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第二夜 下

 ◇ ◇


 夜が明け、日の光が雪に反射して目を刺してくるような明朝に、助手は起き出した。飛び込みで連泊させてもらっていた民宿に、除雪の手伝いを申し出ていたのだ。



「――じゃあ、俺は雪かきを手伝ってくるから」

「ああ。……気を付けてな」

何か言いたげな白椛にピンときた百合は、少し口の端を歪ませながら、念押しをする。

「オッサンは、情報と荷物の整理を頼むぞ」

「分かってる」

ポリポリと頭を掻きながら、白椛は心配を滲ませた雰囲気を出したままだった。

 


 そこへ、




――ピリピリピリと白椛の携帯電話が鳴る。




 彼は、すぐに繋げると、「――もしもし」と憔悴しきった男性の声が聞こえてきた。



 真剣な表情になった探偵は、視線で百合に行ってこい、と告げてそのまま応対する。それに、任せた、と百合も返して音を立てずに、そっと外に出たのだった。



「……探偵さん、警察から連絡があったんです」


電話口で、言葉を選ぶように依頼人であった新野が話し出す。


「家内が死んだって、言うんですよ……。ワタシだって、確かに疑っちゃあいましたし。……男と結局、いたらしいとも聞きました」

「はい」

ぐぅ、と男性は声を詰まらせながらも続ける。



「……それでも、死んでくれとは思ってなかったんです」


――思ってなかったんです。と男性は噛み締めるように重ねて言った。



「はい、この度はこのような結果となってしまい、私どもとしても非常に残念です。……心痛、お察します」

「アンタが悪い訳じゃないことは、分かってるんだ、分かってる。――ただ、もっとどうにかならなかったのかって、感情が抑えきれなかった、悪い」



 後味の悪い結果となってしまったことを白椛は、沈痛な面持ちで改めて受け止めるのであった。



 ◇



 その頃、百合は民宿のオーナーからラジオを借り受けて、朝のニュースを聞きながら、駐車場周りの雪かきをしていた。ノイズ混じりの今日の交通状態の話題に耳を傾け、借りていた個人用の小型スノーダンプを動かしていたのだ。

 最初はコートも着ていたが、段々と暑くなってきたので、畳んで雪の上に仮置きして続けていた。



 しかし、突然辺りが白く染まる。


「……んァ?」


 ふと、眼鏡が曇ったのかと、おもむろに手袋を外して、ハンカチを取り出した。



 すると、ザ、ザ、ザ、ザーと、それまでご機嫌な歌謡曲を流していたラジオがホワイトノイズのような異音を垂れ流す。げ、と眉間に皺を寄せてラジオに目を向けた。眼鏡をかけ直して、そっと近づこうとしたのだ。しかし、ジャケットのポケットが虫の知らせの様に震える。すぐに震えが止まり、訝しみながらも百合は携帯を取り出し確認する。




――白樺探偵事務所からの着信であった。




 今、白椛ともに出払っているのだから、誰もいない筈の事務所から掛かってくることは、本来ならあり得ない。転送されたにしても、着信番号が事務所の固定電話なのは挙動がおかしい。



 じりじりと何かが差し迫っているような危機感を覚えたが、ええい、ままよと、百合は電話を折り返す。




〈-・-・ -・-- ・・ ・-・-- 〉




 と、電子音が鳴ったかと思えば、一回でプッと切れてしまった。動揺しつつも、よく画面を見れば、圏外になっている。



……は、と目を見開き、周囲を見渡せば、そこはいつの間にやら霧の晴れた雪山であった。



いや、確かに元々雪山であったが、見覚えのあるようでない、雑木林の中にポツンと立っていたのだ。



 百合は白樺の立ち並ぶ、白黒の世界に瞬きの合間に、移動していたのである。足元を見ても、ふかふかの新雪が積もり、ぎゅむりと彼の自重で少し沈んでいる以外に人の気配がまるでない。



