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5 : ヤスケ



「――男の家に女が一人で入るのは感心しないぞ、サキ」


 車庫入れを笑顔で見ている宿主に、ヤスケはマフラーから顔を出して警告した。


「分~かってるって。でも、ここまできたらちゃんとハルばあちゃんに会って帰りたいじゃん?

 この辺りにビジホなんてないし、山下さん悪い人じゃなさそうだし。

 それにほら、『女一人じゃない』でしょ?」


 つん、と指先で身体をなぞられ、ヤスケは渋い顔になった。助けてもらったとはいえ初対面の男の家に寝泊まりするのなど言語道断、おまけに相手は爆発したようなもじゃもじゃ髪だ。

 だが実際、窮地に陥ったサキを山下という男は助けてくれた。実家に電話が繋がらず家の鍵も合わなかったため、この一風変わった自宅にて朝まで休ませてもらうことになったのだ。


「おい、サキ。お前がいつも使ってる細長い髪留めは持っているか?」

「えっ? ……あ~、アメピンか。コスメポーチに入れてるけど?」

「一本寄越せ」

「は? なんでよ」

「いいから! ……そら、出てきたぞ」

 男が車から降りてきたため、サキは再び笑顔を取り繕った。

「ご迷惑おかけしまぁ~す」


 鞄を抱え直すフリをしながら中を探り、サキは先端が平らに潰れたへアピンをマフラーの隙間にさりげなく落とした。ヤスケは隆起する毛糸の隙間にトトイを下ろし、肩までの長さがあるピンを槍のように持ち構え片膝をついた。

 守刀まもりがたなには程遠いが、いざとなれば飛び込んで片目を潰すことくらいはできるだろう。


『できるのは見守り程度だ』


(――そう、約束したからなあ)


 好いた男には浮気され、家に逃げようにも連絡つかず。挙句の果てに、見知らぬ男にのこのことついてきてしまい。


 こんな危なっかしい娘を、放っておくわけにはいかないだろう?



「そこの洗面所に歯ブラシのストック置いたんで使ってください。俺は仕事してるんで、ここで寝ててもらって大丈夫っすよ」


 山下はヤスケが懸念していたよりはまともな男だった。ソファの留め具を外してベッドを整え、サキに毛布を手渡すと、自分は背を向け机に向かい、かちゃかちゃと機械作業を始めた。

(会ったばかりの相手に背中を見せる気概があるなら……まあ、大丈夫かもしれんな)

 ヤスケが幾分警戒を解きかけたその時。


「……かしぃ? かしぃ!」


 寝ていた筈のトトイが大声をあげた。いつの間にか起きていたのか、毛糸隙間からテーブルを見てきらきらと目を輝かせている。


『こらっ、トトイ!』

 慌ててヤスケが口を塞ぎ、

「わ、わぁ~! 美味しそうな菓子、菓子ぃ♡ あははっ」

 サキもなんとか取り繕ってくれた。

「ああ、どうぞ好きに食べてくださ――」


 口を塞いていた手が、振りほどかれる。

 ヤスケの伸ばした指先が掴む寸前で宙をかいた。

 

「……おい、マジかよ」


 外に飛び出してきたトトイを見て、山下が呻くように呟いた。四角い眼鏡を外しながら顔を近付けたのを見た瞬間、ヤスケは勢いよく飛び出していた。

 右眼球に向かって鋭く突き出したピン先が、カシィン! と寸前で弾かれる。


「させませぬ!」


 とんぼ返りでテーブルに降りたヤスケを、ぎらぎらと燃える瞳が睨めつける。山下の肩に飛び降りたのは、紅玉のまち針を持つ着物姿の女性だ。


「もじゃすけさんに害成す者、例え同族であろうとも許しませぬ!」


 勇ましく針先を向ける小人を山下は掌で遮った。


「やー、仕方ないよ、への字さん。ほら、そこのビスケットの傍に豆粒みたいなおチビちゃんがいるだろう? 俺が迂闊に顔を近付けちまったから、守ろうとしただけ。そうだよな?」


 指差し確認で尋ねられ、思わずヤスケは頷いていた。


「ほら、な? だからもう心配無用だ」

「……もじゃすけさんが、そう仰るのなら」


 への字と呼ばれた小人は不承不承といった様子でまち針を帯紐に差し込んだ。だがヤスケに向けた視線は依然として厳しいままだ。


「ところで、こんな時間にどうしたんだ、への字さん」

「あっ、そうです大変です! ハルさんが急に苦しみだして!」

「何だって」


 山下は真顔になると鍵を手にして立ち上がった。


「もへ次は?」

「ハルさんの傍についてもらっています。もじゃすけさん、どうかハルさんをお願いします!」

「分かった」


 早足で外に出ていく山下をサキが慌てて追いかけた。ヤスケもトトイを抱えて後に続き、ゴムまりのように跳ねてコートのポケットに潜り込む。


「武田さんは家で寝ててください」

 助手席に乗り込もうとしたサキを山下が手で止める。

「私も行きます!」

「いや、もう夜も遅いですし」

「私、ハルばあちゃんに会いに来たんです! お手伝いしたいんです!」

「あ~……じゃあ、乗って」


 ブロロォン! 

