偽るスライムと男子美大生
ルリトウワタ:
別名「ブルースター」。
花言葉は「早すぎた恋」「望郷」など。
俺は増田トウゴ。大学2年生。
今 こうして新幹線に乗っているのは、実家に戻るためだ。
「あの雲きれいだな……。」
「あの空を描くなら、俺は何色を使うだろう。」
「きれいな緑。東京じゃあ見られなかった。」
ぼそぼそと、思ったありのままを口にする。
駄目だ。やっぱり忘れられない。
――絵を描くことを。
そう、俺は美大生だ。でも俺は逃げた。
周囲と自分を比較し、絶望し、描けなくなった。
そんな、ごくありふれたお話。
だから少し実家に帰って、休むことにしたのだ。
『次は、瑠璃唐綿〜。瑠璃唐綿〜。お出口は、左側です。
お忘れ物のないよう、ご注意ください。』
「あ、もう着いた。」
スーツケースを手に取り、俺は故郷の土を踏んだ。
そこから、本数が致命的に少ないバスで約1時間。
実家に着いた頃には、もう空が暗くなりつつあった。
『カチッ カチッ』
「あれ、インターホン鳴らない。」
インターホンを連打していると、
ガラガラと立て付けの悪い木製の戸が開く。
「あらトウゴちゃん。いらっしゃい。
ごめんねぇ〜。今、そのインターホン壊れてて。」
祖母が明るく俺を出迎える。
そのまま俺は居間へ通された。
そこでは祖父が黙々と新聞を読んでいた。
「お父さん。お父さん。トウゴが帰ってきましたよ。」
「・・・・・・・・。」
相変わらず無口だ。
というか、よく見たら新聞の向きが逆さまだ。
相当緊張しているらしい。
それもそうだ。
いまさらどういう顔して会ったらいいか分からない。
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「ま、待てトウゴ。」
「うるせぇジジイ!
オラは東京さ出て、立派な画家になるべ!」
「な、なんじゃと! お前はうちの畑を継ぐんだろうが!」
「そんなのオラが望んだことじゃないべ!」
「待て! 待たんか!」
「じゃあなジジイ!ババア! せいぜい長生きしやがれ!」
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「トウゴちゃん。トウゴちゃん。」
「はっ! おばあちゃん。どうかした?」
「ご飯の準備がもう少し掛かりそうでねぇ……。」
「あ、じゃあ俺、手伝うよ。」
「いや、いいのよ。手伝いなんて。
それよりも早く、両親に挨拶して来なさい。」
「………うん。そう、だよね。」
『チーン』
仏壇の御鈴を鳴らし、手を合わせる。
「(お父さん。お母さん。ただいま。)」
俺の両親は麦わら帽子のよく似合う明るい人間だった。
祖父母とも仲が良く、
俺は両親に連れられ、よくここへ遊びに来ていた。
彼らが震災に巻き込まれて死ぬなど、
誰が予想できたか。いや、誰にも出来ないだろう。
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「トウゴ。ワシが。いや、ワシらが、
お前の父ちゃん母ちゃんの代わりになっちゃる。」
「トウゴちゃん…。泣くの我慢しなくていいのよ…。
これからは、わたしたちがついてるから……。」
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「(俺……なにやってるんだろうな。)」
祖父母の反対を押し切って美大に行ったのに、
ろくに学費を稼げず、結局祖父母の仕送りに頼りっきりで、
挙げ句の果てには、このざまだ。実に情けない。
「あら、終わったの。」
「うん。何か手伝えることある。」
「今は無いねぇ。じゃあ食後の皿洗いを頼もうか。」
「任された!」
「「うふふ。」」
「そうだ。トウゴちゃん。お風呂先入ってきたら?
