フォレスト公爵家嫡男チャーリー
チャーリーに実母の記憶はあまりない。亡くなったのは四歳のときだ。――侯爵家から嫁いできた彼女は、母としても、公爵夫人としても、手本のような淑女だった。父ハワードとの夫婦仲も悪くなかったと思う。
一方、義母ルイーズは初対面から印象的な人だった。
『ルイーズ』は婚姻を結んだ際につけたユーカリプタス王国風の名前で、本名は『ルリ』と言う。チャーリーには書けない難しい文字だった。
ハツカ国の外交団としてこの国にやってきたルイーズは、歓迎式典で会ったハワードに一目ぼれしたそうだ。
ルイーズの希望で、王宮に招待されたチャーリーは彼女と顔を合わせた。そのとき、ルイーズはこう言った。
「あなたの母になりたいです!」
――チャーリーが九歳のときだ。
外交にも関わるため国と国の案件になり、外交団は予定通りの議題だけを話し合って帰って行った。その後、「迷惑をかけるが、できれば受け入れてもらえないか」という親書を持って、ルイーズは再度来国した。
単なるわがまま姫じゃなかったルイーズは、もともと堪能だった共通語を完璧に覚え、ユーカリプタス王国の歴史や地理、マナーなども道中に勉強していた。それどころか、祖国の技術からこの国でも使えるものをいくつか持ち込む許可まで取ってきた。
王族の血を引くフォレスト公爵としては、この縁談は断れない。しかし、男としてハワードがルイーズに惹かれたのも確かだと、チャーリーは思う。
実母が亡くなったことで華やかさが消えた公爵家は、ルイーズが来たことで明るさを取り戻した。というよりも、以前よりも明るく、笑い声が絶えない家になった。
最初は気を使っていた様子のハワードも、半年も経つと自ら早く帰宅するようになった。チャーリーも、買い物や遠乗りなど、ルイーズとたくさん出かけた。アリスターが生まれたときには、みんなで喜んだ。
――再婚したときハワードは三十歳。対してルイーズは二十歳。
すでに大きな息子のいる男をなぜ選んだのか、チャーリーはルイーズに聞いたことがある。
「紳士的で優しそうだったから」
などと言っていたが、さらに詳しく尋ねれば、要は顔が好みだったらしい。
チャーリーは読んでいた手紙を封筒に戻して、くすりと思い出し笑いをする。
(セリーナ嬢は実に堂々と『顔が好きだ』と宣言していたな)
あの天真爛漫さはルイーズに似ている。
セリーナと初めて会ったとき、チャーリーはアリスターが来てあの場から離れたが、隠れてずっと話を聞いていたのだ。
ルイーズが亡くなってから、フォレスト公爵家は火が消えたようだった。実母が亡くなったあと以上の暗さだ。
アリスターはルイーズにそっくりで、弟の顔を見るたびに泣きそうになって、チャーリーは避けた。学園に入学するとき、王都の屋敷から通えるのにわざわざ寮に入った。
ハワードも仕事に逃げ、家族の時間はほとんどなくなった。
あのときに戻れるなら、自分を殴ってやりたい。二人も母を亡くした、と悲劇に酔っているだけの子どもを。
アリスターのことは気にかけいるつもりだった。在学中も帰省したときには、一緒に食事を取ったり交流しているつもりだった。
アリスターは大人しい子どもだと思っていたけれど、そうじゃないとわかったのは、彼が使用人と話しているのを見かけたときだ。
自分は兄なのに、他人行儀に接されているのだと初めて知った。どうにかしたいと思うけれど、チャーリー自身も弟への向き合い方がよくわからない。
すれ違ったまま時間だけが過ぎていく中、ここにきてアリスターの態度が崩れたのも、セリーナの功績だった。
(裏表のないお嬢さんだと思うが、そう簡単には信頼できない)
チャーリーはセリーナを試すべく、少々罠を仕掛けた。
そんなことを考えてしまうのも、チャーリーの元婚約者のせいだった。