 勢いよくエンジンをふかし、4人を乗せた軽自動車は発車した。

 



「――ほんに心配かけちまったなあ。すまんよう、すまんよう」

 古い家の寝床で、小柄な老婆が縮こまりながら何度も何度も頭を下げる。


「こらーっ、ハル! お前が謝ることはない! ワシらが勝手にもじゃすけを呼んだだけじゃて! のう、姉さん!」


 紺作務衣に豆絞りを巻いた小人が、ハルと呼ばれた老婆を腕を組んでたしなめる。快活そうな若者なのに、口調だけはまるでテレビの時代劇に出てくる爺さんのようだ。


 ハルは足のふくらはぎがつって呻いていただけらしい。しばらくさすって落ち着いたところで山下とサキが駆けつけたため、今ではちゃぶ台を七人――うち人間は三人で、残りは小人が四人である――が囲んでいた。


「しっかし、姉さんはワシが思っていた以上に勇敢だったんじゃな!」

 もへ次が感心したように頷き、ヤスケを見た。


「姉がお前さんを勘違いをして襲いかかったそうで、すまんかったのう。普段は外に出れんほどの臆病もんなんじゃが、それだけ必死だったんじゃ」


 我に返ったようにへの字がヤスケを見て、それからサキと目を合わせた。きゃっ、という短い一声の後、一瞬にして姿がかき消える。


「えっ? 何っ、えっ?」

「はっはっはぁ! 今頃になって恥ずかしがっとるわい!」


 もへ次の笑い声に合わせて、ぐぎゅるぅるぅ、と腹の虫の声がした。


「……すっかり安心しちまって」


 頭を掻いた山下に「米炊いて漬けもんを切ろうなあ」とハルが畳に手を置き腰を上げた。


「や! いいですってハルさん!」

「若いもんが腹空かせてちゃ駄目だあ」

「朝になったらちゃんと食うから!」

「今うちで食ってけばいいよう」

「ハルさんは寝てて!」

「――あ。そうだ、山下さん、甘いものって食べられます?」


 ごそごそと鞄を漁ってサキが取り出したのは、チョコレートの焼き菓子だ。


「フォンダンショコラ。市販のものほど美味しくないかもだけど」

「おーっ、すげえっ!」


 目を輝かせながら山下が食いついた。


「えっ、何、俺、これ食ってもいいのっ?」

「どーぞどーぞ。あ、じゃあお茶を淹れた方がいっかな。ハルばあちゃーん、台所借りてもいい?」

「ああ、そんならあそこの戸棚によう」

「大ー丈夫、覚えてるから」


 サキは立ち上がるとてきぱきとお茶の支度を始めた。やかんに水を入れて火にかけると、戸棚から皿を取り出しフォンダンショコラを三つ乗せてラップをかける。ブゥン……。電子レンジのつまみを捻ると、湯呑を取り出し盆に並べ、急須に茶葉を入れてから、シュンシュンと湯気を出し始めたやかんの火を止め湯を注ぐ。チン。音を立てたレンジから皿を取り出し小皿に分けると、蒸らし終えた煎茶を注ぎ、盆に並べて皆の元へ。

 まるでこの家の住人のように台所で立ち振る舞う姿を見ているうちに、ハルの目が丸くなる。


「――もしかして、早紀ちゃんかあ!」

「あ、ハルばあちゃん覚えててくれた」

 

 フォンダンショコラを並べながら、サキが声を弾ませた。


「こおんな小さい頃から遊びにきてたもんなあ。はあ、べっぴんさんになったなあ!」

「いやー、メイクしてるから。落としたら眉なんて半分無くなるし。

 さっ、お茶しよお茶。はい、これはマメ神様達の分」


 さく、さく。サキは自分の前に置いたフォンダンショコラをフォークで四等分して開くような形に倒した。甘い香りと共にとろりとチョコレートが流れだす。


「あったかいうちにどーぞ。あ、お茶はこっちね、ヤスケとトトイは一緒に飲んで」


 お猪口が三つ並べられ、スプーンを使って少しずつサキが自分の湯呑から茶を注いでいく。


「武田さん、足りないなら俺の分」

 サキの前にショコラがない事に気付いた山下が皿を回そうとすれば、

「あ、いーのいーの。甘いもんそんな好きじゃないから。お代わりもあるからね」

 ひらひらとサキが手を振った。


 いただきます、の合掌の後、深夜のお茶会が始まった。


「美味いッ!」

「はあ、おら、こんなハイカラなもん初めてだあ」

「おお、こりゃあ凄い! どろどろがたっぷりじゃ! のう、姉さ……わはは、そうか、泣くほどうまいか」


 への字は爪楊枝を抱えたまま、両手で顔を覆って震えている。


(――そうだろう、そうだろう)


 自分の分をトトイに与えながら、ヤスケは満足げに頷いた。


 口は悪いし、だらしない。

 おまけに大きな猫被り。

 だが、それでも傍で見ていればよく分かる。


 サキはいい女なのだ。



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