長時間移動したから疲れたでしょう。」
「あぁ、じゃあお言葉に甘えようかな。」
「え?」「へ?」
浴室への扉を開けるとそこには、
透き通る水色の肌をもつ裸の女性が立っていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
勢いの良い平手打ちの音が、実家中に鳴り響いた。
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「・・・・・。」
「ごめんねぇ〜、トウゴちゃん。
アオイちゃんが入ってるの忘れてて……。」
俺は祖父、祖母、
そして風呂場にいた謎の女とちゃぶ台を囲んでいた。
「おい、おじいちゃん。この子は何者なんだ。」
俺は
おじいちゃんは女に手を伸ばし、
その透明な髪をわしゃわしゃと撫でる。
「この子は、ワシの愛娘じゃ。」
「とうとうボケたかジジイ。」
「トウゴぉぉぉ!!!?」「トウゴちゃん!?」
俺は得体のしれない彼女に鋭い視線を向けた。
「彼女はスライムだ。実の娘ではないだろう?」
「……ああ。じゃが、ワシの大切な家族じゃ。」
――「それは雪がぎょうさん降っとる日でのう。」
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『コンコン』
弱々しいノック音が閑静とした家屋に響く。
「お父さん、今 戸が鳴りませんでした?」
「風が吹き付けてるんじゃろう。
こんな夜中に来る客も居るまいて。」
『コンコン』『ドサッ』
1回目よりもさらに弱々しいノック音と、
水気を帯びた重々しい物体が倒れ込む音が聞こえた。
今度は嘘でもまやかしでもないようだった。
急いで戸を開けると、
そこにはボロ布にくるまった、
巨大な水色のところてんが転がっていた。
「大きいのう。何じゃあこれは。」
約70年生きてきた祖父でも、
この大きな丸い異物が何なのかは分からなかった。
目の前のそれは、わずかに動いていた。
一定のリズムで小刻みに膨張と収縮を繰り返していた。
まるでそれが呼吸をしているようだった。
「母さん。これは生き物かもしれん。」
「ほ、ほんとかい!?」
「ああ。寒そうに震えている。
これも何かの縁だ。助けてやろう。
母さん、お湯を汲んで来てくれ。
ワシはこの子を居間に連れていく。」
「腰やらないでくださいね!」
「無礼てもらっちゃあいかんよ。
ワシもこう見えて昔は“鉄拳のゴン”と呼ばれてたんじゃ。」
「知ってますよ。私は貴方の妻ですから。」
「「・・・・・。」」
「こんなことをしてる場合じゃない!
母さん! 早くお湯を汲んでくるんじゃ!」
「は、はい!!!」
祖父は盥にそれを放り込み、
祖母がお湯をざーっと丁寧に流し入れる。
中のそれの色は段々と明るくなっていった。
やがて目を覚ましたのか、
それは盥の湯を一瞬にして吸い込み、
「ケプッ」と可愛らしい噯気をした。
それを見て祖父母は向かい合い、笑った。
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「――というわけなんじゃよ。」
「ちょっと待て!
回想と今じゃスライムの姿が全然違くない!?」
「この姿は母さんの若い頃の姿じゃよ。」
「………ん??」
記憶おぼろげな幼少の頃、アルバムで1度だけおばあちゃんの若い頃の姿を写真で見たことがある。言われてみれば確かに、今の彼女はそれによく似ているような、似てないような……。
「とにもかくにもじゃ、トウゴ。
しばらくはウチに泊まるのじゃろう?
ならば、アオイちゃんと仲良く暮らすんじゃぞ。
もしも悲しませるようなことをしたら……。」
「悲しませるようなことをしたら?」
「一族皆殺しじゃ。」
「それおじいちゃんも死ぬじゃん。」
「「・・・・・。」」
俺は頭を掻き、そのスライムの方を向いた。
彼女は頬を膨らませ、俺に対する怒りを露にしていた。
「事故とはいえ、裸をみてしまって申し訳ない。
なるべく早く忘れるようにするし、
気が済むまで殴ってもらっても構わない。
だから、どうか俺と仲良くしてほしい。」
多少納得のいかないところもあるが、罪は罪だ。
これからしばらく一緒に暮らす以上、
いつまでも仲違いしているわけにもいかない。
「・・・・・。」
彼女は口に手を当て、考え込んだ。
そしてなにかを思いついたらしく、ニヤリと笑った。
「じゃあ、付き合ってよ。」
「は?」
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――翌日
「付き合えって買い物のことか……。」
「それ以外に何があるのよ。」
俺たちは歩いて20分かかる最寄りのコンビニを目指し、
燦々と照る太陽の下で歩みを進めていた。
道中、しばしば通行人とすれ違った。
彼女はその度に笑顔で明るく挨拶してみせた。
「えぇっと……名前は……」
「アオイだよ。」
「アオイちゃん。よくそんな活力もっていられるなぁ…。
こんなに暑いのに。元気があって羨ましいよ。」
首に巻いたタオルで汗を拭きながら問う。
すると彼女は笑って答えた。
「挨拶は生活の基本だからね。」
「と、いうと?」
「おじいさんが言っていたでしょう?
『挨拶ができるってことは生きている証だ』って。」
「あぁ〜。」
昔、祖父がよく言っていた言葉だ。
若い頃は傭兵だったようで、
挨拶ができるというだけで幸福なことだったそうな。
なんて思いふけっていたとき、
彼女は天を指さし、ポーズを取ってこう言った。
「私は“挨拶マスター”アオイ!
