街で
その日、セリーナは母ベリンダに誘われて街に出かけていた。
帽子屋で注文品を受け取り、ベリンダが懇意にしている宝石店に寄る。欲しいものがあるわけではなく、世間話をしながら、最新の商品を見せてもらったり、お勧めを売り込まれたり。
こうやって一緒に出かけるのは、母娘の交流でもあり、セリーナの審美眼を鍛えるためでもある。
今までは自分に似合うものを見つけるのが楽しかったけれど、今日はアリスターに贈るならどんなものがいいか考えるのが楽しかった。
(アリスター様には、オレンジトパーズや琥珀が似合いそうね)
いろいろ見ていたらアリスターに何か贈り物をしたくなった。
(でも、最初の贈り物が宝飾品でいいのかしら? デビュー前の今はタイピンや懐中時計のチェーンは使わないわよね。贈ったら持ち歩いてほしいわ。それならやっぱり刺繍入りのハンカチかしら?)
宝石店を出て、刺繍糸を見に行っていいかベリンダに聞こうとしたとき、横から声がかけられた。
「失礼いたします。ラグーン侯爵夫人でいらっしゃいますか?」
すかさず、ベリンダの侍女とジェマが、声をかけてきた相手と母娘の間に立つ。ふたりの身体越しに相手を見たベリンダが、「あら?」と声を上げた。
「先日の商会の方?」
「はい。サイ商会のサイです。ご記憶いただきありがとうございます」
ベリンダが認めたため、ジェマたちが下がった。それで、セリーナにも相手がきちんと見えた。
(まあ、東国の方だわ!)
黒髪黒目ですっきりした容貌の、小柄な男性だった。服装も東国風で、詰め襟の長衣を身につけている。
話している言葉は流暢な共通語だった。
セリーナはベリンダに、
「お母様、こちらの方は?」
「ほら、先日あなたが馬車で迂回したとき、道で立ち往生していた商会の方よ。あのあとご挨拶にいらしてくださったの」
「ああ、あのときの?」
それを聞いていたサイが、
「あの馬車に乗っていらしたのはお嬢様だったそうですね。大変申し訳ございませんでした」
大げさなくらい頭を下げられて、セリーナは驚く。
「いいえ、少し回り道した程度ですから。お気になさらず」
「いいえ、ここでお会いしたのも何かのご縁。わたくしどもの店にお立ち寄りいただけませんか? この近くなのです」
サイはにこやかな笑顔で、
「東国の工芸品などいかがでしょう。お気に召すものがあれば、お詫びの品としてお納めください」
「まあ、工芸品?」
ベリンダが興味を示したのを、セリーナは意外に思う。
「あなたのお店は買取もされているの?」
「ええ。お客様からご希望があれば買取もいたします」
サイの返答を受けて、ベリンダはセリーナにささやく。
「あなた、漆塗りの手鏡を探しているのではなくって?」
「え? お母様、どうしてそれをご存知なのですか?」
チャーリーから頼まれたルイーズの遺品のことだ。セリーナは誰にも話した記憶がない。
「あら。嫌だわ。私ったらつい気が急いてしまって」
ベリンダはふふっと微笑んで、セリーナの向こうに目をやった。
セリーナたちは道で立ち止まったままだった。その道をこちらに歩いてくるのは、アリスターだった。
「アリスター様!」
思いがけない場所での邂逅に、セリーナは「運命かしら」と心が浮き立ち、身体も浮いた。
「セリーナ、浮いているわ」
ベリンダに注意されて、セリーナははっとする。つま先はかろうじて地面についていたから、すとんと踵が落ちただけですんだ。
(危ないわ! 街中で浮かんだら大変)
セリーナはごまかすためにスキップをしてアリスターに駆け寄った。
「アリスター様! ごきげんよう。お約束していないのにお会いできるなんて、うれしいですわ!」
セリーナは満面の笑みだ。
アリスターはなぜか顔が赤い。
「君、今……」
「え?」
すると、アリスターの後ろからチャーリーが現れた。
「やあ、セリーナ嬢」
「お義兄様、ごきげんよう。今いらっしゃったのですか?」
「いや、最初からいたよ」
「まあ、それは気づかずに申し訳ございません」
セリーナが謝ると、チャーリーは苦笑する。
「君はアリスターしか見えていないのかな?」
「そうかもしれません」
セリーナは真剣にうなずく。
「そちらの彼は東国人だけれど、どう?」
「どう、とは?」
セリーナは首をかしげてから、思い出す。
「あ、そうですわ! あの方の商会では東国の工芸品の買取もされているそうなんです。もしかしたら、手鏡があるかもしれません」
最後は少し小声で伝えると、チャーリーは首を振った。
「サイ商会は既知だから、確認済みだよ。ありがとう」
「まあ、そうでしたか……」
そこで、ベリンダがやってきた。
「チャーリー様、登場が早いのではありません?」
「申し訳ありません。これでもゆっくり来たのですが……」
「女性の買い物は予定より時間がかかるのが普通ですわよ」
「これは失礼いたしました」
ベリンダとチャーリーは親しげに話している。
セリーナはふたりを見比べてから、ベリンダに聞いた。
「お母様はお義兄様とご挨拶済みでしたの?」
そこはその場で解散となった。
アリスターがずっと照れた様子のままなのが気になったけれど、セリーナには理由がわからなかったし、彼も話してくれない。
からかうような笑顔のチャーリーを促して、アリスターは去って行ってしまった。
「お時間があるならお茶でも、と思ったのに」
セリーナが残念がると、ベリンダが「殿方にはいろいろ事情があるのでしょう」と宥めた。
帰宅してから、セリーナは母に真相を尋ねた。
「今日のことは、お母様とお義兄様が計画なさったのね? サイ商会で落ち合う予定でしたの?」
「計画はチャーリー様よ。あなたを東国の方に引き合わせたいとおっしゃったわ」
「え? どういうことですか?」
「一目ぼれだって耳にされたチャーリー様は、あなたは東国人なら誰でもいいのでは、と懸念されたのよ」
ベリンダはひとつため息をつく。
「私も心配していたの。セリーナは『お顔が好き』と言ってアリスター様との婚約を決めたでしょう?」
「それはそうですけれど、誰でもいいわけではありませんわ!」
セリーナが憤慨すると、ベリンダは「わかっていますよ」と落ち着かせる。
「今日、サイ殿にお会いしてもあなたは浮かなかったものね」
「ええ、当然ですわ」
「それなのにアリスター様をお見かけした途端、ふわっと浮き上がって!」
ベリンダがくすくすと笑うから、セリーナは言い訳をする。
「仕方ないではありませんか。思いがけずにお会いできたんですもの」
「チャーリー様もご安心されたんじゃないかしら。もちろんアリスター様も」
アリスターとチャーリーは、セリーナたちがサイに話しかけられたところからずっと見ていたらしい。
「アリスター様に私の思いが伝わったのなら、良かったのかしら……?」
「セリーナはいつも前向きで偉いわね」
そう言ってベリンダが頭をなてでくれたから、セリーナは溜飲を下げる。
確かに自分の言動も良くなかったわね、と一応は反省もした。