K村のたまご水
その水は卵の味がする。
実家に帰ってきて、久しぶりに散歩に出たが夕方だというのに暑過ぎる。アスファルトがいまだに熱を持っている。まだ一匹も犬の散歩に出会っていない。
のどの渇きを覚える。家からそう離れていないので引き返せばいいのだが、さほど歩いてもいないのにとの思いもあって、まだ足を進めた。
この先に、湧水があるのだ。
自転車を押して歩く子供二人とすれ違う。坂道なので自転車を乗ったままで登るのはきついんだろう。
「さっきのとこの水、毒なんじゃないのー」
「なー」
ひどいことを言う。子供の言葉に怒るのもと聞き流す。
水場にはひしゃくが置いてあり、その水場の側には小さな祠があった。祠には千羽鶴や願いを書いた短冊などが吊るしてあった。
昔見たままの景色である。未だにお参りする人がいるのか、新しい短冊もあった。
こんな水に薬効があるとは思わないが。
病気をしたとき、せめて体に良いものをとネットを検索していた時、これで病気が治るなどといった広告や怪しげな民間療法ばかりに行き当って本当に苛々させられた。
治ったと礼を言っている札を見つける。その病が治ったのはこの人が現代医療を諦めずに治療をし続けたからだろう。
水場を覗き込めば、死んだ虫がたくさん浮いていた。子供達が毒と言ったのはこのためだろう。
死んだ虫、そして薬効を願った祠の札。これらはそれぞれ無関係というわけではない。この湧き水は恐らく、温泉に近い成分があるのだ。
虫が死んでいるのは、水からガスが発生しているからだ。有馬温泉にある虫地獄と似た状態なのだろう。
水面に浮かんだ虫をひしゃくで水ごとすくって捨てる。それを何度か繰り返して、きれいな水面を取り戻す。
子供の頃は、ここの水場によくお世話になった。
私は、計画的にお小遣いを使うことができない子供で、早々に使い切っては親に怒られることを何度も繰り返した。最終的には、小遣い制は廃止され、必要な時に親から貰うという方式に落ち着いた。
必要な時とは、遠足のおやつを買うとき、または友人との付き合いが発生したときだ。
遠足のおやつのときは小遣いをせびりやすかった。しかし、それ以外の必要なとき、というのが私にはとても難しかった。
同級生との駄菓子屋へ行くというイベントは大体突発的に発生するので、普段小遣いを持っていない私は参加ができない。
また、買いに行くからくれと慌てて家に帰って親に言っても、家に菓子あるのになんでいるねんと言われれば、まだ子供の自分はうまく反論する言葉が出せず、悔しい思いをしながら引き下がるしかなかった。
幼いながら変なところでプライドが高かった私は、一人で駄菓子屋の外で待つことができず、人付き合いはどんどん悪くなっていった。
一人行動が増え、小遣いもなく、腹が減っても何も満たせない。遠目に自販機でジュースを買う同級生たちを見、わびしい思いを抱えながらここの水場でのどの渇きを癒す。
ジュースが買えない私にとって、ここの水は貴重な味のある飲料であった。
ひしゃくで水を掬う。子供の頃は、作法なども知らずこのひしゃくに直に口をつけていたような気がする。
大人になってそれはさすがにまずいという判断ができるようになった。
ひしゃくから手に水を移せば、なんだかぬるく感じた。本来、湧水だからもっと冷たいはずである。この酷暑で冷たいはずの水が温められてしまっている。
この温かい水を飲むのはまずい気がする。夏場、水道水もやけに温かいときがあるが、あれは滞留していた水だから飲まない方がいいという。
この水も、上の方にある温かい水は飲まない方がいい。水で食あたりになどなりたくはない。
私はひしゃくで水を掬っては手で温度を確認し、ぬるいと感じてはそれを捨てていった。
だが、いつまで繰り返しても記憶の中にあるような冷たい水温を感じることはなかった。
もう諦めるか……水を捨て続けることに虚無を感じ出した私は、ひしゃくを置こうとした。
「いたずらするんはやめなさい」
ふいに横から声をかけられた。
「なんでそんなこと言うんですか……」
咄嗟に言い返して、我に返る。己の足元、地面を見れば打ち水でもこうはせんと言えるくらいにしとどに濡れている。ここを通る車は確実にタイヤをドロドロに汚すだろう。それくらいの濡れっぷりだ。
