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7 : 山下斎蔵




 


 ボーン……ボーン……ボーン……ボーン……。

 鐘の音に顔を上げれば、柱時計の針先は夕方の6時を指している。


「あららぁ、もうこんな時間だ。夕飯の支度をしねえとなあ」


 腰を浮かそうとしたハルさんを「俺がやります」と手で制す。


「だぁめだ。お客さんは、じいっと、しているもんだよ」

「いや、集中してたら肩凝ったんで。むしろ身体動かしたいんで」


 ノートパソコンをぱたんと閉じ、思いきり伸びをしてみせる。実際のところ、柱時計が鳴るまでは腹が減っていたのも忘れていた。


「そうかい。そんならひとつ、お願いしようかねえ。申し訳ねえけど、もう少しこっちがかかりそうだからよう」

「つっても俺、たいしたもんは作れませんけどね。こないだ持ってきたうどん、まだありますか? あったら、あれでもいいすかね」

「ああ、ああ、立派なお御馳走だあ。山下さんは、おらよりよっぽど上手くうどんを茹でてくれるから、楽しみだ」

「そんじゃ、ちょっくら作ってきます」


 ハルさんは老眼鏡をかけて針仕事へと戻り、俺は台所へと向かった。ちゃぶ台の裁縫箱では、への字さんがトトイと一緒に毛毬を作って遊んでいる。

 昔ながらのアルマイトの大鍋にたっぷりと水を張って火にかける。沸騰を待つ間に裏口から畑へ入り、青じそと小葱を少しずつ収穫した。外では茜が藍に溶け込み、一番星がまたたいている。

 俺は使い込まれたまな板の上で、鼻歌混じりで青じそを刻んだ。小気味いい音と共に、清々しい香りがたちのぼる。本格的な自炊とは縁のない人生を送っているが、こういった作業は結構好きだ。


 時折、こうしてハルさんの家で、一日を過ごすことがある。


 ハルさんが退院して以来、俺は毎日彼女の家へと出向いてリハビリがてら散歩をした。畑作業をしている人や歩いている人を見かけると、ハルさんはいつも声をかけては俺の事を紹介した。


『若ぇもんと一緒にいるとよう、おらまで若返っちまうんだあ』


 にこにこしているハルさんの隣で頭を下げているうちに、少しずつ顔見知りが増えていく。ハルさんから野菜や漬物を貰い過ぎてしまった時は、たいした自炊ができない俺では全部を消費できないため、ハルさんの了承を得てからご近所の家にお裾分けをした。それを幾度か繰り返すうちに、少しずつ頼まれ事――たとえば、蔵にぶら下がる電球を高い脚立に跨って付け替えたりだとか、重い箪笥を動かすために一緒に持ち上げて運んだりだとかいった、本当にちょっとした事ばかりだ――を訪れたついでに受けるようになり、気付けば引っ越し当初に比べて俺に対する不信の目は随分と減ってきたように思う。


 ハルさん家はとにかく、居心地がいい。風の通りが良いせいか、すっきりとしていて淀みがない。

 俺の狭くて散らかった自宅よりも断然仕事が捗るため、今ではこうして頻繁にお邪魔をしている始末である。


 ――トトト。

 梁から、ネズミが駆けまわるような音がした。首を伸ばせば、小さな影が行ったり来たりを繰り返している。休むことなく往復を続ける様は、永久運動を見ているようだ。


「ヤスケか。何をそわそわしているんだ」


 うどんの袋を開けながら訊けば、「帰ってこない!」と降ってきた。


「ああ、武田さんか。暗くなってきたし、もうそろそろ帰ってくるだろ」


 袋の裏に書かれた茹で時間を確認する。クライアントから戴いた本場香川の手延べうどんは、普段茹でているうどんよりも茹で時間が結構長い。

 右肩に、とすん、と影が落ち、座りながら嘆息する。


「それにしたって、遅過ぎだろう……」

「もへ次も一緒だから大丈夫だろ。あんな口調をしているが、結構頼りになるんだぞ? ハルさんが溺れた時も、見ず知らずの人間(おれ)の前に姿を現しに来たくらいだからな」


