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4 : 山下斎蔵


 デスクトップパソコンのエンターキーを押す。送信完了。


「終わっ……たぁ」


 眼鏡を外して目を押さえ、反り返るように伸びをする……肩がガチガチに凝っている。そろそろ鍼灸院にでも行っておくか。

 ぎぎぎ、と椅子をきしませながら、俺は丸窓の横にかけた壁時計を見た。もうあと少しで日が変わる。

 たまには早めに寝てしまおう。締切続きだったため疲れはかなり溜まっている。シャワーを浴びたいところだが今はベッドを優先したい。 

 ごきゅるる。

 腹の虫が大きく鳴った。そういえば、最後に飯を食ったのはいつだったか。下手したら一日コーヒー以外何も口にしていない。確か昨日も食事を準備するのが面倒で、頭が動かなくなったらショートブレッドを齧って誤魔化していた。

 まあいい、寝酒とチョコでカロリーを取ろう。


 喉が乾いていたもののサーバーにコーヒーは残っていなかった。冷蔵庫からペットボトルの茶を取り出そうと扉を開き、中に何も入っていないことに気付いた。調味料がドアポケットに鎮座しているだけの光景はなかなか侘しいものがある。

 蛇口をひねり、コップに冷たい水を注いで一気飲みをする。共同井戸を元に給水されているため、ミネラルウォーターを買わずとも水が美味いので助かっている。

 さて、酒……酒っと。

 戸棚を開けたもののウィスキーの瓶はほとんど空だった。

 寝る前にチョコレートをつまみにしながらちびちびやるのが習慣なのに。

 ごぎゅるるる。

 カロリーにありつけないと知った腹の虫が、再度暴れだす。


「――しゃあない」


 俺はソファに投げ出していたコートを羽織り、尻ポケットに長財布を差し込むとキーリングを手に取った。

 駅前のコンビニまで結構な距離があるが、脱稿明けの深夜ドライブも悪くない。



 軽自動車で山道を降りていく。当たり前だが対向車なんて一台も来やしない。

 俺・山下斎蔵が住んでいるのはよもぎ村という山間村だ。ご多分に漏れず過疎化が進み住人の多くが年寄りばかり。そんな村に三年前、俺が突如妙な家を建てて住み着いたものだから、つい最近まで村の誰もが俺を不信がって寄り付かなかった。


 子供の頃、俺はよもぎ村にあった親戚の家に毎年夏休みに遊びに来ていた。当時は今よりも活気があり、外に出れば誰かしら畑仕事をしていたり歩いたりしていたものだ。川遊びをした後は腹いっぱいスイカを食べて、虫取りをして宿題をして。

 そうして忘れもしない小3の夏。俺は小人を見た。

 

 泳ぎ疲れて昼寝をしていたところに、トトト……と小さな音がしたものだから、俺は横向きの姿勢そのままに薄く目を開いた。

 着物姿の幼い小人が、紐を付けたハエを持って走っている。

 大人の足音が近付いた途端に姿が消えてしまったものだから、夢を見たかと最初は思った。けれど、紐の付いたハエがそのまま近くに止まっていたのを見て、現実なのだと思い直した。


 高校の時、後継ぎがいないため親戚の家は取り壊され、よもぎ村に行く理由が無くなった。


 社会人になり、俺はとあるデザイン会社に就職した。

 休みが無いのが当然の環境でがむしゃらに働き6年目、部下を持つ立場になったのと同時に会社の命令により、俺はとある社会人研修に通わされることになった。様々な企業の人々が集まったそれは、今にして思えば都合のいい働きバチになるための洗脳研修だったといえる。

 研修に通っていた一年間、俺は早朝一番に出社して誰もいない部屋に向かって挨拶を叫んだ。トイレを手でピカピカになるまで掃除し、キビキビと声を出し誰よりも働き、『感謝の心10箇条』を仕事に取り掛かる前に朗読した。業務後は提出のためのレポートをA4紙に綴り深夜2時に帰宅する。こうした日々を研修後もなんとか一年は踏ん張った。


 だがある日、突然、身体が動かなくなった。人前に出るのがどうしようもなく辛くなり、満員電車に乗ることもできなくなってしまった。


 医師の診断を受け、俺は会社を退職した。



 幸い前職で培っていた技術と繋がりのおかげで、俺個人にデザインを頼んでくれようとする企業が出てきた。ほそぼそとそれらを請け負いながら俺は地道に治療を続け、やがてなんとか人並みの生活を送れるまでに回復した。


