サイドストーリー:【悲報】うちの勇者、今日も空回ってる【朗報】今日の飯も美味い
「なあ、フィアメッタ」
「何よ、ヴォルフラム。どうせまた、勇者様のことでしょう」
焚き火の揺れる炎を挟んだ向こう側で、今日も今日とて、勇者による一方的な愛の劇場が幕を開けていた。
王立魔術学院を首席で卒業した私、フィアメッタは、この旅が始まって以来、何度この光景を目にしたか、もう数えるのも面倒になっていた。私の隣では、パーティの盾役である寡黙な大男、ヴォルフラムが、手入れの行き届いた愛用の斧を布で磨きながら、重々しく息をついている。
「リューネ様、見てくれ!この花は『永久の愛』って花言葉なんだ。君にぴったりだと思って!」
勇者カナデが、どこで摘んできたのか、紫色の小さな花束を聖女リューネに差し出している。その目は、恋に恋する少年のようにキラキラと輝いていた。対するリューネ様は、差し出された花に一瞬視線を落としただけで、すぐに興味を失ったように焚き火の炎へと目を戻してしまった。
「……そうですか。綺麗ですね」
温度のない声。感情の読めない横顔。
だが、私たちの勇者様は、その塩対応を独自のフィルターで超絶ポジティブに変換する特殊能力をお持ちのようだ。
「だろ!?喜んでくれて嬉しいよ!ああ、君の美しさの前では、どんな花も霞んでしまうな!」
……喜んでるように見えた?どの部分が?私の目には、早くこの時間が終わってほしいと顔に書いてあるようにしか見えないのだけれど。
私は思わずこめかみを押さえた。ヴォルフラムを見ると、彼もまた、呆れたように首を小さく横に振っている。これが、私たちの日常だった。
「…勇者様は、いつまであれを続けるのだろうか」
「さあ?聖女様が諦めるのが先か、勇者様の頭がお花畑から現実に戻るのが先か。見ものじゃない」
私が皮肉たっぷりに言うと、ヴォルフラムは「…不敬だぞ」と窘めるような視線を向けてくる。でも、口元は少し緩んでいる。彼も、この状況を楽しんでいる節があった。そうでなければ、毎晩こうして私の与太話に付き合ってくれるはずがない。
このパーティが結成された当初、私はもっと殺伐とした旅になるだろうと覚悟していた。魔王討伐なんて、国の存亡を賭けた一大事業だ。緊張と不安で、冗談の一つも言えないような空気になるだろうと。
だが、現実はどうだ。勇者は聖女に夢中で、世界の危機など二の次といった様子。そのおかげで、妙な悲壮感がないのは、まあ、良いことなのかもしれない。
「でもさ、ちょっと観察してれば分かりそうなものじゃない?聖女様が、私たちの勇者様に一ミリも興味がないことくらい」
「……そうだな。聖女様は、夜になるといつも、小さな水晶を握りしめておられる」
「ああ、あれね。故郷の恋人とのホットラインかしら」
ヴォルフラムが、わずかに目を見開く。この朴念仁も、聖女様のあの行動には気づいていたらしい。
リューネ様は、私たちが寝静まったのを見計らって、よく一人で野営地を離れる。そして、誰にも見られないような場所で、懐から取り出した水晶に祈りを捧げているのだ。その時の彼女の表情は、私たちが普段見ている無感動な「聖女の仮面」とはまったく違う。慈愛に満ち、切なさに揺れる、恋する一人の少女の顔だ。
その視線の先にあるのが、勇者カナデではないことなど、火を見るより明らかだった。
「聖女様の一族は、特別な力を持つと聞く。あの水晶も、その一つなのだろう」
「遠距離恋愛用の魔法道具ってわけね。健気じゃない。魔王を倒して、一刻も早く彼の元に帰りたい。聖女様のモチベーションは、それだけでしょ」
「…ああ。世界平和は、そのついで、か」
「そういうこと。なのに、うちの勇者様は『俺の愛が彼女を支えている!』って信じて疑ってないんだから。あのポジティブシンキング、ある意味才能よね」
先日のことだ。街で手に入れた猪をヴォルフラムが捌き、私がハーブを効かせて作ったシチューを皆で囲んでいた時。勇者様は、おもむろに真剣な顔でこう言ったのだ。
『なあ、みんな。俺は、リューネ様と結婚しようと思う』
ぶっ、と私がスープを噴き出しそうになったのを、ヴォルフラムが巨大な背中で隠してくれた。ナイス、ヴォルフラム。
『この戦いが終わったら、王様に頼んで、正式に妃として迎え入れるつもりだ。彼女も、きっとそれを望んでいるはずだから』
どこから来るんだ、その自信は。望んでる?本気で言ってるのか?
