第四話 燃える誓い
数時間前、寿郎班 暴力団事務所
「隊長」
「なんだ」
「…ちょっと…遠くないですか?」
神社から目的地の暴力団事務所までは徒歩二十分。夏の日差しに焼かれながら進む一行は、まだ道半ばだった。
「遠いのはわかるが、諦めろ」
そうぼやく隊員を横目に、寿郎は表情一つ変えず歩を進める。
やがて、無骨なコンクリート造りの三階建てが視界に現れた。窓は黒いフィルムで覆われ、鉄柵が錆びて赤茶けている。入り口には古びた提灯がぶら下がり、壁には「逆沙組」と荒々しい書体で刻まれた看板。周囲の空気は妙に澱んでいて、まさしく暴力団の巣窟だった。
「あれですか?」
「ああ、あれが目的地の逆沙組事務所だ」
睨みを利かせる組員たちが入り口前で腕を組んでいる。二人は肩口まで入墨を覗かせ、ただ立っているだけで殺気を漂わせていた。
「何の用だ」
「話がある。通してくれ」
「悪いが、今は大事な商談中だ。入るなら後でにしてくれ」
「…分かった」
意外にも退けられることはなく、門番らは再び持ち場に戻る。
隊員の一人が寿郎を不思議そうな目で見た後、別の隊員にひそひそ声を漏らした。
「…何故門前払いされなかったんだ?普通なら一蹴されるはずだろに」
「知らないのか?この逆沙組は、《《隊長》》が作ったといっても過言じゃないんだ」
「…それってどういう――」
その時、事務所の扉が開き、三人の男が姿を現した。中央に立つのは長身の男。夏には不似合いな黒のロングコートに中折れ帽を目深にかぶっている。その視線が寿郎に向いた瞬間、わずかに驚きの色が走った。
「應本 寿郎…何故ここに」
「……ッ!」
名を呼ばれた刹那、寿郎の眼光が鋭さを増す。男はそれを横目に、同行者に何事か耳打ちをした。何か伝え終わったのか、男は軽く手を上げ、低く声を響かせた。
「初めまして。應本 寿郎君」
「質問は山ほどあるが…まずは貴様が名を名乗れ」
「私は稲荷。好きに呼んでくれ」
男――稲荷は丁寧に一礼した。
「稲荷……何故私を知っている」
「君のお友達に教えてもらったからだよ」
「友人…?一体誰から」
「朱音君だ——」
その名が出た瞬間、寿郎は反射的に拳を振るう。
稲荷は瞬時に一歩下がって何とかその攻撃を避ける。
その名が出た瞬間、寿郎の拳が閃光のように突き出された。
ドンッ!
コンクリートを叩く爆音。だが、稲荷は瞬時に身体を一歩後ろへ。ギリギリで彼の攻撃を避ける。
「外したか」
「おいおい、他人の組の前で何してんだ」
周囲の組員たちが慌てて立ちふさがる。しかし寿郎が冷たく一睨みすると、彼らは顔を引きつらせ「わ、分かったよ。勝手にしろ」と退いた。
「(今の速さ……!NOVA・9最強は伊達ではないということか)いやはや、物騒じゃないか」
「総帥について知っているのなら、全て吐いてもらう…!」
二人が見合っていると、その間に稲荷の連れた二人の人物が割って入る。
「稲荷様、ここは我々が」
「…すまない、頼んだよ」
『朧月夜』
そう稲荷が口にすれば、彼の姿は煙のように掻き消えた。
それを見た瞬間、寿郎は即座に走り出した。
「た、隊長!」
「その二人程度なら、お前達で撃退できる。良い結果を期待している」
そう言い残し、寿郎は稲荷の気配を追い大通りへ走る。
(あの男の気配はまだ残っている。つまりそう遠くへは行っていない。どういう原理で瞬間移動紛いのことをしているのかは知らないが、今は気にしなくていい。ただ、アイツは総帥について知っていた。恐らく犯人の一味、そうでなくても関係者か何かだろう。逸早く拘束し、事情を聞き出さねば)
巨体を弾丸のように路地へと走らせる。息を潜めた気配を追い――大通りにて、黒いロングコートを視認。
「見つけた」
「!?(バレたのか…!この数分で…!?なんて追跡能力!)」
稲荷は即座にバレたことを察知。即座に逃走へ入る。
寿郎の二一〇センチ、一〇九キログラムの体躯が地を踏むたび、アスファルトが割れんばかりに震える。稲荷は必死に逃げるが、距離は縮まるばかり。
(おかしい。何故あの巨体でそんなスピードが出せる!NOVA・9の総帥、神楽 朱音は鬼でも飼っていたのか?!)
追走の末、寿郎は稲荷を路地裏に追い詰めた。稲荷は壁際に立ち止まり、肩で息をした。
「はぁ…はは、まんまとやられた、ということかな…?」
「お前を拘束し、知っていることを全て吐いてもらう」
「いやはや、参ったね。これから大事な用事があるんだが……聞き分けてもらえないか」
仕方ない、そう口にして稲荷が軽く伸びをすると、大きく息を吸う。
(…何かマズいっ!)