 見渡してみても、足跡がどこにもないのだ。



 恐る恐る、新雪を踏み固めながら、足を取られないように慎重に裸木へと近づく。ザラリとした木の皮の感触を如実に感じ、きょろりと周囲を見渡すと、蛍光色の人工的な色のリボンが巻かれていた木を発見し、一先ず、ため息をついた。人の手の入っている場所であると、少なくとも、百合は分かったからである。


 そこへ、ひやりと冷たいものが彼の鼻先に当たって、溶けて消えた。ふわり、ふわりと牡丹雪が、晴れた青空から降ってきたのだ。



 百合は、項垂れながらも、このままでは不味いと思い、道路側近くにある木に結わえられた赤いリボンを探そうと足を踏み出した。不本意にも色々あって、モールス信号を聴き取れるように努力した彼の耳には、あの意味深長な信号音が『にげて』と言っているように聞こえていたからである。

 


 ――なぜ、こんな事になってしまったのか、と百合は汗冷えし始めた事に内心舌打ちをする。



 彼はこうして、咽喉が熱を持ち、気霜を口から漂わせながら、雪山を彷徨うこととなったのであった。



 ◇



 「――シラカバさん! ユリさんが見当たりません! もしかして、コチラに戻られてますか?!」



 民宿のオーナーがパタパタと、部屋の扉の前まで小走りで駆けつけて声を上げる。その声を聞いた白椛は直ちにオーナーに詳細を聞き出そうと立ち上がる。


「どういうことです? まだ、百合は戻ってませんが」


 キィと高い蝶番の軋む音と共に、扉を開けば、ワタワタとした様子のオーナーが現れた。



「え、と雪かきを手伝ってくださっていたユリさんが、外に羽織物だけ残して居なくなってしまっていて、それと、それと、ダンプとかがそのままポツンと置きっぱなしのままだったんです」

「コートだけ残して居なくなった? 百合が? ……状況を教えてください。大丈夫です、ゆっくりでいいので」


 オーナーの言葉を聞いて白椛は訝しみながらも、落ち着いて話すように促す。


「わ、そうですね。――それが」



 ◇ ◇



 鰐渕は、現場近くのホテルにそのまま宿泊し、捜査情報の整理を行なっていた。


 そして、一旦、署に戻ろうと身支度をしていると、彼の私用の携帯が震えたことに気付いた。はて、早朝から誰だろうか、と鰐渕が確認すると白椛からである。私用に? とは思ったが、隙間時間でもあったのでそのままメールを開いた。



[今朝、宿泊中の民宿の除雪の手伝いの最中に助手の百合が行方知れずになった。上着だけ残した後、当ては現在分からず、携帯も繋がらない。捜索の為に動くので一応伝えておく]



 その文面に彼は驚いたが、すぐに持ち直して文章を作成する。



[分かりました。心配ではありますが、職務中ですので、留意だけしておきます]



と、送信した。白樺探偵事務所の彼等とは、長い付き合いで、個人としては心配ではある。何もなければ良いのだが、と胸騒ぎを覚えつつも鰐渕は外に出たのだった。



 ◇



 ――鰐渕が、警察署に戻るために、曲がりくねった山道を覆面車両である日産のスカイラインを走らせていた。ちらつく雪が、朝の陽光に照らされて眩しい最中のことである。



 ふと、彼は視界の先に人影のようなものを発見する。



 不審に思い、ゆっくりと一時停止すると、薄墨色のスーツが木々の合間から見え隠れしているのが確認できた。



 遭難中の百合咲宗その人であった。



 仕事の優先順位として、署に戻るより民間人の保護が先だな、と警察官である彼は考える。

 


 百合は足取りはしっかりしているようだが、未だにこちらに気付いていない。どうやら、車道より小高い位置にあるため、死角となってしまっているようだった。進行方向的には、車道から離れることはなさそうだが、現在は平行な形で歩いて

