6 : 武田早紀
とんとんとんとん。
乱切りにしたナスを熱したフライパンにばらばら落とす。じゅわっという音を聞きながらふかふかの果肉を木べらで転がし油を吸ったところで豚コマ肉を追加。時折重ねたキッチンペーパーで余分な脂を吸わせていく。
「あっつー」
いくら九月中旬とはいえ、狭いキッチンで一口コンロを延々使い続けていればエアコンのエコ設定なんて意味がない。本当は一気に下げたいところを、ピ、と一度下げで我慢した。急激な気温変化は小さな身体に悪そうだし、どうせ今の格好なんてノーメイクにコンビニまでOKな二軍落ちシャツとハーフパンツだ。
「お、肉の匂い! 今夜は何だ?」
「はいストーップ!」
コンロの傍に飛び乗った影をしっしと手のひらで追い払う。
「ヤスケ降りて! トトイが真似する!」
「そうだった」
影はぴょんと離れると、今度は私の腕から肩へと飛び映った。
「やだっ! ちょっと、私、今汗かいてんの!」
「そうか」
「そうかじゃなくて、降りて! 早く!」
「オレは別に気にならん」
「あんたじゃなくて私がするんだってば! 降りて!」
「……女とは面倒臭い」
「あ゛?」
「おります」
ぴょんと床に降り立ってこちらを見上げたのは現在同棲中のイケメンだ。はい見栄張りましたー、小人です、ヤスケです、イクメンです。でもまあイケメンって部分は、あながち間違っちゃいないけど。小人ってさあ、私が知る限りみんな顔立ち整ってんだよねえ。ちっちゃいからアラが目立たないだけかもしれないけど、もしも同じ大きさになったら一体どんな感じに見えるんだろ……。
「おい、何をぼーっとしている?」
「やばっ! 焦げる!」
慌てて木ベラを持ち直すと、私はフライパンに集中した。
半年前のバレンタインの出来事をきっかけに、私は自分のボロアパートで小人達と共同生活を送るようになっていた。とはいっても、これまでヤスケとトトイは私の部屋にずっと隠れ住んでいたらしい――知らなかったのは、私だけ。
『いっやあああああぁっ!』
事実を知った瞬間、私は頭を抱えて絶叫した。だってだって! 独身女の一人暮らし事情の、あんなことやこんなことや、そんなことなんかまで見られていたら……、うぼおぉおお~~~っ!
(これまでは、なかったことにしよう)
追い出そうか、いっそ叩き潰してなかったことにしようかと散々悶えて悩んだ挙句、そう切り替えることにした。
……だってさぁ、トトイちゃんが可愛いんだもん。天使みたいな豆神様によちよち歩いてこられて、指にしがみつかれながら『まんわぁ』って、エンジェルスマイルおねだりされて、それでも外世界に放り出せる奴がいたらそいつは人じゃないね、鬼だ鬼。
じゃっじゃっと炒めたナス豚に薄く味噌をベースにした調味料を絡ませてから平皿に移す。仕切り付きの豆皿二枚に細刻りキャベツを少しずつと塩で味つけしたポテトサラダと四分割したプチトマトを盛り付け、残りスペースにナス豚を刻んだものを乗せる。御猪口には白米と味噌汁をよそった。
「よーし、完成。ご飯でーきた!」
お盆に乗せてコタツまで持っていくと、トトイちゃんはマスコット人形の上にしがみついたままぐっすり眠っていた。
そんなわけで、今夜は私とヤスケの二人で食卓を囲むことになった。布団の無いコタツ台には百均で調達した小さな白木箱を組み合わせて置いていて、これが小人用のテーブルと椅子になっている。調味料を入れたプラスティックトレイを食事時に常備するようになったのは、薄味に私が物足りない時のちょい足し用だ。
「いただきます」
爪楊枝をカットしたお箸を持ち上げ合掌すると、ヤスケはご飯をマンガ盛りにした御猪口を抱えて食べだした。小さいながらもやっぱ男の人の食べ方だよなぁと思いつつ、お米代わりの発泡酒をシュコッと開ける。
「そうだ、ヤスケ覚えといてよ。明日実家に行ったらおもちゃ箱探すから」
「ぱくぱく」
「たぶんまだ捨ててないはずなんだよね~。人形用の家具や食器を探して、残ってたら持って帰ろうと思ってるんだ。ご飯やお味噌汁食べるのに御猪口だと重いでしょ」
「もぐもぐ」
「……やっぱり器はハルばあちゃん家に持ってってあげよう。うん、もへ次君とへの字ちゃんにプレゼントしよう、そうしよう~」
「ごっくん。いるぞ! 汁椀は軽い方がいい!」
「それならちゃんと返事する」
つん、と軽く頭を叩く。
「すまん、サキの飯があまりに旨過ぎて夢中になっていた」
「……いいけどさぁ」
くっそ~、ナチュラルに褒めてきやがった! イケメンってこういうところもイケメンだったりするんだよね~、知ってる、小人だけど、小人だけどぉ!
