頷いた。

「ならば成せ。そして努々忘れるな。民の結末はお前次第ということを」

 その目は急速に色を濃くし、黒に近付いていく。

「ッ、シバ様!?」

 いきなりシバの体が前のめりに倒れた。

 素早く駆け寄ったサリフが体を支える。しかし人間が大柄な竜族を抱えることなど難しい。サリフは後から来たサッズの力を借りて慎重にその体を横たえた。その間も燐光は霧散し、辺りが更に暗くなる。

 シバ自身の意識は朦朧としていたが、黄金色に輝く偉大な存在が急速に離れていくことを感じていた。

『これでよいな。更なる介入は機神の領域。お前の存在値では残りの生命を以ってしても賄えぬ。当てがあるのならば別だが』

 いいえ、とシバは心の内で首を振った。

(十分でございます。御神の温情、しかと賜りましてございます。これより先は地上の者の責任。生くるも死するも、定めならば受け入れましょう)

『ならばよい』

 太陽が地上から消え失せたかと思うほどの喪失感が襲う。身の内に依っていた神が去ったのだ。

 シバはゆっくりと目を開く。闇に慣れた彼の黒い瞳に、泣きそうな顔でこちらを覗きこむ弟子達の姿が映った。

「!、目を開かれたわ!」

「シバ様、お加減は!?」

「…あまり、良くは無いな」

 痛む四肢を無視して起き上がろうとするも、激しい疲労と眩暈に邪魔されて失敗する。相当量の出血があったこともあり、体の芯をごっそりと削り取られた気分だ。

(いや、確実に何かしらの変化は蒙っているだろう)

 現に即席の包帯が巻かれた手足を確認していたとき、左側の視野が明らかに欠損していることに気が付いたのだ。残った右目を手で覆えば、世界は真っ暗闇に閉ざされる。左目の視力は完全に失われていた。

 宛がっていた手を下ろしながら、シバは己の先もそう長くないかもしれぬとふと思った。

 限度を超えた力は破滅をもたらす。神の力を直接ふるうとは、そういうことなのだ。

 甲斐甲斐しく世話を焼こうとする弟子達を見る。

 生き残ったのはたったの九人。うち五人がシバの弟子達で、残りの三人がユイの部下だ。皆満身創痍であったが、生きている。アナンもなんとか無事に生きていた。ヴィサが命懸けで守ったおかげだ。そのヴィサが使える範囲の法力で治癒を施して回っている。

 亡骸のほうはすぐにでも荼毘に臥さなければならないだろう。他の妖魔が引き寄せられないとも限らないのだから。亡くなった者達には申し訳ないが、まともに埋葬してやろうにも、最早状況が許さない。

