3 : 武田早紀
子供の頃、世界は不思議でいっぱいだった。
テレビアニメはどこかの世界の現実で、12月25日の朝には枕元にプレゼントが置いてあって、おまじないをすれば見えない妖精が守ってくれて、不幸の手紙には恐ろしいチカラが潜んでいた。
けれど大きくなるにつれ、そんな脆いシャボン玉はあっさりぱちんと消えてしまう。
今の私に残ったのは、だらしない現実と取り繕うための猫。
――の、筈。
現実にはファンタジーなんて要素は、欠片も存在しない。
だけど何度も目をしばたたせてみたところで、私の前には現実に小さな小さな神様が金網ザルの中に立っていた。
「……嘘、でしょ」
しばらく息を潜めていたのは幻が消えそうだったから。
でも、呟いてみたその後でも、目の前の神様は私の作ったフォンダンショコラを両脇に抱えたまま動けずにいて。
「……ねえ、ねえねえもしかしてマメ神様? え、マジで!? 人形とかじゃなくてっ?」
スマホを取り出し、カメラアイコンをタップする。
だってこれが幻覚なら画面には映らない筈。
「待って、ちょっと待って、わー、ヤバイヤバイヤバイって」
撮影画面が出たので神様に向かって構えようとしたところで、
「止めろサキ!」
マメ神様が私を呼んだ。小さな身体のくせしてパキンと綺麗に響く声。
びっくりして、思わずスマホを取り落としそうになった。
「私の名前を知ってるの……?」
「ああ。お前のことならなんでも知っているぞ、サキ。
なぜなら、オレはお前を見守っている神だからだ」
「えええっ! あのっ、やっぱり、マメ神様なんだ……!」
『ええかあ、サキ。
もしマメ神様を見てしまってもなあ、決して捕まえようとしちゃなんねえぞ』
ハルばあちゃんの言葉が頭の中にこだまする。
私はろのろとスマホを持つ手を下ろした。
「うむ。そうだ。
さあサキ、今すぐ俺を閉じ込めているこの檻をどけよ!」
「あ、うん……」
だよね。
バチ、当たっちゃうもんね。
金網ザルを取ろうとしかけた私の手が、そのまま動かなくなる。
「どうしたサキ、早くしないか!」
「……ねえ。このザル外したら、神様は私の前から消えちゃって、もう二度と見れないんだよね……?」
「ああ、そうだ」
『意地悪なんぞしようもんなら、そりゃあひどいバチが当たる』
ううん。意地悪じゃないよハルばあちゃん。だって、これは。
「――取引、しない?」
「は?」
「ここから出してあげる代わりに、願い事をきいてほしいんだけど」
「な……っ」
マメ神様はパクパクと口を開けて私を見上げた。――あれ、よく見れば神様ってば結構イケメン? まあ、すっごく小さいんだけど。
なんだか急にすっぴんなのが恥ずかしくなってきて、私は髪を結んでいたシュシュを取って手グシで髪を整えた。
「あ、そーだ。ね、そのフォンダンショコラ気に入ったなら、好きなだけあげるからさ」
「うっ」
マメ神様は目に見えてうろたえだした。やっぱり夢中で食べてたのは甘いものが好きだからなんだ。
うん、確かに神様ってお饅頭とか和菓子系のお供え物のイメージだもんね、さては珍しかったんだ。
「……願い、とはなんだ」
渋々といった調子でマメ神様が訊いてきた。やった!