「はぁ……」
頬杖をつきながら酒を飲み、イクメン小人をじっと見る。
男運、かぁ。
前より少しは上がってきたんだろうか。それとも、下がったんだろうか。
*
朝のコーヒーを飲み終えてから電車に揺られて一時間半。改札を出て伸びをする。
「二人共大丈夫? 苦しくない?」
返事の代わりにもぞもぞとウエストポーチが小さく動く。
軽いクラクション音と共に父が乗用車から顔を出した。ここから30分ほどかけて山道を走らせていけば私の実家に到着する。
バレンタインの出来事以来、今ではこうして月に一度はよもぎ村を訪れている。何年も帰らなかった娘が突如頻繁に帰省するようになったことを両親は喜んでいるものの、急な変化を訝しんであれこれ探りを入れてくる。まあ、その辺りはうまいこと笑ってぼかしつつ土曜の昼前には実家に着き、翌日午後には帰宅するというまったり帰省を楽しんでいた。
短大入学と共に家を出て就職後はぱたりと帰省しなかったけど、やっぱり田舎は空気がいい。実家で仏壇にお参りする間もどこからか鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「お昼終わるまではこっちで過ごすけど、そっちはどうする、先行ってる?」
お土産菓子を仏壇に置きながら、ポーチから出てきたヤスケ達にひそひそ声で訊ねてみる。
「……いや、ここで待っていよう」
ヤスケは一人で外に出たがらない。田舎とか人いないし、のびのび歩けると思うんだけど。
「じゃあ、それまでゆっくりしてて。お茶とおにぎり、ここ置いとくから」
台所から小さなお盆と御猪口を借りてきて、御猪口にはペットボトルのお茶を注いでお盆に乗せた。ラップで巻いたゴルフボール大のおにぎりを数個広げて隣に乗せる。これをお供え物の近くに置けば、万が一両親がやって来てもヤスケ達はすぐに隠れられるし、おにぎりは私がお供えの真似事をしたと思わせることができる。
台所で昼食の支度をする母の隣で手伝いという名のつまみ食い。うん、この味この味。煮物って出来合いよりやっぱ手作りが美味しいなぁ。
「あんたがよく帰ってくるようになって、嬉しいわあ」
母がにこにこしながら刺身の短冊を切る横でごりごりと胡麻合え用の胡麻を擦る。父さん頑張って朝から遠出してくれてるなぁ、この辺新鮮なお刺身って売ってないもんね。
「ねえ、早紀」
「んー」
「山下さんとは仲いいの?」
「山下さん? あー……」
少し考えて思い出す。そうだった、山下さんってもじゃすけさんのことだ。
出会った当初は名字呼びをしていたものの、もへ次君のもじゃすけ呼び方があまりにもインパクト強過ぎて、今ではすっかり私の中で彼は『もじゃすけさん』で固定している。一応普段は『サイゾーさん』って呼んでるけど。
「まあ、フツー? ハルばあちゃん家に行く時に、たま~に顔を合わせるかなって感じ。ほら、あの二人こそ仲いいっしょ」
ちょこっと嘘。たまにじゃなく毎回会ってる。けどそんなこと言ったら誤解招きそうだから、予防線は張っとかないと。この年になるとなんとなく先の予想がついてくる。
「あんたらお付き合いしてないの? 急に毎月帰ってきて、その度に会ってるそうだけど」
ほーら来た田舎コミュニティ! 予防線ウソってバレてるし!
