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第17話 復讐者

 王宮の回廊をひたすら走った。走りにくいヒールの靴で何度も転びかけたが決して止まらなかった。

 止まってはいけない、遠く、遠くに離れなくては。


「ねぇ~なんで逃げるのぉ?」

(おかしい、おかしいよ!!)


 焦る内心とは逆に、チチェの口は呑気な声を上げていた。

 聞こえるのは自分の声。それでも、違う。これは、()()()()()()()


「え~言いたい事言ってあげたじゃん~」

(あんな思ってもない!言いたくもない!)


 誰が、勇者アロンを選ばれただけの人間だなんて言える。彼の努力と成し遂げてきた功績を見れば、そんなこと誰も言えない。

 チチェは怠い体に鞭打って、走り続けた。だというのに、身体の主導権はいとも簡単に奪われた。


「ちょっと離れすぎぃ~はい、ストップぅ」


 口から発せられるその声の通りに、足が突然動かなくなった。チチェは勢いのまま、その場に倒れた。


(っつ……!あなた誰?さっきのは何?)


「んー?心の声」


 誰という問いには答えず、声は楽しげに答えた。


(っ……)


 やはり、あれは彼らの心の声だったようだ。チチェは唇を噛む気持ちだった。身体は言うこと聞いてくれないので、何も起こらなかった。


「え?違うよう〜あれは()()()。幼馴染チャンは随分と自分に自信ないんだねぇ」

(自分の……)


 チチェは次第に思考が遠のいていくような気がした。段々、何も考えられなくなってくる。


「まあ、そっちの方が乗っ取りやすくてオレには都合がいいんだけどねっ」

(なんで……?)

「ほら、英雄サマのお出ましだ」


 声は獲物が罠にかかったことに、悦びの声を上げた。チチェのボヤける視界の先に、黒髪の青年が見えた。




 長い回廊の先にアロンがいた。沈みかけていたチチェの思考は一気に覚醒する。


(アロン!!来ちゃダメ!!)


 そんな叫びは、チチェの心の中で終わってしまった。今や体の全てが恐ろしい声の主に乗っ取られてしまっている。


 しかし、チチェの心の叫びは聞こえていないはずなのに、アロンは少し離れた所で立ち止まった。警戒して、チチェを睨んでいる。


「お前、何者だ?チチェじゃないだろ」


 そう睨むアロンの顔は、英雄の顔だった。探りを入れるようにこちらを見ている。


 チチェの手はドレスの裾を掴み、胸に手を当てると優雅にお辞儀をした。


「初めましてだねぇ、勇者アロン」


 ねっとりとした話し方だ。


「オレは狂乱の夢魔(ゲビ・ゲゲゲイル)


 チチェの口は三日月のように笑った。


「元、魔王軍幹部っていたほうが伝わるかもねぇ」





「……しつこい奴らだ」


 アロンは吐き捨てるように言った。まるでこれが初めてのことではないかのように。

 表沙汰にならないだけで、アロンたちは魔王軍の残兵たちに襲われていたのかもしれない。


「びっくりだよぉ。魔王軍引退して数十年。人間界で遊んで魔界戻ったら魔王様殺されちゃってたんだからさぁ」


 チチェの声は面白おかしそうにケラケラと嗤った。


「まさか、人間ごときに殺されてたなんて、ね」


 夢魔は心底呆れたように嗤う。


「その隠居野郎が、何の用だ」

「んー許せない、許せないよねぇ」


 アロンの真剣な声に、チチェの身体はゆらゆらと揺れる。そして、首を傾けるとピタリと止まった。その目は無表情でアロンを凝視している。


「死ねよ」


 底知れぬ怒りだった。チチェの腕は回廊の柱を怒りを吐き出すように叩き出した。


「オレの魔王様を殺した勇者」

「殺してやる」

「死ね死ね死ね死ね」


 叩く柱が砕ける。拳が血まみれになった。


(痛い!)


 何の感覚も無かったはずなのに、チチェの手に酷い痛みが生まれた。まるでそこだけ、感覚が戻されたかのように。


 チチェは痛みに叫んだ。


「痛い!止めて!」


 チチェの口から叫びが飛び出した。


「うわぁ~幼馴染チャン痛いってぇ~痛がってるよぉ」


 声が出た。そう思った瞬間にまた、チチェの口は夢魔に乗っ取られた。


 可哀想〜と、チチェの顔でニヤリと笑う。アロンは苛立たしげにピクリと指を動かした。

 その小さな動きを逃さず、夢魔は彼に警告した。


「おっと、変なことしちゃダメだよ。大切な幼馴染チャン、死んじゃうよぉ?」


 夢魔は砕けた柱の破片をチチェの首筋に当てる。鋭い先端が肌を隔ててドクドクと脈打つ血管に触れた。夢魔がチチェの腕を少しでも引けば、その破片はチチェの頸動脈を掻き切るだろう。


(アロン…!逃げて……!)


 この夢魔は本気だ。本気でアロンを殺そうとしている。


 夢魔を殺すには、魔力を帯びた武器が必要だ。だが、今の彼は聖剣を持っていない。

 夢魔自体には物理的な攻撃は効かない。どれだけアロンが強くても、魔術での攻撃が出来ない以上夢魔に対抗する術がないのだ。


 このままでは、アロンに何をされるか分からない。逃げて欲しいのに、アロンは逃げなかった。


 そしてアロンは、その場でゆっくり両手を上げた。無抵抗を示すためのポーズだ。


「分かった、言うことを聞く」


 その声はあくまで冷静だった。だが、夢魔は機嫌を良くしたようだった。チチェの身体は飛び跳ねるような足取りでアロンに近づいていく。


 アロンは逃げも隠れもせず、チチェの進む先に立っていた。


 チチェは、逃げる気のないアロンの様子に焦りに駆られた。このままでは、アロンが危ない。なぜそんな危険なことを彼がしているのか理解できなかった。


(……あ)


 だが、チチェは気づいた。聖剣を持っていない彼が夢魔に対抗できる手段があと、一つだけ残されていた。


()()()()()()()()()()……)



 身体がアロンに近づいていく。アロンがこちらを見ている。底冷えするような暗い瞳を向ける彼に、チチェは逃げ出したかった。



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