いる為、こちらと交わることはなさそうである。


 仕方ないと、取り敢えず鰐渕は声をかけようとした。



――しかし、その時ぞわりと肌が粟立った。



 木々の合間から、黒い毛むくじゃらの獣が、のそり、のそり、と百合を後方から付け狙っていたのである。明らかに、百合の足並みに合わせて、遮蔽物で視線を切りながらの執拗なその様子に、音を立てるのは悪手であると判断した。


 ツキノワグマの、唸り声も上げずに、追い立てることもせず、しかし徐々に間隔を詰めていく、その態度に鰐渕は強い危機感を覚える。


 急いで車内に戻り、警察無線でクマの発見とその付近に民間人が居た為に保護することを伝える。そして、周囲を見回し、苦渋の決断をした。


 後部座席に積んでいた除雪用の鉄製シャベルを引っ掴むと、覚悟を決めて、車道から斜面をゆっくりとよじ登る。


 警察官に支給されている拳銃では威力が足りず、また、人間が近くに居る場合は、誤射のリスクが高いために使用は難しいと考えたのだ。


 つまり、持ちうる中で鰐渕が考えた最適の武器がそれだったのである。



 息を殺し、ひりつく冷たさに気配を溶け込ませるイメージで、視線を逸らさず、時折立ち止まり、クマの視野の外に入り込む。




 間合いをゆっくりと確実に詰めていき、――ここだと思った瞬間、シャベルを剛腕に任せて薙ぎ払う。

 


 ツキノワグマの鼻先をシャベルのブレード面で強く打ちつけたのだ。


――バコン!! と音が鳴るが、鰐渕は手元の感触から、決定打には到底なり得ないと、気を引き締める。



「っ! 百合! ゆっくり、下がって車に避難を」

 


 鰐渕は、通る声でクマから視線を外さず、百合に指示を出した。目を白黒させながらも、状況を把握した百合は「すまない、恩に着る」と言って、手で項を隠しつつ、鰐渕が来た方向を足跡で確認して、ゆっくりと後退りをする。


 一瞬ふらついたツキノワグマであったが、すぐに体勢を立て直して、唸りながら膠着状態に陥る。


 鰐渕は、泰然とした態度を心がけてクマと相対した。よく見れば、そのクマの肩口は、血で固まり毛並みが荒れている。


 体格を出来るだけ、相手に大きく見せる様に、シャベルを構えながら、十秒、二十秒と時間が過ぎていく。



――しかし、クマの方が段々と後退しはじめ、くるりと方向を変えて逃走したのだ。クマが視界から消えるまで、鰐渕は、眼光鋭く睨みつけていたが、遂に見えなくなると、自身も慎重に車に戻った。

 


 ◇ ◇



 百合は無事に車に乗り込んできた鰐渕にそっと安堵の溜息をこぼす。対猛獣において、何も手伝えることはないと分かっていてもジワジワとくる焦燥感に襲われていたが、どっと力が抜けたのだ。


 鰐渕は、失礼、と百合に声をかけ警察無線で民間人を保護したことと、クマが逃走したことを報告した。そして、百合の方に視線を向けると、


「百合、宿泊していた宿まで送っていく」


と、提案する。


「あァ、そうか。分かった、ありがとう。……仕事中だったんだろう?」

「遭難中の民間人の保護も仕事だ。問題ない」

「そうか。そうだ、春さんに連絡しても?」

「勿論だ。心配していたから、はやく安心させてやるといい」



 百合がおもむろに携帯を出すと、電波が復活していた事に気がつく。山間部らしいアンテナ二本だけではあったが、そのまま白椛に繋げることが出来た。



「――もしもし、春さんか?」

「咲宗か? ――無事だったのか、怪我はないか?」


電話口の白椛は、百合からの連絡に驚きながらも、冷静に体調のことを心配してくる。それに殊の外、百合は嬉しくなってしまい、しかし、それをおくびにも出さず、流石に真面目に返答した。