「あのねえ、本っ当に何もないから私達。所謂『ただのお友達』ってやつだから」
「どっちにしろそろそろいいお相手見付けなさいね。いつまでもフラフラしてたらあっという間に行き遅れだからね」
「はーい、がんばりまーす」
こういう時は下手に噛みついて長引かせるより適当に流すに限る。お刺身お刺身と唱えつつ、せっせと胡麻擦りに集中した。
「あー、田舎ってそういうところあるよなあ。いつの間にか見られてる、うんうん」
アフロヘアで頷きながら、もじゃすけさんがキャラメル・アマンド・タルトを齧る。手元のお皿の脇では小人のへの字ちゃんがうっとりした顔でカットしたタルトを抱えている。への字ちゃんは着物姿の美人さんなんだけど、珍しい洋菓子が大好きだ。甘党なもじゃすけさんがハルばあちゃん家に来る度にチョコやクッキーをちょこちょこ渡してたら、『時折で十分です。それに、少し目方が増えた気がしますので』と恥ずかしそうに断ったらしい。そういうところは小人でもやっぱり女の子なんだなぁ。
チョコやビスケットといった定番菓子はもじゃすけ宅にストックしてあるため、私はデパ地下やパティスリーのスイーツを手土産に少しだけ持ってくる。先月のピスタチオとフランボワーズとパッションフルーツのマカロンも甘党二人はきゃっきゃ言いながら大喜びしてくれた。ほんっと逐一かわいい反応をしてくれるから、あげ甲斐があるというものだ。辛党なため職場での口コミやネットレビューを参考にしつつ何にしようかと迷うひとときは最近の楽しみの一つでもある。
「まあ、まず若い男女がいないしね。だから目立つし、くっつけようとするんだろうね……」
お茶を啜りつつ呟くと、
「だったら、本当にそうなればいいよぉ」
ハルばあちゃんがにこにこしながら私達に言ってきた。
「え、いやいや」
「いやいやいや」
ぶんぶんと二人で手を横に振っても、ハルばあちゃんはうんうんと頷いている。
うーん。独身男女がいると、どうして皆すぐくっつけたがるのかなぁ……。
はあ、と息をついて見下ろすとヤスケと目が合った。タルト生地を砕いてトトイちゃんにあげながら私の顔を見上げている。
「サキー!」
ハルばあちゃんの傍にいたもへ次君が私の所まで跳んで来た。
「ちょっとそこまで、ワシについて来い!」
「えっ、何? 何なの」
「ぐっふっふ、秘ー密じゃ! サキ、腹は減ってないか?」
「あ、うん」
「喉も乾いとらんな?」
「うん……?」
「よーし、そんなら玄関で待っとれよ! ちょいと準備をしてくるでな!」
カラカラ笑うと、ぽんっ、と爆ぜるようにして豆神様が消えた。
言われた通り玄関に出てローヒールのパンプスを履いていると、背中に風呂敷を背負ったもへ次君がやって来た。腰帯に護身用の小刀を挿している。
「駄目だ、その電話機は置いていけ! 荷物はいらん!」
「えー……」
スマホ無しとか落ち着かないんだけど。
「それ、出発進行! 行っくぞー!」
陽気な掛け声と共に助走無しでぽんぽんとリズミカルに右肩に乗ってきた。運動神経ハンパない。
「ねえ、せめて何処に行くか教えてよ」
外に出て指示通り歩きながらもへ次君に尋ねる。そういえば二人きりは初めてだ。
「お前さんがようっく知っとる場所じゃ」
「も少し、ヒントプリーズ」
「仕方ないのう、大サービスじゃぞ! よもぎ村一、見事な桜の咲く場所といえば!」
「あ、派佐夜神社?」
村の最奥から少し上った所にある小さな神社。子供の頃、公園代わりに毎日そこで遊んでいた。
「へえ、なんでそこに行くの?」
「――会わせたい方が、いる」
にっ、と男前な神様が笑った。