第十二話 嵐の前の静けさ
陽もすっかり暮れ、町の街灯が次々と明かりを灯す頃、全員が神社へと姿を現した。
「み、皆さん…ボ、ボロボロじゃないですか…」
魔累巣幹部との死闘を終え、傷だらけの四人に桜が心配そうな声を掛ける。衣服は破れ、包帯に血が滲み、動作の一つひとつに痛みが滲む。
「大丈夫~平気」
「喧嘩したのか?」
「そう。ただ、目的とはちょっと違うかもだけど、情報は手に入ったよ」
流雨が皆を見渡し、静かに告げる。
「OK。じゃあ全員、集めた情報を共有してくれ」
順番に語られていく情報。今回出揃ったものは、昨日のように肩透かしを食らうものではなく、確かな価値を持っていた。特に椿が話した《《ある情報》》に、流雨は強く反応する。
「――それが正しいのなら、稲荷に勝てるかもな…」
その一言に、皆の視線が集まる。期待と緊張が入り混じった光が宿る。流雨は顎に手を当て、思索を巡らせた。
「…よし。今からこれからの作戦を説明する」
彼が立ち上がり、声に力を込めた瞬間、場の空気は一気に張り詰める。
「次の日曜日までの数日、皆にはゆっくり休んで貰う。特に魔累巣と戦った四人は怪我を治せ。完治とまでは言わないが、戦える状態にまでは回復してほしい。俺はこの本をもう一度解読してみる。時間をかければ新たな発見があるかもしれない。そして肝心な当日の作戦だが――」
綿密に語られる作戦。その一つひとつに皆が頷き、心の奥に決意の火を灯していく。
「さ、今日は解散にしよう」
パンッ、と流雨が手を叩く。皆が夜の町へと散っていく。その背を見送りながら、流雨は腰を下ろした寿郎に目を向ける。
静かに人影が消え、二人きりになると、寿郎が低く呟いた。
「稲荷の目的は何だと思う」
「と、言うと?」
「奴の行動は不可解だ。接敵を好んでいないように見えるが、態々我々の前に現れ、総帥の保護という名の誘拐を明言した。この発言で交戦は避けられない。それを理解していながら、あえて口にするのはなぜか」
街灯に照らされる横顔は鋭く、瞳に冷たい光が宿る。
「来栖の情報では、奴らは危険な研究をしているらしいではないか。それは稲荷が使うような超能力に関係するのはお前も分かっているだろう?」
流雨が小さく頷く。
「なら、総帥自身も能力を抱えている可能性がある。それが危険なものであると自覚しているなら、抵抗せず付いて行ったのも頷ける。…そう考えると、我々は敵対せず、対話を試みた方が——」
「いや、恐らく無駄だ」
寿郎の言葉を、流雨が鋭く遮った。
「研究内容は超能力の実用化。稲荷や胡桃はその実験の成果だろう。朱音は、彼らから見れば丁重に扱うべき貴重な観測対象。対話したところで、朱音を手放すわけがない」
決然とした声音に、寿郎は眉をひそめる。
「だから俺たちは、強硬手段で朱音を取り戻すしかない」
一瞬の沈黙。
寿郎は立ち上がり、流雨を鋭く睨みつけた。
「ハッキリ言おう。このまま進めば、死者が出かねんぞ」
「……だいじょ——」
「大丈夫?根拠は何処にある?賽銭箱にでも入っているのか?」
怒気を孕んだ声。だが流雨は視線を逸らさず、静かに言葉に耳を傾ける。
「私はNOVA・9のメンバー全員を守ることを、総帥から指示されている。故に、仲間が危機にさらされるのを許容することは出来ん。即座に先程の作戦を撤回し新たな作戦を——」
「大丈夫だ」
「…!だから、その根拠を言えと——」
「大丈夫だ」
真っすぐに見据える瞳。その奥に宿るのは、不思議と揺るぎない信念だった。
「俺を信じろ。確かに、根拠なんてない。これからの戦いで、俺はみんなを危険にさらすことになるだろう。だが皆、それを承知で戦ってくれる。それに」
境内の静けさを見渡しながら、彼は続けた。
「みんな寿郎が思う以上に強い。きっと……いや、絶対、大丈夫だ。寿郎もいるしな」
「……」
寿郎は目を見開き、次第に瞼を伏せ、ふっと口角を上げる。寿郎は、流雨のその無根拠で、けれどどこか信じたくなるその言葉に、仲間を鼓舞する朱音の影を見た。
「…信じているぞ」
「ああ」
二人は神社を後にし、夜の町へと消えていった。
—――――――――――――――—――――――――
二日後。
椿は楓と桜を連れて町の服屋に来ていた。
「ねー!どっちにしよう!迷う!」
鏡の前で赤と黒のワンピースを手に持ち、悩む椿。
「えぇ…」
「…ど、どれもいいと…お、思いますけど……」
決戦の日を目前にしているというのに、いつもの調子の椿に二人は呆れ顔。
「どうしたの?」
「いや、何でもない…」
「ふーん…あ、これよくない!?ちょっと試着してくるー!」
余りにもテンションが高い椿について行けない二人。試着室に入っていく椿を見て桜は楓に話しかける。
「か、楓ちゃん…」
「なに?」
「…え、えと私…なんで、よ、呼ばれたんでしょう……」
「あー、なんか椿が「桜も呼んだ方が楽しくなる!」って言ってた」
「……で、でも…わ、私服とかよくわ、分かんなくて…」
「大丈夫。私もさっぱり」
