第五話 手掛かりの解析
翌朝。夏の光が神社の境内を白く染め、木々の葉を透かしてちらちらと落ちてくる。湿った石段を駆け上がる軽快な足音が響いた。
「おっは~!って、アタシらが一番?」
元気いっぱいに声をあげたのは椿。その隣で息を整えつつ登ってきた楓が、境内に立つ人物へ視線をやった。
「いや、桜が一番だな」
顎で賽銭箱を示す流雨。その陰から、まるで隠れていた小動物のように桜が顔をのぞかせる。
「お、おはようございます…」
「おはよっ!」
桜は所在なさげに両手を胸の前で握り、声を絞り出す。その様子に椿は屈託のない笑みを浮かべた。
「なんで、そんなとこいんの?」
「…え、えと…ここ、落ち着くんです…」
「ふーん、いいじゃん!」
気軽に笑う椿に、桜は頬を少し赤くした。そんな二人が会話を弾ませている一方、楓はすでに携帯端末をいじっている流雨の側へ歩み寄る。
「…何をしてるんですか?」
「ああ、これな」
流雨が差し出したのは黒い携帯端末。昨日寿郎が拾ってきた、稲荷の落とし物だ。
「昨日、寿郎が拾ってきた携帯だ。手掛かりになるかなと思って解読をしてる感じだな。今の所、本体の暗証番号は突破できたが、中のメールや写真フォルダにも個別のパスがかかって…それが分かんなくてな…」
「へ、へぇ…(さらっと言ってるけどこの人、暗証番号解除とか普通にヤバいことしてる…私の携帯は絶対渡しちゃだめだな…)」
楓が内心で小さく警戒を強めていると、階段を上ってくる賑やかな声が響いた。
「おはよ~!」
「おう」
湊と昴が合流。湊は境内に足を踏み入れた途端「暑っつい~」と呟き、御神木の影に寝転がる。一方昴は流雨の隣に腰を下ろし、自然に解析を手伝い始めた。
「……」
「おはようございます」
「おはよ」
「お?なにしてるんです?」
やや遅れて寿郎と藍葉が姿を現す。藍葉はすぐに興味深そうに端末を覗き込み、寿郎は黙って境内を一周見渡し、再び敵襲が来ないか警戒を解かない。
そんな中、不意に椿が口を開いた。
「ねえ」
「は、はいっ!」
唐突に呼ばれて桜が跳ね上がる。
「静かだね」
「そ、そうですね」
「なんかさ…懐かしい感じする」
「懐かしい?」
「うん」
椿は賽銭箱に背を預け、空を仰ぐ。いつもの明るい笑みではなく、遠い何かを思い出すような寂しげな表情だった。そんないつも彼女が浮かべない表情に、桜は戸惑う。
「つ、椿ちゃん…?」
「あーごめんごめん!」
軽く手を振り、取り繕うように笑う。
「大丈夫です、か?」
「いや、全然ダイジョブ!てか、敬語つけなくてもいいんだよ?アタシの方が年下だし」
「…で、でも、なんか年下って感じし、しなくて…身長も私よりも大きいし…」
「気にしないで!好きに呼んでって初めての時言ったじゃん」
「……は、はい。し、精進します」
「うん!ゆっくりでいいからね」
柔らかい笑みがふたりの間に流れた——その瞬間。
「よっしゃぁ!!!!!!」
流雨の咆哮が境内を揺らし、静寂を粉々に砕いた。
「うわっ!!びっくりした!」
「な、何ですか…っ!?」
「全員集合!こいつのパスワード解除できたぞー!!!」
そう言って流雨は携帯端末を掲げる。普段冷静な彼のはしゃぎっぷりに、一同は目を丸くした。苦戦した末の成功に違いない。流雨は子どものように顔を輝かせていた。
「なんかあったみたいだし、行こっか」
「は………う、うん…」
「!ふっ」
椿は小さく笑い、桜の手をとって駆け寄る。桜は少し驚いた顔を浮かべるが、その顔にはどこか嬉しそうな笑みが滲んでいた。
二人と、のんびりしていた湊が合流し、全員が集まったのを確認した流雨は深呼吸して声を張る。
「寿郎が拾った携帯……恐らく稲荷の物。その中の写真フォルダのパスの解析に成功した。メールはこれからだが、取りあえずこの中身を確認しよう」
ごくり、と皆が息を呑む。中にはほとんど動画も写真も存在せず、たった二つの写真だけが保存されていた。
一枚目――稲荷と思しき男と、笑顔を浮かべるアンカー髭をした男のツーショット。
二枚目――稲荷を含む六人が横並びで写る集合写真。黒髪ストレートの女性、一枚目にも写っていた髭の男、杖を突いた白髪の老人、冷たい眼差しの長身の女性、そして縮こまった小柄な少年。背景は会議室らしき場所で、長テーブルが写り込んでいた。
「これは…多分、稲荷の仲間だな」
「でも、これじゃ手掛かりには……」
楓が首を傾げかけた時、湊が声を上げる。
「一枚目の後ろ、これ《《アイツら》》の特攻服じゃない?なんだっけ…あの、あれ…」
「黒地に特徴的な赤い横線…ああ、魔累巣の特攻服か」
「あーそうそう、魔累巣だ」
流雨は腕を組み、深く息を吐いた。
「つまり——手掛かりは三つ」流雨が指を折り数える。
「一つ、魔累巣と稲荷の関係。写真が撮られたのは数カ月前、全く関係がないとは考えられない。
二つ、湊たちが拾った謎の本――稲荷が“ただのオカルト本じゃない”と断言した。直接稲荷に繋がる可能性は少ないが、その後の行動幅を広げるには必須。
三つ、逆沙組の事務所。寿郎の話では“商談中”と言われた直後、稲荷が出てきた。繋がりがある可能性は高い」
彼は皆を見渡し、真剣な眼差しで続けた。
「今度はこの三つを軸に動く。だが一度に全てを追うのは不可能だ。だから——」
一呼吸。張り詰めた空気に、誰もが耳を傾ける。
「ここからは三班に分かれる。
楓,椿,湊,昴の一班、魔累巣の動向を探る。最悪戦闘も視野に入れてほしい。
俺,桜,藍葉の二班、謎の本を翻訳するために資料を漁る。二人は俺のサポートを頼む。資料探しは一人じゃ結構時間がかかるからな。
寿郎一人の三班、逆沙組の監視だ。寿郎なら…まあ、一人で大丈夫だろう」
皆の表情が引き締まり、境内を蝉の声が覆う。
「それぞれ危険は高い。だが、朱音を取り戻すための最初の一手だ」
その言葉に、全員が黙って頷いた。
昨日の誓いは空言ではない。
仲間たちの瞳に宿る光は、より強く燃え上がっていた。




