第三話 魔王は倒した!さあ聖女様、俺と結婚してください!
魔王との戦いは、想像を絶する激闘だった。
奴が放つ闇の波動は空間そのものを震わせ、一撃で城壁を砕くほどの破壊力を持っていた。ヴォルフラムの最強の盾ですら、数発受けただけで大きな亀裂が入るほどだ。フィアメッタの最大級の魔法も、魔王が展開する障壁に阻まれて決定打にはならない。
「くそっ…!キリがねえ…!」
俺は聖剣を振るい、迫りくる無数の闇の触手を斬り払いながら悪態をついた。消耗が激しい。このままではジリ貧だ。
その時、背後からリューネ様の凛とした声が響いた。
「勇者様。私が魔王の動きを一時的に封じます。その隙に、力のすべてを聖剣に込めてください」
振り返ると、彼女は静かな瞳で俺を見つめていた。その全身から、今まで感じたことのないほど強大で、神々しいほどの聖力が溢れ出している。まるで、彼女自身が光の塊になったかのようだ。
「リューネ様…!?」
「時間は稼げません。一瞬です。必ず、仕留めてください」
有無を言わさぬその言葉に、俺はただ頷くことしかできなかった。これが、聖女様の本気…!俺を信じて、その身を賭してチャンスを作ってくれようとしているんだ!
俺は奮い立った。愛する女性にここまでされたんだ。男が応えなくてどうする!
「――聖域解放」
リューネ様が静かに両手を広げると、玉座の間全体がまばゆい光に包まれた。魔王の動きが、ほんの一瞬、明らかに鈍る。
「グ、ヌゥ…!こ、この光は…!?聖女、貴様ァァァ!」
魔王が苦悶の声を上げる。今だ!
俺は残された全精力を聖剣に注ぎ込んだ。剣身が金色に輝き、凄まじい熱を帯びる。
「うおおおおおおっ!これで、終わりだああああっ!」
大地を蹴り、光の矢となって魔王の懐に飛び込む。奴の核、胸の中心で禍々しく輝く紫色の宝玉。そこを狙って、渾身の一撃を叩き込んだ。
「聖剣技・天穿!」
聖剣が宝玉を貫いた瞬間、ガラスが砕けるような甲高い音が響き渡り、魔王の巨体が内側からまばゆい光を放ち始めた。
「馬鹿な…この我ガ…こノ程度ノ力デ……」
断末魔の叫びと共に、魔王の身体は光の粒子となって霧散し、跡形もなく消え去った。
後に残されたのは、静寂と、疲労困憊でその場に膝をつく俺たちだけだった。
「…やった…のか?」
フィアメッタが信じられないといった様子で呟く。
「ああ…終わったんだ…」
俺は聖剣を杖代わりにどうにか立ち上がり、勝利を噛み締めた。
俺が、俺たちが、世界を救ったんだ。
そして何より、リューネ様との約束を果たした。彼女が作ってくれた最高のチャンスを、俺はものにしたんだ。
俺は、疲れ切った顔で壁に寄りかかっているリューネ様のもとへ駆け寄った。
「リューネ様!大丈夫か!?すごい聖力だった…!」
「…ええ。少し、消耗しただけです」
彼女は相変わらず淡々としていたが、その顔色は明らかに悪い。俺はたまらず、その華奢な肩を支えた。
「ありがとう、リューネ様。君のおかげだ。君がいなければ、勝てなかった」
「…勇者様のお力が、世界を救ったのです」
彼女は俺の腕からそっと身を離し、そう言った。
ああ、なんて謙虚なんだ。手柄をすべて俺に譲ってくれるなんて。どこまで奥ゆかしい女性なんだろう。俺は彼女への愛しさが、胸の中で爆発しそうになるのを必死で堪えた。
俺は知っている。あの最後の一撃は、彼女が魔王の核を極限まで脆くし、防御結界を完全に破壊してくれていたからこそ届いたのだということを。あの神々しい光は、ただの足止めじゃなかった。あれこそが、実質的なトドメだったのだ。
だが、彼女はそれを微塵もおくびに出さず、すべての功績を「勇者」である俺に譲ってくれた。それは、俺を立ててくれている何よりの証拠。俺のことを、特別な存在として認めてくれている証だ。
俺の確信は、もう揺るがない。
王都への凱旋は、凄まじいものだった。
魔王討伐の報は瞬く間に大陸中に広まり、俺たちが王都に帰還した日には、道が見えなくなるほどの大観衆が俺たちを祝福してくれた。
「勇者様、万歳!」「世界を救ってくださり、ありがとうございます!」
降り注ぐ花びらと歓声の中、俺は馬上で民衆に手を振りながら、隣を歩むリューネ様の横顔を盗み見た。彼女はやはり無表情だったが、その瞳はどこか遠くを見ているようだった。
きっと、この平和な光景を見て、感慨に浸っているんだろう。大丈夫だよ、リューネ様。これからは俺が、君をずっと守っていくから。
その夜、王城で盛大な祝勝会が開かれた。
王侯貴族たちがこぞって俺に祝いの言葉を述べ、美しい姫君たちが熱い視線を送ってくる。だが、俺の目にはリューネ様しか映っていなかった。
会場の隅で、一人静かに佇む彼女。その姿は、喧騒の中でひときわ気高く、美しく見えた。
時は満ちた。
俺は国王陛下の元へ進み出て、高らかに宣言した。
「国王陛下!俺は、この世界を救いました!つきましては、以前よりお願いしておりました褒美を、この場で賜りたく存じます!」
会場がしんと静まり返り、すべての視線が俺に集中する。王は満足げに頷いた。
「うむ、勇者カナデよ。お主の功績は、何物にも代えがたい。望みのものを申してみよ。国庫にあるものなら、何でも与えよう」
よし、言質は取った。神殿の大司祭も、隣でにこやかに頷いている。外堀は完全に埋まっている。
俺はゆっくりと振り返り、まっすぐにリューuen様の元へと歩いて行った。戸惑ったような表情の彼女の前に跪き、俺は最高の笑顔で、用意していた言葉を口にした。
「リューネ・アスクレピオ様!俺は、初めて会った時からずっと、貴女に恋をしていました。この旅は、貴女への愛を証明するためのものでもありました。どうか、俺の、茅ヶ崎奏の妻になってください!」
満場の前での、劇的なプロポーズ。会場からは「おお…!」というどよめきが起こり、皆が固唾を飲んで彼女の返事を待っている。
さあ、リューネ様。もう照れ隠しは終わりだ。頷いてくれ。そして、俺の胸に飛び込んでくるんだ!