その様子を見た寿郎が直感で即座に踏み込み拘束しようとする。
しかし、その腕は届くことはなかった。
『化狐』
光の粒となり、稲荷の姿は再びその場から消える、それと同時にカランッ、と何かが落ちる音が裏路地に響く。
「ッ!?すぐに追わなくて、は……なんだ?」
寿郎が音に気が付きその方を見る。それは携帯端末のようで、これは何故か先程まで稲荷の立っていた場所に落ちていた。
「…今はいい。奴の気配は…神社の方か」
寿郎は端末を拾い上げ、気配の残る方向――神社へと走った。
「あー参ったね。携帯を落としてきてしまった…できれば帽子とかがよかったんだけど…ん?」
稲荷が神社への階段を上っていると、上から声が聞こえる。
「――図書館で資料を借りれば何とか翻訳は可能だろう。だが、こんな得体の知れないオカルト本を訳したところで――」
(あれは、NOVA・9の頭脳、源 流雨の声かな?オカルト本…あー恐らく《《例の本》》を拾ったのか。まあ、それは一旦置いといて、目的を達成して早く帰らないとね)
稲荷が階段を上り、彼ら、NOVA・9の面々に顔を合わせる。
—――――――――――――――—――――――――
現在、神社
「なるほど。とりあえず何があったのかは分かった」
寿郎の話を聞き終えた流雨が小さく頷く。
「だが、どうやって追うんだ?案な化物みたいな奴。正直、俺はまだ見当もついてないぞ」
「奴《稲荷》は超次元的な力を持つ」
突然、話が変わったため流雨は少し首をかしげる。
「…?まあ、そうだな。それは俺たちも見た。炎を出したり、急にその場から消えたり」
「だが、あれには相当なデメリットや制限がある。急にその場から消える力『朧月夜』、あれは恐らく、遠くても自身から半径二五〇メートル地点にしか飛ぶことはできないうえ、多くの体力を消耗する物だろう。軽々使えるのなら、私から走って逃走する必要はなかったはずだ。炎を出現させる力にも何かしらのデメリットがあるのだろう」
「…ふむ、一理ある。てか、なんで俺達はあんな現実味のない人間…かも怪し奴についてこうも普通に話してんだろな」
流雨が枯れた笑いを口から漏らす。
「…あとは、これもデメリットの結果なのか、奴が『化狐』と口にし、消えたその場に落ちていた携帯だ」
そう言って寿郎は流雨に先程拾った携帯を手渡す。
「おーい、全員連れて来たぞー!」
そんな時、椿たちが他の隊員らを連れて戻って来る。その中には稲荷の側近二人と戦っていた巨鎧隊の面々もあった。ボロボロで今にも倒れそうな姿だが、何とか合流できたようだ。
「無事だったか」
「あの二人、滅茶苦茶強かったです……けど奴ら、急に「撤退するぞ」って消えていきました」
「…そうか。とりあえず、お前達は休め」
そう言われた巨鎧隊の隊員達は、木々の影に座り込み休み始める。
「で、全員集めてきたけど、どうするの~?」
「集会を開くらしいが、何をする気だ」
湊と昴が寿郎にそう問うが返事は帰ってこず、そのまま彼は皆の前に立ち大きく息を吸った。
「注目!」
彼は誰よりも大きな声を発した。夕日が長い影を伸ばし、ヒグラシの声が静寂を強調する。寿郎は全員の視線を集め、重く口を開いた。
「我々の総帥・神楽朱音は、何者かに拘束されている。そして今、我々は総帥に繋がる重要な情報を手に入れた。我々はこれから稲荷、奴について情報を収集し、追跡する。奴の先に総帥はいるはずだ。恐らく、否、十中八九危険な捜索になるだろう。だが、そんなもので怖気づく者はこの愚連隊にはいないはずだ。全隊員、明日から捜索を進めよ。いちいち許可を取りに源や来栖に連絡を飛ばす必要はない。ただ全力で捜査に取り組め。以上だ」
殆ど息継ぎをせず、全ての言葉を言い終わったその時、隊員らの胸に火が灯る。そして隊全体から気合の入った歓声が上がる。
「やってやる!」「朱音さんは俺たちが見つけてやるんだ!」「絶対助ける!」
その様子に幹部メンバーは皆嬉しさと驚きの混ざった表情をしている。
「アンタ、そんな声出せたのね」
「ビックリです…普段は大人しいというか、冷静な方だから…」
幹部たちが驚きの眼差しを向ける中、寿郎は静かに「やるべきことをやっただけだ」と一言だけ発するのみだった。
その後流雨が一度その場を締める。
「本格的な捜索は明日だ。一度解散しよう」
気合いの返事を残し、幹部メンバー含めた隊員たちは夜の町へ散っていった。




