第25話 グラフィティアート
グラフィティアートという種類の絵をご存知だろうか。
街中の高架下、壁、地下鉄などでスプレーやマーカーで描かれる、ストリートアートである。
都市部に住んでいないくても、1度は目にしたことがあるのではないだろうか。
その歴史は古く、60年代のニューヨークで発祥し、独創的で社会的なメッセージである事が多い。
「うわぁ⋯⋯AとIの文字が、山ほど⋯⋯」
徒歩で移動した神田川沿い。高架下で多くの派手な格好の若者たちが、AとIの文字を派手な色で柱に書き連ねていた。
「これ、許可取ってるの?」
「許可取ってなきゃ、20人も来ねえよ」
「家のクラン、グラフィティ主導やからな。桜木の景観が悪くならない場所選ぶの、苦労したんやで」
現クランリーダーであるグリンは、遠くに見える桜木を指さして言った。
脚立を立て、上に描いている者たちも居る。みんな思い思いにAとIの文字を重ね描きしていた。
「あ、お疲れ様です! 元総長!」
「カスタムさん。お疲れ様っす!」
「おう。今日はゲスト連れてきたぞ。誰が配信やるんだ?」
「今日は俺がやるつもりだ。しばらくぶりだな、マサ」
カスタムの本名である、ナオマサを短く呼ぶ声があった。
恰幅のいい、オールバックに薄いサングラスをかけた、任侠映画にでも出演していそうな強面な男性が歩いてきた。
彼はエナジードリンクの詰まったコンビニ袋を下げて、非常に不味そうにエナドリを1本飲み干していた。
「おいコラ。暗めの所でグラサンかけんなって、いつも言ってんだろうが、チーフこの野郎」
「らしくなく固い事言うんじゃねえよ、マサ。これでも2徹明けでな。カッコぐらいつけさせろ」
「えっと⋯⋯?」
「あ、どうも、ご無沙汰しております。わたくし、ドギーグループAI部門の淵上カケルと申します」
場にそぐわず折り目正しく一礼して、彼は初めて出会うテンプレとユミナ、パイルバンカー神に、丁寧かつ洗礼された所作で名刺を差し出した。
「ドギーグループって、AIメットの?」
「はい。彼とは古く、共にAIメットの基礎開発に関わった仲となります」
「まあな。ほれ、モチヅキだって門限あるんだ。配信するならさっさと許可もらえよ」
「おっと、そうだった。ではご説明します」
彼の話によると、グラフィティクランは主に、グラフィティアートや様々な配信を行う、緩いつながりのコミニティだった。
以前、学校でモチヅキと話していた彼らも見かけ、テンプレたちは快く彼の配信を許可していた。
◇◇◇
カスタムが赤いスプレー缶をユミナに放り投げる。彼女は取り落としそうになって受け取り、振ってみた。
探るようにカラカラと、内部のスチールボールが転がって鳴る。
まるでこの行為に意味を見いだせない、先ほどの事で傷ついた彼女の心のように、空虚な音色だった。
「むはははは! それー!」
そんな心持ちは露知らず。天真爛漫なテンプレは両手に緑色のスプレーを持ち、大胆にブワーッと、2本筋を柱に吹き付けてみせた。
モチヅキが細かく描いた、青いAとIの文字も巻き込まれて混ざりあい、空色に変化している。
澄んだ空色に導かれ、何も考えずユミナは赤い塗料を吹き付ける。
「⋯⋯あはっ」
S字、丸図形、Dの文字。気の向くままに白い柱が3色の塗料で埋まっていく。しばらくそうしていると、笑い声が絶えずその場に響くようになった。
「あははっ、もう! 黄色になっちゃうじゃん!」
「ふふふっ、ならもう1本ですよ! テンプレちゃん!」
「ふふっ、3つ混ぜると白になりますよ」
自由に、思うがままに進む、なんの制限もないラクガキ模様。
淀んだ心を洗い流す、どこまでも響く笑い声。追加で用意されたペンキとハケを振りかぶる。
心が満足するまで誰も何も指図せず、この時誰もが完成さえも視野に無い、童心の絵心。
「でも、どうしてAIなの?」
「最近なにやってもついて回るだろう。特に2年前のイラスト生成とAIメット騒ぎからな。ま、供養ってとこか?」
「供養なんだ。イラスト生成って、そんななの?」