「えっとねえ~」
私は照れながらも、さっそく交換条件をだしたのだった。
「ふふっ」
凍りつくように寒くって、吐く息も白いけど大丈夫。しっかりとベースメイクに気合を入れてきたから鼻が赤くなったりはしない。服はいつも以上にふわんふわんに甘くしているし、メイクも長いつけまつげとヌーディーカラーのグロスでナチュラルメイクに徹している。
スキップしないように気をつけてはいるものの、自然と口元は緩んでくる。
「ご機嫌だな」
ぶすっとした声が左の耳元から聞こえてくる。首に巻いたマフラーの隙間にマメ神様が埋もれている。太い毛糸を複数色使ったざっくりした網目なため、ちっちゃな神様が二人紛れていてもまったく目立たない。
そう、マメ神様はなんと二人もいた!それも、とってもとーってもキュートな、ええっと……赤ちゃん? それともこのくらいの子供って、幼児っていうのかな? 栗色のふわふわした髪の毛の天使みたいなマメ神様がイケメンのマメ神様に背負われて眠っている。
『イマ彼と結婚させてください♡』
それが、私のマメ神様へのお願い事だった。
『ば……っ、オレにそんな事できる力はないぞ!』
『えっ、神様なのに?』
『か、神でもほら、得意分野というものがあるだろう!』
『えー……恋愛ダメなんだー……ちぇっ。じゃあ、いい職場に転職したい』
『お前はオレをなんだと思っている』
『神様』
『……ま、まあ、そうなんだが』
言葉を濁した後で、「できるのは見守り程度だ」とマメ神様は言いきった。
まあ、そうでしょうね。だってマメ神様だもんね。
でもでも、それってつまりは普段よりも、ぐーんとご利益がアップ! ってことだよね?
「じゃあさ、今から彼の職場に行くから付いてきてよ」
今から準備すれば23時の電車に間に合う。
明日のデートはキャンセルになったけど、電話の向こうのBGM、ジャズだったから。
恋人のタカユキは会社員ではない。繁華街の裏路地にあるバーでバーテンダーのアルバイトをしている。
付き合って一年。休日が滅多に合わないからバイト先に遊びに行き、そのまま彼のアパートに泊まって朝になったらハイ、サヨウナラ。そんなパターンのデートばかりだ。
本当は昼間のデートもしたいけど、タカユキは司法書士試験の受験予備校に通っている。合格目指して頑張っていると聞けば、こっそりと未来に期待しつつ笑顔で応援するしかない。
そんな明日、2月14日は、本っ当に久しぶりの朝から一日デートの筈だったのだ。
(まあ、身内を心配するのは優しい証拠だしさ……)
私みたいにもう何年も実家に帰っていない親不孝者に比べたら、彼は出来た人間だ。
だから、これはサプライズ。
彼の職場に遊びに行って、フォンダンショコラを差し入れする予定。
ついでに1、2杯カクテル飲んだら、さらっと出て行くと決めている。重い女にはなりたくない。長く付き合うならそれなりの距離は必要だと数度の失敗で学んでいる。
しっかし、可愛い靴っていうのはどうしてこうも履きにくいんだろう。パンプスのせいで足が痛い。
ようやくバーの赤い看板が見えてきた。踵の痛みが気になっていた私は、できるだけ可愛い顔で入らなきゃとそればかりを考えていたため、ろくに中を確かめもせずに扉を開けた。
チンチリン♪
薄暗い店内のBGMは電話越しに聴こえたのと同じムーディーなジャズ。カウンターにいるのは30代のすっかり顔馴染みになったマスター。奥には先客が一人座っている。
「あ……れぇ、早紀ちゃん」
気のせいか、マスターの笑顔が少し強張り気味。
「あーっと……ごめん、タカユキ早退したんだ」
「えー、そうなんですかぁ」
なぁんだ。ちっ。
せっかくマメ神様も連れてきて恋愛運アップさせてたのに。
「あ、じゃぁ~、マスターに」
私は準備していた丸い小箱を差し出した。
「バレンタインなんでぇ、フォンダンショコラでぇす♡」
「お、いいねえ。後でブランデーと合わせて楽しませてもらおうかな、ありがとう」
マスターはにこやかに受け取ってくれると、「お礼に一杯奢るよ」と言ってくれた。
「わぁ、ありがとうございますぅ。何にしよっかなぁ、サキ迷っちゃう」