 ――よもぎ村に行きたい。


 ある時、不意にそう思った。

 ゆっくりと時間が流れていた村の夏。じりじりした日差しと夜の星、虫の声に入道雲。そして、小人の少年。


 俺は急に気になりだして、実際に何度かよもぎ村を訪れてみた。地元図書館の郷土資料コーナーに入り浸り、マメ神様と呼ばれる小さな神の伝説と信仰がよもぎ村周辺に残っていることを確かめた。

 そうなると欲というのは深まるもので、どうしてももう一度小人を見てみたいと強く思うようになった。擦り切れていた自分の何かが、不思議なものを見ることで元に戻る、そんな気がした。


 俺は溜め込んでいた金の全てを使いきり、小さな小さな家を建てた。建築デザインは友人のデザイナーが破格の値段で請け負ってくれたものの、円柱形の壁に丸窓、おまけに虹色の鱗を貼り付けたような屋根といった、かなり個性的な見た目にされてしまった。

 今は紙モノの立体デザインを起こす仕事をメインに活動している。副業でライターもやっているため、それらを合わせてなんとか食べていけている程度の稼ぎだ。



 よもぎ村から最も近い駅まで車で約30分。夜中でも空いているコンビニエンスストアがようやく見えてきた。田舎のコンビニは一等星のように煌々と目立つ。

 入口のガラス扉で若い女性とすれ違う。この辺りでは見かけない格好だったため、思わずちらりと見てしまった。丈の短いもこもこしたコート、ひらひらスカート、ヒールの高い靴、結構な美人。街中ならともかく夜中の田舎では見かけないタイプだ。

 まあ、そんなことより酒だ酒。ウィスキーを籠に入れ、俺は明日の朝飯を物色した。



 ピピ、ピピ。

 セットしたスマホのアラーム音で目を開ける。……ああそうか、帰ろうと車に乗り込んだところで眠くなり、駐車場で仮眠を取っていたんだった。

 頭をすっきりさせるためにコーヒーを買い、車を発進させる。コーヒーを啜りながら道を走らせていると、前方に突如白い人影がふらふらしているのが目に入った。

 げえっ、やめてくれよ、非日常は小人で十分間に合っている。

 うんざりしつつもよくよく見れば、幽霊じゃなくコンビニですれ違った女性だった。ヒールを引きずるようにしてひょこひょこと辛そうに歩いている。

 これはこれでめんどくさい。

 そう思い、いったんは通過したものの、結局俺は車を停めてしまった。


 ウィンカーを出して車を降り、女の人の方へと向かう。ああ、やっぱ怯えている。誰も通らない田舎道でいきなりアフロヘアにスクエアメガネ(仕事と運転時にかけている)の男が車から出てくれば、俺が彼女の立場でもたぶん、いや絶対に警戒する。


「大丈夫すか? こんな時間に歩いてあったもんだから、驚いて」


 できるだけ人の良さそうな声にならないかと意識して話しかけた。


「――っと、俺はこの先のよもぎ村ってところに住んでいる地元民なんすけど」


 財布から名刺を取り出して渡す。身分証明のパフォーマンスは重要だ。


「よもぎ村……」


 女性が繰り返しながらライトの光で俺の名刺を確認する。営業用に『アートクラフトデザイン』と書かれたそれを、胡散臭く取られないといいんだが。


「そこです、よもぎ村の住人です、安心してください」

「えっと……じゃあ、武田義明……って知ってます?」


 なんとなく試すような口ぶりだ。

 ということはよもぎ村の子か、よかったよかった。

 いや、全然よくない。引越しの挨拶をしなければと思いつつ、溜まった仕事を片付けるため引き篭っているうちに夜型生活のまま今に至る。つい最近までご近所付き合いなぞ全くなかった俺が村民の名前なぞ知るわけがない。時々外を散歩しては意識的に挨拶を心がけるようになったのはここ数ヶ月のことだ。

 ――ん、待てよ。一人、名前を知っているじゃないか。


「武田ハルさん」


 少し声が大きくなったためか、一瞬彼女がびくりとする。


「あー、すんません。ええっと、武田さんとこのハルさんってお婆さん知ってます? 俺、仲良くさせてもらってるんすけど」


 ハルさんとは前々から何度か顔を合わせていて、去年の秋に「栗を茹でたからおいでぇ」と誘われたのが交流のきっかけだ。腰の曲がった小さなおばあさんで、いつもにこにこおっとりしているもんだから、人付き合いが不得手な俺でも一緒にいて安心できる。