「ほぼ宗教戦争だろあんなの。ついでに言えば、悪い文化だけとは言わねえけどよ、二次創作で荒稼ぎしてる連中が多いんだから、誰だって稼いだだけ気が大きくなって勘違いしやすくもなるさ。見てるだけ、買ってるだけの奴は尚更だ。そこんとこAIはどうなんだ、チーフ?」
「まあ、AIについては我々の見通しの甘さと、不可避である隣国の影響。何より分析できるツール配布無しは、少し個人的に難色を示したんですけどね。ダメでした」
「ダメだったんだ?」
「はい。ただでさえこの国のAIって、世界的に11位って微妙な順位なので、子供たちの影響を考えると、これ以上は遅れたくなかったんですよ。まあ、それでも欧州に比べたら、平和極まりないんですけどね?」
「まあ、そうでしょうね」
それなりに経済的に裕福な家に住むモチヅキと、最近経済新聞を読み、大学の論文を描いているグリン。広い情報網を構築したパイルバンカー神には、思い当たるフシがあった。
先日もとあるSNSに画像AI生成機能が追加されて、AI合成やAI生成によるディープフェイク。
つまり、リアルな動画、画像での悪用事例などの多くが話題となり、裁判沙汰にもなっている。
テクノロジーの進歩と、使用する者たちの倫理観。
まだ、世界的に重大なトラブルは発生していないとはいえ、いずれ時間の問題なのかもしれない。
「ただ、楽曲は分析ツールが発表されたんで、イラストも10年待つ事は無いと思いますよ。たぶん」
「⋯⋯⋯⋯なあ、チーフよぉ。それはそれで、2年前みたいに、波乱になるだけじゃねえか?」
「だよなー! いっそ殺せよ、もうぅう!!!」
チーフは4本目のエナドリをヤケ酒のように飲み干した。テンプレがよく見ると、彼の目元はクマが酷く。肌もガサガサで、瞳の色もどんよりしている。
明らかに仕事のせいで不健康に見える。AI生成における最大の功労者は誰か。言うまでもなく、様々な専門分野の社員たちである。
彼らが寝る間も惜しんで研究を行い、様々な特許持つテクノロジーを構成して、初めて一般普及されるに至っている。
AI生成品とは、関連アプリにプロンプトを打ち込むだけで《《簡単に誰でも作れる》》ものではない。
IT企業による開発や、関連設備の建築、整備。さらにはレアメタルの輸入など、圧倒的に他の要素が大半を占めている。
データセットも含めて、途方もないほどの苦労は常に、他の誰かが支払ってくれているのだ。
テンプレはそんな代表格の1人である、彼の疲弊しきった姿を見た。
自分が配信内で生成AI品を取り扱う際は、自分だけで作ったとは、口が裂けても言えないと悟った。
「まあ、何が正しいか分からなくても、何がやりたいか分からなくても。気に入らないことが多くてもよ。きっとやりたくないことがまだ浮かぶなら、それで良いんだ。ユミナ」
「⋯⋯⋯⋯うん」
胸を突かれるような言葉に、彼女は先ほど喫茶店で浴びせられた心無い言葉を、少しだけ忘れられる気がした。
「ただ、AI技術者としては、思う事もあります」
「思うところですか?」
「はい。現状、AIは1を1にする事ができるようになってきていますが、このグラフィティアートのように、まったくの0から1を生み出す事は苦手なんですよ。ですので、いつかそんな日が来ればと、みんな夢に見てますね」
ふと、思い浮かんだ言葉を、パイルバンカー神は呟く。その言葉の先には、今も描かれ続けている、グラフィティアートがあった。
「⋯⋯あくまで1つの道のりでしかなく、当たり前すぎて、忘れてる者も多いかもだが。誰かを助けるために創作する気があって、はじめて2流になれるのかもしれんな」
「そんなものでしょうか?」
「さてな。時と場合によるんじゃないか。⋯⋯ユミナ、お前な。またあの言葉を考えてるだろう?」
「ふふっ、まだ何も言ってませんよ、マサさん?」
「ドーン!」
突然、テンプレがカスタムに、軽く体当たりを繰り出した。
「おまっ、なんだよいきなり!?」
「ラブラブな空気禁止! 油断するとすぐこれなんだから!」
「お前な、待てこの!」
柱と柱の間を無駄にハイレベルな速度で走り回るふたりを見て、ユミナはおかしくなって、朗らかに笑っていた。