「あ~、体調はなァ。風邪はひくかもなァ……。理由もわからず雪山で彷徨ってたからな。それ以外は外傷は特にない。それで、嶺志に見つけて貰ったんだが」


そうだ、と百合は気になっていたことを鰐渕に確認する。


「そっちこそ、大丈夫なのか? ――応急処置はいるか?」


と、運転席に視線を向けて確認すると、


「特に問題はない。幸運にも無傷で追い払うことができたから、気にしなくていい」


と、鰐渕は、いつもの調子で返してきたので、車内に乗り込む所作や、匂いからしても、緊急性のある怪我は少なくともしていないと感じていた百合は、「そうか」と納得した。


「ア〜、まァなんだ。詳しいことは合流してから、春さんに話す。取り敢えず、彼に送って貰うから」

「――分かった。鰐渕なら大丈夫だとは思うが、咲宗も二人とも体力を過信し過ぎるなよ」


白椛は無理はしすぎないように、と念を押すと、百合は、


「はいはい。春さんもな。じゃあ、一旦通話を切るぞ」


と言って通話を終えた。


「悪い、じゃあ民宿までの道順を教えるから、送ってもらえるとありがたい」

 

そう言って、百合は、あらためて鰐渕にお願いするのであった。



 ◇



 鰐渕の運転で民宿まで辿り着くと、百合は車から降りると、玄関前で待機していた白椛に出迎えられた。


「――本当に、何処まで散歩しに行ってたんだ」

「さァ、そんな予定は俺にも無かったからな……」


 警察の身体検査さながらの、白椛の体調チェックを受けて、遠い目になりながら百合はそう答える。


「あ! ユリさん。ご無事でしたか!?」


 民宿のオーナーが玄関から、そっと顔を覗かせると、百合の顔を見て駆け寄ってくる。


「ええ、ご心配お掛けしてすみません。手伝いも放り投げてしまって」

「イイエ! お元気なのが何よりです」


と、オーナーが朗らかな笑顔で応対していると、百合の近くに見知らぬ背の高い男性が立っていることに気付いて、驚いて固まってしまう。鰐渕は、眼鏡をかけ直して「すみません」と謝った。