本当はカクテルよりもストレートかロックを所望したいところだが、私はここでも彼氏の前と同様にゆるふわ女子のフリをしている。
「えっとぉ、じゃあぁよく分からないけど、これにしてみよっかな?」
私はメニュー表を見ながらアラウンド・ザ・ワールドを指した。
「いいけど、ミントリキュールを使っているからスースーするよ? 大丈夫?」
「飲んだことないけど勉強になるかなぁ、って。お願いしまぁーす」
アラウンド・ザ・ワールドはジンベースのカクテルで、含んで最初にパイナップルの風味、次いでハッカ飴に似た刺激がカーッと押し寄せ、ラストでまたパインの余韻がふわりと残る。クセはあれども甘味が苦手な私が誤魔化しながらちびちびと飲めるカクテルの一つだ。何より爽やかなミントブルーの見た目が美しい。
カクテルが出来上がるのを待っていると、チリリン、と扉に付いたアンティークのベルが鳴った。
「うっーすマスター、ちょい忘れもんして――、あ」
タカユキが、私の知らない女と恋人繋ぎで立っていた。
「サイアックッ! サイアクサイアクサイアク!」
呪詛を喚き散らしながら私は早足で改札に向かった。踵が擦れてマメが潰れているなんてどうでもいい。
適当に切符を買って扉が締まる寸前の終電に乗り込む。
(マジ……最っ悪)
動き出した電車の中、スタンションポールに捕まり思い切り溜息をついたら、前に座っている乗客数人がチラッと私を見た。うっさい、あんたらに構ってる余裕なんてない。
……本当は、分かっていた。
なーんか倦怠期ってやつかなあ、とか。
急に電話くるの減ったよね、とか。
ドタキャンも先月から何度かあった……って、思い返してみたり。
バーテンなんて夜の仕事してりゃ出会いもあるだろうし。たぶんあの子にも司法書士の卵だって、アピールしてただろうし。
なんとなく、終わりが近い予感はしていたのだ。
本当、なんとなくなんだけど。
職場がちょこちょこ面倒臭いことになっていて。
彼氏も今までの中では一応長く続いていて。おまけに合格すれば司法書士で。
猫もうまく被れていたら、さ。
もしかしたらって、夢を見たくなるじゃん。
夢なんてシャボン玉だって知ってても、すがってみたくなるじゃん。
「…………う゛ぅう、う゛うぇえっ」
嗚咽を漏らし始めた私に、見かねた誰かが席を譲ってくれた。
ありがとう、何処の誰だかは知らないけど、あなたのこれからの人生に幸あらんことを。大丈夫です、私には神様がついていますから……って。
「そーだよっ、神様と一緒だったじゃんっ!」
ぐわっと顎を持ち上げて思わず叫んでいた。
すっ。隣に座っていた人が席を立つ。
「おいマメ神! お前何が神様だよふざけんな最悪じゃねえか! どんだけ私がこれまで我慢してきたと思ってんだよっ!」
だんっ、と足を踏み鳴らせば、隣の隣、そのまた隣に座っていた人達も立ち上がる。
気付けば、半径3メートルくらい私の周りに人がいなくなっていた。
流石に恥ずかしくなり、口をつぐむ。
きっ、とマフラーの中を睨みつけたところで、マメ神は何処にも見当たらない。
くっそぉ~っ、これじゃ私が変人みたいじゃん!
再度溜息をつき、私はバッグに顔を埋めた。
本っ当、何やってんだろ私。
鞄の中には恋人用のフォンダンショコラを詰めた箱。お財布。メイク直しのポーチにハンカチ、スマホ。その程度。
フォンダンショコラ、捨てるか……。
そう思いかけ、ふと気が変わる。
そうだよ、明日は2月14日で土曜。
この電車で終点まで行って深夜タクシー使えば、よもぎ村まで行ける。
せっかく上手にフォンダンショコラができたんだ。捨てるくらいなら数年ぶりに父親にでもあげよう。ハルばあちゃんが元気にしているかもちゃんと確認できるだろうし。
ああ、それにマメ神様はハルばあちゃんに教えてもらった神様だ。連れて行けば喜んでくれるかも。
失恋してどん底に沈んでいた筈だったのに、何だか妙にやる気がもりもり漲ってきた。
そうだ! あのボロマンションにだけじゃなくて、私にはまだ帰る場所があるんだぞ! 実家の鍵だって持っているんだぞ!
帰ろう。よもぎ村に。
私は財布を取り出すとタクシー代が足りるかを計算しだしていた。