 無念を噛み締めながらそれらを眺めていると、あの竜族の男の姿が眼に入った。

 つい先ほど灯された明かりが、ユイの残骸の傍らに立つ姿を浮かび上がらせている。

 シバは転ばないように立ち上がると、静止しようとするミラとサリフをそこに留め置いて近付いた。

「……お前は、セーダか?」

 呼びかけるとビクリと顔を上げた。

 黒髪は固まった血で縺れ、細い面は憔悴しきっていた。治療を終えた右腕は、肘から先が無くなっていた。塞がったばかりの傷口を覆う包帯が痛々しい。

 セーダはシバの姿を目にすると、すかさず睨み付けた。

 けれど威勢は長く続かない。最早意味が無いと悟ったのだろう。瞳に残っていた気力はじきに薄れ、セーダはがっくりと項垂れた。

「…貴方は、矢張り“見子ツェルマ”なのか」

 ポツリと呟いた。諦念の籠もった確信。なんとも苦々しい声であった。

「見子、一つお聞きしたい」

「なんだ」

 シバはセーダの目線に合うよう正面に立つ。セーダは一度顔を逸らすも、覚悟を込めてシバに向き直った。

「ミサキは、……滅びる、の…ですか」

 シバは目を逸らさなかった。

「そうだ」

 セーダは苦しげに唸る。

「何時」

「わからぬ。明日かもしれぬし、一月先かもしれぬ。だが近いうち、おそらく半年以内には。そしてこれはミサキだけには留まらぬそうだ」

「…止める手立ては」

「最早無い。人の手の届かぬところにて采は振られてしまった」

「どのような目が出るかは、我々次第…と?」

「御神はそう仰せになられた。…お前は聞いた筈」

「そうだ。審神者…私が……はは、ははははは」

 糸が切れたように崩れ落ちる。シバは素早く支え下ろした。

「セーダよ、気をしっかりと持つのだ!」

「気を……?」

 セーダはうわ言のように呟くと、無くなった右手に目を落とし、押し黙った。

 徐々に、絶望に染まった顔が幽鬼のように歪む。その一方で、黒い瞳の中には神官には凡そ不似合いな、荒らぶる感情がめらめらと湧き上がるのをシバは目にした。

「……くそ、…くそぉっっ」

 シバを突き放し、頭を掻き毟ると、セーダは感情を爆発させた。涙混じりに誰かを詰り、喚き散らしては呪いの言葉を吐く。

 シバはそのどれもを黙って受け止めた。色めき立つ弟子達を手を挙げて宥め、セーダを見守る。

 この若者の心中は痛いほど理解出来た。彼の悲嘆はいつかの自分も抱えたものだったからだ。

「…何故、貴方が国を裏切るのか。その訳が、よく、解りました」

 セーダは荒い息をつきながらヨロヨロと立ち上がる。

「…見子はこれより、どちらへ参られるのか」

「…御神は、ヤハタに向かえと仰せになられた」

 続いて立ち上がったシバを、セーダは信じられないとばかりに見た。

「ヤハタですって!?…あのような混血の国へ。…まさか、ソンの竜族に我が国の神器を引き渡すおつもりか!?」

 シバに背負われた布包みを血走った目で睨む。

「…知っていたのか」

「わからないとお思いか?私は見子ではないが、十襲とえ見鬼ハクラだ。通常の国宝とは違う揺らぎを放つそれを、どうして見間違えようか!」

「ならば奪い返すか?」

 シバが冷静に切り返すと、セーダは苦々しい目をして唇を噛んだ。

「まさか!……あの時あの場に誰が居られたか、この中で貴方の次に理解しているの私。……それが、貴方に課せられた使命なのでしょう」

「そうだ。だがセーダよ。私は何もソンの者の王家にこの剣を渡すわけではないよ」

 怪訝な顔でセーダはシバを見た。何を言うのかと。

 竜族の神器は竜族のみが扱える。ソンに渡さないというのなら、使う資格を持つのはあと二部族。だが、この場合ヤハタへ赴く意味が知れない。両部族の在る国は、どちらも違う方角に存在しているからだ。

シバは荷に括りつけた剣を外し、包みを一部解く。

 粗末な布の中から現れたのは、緻密な作りながらも、どこか原始の力を感じさせる一振りのつるぎ

 オロチ、と震える声でセーダは呟いた。

「……そうだ。だがそれは正確ではない。なぜなら、まことの名はとうの昔に失われ、最早知る者は誰一人として存在しないからだ…」

 シバは静かに続ける。

「神殿に秘匿された史書の一箇所に、剣には封印が掛けられていると云う記述があった。しかし真名しんめいが失われた今、一体どのようにすれば良いか、正直なところ見当もつかんよ。誰に渡すかすら知らされておらぬ。御神はただそこにて待て、と。それだけを仰せになられた」

「それはまた…」

 抽象的過ぎる話だと、素直にセーダは思った。待つ、ということは、それこそこの見子の残りの生涯を全て捧げることにもなりかねない。

 セーダは今更ながら、シバの覚悟に気付いた。

 彼の意思を理解し、納得した。

 セーダは血溜りの中に足を踏み入れると、落ちていた天晴眼を拾い上げた。血で曇り、激しい損傷を負ってはいたが、残った細工の形でもとの持ち主がわかる。

 セーダはそれを懐に収めると、決意に満ちた目でシバを見た。

「行くのか、セーダよ」

「はい。御神に使命を賜りました。あの奇妙な妖魔の件もあります。一刻も早く行かねば」

「…死ぬかも知れんぞ」

「貴方がそれを仰るか」

「ふ、確かにな」

 シバはつい笑みを漏らすが、彼の先行きが暗いのは目に見えていた。

 自分を逃す上、上位であるユイは死んだ。いくら妖魔の介入があったとはいえ、責任の置き所に一番近いのは彼だ。

 けれど彼は戻らなければならない。同胞を少しでも滅びから遠ざけたければ。

「行こう。都へ戻る」

 シバの弟子達は動かなかった。彼らはこのままシバに付いて行くつもりなのだ。セーダも予想していたのか咎めることは無い。

 ただ、ユイの部下であった一人の護士が動こうとしなかったのには驚いた。

「セーダ様、僕は…都には帰りません。シバ様、どうか僕をお連れ下さい」

「……名は?」

「ジェーダと申します」

 お願いします、と頭を下げたのは、シバが救ったあの少年であった。もう一人の護士が叱責の声を上げるが、少年は引き下がらなかった。

「お願いします!どうか……僕は、聞こえたんです」

 シバとセーダは、その言葉に顔を見合わせた。

「セーダ」

「この者には、確かに覡の片鱗はあると見ていましたが…」

「先ほどのことで見鬼ハクラを得たようだな」

 はあ、とセーダは大きく息をついた。

「お連れ下さい。下手に連れて帰るより、見子のお傍に置くほうが役に立ちましょう」

「よいのか?」

「本人もこう言っておりますし、私も今からこの者に修行をつけている暇は無いでしょう。可能性のある者を留める事など、不毛です」

「わかった。こちらにはヴィサとサリフがいる。力の使い方は彼等に教えさせよう」

 こうして同行を認められたジェーダは、状況が理解できるとセーダに深く頭を下げた。

「セーダ様、有難うございます!」

「よい。それよりも、決して見子の足枷とならぬように。わかったな」

「はいっ!」

「では見子。これでおさらばです」

「うむ」

 火葬が終わると、セーダは素早く立ち去っていった。これからあの若者に降りかかる困難は如何ほどか。せめて命があればよい、とシバは思わずにはおれない。

(なんとも、他人の心配をしている場合ではないのだがな。セーダよ、無理はしてくれるな…)

 セーダの背中が木立の中に消えると、シバはいよいよ外を目指す。

「シバ様、これからどこへ…?」

 ようやくまともな状態に近付いたアナンが、全員を代表して尋ねる。どの顔も疲れ切ってはいたが、あのような話を聞いた後でも希望を失っていない。

「聞いていた者もいるだろうが、ヤハタへ向かう。長い旅になるぞ」

 ヤハタは海辺の国である。

 国民には人間が多く、国を造った竜族は混血を入れても三割にも満たないという、単一民族を好む竜族にしては異色の国である。

 説明しながら山肌に目をやると、ほんのり明るくなっていることに気付いた。山の稜線が鮮明になり、やがてぽつぽつと光があふれる。

 シバは眩しさに目を細める。

「夜が明けたか」

 そして彼らは導かれるように、一歩を踏み出した。




 ミサキの国はこの二月後、謎の疫病により半年と経たず地図の上から姿を消した。

 後に調査に入った隣国ジスの調べでは、生存者は居ないとされる。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

話としては一旦切りになります。

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