「では、二人とも、どうか気を付けて」


と、鰐渕は立ち去ろうとした瞬間に、




――パァン! と山彦を起こしながら、破裂音が響き渡る。




 咄嗟に身を低くした警察官と探偵はそれぞれ、警察官はオーナーを。探偵は、助手を庇うように動く。どこか、ひりついた空気が流れる。


「……猟銃か?」


百合が、視線だけを動かして確認した。


「鉄砲ですか……! は、わ」


口ごもりながら、オーナーは少し狼狽える。白椛は訝しみ、眉根を寄せた。


「雪山なのに、えらく反響したな……。分かりづらかったが、音も近い様に思う」


それを受けて、鰐渕も疑問が浮かぶ。


「猟友会の方がクマの捕獲の為に、動いてくれていたが。我々が、襲われたのは約二十分前の出来事。――こんなにすぐに?」

「――待て。鰐渕、クマが出たのか?」


と、白椛が問う。鰐渕は真っすぐ白椛の目を見て答える。


「そうだ。なんとか無事に追い払えたが、危ないところだった」


そして、白椛は百合の居心地の悪そうな顔を見て、合点がいったのか頷いて、


「鰐渕も無事で良かった」


と、言ったのだった。


 少しの間、様子を見ていたが他に怪しげなことは起きず、

「――取り敢えず、俺は署に戻ります。三人は気を付けて過ごすように」


と、鰐渕は今度こそ民宿を後にした。


は、わ、てっぽう、りょうし、と、どもりながら呆然としていたオーナーに気付いた百合が、


「オーナーさん、大丈夫ですか?」


と、声をかける。


「は! ボクは大丈夫です。ユリさんがクマに襲われたって聞いてヒヤヒヤしましたが、本当に大丈夫だったんですか?!」

「えぇ、お陰様で。先程送ってもらった彼に助けていただいたので」

「そうだったんですね、……良かった。ラジオカセットもおかしな事になってましたし、無事に戻られて良かったです」

「ラジオカセットですか?」


百合が、オーナーの発言に引っ掛かり聞き直す。それに、オーナーは待っていてくださいと、件のモノを持ってくる。


「ラジオカセットが、こんな風におかしな事になってしまって残されてて」


と、オーナーが残されていたラジオを見せてくれた。



 今では珍しくなった、カセット複合のラジオだったが、その差し込み口の部分に土くれがみっしり詰まっていたのである。



「ユリさんのせいだとは思ってないですけど、ラジオではなくてテープ再生になっていて、……一体何を流してたんでしょうか?」


ひゅ、と百合は息を吸い込み、かすれながらも、


「ラジオを、朝のニュースを、流していた筈ですが」


と、言った。 


「うーん、やっぱりおかしな事ですね。取り敢えず、お二人とも、中に入って暖まりませんか?」


オーナーの心遣いに白椛も、考え込みながら観察していた山並みから視線を外して、


「ありがとうございます。百合も中に入って考えよう、な?」


と、気丈さが陰り始めた百合に向かって、提案する。


「――あァ。そうだな、すみません、お世話になります」

「イイエ! 困った時はお互い様ですからね。少し休まれてから出発されると良いですよ」



百合は、オーナーに軽く頭を下げると、彼は、気にしなくて大丈夫と、朗らかに告げた。




 ◇ ◇




 オレンジのベストを着た男性が、想定外の銃声音を聞きつけて、急いで現場に向かう。



 しかし、そこには銃弾の跡が二つ残った、ツキノワグマの死骸が、雪上にぐったりと横たわっていた。


 そして、クマに使われただろう弾丸の空薬莢の近くには、細い溝が二本、跡になって近くの林まで続く様に残っていたが、それも不自然に途切れていたのだ。



 駐在所の警察官も駆けつけて、事情を聴き取るが、言いようのない不可解さがその場にいた彼等を襲う。



「――お巡りさん、クマを撃ったのは俺たちじゃない。それは、わかってくれるか」

「えぇ、そのようですね。猟友会に所属していない第三者に撃たれたのは間違いなさそうです」

「現場に残った空薬莢みても、俺たちじゃ、あんなの使ってないんだわ。……爺さん連中でも見たことない」


 型落ちどころではない、骨董と言っても過言ではない代物なのだ。役所に出している届け出を照合してもらっても構わないと、猟師の男性は、強く言い含める。


「そうなると、一体誰が……」

「――雪で吸収される筈の音が不自然に辺り一帯に響いた。余り、深入りしたいもんでもないな。……山彦は山神とも呼ばれることもある」



 そうして、ザラリとした質感を残したまま、クマは解体、調査をされた。



すると、腹の中から、人体の一部が見つかったのである。DNAとの照合の結果、件の食害を起こしたクマと同定し、一先ず、解決となった。




 クマを銃殺したのが誰だったのかは、最後まで、分からないままであったが。






 ◇ ◇ ◇




 一連の出来事から、二週間後のことである。百合は、妹の畢智を誘って近所の定食屋に来ていた。小上がり席に通され、食事を注文して、提供されているのを待っていると、備え付けのテレビがニュース番組に切り替わる。



「お昼のニュースです。麻薬取締法違反の容疑で三十代女性が逮捕されました。この女性は――」

 


 畢智は、近所で物騒だなァと思いながら、お冷やに口を付けた。


「……イヤな事件だな。……兄さん?」

「…んァ? あァ、そうだな」


咲宗は、嫌なものを見た、と、苦虫を噛み潰したような顔でニュースを見ていたのだ。


「畢智は、クスリなんかやんじゃねェぞ」 

「やる訳なくないか? ――でも、よく分からない相手に混ぜ物として渡されることもあるか」 

        