ああ、しまった。なんて配慮のないことをしてしまったんだ。と反省した。すぐ側に用水路があるのでそこに向かって流せばよかった。
反省とともに振り返って、声の主に一言詫びようと口を開きかけた。
「すずちゃん?」
「……寿々子は私の祖母ですが」
私は母似で、寿々子は父方の祖母である。私と祖母は顔だけ見ればそんなには似ていないが、どことなく似た雰囲気は持っているようだ。
母は肩幅が小さく骨格も華奢だが、私は肩幅はしっかりと広く骨格もがっしりとしている。顔は似ている親子なのに、似合う服装はまったく違うのだ。
母の着物を着れば手首から腕がかなり出てしまうのだが、祖母の若い頃の着物は私の体にぴったりと合った。私のがっしりとした体格は祖母譲りで、私は若い頃の祖母とほぼ同じような体型をしているらしい。
「あんた、すずちゃんとこの子ぉか。あんまり水無駄にしたらあかんで」
「はい。すいません」
声をかけてきたのは老婆だ。顔は見覚えがある。近所の人だという認識はあったが、名前までは浮かんでこない。彼女は祖母の幼馴染なのかもしれない。気まずさを覚えたので、さっさと帰ろうと実家の方に足を向けた。老婆に一礼してその場を後にする。
「すずちゃん、またな」
背中に声がかかったので思わず振り返った。
あっ、私は孫で寿々子ではないです……と内心思ったが、口には出さずに一礼だけ返した。祖母は数年前に亡くなっている。この人も近所に住んでいるのなら、それを知っているはずなのだが。
実家に帰って、昼寝する。夢うつつの中、バシャ、バシャ、と水音が聞こえていた。ひしゃくで水を捨ててるような音だった。
目を覚ますと母が庭木に水をやっていた。母の水やりは蛇口につないだホースから勢いよくジャバジャバと豪快をにかける。あの夢の中で聞いた音とは全く違った。
「水が臭い」
母がぶつぶつ文句を言いながら家の中に入ってきた。
「急に臭くなったん」
「いいや。向かいで工事してからや。工事したから井戸の水が変わってもうたんや」
「ふーん……」
玄関横の蛇口は井戸の水をくみ上げて使えるようにしたものだ。その井戸の水がすっかり変質してしまった、と。年月の移ろいの無情さを感じた。
母の作った夕食を食べていると、電話がかかってきた。母が応対に出る。
母が電話口で驚いたり気の毒がったりしている。
「Oさんとこのお婆さん、家に帰ってないんやって」
母の言葉で、あの老婆がOさんだと思い出す。
「あんた、昼間散歩したんやろ。見かけんかった?」
「たまご水んとこで会ったよ」
「たまご水?」
「あそこ、坂降りたとこの湧き水」
「あそこ⁉ Oさんとこのすぐ横やん」
「ああ……」
Oさんの家はたまご水のすぐ裏手にあると聞いて、彼女は私が捨てた水の音を家の中から聞いて出てきたのかと合点する。
私のOさんの目撃情報は母に有効な情報と判断されず、町内の人に連絡をされることもなかった。
「ええ⁉ 亡くなった⁉」
朝。久しぶりの実家でゆっくりと寝た後、遅めの朝食を食べていたところ、母がまた電話を受けていた。何か町内で訃報があったと知る。
「お通夜はいつ……はい、はい。ええ、ではまた」
母が電話を切った。
「お葬式?」
「まだ、いつやるかわからんて。霊場の予約してから決まるからなあ」
「ふうん」
「亡くなったのOさんとこのお婆さんやって」
「ええ!」
昨日会ったばかりの人が亡くなったと聞いて、絶句する。
「お葬式、村の会館か、それかどっかの葬儀場かもまだわからんし」
「うん……。なんで亡くなったん」
「家の裏の用水路で倒れとったって。熱中症やろうか」
「ええ……」
「暑い中、家の外出んでもいいのに~」
「うん……」
母の言葉を重苦しい気分で聞いていた。
彼女は私が安易に水を捨てなければ、亡くなることもなかったのではないか。私が水を捨てていた音を聞いたから、彼女は外に出てしまい、あの水場周辺をしばらく警戒していたのではないだろうか。
憶測だが、自分のせいでと思うとしんどい。
そう言えば、私はあの水場横の祠に手を合わせたことは一度もない。