私は、隣に座るリューネ様の様子を窺った。彼女は、スプーンでシチューを静かに口に運びながら、勇者の方を見ようともしない。まるで、彼の言葉が耳に入っていないかのように。
『いいよな、フィアメッタ、ヴォルフラム!俺たちの祝言には、ぜひ主賓として来てくれよ!』
「…え、ええ。ご自由にどうぞ」
「……承知した」
私が引きつった笑顔で応え、ヴォルフラムがいつも通り短く答えると、勇者様は「サンキュー!」と満面の笑みを浮かべた。
ああ、もう駄目だこの人。救いようがない。
私は、聖女様への同情を禁じ得なかった。こんな男に付きまとわれて、旅のストレスはマッハに違いない。それでも表情一つ変えず、聖女としての役目を完璧にこなす彼女の精神力は、賞賛に値する。
だが、勇者様のこの勘違いっぷりも、悪いことばかりではない。
辺境の関所を越える時、意地の悪い役人に絡まれて足止めを食らったことがあった。書類が足りないだの、通行税がどうだのと、明らかに吹っ掛けてきていた。
私が魔法で黙らせてやろうかと思ったその時、勇者様が前に出た。
『俺は勇者カナデ!魔王を討伐し、この世界に平和をもたらす者だ!そして、隣にいるのは聖女リューネ様!俺の未来の奥さんだ!彼女をこんな薄汚い場所で待たせるわけにはいかない!道を開けろ!』
そのあまりの堂々とした態度と、無駄にキラキラした笑顔、そして「聖女の未来の夫」というパワーワードに、役人は完全に気圧されていた。結果、私たちはすんなりと関所を通ることができたのだ。
こういう時だけは、彼の思い込みも役に立つ。面倒な交渉事を、すべて彼が引き受けてくれる。私たちは、その後ろで「やれやれ」と肩をすくめていればいいのだから。
「…しかし、フィアメッタ」
「ん?」
「聖女様は、本当に治癒魔法しか使えないのだろうか」
ヴォルフラムが、ふと真剣な声で問いかけてきた。彼の視線は、静かに佇むリューネ様に注がれている。
「どういうこと?聖女なんだから、当たり前じゃない」
「いや…。オークキングとの戦いを覚えているか?」
「ああ、あんたの盾が吹っ飛ばされた時でしょ。勇者様が危なかったわよね」
「あの時だ。オークキングの斧が、一瞬、空中で静止したように見えた」
「え?そんなことあった?」
私は詠唱に集中していて、そこまで細かくは見ていなかった。
「ああ。まるで、見えない何かに縛られたかのように。そのおかげで、勇者様は体勢を立て直すことができた。…そして先ほど、勇者様が差し出した花。聖女様が視線を逸らした瞬間、花びらが一枚、不自然に千切れて地面に落ちた」
「……」
言われてみれば、思い当たる節がないわけではない。
ゴブリンの群れに襲われた時、私の死角から迫っていた一匹が、何の前触れもなく突然苦しみだし、倒れたことがあった。私はてっきり、何かの罠にでもかかったのかと思っていたが…。
もしかして、聖女様は、私たちが知らない「何か」を隠している?
「…考えすぎじゃない?聖女様よ?慈愛の塊みたいな存在じゃない」
「…だと、いいのだが」
ヴォルフラムは、それ以上何も言わなかった。だが、彼の疑念は、私の心にも小さな棘のように引っかかった。
あの、すべてを見透かすような翠色の瞳。感情を感じさせない静かな佇まい。それは、ただ奥ゆかしいからではないのかもしれない。圧倒的な力を持つ者が、その力を隠すために纏う、擬態のようなものではないだろうか。
もしそうだとしたら。
勇者様が今やっていることは、眠れる竜の髭を、無邪気に一本一本引き抜いているようなものではないのか。
「……ねえ、ヴォルフラム」
「なんだ」
「魔王を倒した後、勇者様、本気で聖女様にプロポーズする気みたいだけど…」
「…ああ。王や神殿にも、すでに根回しをしていると豪語しておられた」
「それって、かなりマズいんじゃないかしら」
私の言葉に、ヴォルフラムは斧を磨く手を止め、深く、深いため息をついた。
その溜息が、すべての答えだった。
私たちは、世界の危機を救うために旅をしている。だが、もしかしたら、この旅の終わりに待ち受けているのは、魔王討伐というハッピーエンドではないのかもしれない。
勇者様の恋心が暴発した時、それこそが、この世界にとっての真のクライマックスになるのではないか。そんな、笑えない予感がした。
「ま、いっか。とりあえず、今日のシチューも美味しかったし」
「…ああ。猪肉が柔らかかった」
「でしょ?明日は、森で採れたキノコも入れてあげるわよ」
「…期待している」
私たちは、焚き火の向こうで繰り広げられる悲喜劇から目をそらし、明日の食事の献立について話し始めた。
世界の未来も、勇者の恋路も、今はどうでもいい。とりあえず、今日の飯が美味くて、明日の飯も楽しみ。それで十分だ。
私たちにできることは、ただ一つ。来るべき「その時」が来たら、できるだけ遠くに避難すること。それだけかもしれない。
私はもう一度、勇者様と聖女様の方を見た。勇者様は、今度は星空の美しさについて熱弁している。聖女様は、相変わらず無反応。
ああ、本当に、救いようがない。
私は肩をすくめ、ヴォルフラムが差し出してくれた水筒の水を、ごくりと飲み干した。