 小人が人間の前に飛び出すことが、どれだけ勇気のいることか。人間である俺にだって、ある程度の想像はつく。もへ次は喋りこそ爺さんのようだが、心は勇敢な青年だ。


「……分かっている」


 ぶすっとした顔でヤスケは認めた。


「あいつがいい男なことくらい、見ていれば分かる」

「はは。ま、村に危ない場所なんてそうそうないし、武田さんも勝手は知っていることだし、どうせ何処かで油売ってんだよ、心配すんなって」


 確かに、『連れて行きたいところがある』と、もへ次が武田さんを連れだしたきり、既に何時間も経過している。携帯電話も置いているため、こちらから連絡も取れていない。だが、普段のよもぎ村は押し売りですら滅多に来ない、至って平穏な村である。あのもへ次が武田さんを危険事に誘うとも思えない。


 俺は広げ回すように乾麺を入れると、スマホのタイマーをセットした。沸騰した湯にうどんを入れても、すぐにかき混ぜてしまうと麺割れする。再沸騰まではこのまま待機だ。


「……だ」


 呟きの最後しか拾えなかったため、「何だって?」と訊き返した。再沸騰が始まったため、菜箸を入れてかき混ぜる。湯気と共に小麦の匂いが、ほわあっと俺の顔を覆い、レンズを薄く曇らせた。アルマイトの中を泳ぎ回る麺が、少しずつ表面から透明になっていく。


「いい男だから、心配だ」


 ボソボソと溢す小人の言葉を、俺は意味が分からずにぼんやりと聞き――、思わず、首を右に曲げた。


「え。もしかして、お前。武田さんが、もへ次と何かあったんじゃないかって、そっちの心配してんのか」

「な、無いとは言い切れんだろう!? 種族が違うとはいえ、男だぞ、男!」

「いやいやいや、そもそも小人と人間だぞ? 男と女以前に、体格が違い過ぎるだろ」

「しかし、愛が生まれてしまえば、多少の壁など……」


 ごにょごにょと口籠ったヤスケは、やがて再度嘆息した。


「……すまん。今のは忘れてくれ」

「お前って、結構過保護だったのな」

「煩い」

 

 やあやあと掛け合いながら大根をおろし、まな板と包丁を洗ってから竹ざるを出す。そういえばつゆのストックはあったっけか……と冷蔵庫を開け、ガラスのポットに半分ほど中身が入っているのを確認した。ハルさん特性の万能出汁醤油があれば、ただの茹でうどんでさえも御馳走だ。この味に舌が馴染んでから、俺は市販の麺つゆが使えなくなってしまった。


「ほーいほい、今帰ったぞ!」


 ゴムまりのように飛び跳ねながら戻ってきた小さな影に、うーい、とそちらは見ずに返事する。タイマーできっかり20分が経過したのを確認してから、準備していた竹ざるに中身をあけた。手延べうどんは少し長めに茹でた方が俺は好きだ。蛇口から捻った井戸経由の水でぎゅうっと麺を締めていくと、柔らかでもちもちとした食感のうどんになる。


「よっし、と。完成~」


 しっかりと水けをきってから、丼鉢を三つ取り出す。薬味は、小葱、青じそ、刻み海苔、納豆、それからおろし大根に花あられだ。あられは、茶漬け用に欲しくてネットで取り寄せていたものをハルさん家にも置いている。お茶漬けを食べたり昆布茶を飲む時などにいいアクセントになるのだが、ハルさんはほとんど使わず、もへ次達のおやつになっている。

 小人達の分は漬物用の小鉢でもいいだろうか。そういえば、なんとなく武田さんの分も準備してはみたが、彼女は実家で夕飯を食べてきそうな気がする。


「武田さーん、うどん作ったんすけど、食べますか?」


 麺を取り分けながら訊いてみたが、返事はない。


「武田さん?」


 ハルさんの方に行ったか、と顔を上げる。目に入るのは、居間で針仕事をしている小さな後ろ姿だけ。


「もへ次、武田さんは?」

「ふっふっふ」

「もへ次?」

「ぬふふのふ」

「おい! サキはどうした!」


 俺から飛び降り、もへ次に詰め寄ったヤスケに、「そこにおるじゃろ~?」と笑い声が指す。言われた方向をヤスケと見たが、ビニールクロスの掛かったテーブルに花柄の魔法瓶が置いてあるだけだった。


「適当な事言うな。サキを何処に 「だーかーら! そこにおるじゃろうが。よくよく見んか。ほれ、サキ!」


 ややあって、マーガレットの描かれた魔法瓶の後ろから、おず……と、小さな頭が顔を出した。もへ次とヤスケの背の高さと同じくらいか、下手したらそれよりも、もっと小さくて、ふわふわした髪の、




「え…………も、しかして……、武田、さん?」




 恐る恐るの問いかけに、ふわふわ頭の可憐な小人は、泣きそうな顔で頷いた。

 


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