俺は、ダイヤモンドの指輪でも贈られたかのように感動に打ち震える彼女の姿を思い描き、胸を膨らませた。
しかし。
数秒の沈黙の後、リューネ様が取った行動は、俺の予想を完全に裏切るものだった。
彼女は、俺に一瞥もくれず、くるりと背を向けたのだ。そして、そのまま出口に向かって歩き出そうとした。
「……え?」
何が起こったのか、理解できなかった。
なんで?どうして?こんなに完璧なシチュエーションで、最高のプロポーズをしたのに。断るどころか、無視?
俺の頭は真っ白になった。プライドが、自尊心が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。
「ま、待てよ…!リューネ様!」
俺は慌てて立ち上がり、彼女の腕を掴んだ。
「どういうつもりだ!俺は、俺が、世界を救ってやったんだぞ!その英雄からの求婚を、無下にするって言うのか!」
俺の声は、自分でも分かるほど上ずっていた。焦りと、屈辱と、怒りで、感情がぐちゃぐちゃだった。
リューネ様はゆっくりと振り返り、初めて、俺の目をまっすぐに見た。その翠色の瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。いや、違う。よく見ると、そこには明確な「侮蔑」と「不快感」が宿っていた。
「……離してください」
氷のように冷たい声。
その声で、俺の中で何かがプツンと切れた。
ふざけるな。ふざけるなよ。俺がお前をどれだけ好きで、どれだけ尽くしてきたと思ってるんだ。お前のために、命懸けで戦ってきたんだぞ。それなのに、この仕打ちはないだろう。
「いいや、離さない。お前が俺のものになるって言うまで、絶対に離さない」
もう、どうにでもなれ。
俺は最後の手段を使うことに決めた。召喚された時に与えられた、チートスキル。これだけは使いたくなかったが、こうなったら仕方ない。
「――スキル発動、【絶対魅了】!」
俺の瞳が、淡いピンク色の光を放つ。このスキルは、対象の精神に直接作用し、俺に対して絶対的な好意を抱かせる強制スキルだ。どんなに強情な女でも、これを使えば一発で俺にメロメロになるはずだった。
光が、リューネ様を包む。
これで、お前も俺の虜だ。さあ、俺に愛を囁け。
だが。
リューネ様は、眉一つ動かさなかった。
それどころか、心底鬱陶しそうに、小さくため息をついた。
「な、なんで…?スキルが、効かない…!?」
ありえない。勇者である俺のユニークスキルが、効かないはずがない。パニックに陥った俺は、最後の理性を失った。
「こうなったら…!力ずくでも、お前は俺のものだ!」
もう、どうなってもいい。意地でもこの女を手に入れてやる。
俺は腕力にものを言わせて、彼女をその場に押し倒そうとした。
その瞬間。
「――いい加減に、しろ」
地を這うような低い声が聞こえたかと思うと、信じられないほどの力で腕を振り払われた。
そして、次の瞬間、俺の腹部に凄まじい衝撃が叩き込まれた。
それは、攻撃と呼ぶにはあまりにも無造作で、まるで邪魔な虫を払うかのような、ただの「一振り」だった。
俺の身体は、紙屑のように宙を舞い、祝勝会の豪華な食事で満たされたテーブルをいくつもなぎ倒しながら、広間の分厚い石の壁に叩きつけられた。
「ガッ…!?」
息ができない。全身の骨が砕け散ったかのような激痛。意識が、急速に遠のいていく。
薄れゆく視界の端で、騒然とする広間を背に、静かに佇むリューネ様の姿が見えた。
彼女は、気を失った俺を一瞥すると、興味を失ったように踵を返し、光の中へと消えていった。
なんで、どうして。
運命の、相手じゃなかったのかよ。
それが、俺の最後の記憶だった。




