ルグラン嬢の肖像
「まったく、信じられないわ」
高く澄んだ声が、廊下の奥の部屋から聞こえてきた。
石造りの家は音を響かせ、言葉を曇らせるが、今日の寒さのためにリビングにまではっきりと届いたのだ。
食後の落ち着いた時間に満足していたミレは、何事かと心配になり声がする方を見つめた。
「ねえ、お母様、聞いてよ」
怒った様子で娘のマリーが部屋に飛び込んでくる。
暖炉の火が暖かく迎えた。
「最近お父様のいつものセータを見かけないと思ったら、捨ててしまったんだわ」
紅潮した顔で、声を弾ませながら母に訴えかける。
「そんなの、わからないじゃないの」
ミレは息巻く娘に反して、少しからかうように答えた。
「きっとそうだわ、箪笥に無いもの。あんなに気に入っていたのに」
そう言いつつ、まだ12歳になったばかりの彼女は、部屋の中を歩き回る。
小さな白いブラウスが、炎に照らされ、明るいオレンジをほのかに乗せていた。
マリー・アデルフィーヌ・ルグランは学校では明敏で、特に歴史の成績が良く先生から褒められることも多かったが、家の中では甘え盛りで、こうして家族、とくに母親とおしゃべりをよくした。
ミレは稼業の麦わら帽子作りの最中でも、マリーとの話しを楽しんでいた。
「セータ飽きちゃったのかな」
窓際に立ち、深緑のカーテンの透き間に手を分け入れて、外を眺めつつマリーはつぶやいた。
白樺の林は、ただ静寂を称えるばかり。
「そんなことはないと思うわ」
ミレは言ってみたが、そろそろ湖にも氷がはる季節である。
防寒着を人に貸したと考えるのは難しい。
マリーは変わらず沈んだ庭を見続ける。
ガラスに映った不安そうな幼い顔に、ミレは愛情を抱かずにはいられなかった。
「きっと大丈夫よ。そういえば、そろそろお父様の誕生日ね」
誰が聞いてもわざとらしさを感じる言い方だったが、しかしこのときマリーに気づかれることはなかった。
「ねえ、覚えている?」
「知らない、そういえばそうだったかも」
母からの質問にあわてて答えて、マリーの声はうわずっている。
何かを悟られまいとして急いで部屋から出て行った。
やわらかに波立つブラウンの髪が肩から一房こぼれ落ちたのが印象として強く残った。
笑顔で見送ったミレは、まだかすかに湯気立つコーヒーに口をつける。
小さく含み笑いして一呼吸すると、新しい帽子の図案に目を落とし、そしてそのまま製作に没入した。
先日、街の教会に着古したセーターが一着寄付されている。
父も母も、娘のタンスに編みかけのセータが隠されていることを知っていたのだった。




