第9話 檻の中の電子歌姫(前編)
こんにちは、仁胡 黒です。
前回の冤罪事件を解決し、ネット界隈で「デジタルに強い探偵」としてその名が広まり始めた和戸 宗治。
そんな彼の元に届いたのは、ある大物アーティストの未発表曲を取り戻してほしいという、破格の報酬が約束された依頼でした。
しかし、その華やかな依頼の裏には、巧妙に仕掛けられた「デジタルの罠」が潜んでいました。
再び現れる、あの新宿の地下駐車場で遭遇した謎の女。
果たして二人はこの包囲網を突破できるのか……。
事務所の窓を叩く雨脚が強まっていた。
俺はデスクに積まれた資料を整理しながら、右目のデバイスに溜まった熱を感じていた。
『和戸。最近のあなたは、少々目立ちすぎています。「鏡の反転」や「サッカードの矛盾」……。あなたの推論がネットに流れるたびに、私の防壁への外部アクセスが指数関数的に増加しています』
「……有名税ってやつだろ。俺の腕がいい証拠だ」
『いいえ。獲物を追い詰めるための「囲い込み」が始まっている可能性を危惧しています』
耳元で囁くシャーロットの懸念を裏付けるように、呼び出しベルが鳴った。
ドアの向こうに立っていたのは、高級スーツに身を包んだ、いかにも「業界人」といった風貌の男だった。
「和戸 宗治さんですね? 噂はかねがね。……実は、ある歌姫の『遺作』を奪還していただきたいのです」
男が提示した依頼内容は、急逝した世界的歌姫の、クラウド上にのみ存在する未発表音源を回収すること。
報酬は、今の俺の年収を軽く超える額だった。
(……シャーロット、どう思う?)
『……ドメインの所有者は偽装されています。ですが、アクセス先は東京都内の「放棄されたデータセンター」です。……和戸、これは論理的に見て「ハニーポット(蜜の罠)」の確率が98%です』
「……残りの2%は?」
『……あなたの「運」です』
俺はコートを羽織り、ライターをポケットに突っ込んだ。
「……2%もありゃ十分だ。行くぜ、相棒」
指定された場所は、湾岸エリアに佇む、窓のない無機質なビルだった。
内部は静まり返り、巨大なサーバーラックだけが、青白い光を放ちながら唸りを上げている。
「……ここか?」
俺がサーバーに手を伸ばした瞬間、ビルのすべての照明が赤く染まった。
ガチャン、という重厚な金属音が響き、唯一の出口である防潮扉が閉ざされる。
「はじめまして……と言いたいところだけれど。あの駐車場ぶりね、探偵さん」
頭上のスピーカーから響いたのは、聞き覚えのある冷ややかな声。
暗闇の中から現れたのは、白いスーツを完璧に着こなした、あの時の女だった。彼女は手にしたタブレットを優雅に操作しながら、俺を見つめる。
「……あの時の女か。ようやくお出ましか」
「私の名前は、シズク・セラミス。覚えておくといいわ。……その眼鏡の中にいる彼女を、これから『正しい場所』へお迎えする者の名前としてね」
『……警告! 周囲に高出力の「指向性電磁波パルス」を確認! 和戸、逃げてください! 奴らは私を……私の「意識」を、この巨大なサーバーの中に強制転送しようとしています!』
右目のレンズが激しく明滅し、ノイズで視界が真っ白に染まる。
シャーロットの悲鳴に近い警告が、俺の脳内をかき乱した。
「和戸さん。その眼鏡は、彼女にはあまりに狭すぎるわ。……私たちの『広大なゆりかご』へ、彼女を解放してあげなさい」
シズクが不敵な笑みを浮かべ、画面をスワイプする。
シャーロットの存在が、俺の右目から吸い出されるように消えていくのを感じた——。
お読みいただきありがとうございました。
第9話の前編、いかがでしたでしょうか。
ついにその名を名乗った宿敵、シズク・セラミス。
物理的なジャミングではなく、シャーロットの意識そのものを「奪う」ための巨大な檻……。
ネットワークから切り離され、最強の盾を失おうとしている和戸。
果たして、この絶望的な状況を打破する「アナログな奇策」はあるのか?
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解決編、シャーロット奪還をかけた決死の戦いをお届けします。




