第三話 訪問者
それぞれ探索を終え、再び集会所である逆沙神社に集合する。
「さてと、全員……ん?寿郎はどうした?」
「さあ?アタシらが最後だけど、見てないね」
「…まあいい。あとで共有するとして、今いるメンバーで結果を報告しよう」
流雨の言葉に従い、各班が順に探索結果を述べていく。しかし出そろった情報は、皆の期待を裏切るものだった。
「…ふむ、正直想定外だな。ここまで手掛かりがないとは」
「あの、そもそも何故この場所に印をつけたんですか?」
藍葉が問うと、流雨は地図を広げ線を引きながら答える。
「印をつけた場所を全て調べれば、町中の主要な道を網羅できる。さらに人を拘束できそうな人気の少ない場所へも繋がる。だから、何かしらの目撃や痕跡があると思ったんだが…見つかったのは――」
昴が一冊の本を取り出す。流雨はそれを受け取り、パラパラとページを繰った。
「これは?」
「ああ、倉庫を探していたら湊が見つけたものだ」
「そうそう、床にもその表紙と同じ模様が描かれてたんだよ~」
「ふむ…」
流雨は目を細め、本の文字に見入る。やがて小さく「ああ」と声を漏らした。
「何かわかったのか?」
「いや、内容はさっぱりだな。だが、書いてある言語は分かった。多分ラテン語だ」
「ふーん、そのラテ何とか語って訳せそうなの?」
「これがもとになっている言語のイタリア語やフランス語を学んだことがあるからな。図書館で資料を借りれば何とか翻訳は可能だろう。だが、こんな得体の知れないオカルト本を訳したところで――」
「それはただのオカルト本なんかじゃないよ。まあ、オカルト本でもないけどね」
不意に背後から声が響き、全員が一斉に振り返る。
鳥居の下に、黒のロングコートに黒い中折れ帽をかぶった長身の男が立っていた。真夏だというのに汗一つかいていない。背筋はすっと伸び、その周囲の空気だけが濃く淀んでいるように見えた。
「だ、誰!?」椿が即座に前に出る。
「驚かせてしまったかな?すまない、脅かすつもりはなかった」
「誰だって聞いてんのよ!急に現れて、これはオカルト本じゃないとか……!」
「椿、落ち着いて」
「楓…」
楓に諭され、椿は渋々後退する。楓が代わって問いかけた。
「貴方は誰ですか。それと、この本について何か知ってるの?」
「…そうだね。まずは、自己紹介をしよう」
そう言い男は帽子を取り、深々と一礼した。その所作は異国の紳士を思わせる。
「私は稲荷。初めまして。君たちが朱音君の友達かな?」
「「っ……!?」」
空気が一瞬にて凍り付く。
稲荷の言葉に全員酷く驚愕する中、即座に反応したのは、不知火 昴だった。
『焔穿ち!』
爆ぜる踏み込み。砂埃が舞い、拳が雷鳴のように突き出される。
しかし――
(ッ…!手応えがない!)
昴の拳は確かに相手を貫いたはずなのに、空を切った。気づけば稲荷は視線の上方に立ち、悠然と見下ろしていた。
「いきなり殴りかかって来るなんて、驚いたよ…流石、NOVA・9の紅蓮ノ星、最強の一角、不知火 昴君だね」
「なっ……どこでその名を!」
昴は怒りに任せて連撃を叩き込む。拳が空気を裂き、砂利を巻き上げる。だが稲荷は舞うように、体を紙一重でずらし続ける。その足取りはあまりにも軽く、すべてを見透かしているかのようだ。
「朱音君が教えてくれたよ。君らのことや、この愚連隊のことをね。例えば…幹部メンバーそれぞれが、水,金,地,火,木,土,天,海の称号を持ち、総帥である朱音君は別で太陽の称号を持っている。総勢五十六名の中規模な愚連隊。行動指針は——」
稲荷の口から流れるように名が告げられる。各隊の名、称号、人数……彼の口から次々と暴かれていく情報に、仲間たちの背筋に冷たい汗が伝う。
「クソがぁ!!!」
昴はさらに踏み込み、拳を叩き込む――が、またも空を切った。
(何故だ!?本来であれば当たっているはずの攻撃。それが全て避けられている…何かおかしい)
その瞬間、稲荷が大きく息を吸い込む。その様子を見た昴の直感が、全力で警鐘を鳴らしていた。
(何か…来る!!)
『狐灯』
次の瞬間、辺りを覆っていた砂埃が一斉に炎へと変貌した。熱気が押し寄せ、空気が爆ぜる。
「っぶねぇ!」
昴は紙一重で飛び退く。炎の柱が轟き、木々の葉を焦がす。だが炎の中に稲荷の影が飲み込まれた。無事では済まない――そう誰もが思っていた。
だが次の瞬間、その中から、稲荷は何事もなかったかのように炎を割って姿を現した。
「一体何なんだアイツ…化け物かよ…」
「大丈夫?」
駆け寄る湊の声に、昴は歯を食いしばった。その場にいる全員の視線が、稲荷へと突き刺さる。恐怖と怒気が入り混じった視線だ。
稲荷は炎を背に、淡々と告げる。
「戦う気はないんだ」
「じゃあ今のは何だってんだ!」
「自己防衛さ。これ以上戦っても双方共に得をしない。それに私はさっきちょっとしたトラブルがあってね、疲れているから目的をササッと達成して帰るよ」
そう言って稲荷はコートのポケットから一枚の手紙を取り出し、読み上げる。
「君達のお友達、神楽 朱音は現在こちらで保護している。具体的な目的は企業秘密故言えないが、危険なことはしていない。安心してもらって大丈夫だ。彼は、早くて数十年後、遅くとも数百年後には外に出してあげる予定だ。それまで安心して待っていておくれ。以上が伝言だ」
その読み上げられたその内容に全員が絶句した。
「数十年後…?」
「…は、はぁ!??!そんな内容が呑めるとでも思ってんの!?流石にアタシらのこと馬鹿にしすぎだろ!」
椿が怒鳴る。しかし稲荷は苦笑を浮かべただけだった。
「いやいや、馬鹿にはしていないよ。それに呑む呑まないは関係ない。これは私たちの問題だからね。君たちがどう言おうと変わることはない」
そう言って踵を返した瞬間、全員が一斉に飛びかかろうとした――
『朧月夜』
「じゃあ、また」
その一言と共に稲荷の身体が煙のように掻き消える。
目の前から人が消えるという異常に、誰もが息を呑み戦慄を覚える。だがそれ以上に、胸を満たしていたのは激しい怒りだった。
「絶対に、見つけ出す」
誰ともなく放たれた言葉に、全員が頷いたその時――
「はぁ…」
「…寿郎…?」
鳥居をくぐって現れたのは、肩で息をつく寿郎だった。彼は周囲を見回し、重く息を吐いて階段に腰を下ろす。
流雨が駆け寄り声をかける。
「寿郎、今までどこに行って——」
「稲荷と接敵したんだろう?」
「!?」
「やはりか。私は今、奴を追っていたが…そうか、逃してしまったのか…」
「なぜ知って…」
驚きを隠せない流雨をよそに、寿郎はゆっくりと立ち上がる。
寿郎の瞳には普段の冷徹さはなく——ただ、煮え立つような怒りが宿っていた。
「全隊員を集めろ。集会を開く」