 春先に川に転落していた彼女を助けて以来、俺はすっかりハルさんと仲良くなった。まあ、厳密に言えばハルさん『達』なんだが。

 今では一日おきにハルさん家に茶を飲みに行っているのだが、おかげで不規則な生活が随分と改善された。


『ハルも姉さんもお前が来るのをえらく楽しみにしとるんだぞ!』


 とは友人の談だ。



「ハルばあちゃんっ?」


 その名前を出した途端、彼女は想定していた以上にがっつりと食いついてきた。



 ハイビームで照らしながら山道を登っていく。武田早紀と名乗った彼女は、助手席でマフラーを押さえながら外を見ている。あれから彼女が警戒を解いてくれたため、帰宅ついでに実家まで送っているところだ。

 帰省したものの、電話がタクシー会社にも家にも繋がらなかったため、コンビニで一晩過ごすわけにもいかずファミレスに向かって歩いていたらしい。


「ファミレスって、もしかしてあの潰れた?」


 拾った場所より2キロほど先にあった店舗跡を思い出し尋ねてみる。たしか二年近く前には看板が撤去されていた。


「うそ……」


 言葉を無くした彼女の様子は、それだけ帰省していなかった証拠だ。俺も若い頃は仕事に忙殺され長いこと実家に帰らなかった。

 細い上り道を誘導で進み、彼女の実家に着いた。ライトに照らされる表札を見ながら、この村は武田姓が多いのかと今更な事実に気付く。

 

「どうもありがとうございましたぁ」


 鍵を取り出しながら彼女が下りる。玄関扉前でごそごそやっている姿を見ながら、彼女が中に入ってしまうのを待っていた。ややあって彼女は鍵を外し、チャイムを押した。次いでばんばんばん! と玄関扉を拳で叩く。携帯電話を取り出し耳にあてる。立ったままいつまでもじっとしている。

 嫌な予感がする。


「あのぉ~」


 助手席の扉を開け、彼女が困り果てた顔で訴えてきた。


「鍵が合わないんです。中には誰もいないみたいだし。どうしましょう?」





 コーヒーメーカーに水を入れながら俺は眉間を押さえた。

 ああ、まさかこんなことになろうとは。


『ここから一番近いビジネスホテルを調べるんで、ちょっと待っててください』


 スマホを出しながらそう提案した俺に、


『……あの、でも、ハルばあちゃんには会っていきたいんです!』


 と懇願され、自宅に案内し今に至る。

 試作のアートクラフトを後ろ手を組んで見ている彼女は『ご近所さんの娘さん』だ。田舎の噂話は恐ろしい、言動に気をつけろ俺、と己に何度も言い聞かせる。

 コーヒーを淹れる合間にビスケットやチョコレートを適当に皿に並べてローテーブルに出した。仕事中食事代わりに齧ったり、ハルさん宅を訪れる際の手土産にもなるためストックは欠かさない。


『こういうハイカラな菓子って、好きなんです……』


 菓子を両手に抱えて眉をハの字にする友人は、カラフルな糖衣チョコレートを気に入っている。


「えーっと、洗面所に歯ブラシのストック置いたんで使ってください。俺は仕事してるんで、ここで寝ててもらって大丈夫っすよ」


 折りたたみ式のソファベッドを、がこんと伸ばして平らにする。コーヒーを二杯入れると一杯をテーブルに置き、俺はくるりとパソコンに向かった。

 はあ。せっかく早めに寝ようと思っていたんだがなあ。

 いったん就寝モードにはいるつもりでいた身体は、寝かせてくれと訴えている。わかってるよ、でもこの家狭いだろ、離れて寝る場所なんてないんだよ。

 まあ、もう一晩くらいの徹夜ならなんとかなるだろう。たぶん。

 酒を飲めないのが辛いところだが、仕方ない。


「――どうしてこの村に住んでいるんですかぁ?」


 眼鏡をかけ、カチカチと入力を開始したところで彼女が尋ねてきた。


「あー……そうっすね……田舎が好きなんすよ」


 当たり障りなくそれっぽい理由を言ってみる。


「ふぅん……」

「あと、子供の頃この村に遊びに来て気に入って」

「……かしぃ、かしぃ」

「えっ」


 幼い声に思わず振り返ると、武田さんは両手にマフラーを抱えてわたわたしていた。


「わ、わぁ~! 美味しそうな菓子、菓子ぃ♡ あははっ」

「ああ、どうぞ好きに食べてくださ――」


 言いかけた言葉が途切れてしまったのは、マフラーから小さな小さな手が伸びて、小人がひょこりと顔を出したからだった。



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