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第16話 本当の音

 勇者アロンが目の前にいた。チチェを庇うように、眼鏡の男の前に立っていた。

 チチェにはその表情は見えないが、その背中から発せられる威圧感に震えた。


 以前、凱旋パレードでチチェに向けたような、いや、それ以上の殺意だった。あの時も、怒っているとはいえここまでではなかった。


「こいつに何してる」


 その言葉に呆然としていた眼鏡の男は、憑き物が取れたようにハッと、目を瞬かせた。

 そして、目の前で怒り心頭の勇者を見て困惑しているようだった。


「え?勇者様……?()、何で?」


 そう慌てる彼は先ほどチチェに迫った様子とはまた異なっていた。


「失せろ」

「ひぃー!!」


 そんな彼に、アロンは冷たく言い放った。眼鏡の男は、その剣幕に震えながら逃げていく。

 倦怠感が酷い。ろくに物が考えられない頭で、何かが引っかかった。王宮魔術師として、気づかなければいけないことが、あるような気がして、彼が逃げて行ったほうをぼんやりと見た。


「大丈夫か」


 アロンがチチェに声をかけた。座り込んだチチェを見下ろす、瞳は相変わらず冷たかった。ただ、義務として確認をされただけの気がした。


「……だ、大丈夫」


 チチェは血管の中をミミズに暴れられるような、心臓が潰されそうな気持ち悪さを無視して立ち上がった。

 一瞬、立ち眩みでひどくふらついたが、アロンはチラリとこちらを見るだけだった。


 苦しくなってきた。チチェはターコイズブルーのドレスを握りしめた。


「ごめん。ありがとう……ございます」


 やっとのことで振り絞り出した言葉は弱々しかった。ぐにゃりと歪む視界と、吐き気を無視しながらチチェはアロンに向き合った。


「別に……」


 アロンは苦々しげにそう言った。まるで自分は仕方なく助けに来たと言わんばかりだ。


 そうだ、別にアロンはチチェのことを助けた訳じゃない。困っている女性がいるから助けたのだ。


 それが偶然チチェだっただけで、誰だって助けてくれたのだ。少し喜んでしまった自分が恥ずかしくなる。


(今、アロンに謝罪しなくちゃ)


 だが、いざ口を開こうとしても、頭がぐちゃぐちゃで言葉が出てこなかった。


「さっきの男は…?」


 チチェが口を開くより先にアロンが聞いてきた。


「し、知らない人……」


 チチェは首を振った。先ほどの男が誰かはチチェには全く分からなかった。貴族の子息だとは思うが、全くの初対面だ。

 だが、アロンはその回答ではないと、眉を顰めた。


「違う。さっきの銀髪の男だ。恋人なんだろ。なぜそいつが来ない」

「銀髪……院長のこと?院長ならさっき、呼ばれて…」


銀髪で長髪と言われたらシュルツのことだろう。だが……。


「院長は恋人じゃないよ」


 院長は若作りしているが、二回りも上だ。見かけは若いが、父親ほどの差がある。恋愛対象になどなりようがないし、向こうだってこんなガキンチョはごめんだろう。


 チチェは重い頭を傾げた。確かに家族でない人とパートナーとして来ていたら恋人に間違えられても仕方ない…のかもしれないが。


「その割には随分親し気に見えたが?」

「…何の話?」


 アロンは問い詰めるように淡々と続けた。しかし今度はチチェが眉を顰めた。心当たりはない。


 アロンの前で彼と親しげな様子を見せた機会なんてないはずだ。というかそもそも、シュルツはアロンと会ったことすら無いのではないか。


 なら、アロンはこの舞踏会でチチェがシュルツと来ていたことをどこで見たのか――


「……勝手にしろ」


 アロンは苦虫を噛み潰したような顔をすると、その場を去っていこうとした。


「待って、アロン」


 チチェは咄嗟に彼の袖を掴んだ。


「触んな」

「ご、ごめん」


 彼は低い声でそう言った。チチェはパッと手を離した。


「……ちゃ、ちゃんと話したいことが」


 チチェはしどろもどろで、そう言った。アロンは顔を顰めた。


「お前と話すことなんかない」

《ーーお前と話す価値はない》


 アロンの声に被さって、別の声が聞こえた。それも響くような低い声だった。


「もう関わるな」

《ーー何も成せない無能が》


 また聞こえた。アロンとそっくりな声。チチェは頭が真っ白になった。


「……ごめ……」

「謝罪はいらない」

《ーー使えない女だ》


 まただ。もう聞きたくない、チチェは息が苦しくなってくる。

 アロンの側に美しい女性が近づいた。聖女イレーナだった。薄桃色のドレスに金の飾り。キラキラと輝いて綺麗だった。


「チチェさん……あなた、また」

《ーー本当にしつこいのね。邪魔な人》


 彼女はその整った眉を顰めた。また、イレーナの声に被さって声が聞こえた。綺麗な女性の声。彼女にそっくりだった。


「もう近づかないでと、言ったわよね」

《ーーあなたは、勇者の幼馴染に相応しくない》


「……私は……」

(私は、すごくない)


 そんなこと、何度も何度も分かっている。


「ごめんなさい」


 チチェが必死の思いで王都の魔術学院に入学したとき、アロンは大帝国で魔王軍幹部の邪竜を討伐していた。


 チチェが死に物狂いで王宮魔術師の試験を突破したとき、アロンは一度死にかけて冥界の冥王の試練を乗り越え生き返った。


 チチェのしてきたことなんて、アロンのしてきたことに比べればなんてことない。


(でも、それでも……)


「頑張ってきたのに…」


 口から言葉が勝手に出てきた。チチェは口を塞ごうとしたが、手がぴくりとも動かなかった。


「アロンは偶々選ばれただけじゃん」

(そんな訳ない!)


 チチェの意思を無視して唇が、喉が音を作っている。アロンは無言で目を見開いた。イレーナは険しい顔でチチェを睨んだ。


「すごいのは私だったのに……何でアロンばっかり…」

(違う!こんなこと言いたいんじゃない!)


「あんたなんか、もうどうでもいい!!」


 チチェはそう叫ぶと、走り出した。



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