違法薬物に毛ほども興味の無い彼女はすぐに否定した。しかし、容疑を聞きながら、畢智もリスクに対しての危機管理の問題として、ある程度兄の心配に同意する。


「何があるか分からないからなァ……。友人であっても、多少は気を使えよ」


と、咲宗がぼやく。


「ふーん。そうだよなぁ、本当に何があるか分からないし」


と、畢智もそれに頷いた。


「あァ、勧めた当人も違法性があるとは気づかなかったパターンもごろごろあるからな」

「それは、そうだね」


そうやって、とりとめのない会話に移行していた矢先に、店員が注文の品を運んでくる。


「お待たせしました〜。しょうゆラーメンです〜」

「あ、私です」


と、畢智の頼んだラーメンの方が先に届いたので、軽く手を挙げて店員に合図をした。咲宗は妹に対して「温くなる前に、先に食べてろ」と、言った。


「そ? じゃあ、お先に頂きます」


手を合わせて、湯気が漂うラーメンを畢智が食べ始める。細めの縮れ麺と、生姜の香りがかすかに香るしょうゆラーメンは安心する味がして美味しいと畢智は思った。


「A定食お待たせしました〜。後、餃子です」


暫くすると、咲宗の分も届いたので、一旦畢智は食べるのを止めて店員に会釈をする。受け取った咲宗は、餃子の皿をテーブルの真ん中に置くと、取り皿も用意して、


「ほら、餃子も沢山食え」


と、妹に言った。


「や、兄さんも食べなよ」

「畢智もよく食べろ」

「食べてるよ……。兄さんの方が食生活心配だよ、私は。その辺はさ、はるみんが面倒見てくれてるのだろうけど」


 兄からの家族としての親愛を享受する畢智だったが、食に関心が薄いのは兄の方だろうと、呆れながら、白椛に余り迷惑をかけてないかと心配したのだった。


「畢智までそんなこと言うのか……。そんなに食べてないように思われるのは心外なんだがなァ」


と、咲宗は遠い目をしつつ箸をパキッと割って、「頂きます」と食べ始めた。

 


 畢智は、六個入りの餃子が一皿なので、一人三つだろうな、と思い、ツルッと滑るこのお店名物の水餃子を端から、一つ、箸で摘んで口に入れる。じゅわと肉汁が広がり、アチチと思いながらも、そのまま食べきった。タケノコの食感が楽しいと、ほころんだ笑顔になった妹を見た兄は、


「後は、全部食べていいぞ」


と、残り四つとなった餃子の前に言い放つ。


「三つずつじゃなかった????」


それに、困惑の声を上げる畢智であった。


「いいから、いいから」


感謝すべきか、せざるべきか畢智は悩んだが、ここは素直にお礼を言っておく場面かなと、思った。


「えー、うーん。ありがとう?」


片眉を上げて、咲宗は意地の悪そうな顔で応え

る。


「――どういたしまして?」

「や、やっぱり兄さんも食べなよ、おいしいよ」

「返却は受け付けてないぞ」

「そんなぁ」


返答をミスったか、と畢智はぐぬぬとなった。

 


 A定食のホッケを粗方食べ終わった後、咲宗がおもむろに口を開く。


「畢智は、この店で良かったのか?」

「……うん? 質問の意図が読めないや、どういうこと?」


さらりと、咲宗が話題を変えた事には気付いたが、真意が読めないと畢智は問いかける。


「いやァ、もっとオシャレな店とかが良かったんじゃないかと」

「オシャレな店? うーん。特には。あ、この前、(あき)ちゃんに誘われてヌン活はしてきたけど、そういうのを兄さんとしたいかって言われると、別に。そもそも私が積極的にオシャレなカフェが好きなわけじゃないし、茶店のコーヒーとか、紅茶は大好きだけどさ」