一年中365日挨拶を欠かさない正義のスライム!」
『パシャ』
「なんで今撮ったのよ!!!」
アオイが俺のスマホを奪い取ろうとにじり寄って来る。
「ごめんごめん。ついクセで。」
「盗撮癖?」
「違う違う! ごめんって。今消すから……。」
「私はわざわざ私を撮った理由が聞きたいんだけど?」
アオイに至近距離まで詰め寄られる。
同時に彼女から、まるでチューベローズのような、
フローラルで爽やかな甘い香りがして、
鼓動が一気に早くなった。
「それは……その………」
「今すぐに言わないとおじいさんにチクるよ。」
「…綺麗だなって思ったからです。」
「・・・・・へ?」
予想していた返答と異なっていたのか、
彼女は間の抜けた声を漏らして固まってしまった。
「あの……変な意味ではなくて、
俺は『描きたい』って思ったものは、
積極的に撮るようにしてて……。」
「……他にもあるの? 写真。」
アオイが上目遣いで聞いてくる。
「あぁ、えぇっと……。」
「あー。時間かかりそうなら後ででいいよ。」
「そ、そう?」
「うん。じゃあさっさと用事済ませちゃおう!」
「…ああ、分かった。」
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「今週のフライヤーも面白い〜っ!!」
縁側でアオイがごろごろしながら
週刊少年フライヤーを読みふけっている。
「そんなに面白い?」
「読んでみる?」
「おすすめは?」
「『HONEY×RAPPER』ってやつ。」
「ありがとう。」
アオイから週刊少年フライヤーの今週号を貸してもらった。
「……めっちゃ面白くない?」
「でしょ? 今話題の漫画なんだから。
きっとあと1年経たずにアニメ化するわよ。
私の部屋の本棚に全巻揃ってるから、
読みたくなったらきていいからね。」
「ありがとう!」
「何の話をしてるの?」
「おばあちゃん!」「おばあさん!」
祖母がスイカを差し入れに来てくれた。
俺は塩をかけて食う派だが、彼女はどうやら違うらしい。
「アオイちゃん、好きな漫画勧めてたのねぇ。」
「えっへへ〜。」
祖母がアオイの頭をぐりぐりと撫で回す。
「おばあちゃんも読んだことあるの?」
「お父さんが買ってきた漫画だったからねぇ。」
「…おじいちゃんの趣味ってファンキーだね。」
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飯を食べ、風呂に入り、床に就く。
それでもまだ目が冴えていて眠れなかったので、
スマホで今日撮った写真を見返していた。
天高くそびえ立つ入道雲、田んぼを飛び回る蜻蛉、
年季の入ったトラクター、文字が掠れて読めない看板、
……そして、アオイの写真。
「綺麗だ。」
咎める者は誰も居ない静かな部屋の中で、
布団を頭に被り、俺はぽつりと呟やいた。
俺は徐に立ち上がり、電気を点けた。
迫る熱に押されて、スーツケースに手を伸ばした。
ただひたすらに手を動かした。
我慢できなかった。止めることはできなかった。
まっさらなスケッチブックに、スーっと炭を乗せていく。
やがて線は何かを模した。それは彼女だ。彼女の絵だ。
これほどまでに絵具を持って来なかったことを後悔したことは無い。本当に残念でならない。
それほどまでに、熱中して絵に打ち込んでいた。
なんということだろう。気づいた頃には、
シンデレラの魔法が解ける時刻となっていた。
急いで寝なければと思ったが、
尿意を催し、いそいでトイレに向かった。
そこそこ大きな蛾が居てびっくりした。
自室に戻る途中、台所の方から光が漏れているのが見えた。
祖父母が眠っているのは確認済みだったので、
「さては強盗か」と怪しく思い、そっと覗いてみた。
そこには想像を絶する光景があった。
「…………は?」「あ。」
そこには見たことも聞いたこともない、
前代未聞、「スライム娘」ならぬ「スライム男」が居た。
その男は堂々とうちの冷蔵庫を開け、
昼過ぎに食べたスイカの残りを貪っていた。
俺は思った。
この家には今、アオイと祖父母しか居ない。
――『守らなくては。この家を。』
「確保ォーーーーーーーッ!!!」
「ちょっ………待っ…………!」
俺は勢いそのまま、彼を床に組み伏せた。
「どこの誰かは知らないが、不法侵入に変わりない。
この家には俺の大切な人が暮らしている。去れ!」
「んんんんんん!?!?」
掴
俺の顔が接近すると同時に、彼は激しく取り乱す。
俺の腕を振りほどこうと尋常じゃない力で暴れる。
それを抑え込もうと四苦八苦していると、
不意に手が滑って、彼の胸をんでしまった。
「――――――っ!!! このヘンタイ!!!」
「ッがはぁ!?」
声にならない叫びをあげ、
彼は俺の腹を思いっきり蹴り上げる。
背中を天井に強く打ち、意識が薄れていく。
俺が最後に見たのは、アオイの泣き顔だった。
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「知らない天井だ。」