「どうこれ!」
試着室から出て来た椿がひらりと服を見せつけてくる。
白地に淡い薔薇の刺繍が散らされたワンピース。腰のラインを自然に強調し、彼女の綺麗な体を嫌味なく引き立てる。金のストレートロングと赤い瞳が衣装に映え、照明の下で彼女はまるで舞台の上の女優のように輝いていた。
「す、すごくかわいい…です」
「似合ってる」
「そう?」
その姿に対する桜の驚きと楓の短い賞賛に、椿はえへへと嬉しそうに笑う。
「二人も着なよ!」
「…わ、私は…どうせに、似合わないし…」
「私もいいや。興味ない」
「だめ~!!着るの!!」
やだやだと子供のように駄々をこねる椿に、渋々OKを出す二人に笑みをこぼす椿。彼女はすぐに二人に似合う服を見繕い試着室へ押し込む。
数分後——。
椿の選んだ服を着て、試着室から出てきた二人。
楓は黒地に銀のラインが入ったパンツスタイル。シンプルだが彼女の中性的な顔立ちと細身な体型を引き立て、金色の瞳が鋭く映える。スポーティーでクールな雰囲気に、まるでモデルのようなオーラが滲み出ていた。
桜は水色のフリルブラウスと白いスカート。ふわりと広がる布が童顔と長い癖っ毛に似合い、まるで童話の中の少女のように愛らしかった。青い瞳が光を受けてきらめき、本人の自信なさげな態度と裏腹に周囲を惹きつける。
そんな二人に、小さな歓声を上げ、椿は携帯を構える。
楓は頬を赤らめ「恥ずい…」と呟き、桜は目をぐるぐるさせながら「ほ、本当に似合ってるんですかぁ…」と半泣き顔。
「似合ってるよ~!」
「もう、脱いでいい…?」
「だめー!もっと見せて~!」
「えぇ…めんどくさ」
わいわいと騒ぐ試着会は小一時間続き、三人は笑いながら店を後にした。
—――――――――――――――—――――――――
同日同刻、ゲームセンターにて。
「おい!お前っ!」
昴と湊の格闘ゲーム勝負は、湊の圧倒的勝利で幕を下ろしていた。
「よっしゃ~!また昴に勝った~!」
「これで0対5ですね」
藍葉の冷静な戦績報告に、昴は顔を真っ赤にする。
「クッソ!もう一回だ!」
「いいよ~?でもこれ以上負けたくないなら、止めた方がいいと思うよ?」
筐体に再び一○○円玉が落ちる音が響く。二人はそれぞれ昴はパワー系、湊は耐久系のキャラクターを選択する。
選択が終われば画面が変わり、スリーカウントが流れる。そして「Fight!」の文字と共に対戦が始まる。
「先手必勝!」
昴の選んだキャラクターが素早く湊のキャラクターに接近しパンチを繰り出す。だが、湊は即座に防御し、逆にカウンターを喰らわせる。
「隙ありっ!」
そして湊はそのまま昴のキャラクターに対しコンボを決める。どんどん減るHPバーに焦りを隠せずにいる昴に、更に追い打ちをかけるように必殺技を繰り出した。
「まずっ!」
「もう遅い!」
防御コマンドを出すが一足遅く、昴はそのまま湊の必殺技を受けてしまった。
「ぷぷ、昴って現実じゃ滅茶苦茶強いのに、ゲームじゃクソ雑魚なんだね」
湊が昴を嘲笑う。煽られた昴は舌打ちし、藍葉に交代。
「不知火さんの仇、僕が討ちます!」
「いいや、藍葉君。君に戦ってもらうのは、僕じゃないよ」
「…それってどういう?」
「来た!」
その言葉を聞き、二人はゲームセンターの入り口を見る。そこには、暑そうに団扇を仰ぐ流雨が立っていた。
「クソあっちぃ…」
「流雨~!」
「急に呼び出してどうした?ん、なんだ?昴も藍葉もいるのか」
流雨が湊たちの側に駆け寄る。
「藍葉君。君に戦ってもらうのは、この流雨だ!」
「え?何の話?」
「かくかくしかじかで~」
湊が流雨に事情を簡潔に説明すると、「なるほど」と言葉を漏らし、団扇を仕舞い指を鳴らし始める。
「流雨さんってこのゲームできるんですか?」
「ああ。一応やったことはある」
「大丈夫ですか~?僕、結構やりこんでますよ?」
「藍葉藍葉」
「はいはい、何ですか?」
藍葉の耳元で湊がつぶやく。
「流雨、これの前作のゲームの大会で一回優勝したことあるよ。だから滅茶滅茶強い」
「え、それ僕勝てないんじゃ——」
「頑張って~」
「俺の仇討つんだろ?」
「ええぇぇ!」
湊の悪戯な笑みに、藍葉が絶望の声を上げる。昴は目を伏せ小さく笑いを零し、流雨は舌なめずりし画面を凝視する。
平和で、静かで、穏やかな時間。
それが永遠に続くかのように錯覚させるほどに——。
—――――――――――――――—――――――――
港の倉庫街。
鉄骨の間を渡る夜風に混じって、女の靴音が乾いた音を響かせる。
「……もうすぐか」
長身の女性が倉庫の上から夜の海を見下ろす。
赤い口紅が妖しく光り、その瞳には一片の温かさもなかった。
彼女の背後には、稲荷が静かに立っている。
人の営みの残滓を眺めるような無機質な眼差しで、ただ港を見つめていた。
「このような静かな時間は、もうほんの僅かしか残されていないんでしょうね」
海鳴りと共に響いたその声は、風に流されて夜の町へと消えていった。