きょとんとした顔で畢智は素直にそう答えた。


「……ヌン活?」

「アフタヌーンティーのことみたいだよ。こう、ケーキとかの軽食がタワー型のお皿のスタンドに乗せられて、紅茶とセットで出てくるんだ。大体のお店が二人客からのメニューしかないからって誘われてさ」

「成る程、それで、帆影(ほかげ)クンと二人で行ってきたのか、楽しかったか?」

「うん、楽しかったよね。晃ちゃんとお出掛けするのは素直にね。――あ、兄さんと食事するのも楽しいよ。でも、カフェ巡りはそれこそ晃ちゃんと沢山してるから、しょっぱいものも食べたくなってさ……」


と、畢智は何とも言えない顔で話した。咲宗は、そんな妹の楽しげに語る日常の話を聞きながら、聞きたかった事をそれとなく問いかける。


「――そういや、嶺志の奴とは最近会ったか?」

「ん? (れい)さん? や、最近は忙しそうで会ってないなぁ」

「そうか、最近俺も世話になったからなァ。あらためて礼を言わないと、と思ってたが、まだ、忙しくしてるのか」


え、と畢智は兄の言葉に驚き、おずおずと聞き出そうとする。


「つかぬことをお聞きしますが、何があったんです? 警察のお世話になることなんて、そんな物騒な……」

「――内緒だ。だがまァ、お互いに無事だから良かったなァと」

「うっわ、兄さん。そんな意味深な……。ハァ〜、ガチなやつじゃないか。……ソレ」

そう、茶化しながらも畢智は心配だ、という思いを隠さずに兄に告げる。

「兄さんも、あんまり無茶するなよ」

「ア〜、そうだなァ」

「はぐらかすなよぉ。兄さんも、深くは聞かないけど、嶺さんも危なかったみたいな口ぶりは心配なんだけど……?」


咲宗は、妹の親愛を受け取るがそれはそれとして、明確な発言を避けた。


「そうだ、畢智」


と、咲宗は話題転換を図る。


「……なんです?」


と、訝しげに畢智は兄を見る。


「――お土産だ」


と、おもむろに新聞紙で包まれた四角い箱をそのまま妹に手渡した。畢智は、困惑しながらも受け取る。


「え、あ、ありがとう?」

「割れ物だから、持ち帰る時は気をつけろよ」

「うん、分かった」

「あと、嶺志にも会う機会が会ったら、礼を言っておいてくれ」

「え、それは別に構わないけど。……なんで態々?」


首を傾げ、解せないな、と畢智が言った。


「なんとなく、だな。……それとも、不幸の手紙でメールが逼迫し始めて連絡が取れてないのか?」


それに、咲宗は過去のエピソードを持ち出してはぐらかした。


「流石にあれから、スパムメールが嶺さんの私用の携帯を圧迫していることはなさそうだけど……」


む、と兄があからさまに何か隠しているな、と畢智は思ったが、彼が詳細を語ってくれることはなさそうだとも思ったので、結局は渋々受け入れた。


「……しょうがないなぁ」

「じゃあ、頼んだぞ」


と、咲宗は、ひらひらと手を振り、伝票をもって立ち上がる。


「ご馳走さまでした。奢ってくれてありがとう、兄さん」

「あァ、どういたしまして」


 そうやって、兄妹は食堂を後にしたのだった。


明白怪奇な百一夜探偵譚【第二夜】終

ここまで、第二夜をお読みいただきありがとう御座いました!


面白い!良かった!と少しでも思っていただけたら、是非、評価ブックマークなどしていただけると嬉しいです。

大体、こんなペースで皆様の忘れた頃に、どかっと書き終えて戻ってきます。また、会えた日にはどうぞよろしくお願いします!


第二夜も、書き下ろし短編2話を収録した、個人制作の同人誌を発行しております、気になった方はBOOTH(https://kojizaka.booth.pm/)から11/30以降に随時販売をしていきます、よろしければ、お手にとって頂けたら嬉しいです。


こちらの話は、Xfolio、pixivにも同様に掲載しております。

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