「そんな冗談を言う余裕があるなら大丈夫そうね。」
目覚めた頃にはアオイの部屋にいて、
俺はベッドの中に横たわらされていた。
アオイは横でずっと『HONEY×RAPPER』を読んでいた。
「…そうだ! あの男は!」
「私よ。」
「………今なんて?」
「私。」
アオイが自分の顔を指差す。
俺はまったく事態が飲み込めなかった。
そんな俺を見て、彼女は俺の頬に手を添えた。
すると彼女の顔はたちまち、
俺が毎朝にらめっこする顔、つまるところ俺の顔になった。
「これで、どういうことか分かったでしょ?」
「・・・。」
アオイは顔を戻し、やや曇った表情をする。
「私、実はスライムの落ちこぼれなんだよ。」
「え?」
彼女は身の上を語り始めた。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
スライムには『子供』という概念が存在しない。
分裂によって増殖していくため、
産み落とされた時点から必要な機能が揃っているのだ。
ここまでは一般常識。話はここからだ。
スライム社会では、
能のないものは容赦なく排斥される。
特に『擬態』のできない者は。
スライムの分裂には膨大な栄養が必要となる。
そのためスライムは他の生物に『擬態』することで番を獲得し、生命力(意味深)を搾り取ることでそれを可能にしている。
そのため、『擬態』が上手く出来ないスライムは、種の繁栄において何の価値もないものとして、厳しい扱いを受けてしまうこととなるのだ。
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そういえばあの男の姿も思い返してみれば、
『HONEY×RAPPER』のキャラの姿に似てなくもない。
「普通のスライムなら誰かを真似ることなく、
オリジナルの個体の姿を作り出せるの。
好まれやすい、大衆向けの、魅力的な自分を。
でも私は、誰かを真似ないと人の形を保てない。」
「・・・・・。」
こういうしんみりした話のとき、
どう声を掛けたらいいのか、分からない。
「この姿は、アルバムを見ている時に手に入れた。
『人』に成れたんだって最初は嬉しかった。
でもね、段々とおばあさんの姿を汚してるような、
そんな気がしてくるの。」
「そんなこと………!」
「ううん。だって、貴方が『綺麗』だと思ったのは、
私じゃない。この偽りの姿だもん。」
アオイが泣きそうになる。
「ちょ、ちょっと待ってて!」
「え?」
俺は急いで部屋に物を取りに戻った。
小指を角にぶつけたが、今はそれどころじゃなかった。
「これ!」
「………私の絵?」
「そう。スケッチブックに描いた、アオイの絵だ。
これはおばあちゃんじゃなく、アオイを描いた絵だ。」
「………でも、」
「俺がこの絵を描いたのは、
アオイのことを魅力的だと思ったから。
外面だけで好きになったわけじゃない。
春の木漏れ日のように優しいその内面に惚れたんだ。」
「ほ………ほれ………!?」
「俺はぶきっちょだから正直に言う。
アオイが好きだ。見た目も中身も全部好きだ。
擬態ができなくても、それは向き不向きだ。
今は叶わなかったとしても、
信じて続ければきっといつかできるようになる。
だからもう、そんな悲しいことは言わないでくれ。」
「ひゃぁ……あ……。」
「アオイ!?」
アオイは熱い蒸気を発してドロドロに溶けてしまった。
死んだかとヒヤヒヤしたが、直に寝息が聞こえたため、
単に気絶しただけだと分かった。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「本当に行っちゃうの?」
「ああ。もう1回頑張ってみることにしたから。」
私はおじいさんとおばあさんに頼まれて、
瑠璃唐綿駅へトウゴのお見送りに来ていた。
「短い間だったけど、楽しかったよ。ありがとう。」
「こちらこそ、ありがとう。」
そう。たった数日のこと。
なのに、私は何故かその数日に囚われている。
「ちょっと寂しくなるね……。」
「……ごめん。」
「いや、いいの。ごめん。」
彼の顔はまともに見れない。
離れてしまう悲しさで泣いてしまうから。
「これ、受け取って。」
「栞?」
「そう。ブルースターの栞。
うちの近くで野生化してたから、
摘んで押し花にしてみたの。可愛いでしょ?」
「うん。とっても綺麗。ありがとう。」
でもそれを黙って受け入れるほど、私は弱くない。
電車が来る。
トウゴの影が離れていく。
「またね、トウゴ。」
「うん。またね、アオイ。」
電車が地平線へ向かって去っていく。
だが、そう焦ることは無い。
「まずは高等学校卒業程度認定試験を受ける所からね。
道のりが長いなー。いっそ、卒業後を狙おうかな?」
絶対に逃さない。そう心に決めたから。
チューベローズ:
夜になると香りが強くなる花。
花言葉は「危険な快楽」「官能的な愛」など。